終戦の日の「トウモロコシご飯」

20150816gohan.jpg▪︎昨晩は、我が家の夕食に「トウモロコシご飯」が出ました。非常に美味しくいただきました。私にはめずらしく、おかわりをしました。作り方は以下の通りです。炊き上がりに、バターを混ぜて、黒胡椒をかけると、美味しさが引き立つようです。

(1)トウモロコシを横に半分に切る。
(2)トウモロコシの粒を包丁でこそげ落とす。
(3)洗ったご飯と敵量の水を炊飯器に入れ、そこにトウモロコシの芯と粒を入れる。
(4)豆ご飯のように塩と酒で味を調整して、炊飯器のスイッチを入れる。
(ちなみに、芯は、香をつるために入れます。食べるときは、取り除きます。)

▪︎私は、第二次世界大戦後の1958年に生まれました。その2年前、1956年に経済企画庁が発表した『経済白書』の「日本経済の成長と近代化」に「もはや戦後ではない」という記述があったことから、その言葉は当時の流行語になりました。よく知られていることですね。前年の1955年には、戦前のGNPを超えていました(当時はGDPではなくGNPが経済指標だった)。日本の社会は、一定の経済的な豊かさを回復したのです。私の子ども時代、まだまだ食事の内容は質素でしたが、とりあえず、庶民の家庭でも3食の食事をすることはできました。ですから、いわゆる「ひもじい」という思いをした記憶はありません。しかし、戦中戦後の食料事情については、両親にいろいろ聞かされました。トウモロコシにしても、昨晩の「トウモロコシご飯」のように、美味しくいただけるわけではありません。むしろ、米の代用食としての役割が大きかったと思います。トウモロコシの粉で作った美味しくないパンだとか…。まあ、私たちの世代は親の世代からいろいろ聞かされて育ちました。

▪︎亡くなった父は、戦争が終わったとき、神戸にある高等商船学校(戦後は神戸商船大学に、現在は神戸大学の海事科学部)の学生でした。学生は寮生活だったようですが、当時の「ひもじさ」について、子どもの頃に何度も聞かされました。当時、もちろんことながら肉など食べられなかったので、皮のベルトをしがんで、肉の味を想像したとか…。そういえば、父は「すき焼き」が好きでした。末期の肺癌で苦しんでいるときも、自宅に戻ることができたときは、「すき焼き」を食べたがりました。もちろん、体力がないので、少ししか食べられませんでしたが、それでも満足したようでした。終戦の日、両親から聞いた話しを思い出しながら、そして亡き父のことを思い出しながら、妻が作ってくれた「トウモロコシご飯」を美味しくいただきました。

サーバーの停止

▪︎電気設備点検に伴う停電のため、学部のサーバーも停止していました。13時過ぎに復旧しました。

2015「なら燈花会」

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▪︎昨晩、妻に誘われて初めて「なら燈花会」に行ってみました。このイベントは、1999年から始まったといいますから、すでに17回目になるのですね。奈良には、30年ほど暮らしていることになりますが、あまり奈良のことを知りません。新しい華やかなイベントですが、その奥には「渋い奈良」が見え隠れしていました。

▪︎ちなみに、昨日は「燈花会」の最終日でした。「最終日だから、行ってみよう」という妻に誘われて出かけました。写真を少し説明します。「なら燈花会」は、10カ所の会場に分かれて開催されました。全ての会場をまわれませんでしたが、東大寺鏡池→春日野園地→何春日野国際フォーラム→浮雲園地→浅茅ヶ原→浮御堂→猿沢池→興福寺の順番でまわることができました。ものすごい人出で驚きました。ボランティアの方たちの力で毎年開催される「燈花会」、素晴らしいイベントです。なんですが、私は、少々疲れてしまいました。トップの写真は、興福寺の南円堂です。燈花会とは少し離れたところに、この建物に渋い奈良らしい魅力を感じました。主観的なものでしかありませんが、奈良の魅力って、そういう「控えめ」なところにあると思います。ちょっと「大人向き」の街だと思います。

子どもたちの思い出…

20150814children.jpg▪︎ひとつ前のエントリーにも書きましたが、夏期休暇中に、家のなかの「断捨離」を行っています。昨日は、押入れにつまっていた子どもたちの物や、クローゼットの肥やしになっていた自分の服を「断捨離」しました。「断捨離」をすると、自分のものに関しては自分の「アホさ加減」がよくわかります。まだ、「断捨離」しないといけないものが多数あるのですが、それは夏期休暇中に取り組もうと思っています。若い頃は、「これは将来使うかも…」と思って、引越しするときにもずっとキープし続けてきましたが、年をとると、もう自分の人生の終着点が朧げながらも見えてくるので、捨てることに、以前ほどには戸惑いはなくなります。とはいえ、書籍に関しては、なかなか決断ができません。これでも、捨ててきたんですけど〜。

▪︎問題は、自立して家を出た子どもたちが残していったものです。押入れのなかに、いろいろ残っていました。本人たちは、とうの昔に忘れてしまっているのですが、親が残しておこうと思った…といいますか、捨て難かったものでしょうか。まず、壊れてしまっているようなオモチャは「断捨離」しました。ぬいぐるみも。しかし、この写真のようなものは、なかなか「断捨離」しづらいものがあります。これは、長女と長男が小学生のときに使っていたランドセルと、幼稚園のときに使っていた上履きとカバンです。ランドセルの皮は、少しヒビが入っていますね。でも、このランドセルの類も今回は、写真を撮って「断捨離」しました。あとは、子どもたちが帰省したときに確認すべきものだけになりました。

▪︎私たちは、様々なモノに囲まれて暮らしています。それらの多くは、基本的には、大量生産・大量消費・大量廃棄を前提に生産されています。私たちのライフスタイルは、壊れたものや必要なくなったものを、どんどん廃棄していくことが前提になっています。「断捨離」という実践は、このような大量生産大量消費とどういう関係にあるのでしょう。「うまくいけば」ではありますが、うまくいけば私たちのライフスタイルを反省するチャンスになるのかもしれません。限定された「これだけのもの」でも、生きていけるのだ…ということが確信できれば…ですが。もちろん、物だけでなく、人びととのつきあいや関係も含めてです。とはいえ、やはり「断捨離」という実践が可能性をもつとすれば、それは、どのような社会観や人間観が前提となっているのでしょうか。そのあたりが、ちょっと気になりました。

衣服のリサイクル

20150814recycle.jpg▪︎夏期休暇中に我が家の「断捨離」に励んでいます。といっても、まだ1日目ですが…。クロゼットのなかで、着ないままぶら下がっていた、昔のスーツやスラックスなど、「断捨離」することにしました。どうするのかといえば、衣服のリサイクルショップに引き取ってもらいました。ゴミ捨て用の大きなビニール袋に7袋。そのうちの4袋が、私が着ていたものです(残りは妻のもの…)。しかし、あらためて「断捨離」を決行してみて、わかりました。本当に、記憶にないような服まで、大事にクロゼットのなかにしまっていました。衣服に限らず、いろいろ「棚卸し」をして「断捨離」をしなくてはと思いました。なんといいますか、「断捨離」には変な力があるので、そこに引き込まれないようにもしなくては…と思います。「断捨離」自体が目的になってしまっては、意味がありません。また、そもそも「断捨離」しなくても良いようなライフスタイルを維持することが本当は大切なのだと思います。難しいところです。

▪︎さて、夫婦でリサイクルショップにもちこんだ衣服は、どのような経路でリサイクルされるのか、興味がありました。お店のなかには、男性、女性、子供向きの古着が売られていました。おそらくは、持ち込まれたもののうち、再びうることのできるやつは、店頭に売られることになるのでしょう。しかし、売られているのは、男性のばあい、Tシャツ、ポロシャツ、ジーンズ…といったカジュアルなものがほとんどでした。たしかに安いわけです。普段着、家のなかでの衣服であれば、わざわざ高い新品を買わずに、このようなリサイクルショップで売られているものですませる…というのもひとつの考え方かもしれません。

▪︎ところで、私がもちこんだスーツやスラックスなどは、店頭には向かわずカゴ台車のなかに「ドン!」と置かれました。これは、これからいろんな衣装と一緒に圧縮梱包され、船で海外に送られることになります。圧縮梱包する工場が、国内に2箇所あるのだそうです。海外に送られた衣服は、着るニーズのあるものは再び売られ、ニーズのないものは工業用の雑巾(ウエス)になり、ウールなどはフエルトなどに加工されるのだそうです。こういうシステムが私の着ていたスーツやスラックス、クリーニングもしてありましたが、どうなるんでしょうね〜。こういうふうに「どうなるんでしょうね〜」と思うところが、まだ「断捨離」初心者なのかもしれません。ところで、リサイクルショップに売った衣服の代金は、結局、1,300円程になりました。もちろん、重さでの買取です。

▪︎私がもちこんだリサイクルショップとは異なる、どちらかといえば高級衣料のリサイクルショップが、やはり自宅の近くにあります。お店のショーウインドウを拝見すると、なんだかブティックのような感じです。私が住んでいるのは都市郊外の住宅地です。あまり地域住民の横の「つながり」がありません。「買ったけど気に入らない衣服」、「少し流行遅れになってしまった衣服」、「高かったので捨てるにはもったいない衣服」などが、おそらくはクロゼットにぶらさがっている御宅がたくさんあるのだと思います。しかし、「つながり」がないから、お互いに譲り合うようなこともありません。そういうこともあって、この小さなブティックのようなリサイクルショップは、けっこう流行っているのです。「市場価値」は十分にありながらも、人の横の「つながり」がないために、それぞれの住宅のクロゼットや箪笥のなかに眠っている行き場のない「資源」(衣服)を掘り起こしているかのようです。しかも、利用者からすれば、自宅の近くにあって手軽に利用できるわけです。おそらくは、市街地ではなく、こういう郊外の住宅地のなかにあるというところが、強みなのだと思います。ここには、海外に送るリサイクルショップとはまた別の仕組みができあがっています。

【追記】▪︎この小さなブティックのようなリサイクルショップについて考えているとき、頭のなかに「都市鉱山」という言葉が浮かびました。都市で廃棄されるもののなかには、パソコンや携帯電話など、市場価値の高い、レアメタルなどの有用な資源が含まれています。その資源を、鉱山にみたてて、「都市鉱山」というのです。日本では、廃棄されたもののなかに眠っている鉱物資源を回収するリサイクルの仕組みが存在しています。たとえば、2013年に施工された「小型家電リサイクル法」などがそうでしょう。

廃棄された携帯電話やパソコンの部品から希少資源を回収するなどの対策が進められており、都市鉱山という概念が再評価されている。

伊藤英夫展(一宮市三岸節子記念美術館)

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▪︎一宮市。名古屋市から岐阜市に向かう途中にあります。関西の人間は、濃尾平野の地理に詳しくないものですから…。なぜ、調べたのかというと、ここに「一宮市三岸節子記念美術館」があり、そこで、私が大好きな絵本、『けんかのきもち』の画家・伊藤秀男さんの展覧会が開催されているからです。今年の夏休みのプチ旅行に、行ってみようと思っています。ここだと近いし。

▪︎美術館の名前に、「三岸節子」という名前が入っています。三岸節子(1905〜1999)は、愛知県起町(後の尾西市。現・一宮市)出身の画家です。彼女を記念して開設された美術館です。特別展の「伊藤秀男展」と同時に、常設展では「三岸節子 鮮麗なる色彩」という展覧会が開催されています。お目当ては、特別展の「伊藤秀男展」でしたが、常設展の方も楽しみになってきました。

JR湖西線

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▪︎2つ前のエントリー「湖西の小河川」では、小鮎やハスをつかまえたことを書きました。この写真は、そのときに写したものです。最近、一眼レフカメラを持ちあらかなくなりました。ひとつは、歳をとって重いカメラをもつことが辛くなってきたから…でしょうが、もうひとつには、通常はiPhone6 plusで十分に事足りるようになってきたからです。iPhoneのカメラの性能がアップしたんですね。とはいえ、性能がアップしたとしてもiPhoneのカメラでは辛いなと思うことがあります。たとえば、今回のエントリーのような写真です。

▪︎何を撮ろうとしたのかといえば、JR湖西線を「特急サンダーバード」が走っていたので、景色と一緒に撮りました。しかし、どこに「サンダーバード」が走っているのか、よくわかりませんね。山裾を走っているんですけどね〜。大きくズームアップして琵琶湖と一緒に写したかったのですが、この距離だと、iPhone6では無理です。もちろん、一眼レフカメラをもっていませんでした。場所は、JR湖西線の北小松駅に近い、湖岸です。この写真では、半島のように見えますが、山裾が琵琶湖にまで迫っているようにみえるあたりを経由してJR湖西線は北上し「近江高島」駅に向かいます。写真の一番右、山裾が琵琶湖に迫っているところの、琵琶湖には「白髭神社」の鳥居が確認できます。ちょこっと…琵琶湖から突き出ているのが、鳥居です。この白髭神社の少し東の方には、伊吹山が見えるはずなのですが、「特急サンドーバード」を撮るときには見えませんでした。下の写真は、夕方近くになり、なんとか確認できた伊吹山です。ちょっと拡大してみました。ぼやっと、山の輪郭が確認できます。
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▪︎せっかくですので、以前、アップした白髭神社の写真もアップしておきます。
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安定同位体による魚の耳石の研究

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▪︎私は、30歳代の頃からずっと、自然科学分野の研究者と一緒に、環境(環境問題)に関わる様々な研究プロジェクトに取り組んできました。そのようなこともあり、私は、社会学の「業界」だけで仕事をされてきた多くの社会学研究者の皆さんとは、ずいぶん異なる研究経過を歩んできました。今日のエントリーも、そのようなことと関係しているのかもしれません。さて、この写真の機械ですが、「安定同位体」を測定する機械です。そうすると、「安定同位体」とはなにか…ということになりますね。「門前の小僧習わぬ経を読む」的な感じではありますので(多少は自分でも勉強しましたが…)、怪しいところが多々あるのですが、少しだけ説明をさせてください。

▪︎この世界は、様々な元素からできあがっています。元素の最小は原子ですし、その原子は、原子核と電子からできており、さらに原子核は陽子と中性子からできています(このあたりは私のばあい高校までの知識でも大丈夫です)。ところが、同じ元素でありながら(同じ性質をもちながら)、中性子の数が違うため、重さの違う原子がこの世の中には存在しているのです。これを「同位体」と呼んでいるそうです(このあたりにくると、私の時代の高校までの知識では、ちょっとあやしくなってきます)。さらにこの「同位体」は、放射能を出して別の元素に変化していく「放射性同位体」と、時間が経過しても安定したままの「安定同位体」にわけられます。自然界には、大変微量ではありますが、通常の原子とは重さの異なる「安定同位体」が存在しています。親しい研究者が、講演用のパワーポイントを使って私にこんなたとえ話をしてくれました。

▪︎「女子マラソンに野口みずき選手がいるでしょ(パワーポイントは、野口選手がアテネオリンピックでゴールする写真)。安定同位体の分析ってていうのは、フルマラソンにたとえれば、彼女の42.195kmの最後の数センチを測定しているようなものなのです。それほど微妙な量を測定できるのです」。う〜ん、わかったようなわからないような…。「重さ」を「長さ」に置き換えてあるわけですが、大変微妙なものでも測定できるだけの技術がすでに存在していて、それがバンバン研究に使われている…ということなのです。非常に微妙ではありますが、安定同位体は自然界のどこにでも存在しています。それぞれの場所で、通常よりも重い「安定同位体」が、極々わずかに存在しており、通常の重さのものとの比率を調べることで、いろいろなことがわかってきます。

▪︎安定同位体は、私たちも含めて、あらゆる生物に取り込まれます。そして、体の一部になります(また、排泄されます)。脊椎動物には「耳石」と呼ばれる平衡感覚を保つために必要な組織が存在していますが、魚にもこの「耳石」が存在しています。「耳石」は、木の年輪のような模様があり、この模様が1日1本ずつ増えていきます。当然のことながら、この「耳石」には、その魚が成長した水域の環境のなかにある「安定同位体」が取り込まれることになります。「耳石」のなかには、その魚が成長した過程が「安定同位体」という指標によって記録されることになります。ここまでは、いろんな魚で研究されているところですが、私たちのプロジェクトでは、琵琶湖のニゴロブナに関して、この方法を使って研究を進めています。

▪︎「魚のゆりかご水田」プロジェクトでは、ニゴロブナが水田に遡上し、水田で産卵します。水田で孵化した仔魚の「耳石」には、その水田の「安定同位体」の比率が「記録」されることになります。そして、6月の中干しと呼ばれる作業と同時に、成長した仔魚は水田から琵琶湖に泳いでいきます。そして数年後、琵琶湖で成長したニゴロブナは再び水田に産卵のために遡上してきます。そのさい、捕獲されたニゴロブナの「耳石」に記録されている「安定同位体」比と、その水田の水環境の「安定同位体」比とを比較し、両者が一致するかどうかを調べることで、ニゴロブナが自分の生まれ育った水田へどの程度回帰しているのかがわかります。興味深い結果が出たらなあと思っています。また、そのような研究結果を、「魚のゆりかご水田」プロジェクトを推進している地域社会にとっての意味、社会的努力が可視化されることの意味を考えていかねばなりません。

▪︎サイエンスは、ある意味、大変シンプルです。サイエンスでは、シンプルで力強いことが大切だと思います。それに対して、社会学は…。おそらく、自然科学分野の人たちからすると、社会学は大変わかりにくい学問領域かと思います。しかし、私たちの研究プロジェクトのように、流域全体の環境保全を「超学際 Transdisciplinarity」的に進めていく研究プロジェクトにおいては、自然科学だけでなく、社会科学や人文学との連携が不可欠な状況が生まれています。このあたりは、自然科学分野の方たちの方が、大変貪欲です。課題解決志向の科学的研究に積極的に取り組もうとされています。そのような「超学際 Transdisciplinarity」的研究領域で、自然科学との連携に積極的なのが環境経済学の分野の方たちかと思います。私が参加している地球研のプロジェクトでも、メンバー有志で、国の機関( JST科学技術振興機構)が進める「超学際 Transdisciplinarity」の研究分野に、新たに応募しました。環境問題に関連する環境科学の学問領域は、その編成自体が、どんどん変化しつつあります。おそらく、従来の社会学の立場からすれば、このような問題解決志向の「超学際 Transdisciplinarity」的研究は、新たな道具的理性として批判の対象になるのかもしまれせん。しかし、私自身は、巷に流布する批判の形式に安易に便乗することなく、もっと深く建設的な議論していく必要があります。

【追記】▪︎生物の体を構成しているのは、基本的に、水素(H)、炭素(C)、窒素(N)、酸素(O)、イオウ(S)といった元素です。これらの元素の「安定同位体」を用いた研究が、生態学や地球化学の分野で行われています。ところが、生物にとって同様に重要な元素リン(P)については、「安定同位体」がありません。しかし、私たちの研究プロジェクトでは、その代替的な方法として、「リン酸-酸素安定同位体」を用いた研究を進めようとしています。いろいろ困難な課題があるのですが、それについても見通しがたってきました。河川や湖沼等の淡水域の環境においても、リンの循環を把握できる方法に見通しがたってきたのです。言い方を変えれば、何に由来するリンであるのか、その起源を探ることができる(トレーサビリティ)技術が開発されようとしているのです。このような技術で明らかになる科学的事実は、社会科学分野の研究や、私たちの研究のキーワードである流域ガバナンスに活かされていくことになります。

湖西の小河川

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▪︎夏期休暇に入り、大学の研究部の仕事からも解放され、やっとこのサイトの名称に相応しい(?!)内容のエントリーが続くようになりました。なんだか本来の自分を取り戻しているようで嬉しいです。そのような状況になったところで、参加している総合地球環境学研究所の若い研究者(PD研究員)の浅野さんから、「湖西に、魚好きの家族と一緒に魚釣りにいくんですが、一緒に行きますか?」とお誘いを受けました。もちろん、学術的な調査などではなくて、純粋の息抜きに行きませんかというお誘いです。私自身は、魚釣りよりも、「魚好きの家族」の方に惹かれて、参加してみることにしました。

▪︎昨日、12日の朝9時。集合場所は、JR湖西線の北小松駅でした。そこからは、浅野さん以外の研究員、上原さん、石田さん、そして中一のお嬢さんとお母さんの親子ペア=「魚好きの家族」、合計6名で、北小松駅の比較的そばにある、小河川が注ぎ込む砂浜に移動しました。トップの写真は、その砂浜から撮ったものです。この日は、幸いにも「ぴーかん」の快晴ではなく、少し曇りがちな天気でした。8月の真夏真っ只中、私のようなおじさんの身体には優しい天気でした。写真は、南向きです。湖西の山々のシルエットが順番に確認できますね。琵琶湖の水温は「緩い」という感じでしたが、それに対して流入する小河川の水温はかやり「冷たい」感じがしました。湖西には、ほとんど平地がありません。山から流れてきた水はすぐに琵琶湖に注ぎ込むことになります。北小松には水泳場があります。そのような水泳場や私たちの目的地である砂浜の砂も、湖西の、このような小河川が山から運んできたものかと思います。花崗岩に由来するものでしょう。小河川を歩いてみると、足の裏が痛くなります。砂礫が、まだ磨かれていないのです。そのような砂礫の小河川に、琵琶湖から小鮎やハスが遡上していました。
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▪︎最初は、若い研究員の3人は、琵琶湖で釣りをしていたのですが、すぐに関心は小河川の方に移りました。「魚好きの家族」のうち、中一のお嬢さんも含めて、みんなでタモなどで魚を捕まえ始めました。また、追い詰めたハスを手づかみで捕まえていました。若い方たちは、動きが俊敏ですね。私などのおじさんには、とても魚を素手で掴むことなどできません。研究員の浅野さんが手で捕まえた魚は、コイ科の仲間の「ハス」です。魚食性の魚です。この魚の特徴は口にあります。口の形が横からみると「へ」の字型になっています。小鮎などを捕食するために、口が、このような形に適応したのではないか…といわれています。私自身は、琵琶湖から一歩小河川に入っていくと、こんな別世界が待っていることにちょっと感動しました。

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▪︎昼食は、若いみなさんが捕まえた魚を塩焼きにしていただきました。「魚好きの家族」のお嬢さんも、包丁でハスのお腹をさばいて塩焼きの下ごしらえをしておられました。素晴らしいですね〜。このお嬢さん、そして彼女のお母さんは魚が大好きです。食べるのはもちろんですが、小河川で「ガサ入れ」をするのが好きなのだそうです。「ガサ入れ」とは、通常、警察が証拠を確保するために建物等に立ち入ることを言います。しかし、「魚好き」(淡水魚愛好家)のあいだでは、「ガサ入れ」とは川岸の水生植物の生えているあたりにタモ網を「ガサガサ」と突っ込み、タナゴのような小さな魚を捕まえる行為のことをいいます。「魚好き家族」の親子のお2人は、この「ガサ入れ」が大好きなのです。

▪︎若い研究員の皆さんが、魚に夢中になっているあいだ、私はお母さんに少しだけライフヒストリーをうかがってみました。お母さんは、八日市の田園地帯のなかでお育ちになりました。学校の行き帰り、いつも気になっていたのが、水田の水路にいる魚たちのことでした。もちろん、典型的な女の子の遊びをしないわけではありませんでしたが、お母さんは、弟さんと一緒に、魚とりに出かけて遊んでいたといいます。お母さんの魚好きは、大人になって、ご結婚されてからも続きました(ここが素晴らしい…)。今では、お嬢さんと一緒にで「ガサ入れ」に出かけておられます。そうやっているうちに、「ガサ入れ」仲間も増えていきました。魚好きの「おっさん」たちです。そのような、魚にワクワクしている大人たちと一緒に過ごしていると、お嬢さんにもそれが伝わっていくことになりました。「文化」とは、こうやって伝承されていくものなのだと思います。

▪︎以前、「自然が大好き、魚が大好き」だという親子の皆さんにお話しを伺ったことがあります。あるお父さんは、こう語っておられました。「子どものときに滋賀県に家族でキャンプにいきました。手でつかんだ魚のヌルッとした感覚やそのときの匂いを、今でもありありと思い出すことができます。そのとき、めちゃくちゃ感動しました。その感動を子どもたちに伝えたくて、家族でアウトドアを楽しむようになりました」。そのような内容の話しでした。魚を手でつかんだときの経験が、このお父さんの「自然観」を形成するうえで大変重要な契機になっていることがわかりました。

▪︎こうやって遊びを通して、流域に「深くかかわっている」方たちがたくさんいればいるほど、流域の環境は保全されていく可能性が高まっていくことになる…、私はそう確信しています。もちろん遊びだけでなく、いろんな「アプローチ」から、そしていろんな「立場」から、「深くかかわっている」人びとが大勢いることが大切なのです。問題は、「深くかかわる」とはどういうことなのか…ということでしょう。それについては、また別の機会に述べたいと思います。

ぼてじゃこトラスト「滋賀の川遊び、雑魚捕り文化を次世代に繋げよう!!」

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◾︎「ぼてじゃこトラスト」主催のイベントです。「ぼてじゃこトラスト」設立20周年の記念イベントです。20周年、素晴らしいです。なかなかここまで活動を続けることはできません。「夏原グラント」の助成記念パーティーで、「ぼてじゃこトラスト」の武田さんや秋山さんとお話をしましたが、今後は、後継者をどのように育成していくのかが、課題となっているようです。私も、総合地球環境学研究所のPD研究員であるAくんと参加する予定です。基調講演の嘉田さん、「ホタルの学校」の荒井さん、旧知の皆さんが集まられます。

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