ジューンベリーと阿弥陀如来

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■「南・無・阿・弥・陀・仏」。

■今、東京国立博物館で特別展「空也上人と六波羅蜜寺」が開催されています。そこには、運慶の四男である康勝が空也上人の姿を写実的に表した「空也上人立像」が展示されています。私は観覧したわけではないのですが、この立像を360度どこからでも鑑賞することができるようです。東京国立博物館の公式サイトでは、次のように説明しています。

この像が制作されたのは鎌倉時代で、上人がこの世を去ってから200年以上が経過していましたが、つねに市井の人々と共にあった上人への畏敬の念と、口から6体の阿弥陀仏が現れたという伝承を表したものです。

■とても有名ですね。私がこの立像のことを知ったのは、確か高校の日本史の教科書だったと思います。高校生だった私には、「口から針金が出ていて、そこに小さなお地蔵さんが並んでいる…」という見た目のままの不思議な印象でした。高校生の私は、仏教のことも、阿弥陀仏のことも、何も知らなかったのです。そもそもお地蔵様は菩薩ですね。

■昨日は、家で仕事をしていました。気分転換に少し庭の手入れをしたときに、庭のジューンベリーの蕾が膨らんでいることに気がつきました。そして、じっと眺めていると、蕾のひとつひとつが、空也上人立像の小さな阿弥陀仏のように見えてきたのです。ものすごくたくさん阿弥陀仏が乱舞。はっとしました。そんなふうに見えて、なんというか、とても幸せな気持ちになりました。

■たくさんの阿弥陀仏の蕾、もうじき広がって花を咲かせます。

日経ビジネス「辺境の地になった日本 生き残る道は世界の“古都” ノンフィクション作家・高野秀行」

動画「2分(とすこし)で解説 びわ湖の日とMLGs」


■本日、琵琶湖保全再生課水政策係から以下のようなメールが届きました。

石けん運動、そしてマザーレイクフォーラムが担ってきた、自分たちの環境は自分たちで守ろうとする“自治”と、県民と行政が協力しながらそれを達成しようとする“連携”の精神を受け継ぐべく、きたる令和3年7月1日「びわ湖の日」40周年に、新たな取組がはじまります。それが『マザーレイクゴールズ(MLGs)』です。

令和3年(2021年)7月1日は「びわ湖の日」40周年。
びわ湖の日と、その精神を受け継ぐ新たな取り組みマザーレイクゴールズ(MLGs)について解説します。

MLGsへの賛同はこちらから簡単にできます!
https://s-kantan.jp/pref-shiga-u/offer/userLoginDispNon.action?tempSeq=9485

MLGsについての詳細は、「マザーレイクゴールズ(MLGs)アジェンダ(素案)」をご覧ください。
https://www.pref.shiga.lg.jp/kensei/koho/e-shinbun/bosyuu/317517.html

#琵琶湖
#滋賀県
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#マザーレイク
#マザーレイクゴールズ
#びわ湖の日

■ということで、私もMLGsへ賛同いたしました。

ニュージーランドの今


■ニュージーランドでは、新型コロナウイルスの感染者急増に対して国家非常事態を宣言しました。25日のことです。この日から特別なことがなければ外出できなくなりました。その日の晩、ニュージーランドのアーダーン首相は、ネット上のライブで、外出制限が続く数週間に備えるために、オンラインで国民からの質問に答えました。お子さんを寝かしつけて、モスグリーンのカジュアル…というか、普段着のままで国民からの質問にフランクに答えておられます。素敵だなあと思いました。

■このことをネットで知り、facebookにシェアしたところ、知人から次のようなメッセージが届きました。家族でニュージーランドに暮らしているお嬢さんとのやりとりを教えてくださいました。今は、LINEでどこにいてもすぐに話すことができます。お嬢さんは、「首相が自宅で普段着で普通の口調で色々話してくれて、皆んなからの質問にも丁寧に答えてくれて、物凄く感動するし、信頼出来るし、この首相の国に住む事が出来てとても良かった」と思われたとのことでした。ここにあるのは、首相という政治的リーダーと国民との間の信頼関係ですね。日本にいると、とても羨ましくなります。

■知人は、普段の生活のことも教えてくださいました。新型コロナウイルスでお孫さんたちの学校が休みなので、学校の先生からも動画とかチャットで、しかもわざわざコスプレをして、子どもたち1人ずつに、どう暮らしているのかを丁寧に聞いてくれてるのだそうです。スーパーにはきちんと物は揃っているし、犬の散歩も許されるけれど、ほとんど外出してる人はいなくて、皆んな野菜の苗を買って庭で育て始めているとのことです。また、スーパーで小麦粉を買ってる人も多いようで、どうも自宅でパンを作っておられるようです。生活に必要なものをお金で買う、そのお金を稼ぐために働く…というのではなくて、生活に必要なものを手に入れるために働いているのです。もちろん、自宅に閉じ込められて時間が余っているせいもありますが、改めて暮らしの豊さとは何か、幸せとは何かということを感じておられるのではないでしょうか。そうだったら、素敵だなと思います。

高齢者とまちづくり

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■先ずは、左の写真から。昨年の11月、彦根の農村地域で始める「終活を視野に入れたまちづくり」のキックオフミーティング…という名の呑み会を開きました。集まったのは、県職員OBで元副知事の田口宇一郎さん、滋賀県社会福祉協議会の谷口郁美さん、龍谷大学の非常勤講師で尼崎の西正寺の僧侶、お寺を地域に開いていく活動に取り組む中平了悟さんの皆さんです。一昨日は、そのうちの谷口さんと中平さんに再びお集まりいただき、人の終末「老→病→死」をシームレスに支えるために、医療と福祉と宗教が一体化した仕組みを地域づくりの中で生み出していくことはできないか…ということを課題にミーティングを行いました。福祉のプロである谷口郁美さんと宗教のプロである中平了吾さんのお二人と議論させていただき、いよいよプロジェクトも具体的な一歩を踏み出せるかな…という状況になってきました。大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」のテーブルで、まずはガチで1時間半議論をしました(酒抜き)。そして、当然のように、その後は懇親です(酒あり)。お2人からは、実に有益なお話を伺うことができました。ありがとうございました。次は、彦根に現地で地域の皆さんもご参加いただく作戦会議を開催しようと思っています。

■2枚目の写真。こちらは昨日のものです。またまた大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」です。「あんたには、『利やん』しかないのか」と呆れられるのかもしれませんが、正直のところ「利やん」しかありません。まあ、それはともかく、この日は、大津市の中央学区にある市民センターで、地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」コース(社会共生実習・「地域エンバワねっと」)に関する、地元の皆さんとの定例の会議が開催されました。「大津エンパワねっとを進める会中央」です。この日は、地域の皆さんから興味深い提案がありました。地域で引きこもっていて高齢の男性を誘い出して、スーパーで一緒に買い物をして(スーパーで買い物をされたことがない…)、ちょっとした料理もできるようになっていただき…みんなでおつまみを作って飲み会をする「おつまみクラブ」という大津の街中でのプロジェクトの提案です。なんだか「楽しそう」ですね。これからの時代、地域における様々な活動には「楽しい」に加えて、心が満足する「嬉しい」や、胃袋が満足する「美味しい」も必要になってくると私個人は考えていますが、この「おつまみプロジェクト」はその3つの「しい」にぴったりの活動です。もちろん、これは基本的なアイデア、そしてアウトラインであって、ここに学生の皆さんが地域の皆さんと力を合わせて様々な知恵を付け加えて肉付けしていく必要があります。「大津エンパワねっと」を履修している学生の皆さんの挑戦が始まります。

■大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」。私の場合、地域づくりの活動のスタートやアイデアを涵養してく上で、必要不可欠な場所なのかもしれません。

「SDGs x 仏教」

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■ネットで「『SDGs x 仏教』の秘めたる可能性 日本はイニシアチブをとれる」(Forbes Japan)という記事を読みました。

石上智康『生きて死ぬ力』

20180814iwagami.jpg ◾️先月の最後の教授会の際にいただきました。浄土真宗本願寺派総長・龍谷大学理事長である石上智康先生が執筆されたものです。本学の入澤崇史学長から「建学の精神の涵養」という点から目を通すようにとのメッセージが添えられ、教職員全員に配布されました。自分なりに仏教を勉強してきたこともありますが、昨日から通勤の際に読んでいます。おそらく、読むたびに、その時々の自分の内面の状態との関係で、違った味わいがあるんじゃないだろうか。タイトルも素敵だなと思いました。

◾️この本を専門的な仏教書かといえば、そゔであり、そうではありません。そうであるというのは、仏教の思想の中にある「縁起」と「空」、そして「無常」の概念が、よく理解できるように書かれているからです。そうではないというのは(ちょっと誤解を産みそうですが…)、通常の文体ではないということです。私が所属する社会学部のある同僚は、「これは詩集のようなものですね」とおっしゃっていました。また、ある事務職員の幹部の方は、「どうして、こういう本を書かれたのか…」と不思議に思っておられるようでした。お二人とも僧侶です。私は、宗教者ではありませんが、この新書に書かれたイメージがストレートに自分の思考の中に受け止めることができました。

◾️興味深かったのは、養老孟司さんや福岡伸一さんのような、自然科学者の著書を参考文献にあげておられることです。詩的な文章の中に、引用のような形で触れておられます。福岡さんのいう「動的平衡」の考え方と仏教の「縁起」の考え方が、共振し合っているのです。「無常の風が 吹いている 『ただ』それだけ」なのです。「無常」とマイナスのイメージで語られる「無常観」とは違います。以下、33〜45頁を引用してみます。

「変化こそが 真のすがた」

一九四五(昭和二〇)年 敗戦の時
東京は 見渡すかぎり 焼け野原

上野駅には 敗残の民と 悪臭が 満ちあふれ
マッカーサーを乗せた 高級車が
お堀端を 走っていた
ひとり 我がもの顔で
音も なく

今は 高層ビルの 林立
世界のブランド品や 香水が 街に あふれている
五十年 百年の後
どんな姿に なるだろう
その時 私は もういない

学校に入る 時
卒業する 時
誕生や 死亡届の 時も
私の名前は ずっと 同じ
  
朝 起きた時の 血圧と
仕事につく時の 血圧でさえ
もう違っているのに

「小腸は 一ヶ月で 細胞が
完全に 入れ替わり(中略)
人間の身体の 細胞は 一年経て
ほぼ 全て 入れ替わ」る(養老孟司)

人は みな
行く雲 流れる川と 同じ
仮に 同じ一つの名前を 使っている だけ

「体脂肪で さえも
ダイナミックな『流れ』の中」
「流れ自体が
『生きている』ということ」(福岡伸一)
「変化こそが
生命の 真の姿」(シューハイマー/福岡伸一)

いつでも どこでも
無常の風が吹いている
証を必要としない この世の 事実

それ なのに
その時どきの すがたに 執われて
嘆き悲しんだり 喜んだり してしまう
この 私

思いどおりになれば 嬉しく
ならぬ時には 腹が立つ 涙する

花は美しく咲いて 自慢しない
いつまでも 咲いていたい と欲ばらない

気がつかぬほどに
あるいは 劇的に
無常の風が 吹いている
「ただ」」それだけ
はかないとも 嬉しいとも
何も いわず

「変化こそが
生命の 真の姿」

あるのは
変化 そのもの
ただ それだけ

変化していること もの 全てが
そのまま 真実のすがた

在るがままに
すべてが 障りなく 一つになって いて
自他の対立も ない

琵琶湖博物館の「同窓会」

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■私は、1991年の4月から1996年の3月まで、滋賀県庁職員として、滋賀県草津市の下物半島にある滋賀県立琵琶湖博物館の開設準備に取り組んでいました。1996年4月から1998年3月までは、博物館の主任学芸員として勤務しました。昨晩は、博物館づくりに一緒に取り組んだ方達との「同窓会」でした。職場で「同窓会」というのも、なんだか変な感じですが、気持ちとしてはやはり「同窓会」なんです。場所は、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」です。昨日は、川那部浩哉さん(元滋賀県立琵琶湖博物館館長、元日本生態学会長)、嘉田由紀子さん(私の直接の上司、元滋賀県知事)、田口宇一郎さん(元琵琶湖博物館副館長、元滋賀県副知事)、西岡伸夫さん(元琵琶湖博物館副館長)を始めとする当時の事務職員、学芸職員だった皆さんがお集まり下さいました。琵琶湖博物館の現副館長である高橋啓一さんと私以外は、基本的に60歳以上の方達です。その高橋さんも、もうじきご退職だそうです。というわけで、58歳の私が最年少になりました。

■昨年の3月に仙台で開催された日本生態学会の懇親会の場で、川那部浩哉さんとお会いしたことが、昨晩の「同窓会」を企画することになった直接のきっかけでした。川那部さんに、田口さんや「利やん」のことをお話ししたところ(田口さんとは「利やん」でよくお会いします)、「それは行ってみないとあかんな」とおっしゃったことが、事の始まりでした。皆さんのご協力のもとで、連絡を取り合い、なんとか開催することができました。昨日、お集まりくださった中では、館長を務められた川那部さんが、最年長でした。85歳です。とてもお元気です。老人ホームに入っている自分の母親と同い年とはとても思えません。開館当時、琵琶湖博物館の企画調整課の課員として川那部さんに必死なって仕えました。その時に、いろいろ学ばせていただきました。そのようなこともあり、昨晩は、川那部さんのお元気なご様子を拝見できてとても嬉しく思いました。

■「同窓会」では、皆さんにひとことずつ近況をお話しいただくことにしましたが、ひとことずつ…では終わるはずもなく、人の話しを聞かずにどんどん突っ込みは入れるは、なんだかんだで収拾がつかなくなりそうになりましたが、それでも皆さんの近況を知ることができました。よくこれで、あの博物館を開館させることができたなぁ…と思わないわけではありませんが、逆に、「今から思えば…」の限定付きですが、このような方達と一緒だったからこそ、当時としてはかなりユニークな博物館を開設させることができたのかもしれません。面白い経験ができました。

■この場におられる方達との「ご縁」のなかで、琵琶湖や琵琶湖流域で仕事をすることになり、今でもそれがずっと続いています。博物館を開設する中で、組織の中での仕事の進め方についても学びました。今も、龍谷大学で仕事をする上での土台になっています。それぞれの方との出会いや、一緒に仕事をさせていただいた経験が、私の人生に大きく影響を与えています。そのような出会いや経験が、「人生の転轍機」になっていることに気がつきます。人生は、不思議なものですね…。大騒ぎの同窓会の片隅で、静かにそう思いました。

■よく知られていることですが、文芸評論家の亀井勝一郎は「人生は邂逅の連続である」と言っています。私はそのことを、大学浪人をしている時に、現代国語の問題で知りました。まだ人生の経験がないものですから、「人生は邂逅の連続である」と言われても心の底から実感することはできなかったと思います。むしろ、自分の人生は自分の力で切り開いていく…そのようなイメージの方が強かったのではないでしょうか。還暦近くになって過去を振り返ったとき、やっと「人生は邂逅の連続である」という事柄の意味を少しは実感できるようになったのではないか…そのように思うわけです。

■長い人生では、様々な辛い悲しい出来事があり、自分の置かれた状況にも不満を持ってしまいます。ひどい目にも会うわけですし、人を恨むこともあります。しかし、その時々を超えて、大きな視野で過去を振り返った時に、その中に浮かび上がってくる「一筋の意味」を見出すことができるかどうか、そこが大切かなと思っています。「一筋の意味」と言っても、それは単に過去を合理化して正当化しているだけでしょう…と言われればそれまでなのですが、その「一筋の意味」を見出すことができるかどうかが、その人の「人生の幸せ」と深く関係しているように思います。様々な人との偶然の出会いとは、その時々の自分に都合の良い出会いだけではありません。嫌な出会いもあるでしょう。そのような全ての偶然の出会い=「ご縁」が連鎖することの中で、そのような「一筋の意味」が紡がれているわけです。そのことに気がついたとき、何か不思議な気持ちになります。そして自分が何か超越した存在に生かされているような気持ちにもなります。そのことに深く感謝することができるようになったとき、「人生の幸せ」は深まりを増していくのだと思います。過去を否定して、切り捨てることだけでは「人生の幸福」は深まらないと思います。

市電が走る風景

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■京都駅のそばにある「京都タワーホテル」のポスターに目が止まりました。「同窓会プラン」と書いてありますから、うちのホテルで同窓会を開催しませんか…ということなのでしょう。写真は、京都タワーなのですが、何かちょっと違う…。そうです、市電が走っています。停車場も写っています。変わらないのは、京都タワーホテルの入ったビルと、その向こうに見える関西電力のビルかな。
■私は、この京都の市電に1度だけ乗った記憶があります。1978年9月30日に全廃されていますから、それ以前ですね。高校生の時です。もっとも、当時は神戸の高校に通学していましたから、この記憶は「旅人」の記憶です。ですから、このポスターを見ても心の底から懐かしいという気持ちは湧いて来ません。ただし、やはりといいますか、全体に漂う「昭和」の雰囲気には何か心が反応するような気がします。

■下の画像は、ポスターの中にあった昭和29年(1954年)当時の京都駅前の写真です。北に向かう烏丸通りを撮っているんだと思います。現在の京都タワーのビルはまだありません。ここは、確か京都中央郵便局だったかな。確信はありませんが、多分そうだと思います。その後ろ、北側にあるのは「丸物」(まるぶつ)、デパートです。現在は、「ヨドバシカメラ」のビルが建っていますが、以前、ここは近鉄百貨店でした。2007年まで営業をしていたようですが、記憶がはっきりしません。このビルを壊して、新しく建て直したものが「ヨドバシカメラ」の入っているビルになります。このように京都駅前にはビルが建っていますが、写真を見る限りその向こうには高いビルがありません。車の通行量も、圧倒的に少ない…。63年前の風景です。

■都市の景観はどうあるべきなのか。難しい問題です。都市のアイデンティティといっても良いかもしれません。ある人がこういっていました。

品格のある都市の景観は、急激には変わらない。人々が自らの都市にとって「本質的」だと感じている「もの」や「こと」を維持しながら、少しずつ新陳代謝をしていく。新陳代謝していくけれども、何か持続している。そういう都市は品格がある。急激に変わるというのは、何か背後に経済が金が動いているからだ。そのような経済や金の動きを抑制しながら、少しずつ新陳代謝していくことの繰り返しの中に品格は生まれていくのだ。

■京都は景観行政としては、全国的にも注目される都市ですが、実際のところはどうだったんでしょう。

「和顔施」

20160219anaohinasan.jpg ■昨日も深草キャンパスでした。朝、横断歩道を渡ってキャンパスに入ろうとしていた時のことです。目の前を自転車に乗った中年の男性が通り過ぎていきました。通り過ぎる時、笑顔で「おはようございます!」と私に向かって挨拶をしてくださいました。私も、笑顔で挨拶を返しましたが、「はて、どなたかだったか…」と数秒間考えなければなりませんでした。大学のすぐ近くにある中華食堂「新華」のご主人だったのです。普段は、調理場で料理をされている時のイメージが強いこともあり、普段着で自転車を漕がれていても、すぐにはわからなかったのです。しかし、笑顔で挨拶をしていただいたことで、私も幸せな気持ちになることができました。ありがたいことです。

■午前中は、いろいろ準備をして昼前の重要な会議で報告を行いました。緊張しました。研究部は、実にいろんな仕事があります。1年近く研究部長の仕事をしてきましたが、仕事の幅が相当広いことに驚きました。そのような会議の後、昼休みに廊下を歩いていると、一人の女性職員の方に呼びとめられました。職場の「兵庫県人会」のメンバーのお一人でした。なんでも、春の高校野球選抜大会の「21世紀枠」に母校が選ばれたのだそうです。マスクを外して笑顔で話してくれた。とても嬉しそうでした。私が「兵庫県人会」のメンバーであることから、喜びを共有したかったのでしょうね(ちなみに、彼女の母校は、私の母校のお隣りです)。

■ひょっとすると、幸せは「笑顔」を媒介に広まっていくのかもしれません。仏教には、「和顔施」(わげんせ)という言葉があります。他の人に笑顔で接することです。特別な財産や地位などなくても、例えばお金がなくても、誰でもできるお布施を「無財の七施」と呼んでおり、「和顔施」はそのうちの一つなのだそうです。ここには、大きなヒントがあるような気がしてなりません。さて、そんなことを考えつつ、昨日は午後から自分の研究費の事務仕事に集中しました。書類を仕上げると、すっかり夜になっていました。帰宅後も、学外の仕事の書類をチェックすることで時間がすぎていきました。まあ、こんな日もありますね。(写真は、本文と関係ありません。文章だけだと寂しいので…)

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