大津エンパワねっと「大学と地域をつなぐ特別講義Ⅱ」

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20130613empower2.jpg ■最近は、ホームページのなかにおいたこのプログ、なかなか更新ができません。まずは、写真だけアップしておくという横着なことをしてしまっていますが、どうかお許しください。

■12日(木)の1限、大津エンパワねっとの「大学と地域をつなぐ特別講義Ⅱ」が、社会学科の社会学概論の授業の1コマを使っておこなわれました。対象は2年生です。この特別講義は、社会学部の4学科すべての必修の授業の1コマを使って行われますが、大津市内で活動されている方を、学外からゲストとしてお招きし、お話しを伺うことになってまいす。この日、社会学科の授業では、中央学区自治連合会長の安孫子邦夫さんと、「大津の町家を考え会」(まちづくり大津百町館)の雨森鼎さんのお2人をお招きいたしました。安孫子さんには、地域住民の立場から、中央学区の自治組織と地域課題についてお話しいただきました。また雨森さんには、市民の立場から大津の街の魅力と「大津の町家を考える会」の活動についてお話しいただきました。

■安孫子さんのお話しから。中央学区内の単位自治会は、江戸時代から続く町割りにもとづいています。いわゆる道を挟んだ「向こう三軒両隣」が自治の単位になります。最近、こういう「ご近所」の関係は希薄になる傾向にありますが、それでも、昨年9月16日に学区内の川が氾濫し浸水被害がおきたときには、多くの人びとが自主的に動き、お互いに助け合いました。また、中央学区は高齢化率が高い地域ではありますが、しかし、その数字だけが1人歩きすることの問題もあります。高齢化率が高くても、元気で余裕のある前期高齢者の方たちは、仕事に忙しい「現役世代」とは異なり、まちづくりの担い手なのです。

■雨森さんのお話しから。「大津の町家を考える会」と「大津エンパワねっと」の関係は、年々深まってきています。最初は、「大津の町家を考える会」の活動のお手伝い程度。会が企画する行事の枠組みのなかで工夫して活動する…そのレベルでした。しかし、次第に、「大津エンパワねっと」のチームが独自に企画を提案し、会と協議の上で活動が展開できるようになっきました。このように成長発展した背景として、まずは先輩たちがこの「大津エンパワねっと」に経験知を残してきてくれていることがあげられます。そのような経験知が土台にあることで、後輩の皆さんはより深まった活動ができているのです。そのことを忘れないようにしてもらいたい。もうひとつは、まちの皆さん(このばあいは「大津の町家を考える会」)にも、「大津エンパワねっと」の学生たちとどのようにコミュニケーションをしたらよいのか、どのように指導したらよいのかという点について、ノウハウのようなものを蓄積してくださっていることも重要かと思います。「学生力×地域力=∞」。これは「大津エンパワねっと」の理念です。このカリキュラムは2007年に始まり、学生たちの地域での活動は6年目になりますが、しだいに、この「大津エンパワねっと」の理念が実現してきているのではないかと思います。

日本野鳥の会のツバメ全国調査

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■昨日、facebookで、日本野鳥の会が実施している「ツバメ全国調査」に関する記事を読みました。この全国調査には、たくさんの会員やサポーターの皆さんが参加されているようです。滋賀県立琵琶湖博物館に勤務している当時は、市民(参加型)調査のひとつである「タンポポ調査」に関して、当時、鹿児島大学に勤務されていた堀田満先生にお話しを伺いにいったこともあります。堀田先生は、一九六〇年代、日本全国で高度経済成長にともなう公害や自然破壊が大きな社会問題になっていた頃、日本タンポポと西洋タンポポを生物指標にした市民調査の指導にあたられました。私自身は、直接的にこのような市民調査に携わったことはないのですが、それぞれの時代の市民調査のあり方に関心をもっています。環境社会学会の編集委員長をしているときには、学会誌『環境社会学研究』vol.13で「市民調査の可能性と課題」という特集・小特集を組みました。そのようなこともあり、この「ツバメ調査」の記事のことが気になったのでした。

■この日本野鳥の会による「ツバメ調査」2012年の調査結果では、ツバメが減少した2大要員として、カラスによる影響と人による巣の撤去があげられていました。カラスは、ツバメの巣を襲い卵やヒナを餌にするようです。また、糞で汚れることを嫌う人がツバメが巣をつくろうとすると棒でつついて巣を落としてしまうのですね。たしかに糞については迷惑と考える人もいるのでしょうが、以前は、ツバメが巣をつくることを歓迎する人が多かったように思います。糞で汚れることはわかっていても、巣の下に新聞紙を敷くなどして糞を始末し、ツバメの親が雛を育て、雛が巣立つのを見守っていた人も多かったと思います。また、ツバメは幸せや豊かさを運んでくる縁起の良い鳥とも考えられていました。そのようなツバメと人間との関係が、ずいぶん希薄化してきているというのです。日本の野鳥の会では、以下のように述べておられます。

人による巣の撤去はもちろん、カラスも人が出すゴミ で増加していると言われており、いずれも私たちの生活 様式の変化や、受け入れる人の心の変化によって、ツバ メの子育てが難しくなっていると思われます。「人と自然 の共存を象徴する野鳥」であるツバメが、いつまでも日 本で子育てを続けられるように、私たちはライフスタイ ルや身近な自然について考える必要があるのではないでしょうか。

■2013年度の調査では、「全体的な傾向と しても都市化が進んだ地域で巣立ちヒナ数が少なく傾向」にあることが判明しています。また、「育て上げることのできるヒナに数が少ない理由としては、ヒナに与えることのできる食べ物の量が不足し ている事が考えられ」るわけですが、都会においては「公園などの緑地の林縁で風にのって昆虫を捉えている姿をよく見かけ」らしく、「小さくても緑地の存在がツバメの子育てを助けていることが見えて」きたようです。

日本野鳥の会のツバメ全国調査

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消えゆくツバメをまもろうキャンペーン

天孫神社の桜

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■4月3日、「レイカディア大学」の米原校で講演をしたあと、米原から彦根まではあえて「近江鉄道」に乗り、そのあとはJRで彦根から大津まで。大津で、かつての上司と急遽お会いすることになったからです。Nさんです。現在75歳のNさんとは、facebookで連絡をとりあいました。Nさんは、facebookを楽しんでおられるのです。すばらしいですね〜。毎朝、デジタルの温度計と時計をもって琵琶湖の湖岸に自転車で出かけ、その温度計と時計とその日の琵琶湖の風景を一緒に、デジカメで写真を撮ることを日課にされています。そして、一文を添えてfacebookにアップするのです。その文書には、必ず、「今日も一日一秒しっかり生きていきましょう‼」と書かれています。読んでいて、元気が出てきますね。また、Nさんは俳句をされています。数年前からとのことです。俳句の実力はかなりのものらしく、新聞にも4句ほど掲載されているのだそうです。といことで、facebookには、季語も添えられています。最近は、短歌も始められました。勢力的に日々を過ごされています。すごいです。かつてやっていたラグビーも始めたいとおっしゃっていました。こうなると、まいりました…です。

■Nさんとは、5時半から駅前のいつもの居酒屋「利やん」でお会いすることになったのですが、大津に到着したのが5時前。少し時間があったので、facebookの「おともだち」が投稿されていた、「天孫神社」の桜を見に行くことにしました。この神社の境内にある桜は、毎年、見事に咲きます。堪能しました。不謹慎からもしれませんが、できればここで酒を呑みながら、ちゃんとしたお弁当をいただけるとよいのですが。まあ、それは無理にしても、素敵な桜を楽しむことできて、とにかく満足です。

総天然色!! 昭和30年頃の大津 -国産最初期のカラー写真でみる町の記録-

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■今日は、「大津市都市計画審議会」でした。審議会が終了し、市役所の建物の外に出ると、道路沿いの掲示板に目がいきました。大津市歴史博物館の特別展のポスターです。「総天然色!! 昭和30年頃の大津-国産最初期のカラー写真でみる町の記録-」。いいですね〜。素晴らしい。以下は、ネット上のこの特別展の情報を引用させていただきます(トップの画像はその一部です)。

【概要】
 本年3月、故 西村榮次郎氏が撮影した古いカラースライドが、大津市歴史博物館に寄贈されました。全139枚にもおよぶスライドの中には、昭和30年頃の大津市内各所の様子が鮮明なカラー写真で残されていました。日本におけるカラーフィルムは、すでに戦前に国産第1号が販売されていましたが、本格的に普及しはじめるのは、この写真が撮られた昭和30年頃からだといわれています。また、当時はフィルムが非常に高価だったこともあり、これらの写真は大変貴重なものだといえます。
 本展では、大津市中心市街地の町並みをはじめ、市内の社寺等の観光地の写真。また、大津市制60周年記念式典の様子やビワコ一周自転車競走などの行事の写真など、厳選した約50点を展示し、総天然色で再現された、今から60年前の大津の町並みや暮らしの様子をご覧いただく写真展です。

【撮影された写真の特徴】
 写真は、35㎜カラーポジスライド、139点、撮影年代は昭和30年~36年頃です。多くは、「観光大津」という小箱に収納されており、当時の大津の魅力をスライド上映用にまとめたものが中心です。 この時期は、大津に駐留していた在日米軍が、キャンプ大津からの撤退した年(昭和32~33年)にあたります。また、昭和33年は、大津市が市制60周年を迎えた年でもあります。その意味では、まさに大津にとっての戦後が終わり、高度経済成長期に向かって歩み始めた過渡期に撮影されたものといえます。写真の中には、それら町の移りかわりが随所に記録されています。

■私自身は昭和33年生まれなので、かろうじて「懐かしい風景」といっても許されるかもしれません。もちろん、当時、大津には来て記憶しているわけではありません。写真の中に埋め込まれている時代の雰囲気が懐かしいのです。ただ、カラー写真だとある種の生々しさがあります。そこが不思議な気持ちにもさせてくれます。そう、昔は「総天然色」っていいましたね〜。【撮影された写真の特徴】には、米軍が撤退して大津の戦後が終わり、これから行動経済成長期が始まる過渡期だと書かれています。とても興味深いですね。1枚1枚の写真ごとに、たくさんの発見があるのではないかと思います。ぜひ、観覧してみたいです。ちなみに、場所は、大津市歴史博物館ではありません。ゼミの「北船路米づくり研究会」がいつも野菜を販売させていただいている丸屋町商店街の「大津百町館」が会場になります。お間違いのないように。

タイトル	総天然色!! 昭和30年頃の大津
会期	平成26年 3月23日(日)~3月30日(日)
期間中の休館日	3月24日(月)
会場	大津百町館(大津市中央1丁目8-13・丸屋町商店街内)
主催	大津市歴史博物館
協力	大津の町家を考える会
観覧料	無料

大津百町

20140316kakurido.jpg ■大津で有名な和菓子屋「鶴里堂」さんの{大津百町}という名前の和菓子の包装紙です。そもそも大津とは、大きな津=港とい意味です。物資や人が行き交い、経済的にも文化的にも、江戸時代には宿場町として大変繁栄しました。大津市歴史博物館のネットにある展示解説では、次のように説明されています。

大津の地名は、大きな港(津)に由来し、すでに平安時代、都への物資を中継する港として重視されていた。豊臣政権下に築かれた大津城が関ヶ原合戦でその役割を終えると、城は膳所に移され、大津は城下町から商業都市へと変貌。江戸幕府の直轄支配地(天領・てんりょう)として代官が置かれ、その繁栄ぶりは「大津百町(おおつひゃくちょう)」と称された。このコーナーでは、「札の辻」町並み模型を中心に、宿場町・港町・園城寺(三井寺)の門前町として賑わった「大津百町」の様々な姿を紹介する。

■「鶴里堂」さんの包装紙は、この展示解説にある「札の辻」という場所を描いたものです。では、「鶴里堂」さんのお店の名前にどうして「鶴」があるのか。以下の説明の通りです。

鶴里堂(かくりどう)という屋号は、昔、比叡山より望んだ大津の里が細長く弓形(ゆみなり)で、鶴が翼ひろげてまさに飛び立とうとする姿に似ていたことから、「鶴の里」と呼ばれていたことに因んでいます。

■大津は幕府の直轄地であったことから、幕府の御触書を掲示する高札がありました。それが、四つ辻にあったことから、「札の辻」という地名がついたのだそうです。この包装紙に使われている絵には、ものすごい数の人たちが往来しています。絵だからデフォルメして書いてあるのだろうという人もいるかと思いますが、江戸時代、本当にれぐらいの人たちが行き来していたのではないかと思います。というのも、大津は東海道五十三次の宿場町のなかでも最も栄えたところで、元禄時代(17世紀後半)には、町数も本当に100カ町あり、人口1万8千人を超えていたといわれているからです。現在はどうかといえば、残念なことですが、たくさんの人が歩いている…そのような風景はほとんどみかけません。地図はこちらです

純米吟醸無ろ過生原酒「北船路」のラベル貼り

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■韓国に出張しているあいだに、ゼミ生たちが頑張りました。純米吟醸無ろ過生原酒「北船路」のラベル貼りです。いよいよ発売されます。発売に先行して、お世話になった北船路の皆さんや、私たちの活動を応援してくださった方たちに予約販売させていだたきます。もちろん、平井商店さんのほうでも販売されると思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

■さてさて、いよいよ!!…なんですが、ゼミ生諸君は、就職活動と掛け持ちで頑張っています。ということで、特定のゼミ生たちに作業が集中してしまっています。あくまで「北船路米づくり研究会」は、学生の自主性・主体性で成り立っている活動なので、私の方から強制はしません。とはいえ、みんなもう少し作業に参加して手伝ってやってほしいよ〜。

純米吟醸無ろ過生原酒「北船路」がいよいよ!!

20140215sakekitafunaji.jpeg■昨日は、大学院の入試がありました。そのため私自身は、ゼミでおこなっている「北船路米づくり研究会」の第26回「北船路野菜市」には参加できませんでした(野菜市は、4月と9月をのぞく第三土曜日に大津市の丸屋町商店街で開催しています)。しかし、私がいないことでゼミ生たちの活動が、なにか滞ってしまうようなことはありません。研究会で取り組んでいる事業を、先輩から後輩へときちんと引き継ぎ、なおかつ活動の課題を抽出し、それを解決していくことでことができるようになってきたからです。集団としての経験値を積み重ねていくことで、運営上の「仕組み」が少しずつできあがってきているのですね。

20140215sakekitafunaji2.jpg ■もちろん、ゼミでおこなっいるからといっても、「北船路米づくり研究会」の活動は強制参加ではありません。たとえば、体育局の部に所属している学生たちは練習や試合で忙しく、なかなか参加することはできません。しかし、そのことでゼミの評価がかわることはありません。また、友人関係が悪くなるわけでもありません。「北船路米づくり研究会」の活動は、あくまで意欲のある学生たちの自発的・主体的な活動で運営されているのです。この点を、私自身は高く評価しています。

■ところで、今日は「北船路野菜市」以外にも、一部の学生たちは頑張りました。研究会の「地酒プロジェクト」です。北船路(農事)で生産した酒米(山田錦)を原料に、平井商店さんが純米吟醸無ろ過生原酒「北船路」の発売のお手伝いをしました(これは、火入れ=加熱してい酒です。加熱した清酒は、3月にできます)。今日の作業は、ラベル貼りです。

■このラベルは、ゼミ3年生のYさんがデザインしました。ただ単に、ラベルを貼っているだけではないのです。ラベルには、龍谷大学の学生がかかわっているということで龍も描かれています。この龍のイラストは3年生のI君が描きました。そして、「北船路」の文字です。これは4年生のKくんの書です。筆と炭で遊び半分で書いた文字ですが、それが後輩のYさんには、「すてき」と評価されたようです。このラベルについて、平井商店のご主人も大変ご満足のようでした。「ええラベルができたでしょう。うちのラベルよりも上やいうてるんですわ」と上機嫌でいらっしゃいました。

■ラベルだけではありません。このようなポスターも学生たちは作成しました。このポスターに学生代表として登場しているのは3年生のUさんです。もちろん、ご本人の承諾のもとでポスターのモデルになってもらったようです。背景に見えるのは、北船路の棚田から見渡せる琵琶湖です。ちょうど日が沈みかけている時間帯ですね。この時間帯の北船路の棚田からの風景は、少しずつ変化していきます。とっても美しいのです。「棚田の景観」ではなく、「棚田からの景観」が北船路の魅力なのです。写真をクリックすると、ポスターのコピーをお読みいただけるのではないかと思います。これは「地酒プロジェクト」のリーダーTさんと、指導してくださっている農家のFさんとの合作だそうです。

■Tさんは、デザイン担当のYさんとともに、「地酒プロジェクト」をリードしてきました。今回は、お店での販売以外にも、お世話になった皆さんにも購入していただくべく、いろいろ裏方の仕事をしてくれています。現在3年生は就活中で、活動するには大変な時期なのですが、それでも時間を調整して仲間と頑張っている点が、すばらしいと思うのです。

第56回大津市民駅伝競走大会

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■「大津市民駅伝」です。2月2日(日)です。龍大瀬田キャンパスの南東にあたる田上地区で、開催されます。今年で56回目になるのだそうです。毎年開催されているとして、昭和32年(1957年)から始まっているということでしょうか。ローカルではありますが、伝統ある大会なんでね。昨年に引き続き、今年も龍谷大学のチームとして出走します。

■今年、龍谷大学からは、「龍谷Run Run A・B・C」の3チームが一般クラブチームとして出走します。私は、教員を中心に構成された「龍谷Run Run B」チームのアンカーとして第5区7kmを走ります。昨年は、第2区の3.6kmでした。第2区は平板なコースなので、スピードを要求されました。私は、自分の心肺能力の限界まで力を出し切って走りました。この歳ですから…もう、大変でした。心臓がバコバコいって、「これ以上無理しすぎたら心臓麻痺になるのとちゃうか…」と自分でも心配したぐらいでした。タイムは、15分48秒、4:23/kmでした。本人は、限界のところまで走っているのですが、このタイムだと、第2区の他のチームの皆さんと比較すれば38人中36番目、ほとんどビリです。

■今年の第5区のコースには坂道があります。というのも、新興住宅地のなかを走っていくからです。トップの地図をご覧ください。田上地区は農村地域です。ですから、ほとんどのコースが水田のまわりの道路になります。フラットです。ところが、コースの後半に走る「もみじが丘」という新興住宅地(地図では住宅が密集しているところ)の中は、坂道になります。一般的にいって、新興住宅地は、里山的な丘陵を開発しているばあいが多いため、住宅地のなかの道路は坂道が多くなります。新興住宅地の地名に、「台」「丘」といった丘陵的な地形をあらわす漢字が多いのはそのためです。話しがそれてしまいました。というわけで、昨年のようなスピード(全体のなかではビリに近いわけですが…)で走ると後半がとてももちません。どう、前半をセーブしつつ、後半の坂道を乗り切るのか…そのあたりが課題になります。

■私が出走するチームは、「龍谷Run Run B」チームです。本当は、全員教員で構成されていたのですが、同僚のH先生が足の故障のため、出走できなくなりました。かわりの代走をしてくれるのは、いつもお世話になっている職員のNさんです。あとは、アスリートのランナーの教員の皆さんばかりです。どうして私がアンカーなのかな…と、監督のHさん(大阪キャンパス)をちょっと恨みつつ、とにかく頑張るしかありません。昨年は、タスキをつなぐことができませんでした。今年は…。アンカーの責任は重いですね〜。辛い。ちなみに、H先生が欠場されたので、私が最年長になってしまいました…。
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映画「よみがえりのレシピ」上映会

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■今日は午後から「大津エンパワねっと」の運営委員会を終えたあと、町家キャンパス龍龍に移動しました。大津市役所農林水産課の職員の方から、映画「よみがえりのレシピ」の上映会&関連イベントに関するお話しを伺いました。来年の2月22日(土)、旧大津公会堂において映画『よみがえりのレシピ』の上映会が開催されます。あります。詳しくは、こちらをご覧いただきたいのですが、少しだけ紹介させていただきます。

【製作意図】
在来作物は何十年、何百年という世代を超え、味、香り、手触り、さらに栽培方法、調理方法を現代にありありと伝える「生きた文化財」である。しかし高度経済成長の時代、大量生産、大量消費に適応できず、忘れ去られてしまった。社会の価値観が多様化する現代に、足並みを合わせるように在来作物は、貴重な地域資源として見直されている。在来作物を知ることは、食と農業の豊かな関係を知ることにつながる。地域に在来作物がよみがえり、継承されていく姿は、豊かな食を味わい、楽しむ姿であり、地域社会の人の絆を深め、創造する姿である。この動きを日本全国、さらには世界中で起きている食や農業の問題への処方箋(レシピ)として、伝えていきたい。

【あらすじ】
栽培者自身が種苗を管理し守ってきた在来作物(ざいらいさくもつ)は、世代を超えて地域に受け継がれてきました。しかし品種改良された作物より収量が少なく、病気にも弱いことから市場で評価されず、多くは消失してしまいました。そんな時代に独自の料理法で在来作物の存在に光を当てた“山形イタリアン”「アル・ケッチャーノ」の奥田政行シェフ。野菜の個性的な味・食感・香りを生かした料理には、新鮮な魚介や肉と、地域の風土や物語も盛り込まれます。また焼き畑農法を研究する江頭宏昌先生は「ここにしかない価値」を秘める在来作物が地域再生の起爆剤になると確信しています。さらなる主役は、手間を惜しまず種(たね)を守り続ける農家の人たち。その笑顔と心意気を感じることで、何気ない日々の生活が少しだけ違って見える、そんな魅力が『よみがえりのレシピ』には溢れています。

■とっても興味深い映画です!! 「種を守り続ける人々がいる」、「自然の循環の中で養ってきた」、「豊かな知恵と技」、「人と人のつながりを取り戻し」、「再びよみがえるコミュニティ」・・・。心にグググッときますね。「北船路米づくり研究会」のメンバーの皆さん、ぜひ上映会にまいりましょう。龍大農学部の関係者の皆さん、これは観ないとだめでしょう~。 この上映会には、イベントも同時に開催されます。トップの画像、今回の上映会のチラシなのですが、以下のように書いてあります。

「この映画を大津市中心市街地のシンボリックな建築物である旧大津公会堂で上映し、『大津・滋賀の在来野菜や映画にちなんだ山形の食材が集まるマルシェ』・『トークイベント』・『料理教室』を行うことで、在来野菜のおいしさ、歴史文化的、生物学的な価値を伝えるとともに、身近に大津・滋賀の在来野菜が食べられるような環境づくりへの一歩を踏み出せればと考えています。」

■「北船路米づくり研究会」の皆さんはもちろんのこと、身近な「農」に関心をお持ちの知人・友人の皆さんにも呼び掛けて、このイベントに参加できればと思っています。近いうちにご相談にあがらせていただきますからね~。

第5回「大津ジャズフェスティバル」

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■10月19日(火)20日(水)の両日、大津市の浜大津を中心とした中心市街地で、第5回「大津ジャズフェスティバル」が開催されました。私は、第1回・2回に実行委員として参加させていただきましたが、その後は、なかなか時間をとることができず、当日のボランティアとして参加しています。第1日目の19日は、大学院の博士後期課程の博士論文草稿報告会や、ゼミで行っている「北船路野菜市」が開催されたために、今回のボランティアは第2日目の20日だけとなりました。

■今回のボランティアですが、開催間近になって、1人実行委員の方(まっちゃん)から、「ボランティアをやってくれません!」との依頼がありました。「何のボランティア」と聞いたところ、「う〜ん、ホルモン焼きそばのホルモンの準備か、会場の写真撮影かな…」ということだったのですが、結局のところ、例年、当日ボランティアとして写真を撮っているので、今回も写真撮影ということになりました。

■ジャズフェスには、たくさんのプロっぽい写真撮影のボランティアが参加されているようですが、素人である私の写真は、「ジャズそのもの」というよりも、「ジャズフェスの雰囲気や大津の街の空気」を撮ったもの、あるいは「裏方として頑張っている実行委員・ボランティアの皆さん」を撮ったものに偏っています。トップの写真は、ジャズフェス終了後の集合写真です。完全燃焼した人たちの笑顔かな。

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■facebookのアルバムも作りました。こちらから、ご覧いだけます。雨のなか、頑張ってジャズフェスの準備に取り組む様々な年代のボランティアの皆さんの様子、ご覧になってください。facebookのアカウントをお持ちでない方でも、ご覧いただけるはずです。
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