「減速」生活

20130131datusara.jpg ■東京に出張しているから…というわけではないのですが、東京新聞の興味深い記事をみつけました。「経済成長っているの? 30代で脱サラ 「減速」生活」です。この記事(左写真をクリック)の続きですが…
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だが、少しずつ心の中のわだかまりが大きくなる。右肩上がりの成長はとっくに終わっているのに、会社は「もっと売れ、もっと利益を」と求め続ける。ついにはノルマ達成のため、自腹を切って買い物をするようになった。欲しくもないのに買ったスーツは二十着、靴は十五足以上。封も切らずにほこりをかぶった。

価格破壊が流行語になり、大量生産、大量消費の「使い捨て」に歯止めがかからなくなった時代。消費の最前線で確かに収入は増えた。でも息苦しかった。二〇〇〇年秋、三十歳の誕生日に辞表を出した。

わずか六・六坪の店を四年後にオープンした。年収は六百万円から三百五十万円に下がったが、妻と息子の三人家族で暮らすのに十分だ。それ以上は求めない。思い描いたのは、昔からある八百屋や鮮魚店。「このやり方で、人生をやり直してみせる」という反骨心もあった。「使い捨て」時代の反省から、値は張っても上質なオーガニック食材にこだわる。口コミで少しずつ客が増えると、休日を増やした。畑を借り、念願だった米や大豆作りを始めた

一〇年秋に自らの経験をつづった著書「減速して生きる」を出版した。今の働き方に疑問を持つ人たちが店を訪れたり、メールをくれたりするようになった。その中には、靴修理業を始めた人もいれば、離島で鍼灸(しんきゅう)師になった人も。減速生活のありようはさまざまだが「皆仕事をする時間が減った分、社会貢献をしている」。昨年から、地方議員らでつくる「緑の党」の共同代表も務める。

社会全体では、まだ小さな変化かもしれない。「一輪の花は空から見ても分からないが、花畑になるためには一輪一輪が咲くことが大切」。池袋の小さなバーからその種まきが始まっている。 (森本智之)
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■太字にしたところは、私が気にいったところ…です。ただ、のんびり生きる…社会を拒否していきる…というのではないのです。

○今まで自分を振り回していた大きな社会の仕組みを相対化する。
○そうではないオルタナティブな価値を自らの生活のなかで育んでいく。
○そのような生活を維持する小さな仕組みを自分の手で確保する。
○社会貢献を通してこれからのあるべき社会づくりにコミットしていく

■そのあたりが大切なことなのではと思うのです。最後の「一輪の花は空から見ても分からないが、花畑になるためには一輪一輪が咲くことが大切」部分、素敵な表現だな~と思います。

消えていく「ダイヤモンド富士」-西日暮里・富士見坂


■前回の投稿では、新幹線の車窓から撮影した富士山をアップしました。天候にも恵まれ、青空をバックにした美しい富士山を楽しむことができました。しかし、東京に着いてみると、「富士山が見えなくなる」というネットのニュースを読むことになりました。

■東京の地形は、凸凹しています。武蔵野台地が雨や川で削られたためです。ですから坂が多いのです。地下鉄やJRで点から点へ移動しているとわかりませんが(地形マニアにはわかりますが…)、実際に歩いてみると東京の凸凹の特徴が非常によくわかります。江戸時代、武蔵野台地の高台から下る坂道からは、あちこちで富士山が見えていました(現在はビルが建ち並び、高層ビルに登らなければ確認できませんが…)。ですから、現在でも「富士見坂」という坂(地名)が東京の各地に残っているのです。

■この「富士見坂」という地名、名前の通り、その坂から眺望できる富士山の風景と坂との組み合わせから生まれています。もちろん富士山は、普通の山ではありません。詳しく説明する余裕はありませんが、信仰の対象となった山でした。江戸時代、江戸のなかには「富士講」という宗教組織が多数存在していました。ですから、当時の人びとの富士山を眺望する眼差しのなかには、宗教的な情熱が込められていました。富士山と、富士山を毎日眺望する江戸時代の人びとの相互作用のなかで、独特の自然観や生命観が培われいったのです。もっとも明治時代以降、そのような宗教的な情熱はしだいに衰退していきました。しかし、それでも、富士山を眺望すること自体が、ひとつの文化として、江戸-東京の人びとの暮らしのなかに定着し、受け継がれきたことに間違いありません。

■現在、実際に富士山を確認できる坂は残り少なくなりました。東京の街のなかに高いビルやマンションがどんどん建設されていったからです。以下は、毎日新聞の記事です。この記事によれば、「西日暮里の富士見坂」は、「唯一地面から富士山を見ることができる」場所のようです。この「西日暮里の富士見坂」から、年に2回、1月と11月に「ダイヤモンド富士」を見ることができます。「太陽が富士山の頂上に沈み、輝きを放つ」瞬間を、「ダイヤモンド富士」と呼ぶのです。トップの動画は、その「ダイヤモンド富士」を写した動画です。ところが、記事にもあるように「新宿区で建設中の住友不動産による45階建てマンションと、文京区で建設中の個人建築主による11階建てマンション」が、富士山の眺望を遮ってしまうことになりそうなのです。

「ダイヤモンド富士:都心では唯一の日暮里・富士見坂、見納めの危機 眺望を遮るマンション建設中/東京(毎日新聞2013年01月29日地方版)」
■この記事の後半部分では、以下のように書かれています(リンクがすぐ消えてしまいますから…)。
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昨年5月には、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関、国際記念物遺跡会議(イコモス)が、坂からの眺望を阻害するマンション開発の見直しを求めて都や建築主、荒川区、文京区などに勧告書を送っている。

これを受けて荒川区は、低くするよう計画の見直しを求めたが、事業主から回答は得られていない。文京区は計画の再考を依頼したが「あくまでお願いレベル。制限することはできない」と話す。

昨年10〜12月、日本イコモス国内委員会の副委員長が文京区と荒川区を訪れ、景観を守るガイドラインの整備を要請。荒川区は「関係区と連携して、前向きに取り組みたい」と検討を始めているが、現在建設中のマンションには間に合わない。

住民らで作る「日暮里富士見坂を守る会」は、行政や建築主らに再三、要望したが、有効な回答は得られていない。メンバーの池本達雄さん(54)は「富士山のある風景を愛するのは、江戸時代から続く文化。次の世代に伝えていかないと。まだ諦めていない」。早稲田大学講師で、富士見坂眺望研究会の千葉一輝代表は「イコモスの勧告は非常に重い。富士山の世界文化遺産の登録にも影響を与えかねない」と話し、今後も建築主らに働きかけていく。
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■ここに書かれている問題、京都の五山の送り火と景観に関する問題と似ていますね。京都の周囲の山々の眺望は、歴史的都市・宗教的都市である京都のアイデンティティと深く結びついています。しかしそのような眺望は、市街地に高いビルが建設されるにしたがい、しだいに失われてきました。そこで京都市では、このような眺望を保全・創出するために(たとえば賀茂川右岸から「大文字」への眺望)、「京都市眺望景観創生条例」を制定しました。また、新しい景観政策も導入しているようです。視界に入る建築物の高さやデザインをコントロールしようとしているのです。この京都の五山と景観に関する問題と東京の富士山と景観に関する問題、まったく同じレベルで比較することは無理かもしれませんが、東京という都市の歴史的なアイデンティティを担保するためにも、なんらかの社会的な取り組みが必要だと考えられます。長文になっているために詳しくここで説明しませんが、岩手県の盛岡市でも、中心市街地からの岩手山の眺望を確保するために、かなり以前から様々な取り組みが行われてきました。またチャンスがあれば、ご紹介できればと思います。ちなみに、岩手山も、古来から信仰の対象となった山でした。

新幹線の車窓から

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■昨日から東京に出張しています。新幹線で東京に向かうあいだ、ずっと風景を眺めていました。地形や地図が好きなものですから、新幹線の窓から景色を眺めていて飽きることがありません。手元のIPhone5にインストールした「Google Map」と風景を見比べながら楽しみました。豊橋あたりから遠望に雪山を確認したり(おそらくは中央アルプスの南端か…)、浜名湖のあたりで新幹線が少しカーブを走るとき、前方に富士山がみえたり…。

■いろいろ楽しいこととがあります。もちろん、昨日は富士山もバッチリ楽しめました。雲ひとつない青空をバックにした富士山。素晴らしいですね~。富士山の前を新幹線が通過するとき、新幹線の車内のあちこちから、携帯のシャッター音が聞こえてきました。皆さん、撮らずにはおられない…という感じでしょうか(私もそうでしたから…)。これが、出張ではなくて、プライベートな旅行であればもっと楽しかったんですけどね~。

第16回「北船路野菜市」(環境こだわり農産物PR&食育イベント)

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■先々週の土曜日、第三土曜日に大津市中心市街地にある丸屋町商店街・大津百町館前で第15回「北船路野菜市」を開催しましたが、先週末の土曜日にも引き続き「野菜市」を開催することになりました。

■研究会では、滋賀県農林水産部・食のブランド推進課の「環境こだわり農業連携PR事業」の事業を受託しています。その一環として、市内にある「みつばち保育園」で、園児と保護者の方たちを対象とした「環境こだわり農産物」&「食育」に関するイベントを開催する予定だったのですが、園児さんがインフルエンザに罹りイベントを中止することになりました。ただ、今回のイベントでは餅つきをする予定にしており、すでに準備もできていたことから、いつも「北船路野菜市」を開催している大津百町館前に会場を移動し、イベントを開催するとともに、北船路産の野菜を販売することにしたのでした。写真は、中日新聞の記事(滋賀版)です。2010年春に卒業したゼミのOBが送ってくれました。たまたま中日新聞を読んでいて気がついてくれたようです。ねTくん、ありがとうございます。「北船路米づくり研究会」の活動は、Tくんが卒業した翌月、2010年の4月から始まりましたから、びっくりしたでしょうね~。

■以下は、当日の様子を写した写真です。iPhone5で撮影していますが、ボケボケの写真ばかりです…。

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写真1段目左:これから蒸し上げるもち米、中:読売新聞の取材を受ける3年生リーダーMくん、右:呼び込みをされる研究会顧問・指導農家のFさん。
写真2段目左:野菜市。普段よりは出荷量は少なめでした。中:百町館で始まったクイズ大会。右:クイズの司会をする3年生2人。YamくんとYasくん。
写真3段目左:餅をつく指導農家と北船路のKさん。中:餅つきを子どもたちが見守ります。右:つきあがった餅を丸めます。保育園児の皆さんにあわせて小さめ。
写真4段目左:きな粉餅をみんなでいただきました。中:2臼目をついている3年生Mさん。右:中日新聞の取材を受ける3年生リーダーMくん。

【追記】■学長室広報の担当者から、読売新聞の記事をPDFファイルで送っていただきました。記事のコピーをPDF化しているためでしょうか、写真は潰れています。しかし、記事は読めます。
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4,000アクセス感謝!!

■このホームページ(&ブログ)「環境社会学/地域社会論 琵琶湖半発」は、昨年の7月25日に開設し、9月5日にアクセスカウンターを設置いたしました。そのアクセスカウンターが、10月30日に「1,000」を、そして12月4日に「2,000」を、1月2日で「3,000」を超えることになりました。そして昨日、1月29日に「4,000」を超えることができました。ありがとうございました。

■昨日、一昨日は、急にアクセス数が伸びたのですが、理由がよくわかりません。なぜなんだろう…??昨日が56、一昨日が62。謎だ…。

来年度ゼミ・オリエンテーション

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■先週、現在2年生の学生たちの、来年度4月からの配属ゼミが発表されました。発表と同時に、私のゼミに配属されることになった学生たちには連絡を入れました。そして、昨日の昼休み、簡単なオリエンテーションを開催しました。次年度、私のところの3年生ゼミは18人になります。今日は、急な連絡にもかかわらず10人が集まってくれました!

■みんな、頑張ってくれ!!

NHKスペシャル「終(つい)の住処(すみか)はどこに 老人漂流社会」


■2009年に父が亡くなりました。約1年間看病しましたが、最後は病院で亡くなりました。肺がんでした。父がまだ動くことができた頃は、老いとともに体が弱ってしまった母の面倒を、父自身がみていました。しかし、父がなくなった現在は、介護保険でヘルパーさんに来ていただきながらも、週1回、母の世話をするために母の家に通っています。こうやって父を看取り、母の世話をしながら、私自身も年齢を重ね、「老い」について毎日深く考えざるを得なくなってきました。また、いずれやってくる自分が「死」ぬ時のことを(平均寿命よりもずっと手前かもしれませんし、もっと後かもしれません…誰にもわかりません)考えるようになりました。「死」一般の問題は、40歳を超えたあたりから少しずつ気になってはいましたが、父の死を経験したあたりから、自分自身どうやって「死」んでいくのか、どのように「死」を迎えるのか、どのように「死」を経験するのか(予期的に経験を先取りするということも含めて)ということについても考えるようになりました。亡き父がそういうふうに、私を導いているのかもしれません。

■父の看病をしながら、「日本の社会では、幸せに『死』を迎えることがなかなか難しい」ということがわかってきました。「死」に向かう人の肉体的な苦しみを緩和する「医学」。「死」に向かいながらも日々の生活の質を支える「福祉」。そして、自分が死んでいくことの恐怖や意味の喪失(自分の足下が底なしの真っ暗に暗闇であることに気がついたとき…)という精神的危機から救う広い意味での「宗教」。「医学」、「福祉」、「宗教」。この3つがきちんと連関していてこそ人は幸せに「死」を迎えることができるのでは…そのように思うのですが、現実には、この3つがバラバラに、それぞれ独自の論理とシステムで動いており、「死」に向かう人は、3つの機能分化したシステムにより引き裂かれるような状況に陥っているのではないかということです。父もそうでした。その父を看病し、看取った私たち家族も辛い経験をしました。

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■ところで、私がちょうど父の看病と看取りを経験したころ、研究会や学会で、ある1人の医師と出会いました。宮城県の名取市で終末期の在宅医療(自宅での看取り)に取り組む岡部健先生です。残念なことに、岡部先生は、先日、お亡くなりになりました。先生には、2度お会いして少しだけお話しをさせてもらっただけですが、大きなヒントをいただきました。写真は、朝日新聞に掲載された岡部先生の記事です。この記事のなかにある「臨床宗教師」のことも、私なりに理解すれば、「医学」・「福祉」・「宗教」を結びつけていくための試みなのかなと思っています。以下は、岡部先生がラジオ番組に出演されたときの録音です。東日本大震災での先生ご自身の経験から、「死後の世界とある程度つながりをもった感覚がないと、なかなか人間は死にきれないし、死んだあとに残った家族も受け止められない」と語っておられます。

■さて、ここから急に話しが変ります。最近、ショッキングなテレビ番組を視ました。「NHKスペシャル「終(つい)の住処(すみか)はどこに  老人漂流社会」という番組です。以下は、NHKスベシャルの公式サイトにある番組紹介です。
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『歳をとることは罪なのか――』
今、高齢者が自らの意志で「死に場所」すら決められない現実が広がっている。
ひとり暮らしで体調を壊し、自宅にいられなくなり、病院や介護施設も満床で入れない・・・「死に場所」なき高齢者は、短期入所できるタイプの一時的に高齢者を預かってくれる施設を数か月おきに漂流し続けなければならない。
「歳をとり、周囲に迷惑をかけるだけの存在になりたくない…」 施設を転々とする高齢者は同じようにつぶやき、そしてじっと耐え続けている。
超高齢社会を迎え、ひとり暮らしの高齢者(単身世帯)は、今年500万人を突破。「住まい」を追われ、“死に場所”を求めて漂流する高齢者があふれ出す異常事態が、すでに起き始めている。
ひとりで暮らせなくなった高齢者が殺到している場所のひとつがNPOが運営する通称「無料低額宿泊所」。かつてホームレスの臨時の保護施設だった無料低額宿泊所に、自治体から相次いで高齢者が斡旋されてくる事態が広がっているのだ。しかし、こうした民間の施設は「認知症」を患うといられなくなる。多くは、認知症を一時的に受け入れてくれる精神科病院へ移送。
症状が治まれば退院するが、その先も、病院→無届け施設→病院・・・と自らの意志とは無関係に延々と漂流が続いていく。
ささいなきっかけで漂流が始まり、自宅へ帰ることなく施設を転々とし続ける「老人漂流社会」に迫り、誰しもが他人事ではない老後の現実を描き出す。さらに国や自治体で始まった単身高齢者の受け皿作りについて検証する。その上で、高齢者が「尊厳」と「希望」を持って生きられる社会をどう実現できるのか、専門家の提言も交えて考えていく。
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■このダイジェスト版には登場しませんが、実際の番組の最後の方で、ある女性が運営している施設が紹介されていました。認知症の高齢者も含めて、複数の高齢者が入所されているわけですが、体が動く方、たとえば料理が得意な方は、自らも調理作業に参加しておられたりと、入所されている高齢者がお互いに助け合うように運営されていました。前回の投稿では、「幸せの経済学」という映画に関連して「ローカリゼーション」という言葉を紹介しましたが、こういう「死」の問題についても、同様の「ローカリゼーション」の発想が必要なのかと思っています。(続く)

「幸せの経済学」(ダイジェスト版)


■ブームになっている「幸せの経済学」。この映画で主張されていることのひとつは、グローバリゼーションに対抗するための「ローカリゼーション」を大切にしていくことです。簡単にいえば、生産地と消費地、生産者と消費者、人々と自然界の距離を縮めていくことになりますが、言い換えれば、巨大な資本主義のシステムから距離をとり、ローカルな地域に暮らす人びとが自らの力で扱うことのできる、マネジメントできる社会的仕組みを確保していくことでもあります。

■私のゼミでは、「北船路米づくり研究会」の活動に取り組んでいます。その活動は、月1回の野菜市や都市と農村の交流イベントの開催ということですが、地域の「食」の安心・安全を、生産者と消費者がともに支え合うようなローカルな食のシステムを地域内に構築していくための、モデル的な取り組みといえます。もちろん、ひとつのゼミでできることには限界があります。小さな活動でしかありません。しかし、学生のみなさんには、今述べたのような問題意識のもとで、研究会の活動を捉えてほしいと思います。

デスクトップの写真

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■パソコンで色彩については修正してありますが、琵琶湖に浮かぶ沖島の写真です。私が撮影しました。いつもお世話になっている方のご要望で、この写真のデータをメールで送らせてもらいました。彼のバソコンのデスクトップには、この写真があります。

ゼミの決定

20130124semi.jpg ■龍谷大学社会学部社会学科では、3年生4月からのゼミの所属を決めるにあたり、前年(2年生)12月に、学生の皆さんに「履修志望クラス申込書」を提出してもらうことになっています。この申込書には、第一志望から第七志望までの教員名を記入し、第一志望と第二志望については、その志望理由を書くことになっています。個人的には、第一次募集、第二次募集…と何回かに分けて募集をしてゼミの所属を決めたほうが良いのではと思っています。それは、最初に希望したゼミに所属できなかったばあいでも、気持ちを改めて、志望動機を考えなおすことができるからです(自分は何を学びたいのか…真剣に考える)。とはいえ、そんなことをいっても仕方がありません。現在のやり方は、一発でゼミの所属が決定するわけですから。

■ところで、私が担当する来年度の3年生ゼミの人数は18人になりました。志望理由は、列挙してみるとおよそ以下のようなものでした。私のゼミの方針や、得意とするジャンルもよく理解して志望していることがわかります。

・農村、農業、食に関心がある。
・社会貢献活動(北船路米づくり研究会)を経験してみたい。
・地域づくりや、地域の活性化に関心がある。
・フィルードワークを通じて学ぶことに関心がある。
・自分の家が農家なので。
・スポーツと地域社会の関係について考えたい。
・地域イベントに関心がある。
・鉄道と地域社会に関心がある。

■昨年の夏からこのホームページを作り、授業でも「北船路米づくり研究会」の活動紹介をしたりと、様々な情報発信をしてきました。社会学科は、一発でゼミの所属を決定するという仕組みになっているため、できるだけ教育-学生のミスマッチを減らすためです。その効果が少しは出ているのかなと思います。

■以下は、私のゼミに関する記事です。
ゼミナール
卒業論文
2年生のゼミ選択について…

(写真は、ゼミの活動「北船路米づくり研究会」での集合写真です。投稿した記事の内容とは関係ないのですが…なんとなく…寂しいので。)

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