「ふるさとの看取り方」


■facebookのお「友達」がリンクを貼って紹介されていた記事に注目しました。「“地域活性化”を軽々しく語るな! 消え行く集落の最期を偲ぶ、『ふるさとの看取り方』」。なんともショッキングなタイトルです。こんなリード文がありました。

安倍内閣が重要課題に掲げ、にわかに注目を集めるようになった地域活性化。しかし総務省職員として多くの地方を周ってきた田中佑典氏は、安直な「地域活性化」の掛け声に対し、絶対に活性化できない地域もあると主張。限界集落の現実を伝え、消え行く運命の地域を「看取る」方法を考えることも必要だと訴えました。

■なんとも勇ましい文章です。しかし、そのあとの講演録には、どこにも「安倍内閣」や「安直な『地域活性化』」なんて言葉は登場しません。あとの講演録を読んでも、講演者の田中さんは、そういう文脈で語っているわけではありません。リード文が非常によくないと思いました。個人的な印象ですが、田中さんの主張が、このリード文によってねじまげられているようにも思いました。田中さんは、限界集落のある地域の出身者として(ある意味当事者として)、ユーモラスに、もっと淡々と語っているように思います。そこに持ち味があるのに。

集落って何なんでしょうね? 僕はずっと考えてきましたけど、最近ちょっとわかってきた気がするんです。集落って、人間の生活の爪あとなんです。思えば集落って、本来は林業とか漁業とか農業とか、何かしらの生業を中心に集まった人間の集合体だと思います。よそ者にはわからないかもしれない、でもそこに住んでいる人にとっては先祖代々受け継がれてきた、かけがえのない生活の場所。そこに暮らし続けたいと思って生活している人がたくさんいました。

いろいろ述べてきましたけど、僕の思いはすごくシンプルで、1,000年続いたコミュニティが何も残さず消えるって寂しすぎると思うんです。僕はこれからも、集落に集落の住民に向き合っていきたい。そこで懸命に生活しているひとりひとりに焦点を当てて、その生活を最後までサポートしていきたい。ふらっと遊びに行って、昔話に花を咲かせて、一緒に笑って一緒に悲しんで、1000年続いたコミュニティの最期を、僕はこの目で見届けたいと思います。

■トップの動画は、YouTubeにアップされた田中佑典さんの講演です。こういうのは、いまどき講演とはないのでしょうね。この講演を企画した「TEDxTokyo」については、こちらをご覧ください

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