京都伏見の夕焼け

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■昨晩は、社会学部の懇親会「おうみ会」が開催されました。学部の歓送迎会でした。月曜日は研究部の歓送迎会、火曜日は大津の都市計画の関係で小さな宴会、そして水曜日は「おうみ会」で歓送迎会と、3日続けての宴会です。3日続くと身体は辛いわけですが、やはり…というか、もちろん参加いたしました。瀬田キャンパスから教員を乗せたバスは、名神高速道路が工事中のため、京滋バイパスと阪神高速8号京都線を経由して、懇親会の会場のある京都駅ビル内の「グランヴィアホテル」に向かいました。途中、阪神高速からは巨椋池あたりの農村地域の夕焼けの風景が見えました。夕焼けが水田にはった水に反射していました。

■歓送迎会が終わった後、気持ちよくなったので、社会学部の同僚である教職員の方たち2人を誘って京都駅の南側にある「光洋軒」という店で二次会に突入しました(このお店は、加藤剛先生に教えていただいたお店です)。こういうときに、いろいろ話しをすることって大切ですよね。というわけで、帰宅は最終電車になってしまいました。

■写真は、阪神高速8号京都線からみえた風景ですが、ここにはかつて「巨椋池」が存在していました。東西4km、南北3km、周囲約16km、面積約8k㎡、平均水深は90cm、琵琶湖から宇治川を経由して流れてきた水を受け止める遊水地の役割を果たしていました。池という名前ですが、湖というほうが適当かもしれません。水深が浅いこともあってでしょうか、戦前、国営の干拓事業が行われました。元々「巨椋池」であった農地を眺めながら、私は、3月に秋田県の八郎湖を視察したさいに伺った話しを思い出しました。八郎潟の干拓事業については、漁業者からの強い反発と反対運動があったわけですが、京都府の巨椋池と岡山県の児島湾の干拓地を視察したあとに、干拓事業を容認し、補償金の金額の交渉に転じた…という話しです。八郎潟の漁業者の皆さんは、巨椋池児島湾で何をご覧になった(見せられた)のでしょうか。

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