夜の深草

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■長い一日が終わりました。ちょっと、日記風に書いてみました。

■午前中は老母の生活介護でした。奈良の自宅から老母の家までは、電車とバスで2時間ちょっちとかかります。通常は週末に行くことにしているのですが、今月の週末は、入試、研究会議、雑誌の編集委員会…等々、すべて埋まっているため、ウイークディに行くしかありません。もちろん、介護保険のおかけで、毎日ヘルパーさんが食事づくり・洗濯・掃除等はやってくださいます。ということで、私は週に1回母親のところにいって、買い物をしにくいくことと、郵便物のチェック、それから神戸灘生協の宅配の注文票を書くだけですんでいます。視力の弱った母にかわって、宅配のカタログを読みあげ、母が「いる」といったもの(主に食料品)を注文票にチェックしていくのです。ただし、これからの季節は、車でガソリンスタンドに灯油を買いにいくことも加わります。こうやって、母の世話をしながら、「老い」についてどこかで学習しているのかもしれません。

■今日は、たまたまですが、若くて可愛らしい巡回看護師さんが来られていました。母の健康状態をチェックするために、定期的に来てくださるのです。これも介護保険のおかけです。看護師さんは、1日に4軒のお宅を巡回されるそうです。おばーさん(母親)の愚痴を聞かされると気分が落ち込みますが、若くて可愛らしい巡回看護師さんと世間話しをすると気持が和みます。はい、おじさんです、わたくし。

■午前中で生活介護をすませ、昼からは深草キャンパスの会議へ。会議は3つ。ところが、真ん中の、2つめの会議は、メールでの審議になったそうで・・・、そのことがメールで通知されていたそうなのですが・・・。無駄な時間が発生してしまいました。まあ、こんな感じで、とにかく一日が終了。キャンパスから京阪深草駅にむかう途中、iPhoneで写真を撮ってみました。今日は、月が大変きれいでした。こういうときは、街の表情もかわりますね。写真を撮っていると、大津エンパワねっとで頑張っていたKさんとすれ違いました。友達の家に遊びにいくのだそうです。楽しそうでした。

【写真上段・琵琶湖疏水沿いの民家】【写真下段左・深草の呑み屋】【写真下段右・京阪電車と稲荷山に昇った月】

『「富山型」デイサービスの日々 笑顔の大家族このゆびとーまれ』

20131115book.jpg ■来週の3年生ゼミでは、ゼミ生の1人が「富山型」デイサービスといわれるNPO法人デイサービス「このゆびとーまれ」について報告をする予定です。赤ちゃんからお年よりまで、障害があってもなくても一緒にケアする活動方式と、行政の柔軟な補助金の出し方を併せて「富山型」と呼ぶのだそうです。ネットには、以下のように紹介されていました

福祉施設と聞くと、お年寄りばかりがいる老人ホームのような場所を思いうかべる方もいると思いますが、このゆびとーまれ」は子どももお年よりも、中年の人も障害者の人も、「誰でも必要なときに必要なだけ利用」でき、施設らしさは全く感じられないところです。見学者から、「このゆびとーまれはなごやかな空気に包まれていて、まるで昔の大家族のよう」とよく言われます。
なお、2004年5月10日富山市茶屋町において、従来のデイサービスに加え、障害者も受け入れ可能なショートステイ(短期入所施設)、および痴呆対応型グループホーム、の3つの機能を併せ持った「このゆびとーまれ茶屋」が、2005年4月1日には従来のこのゆびとーまれの向いにデイサービス「このゆびとーまれ向い」がオープンしました。

■このNPO法人「このゆびとーまれ」の代表である惣万佳代子さんが執筆された『笑顔の大家族 このゆびとーまれ』が、今日、手元に届きました。目次をみてみると、最初に「どうして畳の上でしなれんがけ」とあります。自宅で最後を迎えることを望みながらも、それがかなわなかったトヨさんのお話しです。人の最後をトータルに支える仕組みが今の日本の社会にはきちんと整えられていないのです。

■今から4年前、1年の看病のあと父が亡くなりました。父は、病院で亡くなりました。本当は、安心できる自分の家で=畳の上で死にたかったと思います。その頃の記憶は、私の心のなかから消えません。毎日、心のかなで思い返します。なんら専門的な知識もないのですが、在宅終末ケアについて考えてしまいます。もちろん、きちんと勉強してるい時間はないのですが…。亡くなった岡部健先生からお聞きしたお話しつにいても(父が亡くなる前にある研究会でお聞きしました)、ずっと考え続けています。人の幸せは、人生の最後の瞬間できまるように思うのです。

■明日・明後日の流域管理に関する研究会があります。お仕事です。それが終ったら、一気に読んでみようと思います。

寧波大学訪日団の来学

20131114ningbo.jpg ■龍谷大学大学院社会学研究科では、「東アジアプロジェクト」に取り組んでいます。このプロジェクトでは、研究科の社会福祉学専攻を中心に、東アジアと連携し、グローバルな視野と共生の理念をもつ、これからの東アジアにおける次代のリーダー養成を目指しています。東アジアは各国の共通性として、急激な経済成長のもとで、少子高齢化、格差と貧困、等の社会福祉問題に直面し、社会福祉専門職への期待が高まっています。いままで、本学が構築してきた研究と、これからの東アジアにおける社会福祉モデルの研究を通し、日本、韓国、中国における若手研究者養成をはかっていくことを目指しています。今日は、そのような「東アジアプロジェクト」に関連して、中国・浙江省の寧波市にある寧波大学外語学院日本語学科の皆さんが来学されました。

■写真は、社会福祉学専攻の山辺朗子先生が、「日本の社会福祉支援の概要」というテーマで講義をしていただきました。私もいろいろ勉強になりました。講義のあとは、キャンパスツアーを行いました。瀬田キャンパス6号館にある社会福祉関連の実習室等を見学してもらいました。そして、龍谷大学大学院への留学に関する説明をさせていただきました。

名古屋で味噌煮込みうどん

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■今日は、朝一番に奈良の自宅を出て、愛知県のある大学に勤務されている方を訪問しました。環境経済学を専攻されているSさんです。じつは、これから動き始める流域管理に関する研究プロジェクトに、生態系サービスの経済的評価に関する専門家としてご参加いただきたく、愛知県まで出かけてお願いにあがったのです。Sさんの研究室では、プロジェクトの全体像や、その背景にある近年の世界的な研究のトレンドや環境政策の動向等についてご説明させていただきました。今回は、研究プロジェクトの仲間で、ともにプロジェクトのコアメンバーとして頑張っている京都大学生態学研究センターの谷内さんと一緒でした。谷内さんには、私の拙い説明をフォローしていただきました(谷内さん、ありがとうございます)。ありがたいことに、Sさんには、研究プロジェクトへのご参加を快諾していただくことができました。感謝!!

■本当は、せっかく愛知県まで来たのですから、もう少しウロウロしたかったのですが、谷内さんも私もそれぞれ午後から仕事があり、新幹線ですぐに戻らねばなりませんでした。ということで、せめて昼食ぐらいは「名古屋めし」…ということで、名古屋駅の地下街にある「山本屋本店」という店で「味噌煮込みうどん」をいただくことにしました。本当は、「ひつまぶし」をいただきたかったのですが、その値段に「これは、我々の昼食の値段ではない・・・」と腰が引けてしまい、結果、「味噌煮込みうどん」に落ち着いたというわけです。それでも、写真の「味噌煮込みうどん」、名古屋コーチンの鶏肉がはいったもので2,205円!! びっくりのお値段ですが、おいしくいただきました。

■ある方から教えていただいたのですが、「味噌煮込みうどん」には、名古屋ならではの食べ方があるのだそうです。調べてみると、①蓋をとって、それを小皿にして食べる、②卵は余熱で固めて後から食べる、③ごはんも注文し、まずはうどんから、そして味噌味のスープとごはんを一緒にいただく…これが、名古屋の「通」の食べ方なのだそうです。

環びわ湖大学地域交流フェスタ2013・地域連携活動ポスター発表

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■12月14日(土)に、龍谷大学瀬田キャンパスで「環びわ湖大学地域交流フェスタ2013」が開催されます。そのなかでは、「地域連携活動ポスター発表」の部が設けられています。ゼミで行っている「北船路米づくり研究会」でも、このポスター発表に応募しようと考え、学生に紹介したところ、2名の学生が意欲を示したので、その学生たちを中心にポスター作成に取り組んでもらうことにしました。龍谷大学社会学部では、様々な地域連携事業に取り組んでいます。たくさんの取組が、ポスターで知られることになればと思っています。

里芋=龍大芋の収獲

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■「北船路米づくり研究会」の報告です。昨日(10日)は、午前中、北船路の棚田にある畑で里芋を収獲しました。春に里芋の種芋を畑にうえたのですが、今回は2回目の収穫になります。参加者は、4年生のIさんと3年生のTくんです。Tくんは、研究会の次期リーダーが決定しています。責任感をもって、そっせんして収穫作業に来てくれました。

■写真について説明します。【上段・左】なにやら草原のように見えますが、ここは畑です。雑草よけようのマルチシートをはがしているところです。【上段・右】里芋畑は、比良山系・蓬莱山麓の棚田のなかにあります。比良山系の紅葉も最後かな…という雰囲気ですね。この日は、空気が大変澄んで気持ちが良かったです。【中段・左】掘り出した里芋です。親芋の周りに、小さな里芋がたくさんできています。【中段・右】収穫した里芋です。どうです。まるまると肥えた里芋です。1回目に収穫した里芋は、京都の飲食店にも出荷されましたが、粘りがあって味も濃く、大変好評です。【下段・左】収穫作業中のIさんとTくん。【下段・右】収穫した里芋には、湿った泥がついていますので、出荷できるように少し乾かしているところです。

■里芋の収穫は、あと1回くらいでしょうか。今週末、16日(土)には「北船路米づくり野菜市」が大津市の中心市街地にある丸屋町商店街で開催されます。今回の目玉商品は、この龍大芋(里芋)になります。よろしくお願いいたします。

「チーム・利やん」のランニング講習会

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■そもそも、自分自身では、マラソンを走ろうなんて気持は、これっぽっちも、小指の先ほどもありませんでした。5年前のことになりますが、長年通い続けている大津駅前の居酒屋「利やん」 のマスターに、「俺な~、いつかフルマラソン走ってみたいねん。急には走られへんから、その前に、こんど滋賀県で開催される『びわ湖レイクサイドマラソン』に出ようと思っているんやけど、一緒に出てみいひん」と誘われたのでした。最初は、冗談でしょ…そんなの無理…と断り続けていたのですが、とうとう押し切られて「なんちゃってランナー」になって15kmに出場することになりました。そして「利やん」のマラソンチーム「チーム・利やん」が誕生したのでした。マスターと常連のお客さんからなるマラソンチームです。第1回~3回までは、大会の直前だけ練習していました。当然のことながら、記録は惨憺たるものでした。チームのなかでは最下位。ところが、昨年から私の人生は大きく変わることになりました。

■私が「なんちゃってランナー」をしていることを知った龍大職員のHさんが、「せんせー、私が指導しますから、フルマラソン走りましょう」と言われたのでした。そして、Hさんの熱意に惹きつけられるように、とうとうフルマラソンを走ることになったのでした。フルマラソン完走に向けて練習をしていたので、第4回「びわ湖レイクサイドマラソン」15kmの記録は、一気に15分も縮まることになりました。昨年からは、「チーム・利やん」のキャプテンも務めているので、その責務も少は果たせたかな…と思っています。

■ところで、今年も第5回「びわ湖レイクサイドマラソン」のエントリーの時期がやってきました。エントリー開始は11月1日でした。短期間で申し込みがいっぱいになります。ということで、今年もキャプテンとして、あらかじめ「チーム・利やん」のメンバーに連絡をしてきちんとエントリーしていただきました。今回は、チームメイトも増えました。新しく龍大職員のOさんと、「利やん」のお客さんYさんが加わったのでした。皆さんがエントリーをすまされたころに、私の方からOさんにお願いをして、「ランニング講習会」を開催することにしました。Oさんは、ベテランランナー(最近は、もっぱらトレイルランをされていますが)であり、しかもスポーツ指導のご経験もながいことから、今回、講師役をお願いしたのでした。

■昨日(10日)の午後、大津市の琵琶湖湖岸にある「なぎさ公園」で、第1回の「ランニング講習会」を開催しました。チームメイトの都合があわず、参加者は私も含めて4人。講師役のOさん、職員のMさん、「利やん」のお客さんYさん、そして私の4人でした。講習会の内容は、柔軟テスト、ストレッチの実技、そして合同ランニングです。講師のOさんは、じっくり時間をかけて大変丁寧にご指導くださいました。心から感謝です。トップ写真の上段は、そのときの様子を撮ったものです。昨日の湖岸は、ランニングはうってつけでした。じつに気持よくみんなで走ることができました。

■講習会のあと、Mさは用事があるということで先に帰宅されましたが、残った3人で街中にある銭湯につかって汗を流し、そしてその後は「利やん」で交流会をもちました。この交流会をするために、ランニングをしているようなところもありますね。講習会には参加できなかったチームメイトも少し遅れてやってきました。そして、偶然にもマラソンやランニングをやっておられる他のお客さんも加わり、マラソン談義で大いに盛り上がりました。日常生活のなかに、こういう「つながり」や「場」がもてるということ、とても幸せなことなのだと思います。「チーム・利やん」の「ランニング講習会」、また開催します!!

大津エンパワねっとコース「地域エンパワねっとⅠ」の全体授業

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■龍谷大学社会学部「大津エンパワねっと」コースの6期生が、「地域エンパワねっとⅠ」に取り組んでいます。今日は、中央地区で活動する5チーム、瀬田東学区で活動する4チームの全チームが揃いました。全体授業です。

■9月から始まった「地域エンパワねっとⅠ」、現在は、チームが決まり、教員との面談やまち歩きを経て、おおよそのテーマ(活動の方向性)が決まった段階です。これから、地域の様々な団体の皆さんにお話しを伺い、一緒に活動をさせていただきながら、自分たちなりの課題を発見していきます。そのような課題は、3年前期から始まる「地域エンパワねっとⅡ」で取り組むプロジェクトの土台となっていきます。エンパワの授業、本当に皆さん楽しそうに取り組んでいますね〜。最初はお互いに知らないわけですが、一緒に活動するうちに、すっかり打ち解けてきたように思います。これからは、街にでかけて、さらに街のみなさんとも素敵な関係を築いていってほしいと思います。

■今日の授業の風景です。「大津エンパワねっと」コース公式facebookページのアルバムです。

農学部のこと

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■2015年に、龍谷大学瀬田キャンパスに農学部が開設されます。私は、農学部設置委員会の委員をしていることから、農学部の広報活動にも協力しています。先日発行されたリクルートの「キャリアガイダンス」という冊子の表紙にも、「北船路米づくり研究会」で活動するゼミ生が登場しています。もちろん、ゼミ生は社会学部の学生ですから、あくまで農学部が開設されたあとのイメージ写真として撮られたものです。場所は、研究会で活動している北船路の棚田です。

関西学院OB交響楽団のこと

20131108kg.jpg ■11月4日(月)の振り替え休日の日、「関西学院OB交響楽団演奏会」にいってきました。この演奏会は、関西学院大学交響楽団創部100周年記念であり、OBオーケストラ結成10周年記念でもあります。会場の西宮北口にある兵庫県立芸術文化センターも、今回初めて行きましたが、立派なホールですね。

■エルガー「威風堂々第1番」、リスト「前奏曲」、ベートーヴェン「交響曲第5番運命」、チャイコフスキー「交響曲第5番」とプログラムは進みました。一般的なクラシックのコンサートであれば、ありえないプログラムです。しかし、多数のOBOGが出演可能にするためには、このようなコテコテのプログラムでも曲数を増やす必要があったのだと思います。もちろん、会場にいるのは、ほんとんどそOBOGやその関係者ですから、文句が出ることもありません。

■さて、私の主観ではありますが、後になればなるほど、演奏のレベルと質が高まったように思いました。「威風堂々第1番」と「前奏曲」、練習の回数も限られているので仕方がないですね…という感じがしました。特に、「運命」の1〜3楽章のあたりまでは、その思いが強かったな。特に、弦楽器については…。しかし、しだいに尻上がりに調子を上げていきました。

■休憩をはさんで、チャイコフスキーの5番。いや〜、びっくりしました! 指揮者の田中一嘉さんの存在も大きかったとは思いますが、関学らしい迫力のある素敵な熱演になりました。すごく良かった!! 卒業してからも楽器の演奏を続けて市民オケでバリバリ演奏している人もいれば、たまにしか演奏しない人、このOBオーケストラにあわせて楽器を再開した人…それぞれの力量は様々。おそらはく、チャイコフスキーの5番(チャイ5)に演奏レベルの高い人たちが集中していたのでしょう。あるいは、限られた練習のなかでも、比較的、この曲にかける時間が多かったとか…。それでも、みんなで力を合わせて演奏会を成功させようというのは、素敵なことだと思います。この前卒業した若いOBから、その祖父母世代にあたる高齢者のOBまで、これだけの人が集まって演奏会ができるのって…感動しましたよ。

■演奏会のあとは、ロビーで30数年ぶりに、現役時代に一緒に演奏した先輩方にもお会いできました。女性の先輩が、私の名前を覚えてくださっていたのが、とっても嬉しかったりしてね…(^^;;。そのあとは、近い学年の皆さんと集まって呑み会。12人ぐらい集まったかな。これも、楽しかった。話題がつきなかったのです。ああ、また楽器が弾きたくなってきますね〜。そんな余裕はないのですが…。

■このようなすごい演奏会を企画して実現させたOB会の幹事の皆さんには、心から深く感謝したいと思います。まだ、少し余韻にひたっているところがあります。

【追記】■子どもの頃から、バイオリンを半ば強制的に習わされました。両親の青春時代は、戦時中と戦後の混乱の時期であり、「文化」に対するあこがれが大変強かったのだと思います。自分たちは、クラシック音楽に関する関心はあまりなかったのですが、「お稽古事」として子どもにバイオリンを習わせたのですね。いやいやバイオリンをやっていたのですが、大学入学後、学生オーケストラである関西学院交響楽団に入ってからは、真面目にといいますか、一生懸命、音楽に取り組みました。懐かしい思い出です。大学卒業後、私は大学院に進学しましたが、エキストラとして演奏させていただきました。しかし、結婚をして、子供が生まれる頃には楽器を弾くことをやめました。

■当時、バイオリンの調整や弓の毛替え等については、大阪梅田にある宝木宏征さんのf工房というところにお願いをしていました。宝木さんは、私のようなへたくそなアマチュアにもいつも親切に接してくださっていました。あるとき、「脇田さんは、すごいですね〜。研究者をめざしながら、こうやって楽器をやっているんですから。私は、自分が楽器職人を目指しているときは、とてもそんな余裕はありませんでした」と何気なくおっしゃいました。宝木さんは嫌みを言われる方ではなかったので、素直にそう思われたのかもしれません。しかし、その宝木さんの何気なく言われたことが、私にはガンときました。「ほんまに、楽器を楽しんでいるばあいではない。子どもも生まれるというのに」と心の底から思いました。そのときから、楽器を弾くことをやめてしまいました。たまに出して自宅で弾く程度になりました。また、この10年は、ほとんど楽器にはさわってさいません。

■結果として、四半世紀ちょっと楽器を弾いていません。ここ10年は、仕事に集中してきました。OB交響楽団に入って、ステージの上で現役の時と同じように楽器を弾いている先輩・同期・後輩の皆さんをみていると、ちょっと羨ましくもなりますが、それなりのレベルを維持して演奏を続けていく自信がなかなかもてません。いつか楽器を再開するかもしれませんが、それはもう少し先のことかと思います。

■比較的最近になって知り驚いたのですが、宝木さんは2004年にお亡くなりになっていました。お亡くなりになる前に、お話しをしたかった…。現在は、息子さんが工房を継がれているようです。

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