叡山電車 もみじのトンネル・ライトアップ2021 市原駅~二ノ瀬駅間


■こういう動画を偶然、見つけることかできました。夜、ライトアップされた紅葉を電車の中から鑑賞する、とっても幻想的です。素晴らしい。

王寺駅について

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■私は鉄道が好きです。でも鉄道のことが気になり始めたのは、50歳前後からだと思います。ですから、子どもの頃からずっと鉄道のことが好きで、専門的な詳しい知識や教養を持っておられる真っ当な鉄道ファンの皆さんとはレベルが違い過ぎます。そのような相撲で言えば序の口レベルの私なのですが、facebookではどういうわけか鉄道好きの方達が集まるグループに入れていただき、いろいろ楽しみながら勉強させてもらっています。

■このグループをリードされている方達は、もちろん鉄道ファンなのですが、ファンであると同時に、鉄道に関わることを職業にされているプロの皆さんです。そのプロのお一人が、時々、グループを盛り上げるためにクイズを出されます。特徴のある駅のGoogleアースの画像を貼り付けて、それがどこの駅なのかを当てるクイズです。グループでは、「ここどこクイズ」と呼んでいます。グループ内には、真っ当な鉄道ファンの皆さんが多いわけですが、私のような者でも参加できる配慮がきちんとなされています。いわゆる「秒殺」で正解する方達もおられるのですが、そのういう方達は、すぐに解答をコメント欄に書かずに、笑いを取れるような「ボケ」をかましながら?!、ヒントを出していくことがルールになっています。

■つい最近のことですが、この「ここどこクイズ」に、僭越ながら出題させていただきました。私のような者でも出題させていただけるところが、このグループの懐の深さといいますか、良いとこなのかなと思っています。いろいろ調べてみて出題しようと思ったのは、奈良県にある王子駅でした。ここは、JR関西本線・和歌山線の王寺駅、近鉄生駒線の王寺駅、そして近鉄田原本線の新王寺駅が隣接しています。この王寺駅ですが、若い頃、アルバイトに行く際に利用していた駅です。しかし、その当時は鉄道には全く関心がなく、大和川やその支流に囲まれている地域だとはわかっていませんでした。今回、出題させていただくにあたりGoogleアースの画像を見て驚きました。トップがその画像です。

こちらの国交省のサイトの中にある流域図をご覧ください。奈良盆地を流れるたくさんの河川が、最後は大和川に合流していることがわかります。その大和川が奈良県から大阪府に向かうその県境近くに、今回のクイズの駅、王寺駅があることがわかります。このような河川に囲まれたような場所にあることから、大和川やその支流が氾濫すると大変なことになります。1982年(昭和57年)の台風では、支流の葛下川が氾濫して大きな被害が発生しました。こちらのブログの投稿によりますと、「国鉄・関西本線王寺駅も駅構内が水没し、電留線に留置していた車輌が床上浸水した。その泥水は、電気系統に著しいダメージを与え一度に101系車輌が60輌が被災し、内54輌が廃車となった」のだそうです。大変なことですね。王寺駅って、Googleアースの画像を見てもわかりますが、留置線というのでしょうか、たくさんの線路が並行しています。そこにたくさんの車両が停車していたのでしょうね。そこに葛下川から溢れた水が流れ込んだのでしょう。

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■大和川は、鉄道ができる前までは、奈良と大阪の間をつなぐ物流の大動脈でした。奈良で生産される米だけでなく、綿や菜種などの商品作物が大和川を下り、肥料や塩が奈良に運ばれていました。かなり上流の地域まで舟運のための小さな港が整備され、問屋の蔵が並び、各港には陸運のための人と馬が配置されていたようです。しかし、そのような舟運は、1892年(明治25年)に大阪鉄道が開通したことで衰退していくことになりました。

■ただし、鉄道を開通させるにしても、トンネルを掘らない限り、この大和川が流れている「隙間」を通さざるを得ません(王寺駅から和歌山線に乗ると、途中、やはり同じように「隙間」を通ります)。「スーパー地形」というアプリの画像を貼り付けます。「+35.34m」とあるあたりが王寺駅の場所です。ちなみに、王寺駅のある王寺町は、奈良県内でも一番海抜が低いところになります。当たり前のことなのでしょうが、今はバワーのある電気機関車が当たり前ですが、以前、蒸気機関車が主役だった頃は、傾斜のあるところは避けて、地理的な「隙間」をぬって線路が敷設されていたのでしょうね。どうして傾斜のあるところを通る場合は、スイッチバックさせて運行するように、或いは私など子どもの頃にとても人気がありましたが、D51等の蒸気機関車が3台で貨物を引っ張る三重連なども傾斜を乗り越えるための工夫なのでしょうね。そう考えると、山がちな日本列島で鉄道を走られることは、なかなか大変なことです。

■さて、鉄道が開通することで、王子町は鉄道の町として発展することになりました。詳しくは、この王寺町の広報誌をご覧ください。私のような者には、とてもわかりやすい説明になっています。昨年の12月に発行されたものです。近鉄やD51の話題も出てきます。鉄道に加えて、さまざまな歴史や地形のレイヤー(層)を重ね合わせると、とても興味深いですね。今回は、出題させていただいた後からも、いろいろ勉強することになりました。鉄道ファンの方達のヒントを通していろいろ学ぶこともできました。鉄道は楽しいです!!

昭和31年(1956年)

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■11年前に亡くなった父が残したアルバムが自宅にあります。ほとんどのものは業者さんに頼んで有料で処分していただきましたが、このようなアルバムの類は回収することしました。ところがこのアルバム、普通だといろいろ写真が貼ってあるはずなんですが、そうではありません。コンサートや映画のチケット、観光施設の入場券、そして鉄道開通の記念切符等が保存されていたのです。今時は、スマホで写真を撮るので、若い方は、このようなアルバムをご存知ないかもしれません。ダイヤル式の電話の使い方をご存知ないし、カセットテープの使い方もご存知ありませんし…。わからないのが、普通かと思います。このアルバム、台紙のシートをめくると、シートに粘着剤が塗ってあり、そこに写真を貼り付けてシートを戻す…そんなアルバムです。ただし、父の残したアルバムは、先ほど述べたように、写真は貼ってありません。

■先日のこと、このアルバムのページをめくっていると、面白いもの見つけました。写真の切符です。上は地下鉄の記念切符でしょうか。池袋から東京まで丸の内線が開業した時期ということのようです。昭和31年7月20日とあります。購入したのは7月30日のようですね。もうひとつは、京浜東北線・山手線の複々線開通記念乗車券です。こちらは昭和31年11月19日と印刷されています。今から64年前。私が生まれる少し前、父は新婚だった頃かもしれません。しかし、なんで保存してあるんでしょうね。意外なことに、父は少し鉄道に関心があったのかもしれませんね。まあ、あまりきちんとした理由はないとは思いますが。たまたま残ったのを、アルバムに保存しただけかもしれません。

■ところで、父のアルバムで見つけたこの切符のこと、facebookの鉄道ファンの皆さんが集うページに投稿したところ、鉄道関係の企業にお勤めの、しかも鉄道に大変お詳しい方から、コメントが入りました。「指紋付けないように、日光に当てないように、湿気にさらさないようにして末長く保存お願いしますね」。あれっ、これ本気で言っておられるのかな、それとも冗談かなと思っていると、本気でコメントされていました。「これを生でお持ちと言うだけで「すごい!」と思ってしまいます。おそらく日本中探してもそうそう出てこない代物だと思いますよ。指紋付けないは切符マニアの間では常識ですが、実はパンフレット類も”保存用”は指紋をなるべく付けないようにして保存します。日光と湿気は、お菓子…和菓子がいいかな?…の紙箱に入れて暗いところ、寒暖の差のあまり影響の無いような所に置いておくだけです。私はミカン箱(段ボール箱)2個分+お菓子の箱などに入れていろんなもの保存してますが、押し入れの上の段(天袋と言います)に入れてます。時々天袋のふすま開けて風通ししてます」と、さらに細かな内容を含んだコメントをいただきました。ああ、アルパムに貼り付けてあるなんて、なんということでしょう。これは、鉄道の博物館にでも寄贈した方が良いようですね。受け付けてくれますかね。大宮の鉄道博物館とか…。どうでしょう。

赤胴車の引退


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■かつての人気テレビドラマ「赤胴鈴之助」にちなんで、「赤胴車」と呼ばれるようになった阪神の電車が引退されることになりました。普段、こういう鉄道グッズにはあまり関心がないのですが、つい、その気になってしまい、気がついたら購入することになっていました。長い間、お疲れ様でした。

高松に出張

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20200212setoohhashi.jpg■高松に出張しました。四国は瀬戸内海を渡らなければなりませんが、今は、瀬戸大橋を走る「瀬戸大橋線」があるので、関西からでも全て列車で行くことができます。といってもこの橋が開通したのが1988年ですから、もう32年前のことになるんですか…。「今は…」というのはちょっとおかしい表現になりますね。

■というのも、私の中では高松に行くのには船に乗る…というイメージが強いからでしょうか。一番最初の高松は、おそらく小学生の時かと思います。たぶん、小学校6年生の頃かな…。当時は、広島に住んでいましたが、母方の従姉妹・従兄弟と一緒に、母方のルーツの地のひとつである徳島の阿南にいくことになりました。広島から岡山まで特急に乗り、岡山からは在来線で岡山県玉野市の宇野駅まで、そしてそこからは国鉄が就航させていた「宇高連絡船」に乗って高松に渡りました。高松からは在来線です。しかし、この宇高連絡船も、瀬戸大橋線ができたことから、まず国鉄の連絡線が廃止になりました。その後も、民間の連絡線は就航していましたが、最後まで残っていた四国フェリーが、昨年の12月に、とうとう運行が休止になりました。今となれば、廃止になる前に乗っておきたかったなあと思います。

■京都から新幹線で岡山駅まで移動し、岡山駅で瀬戸大橋線に乗り換えます。瀬戸大橋線のホームに移動すると、鉄道好きが喜ぶような列車が止まっていました。まず目に入ったのが、「特急南風」でした。これ、「なんぷう」と読むようです。wikipediaの解説は以下のとおり。「南風(なんぷう)は、四国旅客鉄道(JR四国)、土佐くろしお鉄道および西日本旅客鉄道(JR西日本)が岡山駅 - 高知駅・中村駅間を、宇野線・本四備讃線(瀬戸大橋線)・予讃線・土讃線・中村線経由で運行している特急列車である」。ヘッドマークは、どうも鯨のようですね。「仕事がなければ、この『特急南風』に乗って高知に行ってみたいなあ…」などと妄想したわけですが、もちろんそういうわけにもいきません(当たり前ですが…)。予定とおり、高松に向かう「快速マリンライナー」に乗車しました。するとどうでしょう、向かい側のホームに、「特急しおかぜ」がやってきました(残念ながら写真は撮れていません…)。これは松山に行く特急です。松山ならば道後温泉に浸かりたいな〜などとやはり妄想するわけですが、そういうわけにも行きません。残念ですが、またの機会に。
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■高松に到着しました。高松駅は、 頭端式ホームの駅です。頭端式ホームとは、始発駅であり終着駅でもあります。この先には、線路はありません。ですから、線路の向こう側は改札口があるだけです。その改札口に立つと、様々なデザインやタイプの列車が停車しているのを眺めることができます。これは鉄道好きにたまらない…。四国は電化していない路線も多く、私が見渡した時には、気動車が2台停車していました。また、車高に関しても、低いものと高いものがあります。私が乗ってきたクリンライナーは、指定席の車両が2階建になっていることから車高は高くなります。最後の緑色の車両は、気動車です。これは徳島に向かう列車でしょうか。できれば、こういったローカル線を楽しむのは、出張のついでではなくて、私的な「ローカル線の旅」であってほしいなあ思います。香川県を走る私鉄「高松琴平電鉄」=「ことでん」にも乗ってみたいのですが、市内を移動しながら車の中から市街地を走る「ことでん」を眺めるだけです。残念。

集団就職


■びわこ放送の番組の動画をシェアします。このニュース映画は、集団就職で大津駅に降り立った皆さんです。1973年ですから、私が中3の時のニュース映画ですね。ということは、この映画に写っている方達は、私の1つ学年が上の先輩ということになります。ところで、1973年という年は、日本にとって大きな分岐点となった年です。10月に勃発した第四次中東戦争をきっかけに原油価格が上昇し、日本はオイルショック(第1次オイルショック)に陥り、それまで続いてきた高度経済成長期は終わることになります。そのようなオイルショックが起きてしまうことを、この動画に映っているみなさんは当然のことながらご存知ありません。

■ところで、このニュース映画に登場する大津駅、1921年に完成した駅が映っていますね。1973年というと、私は広島の中学生だったので、この駅のことを知りません。大津には、若い工員さんを必要とする東レや綾羽のような繊維メーカーのような工場がありました。大津にも全国から集団就職で中学を卒業された方たちがやってこられたのです。私の知り合いの女性にも、鹿児島から集団就職で大津にやってこられた方がおられます。昼間働いて、夜は高校に通っておられたそうです。今は、この動画にもあるように、すっかり大津の人になりお孫さんもいらっしゃいます。

ひさしぶりに、秋山東一さんにお会いしました!!

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■先日の投稿「aki’s Märklin & MECCANO」の続きになります。一昨日、午前中から昼過ぎにかけて、孫娘の七五三の宮参が奈良でありました。このことは、また別途、投稿しようと思います。七五三の後は、近鉄に奈良線に乗って大阪の布施駅まで移動しました。そこから徒歩で、建築家である秋山東一さんのイベント「aki’s Märklin & MECCANO」が開催されている会場、木村工務店さんに伺いました。秋山さんのご友人の工務店さんです。最寄り駅は東大阪市の布施ですが、住所は大阪市の生野区になります。大変申し訳なかったのですが、私が到着した時は、ちょうど秋山さんのご講演が終わろうとしている時でした。

■木村工務店さんは、大阪市生野区で開業された3代目。こちらの工務店の作業場が会場でした。戦前に建てられた建物を手を入れて使っているとのこと。ここは、作業場であると同時に、時にはいろんな方達が交流する場にもなっているのですね。なかなか素敵です。ここに、大きなテーブルを設置して、その上に模型のレールを配置しています。普通、鉄道模型というとHOゲージ(レール幅16.5mm)やNゲージ(レール幅9mm)が頭に浮かんできますが、秋山さんのコレクションはOゲージ(32mm)になります。このサイズを鉄道を走らせよとすると、普通の住宅ではかなり難しい…。ということで、秋山さんも、ご自宅以外の広い場所で、何度かこれらの模型を走らせるイベントを開催されてきました。

■写真に写っている黄色い機関車、これはアメリカ大陸を横断する鉄道「ユニオン・パシフィック鉄道」の機関車です。電気ではなく、エンジンで走る機関車です。ディーゼルエンジンで走っていました。じつは、秋山さんのこの鉄道模型のことがずっと気になっていました。私は、小学生の頃、鉄道模型に憧れていました。もちろんHOゲージです。鉄道模型は”King of hobby”と呼ばれるように大人の遊びです。お金がかかります。当然、子どもであった私にはそのようなお金はありません。町の模型屋でHOゲージの台車だけ買ってきて、後は模型のバルサ材や厚紙でボディを作り、秋山さんのOゲージのように黄色く色を塗りました。まだ、「ユニオン・パシフィック鉄道」のことはちゃんとわかっていなかったと思います。ただ、アメリカのディーゼル機関車ということだけで憧れていました。1969年、小学校5年生の時のことです。私は、福岡県の福岡市、博多駅の近くに住んでいました。1969年はアメリカが初めて月面着陸をした年でした。その時の宇宙飛行士アームストロング船長のことを覚えています。翌年は、大阪で万国博覧会「EXPO’70」が開催され、アメリカ館の展示の人気は前年の宇宙飛行士たちが持ち帰った「月の石」でした。もう50年前のことになります。

■秋山さんは、たくさんのお客さんの間を飛び回りながらも、私とも時間をとっていろいろお話ししてくださいました。懐かしかったです。以前、「 Japan Earth Divers Institute」というブログ仲間のグループを作って、時々、東京の町の地形や歴史を楽しむウォーキングをしていました。当時、中沢新一さんの『アースダイバー』が大変話題になっていたことから、自分たちのウォーキングを「アースダイビング」といって楽しんでいました。懐かしいです。その時のことは、秋山さんのブログの以下のリストからご覧いただけます。もちろん、このリストの全てアースダイビングに参加できているわけではありませんが、関西から何度か参加することができました。現在は塩漬けになっている旧ブログ Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」で、私自身も細かく報告しています。

Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」 - 第五回アースダイビング-善福寺川と阿佐ヶ谷住宅地の50年を探る。- (その1)
Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」 - 第五回アースダイビング-善福寺川と阿佐ヶ谷住宅地の50年を探る。- (その2)
Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」 - 第五回アースダイビング-善福寺川と阿佐ヶ谷住宅地の50年を探る。- (その3)

■会場では、この日に出会った方ともお話をさせていただきました。大阪で設計事務所を経営されている方とは、日本でもダーチャのような「セカンドハウスができるのではないか…」というお話で盛り上がりました。ダーチャとは、現在のロシアがソビエト連邦だった時代に政府が国民に与えられた郊外の菜園付きの小さな別荘です。なかには立派なダーチャもあるようですが、一般には、小さな小屋のようなイメージです。ソ連末期、経済的に疲弊している時、国民が自給自足でなんとか生きていくための大切な手段になったといいます。それはともかく、なぜ日本でダーチャなのか…ということなのですが。

■バブル経済の時代、大阪の郊外に無理をして開発された住宅地があります。そういうところは、交通も不便で、公共交通機関もきちんとあまりきちんとしていないことから、車がないと大変不便な土地です。ただし、距離的には大阪に近いわけです。現在は、都心に人気があり、こういう土地は不動産価格が相当低下しているらしいのです。であれば、このような住宅地を「ダーチャ」として利用できるのではないか。普段は都心で暮らし、週末は郊外の「ダーチャ」で暮らす、そういうライフスタイルが可能ではないか…というのがその時の盛り上がった話の中身でした。鉄道以外にも、いろいろ楽しい時間を過ごすことができました。

【追記】■1969年、福岡市に暮らしていた時のことを書きました。少し気になって調べてみました。模型の名前、頭にあるの「模型の王様」という店名でしたが、どうも違うようです。「王様もけい」だったようです。いろいろ調べてみると、あるブログの記事で、「王様もけい」は、博多駅から呉服町のほうに走っていた西鉄に路面電車が店の前を走っていたようです。間違いありません。現在は、息子さんたちが、お店を引継ぎ「新王様もけい」として鉄道模型のお店を営業されているようです。小学校5年生の私が、「アメリンカのディーゼルカーを作りたい」と相談したのは、息子さんたちのお父様だったわけですね。

aki’s Märklin & MECCANO

20191120akiyamatoichi.png ■私の専門分野は社会学ということになるのですが、私の交友関係といいますか、人のつながりは、そのような専門分野よりもその外部、自分とは異なる他の様々な分野に広がっています。そのよう異なる世界の皆さんとのつながりは、私の人生を豊なものにしてくれているようにも思います。今から15年ほどまえのことになりますが、ちょっとした偶然から、東京在住のブロガーの皆さんが交流されているネットワークに参加することになりました。

■15年前、私は、偶然に見つけたブログ「Kai-Wai散策」の大ファンになりました。写真家のmasaさんのブログです。連日、猛烈な量の熱いコメントを書き送っていました。今も、そのブログをmasaさんは運営されています。ただ、当時とはブログの運営方針が変わり、今はコメントを書くことはできません。しかし当時は、様々な方達がmasaさんのブログを楽しみにしてコメントを書いておられました。またお互いのブログにコメントを書き込みされていました。そうやってそれぞれのブログを通してオープンなネットワークを作って交流を楽しんでおられたのです。そのようなブロガーのネットワークに、突然登場した関西人の私が、連日かなりの分量のコメントを書くようになったのものですから、これまでmasaさんのブログを楽しみにしておられた方たちは驚かれたのではないかと思います。私のコメントを面白がってくださる方たちも多数おられたようですが、なかには眉をしかめておられた方もいらっしゃったかもしれませんね。

■それはともかく、そのようなネットワークの「重鎮」が、住宅設計の分野で活躍されてきた建築家の秋山東一さんでした。秋山さんは、最初、私のコメントを不思議に思われたもしれませんが、にもかかわらず突然現れた私を快く受け入れてくださいました(たぶん…)。何度かお会いして、「JEDI 」=「 Japan Earth Divers Institute」なる怪しくも楽しいグループにも参加させていただき、人気番組「ブラタモリ」のように、地形や歴史を意識しながら東京の街を一緒に丹念に歩かせていただきました。ところが、そのようなブログを通した楽しい交流が突然中断することになりました。2011年の東日本大震災です。masaさんの「Kai-Wai散策」からコメント欄がなくなり、ご自身の作品を発表されるようなスタイルに運営方針を変更されました。また、その頃からfacebookなど様々なSNSが発展してきたことから、かつてほどブログを通しての交流は少なくなっていきました。私も、それまでのブログを塩漬けにして、新たに、教員としての自分の活動を報告するこのブログをスタートさせました。ネット上の交流はfacebookが中心になりました。

■そのような時代の変化の中でも、建築家の秋山東一さんは、ずっとご自身のブログ「aki’s STOCKTAKING」を継続されいます。加えて、facebookにも時々投稿されています。先日の秋山さんからfacebookのメッセンジャーを通して、「大阪にある仲間の工務店の加工場で、趣味の鉄道模型のイベントを開催するので都合が付けばやってこないか」とのお誘いを頂きました。秋山さんは、Märklin(メルクリン)というドイツ玩具メーカーのディーゼル機関車や、 MECCANO(メカノ)というイギリスの玩具メーカの鉄道模型の鉄橋をお持ちなのです。鉄道模型とはいっても、1番ゲージ、軌間は45mmとかなり大きな鉄道模型です。今回のイベントでは、その大きな鉄道模型を広い工務店の加工場を借りて走らせるようです。あわせて、秋山さんのご講演もお聞きすることができるようです。イベントの開催は週末の土日。日曜日は仕事の予定が入っていますが、土曜日は幸いにも予定が入っていませんでした。午前中は孫娘の七五三のお祝いがありますが、午後からは時間が取れるので、秋山さんのイベントに参加させていただくことにしました。

■秋山さんにお会いするのは、何年ぶりでしょうね。おそらく10年ぶりです。楽しみです。

【追記】■秋山さんのイベントの詳しい情報については、以下をご覧ください。

「全ての玩具は教材である」

「25年・連続赤字」の近江鉄道

■滋賀県内には、JR以外に、京阪電鉄、近江電鉄、信楽高原鉄道の3つの鉄道が走っています。先日、ネットで、近江鉄道に関するニュースをみました。「ガチャンコ鉄道」の愛称で知られる近江鉄道ですが、「日本一高い運賃」と言われるように経営は大変です。ニュースによれば、25年間赤字が続いているそうです。これは、近江鉄道が2018年12月に発表した「近江鉄道の経営状況について」という資料です。この資料を拝見する限り、「会社としてはやれることは全てやってきた…」というため息混じりの声が聞こえてきそうな感じがします。ですからこの鉄道を残すのであれば、このニュースにもある「上下分離方式」(自治体が線路などの設備を保有し、近江鉄道が運営を担う)にして沿線の自治体に負担してもらいたい…ということが本音なのかもしれません。素人考えで想像しました。私は鉄道の専門家でもなんでもありませんのが、この辺りのことを専門家の方にもお聞きしたいものです。かりに「上下分離方式」になったとしても、ニュースでは「今後各自治体の負担の割合などが課題となりそうです」とのこと。どの自治体がどれほどの費用を負担するのかで揉めそうです。

■知り合いの鉄道関連のお仕事をされている方からは、お二人の方から次のようなご指摘をいただきました。なるほどと思いました。私自身は、地域のまちづくりの活動と鉄道が、どうつながっているのかも気になっています。

●近江鉄道は大都市からのアクセスがイマイチとは言え、実は新幹線にも直結しており、東京、横浜から日帰りでも充分行くことができる。
●沿線には彦根や近江八幡(これらはJR沿線でもありますが)をはじめ、八日市、豊郷、水口など魅力的な街があるにもかかわらず、人に行きたくさせる情報発信が、鉄道会社にも自治体にも弱い。

●この鉄道がなくなってしまってから顕在化するマイナスの影響を定量化しなければならない。

■この近江鉄道のニュースを見ている限りは、なんだか元気が出てきません。しかし、日本のローカル鉄道の中には、いろいろ工夫をされている鉄道会社もあります。以下は、兵庫県の粟生から北条町まで走っている北条鉄道の例です。記事の中身をお読みいただければと思います。絶対に面白い。狭い意味での、鉄道会社の経営に直結するような話ではありませんが、このようなことを進める鉄道会社の経営姿勢や経営思想に関心が湧いてきました。

名物は駅弁ならぬ“駅パン”! 駅長自らパンを焼く「駅舎工房モン・ファボリ」【兵庫・北条鉄道】

■それから、全国の鉄道会社の中には、ユニークな経営思想のもとで、会社が復活した例もあります。こういう記事も見つけました。「えちごトキめき鉄道」と「ひたちなか海浜鉄道」のそれぞれの社長さんへのインタビューをもとにした記事です。

地方鉄道の「カリスマ社長」が新任地で挑む課題 鉄道運営の「仕組み」を変える必要がある
「瀕死のローカル線」を黒字化した男の経営手腕 ひたちなか海浜鉄道「観光列車は興味なし」

龍谷大学吹奏楽部第46回定期演奏会

20190930teien.jpg◼︎みなさん、12月26日に大阪のシンフォニーホールで開催される龍谷大学吹奏楽部第46回定期演奏会に、ぜひお越しください。昨日、このチラシをいただくことができました。緊急に作ったものなのかな、とても質素なチラシです。そのうちに、きちんとしたチラシが印刷されると思います。

◼︎さて、第46回定期演奏会で予定されている曲目のうち、「歌劇リエンツィ序曲」については、私自身、学生時代に関西学院交響楽団の定期演奏会で弾いた曲です。調べてみると、1981年12月13日に神戸文化ホール大ホールで開催された第58回定期演奏会でした。当時の定期演奏会のプログラムは、序曲・サブ・メインで構成されていました。第58回は、序曲がワーグナーの「歌劇リエンツィ序曲」、サブがバルトークの「ハンガリアン・スケッチ」、メインがブラームスの「交響曲1番」でした。懐かしい…。もちろん、龍谷大学の定期演奏会では、吹奏楽のために編曲されたものです。

◼︎チラシに掲載されている曲名、もうひとつは「パガニーニの主題による幻想変奏曲」です。wikipediaの説明ですが、「ニコロ・パガニーニがヴァイオリン独奏のために作曲した『24の奇想曲』の第24番「クワジ・プレスト」の旋律を主題とする変奏曲として」James Barnesによって書かれているそうです。調べてみると、龍谷大学吹奏楽部は、2007年の定期演奏会で演奏しています。そしてゲストは、若手サックス奏者の上野耕平さんです。もちろん、私はよくわかっていないのですが、実力と人気を兼ね備えた有名な演奏家のようですね。しかも調べてみると上野さんは鉄道ファンなんですね。このことも実は大変有名なことのようです。まだ、お会いしたことはありませんが、とても親しみを覚えます。上野さんの演奏はもちろんのこと、私も「プチ鉄」(ちょっと鉄道ファン)ですので、お会いしてお話しできることを楽しみにしています。この記事からは、上野さんがいかに鉄道ファンであるのかがわかります

◼︎以下は、龍谷大学吹奏楽部による「パガニーニの主題による幻想変奏曲」です。龍谷大学吹奏楽部「第34回定期演奏会」(2007年12月23日/滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール)での演奏です。

◼︎以下は、上野耕平さんの演奏と、上野さんの鉄道好き(彼は「音鉄」です)がわかる動画です。

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