小さな命

20170331hinako.jpg■3月17日のエントリーは「おいじいさんになりました」でした。大変個人的なことですが、孫が誕生したことを報告しました。その後ですが、娘と孫は大阪の産婦人科専門の病院を6日程で退院し、滋賀の我が家にやってきました。ひなちゃんといいます。

■娘と孫のひなちゃんは、その後も我が家で過ごしています。娘婿のお父さんも育児休暇をとって、育メンパパです。我が家で娘と一緒に育児に頑張って取り組んでいます。そして1日に何回も何回も「かわいいね〜」と言いながら、夫婦で子育を楽しんでいます。娘の母、ひなちゃんのおばあちゃんもそのような娘夫婦の子育てをガッチリとサポートしています。おじいちゃんである私も、それなりに?!サポートしています。今週の火曜日は、生まれて2週間目の検診でした。娘の一家とおばあちゃんで、ひなちゃんが生まれた大阪の病院に行って検診を受けてきました。おじいちゃんである私はといいますと、市役所で仕事…でした。孫のひなちゃんは、おっぱいを飲んで、ウンチとおしっこをして、泣いて、寝て、順調に体重も増え、スクスクと育っています。

■先日は、奈良に暮らす、ひなちゃんのひいおじいちゃんとひいおばあちゃん(義父母)が、滋賀までやってきてくれました。ひいおじいちゃんは歩くのが大変ですので、私が奈良まで車で迎えに行き、帰りは娘婿が奈良まで送ってくれました。ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんとも、曽孫のひなちゃんを抱いて、とても幸せそうでした。小さな命が、世代を超えた関係をより緊密にしているように思います。小さな命を育むことが「暮らしの中心」にあり、そのことがみんなの幸せな気持ちをも育んでいるのです。凄いことだな…と思います。こういうことは、じつは人間がホモサピエンスに進化していく過程で獲得したことなんじゃないのか…そのようにさえ思っています。社会学者としてそういうことを言うのはいかがなものか…という指摘はあるでしょうが、ヒトの進化という観方から考えること、大切だと思うのです。京都大学の山極寿一さんは、何かこういう問題について発言されていたように思います。甲斐甲斐しく、孫のひなちゃんの世話や娘のサポートをしているおばあちゃんを見ていると、有名な「おばあちゃん仮説」のことが頭に浮かんできます。

■さて、毎日、孫のひなちゃんの世話をしながら幸せな気持ちで過ごしているわけですが、来月の上旬には、大阪の自宅に娘の家族は帰ってしまいます。その時のことが、ちょっと心配です。「ひなちゃんロス」になってしまうでしょうね~。

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