まだまだ続いている異常なアクセス…(3)
■週に1回、アクセスカウンターの数字が異常に伸びる件の続報です。困っています。意図がわからない全文検索、気持ちが悪いですね。4月4日に、アクセスカウンター1400を超えました。その後も、だいたい週に1度だけ、1400を超えるアクセスがありましたが、今週は2回。5月16日(火)「1520」、そして5月18日(木)「1371」です。もう少し様子を見ようと思いますが、本当に、抜本的な解決方法はないでしょうかね。
4月4日(火)「1400」超
4月12日(水)「1470」
4月18日(火)「1446」
4月25日(火)「1516」
連休中は不明…
5月11日(木)「1495」
5月16日(火)「1520」
5月18日(木)「1371」
睡蓮鉢とアイリス
■玄関の横に、今年も睡蓮鉢を置いています。今年は赤玉土をちゃんと入れで、睡蓮、布袋葵、黄菖蒲、コウホネ、ウォーターバコパ等を配置しました。鉢の中の状態も安定したのか、水草たちも成長してきました。最初は、結構、水草の間に隙間があったのですが、今、水面は水草で覆われてきつつあります。そして、昨日のことなんですが、鉢の中に、丸い小さな小さな生き物がたくさん湧いていることに気がつきました。かなりのスピードで泳いでいます。プランクトンですね、たぶん。次は、メダカを入れてみようと思います。去年は失敗しているので、今年は時間をかけて鉢内の環境を安定させてからと思っているのですが、どうなるだろうな〜。
■狭い敷地の我が家ですが、あちこちに草花が植えられています。日当たりのあまり良くない、敷地の北西の角には、アイリスが植えられています。そろそろ咲き始めました。この歳になって知りましたが、アイリス=菖蒲(あやめ)はアヤメ科の植物で、菖蒲(しょうぶ)は漢字は同じでも、全く別の植物でなんですってね。ちなみに、菖蒲(あやめ)と、花菖蒲(はなしょうぶ)と杜若(かきつばた)は、同じアヤメ科の植物だけど、咲く場所、花の大きさ、背丈が違うらしい…ということを知りました。しかし、よく似ています。だから、「何れ菖蒲か杜若」と言うのでしょうね。狭い庭ですが、何も考えずにガーデニング等の作業に集中することは、介護で疲れている精神を安定させるのには効果があるのかなと思っています。
親の介護のこと、入院と受診
■兵庫県の自宅で暮らしていた老母は、介護ヘルパーさんに通ってもらっても1人暮らしが困難になり、自宅近くの介護老人保健施設に入りました。それが2年前の晩秋。そして昨年の秋からは滋賀県の老人ホームに移動しました。私の自宅の近くに来てもらったのです。老人ホームに入所した時は、もう全てに介助が必要になっていましたが、食事だけはなんとか1人でできていました。
■身体は弱ってきていますが、それなりに安定していたと思っていたところ、1ヶ月前の朝のことになりますが、突然、老人ホームから連絡が入りました。身体を動かせなくなったので、近くの病院に救急車で運びます…という連絡でした。診察の結果、脳内出血であることがわかりました。糖尿病で血管が弱っているところに高血圧が重なり、脳内出血したようです。幸い、命に影響を与える状態になってしまうまでに処置することができました。手術をする必要もありませんでした。
■ただし、脳内出血のために麻痺が残ってしまいました。食事も1人ではすることができなくなりました。ただ、麻痺等の問題は残っていますが、とりあえず老人ホームに帰ることができるようになりました。それが、一昨日のことです。退院時には、麻痺による言語の障害もだいぶ緩和されてきたように思いましたが、認知的な部分はどうだろうかと不安になりました。家に帰りたいらしく、「家の廊下には手すりもついているし、ヘルパーさんも来てくれるし、大丈夫」と言うわけですが、すべてに介助が必要で、とてもそのような状態ではありません。そもそも1人で歩ける状態ではありませんが、本人にあまりその自覚がありません。なんだかこちらまで悲しくなってきました。これで、脳内出血のこともとりあえず一安心と思っていたところ、昨日の午前中になりますが、老人ホームからまたまた連絡が入りました。今度は、消火器の様子がおかしいということで、同じ病院の消化器内科の外来で受診することになりました。直腸の潰瘍でしたが、幸いにもきちんと治療をしてもらい、夕方までに老人ホームに帰ることができました。
■いろいろ、続きますね。2009年に父が亡くなり、父がしていた母の世話を私が引き継ぐことになりました。何度も病院に入院しなければならなくなりました。眼底出血、薬の副作用による横紋筋融解、転倒による硬膜下血腫…。自宅で動けなくなっているところを、レスキュー隊に救出されたと母の自宅のお隣の家の方から連絡が入り、朝1限の授業のために9時過ぎに大学についていたけれど、慌てて休講にして電車とバスで駆けつける…というようなこともありました。兵庫県の介護老人福祉施設に入り、そして今は滋賀県の老人ホームで暮らすようになり、私は精神的に随分楽になりましたが、それでもこのような入院騒動が起きるわけです。全体に身体が弱ってきているように思います。
■昨夕は、「お腹が減った、早く夕食を食べさせて欲しい」とクレームを言うほど食欲がありました。ただし麻痺があるので、誤嚥をしないようにと、ご飯はお粥、肉や魚はすり身、その他もトロミがつけてあります。それを時間をかけて職員の方に食べさせてもらうのです。しかし、母が言うに、「お粥はもう飽きた」のだそうです。そうだろうな〜と思います。でも、仕方がありません。なぜおかゆなのかを説明しますが、どこまで理解できでいるでしょうね。入院をしたことで、おかしなことを言うようになりました。素人判断ですが、軽い認知症のような…。周りの人は、老人ホームに戻り落ち着いてくると、元に戻ってくると言ってくださいます。そうあって欲しいと思っています。
■今は、老人ホームの個室で思う存分テレビを聴いています。視力がほとんど無くなっているので聴くだけです。それでも、ニュースを聴いて「籠池?あの事件はまだやっているんか」と独り言を言っていました。入院前のニュースの記憶があるんですね。なんだか、認知的な部分については、しっかりしているところと、おかしなところと、まだら模様のような感じです。子どもの頃、私からすると「鬼母」のような人で、母との思い出はろくなものがありません。辛いことばかりだったような気がします。そのため、ずっと良い関係ではなかったわけですが、こうやってここまで老いてしまった母を目の前にすると、あの「鬼母」がね…と、複雑な気持ちになります。
【追記】■今日も老人ホームをのぞいてきました。体を動かすことができないので、ベッドからリクライニングのついた椅子への移動は二人掛かりになります。麻痺は残っているけれど口はまだ達者、施設長さんの話しでは予想しているよりも随分元気とのことなので、まあよしとしなければなりません。明日の午前中、私はすでに仕事の予定がはいっていますが、老人ホームの職員さんが付き添っていただき、病院で受診することになっています。こういう費用もかさんでくるので、介護認定を見直していただく必要があります。以前と比較して、身体がこのような状態になっているので、いろいろ専門家とも相談をしなければなりません。高齢者を支える様々な制度、きちんと勉強してきませんでした。これって、もはや現代社会に生きていく上で基礎知識のようなものだと思うのです。
まだまだ続いている異常なアクセス…(2)
■週に1回、アクセスカウンターの数字が異常に伸びる件の続報です。といっても、困っているのは私ひとりなんですけどね。4月4日に、アクセスカウンター1400を超えました。その後も、だいたい週に1度だけ、1400を超えるアクセスがあります。
4月12日(水)「1470」
4月18日(火)「1446」
4月25日(火)「1516」
連休中は不明…
5月11日(木)「1495」
■そして、昨日5月16日は、5月11日から5日しかたっていませんが、「1520」になっていました。恐らくは、普通のアクセスも多めのところに、文献検索ツールによるアクセスが続いたのでしょう。いやもう、こういう文献検索ツールでアクセスされると、アクセスカウンターを設置する意義がなくなってしまいます。何度も繰り返していますが、検索する側の勝手なのだとは思いますが、その意図が知りたいものです。もう少し詳しく、この件に関して、学内の情報メディアセンターにご相談をさせていただきたいと思います。
第7回「龍谷大学餃子研究会」
■昨晩は、龍谷大学の職員の皆さんとの交流会。龍谷大学餃子研究会でした。2014年に第1回が開催されましたが、今回で第7回になりました。第7回は、京都の祇園にある「泉門天」(せんもんてん)でした。小さな小さな一口餃子が特徴です。一説によれば、祇園の舞妓さんでも一口で食べられるように、このように小さな餃子なのだとか…。私たちは、普通の肉餡のものと、紫蘇入りのもの、6人であわせて200個いただきました。今日は、おじさんのコアメンバーとの交流に加えて、新入会員の入会テストも行われました。無事、入会されました。というわけで、会長としての役目を果たしました!
■昨日は、一日、バタバタしていました。体調を崩して入院していた母親を退院させ、大学に戻り卒業延期になった学生を指導し、京都の上賀茂にある総合地球環境学研究所で琵琶湖の水草問題に関する「オープンサイエンス」の打ち合わせをして、叡電と京阪で祇園四条まで移動してからの餃子研究会に参加しました。本当に、いろいろあった1日でした。
■さて、現在のところ京都市内を中心に研究会を開催していますが、滋賀、大阪、兵庫への遠征しようという企画もあります。さらには、浜松や宇都宮(東京の蒲田もありますね)、いつかは本場の鉄板餃子である「鍋貼」(guotie、グゥオ ティエ) を経験するために中国にも遠征したいねという話しになりました。それだけでなく、実際に自分たちで皮から作ってみる実習も必要だろうということにも。こういった職場の仲間との交流は大切ですね。介護で疲れていましたが、気持ちが少し楽になりました。
■写真下段の左、スマートフォンを持っているのは私ですが(老眼のためデコ眼鏡状態)、スマートフォンのカメラで撮った、中国浙江省寧波市の食堂の「上海生煎」という鉄板焼き餃子について説明しています。一応、研究会ですので、普段からの研究の成果を「薀蓄」として喋っているところです。
まだまだ続いている異常なアクセス…
■週に1回、アクセスカウンターの数字が異常に伸びる件のことです。4月4日に、1400を超えました。その後も、週に1度だけ、1400を超えるアクセスがあります。4月12日(水)が「1470」、4月18日(火)が「1446」、4月25日(火)「1516」。もう、これで終わったのかな…と思っていると、5月11日(木)に再びアクセス数が異常に伸びました。「1495」です。学内の情報メディアセンターは、特に異常なことではないとの判断らしく、特別な対応策もないようなのですが、私はやはりどうも気持ちが悪く、できるものならばなんとかしたいと思っています。
■機械的な検索のようですが、なんのために、どうしてこんな自動検索の設定をしているのでしょうか。龍谷大学の情報メディアセンターが、4月18日のアクセスログで確認したところによれば、1400アクセス全体の90%近くを占めているのが『Accela BizSearch Thumbnail Crawler』(文書検索ツール)のようだとのことでした。誰でもアクセスできるようにしているわけですから、検索する側の勝手なのだとは思いますが、その意図が知りたいと思います。迷惑なのは、アクセスカウンターを設定している意味がなくなることです。おそらくは、すべての投稿・エントリーをチェックしているのでしょうね。なんのために??不思議で仕方がありません。こういう検索をされると、本当に迷惑なんですけどね。
内湖(平湖・柳平湖)、淡水真珠、座頭市
■昨日13日(土)は、早朝から、総合地球環境学研究所の仕事で草津市の志那町に向かいました。草津市志那町にある柳平湖で行われる養殖真珠の貝洗い作業にあわせて、水中の水温と、水中の溶存酸素を記録するロガーを設置させてもらうということで、その見学と合わせて簡単な聞き取りに行ってきました。琵琶湖の淡水真珠養殖については、もっと勉強してこのブログでもエントリーしてみたいと思っています。
■さて、琵琶湖の淡水真珠養殖ですが、琵琶湖とはいっても、琵琶湖の周辺の内湖で養殖されています。草津市でも、戦前から民間業者さんが平湖で、草津市の活性化に関連する事業として地元の自治会が柳平湖で期間限定ですが小さな規模の養殖をされています。今回、私たちがお世話になったのは、後者の方、地元自治会の皆さんの方の養殖です。総合地球環境学研究所の研究員である池谷透さんが、淡水真珠の母貝であるイケチョウガイを入れた籠をぶら下げる内湖に設置された養殖用の施設に、ロガーを設置させていただきました。このロガーには、柳平湖の水温と酸素量の変化が記録されることになります。このようなデータをきちんと取り、内湖の状況をモニタリングして、内湖再生への取り組みを支援させていただく予定です。私自身は、この雨の中での設置作業ということで、陸地から見学させていただくだけでした。池谷さん、役に立たず、ごめんなさい。
■ロガーを設置した後、池谷さんには、志那町界隈をいろいろご案内いただきました。池谷さんは自然科学分野の研究者ですが、この内湖のある地域の社会的、民俗学的な事柄まで、いろいろ調べておられました。それらを、丁寧にご教示いただきました。ありがたいことです。ここは、平湖の湖岸です。マコモの生えた浅い水辺に、ニゴロブナ等の魚が産卵に来るのだそうです。私がこの写真を撮った時は、ウシガエルが鳴いているだけでしたが、いかにも魚たちが産卵したくなるような水辺であることがわかります。
■志那町のあちこちを見学した後、池谷さんとともに、自治会館(支那会館)で自治会の皆さんと少しお話しをさせていただきました。その時に、自治会で養殖した淡水真珠を拝見させていただきました。これらは加工され、記念品として関係者に配布されるようです。淡水真珠は形が独特です。海の真珠の場合は、母貝であるアコヤガイの中に核を入れることでまん丸な真珠ができますが、淡水真珠の場合は、母貝であるイケチョウガイの外套膜の中で、核を入れずに真珠ができあがるため、形がひとつひとつ違ったものになります。淡水真珠独特の技術です。海の真珠とは異なり、ひとつひとつの形が独特になるのです。とても個性的ですよね。淡水真珠を使うと、世界で一つしかない、自分だけのアクセサリーが出来上がるわけです。写真はアクリル樹脂に包埋された淡水真珠です。何か、神秘的な雰囲気が漂っているような気がしませんか。
■昨日は、淡水真珠以外にも、いろいろお話しを伺いました。圃場整備や河川改修が行われる以前、まだこの辺りが水郷地帯だった頃のことです。街場に出かけるときは船で大津に行ったこと。この辺りは、大津の街場に下肥を取りに行っていたが、志那の若者は昔から大津の花街から下肥をもらっていたこと。京都に行くときは、坂本に船で渡り、そこから徒歩で京都に向かったこと。この最後の話しは、いつ頃のことでしょうか。
■水郷地帯ですから、いわゆる「魚米の郷」といっても良いわけですが、それでも、それぞれの家によって魚への関わり方が違っていたと言います。漁業が主たる生業の家は当然のことながら魚を食べます。農家でも魚が好きな人は自分でタツベという漁具を作り、魚を獲って食べていました。しかし、同じ志那でも魚に関心のない(魚が好きじゃない)家もありました。また、かつて新田開発をしていた頃(いつ頃だろう…江戸時代?!)、その土木作業するためにここに住み着いた人達を先祖に持つ家もありましたが、そのような家では田畑が無くても好きな人は自分で魚を獲っていたといいます。家の「食の傾向」で、魚への関心が違っていたのです。
■滋賀県の水郷地帯はここだけではありません。県内各地にありました。そういう「水っぽい地域」が各地にあったのです。ただし、私が滋賀県で仕事を始めたのは1993年ですから(滋賀県教育委員会事務局・文化施設開設準備室)、実際に各地に水郷地帯があった頃の風景を知りません。昨日、自治会の皆さんからお話しを伺いながら驚いたのは、そのような水郷の「水っぽい」風景が映画のロケ地に使われというのです。勝新太郎の「座頭市」のシリーズです。この「座頭市」を観ると、当時の水郷地帯の雰囲気がわかるのだそうです。ただし、「座頭市」のシリーズにはたくさんの作品があります。どの作品なのかよくわかりません。ということで調べてみました。
■こういう論文を見つけました。「劇映画のシリーズ化とは何か ― 大映京都撮影所製作の「座頭市」シリーズを題材に」です。この論文の中には、次のような記述があります。
「継続する第二の要素として、風景がある。シーン 1「下総国、取手川の土手(昼)」は、湖水の描写にはじまり、渡舟に乗っている村人や商人が紹介されていく。『座頭市物語』と同じ 風景が、ここにある。同じ風景が登場することで、『続・座頭市物語』は前作とつながってい る物語、シリーズものだと見る人に感じさせる。28」
■28とは、注の番号のことです。その注はでは、次のように書かれていました。
「28 『続・座頭市物語』の撮影は実際に、『座頭市物語』と同じく滋賀県の水郷地帯で行われた。滋賀県は京都の撮影所から近く、この映画を撮影した頃は、手つかずの自然が残っていたため、京都の撮影の作り手たちは日常的にロケ地として活用していた。」
■なるほど!! ということで、『座頭市物語』と『続・座頭市物語』であるらしいことがわかりました。絞り込めてよかった。TSUTAYAでレンタルで借りてみま消化。まず、会員にならないといけませんが…。
『連携アプローチによるローカルガバナンス 地域レジリエンス論の構築にむけて』(日本評論社)
■ガーデニングや孫の成長のことばかりエントリーしていますね。安心してください。ちゃんと研究もしています。
■私は龍谷大学の地域公共人材・政策開発リサーチセンター(LORC)の研究メンバーです。もっとも昨年度までの2年間は研究部長の仕事が忙しく、あまり積極的に参加できていませんでした。今年度は、力を入れていこうと思います。ところで、近々、日本評論社から地域公共人材叢書『連携アプローチによるローカルガバナンス』が出版されることになっています。この本のねらいは、「日本の人口減少と高齢化の進行などの現実を直視し、「限界都市化」に抗した持続可能な都市機能を実現するための方策を探る」ことにあります。詳しくは、日本評論社の公式サイトの、こちらのページをご覧いただければと思います。各章のタイトルは以下の通りです。
はしがき
執筆者紹介
序章 連携アプローチから考察するローカルガバナンスと地域レジリエンス
第1部 自治体連携アプローチ — 地域資源の最適化を図る
第1章 都市圏ガバナンスの昨今 —アメリカのグローバル化に対峙するNew Regionalis
第2章 ツインシティズ都市圏におけるガバナンス — Metropolitan Councilを中心に
第3章 アメリカにおける広域都市圏の形成と役割
第4章 EUにおける都市政策の多様化と計画対象の広域化
第5章 イギリス大都市圏の広域自治体 — シェフィールド・シティ・リージョンを事例として
第6章 地域資源の最適化を図る — 東三河地域におけるマルチ・レベル・ガバナンスの様相
第2部 パートナーシップアプローチ — 地域アクターの有機的な連携を図る
第7章 英国の「パートナーシップ文化」のゆくえ —「ビッグ・ソサエティ」概念の考察から
第8章 持続可能な次世代地方都市のかたち — 地域力再生に向けた地方都市ネットワーク「スロー・シティ連合」
第9章 野洲川流域における流域ガバナンスと地域間連携
第10章 再生可能エネルギー事業にみる官民・民民連携 — 地元企業・市民団体・大学イニシアティブの事例から
第11章 大学と地域の連携による「学びのコミュニティ」の形成 — 京都発人材育成モデル「地域公共政策士」の取組から
第3部 新たな時代の地域を構想する — 地域資源の顕在化を図る
第12章 イギリスの社会的投資市場 — 金融仲介機関を中心として
第13章 コミュニティ・ファンドを通じた新たな地域の連携
第14章 広域的な地理情報システムの利用による新たな自治体間連携の可能性
終章 地域のレジリエンスを高める
■私も、第9章に「野洲川流域における流域ガバナンスと地域間連携」を書きました。総合地球環境学研究所でのプロジェクトの活動を元に執筆しています。構成ですが、以下の通りです。この中で社会学者は私だけなので、行政学や政治学を専門とする研究者が書かれたものとはトーンの違いがあるように思います。それも含めて、出版されることを楽しみにしています。
第9章 野洲川流域における流域ガバナンスと地域間連携
9-1 「人口減少時代」における流域ガバナンス
9-2 「鳥の眼」と「虫の眼」
9-3 農村コミュニティの調査
9-4 地域の「しあわせ」と流域ガバナンス
9-5 「小さな空間ユニット」の連携
孫が生後2ヶ月、親密圏の再編と拡大
■最近の私は、プライベートでは、「ガーデニング」と「孫の成長」に夢中になっています。連休中も、大阪の初孫のひなちゃんに会いに行ってきたことを、わざわざエントリーしました。こうなると、もう本当に、ただの嬉しがり屋の爺さんでしかないのですが、どうかお許しください。さて、この写真、昨日の朝に送られてきたものです。最近は、家族専用のSNSというものがあり、我が家でも積極的に利用しています。ほぼ毎日、SNSで送られてくる孫の画像や動画を楽しむことが私の日課にもなっています。ありがたいことです。ところで、この写真なんですが、「赤ちゃんと鯛」。なにやら「シュール」な感じですが、そうではありません。
■ひなちゃんのお父さん(義理の息子)とお母さん(娘)は、大の釣り好きです。お母さんは、現在、育児真っ只中で釣りをすることはできないのですが、とっても育メンパパであるお父さんの方は、来月のひなちゃん「お食い初め」の際に必要になる鯛を釣る「練習」ということで、九州の玄界灘に釣りに出かけたのです。あくまで「練習」で、「お食い初め」直近の釣りが本番になります。ということで、今回ひなちゃんのお父さんは、こんなに大きな鯛を釣ってきました。63cmです。ひなちゃんよりも少しだけ大きいです。釣り上げて、すぐに冷蔵の宅配便で大阪の自宅まで送り、13日に2ヶ月になるひなちゃんと一緒に写真を撮った…というわけです。私が若い父親だった頃、このような「育児カルチャー」は存在しませんでしたが、最近は、このようにデコレーションをして記念写真を撮るということが盛んに行われています(やはり、デジタルカメラやスマートフォンの普及とSNSがこのような流行の背景にあるのだと思います)。
■で、「釣り人」であるひなちゃんの両親は、ひなちゃんにも釣りを教えようとすでに計画を立てています。いずれ、一家で大海原に出かけていくのだと思いますが、まずは海釣り公園で「釣りデビュー」させることになっています。これも、ある種の英才教育なんでしょうか…。あと10年もすれば、孫が釣ってくれた魚をいただくことができるのかもしれませんね。楽しみです。
■ところで、こうやって書いていると、単なるおめでたい嬉しがり屋のお爺さんの独り言のようなものですよね〜。しかし、自分自身を少し客観的に眺めて見ると、孫が生まれることで、いわゆる「親密圏」と呼ばれる関係性の中での自分の立ち位置、「親密圏」の中での役割がゆっくりではありますが、大きく変化しようとしているように感じています。初孫の誕生を契機に、孫を中心とした形に「親密圏」が再編拡大されていっているうように思うからです。それが、「孫の力」なのかもしれません。同僚が、『<オトコの育児>の社会学』という本を共著で出版しましたが、祖父の場合は、どう捉えたらいいのかなと考え始めています。育児のストレートな当事者ではないにしても、周辺にいてそれなりの役割を持っている…。また、孫が生まれたことで、今までとは違うステージに知らないうちに立っている(立たされている)。そんな気もしてきました。10年にわたる親の看病・介護にため息をつきつつ、孫の誕生に嬉々としている今の自分についていろいろ考えているところです。
ゼミ生からいただいた観葉植物
■岩手県立大学総合政策学部3期生の同窓会のご案内をいただきました。この学年、3期生全体でも100名程のこじんまりした学部でした。ちなみに、この学年3期生の私のゼミの学生数は4名だった。国公立は、これぐらいが一般的だろうと思います。現在、勤務している私立大学の龍谷大学と比較すると、4分の1以下の人数ということになります。
■3期生とゼミ生とは、岩手県花巻市の大沢温泉の「自炊部」でゼミ合宿をしたことを思い出します。一般には、温泉旅館といえば、宿泊すると料理が出てくるわけですが、比較的な長い期間逗留する湯治客の皆さんの場合は、自分で食事を自炊されることがあります。温泉旅館の中の「自炊部」とは、誰でも泊まることができますが、そもそもはといえば、そのような湯治客を対象としているのだと思います。さて、「ゼミ合宿」なのですが、当時は、女子学生が4名でした。彼女たちよりも「料理力」のある私が、鶏ガラからきちんとスープを取って、車に積んで大沢温泉まで運びました。スープは、当時、行きつけの居酒屋だった「三鶴」(盛岡市北松園)のご夫婦から、業務用の調味料の入っていた空の大きなボトルを頂き、そこにスープを詰めて温泉まで運んのだのです。そして、そのスープで鶏の水炊きを作りました。もちろん、運んだのはスープだけでなくゼミ生たちも一緒になんですが。
■その次の学年、4期生は、私が龍谷大学への異動したため、3年生の時の1年間だけしか指導できませんでした。4年に進級すると、それぞれ別のゼミに移籍することになりました(だから、総合政策学部の脇田ゼミは、3期生まで…)。大変申し訳ないことをしました。写真は、この4期生のゼミ生がお別れにプレゼントしてくれた観葉植物です。随分小さかったのにこんなに大きくな李ました。しかし、観葉植物の世話の仕方がいまいちわかっていなかったので、こんなヒョロヒョロになってしまいました。これまた、申し訳ないわけでして…。でも、頂いてから13年目になります。というわけで、岩手が懐かしく思い出されます。来月開催される同窓会にも出席しようかなと考えています。
【追記】■こうやって写真を撮ったら、鉢の大きさがあまりにも小さすぎるよな…と改めて思いました。自宅にある大きめの鉢に交換しました。鉢の交換は、これで4回目になります。あまりにもヒョロヒョロなので、肥料についてもきちんと考えようと思います。