終戦の日の「トウモロコシご飯」

20150816gohan.jpg▪︎昨晩は、我が家の夕食に「トウモロコシご飯」が出ました。非常に美味しくいただきました。私にはめずらしく、おかわりをしました。作り方は以下の通りです。炊き上がりに、バターを混ぜて、黒胡椒をかけると、美味しさが引き立つようです。

(1)トウモロコシを横に半分に切る。
(2)トウモロコシの粒を包丁でこそげ落とす。
(3)洗ったご飯と敵量の水を炊飯器に入れ、そこにトウモロコシの芯と粒を入れる。
(4)豆ご飯のように塩と酒で味を調整して、炊飯器のスイッチを入れる。
(ちなみに、芯は、香をつるために入れます。食べるときは、取り除きます。)

▪︎私は、第二次世界大戦後の1958年に生まれました。その2年前、1956年に経済企画庁が発表した『経済白書』の「日本経済の成長と近代化」に「もはや戦後ではない」という記述があったことから、その言葉は当時の流行語になりました。よく知られていることですね。前年の1955年には、戦前のGNPを超えていました(当時はGDPではなくGNPが経済指標だった)。日本の社会は、一定の経済的な豊かさを回復したのです。私の子ども時代、まだまだ食事の内容は質素でしたが、とりあえず、庶民の家庭でも3食の食事をすることはできました。ですから、いわゆる「ひもじい」という思いをした記憶はありません。しかし、戦中戦後の食料事情については、両親にいろいろ聞かされました。トウモロコシにしても、昨晩の「トウモロコシご飯」のように、美味しくいただけるわけではありません。むしろ、米の代用食としての役割が大きかったと思います。トウモロコシの粉で作った美味しくないパンだとか…。まあ、私たちの世代は親の世代からいろいろ聞かされて育ちました。

▪︎亡くなった父は、戦争が終わったとき、神戸にある高等商船学校(戦後は神戸商船大学に、現在は神戸大学の海事科学部)の学生でした。学生は寮生活だったようですが、当時の「ひもじさ」について、子どもの頃に何度も聞かされました。当時、もちろんことながら肉など食べられなかったので、皮のベルトをしがんで、肉の味を想像したとか…。そういえば、父は「すき焼き」が好きでした。末期の肺癌で苦しんでいるときも、自宅に戻ることができたときは、「すき焼き」を食べたがりました。もちろん、体力がないので、少ししか食べられませんでしたが、それでも満足したようでした。終戦の日、両親から聞いた話しを思い出しながら、そして亡き父のことを思い出しながら、妻が作ってくれた「トウモロコシご飯」を美味しくいただきました。

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