甲賀の農村で
■過去のエントリーで、総合地球環境学研究所の文理連携(協働)の研究プロジェクトのことをアップしました。先週の25日(土)、このプロジェクトのコアメンバーの皆さんと、野洲川流域の視察と簡単な聞取り調査にでかけました。この日は朝8時半にJR瀬田駅に集合したあと、リーダーの奥田さんが所属する京都大学生態学研究センターの車2台に分乗して、第二名神高速道路を使い野洲川の上流部まで一気にさかのぼり、上流かから琵琶湖の湖岸まで、一日かけて野洲川を少しずつ下っていきました。
■ちょうど昼頃になりますが、甲賀市にある小佐治という集落を訪問しました。小佐治は、137世帯の農村です。JRの最寄りの駅は、草津線の寺庄。滋賀県の内陸部とはいえ、兼業可能な地域です。近くには、工業団地も多数あります(滋賀県は、湖東に工場群が集積する内陸工業県です)。もちろん、専業や兼業の農家以外にも、非農家の皆さんもお住まいです。そして、他の農村地域と同じように、少子高齢化や農業の後継者の問題をかかえています。
■この辺りは、古琵琶湖層が隆起した丘陵地帯です。古琵琶湖というと、聞き慣れない人がいるかもしれませんね。琵琶湖はもともと現在の三重県の伊賀上野で、400万年前に誕生しました。地殻変動によってできた「大山田湖」です。湖とは、おおきな水たまり。地殻変動で大地生じた凸凹に応じて移動します。琵琶湖が、およそ現在の位置に到着したのは、40万年〜100万年前の間といわれています。私たちが訪問した甲賀市は、その琵琶湖の移動の通り道に位置しているのです。現在の甲賀市の位置には、約270年前から「甲賀湖」という深い湖が形成されました。この「甲賀湖」は約20万年間続きました。古い時代の琵琶湖、古琵琶湖のなかでは一番安定していた湖といわれています。
■小佐治は、甲賀市の丘陵地帯にあります。古琵琶湖の泥がたまった湖底の粘土が隆起してできた丘陵地帯です。そのため、関東地方でいうところの「谷津田」がたくさんみられます。トップの写真をご覧ください。まるで、人間や動物の肺の気道と肺胞のようでしょう。古琵琶湖の湖底が隆起してできた丘陵は、細かな粘土からできていますから、雨水を簡単には透しません。あふれた雨水は、低いところに流れていき、大地を削り、写真のような谷を形成していったのです。人間は、この谷筋に流れる雨水を頼りに水田をつくっていきました。もちろん、丘陵の森に降った雨水をためておく溜池もつくました。溜池に溜めた水を谷につくった水田にひいていったのです。大きな溜池は5つですが、小さいものは100はあったとのことです。
■もっとも、1962年に、少し離れたところに灌漑用の大原ダムが建設されたあとは、このダムの水を水路により溜池までひっぱってきました。いったん溜池に貯水して使用しているとのことです。ですから、かつて存在した小さな溜池は現在では、使われず、堤もこわれているのではないかとのことでした。ちなみに、こちらの小佐治のばあいは、丘陵の森は、ほとんど民有林でした。だいたいどの農家も1町歩ほどの山林地をもっているといいます。また、村の共有林もありました。ですから、かつては、冬になるとどの農家も山で山仕事をするのが普通だったといいます。もっとも、高度経済成長期の燃料革命で、これらの山はほとんど利用されなくなりました。
■村人のお話しによれば、古琵琶湖の細かな粘土でできている水田は、米や餅米の生産に大変適しているのだそうです。特に、小佐治の餅はこの村の名物になっており、皇室にも献上されてきたようです。左の写真は、ドブガイの化石と粘土の固まりです。古琵琶湖の時代の化石がこうやって地中から出てくるんですね。ご覧いただけばわかると思いますが、粘土は乾燥すると大変固くなります。この地域では、以前は、稲刈りの終った後でも、冬場に水田を湛水状態にしておいていたとのことでした。来年の春に農作業を始めるとき、鍬などの農具が入りやすいようにするためです。古琵琶湖の贈り物である粘土の土が、この地域の農業に特色を与えているように思います。
■ところで、最近では、この特産品を使った、米粉の麺料理や餅料理を食べさせる農村レストランもオープンしています。いわゆる、コミュニティビジネスです。大変熱心に村づくりに取り組んでおられることがわかります。もちろんハッピーな話しばかりではありません。先ほども少し触れましたが、民有林の管理ができなくなり、山は荒れ、獣害がひどくなり、田んぼにいた生物の賑わいも減ってしまったといいます。また、後継者不足や村の農地の維持についても問題になっています。現在、まだ法人化はしていないものの、「集落営農」にも取り組み始めているそうです。
■ただし、頑張って村づくりに取り組んでおられるだけのことはあります。小佐治では、水田の生きものを復活させる、生きものの賑わいを取り戻す事業にも取り組んでおられます。滋賀県庁の農村振興課の事業に応募されたのです。なぜ、応募されたのか。この辺り、「村の論理」をきちんとわかっていなければなりません。補助金というお金だけみていたのでは、「村の論理」は把握できません。問題は、農業を基盤とした村の永続生や持続性なのです。言い換えれば、「持続可能な農村コミュニティ」を目指してこの地域を再生していくためには、身近な環境保全に努めることが必要だ…と考えておられるのです。小佐治では、環境こだわり農産物の生産にも取り組んでおられます。生きものを育む水田で生産された米や餅米は、それ自体が付加価値を持つとともに、さきほどの農村レストランのようなコミュニティビジネスとともに「村のブランディング化」に寄与することでしょう。先行き不透明な、厳しい現実が存在していることは事実なのですが、小佐治のみなさんは、村づくりに大変意欲的に取り組んでおられます。そのことは、村人が話しをされている時の話しぶりや表情からも窺えました。
■興味深いことに、この村には、外部から4世帯が移り住んでこられました。子どものいる若い家族の転入を村としては大歓迎されています。また、家族の定住をサポートされてもいます。転入した家族の方でも、積極的に村の活動に参加されているようです。そのような新住民のお1人にもお話しをうかがいました。いろいろ農村地域で暮らしたいと思って移り住める家を探していたとき、この村が美しいと思ったのだそうです。そのことが、転入した一番の理由だとのことでした。山は荒れてきているとはいえ、身近な里の自然に配慮をし、村人の手が加わっているのです。村の風景は、ここに暮らす村人の心のあり様をも映し出しているはずです。そのことが、ここの村の風景を、そして村の暮らしを美しく見せたのではないでしょうか。
■今回視察したグループが取り組む研究プロジェクトは、いわゆる文理融合・文理協働の研究プロジェクトということになります。私としては、このプロジェクトの研究をとおして、ここの村づくりのお手伝いができたらと思っています。村としても、私たちの参加を歓迎してくださっています。村人の話しをうかがいながら、私の頭の中には、これからのプロジェクトが取り組むべきことがらのアイデアが、脳みそのなきら次々と湧き出してきました。経験上、こういうイメージは、とても重要なのです。これからが、楽しみです。少し先のエントリーになると思いますが、この小佐治の村づくりの取り組みを、こんどは野洲川の流域管理の問題や、生物多様性、生態系サービスの問題と結びつけながら考えてみたいと思います。
今日の来客
■今日、金融大手(メガバンク)のコンサルティング会社の方が2人研究室におこしになりました。私は、ふだん、このような業界の方たちとお付き合いすることはめったにないので、さてどんなものかなと思っていましたが、面白いディスカッションができました。来室の目的は、農業、地域と企業の連携による地域活性化に関する事業や、生物多様性保全に繋がる地域や農林水産業振興に関する事業に関して、意見交換を行うことでした。
■意見交換させてもらったテーマは、ひとつが農業のもっている多様な価値を、もうひとつが生物多様性のもたらす生態系サービスの多様な価値を、どのように可視化させ、そのための社会的な仕組みはどうしたらよいのか、ということだったように思います。私はそのような外部経済化されている価値を、一足飛びに市場の内部に引き込むことで可視化することには賛成できませんが、可視化し人びとのコミュニケーションを促進していくことのひとつの手法としては可能だと思いました。詳しいことは書けませんが、なんといいますか、面白い視点をもって仕事をなさっておられるな〜と思いましたし、私のような者でも、こういった企業の方たちと、広い意味でのコラボレーションができるのかなと思いました。
人間・社会班で研究会議
■総合地球環境学研究所の文理連携(協働)の研究プロジェクトに参加していますが、昨日は、このプロジェクトの「人間・社会班」の第1回めの会議を、龍谷大学社会学部町家キャンパス「龍龍」で開催しました。
■ご参加いただいた皆さんは、これまで、コモンズや流域の問題に取り組んでこられた方たちです。それぞれの専門領域は、経済学、政治学、地理学、社会心理学、社会統計学、生態学、そして私のような社会学と異なるわけですが、異なるからこそ、多元的な視点から、流域管理に関するこのプロジェクトの屋台骨の部分に関して、活発に議論を交わすことができました。
■文理融合(文理協働)プロジェクトのロジックをどう組み立てるのかという点については、自然科学の分野の皆さんよりも、概念操作に長けた人文・社会科学の皆さんのほうが向いているのかもしれません。このプロジェクト、FS( feasibility study)の段階にあり、十分に研究費がついているわけではありません。しかし、11月末のプロジェクトの全体会議までに、「人間・社会班」としてさらに2回ほどの研究会議をもつとともに、メーリングリスト等で、情報・意見交換やディスカッションができればと思っています。
【追記】■本日の朝、通勤途上、京都駅内のオープンカフェで、プロジェクトのサブリーダーである谷内さん(京都大学生態学研究センター)と、昨日の議論の総括とディスカッションを行いました。谷内さんとは、このプロジェクの進捗や流域管理に関する新しい論文の共同執筆に関して、毎週、勉強会をもっているのです。朝はやはり、頭がよく動きますね。
研究会
■これから取り組もうとしている文理連携(協働)の研究プロジェクトのことについては、以前に少し書きました。数日前のことになりますが、この文理連携(協働)の研究プロジェクトに関して研究会を持ちました。研究会とはいっても、このプロジェクトの「人間・社会班」の谷内さん(京大生態研)と一緒に、全体の「骨格」や「土台」を考えていくような作業を行うのが目的でした。
■現在の生物多様性をめぐる文理融合(協働)の国際状況やFuture Earth等の動向を再確認したうえで、流域における生物多様性や栄養循環の問題、その問題とクロスする人間社会の様々な空間スケールでの活動、さらには流域診断や社会実践等との関係につい、議論したものを、KJ法風にホワイトボードの上に整理してみました。
■12日には、研究プロジェクトの「人間・社会班」の様々なバックボーン(環境経済学、環境社会心理学、数理統計学、政治学…)をもったメンバーが集まり、さらに詳細な部分について議論をしていく予定になっています。ところで、iPhoneで撮った写真、ボケボケのブレブレです…すみません。
公開シンポジウム「自然共生社会を拓くプロジェクトデザイン」
■私は、滋賀県立琵琶湖博物館に勤務している時代から、自然科学・工学分野の研究者との共同研究(文理連携)に参加しています。その代表的なものは、京都大学生態学研究センターを中心とした自然科学・工学分野の研究者との流域管理に関する共同研究です。その成果は、『流域管理のための総合調査マニュアル』(京都大学生態学研究センター)にまとめられました。また、この共同研究は、総合地球環境学研究所の琵琶湖-淀川水系の流域管理に関する共同研究に継承されました。この共同研究は、琵琶湖の面源負荷(ノン・ポイントソース)の代表例である「農業濁水問題」に焦点をあわせた文理融合(文理連携)の研究です。私は、研究全体を貫く基本的な考え方として「階層化された流域管理」というアイデアを提示しました。そして、その成果は『流域環境学-流域ガバナンスの理論と実践-』(京都大学学術出版会)として出版されました。最近では、総合地球環境学研究所のプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会ー生態システムの健全性」 に参加しています。
■ということで、明日は東京で以下のシンポジウムに行きます。いよいよ、文理融合の研究も本格化してきました。
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公開シンポジウム「自然共生社会を拓くプロジェクトデザイン:文理協働による統域科学のキックオフ」
主催:生物多様性・生態系分野における社会科学と自然科学の連携に関する研究会
後援:日本生態学会、環境経済・政策学会、環境社会学会、グローバルCOEプログラム「自然共生社会を拓くアジア保全生態学」、リスク共生型環境リーダー育成プログラム(SLER)、ほか
日時:2013年4月23日(火) 午後1時~5時
会場:東京大学農学部キャンパス中島記念ホール(フードサイエンス棟)
プログラム(案)
矢原徹一(九州大学、アジア保全生態GCOEリーダー):自然共生社会に向けての統域的研究の課題(問題提起)
第一部(1時間15分、各自20分+質疑5分):自然科学者からの提案
中静透(東北大学、生態適応GCOEリーダー):生態系サービスの持続的利用を可能にする条件について
松田裕之(日本生態学会会長、横浜国立大学、生態リスクGCOEリーダー):自然資本の劣化と人口減少時代の持続可能性科学の創生
島谷幸宏(九州大学):人口減少下の国土構築
第二部(1時間15分、各自20分+質疑5分):人文社会科学者からの提案
大沼あゆみ(環境経済・政策学会会長、慶応大学):利用と非利用にもとづく自然資本保全戦略?持続可能な社会の形成に向けて
宮内泰介(環境社会学会会長、北海道大学):ローカルな知と順応的なガバナンス
栗山浩一(京都大学):生物多様性の総合評価-自然共生社会の実現に向けて
パネルディスカッション:統域的研究の推進計画のあり方を討論し、具体化をはかる。
司会:矢原徹一
パネリスト:上記6名・文部科学省(研究開発局環境エネルギー課)・環境省・日立製作所
開催趣旨
わが国は、環境立国戦略において、持続可能な社会に向けての3つの社会目標(低炭素社会、循環型社会、自然共生社会)を設定し、その実現に向けてさまざまな行政施策を展開している。これらの社会目標(とくに自然共生社会という目標)を達成するためには、自然科学と社会科学の協働が欠かせない。自然共生社会に関連する文理協働(あるいは融合)研究は、JST異分野交流事業(2004-2005)、総合地球環境研「日本列島における人間-自然相互関係の歴史的・文化的検討」プロジェクト(2005-2010)、3つのグローバルCOE(生態リスク、生態適応*、保全生態*)などを通じて発展してきた。その結果、生態学分野と社会科学諸分野の接点が拡大し、本格的な文理協働研究を展開する機会が熟した。このシンポジウムでは、自然共生社会という目標を実現するための文理協働による研究プロジェクトの雛型を持ちより、分野をこえた議論を行うことによって、本格的な文理協働プロジェクトの計画を具体化したい。
このシンポジウムは、Future Earthという新たな国際プログラムの推進にも貢献することを意図して企画された。Future Earthは、DIVERSITAS(生物多様性国際研究プログラム)、IGBP、IHDP, WCRPという4つの地球観測プログラムを統合し、人文社会科学を加えた統域的研究(trans-disciplinary research)を推進することによって、人類が直面する持続可能性に関わる課題の解決をめざす、10年間の科学プログラムである。このプログラムがめざす統域的研究とは、単なる学際的研究(multi-disciplinary research)ではなく、多分野の知識を統合し、さらに新たな科学の創生をはかるものである。しかし、Future Earthがめざす統域的研究は、現状では概念にとどまっており、具体性に乏しい。
このシンポジウムでは、生物多様性・生態系を題材として、Future Earthがめざす統域的研究の具体化をはかる。生物多様性・生態系分野では、自然再生・生態系管理など地域の具体的諸問題をめぐって、文理協働が進んでおり、統域的研究の具体化をはかる準備が整ってきた。この状況を背景に、2012年度には3回の研究会を持ち、自然科学者と社会科学者の対話を積み上げてきた。今回のシンポジウムでは、これらの議論の成果をふまえて、文理協働による研究プロジェクトの提案を具体的に検討し、統域的研究の推進計画を立案したい。
【追記1】2013年4月25日
■このシンポジウムに参加しての印象を記しておこうと思います。私は10年以上前に、日本学術振興会の「未来開拓学術研究推進事業」(複合領域6:『アジア地域の環境保全』)の研究プロジェクトに参加していました。そのプロジェクトで行ったのと同様の議論が、今回、Future Earth という世界的な取り組みの新たな装いのもとで繰り返されている…というのが第一印象でした。こういうと傲慢に聞こえるかもしれませんが、がっかりしたようなびっくりしたような。10年たってもかわっていませんから。
■しかし、その一方で、自分たちがやっていたことが間違っていなかったという思いも強く持ちました。まるで、研究費確保のための方便のように言われていた「文理融合」に、私たちは真剣に取り組んで様々な分野の人たちとかなり深い議論を行いました。もちろん、当時の時代状況ではそのような議論はなかなか理解しにくかったのかもしれません(ある意味、時代を先取りしていた)。その成果は、『流域管理のための総合調査マニュアル』としてまとめました。また、そのプロジェクトに続いた総合地球環境学研究所でのプロジェクトでは、「階層化された流域管理」、「階層間のコミュニケーション」、「階層間の状況の定義のズレ」…といった考え方を柱とした『流域環境学』にまとめ出版しました。だから、今回のシンポジウムはデジャビュ…という感じなのです。
■シンポジウムでは、生態学と環境経済学との連携、すなわち生態系サービスの経済的評価を軸とした研究フレームに対して、環境社会学からは「違和感」がある…という発言で終ってしまいました。しかし、本当にそれで良いのかなという思いもあります。もっと、前向きに積極的に、環境社会学のもっている可能性をアピールして、生態学や経済学とも「対抗的相補性」をともなった連携を構築できるはずだと考えるからです。これは、私たちがこれまでのプロジェクトで繰り返し主張してきたことでもあります。シンポで話題提供した環境経済学者の栗山さんともシンポジウムの後で話しをしました。彼は、環境経済学会を代表して自分たちの可能性をアピールしたわけで、ミクロレベルでは貨幣価値以外の価値が重要であること、そして、そこで環境社会学が大きな役割を果たすことにも同意されていました(私の考え方というか、社会学的視点からは、貨幣は、コミュニケーションのさいのメディアのひとつということになります)。
■今回は、Future Earth に乗り遅れまいとする生態学会の大御所(歴代の生態学会会長)が、リードしたシンポジウムでした。世界のトレンドから取り残されないように…。政策とも結びつかないといけないので、取り急ぎ、政策的に乗っかりやす、あるいは扱いやすい環境経済学との連携にもとづくモデルの話しに終始していた…という印象ももちました。しかし、大切なことは、実践的な関心から、文理融合・文理協働が「心の底から必要」と考えている人との生産的な関係をつくることなのだと思っています。
【追記2】2013年4月25日
■今回のシンポジウムに参加して、人との再会がありました。【追記1】にかいた日本学術振興会の「未来開拓学術研究推進事業」に参加しているときに、若い院生として一緒に勉強していた方が、シンポジウム終了後、話しかけてきてくれました。吉田丈人さん。現在は東大の駒場で教えておられます。当時は、京大の生態学研究センターの博士後期課程に在籍していたのです。しかし、再会した最初の言葉が「どうしたんですか〜、脇田さん、そんなに歳をとっちゃって」ですからね〜(^^;;。だって、実際に歳とっているんやから、仕方ありません。吉田くんとは、交流会でビールを飲みながらいろいろ話しができました。彼の研究は「動物・植物プランクトンからなる生態系の生態と進化のダイナミクス」ですが、その一方で福井県の三方五湖で、湖沼再生のための研究もされています。その研究のなかでは、小学生に両親や祖父母に湖沼の利用について話しを聞いて、それを絵に描いてもらう…なんてこともされているようです。興味深くお話しを伺いました。
地球研プロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会ー生態システムの健全性」 のその後
■昨日は、京都大学生態学研究センターにいきました。この生態研の研究者のみなさんとの研究プロジェクトを通してのお付き合いは16年程になります。それらのプロジェクトとは、以前、生態研のセンター長をされていた和田英太郎先生(安定同位体生態学)をリーダーとする日本学術振興会・未来開拓学術研究推進事業におけるプロジェクト「地球環境情報収集の方法の確立-総合調査マニュアルの作成に向けて-」)や、この生態研出身の谷内茂雄さんとの総合地球環境学研究所でのプロジェクト「琵琶湖-淀川水系における流域管理モデルの構築」の2つで、いずれも流域管理に関するものでした。
■そのような研究経過があったことから、今回、生態研の奥田昇さんがプロジェクトリーダーを務める「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会ー生態システムの健全性」という総合地球環境学研究所のプロジェクトにも参加することになりました。もっとも、まだIncubation Study(新たな研究シーズ発掘のため、総合地球環境学研究所が公募した研究)からFeasibility Study(予備研究)へと移行しようとしている段階であり、この先、研究事業として継続していけるのかどうかは、審査結果しだいということになります。
■昨日は、その審査でのプレゼンテーションに関する打ち合わせでした。締め切り最終段階で、奥田さんは、私も含めたプロジェクトメンバーのアドバイスや指摘を踏まえて、かなりプレゼンの改善に努めておられました。私にとっては久しぶりの文理融合の研究プロジェクトになります。気合いがはいります。ぜひ頑張って審査を突破していただきたいと思います。
■研究の目的は、以下のようなものになります。この研究プロジェクトでは、地球規模で進行する栄養循環の不均衡によってもたらされる環境問題を解決するために、流域圏社会-生態システムの存続基盤を形成する主要栄養元素(炭素・窒素・リンなど)の循環不全を解消し、持続可能な循環社会を構築するための流域ガバナンスの手法を確立することを最終目標としています。Feasibility Study(予備研究)では、以下の2つの目的を掲げています。1)流域生態系の健全性を栄養循環に基づいて評価する認識科学的方法論を提案する。2)「持続可能な循環社会」を流域社会の共通の関心事と捉え、住民が地域社会を再生・活性化する公共財としての価値を身近な自然に見出し、行政や科学者と一体となって内発的に自然再生に取り組む流域ガバナンスの実行可能性について検討する。上記2つのアプローチを融合し、社会と科学の「共創」を通して、地域社会のHuman-wellbeingと生態系の生物多様性・栄養循環機能が相互依存的に促進される状態を「流域圏社会-生態システムの健全性」と捉え、順応的な流域ガバナンスの社会実装を目指します。
【追記】■2013年03月02日。本日、奥田さんから、無事、Feasibility Study(予備研究)に移行できたとの連絡が入りました。さて、気持を新たに、新しい研究プロジェクトに取り組んでまいります。
地球研プロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会ー生態システムの健全性」
■京都市北区の上賀茂に、総合地球環境学研究所(大学共同利用機関・人間文化機構)という文部科学省の研究所があります。地球環境学の総合的研究を行う研究機関です。「人間と自然系の相互作用環」の解明と「未来設計のシナリオ」の検証を通して、既存の学問分野の枠組みを超えた総合地球環境学の構築をすることを目的としています。 私は、この研究所が開設された初期の段階で、流域管理に関するプロジェクトに所外からコアメンバーとして参加していました。「琵琶湖-淀川水系における流域管理モデルの構築」というプロジェクトです。このプロジェクトの成果は、『流域環境学 流域ガバナンスの理論と実践』(和田英太郎 監修/谷内茂雄・脇田健一・原雄一・中野孝教・陀安一郎・田中拓弥 編、京都大学学術出版会)にまとめられています。これまで、文理融合の研究プロジェクトを目指す様々な分野の研究者の皆さんに読んでいただいています。
■昨日は、その総合地球環境学研究所で、新たな研究プロジェクトの研究会議がありました。奥田昇さん(京都大学生態学研究センター)が代表をつとめる「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会ー生態システムの健全性」プロジェクトです。ただしプロジェクトとはいっても、まだIncubation Study(インキュベーション研究)の段階にあるプロジェクトです。Incubation Studyとは、「新たな研究シーズ発掘のため、地球研が公募した研究」です。本格的に研究プロジェクトを展開していくFull Research(本研究)の段階に至るまでに、まだFeasibility Study(予備研究)とPre-Research(プレリサーチ)の段階を通過しなければなりません。それぞれの段階では、厳しい審査がまっています。昨日の会議は、Incubation Study(インキュベーション研究)からFeasibility Study(予備研究)へ移行するための作戦会議のようなものでした。
■私は、この奥田さんプロジェクトのなかの「人間社会班」のメンバーです。以前に地球研で取り組んだプロジェクト「琵琶湖-淀川水系における流域管理モデルの構築」の時代からの研究仲間、谷内茂雄さん(京都大学生態学研究センター)とともに報告を行いました。とはいっても、今回、パワーポイントのスライドを作成し報告を担当してくださったのは、谷内さんです。谷内さん、ご苦労様でした。以下が、人間社会班からみたプロジェクト全体の基本戦略ということになります。以前に取り組んだプロジェクト「琵琶湖-淀川水系における流域管理モデルの構築」の成果を活用しながら、様々な先端的研究の成果がもつ社会的なポテンシャルを引き出し、それらをつないで、プロジェクト全体としてどのようにデザインしていくのか…、ということでもあります。
■プロジェクトの目的
流域生態系の存続基盤を形成する主要因として、特に生物多様性と栄養素のバランス(収支)に着目し、流域ガバナンスによって生態系の再生と地域社会の活性化を実現する方法を、国内外の実践的な事例研究をもとに実証的に検討する。
1)科学的視点(流域動脈仮説):流域内の生物多様性と栄養循環を調査し、流域生態系の現状を科学的に特徴づけ、生態系の保全・再生の視点から評価する方法を検討。
2)地域社会活性化の視点:地域関係者といっしょに、各地域の歴史(生業など)、課題(過疎・高齢化など)、地域活性化(農業・観光振興など)のポテンシャル等を前提に、地域の潜在的な生態系サービス、特に食・健康の安全・安心に関わる需要を掘り起して地域活性化に活かす方法を検討。
3)研究者と地域関係者が、1)、2)のプロセスを琵琶湖流域などで事例として実践し、生態系再生と地域課題の解決が流域ガバナンスにより内発的に促進される条件とその方法を検討。
■プロジェクトの最終成果
流域生態系における栄養循環の新たな定量評価法の確立。
・地域活性化の文脈における生態系サービスの可視化手法の構築。
・流域ガバナンスが生態系再生と地域再生を共に促進しうるための基本仮説の検証と実践的な合同調査法の提示。
認識科学と設計科学の両面から、地球環境問題と地域課題の解決に貢献する。
■昨日の研究会議は、13時から18時過ぎまでと、かなり長時間にわたるものでしたが、ISとは思えないほど充実した報告が続きました。これからが楽しみです。研究会議のあとは、京都の北山まで移動し、プロジェクト参加者との懇親会という流れになりました。写真は、その途中、地下鉄の国際会議場にあった電照広告です。 「地球研って何をするところ?」と書いてあります。そうです、総合地球環境学研究所の宣伝です。地球研は国の研究機関であり、学生を募集する大学とは異なり、このような宣伝はしない…と思っていましたが、最近はどうも違うようですね。このような宣伝も、納税者である国民へのアカウンタビリティの一環ということなのでしょうね。
マザーレイク21計画学術フォーラム
■昨日は、滋賀県庁で「第1回マザーレイク21計画学術フォーラム」が開催され、私も委員として参加しました。この学術フォーラムは、これまでの「琵琶湖総合保全学術委員会」を改組したもので、琵琶湖と流域の状況を指標などを用いて整理・解説する役割をになっています。比喩的にいえば、琵琶湖の「定期健康診断」を行うということです。私は、「琵琶湖総合保全学術委員会」の委員として、「マザーレイク21計画(琵琶湖総合保全整備計画)」の第2期計画の計画づくりに参加しました。そのようなこともあったからでしょう、引き続き、学術フォーラムにも参加することになりました(第2期計画については、以下をご覧いただけれぱと思います)。
■「マザーレイク21計画」の第2期における施策の実施方法は、「順応的管理」を基本原則としています。常に、PDCAサイクルのなかで計画のあり方がチェックされていく必要があります。琵琶湖の環境課題は常に変化していきます。その変化に対応したより適切な指標の選択が必要になります。誰が、何のために指標を選択するのか…。これは、大変大きな問題です。指標の選択の仕方は、環境問題のアジェンダセッティングと深く関わっていると思われるからです。
■この「学術フォーラム」とは別に、県内の市町、NPO、研究者、事業者が参加する「びわコミ会議」が設置されています。この「びわコミ会議」は、多様な主体が交流し、琵琶湖の現状や政策に関して評価・提言を行う「場」、マザーレイクフォーラムを運営しています。それに対して、学術フォーラムでは、学術的見地からの整理と解析を行うことになっています。しかし、個人的な見解からすれば、この2つのフォーラムはもっと有機的に連関すべきものと思われます。学術的ではあっても、琵琶湖全体を俯瞰する視点からは見えてこない問題、県民の生活や生業(なりわい)のリアルな現場のなかからしか見えてこない問題、そのような問題もこの学術フォーラムのなかで議論されるべきと考えています。
■私は、環境社会学・地域社会学を専攻していますから、どうしても社会関連の指標が気になります。特に、マザーレイク21計画の第2期では、「暮らしと湖の関わりの再生」という観点から、琵琶湖や流域と人びとの生活や生業(なりわり)との「つながり」に注目しています。しかし、このような「つながり」の状況を的確に把握できる、言い換えれば指標化できるデータが少ないという問題があります。ポイントとはずれたデータを指標にしても、意味がないばかりか、逆に様々な弊害を生み出すことになります。もし、指標化に適したデータがないのであれば、新たにそのようなデータを把握する取り組みを県庁内部の部局を横断して実施していく必要もあろうかと思います。
■細かなことを書きましたが、この「学術フォーラム」のあり方については、時間をかけて微修正していく必要があろうかと思います。
【追記】■少し説明を加えますと、PDCAサイクルのなかで、指標をより適切なものにしていく作業さえも、多様な主体の連携のなかで進めていく必要がある…ということでしょうか。あと私が気にしているのは、流域のもつ「階層性」や「文脈依存性」という問題です。これについては、『流域環境学 流域ガバナンスの理論と実践』(和田英太郎 監修/谷内茂雄・脇田健一・原雄一・中野孝教・陀安一郎・田中拓弥 編,2009,京都大学学術出版会)のなかで論じていますが、いずれ、あらためてこのホームページでも関連記事をアップしたいと思います。
これからの研究プロジェクト
■昨日は、夕方、客人がありました。もう15年程研究プロジェクトを通してお付き合いのある、京都大学理学部生態学研究センターの谷内茂雄さんです(いつもは、谷内くん…って呼んでますけど)。
■谷内さんとは、流域管理や流域ガバナンスのテーマで2つの大きなプロジェクトに取り組んできました。最近のプロジェクトの成果は、『流域環境学 流域ガバナンスの理論と実践』(京都大学学術出版会)として出版されました。今回、これまての流域ガバナンス研究の成果をもとにアメリカの学術雑誌に論文を一緒に投稿しよう…という相談と、次の流域管理の関するプロジェクトへの参加要請、プロジェクトの組み立て方に関する相談でした。谷内さんは生態学者であり、いわゆる理系の研究者ですが、私のような社会学者とも議論ができる人です(逆にいえば、私も谷内さんとはいろいろ話しが盛り上がります)。2人とも、非常に生真面目に、環境科学における文理融合・文理連携の可能性を追求してきました。
■最近は、地域貢献・学生の教育に没頭しているので、ひさしぶりに、いつもとは少し違う脳味噌の部分を使った気がしました(^^;;。なんだか、いい感じです。もっと研究にエネルギーを注がねば…と思っていますが、ここまで自分の仕事を拡げてしまうと、なかなか…ですね。でも、楽しみです。頑張ります。
流域管理という研究テーマについて
■以下の文章は、『ソシオロジ』という社会学の学術雑誌に掲載されたエッセーです。『ソシオロジ』には、「Doing Sociology」というコーナーがあり、自由に社会学的なエッセーを書けることになっています。私は当時の編集部の依頼にもとづき、「『ご縁』に導かれて流域管理の道へ」という、少々風変わりなタイトルのエッセーを執筆しました。2009年5月に発行された165号(第54巻1号)に掲載されています。このエッセーは、環境社会学を専攻する私が、どうして流域管理をテーマに研究をするようになったのか…そのあたりのことを書いた「自分史的なエッセー」にもなっています。
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●DOING SOCIOLOGY
「ご縁」に導かれ流域管理への道
脇田健一
若いころからわき目も振らずに、特定の社会学的なテーマを一貫して追い続け、着実に研究成果を積み重ねているようなタイプの研究者と話しをすることがある。そんなとき、私は少し居心地が悪くなってしまう。過去を振り返ったとき、自分自身、研究者としてのキャリアを自らの力で切り開いてきたとは到底思えないからだ。博士後期課程の最後の頃から環境社会学を専攻していこうとは考えてはいたが、実際のところは、その時々の自分が置かれた状況に大きく影響を受けながら、ふらりふらりと研究者としての道を歩んできた。誤解を招く表現かもしれないが、「ご縁」に導かれてここまで生きてきたように思うのである。
琵琶湖博物館時代のこと
大学院の博士後期課程を終えたあと、数年のオーバードクターの時代を経て、なんとか就職することができた。一九九一年四月のことである。研究仲間が大学に職を得ていくなかで、私の就職先は社会学を専攻する者としては少し変わったものだった。就職先は、滋賀県庁。配属されたのは、滋賀県立琵琶湖博物館の開設作業を行う滋賀県教育委員会事務局文化施設開設準備室(一九九五年からは琵琶湖博物館開設準備室)であった。一般の行政職とは異なり、滋賀県立琵琶湖博物館(一九九六年開館)の開設準備を行う学芸スタッフ(研究職)としての採用ではあったが、それまでいた大学の世界とは異なり、すべてが戸惑うことばかりでだった。ひとつは、役所という固い組織で働くこと自体に対する戸惑いである。県庁に入った当時、稟議書・起案書ひとつ仕上げるにしても、上司からOKをもらうのに随分時間がかかってしまった。ただ、そのような戸惑いは、固い組織に慣れるにしたがって薄まっていった。しかし、なかなか解消されない戸惑いがあった。
開設準備室での学芸スタッフの仕事の多くは、展示に関することであった。琵琶湖博物館のテーマは、「湖と人間」。「湖や、湖に代表される大いなる自然と人間の将来にわたるより良い共存関係を考えていく」ということが、この博物館に与えられた大テーマであった。私が担当したのは、「湖の環境と人びとのくらし」という「環境」をテーマにした展示室であった。博物館の大テーマのもと、「環境」を、どのような個別テーマと導線により表現し展示として構成していくのか、それを学芸スタッフたちと議論していくことが、準備室に入った時の最初の仕事になった。ところが問題があった。それまで大学や学会で通じる話しがまったく通用しないのである。それは当然である。他の学芸スタッフたちは、生物分類学、生態学、陸水学、地学、歴史学、考古学といった社会学とは異なる分野を専攻しているからだ。そのような彼ら・彼女らの研究には、手に取って触ることのできる「物」資料が明確に存在していた。ところが社会学を専攻する者が展示を考えると、「物」資料を直接扱うのではなく、「物」の向こう側に見える琵琶湖と人間の「関係」を展示で表現しようということになる。直接的に「物」を扱っている同僚からすれば、まわりくどくピンとこない。このように書くと、「社会的事実を『物のように』(comme des choses)客観的に観察せよというデュルケームの教えを忘れたのか」とお叱りを受けるかもしれない。しかし、「物」と「物のように」とはやはり違うのである。今でも忘れないが、ある学芸スタッフには「社会学って、明確な対象のない気の毒な学問だね」と皮肉を言われたことがあった。「社会学って、やたら間口が広くて(なんでもかんでも社会学)、抽象的で、曖昧で、理屈っぽくて…」。それが同僚たちの社会学に対する当初の印象だったのではないだろうか(私の至らなさが大きな原因だったのだが…)。戸惑いは、もうひとつあった。学芸スタッフのなかに数名の行政職の人たちがいた。彼らは、実際に政策課題を抱えて、これまで施策や事業に取り組んできた人たちだ。こんな質問を受けたことがある。「現実を相対化したり、視点をずらしたり、あるいはここが問題だと指摘はできるにしても、社会学は環境問題の解決のために何ができるのか」。もっともな意見だ。ただし、当時の私には、その質問にうまくこたえることができなかった。また、答えられるだけの経験もなかった。
文理連携
博物館とは、「物」資料を収蔵し、研究し、展示する教育研究施設である。そのような博物館の世界のなかで、私のような目に見えない「関係」を扱おうとする者は完全なマイノリティであった。もっとも、当時、学芸スタッフのなかには、もう一人社会学者がいた。現在、滋賀県知事をされている嘉田由紀子さんだ。嘉田さんは、当時、すでに独自の実践的な環境社会学を切れ開かれていた。それは、博物館の機能をフルに活用した研究でもあった。駆け出しの研究者であった私などにはとても真似のできないものであった。当時の私は、上司でもあった嘉田さんとは異なる、もっと別の道を模索するべきだと考えた。しかし、そのような別の道を自らの力で切り開いていったとは、とてもいえない。すでに述べたような「過酷な」(?)状況が、結果として、「ご縁」を生みだし、私の研究を新たな方向へと導いてくことになったように思うのである。
琵琶湖博物館では、個々の専門分野だけに閉じこもって研究をすることが許されなかった。「湖と人間」という館のテーマにふさわしい、自然科学と人文・社会科学のあいだにある壁を超えた学際的プロジェクトを進めていくことが義務付けられていた。私が参加したのは、「東アジアの中の琵琶湖-コイ科魚類の展開を軸にとした環境史に関する総合研究」であった。この学際プロジェクトの目的は、地球科学、古生物学、生物学、考古学、中世史学、民俗学、社会学といった、自然科学から人文・社会科学に至までの異なる分野の研究者たちが連携しながら、環境史という歴史的な研究方法を用いて、琵琶湖という自然環境のもつ価値を評価するための「新たな視点」を提示することにあった。この学際プロジェクトで私は、このプロジェクトのグランドデザインを考えるという機会を与えられた。そして、個々の専門分野に「何ができるのか」ということ以上に「何ができないのか」に気がつくこと、異なる分野の研究に「どのように貢献できるのか」を相互に発見していくこと、言い換えれば、相補的な関係を構築していくことが必要だと考えるようになった。また、それを明快なロジックとして表現していくことが必要だと考えるようにもなった。
このような研究プロジェクトを進めているとき、当時、京都大学生態学研究センターのセンター長をされていた和田英太郎さん(生態学・同位体生物地球化学)から、「琵琶湖を中心にアジアの流域管理に関する大規模な研究プロジェクトを始めます。学際的な、文理融合をめざす研究プロジェクトです。琵琶湖博物館からも参加してください」との依頼があった。この研究プロジェクト「地球環境情報収集の方法の確立-総合調査マニュアルの作成に向けて-」は、日本学術振興会の未来開拓学術研究推進事業として行われた「アジア地域の環境保全」のひとつとして企画されたものだ。研究プロジェクトの成果は、『流域管理のための総合調査マニュアル』(二〇〇二年)という形にまとめられている。私は、この『マニュアル』をまとめる編集ワーキンググループに参加した。
正直にいって、当初、プロジェクトはまったくうまく進んでいなかった。「アジア地域の環境保全」には、六つの研究プロジェクトがあったが、私たちのプロジェクトは、「アジア地域の環境保全」推進委員会の諸委員から、たびたびお叱りを受けていた。この研究プロジェクトは、流域の環境問題の解決に資することが求められていた。科学的研究にもとづいた分析結果を明らかにし、その分析結果にもとづいて問題提起するだけでは評価されなかった。具体的な「解決」に向けての提案や方法が求められていたのである。私たちのプロジェクトでは、この点がまったくうまくできていなかった。もうひとつ。錚々たる研究者達が参加して、自分が得意とする研究を進めたとしても、それらがバラバラであれば、プロジェクト全体としてはまったく評価されないのだ。自然科学から人文・社会科学にいたるまでの異なる分野の個々の研究を、ステープラーで綴じたような研究では、文理融合とはいえないのである。
流域管理には、多数の多元的な要因がからんでいる。このような流域管理の方法を確立するためには、ひとつの学問領域または専門分野の知識や経験だけでは不十分である。このことは流域管理に限らず、環境問題一般にもいえる。近年では、環境問題の解決のためには、これまでのような理系・文系と制度的に分かれていた学問分野を、問題解決にむけて融合していくべきだとの主張がなされるようになってきた。ただし、一足飛びにそのような融合を実現することはできない。そのため、現実的には、個別科学のこれまでの蓄積を活かしつつ、同時に、諸学問領域が自明としてきた前提、また諸学問領域間のズレを明らかにしながら、少しずつ確実に、融合に向けて諸学問分野の協働作業を進めていくことが必要になってくる。私は、その協働作業を文理融合ではなく文理連携と呼んでいる。
この文理連携の考え方にもとづいて、私たちは停滞していた研究プロジェクトをまとめていく作業に入った。私たちに与えられた課題は、「琵琶湖を中心としながらも、アジアの多様な流域を念頭におき、多様性と汎用性に配慮した、そして総合性を取り入れたマニュアルを作成しろ」という困難なものあったが、なんとか、さきほど述べた『マニュアル』にまとめることができた。このような作業にあたっては、琵琶湖博物館での経験を役立ったことはいうまでもない
総合地球環境学研究所のプロジェクト
未来開拓推進事業の研究プロジェクトが終了したとき、私は琵琶湖博物館から新設大学である岩手県立大学総合政策学部に異動していた。私は地域政策講座に所属することになった。地域政策講座には、農村社会学者の細谷昂さんをはじめとして、私以外に、五名の社会学者が所属されていた。こんどは、けしてマイノリティではない。新しい職場で、これまでの経験を活かしつつ、社会学の共同研究ができればと思っていた。実際、そのようなチャンスもあった。しかし私は、再び、琵琶湖に呼び戻されることになった。
未来開拓の研究プロジェクトのリーダーであった和田英太郎さんが、京都大学生態学研究センターから、京都に新しく設立された文部省の研究機関である総合地球環境学研究所(大学共同利用機関法人人間文化研究機構)に異動された。研究所内では、和田さんをリーダーとする「琵琶湖-淀川水系における流域管理モデルの構築」(二〇〇二年~二〇〇六年)という文理連携の研究プロジェクトが組織された。和田さんからは、このプロジェクトに参加してほしいとの強い要請があった。和田さんのもとには、『マニュアル』で一緒に頑張った「戦友」たちも集まっていた。「戦友」の一人からは、「『マニュアル』のときのような苦労はさせないから、さらに踏み込んだ研究をしよう」と熱心に口説かれた。『マニュアル』で私が提案した「階層化された流域管理」という原理的な考え方を積極的に取り入れて研究プロジェクトを進めていこうともいわれた。結果として、私は、この新しい研究所のプロジェクトにコアメンバーとして参加する決心をした。
岩手と琵琶湖はかなり離れている。一週間のうち、三日間を岩手で講義をして暮らし、残りの四日を琵琶湖周辺での調査や調査にむかう移動にあてる、そんなハードな生活を三週間続けたこともあった。もっとも、研究プロジェクトの優秀な若手スタッフが、調査の準備等をきちんとしてくれたので、私は琵琶湖へと移動するだけでよかった。ただ、それからしばらくした後、琵琶に引き寄せられるように、私は滋賀県の大津市にある龍谷大学社会学部に異動することになった。
研究プロジェクトが順調に進んだわけではない。内部からの反発もあった。「苦労はさせないから」とのことだったが、やはり、そうは問屋が卸さなかったのである。コアメンバーとはいえ私は研究所の所員ではなかった。離れた場所からは、研究プロジェクトの進捗管理がうまくできなかった。特に、若手研究スタッフの皆さんには申し訳なかった。もうひとつは、ピュアサイエンスを志向するポスドクの若手研究スタッフと、公共政策の科学を志向する社会学者の私とのズレであった。「私たちの就職や将来をどう考えているのだ」と不満をぶつけられたこともあった。たしかに、そのような若手スタッフの心配は理解できる。しかし、新たな流域管理の方法は、居心地の良い専門家の「共同体」からあえて抜け出す必要がある。そして、研究プロジェクト内部で生じる専門領域間のコンフリクトを超え、相補的な関係を構築しなければ生み出すことはできないと思うのである。
『流域環境学』
紆余曲折はあったものの、研究プロジェクトはなんとか終了した。海外からの研究者を招聘しての評価委員会でも、満足のいく評価を得ることができた。そして、研究プロジェクトの成果は、二年の準備期間を経て、日本生命財団からの助成を受け、今年の三月に『流域管理環境学-流域ガバナンスの理論と実践』(京都大学学術出版会)として出版されることになった。『流域環境学』は、流域管理の現状と課題から始まり、ガバナンスに配慮した新しい流域管理の考え方=「階層化された流域管理」の考え方の提案、流域診断の技法、流域管理を進めるための社会的コミュニケーション支援、流域環境学の発展課題と続く、五部から構成されている。
時代は、行政や専門家だけによる一律的なトップダウン的環境行政から、環境政策の決定過程に、地域住民や様々な関係者が多様な利害関係者として参加・参画するべきだという考え方に不十分ながらもしだいにシフトしてきている。このような環境ガバナンスの時代においては、従来の環境政策のようなトップダウン的なアプローチだけでなく、そのようなトップダウン的なアプローチと、地域社会からのボトムアップ的なアプローチをどのように接合していくのかが問われるようになってきている。しかし、現実には、そこには大きな制約条件が存在している。階層である(ただし、社会学でいう階層研究の階層ではない)。私たちは流域には複数の階層が存在しているとものとして捉える。そして、その階層に多様な利害関係者(ステークホルダー)が分散しているために、流域管理を進めるうえでの社会的コミュニケーションが困難になり、流域管理に関する問題認識に違いが生まれてくと考えている。このような問題を乗り越えるために、私は「階層化された流域管理」*という考え方を提示した。詳しくは、第二部の「『階層化された流域管理』とは何か」や「農業濁水問題の複雑性」といった拙論をお読みいただきたい。そして、研究プロジェクトでは、この「階層化された流域管理」の考え方をベースに、水質問題(農業濁水問題)を事例として、流域の問題解決を促進するための社会的コミュニケーションをどのように豊富化していくのかという観点に立ち、流域診断・流域管理の方法論の開発を進めてきた。おそらく、今であれば、琵琶湖博物館時代に言われた「社会学は環境問題の解決のために何ができるのか」という質問に対して、それなりに答えることができるかもしれない。もっとも、かつての同僚に納得してもらえるかどうかは別問題だが…。
さて、研究プロジェクトの成果を『流域環境学』にまとめたあと、私は、より実践的な段階へどのように研究を移行させていくのかを模索をしている。さきほど述べた研究プロジェクトの「戦友」とともに、滋賀県の琵琶湖総合保全学術委員会で、琵琶湖総合保全整備計画第二期のあり方について、異なる分野の研究者たちと継続的に議論をしている。また、滋賀県の琵琶湖環境科学研究所の「琵琶湖流域管理シナリオ研究会」にも参加している。ここでも、異なる分野の研究者が集まり、琵琶湖の環境保全計画の基本となる琵琶湖の将来像を、県民参加で描きだす手法を開発しようとしている。
このような私のDOING SOCIOLOGYが、学会内部の正統派の社会学の立場からは、どのように映るのか正直よくわからない。しかし、環境政策の現場では、専門分野の壁を超えた動きが確実に進んでいる。新たな「ご縁」のなかで、私の前にどのような道が広がっていくのか、大変楽しみにしているのである。
*この「階層化された流域管理」の考え方は、鳥越皓之さんの「生活環境主義」と、舩橋晴俊さんの「環境制御システム論」の成果を、自分なりに咀嚼し摂取しつ提示したものである。「生活環境主義」に対する私なりの考え方については、拙論「琵琶湖・農業濁水問題と流域管理」(『社会学年報』No.34、東北社会学会)の冒頭で簡単に述べたが、「環境制御システム論」も含めて『流域環境学』のなかでは十分に説明できていない。これらについては、別の機会に譲ることとしたい。 (わきた けんいち・龍谷大学社会学部教授)
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【追記】■このエッセーの最後に補記のように「これらについては、別の機会に譲ることとしたい」と書いています。この論考は、『環境社会学研究』vol.15(2009年)の特集「環境ガバナンス時代の環境社会学」の巻頭論文として掲載されました。「『環境ガバナンスの社会学』の可能性-環境制御論と生活環境主義の狭間から考える-」というタイトルの論文です。以下は、この論文の和文要約です。
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本稿では、環境ガバナンスが人口に膾炙する時代における、環境社会学の課題や役割について明らかにしていく。以上を明らかにするために、まず、環境社会学の二大研究領域である<環境問題の社会学>と<環境共存の社会学>の代表的な研究として、舩橋晴俊の環境制御システム論と鳥越皓之らの生活環境主義を取り上げ、それらの理論的射程を再検討する。そして、両者の議論と関連しながらも、その狭間に埋もれた環境ガバナンスに関わる新たな研究領域が存在することを指摘する。そのような研究領域では、以下の2つが主要な課題となる。(1)多様な諸主体が行う環境に関する定義(=状況の定義)が、錯綜し、衝突しながら、時に、特定の定義が巧妙に排除ないしは隠蔽され、あるいは特定の定義に従属ないしは支配されることにより抑圧されてしまう状況を、どのように批判的に分析するのか。(2)そのような問題を回避し、実際の環境問題にどのように実践的にかかわっていくのか。以上2つの課題を中心に、政策形成をも視野に入れながら、「環境ガバナンスの社会学」の可能性について検討を行う。
キーワード:環境ガバナンス、環境制御システム論、生活環境主義、環境に関する定義、環境社会学の役割
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