一日地球研

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■24日(月)は終日、京都市の上賀茂にある「総合地球環境学研究所」で仕事でした。午前中は、研究プロジェクト「オープンサイエンスと社会協働の融合に基づく琵琶湖流域圏水草資源活用コミュニティーの形成」(三井物産環境基金研究助成)の会議に初めて出席しました。このプロジェクトの代表である近藤康久さんは、現在、地球研で「知の接合:社会―環境相互作用の共同研究における問題認識のずれを乗り越える方法論」という予備研究(FS)の責任者もされています。

■ところで、なぜこのプロジェクトの会議に出席したのかといえば、参加している地球研の研究プロジェクトがこの外部資金による研究プロジェクトと連携しているためです。初参加ではありましたが、いろいろ意見を言わせていただきました。厚かましくてすみません…。また、この会議に参加している方たちから、朽木の針畑のこともお聞きすることができました。地球研の別の研究プロジェクトの研究員をされている関係から、この朽木の地域にお詳しいのです。針畑にルーツを持つゼミの卒業生、坂本昂弘くんのご一家にお話しをお聞かせいただく予定にしていることから、何か偶然以上のタイミングの良さを感じました。ありがたいことです。

■午後からは、プロジェクトの研究員の皆さんと一緒に、草津市の平湖・柳平湖の調査に関する引き継ぎとディスカッション。非常に面白かったです。丁寧な引き継ぎの説明を受けながら、いろいろ頭の中に閃めくことがありました。示唆的でもありました。いよいよ、平湖・柳平湖での調査が本格化して行くわけですが、その準備も、着々と…とはいえないのですが少しずつ進んでいます。写真の表彰状ですが、プロジェクトの研究員である石田卓也くんの地域での活動が表彰されていました。知りませんでした。おめでとう、石田くん。外に出ると、プロジェクトの調査地の田んぼから採集してきたタイコウチがプラスチックの水槽の中にいました。調査地の農村では農作業が本格化して行くわけですが、それとともに農家との共同調査もうまく行くと良いなと思っています。

朽木村古屋の坂本家のこと

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■先週の金曜日、ゼミの卒業生である坂本昂弘くん(脇田ゼミ6期生)、そして坂本くんの叔父さまと一緒に呑むことになりました。少しその背景を説明しておきます。昨年の夏、大学の先輩でもある写真家・辻村 耕司さんのご紹介で、朽木古屋(高島市)の「六斎念仏踊り」を拝見することができました。そして、坂本くんと再会し、坂本くんのご一家ともお話しをすることができました。詳しいことは、以下のエントリーをご覧いただきたいのですが、いよいよ坂本家三代の皆さんにお話しを伺うことになりそうです。

朽木古屋「六斎念仏踊り」の復活

■場所は、当然のことながら、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」。酒を楽しみながら、叔父さまから古屋での山村の暮らしや、一家で山を降りてからも、家や家産として山を守るために古屋に通い続けて来たことなど、いろいろお聞かせいただきました。坂本くんも、普段、親戚が集まっても、自分のルーツについて詳しい話しを聞くこともなかったらしく、叔父さまの話しを真剣に聞いていました。

■坂本家の皆さんにお話しを伺う準備として、朽木が高島市に合併される以前の1974年に発行された『朽木村史』と、高島史に合併されてから、2010年に発行された『朽木村史』の2つを入手して朽木のことについて勉強をはじめました。良い仕事ができるように頑張りたいと思います。

志那町真珠小委員会

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■14日(金)、午後らは草津市の西岡写真工房を訪問させていただきましたが、晩は、晩は、草津市の志那町(志那町会館)で開催された「志那町真珠小委員会」に、総合地球環境学研究所の池谷さんと一緒に出席しました。地球研のプロジェクトで、志那町にある平湖・柳平湖再生の支援を行なっている関係から出席させていただいたのです。「琵琶湖パール」は、一粒一粒が個性的で、自然の美しさがありますね‼︎

■この日は、滋賀県立大学の伴 修平先生や、立命館大学の小沢道紀先生からの報告もありました。また、委員会の前には、池蝶真珠有限会社の酒井京子さんからもいろいろお話しを伺うことができました。非常に勉強になりました。(本文、続きます)

西岡写真工房

20170416nishioka.jpg ■先週の金曜日(4月14日)のことになりますが総合地球環境学研究所の用務で、プロジエクト研究員の池谷透さんと一緒に、草津市にある「西岡写真工房」に向かいました。こちらの写真館の西岡伸太さんから、いろいろお話しを伺いながら、お若い時にお撮りになった、琵琶湖やその周辺の写真を拝見させていただきました。西岡さんが撮影されてきた琵琶湖の周辺は、国の巨大開発事業である「琵琶湖総合開発」、河川改修等ですっかり姿を変えてしまいました。西岡さんの言葉では、湖岸に凹凸がなくなり、直線的になってしまった…ということになります。自然が生み出した造形美が失われてしまい、直線的な人口的な景観に生まれ変わってしまっているからです。西岡さんは、そのような問題意識の中で、琵琶湖や琵琶湖周辺の写真を撮影されてきました。

■ライティングボックスの上にあるのは、草津市の北山田の昔の風景です。おそらく昭和30年代かと思われます。漁師の男性たが、琵琶湖の湖底からマンガンという漁具で獲ってきた貝を、女性たちが大きな釜で炊いて、貝の身を剥いているところです。このような風景は、もう見られません。西岡さんは、このような琵琶湖と人との関係にも焦点をあてて、写真を撮ってこられました。いろいろお話しをさせていただく中で、私が滋賀県立琵琶湖博物館に勤務していた当時の上司(副館長)である西岡信夫さんの写真の師匠をされていることもわかりました。世間は狭いですね〜。

地球研プロジェクトのコアメンバー会議

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■先週の金曜日ですが、京都の上賀茂にある総合地球環境学研究所で会議でした。参加しているプロジェクトのプロジェクトのマネージメントに関して議論を行いました。今回は、急遽、副リーダーからの召集がかかりました。趣旨は、年度が変わったこの時点で、研究プロジェクトの課題をチェックするというものです。言い換えれば、プロジェクトの「棚卸し作業」のようなものでしょうか。

■総合地球環境学研究所の研究プロジェクトは、3つの実践的プログラムの元で実施されています。「実践プログラム1:環境変動に柔軟に対処しうる社会への転換」、「実践プログラム2:多様な資源の公正な利用と管理」、「実践プログラム3:豊かさの向上を実現する生活圏の構築」です。私たちの研究プロジエクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会-生態システムの健全性」は、「実践プログラム2」の中でプロジェクトになります。詳しくは、「プログラム-プロジェクト制」についての説明、そしてプログラム・ディレクターである中静透さんの「ミッション・ステートメント」をお読みください。このプログラム-プロジェクト制が動き始める前から、私たちのプロジェクトはすでに研究を始めていたので、私個人は、自分たちの研究プジェクトがこの「実践プログラム2」に含まれていることに、少し居心地の悪さを感じないわけではありませんが、研究所全体の研究推進体制の再構築のためには仕方がありません。
プログラム-プロジェクト制
ミッション・ステートメント 「実践プログラム2:多様な資源の公正な利用と管理」

■さて、金曜日のコアメンバー会議ですが、この「実践プログラム2」のディレクターである中静さんも出席しての会議になりました。会議で議論した内容は3つありました。1つは、研究プロジェクトの核となるアイデア・考え方の再度の共有です。研究プジェクトには多くの研究者が参加し、それぞれ細かな作業をしているわけですから、時間の経過とともに、その細かな作業自体が知らないうちに目的化していくと、全体を統括する枠組みに対する理解が曖昧になっていきます。自分がやっていることが、全体の中ではどのような意味を持っているのか。そのことに自覚的でなければなりません。その自覚なしに、勝手な理解で作業を進めると、プロジェクトに貢献することはできないどころか、プロジェクトにブレーキをかけてしまうことになりかねません。この日は、再度、研究プロジェクトの核となるアイデア・考え方を再確認しました。2つめは、海外の研究カウンターパートとの調査や連携の進め方に関する再確認。そして3つめが、プロジェクトに雇用されている研究員の方たちの負担の問題。結果として負担が大きくなりすぎてしまっている状況をどのように改善していくのか。これもきちんと考えなくてはいけないことです。研究員の皆さんは、期間限定という大変不安定な雇用の状況のもとで、プロジェクトに貢献しつつ、個人としても研究業績を上げていかなければなりません。なかなか難しい問題です。コアメンバーの多くは研究所に雇用されているわけではありません(私が龍谷大学に勤務しているように、みなさん所属は別になります)。しかし、プロジェクトの運営の責任上、このようなことも理解しておかなければならないのです。こうやって書いてみると、研究プロジェクトのことなんですが、議題の1つめと3つめは、大学の運営でも共通する問題ですね。

第8回「こなん水環境フォーラム」

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■一昨日のことになりますが、昼間は龍谷大学のシンポジウム「玄奘三蔵の説話と美術」に、夕方からは尼崎の西正寺のイベント「『街が背負う悲しみ』とそこで暮らす私たちの心」に参加するつもりでした。ところが、ここしばらくの疲れがたまってしまい、用心して、1日お休みをいただき、自宅で休養することにしました。残念でしたが、年齢もだいぶきていますし、身体のちょっとしたシグナルをキャッチして調整する必要があります。一日休養することで、だいぶ疲れが取れました。

■疲れが取れたので、昨日は予定通り、草津市で開催された「第8回こなん水環境フォーラム つながろう!人と人、人と自然・生きもの!-生物多様性って何だ?-」に参加しました。つい先日のことなんですが、「総合地球環境学研究所」のプロジェクトのブースを出展することになったのです。ブースには、地球研の研究員である淺野悟史くんが作成したくれたポスターを貼りました。ポスターの内容は、淺野くんが中心となって甲賀市甲賀町小佐治で農家の皆さんと一緒に取り組んだ、「しあわせ環境ものさし」についてです。「幸せの環境ものさし」とは、生物指標の一種なのですが、詳しくは、以前のエントリーをご覧いただれればと思います。私の専門は生物学ではないので、いささか役不足なのですが、なんとか「展示ブース巡り&意見交換」で多くの皆さんにご説明させていただくことができました。また、地球研のプロジェクトをアピールできたように思います。

■当日は、この「展示ブース巡り&意見交換」の前には、かつて滋賀県立琵琶湖博物館に勤務していた時の同僚中井 克樹さんが基調講演をされました。一般の方たちにもわかるように、「生物多様性」について、わかりやすく解説をしてくださいました。ありがとうございました。中井さんと会うのも久しぶりでした。基調講演のあとは、活動発表でした。「エコアイディアキッズびわ湖」、「渋川いきものがたり作成支援委員会」、「湖南企業いきもの応援団」の3団体が報告を行いました。どの団体もその活動の内容というか、レベルの高さには驚きました。「渋川いきものがたり作成支援委員会」は草津市内にある渋川小学校と地域住民の皆さんの取り組み、「湖南企業いきもの応援団」は草津市を流れる狼川流域を中心とする12社が連携して、狼川の生物や水質の調査を継続されています。どの団体の活動も、社会的に高く評価されています。

■「展示ブース巡り&意見交換」の後は、琵琶湖の湖魚を楽しみながら「交流会」を開催しました。なんと悲しいことに、アルコールは無しです…が、仕方ありませんね。写真はありませんが、雨の魚ご飯、蜆の味噌汁も美味しくいただきました。
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「平湖・柳平湖公園化対策委員会」合同会議

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■昨日は、朝から龍谷エクステンションセンターの「REC会議」に、昼過ぎからは「情報総合機構会議」に出席、その隙間に年度末に事務書類の作成等…。研究部長の仕事は3月31日までしっかり入っていますが、バタバタした日常も、あと1ヶ月ちょっとになりました。

■15時あたりで瀬田キャンパスでの仕事をとりあえず中断し、草津市の平湖・柳平湖という内湖のある農村集落、志那町に向かいました。総合地球環境学研究所の調査です。京都にある地球研の車に便乗させてもらうため、瀬田キャンパスからJR堅田駅まで移動し、そこから地球研の車で琵琶湖大橋を超え、草津市の志那町へと移動しました。ほぼ、琵琶湖の南湖を一周することになります。なんだかな〜…という移動パターンなのですが、仕方がありません。瀬田キャンパスから草津駅まではすぐなのですが、そこから湖岸の志那町までは、バスの本数も限られており、歩くにしてもかなり距離があるからです。

20170225shina2.jpg■志那町では、まず志那漁業協同組合を訪問し、組合長さんたちに、内湖で行う地球研の魚類相の調査に関してご説明させていただきました。内湖には漁業権が設定されているため漁協のご協力が必要なためです。漁協としても、私たちの調査に非常に関心を持っておられるようです。捕獲調査では、量的には、圧倒的に外来魚が多いわけですが、環境DNAという最新の手法を使って調べると、ウキゴリ、オイカワ、オオクチバス、カネヒラ、カマツカ、キンブナ、ギンブナ、ゲンゴロウブナ、コウライニゴイ、コイ、タモロコ、チチブ、トウヨシノボリ、どじょう、ナマズ、ニゴロブナ、ビワヨシノボリ、ブルーギル、ホンモロコ、ヤリタナゴといった様々な種類の魚が生息していることが確認されています。私たちのこの内湖での研究の目的を簡単に言えば、志那町のみなさんと協働しながら、魚を中心とした生き物の賑わいを豊かにしていくことにあります。

■漁協では、50年ぶりに内湖にエリと呼ばれる定置漁具を設置されました。トップの画像がそのエリです。琵琶湖に建てられる大きなエリとは異なり、内湖のエリは小さなものです。今後は、漁協のエリ漁とも連携しながら、魚類相の調査を進めていくこができればと思っています。実は、この総合地球環境学研究所がこの内湖で調査をさせていただくにあたっては、ちょっとした「経緯」があります。以下の、関連エントリーをお読みいただければと思います。県の事業に委員として私が関わったことで、この志那町の皆さんとご縁をいただくことができました。

今日は滋賀県庁
平湖柳平湖の「つながり再生構築事業」の協議会
「つながり再生モデル構築事業」第4回協議会
魚の賑わい
取り戻せ!つながり再生モデル構築事業」について

20170225shina3.jpg■漁協でお話しをさせていただく前ですが、写真のような看板を志那町の集落の中で見つけました。「閘門」についての説明板です。琵琶湖総合開発によって堤防が建設される以前は、水位の高い内湖と水位の低い琵琶湖の間を船で行き来するために、このような閘門が設置されていました。現在では、圃場整備、河川改修、そして琵琶湖総合開発が終わり、内湖と共に農地の広がる風景が広がっていますが、元々は、田舟がなければ自分の水田には移動できないような地域でした。もちろん、今は軽トラックでの移動になりますが、かつて全て田舟での移動だったのです。1つ前のエントリー「圃場整備・河川改修・琵琶湖総合開発前の内湖の地図」にも書きましたが、そのような時代のことを、地球研の調査の一環としてお聞かせいただく予定です。農業のこと、漁撈のこと、その他の生き物のこと、遊び、水害、内湖で行われていた淡水真珠の養殖、地図を見ながら頭に浮かんでくる様々なエピソードまで、いろいろお話しをお聞きかせいただきたいと思っています。

■お話しをしていただく年代の方達は、おそらく70歳以上の方達が中心になろうかと思いますが、年齢の違い、また性別の違いで、記憶されていることの内容にも差異が出てくることでしょう。そのような差異も含めて、私には非常に興味深いものがあります。例えば、以前は、琵琶湖の藻を刈り取り肥料として使っていましたが、同様に、内湖の湖底に溜まった泥もすくって、その泥についても肥料として利用していたようです。これは、琵琶湖の湖岸の地域であれば、多かれ少なかれ聞き取りをすると出てくる話しなのですが、年齢が少し下がるだけで、そのような経験をしていない、あるいは知らないということがあるわけです。地域の環境を大きく改変する開発事業や、農業に関する技術革新等の近代化を人生のどのあたりで経験するのかによって、記憶に差異が生まれてくるのです。

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■晩の19時半からは、志那町の志那会館で、「平湖・柳平湖公園化対策委員会」合同会議が開催されました。志那町の皆さん、滋賀県(河川砂防課、琵琶湖政策課)、草津市(公園緑地課、農林水産課)、滋賀県大、立命館大の教員、そして私たち総合地球環境学研究所が出席しての合同会議になりました。志那町の皆さんの内訳は、平湖・柳平湖各組対策委員、対策委員三役、対策委員会専門部部長、副部長、真珠小委員会委員、町役、組長責任者、生産組合長、漁業組合長、老人クラブ会長。「オール志那町」という感じで、なんだか迫力がありますね。

■長年にわたって進めてきた内湖整備のハード事業は、最終段階を迎えています。「平湖・柳平湖公園化対策委員会」の委員長のFさんは、「これからはソフト事業」と会議を締めくくられましたた。私たち総合地球環境学研究所は、この最後の段階から参加させていただくわけですが、先祖代々、米と魚とともに生きて来られた皆さんと、魚の賑わいのある内湖を将来世代に残していくための多様なソフト事業に参加・参画していく予定になっています。

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■この画像は、志那町のあたりから、比良山系を眺めたものです。頂上には、「びわ湖バレイ」スキー場の灯が見えました。写真ではわかりませんが、強い風が比良山の方から吹いています。

圃場整備・河川改修・琵琶湖総合開発前の内湖の地図

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■午前中、滋賀県庁の琵琶湖環境部琵琶湖政策課の職員の方と一緒に、草津用水土地改良区事務所を訪問しました。明日、一緒に訪問する予定担っている滋賀県草津市志那町の昔の地図を拝見するためです。もちろん、現在の地図ではありません。圃場整備事業を行う以前の時代の地図です。上の画像いただければご理解いただけると思いますが、いわゆる「青焼」の地図です。今の若い方達には、「青焼」といってもよくわかりないと思います。でも、説明するのは面倒臭いので、ご自身でお調べください。

■琵琶湖の湖岸に面した志那町の圃場整備は昭和47年(1977年)から始まりました。この「青焼」の地図では、圃場整備事業が行われる直前のこの地域の様子がわかります。時間が経過しているので、地図も劣化し変色していますが、よくよく見ると、地域内に大小様々な水路が走っていることがわかります。もちろん、巨大国家プロジェクトである琵琶湖総合開発(1972年〜1997年)が行われる前になります。志那町にある平湖・柳平湖という内湖も、複数の水路で琵琶湖とつながっていました。当時は、閘門が設置されていました。琵琶湖と内湖の水面の高さが異なるためです。船で琵琶湖と内湖とを行き来するために設置されていたのです。内湖の周辺だけでなく、琵琶湖から離れた所にも、水路が走っていました。

■以前、志那町の皆さんに、田舟を使った農業や魚とり(おかずとり)のことなど、いろいろ聞かせていただいたので、地図をじっと眺めていると、地図の中に陸と水が入り混じった「水っぽい」世界が浮かび上がってきました。土地改良区事務所では、同様の地図が草津市役所にもあるお聞きしました。そこで、すぐに草津市役所の都市計画課を訪問しました。そして、突然の訪問でしたが、河川改修や圃場整備事業以前の都市計画の白地図を見せていただきました。昭和41年のものです。こちらの地図も、非常に素晴らしかったです。ワクワクしました。

■これから、この志那町の内湖の環境再生と志那町の地域づくりがセットになったような事業に参加・参画していくことになっています。明日は、私が参加している総合地球環境学研究所のプロジェクトのメンバー、滋賀県、草津市、滋賀県大、立命館の教員が参加する会議に出席します。この事業のなかで、この地図を活用して、人びとの個々人の記憶の中に眠っている「水っぽい」世界を「見える化」して(一種のアクションリサーチ)、若い世代の皆さんも含めた地域全体の財産として共有できるようになれば…と思っています。詳しいことは、またお伝えできるかと思います。

日本生態学会での学会発表

■昨年に引き続き、共同研究者の谷内茂雄さんが、3月に開催される日本生態学会で学会発表を行います。もちろん、私は日本生態学会の学会員ではありませんが、共同研究者として名前を連ねています。今回の発表の基本にある考え方は、これまで谷内さんと一緒に取り組んできた、総合地球環境学研究所での2つの研究プロジェクトをベースにしているからです。1

■1つは「琵琶湖-淀川水系における流域管理モデルの構築」です。このプロジェクトでは、「階層化された流域管理」という考え方をもとにしています。2009年に『流域環境学 流域ガバナンスの理論と実践』(和田英太郎監修/谷内茂雄・脇田健一・原雄一・中野孝教・陀安一郎・田中拓弥編、京都大学学術出版会)にその研究成果をまとめることができました。2つめは、現在、取り組んでいる「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会-生態システムの健全性」です。この2つめのプロジェクトでは、流域内のコミュニティにおける地域再生活動を支援しつつ、それらの活動が結果として生物多様性や流域内の物質循環を結びついていく道筋を探っています。ここでは、「階層化」という言葉は使っていませんが、以上の2つのプロジェクトは、流域のもつ空間スケールが流域内部のステークホルダー間のコミュニケーションを阻害するという点を問題にしています。

■谷内さんは数理生態学者なので、私とは研究のアプローチが違うわけですが、上記のような問題意識を共有しながら共同研究を進めています。以下は、「講演要旨」です。

日本生態学会第64回全国大会 (2017年3月、東京) 講演要旨
ESJ64 Abstract

一般講演(口頭発表) I01-06 (Oral presentation)

地域再生が流域スケールの生態系再生を促進するメカニズム

*谷内茂雄(京大・生態研), 脇田健一(龍谷大・社会)

河川生態系や湖沼生態系の再生には、水循環と物質循環の自然な単位である流域を空間単位にとる流域管理が有効とされる。しかし、生態系には多様な人が生活しているのが普通であり、生態系を管理する空間スケールが大きくなるほど、その中に含まれる人とコミュニティ(地域社会)の多様性は増してくる。たとえば、流域を流れる河川の上流と下流に位置するコミュニティでは、基盤となる生態系が大きく異なる。流域管理の主な困難のひとつは、流域スケールでの流域管理課題と流域内の多様なコミュニティが抱える課題の違い(ミスマッチ)から生まれる。いかにこのミスマッチを克服するかは、流域管理に限らず、大スケールの生態系管理に共通する大きな課題である。
 本講演では、まず流域のひとつのコミュニティが地域の生物多様性(地域の生き物・自然)の再生をおこなう活動を通じて、コミュニティ自体の活力や豊かさを回復する(地域再生)とともに、コミュニティスケールの生態系再生(物質循環など生態系機能の再生)を促進するメカニズムについて、琵琶湖流域における取り組みとともに紹介する。しかし、コミュニティスケールにおける生態系再生が、そのまま流域スケールの生態系再生につながるわけではない。その過程では、流域内の多様なコミュニティが推進する再生活動と、より大きなスケールで流域管理を推進する多様な主体(市町村や都道府県、国、NPOなど)との相互作用がうまく育っていく必要がある。発表では、このようなシナリオを成り立たせるガバナンスのモデルについて論じる。

地域づくり型生涯学習講座モデル事業 蛭川地区交流会 (岐阜県・中津川市)

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■一昨日、龍谷大学のシンポジウムを終えてから、午後からは岐阜県の中津川市に移動しました。そして昨日は、朝9時半から昼過ぎまで、中津川市蛭川にある公民館で、「地域づくり型生涯学習講座モデル事業 蛭川地区交流会」を開催しました。今日も予定時間をオーバーするほど盛り上がり、無事に終了しました。農業法人の代表、商工会の職員、自主保育のお母さんたち、新規就農者、みんなが自分の家の正月の鏡餅を自分で作れるようになったら…との思いで活動しているもち米生産者のグループ、無農薬の農業に取り組むグループ、公民館長、小学校の校長、中学校の校長、地域振興のまとめ役の皆さん…上は75歳から下は24歳まで、蛭川の中で、様々な地域づくり活動に関わっている皆さんがご参加くださり、いっぱい、いっぱい語って下さいました。ありがとうございました。

■「こうなったら素敵だな」と思っていること、「どうしようか困ったな〜」と思っていること、そのような心の中でモヤモヤしていることを、今日のように実際にあって語りあうこと。そのための「場づくり」と「関係づくり」。とても大切だと思っています。そのような「場づくり」や「関係づくり」から始まって、地域の中に、相補的でかつ「1+1」が「なんと3…‼︎」になるようなシナジー効果を産む協働のネットワークをどのように作っていくのかというについても、とても大切なことだと思っています。

■もうすでに、昨日ご参加いただいた皆さんの中には、そのような協働関係が生まれつつあります。地域の中にある潜在的な可能性を、そのような相補的な関係や協働のネットワークのなかでどのように顕在化していくのか。ワクワクしてきますね。これからの蛭川の展開、とっても楽しみです‼︎ 地域づくりをご支援いただく市役所の職員の皆さんには、さらに所内での部署間連携を推し進めていただければと思います。地域づくり・まちづくりという間口の広い活動に対応できるように努力していただければと思います。長らくお世話いただきました、中津川市役所の伊藤公一さんと中尾まゆみさん、ありがとうございました。

■2005年だったと思いますが、愛知県の「団塊世代提案型地域づくりモデル事業審査委員会」の委員になったことが事の始まりです。私の講演を聞かれた岐阜県の生涯学習の担当者から、岐阜県の「地域づくり型生涯学習」を手伝って欲しいとの依頼を受けました。岐阜市、各務原市、可児市、羽島市…と岐阜県内の各所で講演をしてきたうちの一つが中津川市でした。そして、中津川市で講演をさせていただいたご縁で、今度は中津川市のお手伝い、市内の地域づくりをお手伝いすることになりました。もう一方的に話しをする講演という形式では、私としては不十分だと思っていたので、地域の皆さんと双方向の、インタラクティブな交流会を持たせていただくことにしました。その場の瞬発力、アドリブ力、自分の力が試されるわけですが、毎回楽しい交流会をさせていただくことができました。中津川市の皆さん、ありがとうございました。

【追記】
■今日は、参加者からメッセージをいただきました。「短い時間だったかもしれませんが、あれほど地域の色々な人が集まって本音を言い合う、という場はこれまでなかったこともあり非常に密の濃い時間を過ごさせていただきました」と素敵な感想を送ってくださいました。

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