新羅三郎の墓

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■今日は朝から第121回「大津市都市計画審議会」でした。審議会自体は11時過ぎに終わりましたが、その後すぐに帰らずに、市役所の裏山に行ってみることにしました。特に、何か目的があったわけではないのですが、何か雰囲気のある森があり、行ってみようと思ったのです。市役所の裏には鳥居がありました。ということは神社ですね。しかし、参道はかなり荒れていました。樹々が大きく茂って独特の雰囲気を醸し出していました、さらに進むと、そこには神社がありました。説明板には、「新羅善神堂」と書かれていました。「しんらぜんしんどう」と読みます。少しだけ離れていますが、南にある園城寺(三井寺)の守護神である新羅明神を祀っているのだそうです。参道もそうでしたが、神社の境内もずいぶん荒れていました。雑草が生えていて…。お世話が大変なのでしょうか。ちなみに、この神社は国宝なのだそうです。

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20160902shinra7.jpg■「新羅善神堂」の後は、道標の案内で、「新羅三郎の墓」にお参りしてきました。「しんらさぶろう」って誰なんだろう…と思いながら山を上がって行きました。調べてみると、以下のことがわかりました。新羅三郎の父親は、源頼義という武将です。平安時代に起きた東北地方の戦乱「前九年の役」を平定した人です。その源頼義の3人の息子の末っ子が源義光。別名を新羅三郎義光というのだそうです。名付けの理由ですが、義光が元服した際の儀式が、「新羅善神堂」で執り行われたことに由来しているとのことです。ちなみに、長男の源義家は、石清水八幡宮で元服したので、八幡太郎義家。次男が源義綱は、上賀茂神社で元服したので、賀茂二郎義綱ということのようです。忌み名=諱の考え方によるものなのでしょう。

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