事業のコスト感の違い
■今日は、プライベートな用事で大阪に行った後、急いで自宅に戻り、18時から特定非営利活動法人「琵琶故知新」の理事会に参加しました。コロナ感染拡大のため、なかなか思うように事業を展開できない苦しみの中、なんとか展望が見えてきた、今はそのような状況でしょうか。これから、理事の皆さんと力を合わせて、このような状況をブレイクスルーしていきたいと考えています。
■今日も議題が盛り沢山でしたが、ひとつ気がついたことがありました。法人の事業に理事として取り組む際のコスト感についてです。企業の経営者として利益を上げて社員を食べさせていくために必死になって働いておられる方と、私のように大学教員として勤務し、自分の研究の延長線上で、広い意味での社会実践として活動に取り組んでいる者とでは、同じNPOの事業に関してもそのコスト計算の考え方が全然違っているということです。研究プロジェクト等でもコスト計算は必要になりますが、企業家の方のコスト計算の考え方は、それとも違うように思いました。
■もちろん、理事長である私自身も、企業の経営者の理事の皆さんと同様の考え方をすれば良いのかといえば、そうではないようにも思います。事業展開していくこと自体が目的となり、そもそものミッションをねじ曲げてしまわないように注意しなくてはなりませんし、理念を語るだけで前進できないのも大きな問題かと思います。こうすれば絶対に大丈夫などという道筋が初めから見ているわけでもなく…。
■ということで、理事長と副理事長で、例の「びわぽいんと」の理念をしっかりとキープした上で、具体的に「びわぽいんと」を展開していくための枠組みや条件等について、きちんと詰めた議論をすることになりました。理事長として責任の重さをひしひしと感じています。人生、いろいろ修行ですね。
雛人形
■我が家に雛人形が飾られました。ひとつは60年前のもの、もうひとつは35年前のものです。60年前のものは人形ケースに飾られていたのですが、ケースの寿命が先に尽きてしまったようで、仕方がないのでこうやって飾ってあります。まあ、人形たちからすれば、広々として良いのかも。35年前のものは、娘(ひなちゃん&ななちゃんのおかあさん)の雛人形なのですが、こちらは大きいです。我が家の床の間がいっぱいに。娘の家には、孫たちにプレゼントした雛人形があります。
■こうやって女三世代の雛人形を比べると、その背後にある日本の経済成長や、ライフスタイルの変化を感じずにはいられません。今は、大掛かりな雛人形だけでなく、収納飾り雛人形というのもあるようです。収納するケースが人形を飾る台になるようです。マンション等で暮らしていると、大きな雛人形を飾る場所も仕舞う場所も確保しにくいですからね。
■ところで、人形業界は、古くなった雛人形は、娘さんが成長して役目を終えたら供養してください、引き継ぐのはダメですよと言いますが。でも、こうやって飾られる間は、飾ってもらおうと思います(私は飾りませんが…)。私の両親の家にも押し入れに入ったままの雛人形がありましたが、両親が共に亡くなり、家を売却するために、業者さんにお願いして家の中の家財道具を全て処分してもらったのですが、その時に一緒に引き取ってもらいました。あっ、そうそう、私の五月人形も処分されたな。人形たちには、気の毒なことをしました。
【追記】■この写真をfbにもアップしましたが、それをご覧になった京都の方から、「御代理様とお雛様の並べ方は『関東風』ですね」とコメントをいただきました。関西というか京都以外の地域では、向かって左側に御代理様、右にお雛様、女雛を飾ります。そのことはなんとなく知っていましたが、どうしてこのような差が生まれたのかについて知りません。少し調べてみました。元々は、関東風も女雛が向かって左、御代理様が向かって右だったようです。こちらの記事では、次のように説明しています。
日本には古くから「左方上位(左側の方が位が高い)」という考え方がありました。ですから左大臣と右大臣では、左大臣の方が格上になります。神社で手水を使うときに左手から清めるのも同じ理由です。雛人形は平安貴族の姿をしていますが、平安時代の帝は、妃の左側(向かって右)へ座っていました。京都と関西の一部では、そのしきたりに従って、内裏雛を並べているのです。
一方現在の皇室では、天皇は必ず皇后の右側(向かって左側)に立たれます。座られる場合も右側です。この位置の取り方は、西洋式のルールにのっとっています。明治時代の終わり頃から日本でも西洋に準じて、このルールが取り入れられました。
■もうひとつ興味深いことを知りました。右大臣と左大臣の位置関係です。髭を生やした老人が左大臣です。ですから、向かって右側が左大臣になります。その反対側、向かって左側は若い右大臣になります。このお二人は随身と呼ばれる御代理様の警護の役目をする人たちです。左の方が格が上なのですが、この場合の左とは御代理様からみた左側になります。この左大臣と右大臣の位置は、関東風の場合でも変わりません。
この随身の右・左は内裏雛から見た位置になります。したがって向かって右が左大臣、左が右大臣になります。左大臣の方が格上なので老人の姿をしており、右大臣は若者の姿です。随身は左手に弓、右手に矢を持ち、矢を入れた胡簶(やなぐい)を背負います。
我が家の小鳥たち
■少し傷んだ不知火(みかんの一種)、いつもは傷んだところをカットして食べるんですが、今日は、庭にやってくる小鳥たちのために奮発することにしました。半分は植木鉢の受け皿に、残り半分はシマトネリコの枝から針金でぶら下げました。これまで、針金の方しかなかったので、メジロが食事をしているところにヒヨドリがやってきて、メジロを追い払って不知火を独占していましたが、今日は2箇所あるので争うこともなく、ヒヨドリのツガイは受け皿の方の不知火を、メジロは針金の方の不知火を美味しそうに食べていました。
■この不知火とは関係なく、庭の法面で餌を探しているのはジョウビタキです。昨日、冬になって色が茶色になった法面のビョウヤナギを刈り取り、隙間に溜まっていた落ち葉もきれいに取り除きました。そこにジョウビタキがやってきたのです。落ち葉の下に隠れていた虫を探しているようです。もしジョウビタキに餌を少し与えるとすると、魚の餌のワームの類が良いようです。ペットショップに売っているのかな。やってみますかね。
■話は小鳥からかわりますが、不知火とデコポンは同じ品種なんですね。JAから出荷される不知火の中でも、糖度13度以上、クエン酸1%以下などの条件をクリアしたものがデコポンなんだそうです。個人的には不知火で十分に美味しいけれど。
第48回関西アンサンブルコンテスト
こんばんは!
本日行われました第48回関西アンサンブルコンテストにて、クラリネット五重奏が京都府代表として出場し、見事金賞を受賞いたしました✨応援してくださった皆さま、ありがとうございました! pic.twitter.com/D8z3W921mu
— 龍谷大学吹奏楽部 (@ryu_windmusic) February 11, 2022
■昨日は、奈良県の近鉄大和八木駅近くにある橿原文化会館で、「第48回関西アンサンブルコンテスト」が開催されました。龍谷大学吹奏楽部からは、クラリネット五重奏のグループが演奏を行いました。入れ替え制で、まずは小学校の部があり、その後に、休憩なしで大学の部が続きました。龍谷大学吹奏楽部のクラリネット五重奏は、大学の部の一番最後に演奏を行いましたが、見事金賞を受賞しました。ちょっと残念なことは、関西代表の推薦を得て全国大会にまで駒を進める事はできなかったことです。リーダーの植西さん(賞状を持っている女性)は、昨年のアンサンプルコンテストでもクラリネット四重奏で金賞を受賞し、関西代表となりました。そして宮崎県で開催された全国大会に出場し、全国でも金賞を受賞しました。今年も期待していましたが、代表は関西大学になりました。でも、これは仕方ありません。今年のクラリネット五重奏の皆さんも力を出し切った演奏ができたと思います。立派です。
■以下は、昨日のアンサンプルコンテストの進行表です。実に細かいですね。それぞれの学校の演奏時間は5分。コロナ感染に最大限配慮して、全てコントロールされています。ところで、午前中に開催された高校の部は全部で18校、中学の部は全部で25校です。このリストを見て、「吹奏楽にかける青春」という言葉が頭に浮かんできました。その一方で、大学の部は4校しかありません。大学でもぜひ吹奏楽を続けていただきたい…とは思うのですが、多くの皆さんは、高校でやめていかれるわけです。残念です。燃え尽きてしまうのかな。そうそう、とても印象に残った事があります。小学生の部、奈良県代表の「王寺ジュニアバンド・ハルモ」のコルネットの音色です。変な力が入らず、自然体で奏でられる澄み切った音色に驚きました。素晴らしかったです。
【追記】■本日、龍谷大学吹奏楽部クラリネット五重奏の評価が「オールA」であるとの連絡が入りました。全ての審査員が、A、B、Cのうち一番評価の高いAと評価されたわけです。全国大会に推薦されたのは関西大学応援団吹奏楽部でしたから、関西大学との決選投票だったのではないかとの情報も併せて届きました。全国大会には行けなかったけれど、素晴らしい成績を残されたのだと思います。全国大会に出場される関西大学応援団吹奏楽部の皆さんには、是非とも全国大会で金賞を受賞していただきたいと思います。頑張ってください。
龍谷大学社会学部は瀬田キャンパスから深草キャンパスへ移転いたします。
■プレスリリースされました。龍谷大学は、新しいキャンパスブランド構想の中で、社会学部を2025年4月に瀬田キャンパスから深草キャンパスに移転することを決定しました。
■ただし移転したとしても、学部としては活動の場を京滋両方をフィールドに、個人的にはこれまでと同様に滋賀と大津、そして琵琶湖にこだわって仕事をしていきます。ただ、新しいキャンパスで私が勤務できるのは、たった2年です。残念ですが、2026年度末に定年退職することになっています。今回の移転に関しても、若い教職員の皆さんが頑張って実現させる時代になっているのです。とはいえ、私も関わった瀬田キャンパスで頑張ってきた取り組みの成果や実績は、京都の深草キャンパスでも少しは活かしてくださるようです。そうなったらいいなと思いつつ、それは若い同僚にお任せして、自分は退職後のことを視野に入れて働いていこうと思います。
facebookの中の母
■SNSのfacebookは、毎日、過去の同じ日に何があったのかを、記憶の中から呼び起こしてくれます(それが良いことなのか、どうなのか…よくわかりませんが)。今日、facebookが示してくれたのは、上のような写真でした。4年前の今日、母は脳内出血で滋賀医大に入院していました。孫のひなちゃんが両親(娘と娘婿)と一緒にお見舞いに来てくれたのです。母からすると、ひなちゃんはひ孫になります。さて、脳内出血した母ですが、その後、回復して退院はしたものの、身体の機能をかなり落としてしまい、再び老人ホームに戻りました。夏以降は、次第に反応も悪くなり、晩秋までは見舞いに来た私のことだけは識別できたようですが、次の年の正月に亡くなりました。母は糖尿病でした。糖尿病は血管の病気ですから、身体のあちこちに問題が出ていました。眼底出血で失明、脳内出血で入院、腎臓の調子も悪かったし…。でも、翌年の正月まで頑張ってなんとか生き抜きました。86歳。父の看病のことも含めると、両親の看病や介護は11年続きました。父は1年の看病でしたが、母の介護は10年続来ました。その11年の看病や介護で学べたこともずいぶんあるので、両親への文句は心の中にしまってあります。学べたこととは、人が亡くなっていく過程に寄り添う経験ができたということです。おそらく将来の自分のことでもあるわけですから。
■4年前のfacebookの写真には、次のような文章を添えて投稿していました。
2018年2月10日 ·
今日は、大阪に暮らしている娘夫婦とひなちゃんが、ばーちゃんのお見舞いに来てくれた。ありがとうね!
ひなちゃんは、慣れない場所に最初は緊張していたが、そのうちに元気な声を出し始めた。ひなちゃんの声が、寝たきりのばーちゃんの気持ちに少し力をあたえたのかもしない。ばーちゃんは、今日はまともな事をしゃべっている。目は見えないけれど、ひなちゃんのことも、よくわかっている。今日は童謡も歌ってくれたようだ。
なにわ歴博講座「大阪環状線から見た近代大阪」
樹心館の前で「前撮り」
■瀬田キャンパスは職員の皆さんがおられるだけで、ほとんどひとけがありません。そのような静かなキャンパスの「樹心館」前で、袴を着た学生さんが、プロのカメラマンらしき人に写真を撮ってもらっていました。おそらく、卒業記念の写真を撮っておられるのでしょう。最近は、結婚式や成人式の時と同じように、卒業式でもプロに依頼して「前撮り」をされているようです。コロナの感染が長引くと、卒業式を開催できなくなりますからね。オミクロン株の感染は、どうなっていくでしょうね。ビークアウトしていくという説もありますが、高止まりで続くという説もあります。困りました。
■コロナで困ったな〜と思っていることは、吹奏楽部の練習です。コロナ対策はできることは全てやっているのですが、大人数ですので、時々、1人とか2人体調の悪い部員の方が出てきます。その度に練習を中止して、検査をしてもらいます。陽性であればもちろん練習はそのまま中止になりますが、陰性であれば練習が再開ということになります。なかなか予定通り練習が進みません。仕方がないのですが…。そういうふうに練習が途切れるわけですが、バス停などで挨拶してくれる部員の皆さんからは、幸せのオーラのようなものを感じます。練習が途切れてはいても、気持ちは充実しているのでしょうね。挨拶してくれる人たちには、「吹奏楽部ですか?」、「楽器はなに?」、「頑張ってくださいね」と、恥ずかしいのですが同じようなことしか言えません。残念なことにマスクで部員の皆さんの顔がよくわかりません。いつになったら、マスクのない生活ができるようになりますかね。
生物多様性科学研究センターから
■昨年のことですが、龍谷大学の生物多様性科学研究センターが実施した「100地点環境DNA調査」に参加しました。私は100地点のうち、10地点を「特定非営利活動法人 琵琶故知新」として参加し、採水しました。その分析結果が終了したようです。私のところに、感謝状、私が採水した10地点で判明した生息する魚の種類を示した報告書、そして写真のような記念品のマグネットが送られてきました。この参加型環境DNA調査、どのように発展してくのでしょうね。私は、龍谷大学の一教員として、生物多様性科学研究センターのプロジェクトの末席にいるので、とても気になっています。「流域ガバナンス」の観点から、この参加型環境DNA調査が展開していくことを期待しています。
むらづくりの村人にとっての「意味」
■昨年、高島市朽木椋川を訪問したときのことを、このブログの投稿でも報告いたしました。以下の2つの投稿です。
炭焼きのこと
第18回おっきん!椋川
■椋川を訪問した際に、大変お世話になった高島市市会議員の是永宙さんから、昨日、メッセージが届きました。「令和2年度ふるさとづくり大賞(総務大臣表彰)を受けたことから、昨年『おっきん!椋川』の時に取材を受けました。その時の動画が配信されていますので、良かったらご覧ください」。早速拝見いたしました。皆さんも、まずはご覧いただき、「おっきん!椋川」というイベントのことをご理解いただけるとありがたいです。
■動画の中で、集落のリーダーのお1人であり、このイベントを開催している「結いの里・椋川」会長の井上四郎太夫さんは次のように語っておられます。
最初、これやろうという時、(他所からやってこられたお客さんに)集落の中をあっちに行ってこっちに行ってと買い物に歩かせるのは失礼ではないか。一つの場所にまとめたほうがいいのではないかという意見があったが、お客さんは商品だけが目的ではなく田舎の空気や雰囲気を求めている。
■私も実際に集落の中を歩きましたが、歩くこと自体が気持ちが良いのです。このイベントを楽しみに毎年リピーターとしてやってきてくれる人びとは、おそらく町場や都会に暮らしておられるのでしょうが、そういう方たちには、山里の中を歩いてみること自体が楽しみなのです。「モノ」の購入だけでなく、「モノ」を生み出す背景に存在する文化や環境をも全身で感じとる気持ちになれることが大切なのです。
■ところで、このイベントには、集落外に暮らす子どもや孫の世代の皆さんもお手伝いとして参加されています。このイベントを支えておられるのです。イベントを手伝うことが三世代交流のきっかけになるだけでなく、地域の暮らしの文化を伝えていくことにもつながっているようです。それから、このイベントには、子どもや孫の皆さんだけでなく、滋賀県立大学の学生さんたちも参加されていました。山村の水田で水生昆虫の保全に関する研究をされているようです。これは推測でしかありませんが、自分が研究をしたいということだけでなく、水生昆虫が生息できるような水田を維持できる集落であるためには、こういったイベントに自分たちも参加して応援していくことが大切だ…と考えておられるのかな…ふと、そのように思いました。
■このイベントを企画したのは、この集落に移住してきた是永宙さんです。是永さんは、次のように語っておられます。
もともと村の人も自分たちが作っているものを売りたいというのはずっと前から思っておられて、僕がこっちに来て移住してから一緒に山仕事をしていたんですけど、その時も村の方が「近所で朝市をされている所があるので、あんなことをやりたいんやけどな〜、でもそんな場所もないしできんよな〜と」いうような話をされていて、それなら僕が言い出しっぺになりますのでやりましょうよと。その時は、村の中ではなく国道の入り口の方までモノを持って行って、モノを売るというところから始まりました。
■しかし、集落の中には反発もあったようです。イベントの継続に対する反発です。「なんでこんな面倒なことをするんだ」という地域の人の声が常にあったからです。是永さんは地域の皆さんのやる気を引き出すために試行錯誤されたようです。ちょうど10回目の時に日本で初めて特別警報がでた台風がやってきて椋川も大変な被害を受けました。そのようなこともあり、「今年は『おっきん!椋川』ができるかどうか」と心配されました。そして、開催するかどうかについて集落の会議で相談をしたら、「やったらいいやんか」とあっさり意見が出てきたというのです。あれだけ反発があったにもかかわらずです。是永さんのお話では、外部の方達(おそらくイベントのリピーター)が椋川の被害のことを心配して連絡を取ってこられたというのです。その時は、ちょうどイベントを10年継続してきた時期で、「おっきん!椋川」のことを楽しみに待っている人が多数おられたのです。そのような集落の外からの声が、「なんでこんな面倒なことをするんだ」という反発ではなく、「やったらいいやんか」という前向きな気持ちを生み出したのです。
■ここで重要な事は、「意味」です。災害の被害を心配した集落外の皆さんの声があったことで、「なぜこのイベントを継続しなくてはいけないのか」という問いに対して、集落内の人びとが納得できる「意味」が共有されたのではないかと思うのです。この点が重要かなと思います。イベントを継続することの中で蓄積された、集落の外部の人びととの信頼関係(架橋型社会関係資本)と集落内で強化された連携(結束型社会関係資本)とが、この「意味」を媒介として連関しているところがとても重要かと思います。そのことにより、このようなイベントを継続していくことの「有効性感覚」を集落内で醸成できたのではないかと思います。
■イベントを継続することで蓄積された集落外部との信頼関係や集落内の連携が基盤となって、この集落の中にあった古民家が「おっきん椋川交流館」に生まれる変わることになりました。初めに交流館があって活動が始まる…のではなく(ハコ物作りからではなく)、活動の結果として交流館が生まれていることが大切かと思います。この施設を管理するために組織されたのが「結いの里・椋川」になります。今では、集落の50名に加えて、集落外から20名も参加され、合わせて70名で活動されています。その活動内容も「おっきん!椋川」の開催だけでなく、集落内の草刈りや水路整備までにおよんでいるようです。
■椋川には、昨年の秋にお邪魔してお話を伺わせていただきましたが、コロナ感染が少し収まった段階で、再びお邪魔させていただきたいと思っています。
【追記】■関連する内容のことを、以前、「生物多様性と集落のしあわせ-農村活性化における生物多様性の意味-」(『農村計画学会誌』35巻4号)という特集論考を書きました。その論考の骨子をもとに、椋川の事例について考察してみました。このあたりのことは、来年度、論文化できれば良いなと思っています。