韓国出張1日目-ソウルに到着-

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■昨日、韓国の出張から帰国しました。前回のエントリーにも書きましたが、韓国の韓瑞大学と一般協定を締結するにあたり、事前協議を行うことが今回の出張の目的でした。後日、別のエントリーで報告しようと思いますが、2日目には、韓瑞大学の咸基善・総長との協議も無事終えることができました。今回のエントリーは、韓国に到着した1日目のものです。ソウルの中心市街地には昼過ぎに到着。さっそく街中に昼食に出て散策をしました。

■トップの写真は、ソウル市役所前の広場で撮ったものです。社会福祉学を専攻するO先生やY先生(今回の訪韓の主役)と、私たちにアテンドしてくれた社会学研究科に在籍する韓国からの留学生お2人です。お2人とも韓瑞大学の出身者です。韓瑞大学は、ソウルから高速道路で約2時間程はなれた忠清南道瑞山市にあります。お2人も瑞山市にお住まいですが、今日は、私たちをソウルまで出迎えにきてくれました(ありがとう!!)

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■左の写真は、ソウル市役所です。古い建物の後ろに、近代的なガラス張りの建物が確認できます。前の古い方は、日本統治時代に建設された旧・市役所庁舎です(1926年に京城府庁舎として建てられました)。現在は、「ソウル図書館」として利用されています。背景の巨大な建物が、現在のソウル市役所です。他の皆さんと一緒に団体行動でしたから、この2つの建物のなかには入ることができませんでした(ちょっと残念…)。

■写真の右側は、街中を流れる清渓川(チョンゲチョン)です。wikipediaからの説明を引用します。

李氏朝鮮初期以来、周辺住民の生活排水が流入する下水道代わりの川として利用されており、浚渫・護岸工事が、たびたび行われている。1950年代から1960年代の韓国の経済成長・都市開発に伴いさらに水質汚濁が悪化し、また川岸に朝鮮戦争の避難民などがスラムを形成していた。このためソウル市当局は清渓川を暗渠化し住民を強制移住させるとともに、暗渠の上を通る清渓高架道路を1971年に完成させた。
その後、2000年代に入り市民の署名などにより清渓川復元の世論が高まったことを受け、2003年7月から2005年9月にかけ老朽化が問題となっていた清渓高架道路の撤去と同時に河川の復元工事が行われた(全長約5.8km)。河川の清掃・地下鉄駅舎等から出る地下水を放流するなどの水質浄化対策や親水施設の整備を行った結果、市民の憩いの場となった。
交通事情を考慮して周りの主要道路などの拡張整備を行ったため、清渓高架道路を撤去した後でも交通問題は生じていない。

■この清渓川の再生事業に関しては、表面的な評価はできても、なたなか難しいものがありそうです。ここでは、これ以上、触れることはできませんが、国際的にも高い評価がある一方で、環境、歴史、政治、財政…様々な観点から、じつにいろんな批判が行われているようです。

清渓川(チョンゲチョン)復元事業
清渓川のすがすがしい流れに潜む影

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■さて、この清渓川のまわりの地域ですが、東大門のあたりでは繊維街になっています。平和市場と呼ばれています。そこにかかる橋に、全泰壱(チョン・テイル)の像がおかれています。全泰壱は、韓国の労働運動家です。軍事独裁下の時代、この繊維街では、多くの労働者が劣悪な労働環境で働かされ続けていました。大邱の貧しい家庭に生まれた17歳の少年であった全泰壱も、ある縫製工場に就職し働くことになるのですが、労働運動に懸命に取り組み、会社から解雇され警察にも弾圧されます。そして、1970年11月13日に、抗議の焼身自殺を行うのです。それから、35年後の2005年、復元工事がおこなわれた清渓川にかかる橋に像が置かれ、9月30日は除幕式が行われました。また、この像がおかれた全泰壱通りの竣工式、11月12日に行われました。その場所には、市民のメッセージが書かれた銅板が橋に埋め込まれています。

全泰壱
「われわれは機械ではない」全泰壱(チョン・テイル)の叫び

■「清渓川」と「全泰壱」、いっけん関係がないようですが、両者からは、韓国そしてソウルの近現代史のなかに埋め込まれた積み重なった社会の「記憶」の地層が見え隠れしてきます。以前、「負の遺産」や「記憶」の問題に取り組んだことがあります。ソウルという都市の再開発とこのような負の記憶の問題の関係からは、研究の観点からもおおいに展開の可能性があるように思います。時間的・精神的に余裕があれば、もっといろいろ調べてみたいなあと思いますが…どうだろう。

■さて、ソウルの街を散策するまえに、辛い辛い韓国料理をいただきました。イイダコの辛炒め…って感じの料理です。留学生のお1人が、手慣れた感じでお皿に料理をとってくれました。これ以外にも料理を注文しましたが、この辛い料理以外の記憶があまりありません。それほど、辛かった…のです。韓国の一般的な感覚からしても、辛い料理だそうです。大変個人的な体質なのですが、辛いものを食べると、頭から(特に、毛髪の薄いところから)汗がドッと吹き出します。美味しいのですが、頭はまるでランニングをしてきたかのように汗でぬれてしまいました。

【追記】■いろいろ調べている過程で、あとで読んでみたい文献も偶然発見しました。備忘録として…。
韓国におけるタルトンネの価値転換と観光資源化 ― ダークツーリズム「第三の波」―

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