“Collaborative Governance of Forests Towards Sustainable Forest Resource Utilization”
▪︎Facebookで、知人の井上真さんが、ご自身の研究チームの成果をまとめられました。“Collaborative Governance of Forests Towards Sustainable Forest Resource Utilization”です。ちょっと高目の値段の専門書ですが、さっそく予約しました。東京大学出版会から出ます。この本の出版に関しては、Columbia University Press と Singapore University Press も協力しているとのことです。私たちの総合地球環境学研究所の研究プロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」は、生物多様性・栄養循環と流域の環境ガバナンスのあたりをテーマにしており、森林の井上さんたちの研究とは異なる部分があるとは思いますが、基本的な考え方のところでいろいろ学ばせていただけるのではないかと思っています。
▪︎以下は、東京大学出版会での紹介文と目次です。
在地と外来の利害がせめぎ合う熱帯社会において,自然資源と社会の持続的発展を支える森林ガバナンスのために必要な条件とは何か.資源や権利を共に活用し,多様な利害を分かち合うことで,複数のアクターを取り込む包摂的アプローチとしての「協治」の可能性を探る.
主要目次
Introduction (Motomu Tanaka)Part I: Policies, Institutions and Rights to Share:Prerequisites for Collaborative Governance
Chapter 1 Historical Typology of Collaborative Governance: Modern Forest Policy in Japan (Hiroaki Kakizawa)
Chapter 2 Endogenous Development and Collaborative Governance in Japanese Mountain Villages (Hironori Okuda/Makoto Inoue)
Chapter 3 Collaborative Forest Governance in Mass Private Tree Plantation Management: Company-Community Forestry Partnership System in Java, Indonesia (PHBM) (Yasuhiro Yokota/Kazuhiro Harada/ Rohman/Oktalina Nur Silvi/Wiyono)
Chapter 4 Legitimacy for “Great Happiness”: The Communal Resource Utilization in Biche Village, Marovo Lagoon in the Solomon Islands (Motomu Tanaka)Part II: Sharing Interests, Roles and Risks: The Process of Collaborative Governance
Chapter 5 Task-sharing, to the Degree Possible: Collaboration between Out-migrants and Remaining Residents of a Mountain Community Experiencing Rural depopulation (Mika Okubo)
Chapter 6 Collaborative Governance for Planted Forest Resources: Japanese Experiences (Noriko Sato/Takahiro Fujiwara/Vinh Quang Nguyen)
Chapter 7 Forest Resources and Actor Relationships: A Study of Changes Caused by Plantations in Lao PDR (Kimihiko Hyakumura)
Chapter 8 Whom to Share With? Dynamics of the Food Sharing System of the Shipibo in Peruvian Amazon (Mariko Ohashi)Part III: Sharing Information: Extending Collaborative Governance
Chapter 9 Providing Regional Information for Collaborative Governance: Case Study regarding Green Tourism at Kaneyama Town, Yamagata, Japan (Nobuhiko Tanaka)
Chapter 10 Simulating Future Land-cover Change (Arief Darmawan/Satoshi Tsuyuki)
Chapter 11 Potential of the Effective Utilization of New Woody Biomass Resources in the Melak City area of West Kutai Regency in the Province of East Kalimantan (Masatoshi Sato)Final Chapter (Makoto Inoue)
▪︎編者は井上真さん東京大学農学部に勤務されていますが、もうお一人は田中求さんで、ご所属は九州大学の「持続可能な社会のための決断科学センター」です。このような研究機関が九州大学に設置されているとは知りませんでした。様々な学問分野を統合する形で組織されています。メンバーのなかには知っている方もおられますね。詳しくは、こちらをご覧ください。少し公式サイトから引用します。
「決断科学」とは,さまざまな不確実性の下で,価値観の多様性を考慮しながら最善の決断を行い,その決断を成功に導く方法論に関する科学である. この新たな科学は,複合的で不確実性を持つ現象についての洞察と俯瞰的理解,不合理性を伴う人間行動・心理の体系的理解, および地球環境と人類社会が直面する諸課題についての統域的理解によって成り立つ. 科学を基盤としてこれからの時代を牽引するグローバルリーダーには,専門分野における世界でトップレベルの研究業績に加え, 自然科学・社会科学を統合した問題解決型の新しい科学(統域科学 Trans-disciplinary Science)を開拓し, 適確な決断を通じて人類社会の持続可能性達成に大きく貢献する能力が求められる. 「持続可能な社会を拓く決断科学大学院プログラム」ではこの要請に応えるために,地球環境と人類社会の持続可能性に向けてのオールラウンド型科学として, 「決断科学」(Decision Science)を開拓するとともにその人材を育てることを本プログラムの目標とする.
▪︎これを読んだだけでは、具体的な内容についてはわかりませんが、新しい学問地の形成を目指していることは間違いありません。このような言い方をすると叱られるかもしれませんが、欲張った内容になっていますね。私が共同研究員をしている総合地球環境学研究所もそうですが、多くの大学や研究機関で、実際の複雑な問題をどのように解決していくのか、多くのステークホルダーとともに問題をどのように解決していくのかという課題に取り組んでいます。超領域、あるいは超学際的と呼ばれる新たな学問の構築が目指されているのです。単なる「理念」や「はったり」ではなく、実質的に成果を生み出していくために、多くの人びとが懸命になって研究に取り組んでいます。しかし、そのような新たなパラダイムにもとづく学問の構築には、まだ時間と努力が必要だと思います。
小佐治での生き物調査
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▪︎総合地球環境学研究所のプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」のフィールドのひとつである、滋賀県甲賀市小佐治にいってきました。小佐治では、今年度、滋賀県庁農林水産部や滋賀県立琵琶湖博物館の支援で、集落の環境保全部会の皆様が「豊かな生きものを育む水田づくり」のブロジェクトに取り組むなかで、定期的に水田の生き物調査を実施されています。また、地域の子どもたちと水田の生き物の観察会も開催されています。昨年の夏から、私たち地球研のプロジェクトでも、この小佐治の活動に参加させていだたいています。
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▪︎今回は、冬なので、どれほどの生き物がみつかるのかな…と心配していましたが、夏と比較すると生き物の影は薄いですが、トンボの幼虫であるヤゴ、ゲンゴロウ、マツモムシ等の水性昆虫、そしてメダカ、ドジョウ等の魚たちが多数確認できました。それから、私は初めて見ましたが、アカガエルの卵も多数確認することができました。アカガエルは、早春に卵を産みます。水田周辺の森林に生息しています。そして、春先に冬眠を一時中断して繁殖のため池や沼などに産卵するようです。この小佐治では、土質が細かく水田が割れてしまわないように、水を張ってある水田が多く、田んぼのなかにもアカガエルが産卵にやってきます。
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▪︎左は水田の水たまりに産卵されたアカガエルの卵です。そばに寄ってみると、右のような感じです。なんといいますか、こんな飲み物がありましたよね。なんといったかな…。バジルシードという飲み物かな。それから、タピオカ…って感じもしますね。もちろん、これらの卵は、観察したあとは、必ず水田に返しています。午前中の観察会のあとは、地球研の私たちのプロジェクトのコラボレーションの内容に関して、地元の環境保全部会の皆さんと話し合いを行いました。なんとか、見通しがたってほっとしました。詳しくは、またいずれご説明することになろうかと思いますが、生き物のにぎわい作り(生物多様性の保全)の活動と営農やコミュニティビジネスとの関係、流域の水質や栄養循環との関係、コミュニティ形成等との関係について研究上の関心をもちつつ、小佐治の皆さんとの連携していく予定です。
総合地球環境学研究所にて
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▪︎「総合地球環境学研究所」のことについては、このブログで何度もエントリーしてきましたが、参加している地球研のプロジエクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」が、4月より、いよいよフルリサーチの段階に進みます。地球研では、以下のような仕組みになっています。
地球研では、既存の学問分野で区分せず、「研究プロジェクト方式」によって総合的な研究を展開しています。
研究プロジェクトはIS(インキュベーション研究 Incubation Study)、FS(予備研究 Feasibility Study)、PR(プレリサーチ Pre-Research)、FR(フルリサーチ Full Research)という段階を経て、研究内容を練り上げていきます。
国内外の研究者などで構成される「研究プロジェクト評価委員会(PEC)」による評価を各対象年度に実施し、評価結果を研究内容の改善につなげています。研究の進捗状況や今後の計画について発表し、相互の批評とコメントを受け研究内容を深める「研究プロジェクト発表会」を年に1回開催しています。
CR(終了プロジェクト Completed Research)は、社会への成果発信や次世代の研究プロジェクト立ち上げなど、さらなる展開を図っています。
▪︎「段階を経て、研究内容を練り上げ」、「研究プロジェクト評価委員会(PEC)」による評価を毎年受けることが、義務付けられています。これがこの研究所の特徴なのですが、フルリサーチの段階に進むまでには、たくさんのプロジェクトが評価を獲得できずに脱落していきます。プロジェクトが取りやめになります。非常に厳しい評価制度になっています。私たちは、なんとかフルリサーチまで進むことができましたが、フルリサーチを進んだ後も、毎年厳しい評価を受け続けなければなりません。今日も、実は、その評価委員会が開催されています。リーダーの奥田昇さんが頑張っているはずです。数日前、プロジェクトのコアメンバーの皆さんが集まって「研究プロジェクト評価委員会(PEC)」の評価を受けるための「作戦会議」を開催しました。会議のあとは、その翌日に滋賀県の甲賀市の農村で行う調査の準備をしなければなりませんでした(まだ、本格的な調査の前段階あたりなのですが、農村のリーダーの皆さんと相談をしながら、少しずつ前進しています)。そうやっているうちにすっかり晩になってしまいました。写真は、その時のものです。
▪︎黒いシルエットの建物は、地球研です。丘の斜面に建設された不思議な形をした建物です。帰りは、畏友でもある京都大学生態学研究センターの谷内茂雄さんと一緒でした。谷内さんとは、長年にわたり流域管理に関する研究プロジェクトを一緒に取り組んできました。いずれも、文理融合を基盤にした学際的な流域管理に関する研究プロジェクトです。今回の地球研のプロジエクトのばあいは、さらに地域住民の皆さんや行政の皆さんとも協働・共創(Co-design/co-production)しながら進める「超学際研究(trans-disciplinary)」的研究になります。
▪︎この日、谷内さんとは、叡山電鉄で京都の街中まで出かけて、夕食を一緒にとりました。谷内さんは、「IPBES(生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム)」の報告書作成のメンバーです。昨年の10月にはオランダで第1回目の会議が開催され、来月はアルゼンチンで第2回目の会議が開催されるそうです。谷内さんからは、そのようなIPBESの動向や、環境科学分野の国際的な動向などをいろいろ教えてもらいながら、これからのプロジェクトの方向性に関して意見交換をしました。総合地球環境学研究所は、「Future Earth」のアジアの拠点になっています。「Future Earth」とは、持続可能な社会への転換のためには、科学者と社会の様々なステークホルダーとが超学際的連携・協働を行うための国際的な枠組みです。詳しくは、このパンフレットをお読みいただきたいと思いますが、私たちはこのような国際的な動向を視野にいれながらプロジェクトに取り組んでいます。
甲賀市の大原財産区を訪ねる
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■総合地球環境学研究所のプロジェクトで、甲賀市にある大原財産区の事務所を訪問しました。いろいろお話しをお聞かせいただいたあとは、大原ダムを見学しました。農業用のダムです。下流には、私たちのプロジェクトで調査を進めている小佐治という集落があります。古琵琶湖の湖底だったところが隆起してできた丘陵地帯に、降雨によりいくつもの谷筋が生まれました。いつの時代かはわかりませんが、小佐治の皆さんは、この谷筋に水田を作り農業をしてきました。いわゆる八津田です。そして、後背地の丘陵の森林の中にため池を作り、そのため池の水から灌漑していました。大きなため池が5つ、小さなため池は無数にあったと言います。水不足の時のために、小さな無数のため池に水を貯めてリスクを分散させていたのです。しかし、大原ダムができてからは、そのような灌漑に伴う苦労は無くなりました。無数にあった小さなため池は放棄されることになりました。生物多様性の観点からは、そのような無数にある小さなため池には意味があったと思うのですが…。このことについては、またこのブログの中で書くことにしたいと思います。
記録映画「鳥の道を越えて」
▪︎朝日新聞には「ひと」という欄があります。15日は、「ふるさとの鳥猟文化を記録する映画を撮った」今井友樹さんが紹介されていました。今井さんの故郷は、岐阜県の東白川村です。東白川村のある東濃地域(岐阜県の東の地域)では、鳥の群れをおとりで呼び寄せる「カスミ網猟」が古くから伝わっています。もちろん、現在では違法です。今井さんは、消えてしまった「カスミ網猟」に関する記録映画「鳥の道を超えて」を撮りました。その作品が、昨年のキネマ旬報ベストテンの文化映画作品賞に選ばれたようです。
▪︎私も、年に数回、岐阜県の東濃地方に行きます。私のばあいは、中津川市です。この土地の人たちからは、しばしば鳥猟の事を聞いてきました。そういうこともあって、今日の「ひと」の記事を読んでちょっと興奮しました。記事のなかに、「風土に根付いた庶民の生活文化を記録することが、日本の未来につながると確信した」とありました。その通りだとおもいます。この記録映画「鳥の道を超えて」、どこかで観ることができればいいなと思います。
【追記】関連情報です。
北陸地方における鳥猟文化の変遷に関する研究
農、漁、猟- 生活者にとっての本業とは何か? 水田漁撈とカモ猟からみる生業と自然の関係
Know your food, change the world. | Hiroyuki Takahashi | TEDxTohoku
▪︎「都会人に欠けている”共感力”とは? 食べ物付きの月刊誌『東北食べる通信』が伝えたいこと」。高橋博之さん。彼の強い思いが伝わってきます。
私たちが毎日食べているお米。これを作っている生産者が困っているんですから、決して他人事ではいられないはずです。だけれども、どうしてこうも他人事になってしまうのでしょうか。
それは、困っている農家の具体的な顔が思い浮かばないからだと思います。もしも顔が思い浮かぶ農家が知り合いにいたら、決して他人事ではいられないのではないでしょうか。その相手との関係性が「共感力」を育むのです。
消費者と生産者が大きな流通システムで分断されてしまったこの国で、私たち消費者が得られる食べ物の情報は、値段、見た目、食味、カロリーなど、全て消費領域の話です。もちろん食べ物を選ぶ上でこれらの情報も大事なわけですが、決定的に欠けている情報があります。それが食べ物の裏側にいる、血の通った人間の存在です。……
甲賀市の小佐治を訪問
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▪︎先週の水曜日(2月11日)、総合地球環境学研究所の奥田昇さんと一緒に、滋賀県甲賀市の小佐治集落にある「甲賀もちふる里館」を訪れました。奥田さんがリーダー、私がコアメンバーの1人として取り組んでいるプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」について相談をするためです。小佐治集落からは、環境保全部会の皆さん、小佐治集落の区長さんがご出席くださいました。小佐治集落は、滋賀県庁や滋賀県立琵琶湖博物館の支援のもと、「世代をつなぐ農村まるごと保全向上対策」のための事業に取り組んでいます。そのような関係もあり、この日は、滋賀県庁農林水産部農村振興課の職員や琵琶湖博物館の学芸員の方たちもご参加くださいました。
▪︎小佐治では、水田の内部に水田内水路を設けて、年間を通じて生き物が生息できる場所を提供しています。生き物が生息できるということは、安心・安全な農産物を生産している水田でもあるということの証明にもなります。現在、そのような水田では、メダカが繁殖して藻のなかで越冬していることが確認されています。小佐治も含めた甲賀市の農村地域の水田は、「ズリンコ」と土地の人びとが呼ぶ古琵琶湖層群の粘土でできています。きめが細かいため、水田から水を抜くことが難しい土質なのです。この湿田に苦労されてきました。小佐治では、そのような性質をもつ水田の内側に水路をつくり、塩ビのパイプ等を設置し、生き物の生息場所をつくってきたのです。その効果は生き物だけでなく、作付け面積が減るものの水田内の水位調整が容易になり湿田が解消することにもなりました。右の写真は、そのズリンコです。ズリンコのなかにあるのは、淡水貝の化石です。ここがかつて琵琶湖の底であったことがご理解いただけるとおもいます。
▪︎このような小佐治の生き物を賑わいを育む取り組みは、村の活性化にもつながっています。メダカが繁殖した水田で生産した米は、「めだかのいる田んぼの米」(メダカ米)として販売されています。販売されているのは、集落のなかに設けられた農村レストラン&直売所の「甲賀もちふる里館」です。さきほど「ズリンコ」について説明しました。たしかに「ズリンコ」は農作業が大変です。しかし、この粘土のなかにはケイ酸カリやマグネシウムが豊富に含まれており、稲やもち米が強く育つのです。小佐治では、そのような地域の環境特性を活かして、村づくりの活動にも取り組んでおられるのです。
▪︎さて、私たちの総合地球環境学研究所のプロジェクトでは、この小佐治の生き物のにぎわいづくりを通した村づくりの活動を、プロジェクトの研究調査を進めることのなかで応援させていただければと思っています。少しずつ相談を進めてきました。具体的な計画の詰めはこれからということになりますが、いよいよこの春から「超学際(トランスディシプリナリティ) 」的取り組みが始まります。
「個人主義的な『新しい学問』の姿 - 自立と連携でつくる」(井上真・『SEEDer』No.11, 2014,昭和堂)
▪︎何度も、このブログで紹介させていただきましだ、私は、総合地球環境学研究所の流域管理に関するプロジェクトに参加しています。その総合地球環境学研究所=地球研に関連する雑誌が、京都の昭和堂から出版されています。『SEEDer』という雑誌です。「全国共同利用機関としての地球研と全国の国公私立大学との共同利用・共同研究の連携をとおして「地域」と「環境」の「情報」を統合した<知>を共有する拠点形成の研究連絡誌です」。その最新号である11号に、交流のある井上真さんのエッセイが掲載されています。「個人主義的な『新しい学問』の姿 - 自立と連携でつくる」というエッセイです。このエッセイのことを、仕事上のやりとりをしているさいに、井上さんご自身から教えていただきました。私自身、30歳代のころから、既存の社会学の枠組みからはみ出て仕事をしてきたということもあり、井上さんのこのエッセイに共感しました。(本文、続きます)
「限界集落株式会社」
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▪︎黒野伸一さんの『限界集落株式会社』が、NHKのドラマになるようです。主演は、反町隆史さん。カッコいいですね〜。このドラマのホームページで、制作統括をされた落合将さんが、次のように語っておられます。
NHKの現代ドラマ、久しぶりの農業ものです。農業を撮影するのは困難を極めます。作物の状態が、限られたスケジュールに合うのか、台風などの襲来によっては撮影用の畑が壊滅します。それでも、その困難な素材に正面から取り組んだのは、いま劇的に日本の農業をめぐる世界が変わってきているからです。ドラマをつくるにあたって、いろいろ取材をされていることがわかります。
日本の農村はいまや「限界集落」どころではなく「地方消滅」の危機を迎えています。そのなかで、地方唯一の産業「農業」を通じて、一矢を報いていく小さなチームを描くときに、バブルの時代に描かれたのんびりした空気の流れる「村おこし」を描くことはもはやできませんでした。シビアな時代に、どういまある力を使って、仲間たちと立ち向かっていくのか、難しい題材を描く際に、あとおししてくれたのは、実際に農業法人をたちあげて、新しい農業の形を模索する若者たちの姿でした。農業未経験者の彼らは、都会ではなく、農村に夢を求めて、アイターンしてきます。旧来の世襲制度が崩れ始め、地方の農村が変わり行く中で、私たちの目には彼らが「開拓者」のように見えました。そういったたくさんの取材先の方々たちの力を借りながら、この挑戦的な企画はなりたちました。出来上がったドラマもまた、素晴らしい出演者の皆さんの力を借りた、現代の「開拓者たち」のドラマに仕上がったと思います。
▪︎黒野さんの本自体は、研究室に置いてあるのですが(本のタイトルに惹かれて…)、まだ読めていません。原作とドラマは少し違っているようですが、まずは明日31日(土)から始まるドラマを視ることにしたいと思います。小説自体の評価は様々なようですが、大切なことは、ここからどういうメッセージを受け取るかでしょうかね。このような限界集落のようなテーマと関連する新書を紹介したことがあります。1月7日のエントリー「『農山村は消滅しない』(小田切徳美・岩波新書)」です。こちらの方、ぜひご覧いただければと思います。新書の著者である小田切徳美さんの講演の動画も貼り付けてあります。
【追記】▪︎さきほど、ゼミ生が研究室に相談にやってきました。ゼミでおこなっている「北船路米づくり研究会」の活動に関して、ある財団に活動助成を申請するのですが、その申請書類をチェックしてほしいとやってきたのです。ちょっと雑談もしました。お父様が、時々、このブログを読んでくださっているとのこと。ありがとうございます。お父さん、娘さんは頑張って大学で勉強してはりますよ!!
小さな発見、わたしの知床『シリエトク ノート』第9号 2014年文月
▪︎「青山ブックセンター」の「青山ブックスクール」で企画主任されている作田祥介くんが、雑誌を送ってくれました。雑誌というか、小冊子かな…。まあ、それはともかくです。作田くんが、北海道の斜里町の方から、エゾジカ猟特集の雑誌をもらったのでと、私にも1冊わけてくださいました。『シリエトクノート』第9号です。「シリエトク」とは、知床のことです。アイヌの言葉で、地の果て…という意味なのだそうです。この雑誌の特集は、「エゾシカ猟」。冒頭で、猟師さんたちとエゾジカ猟を撮り続けているホンマタカシさんが座談会をされています。作田くんは、ここから何か環境社会学に通じるものを感じたらしく、私に送ってくれたのでした。
▪︎エゾジカ猟は、増えすぎて森林を破壊するエゾジカを駆除するために行われているものです。これについては、いろいろ意見の対立がこれまであったようです。この知床では自然保護運動が取り組まれてきたからです。このあたりの問題については、ネット上にあるNHKのニュースをご覧いただくことができます。
エゾシカ駆除へ 知床の決断 NHKニュースおはよう日本 2010年12月14日 放送
▪︎『シリエトクノート』の座談会では、このあたりのことが詳しくは説明されていません。駆除するハンターの皆さんは猟友会に入っておられますが、その猟友会の皆さん自身が、「我々が絶滅危惧種なんだよ」と揶揄しておっしゃるのです。ハンターが高齢化し減少していく一方で、近年は、あちこちで獣害の問題が深刻化しています。獣害は北海道だけではありません。このあたりの問題については、出版されてだいぶたちますが、鬼頭秀一さんの『自然保護を問い直す』のことが頭に浮かんできます。
▪︎鬼頭さんは、「生身」と「切り身」という独特の概念を使います。いずれも人間と自然との関係を表現するための概念です。そして、人間が社会/経済的にも、文化/宗教的にも、多様なネットワークのなかで総体としての自然と不可分なかたちでかかわりつつ生業を営み生活している一種の理念型の状態を「かかわりの全体性」と呼んでいます。それに対して、この「生身」の関係が、人間の都合で部分的な関係を取り結ぶようになったとき、それは「かかわりの部分性」ということになり、「生身」ではなく「切り身」ということになります。鬼頭さんは、「環境問題の本質は人間から離れて存在している自然の破壊にあるのではなく、人間と「生身」のかかわりあいがあった自然が「切り身」化していくことにある」と捉えます。そのうえで、「近代が、自然破壊と同時に自然保護という概念も生み出したと言ったのは、まさに、両極の二種類の『切り身』の関係が、近代という時代に出現したことを意味している」と述べています。
▪︎最近では、専門書ですが、『野生動物管理システム』(梶光一/土屋俊幸 編)という本も出版されています。これについては、2014年10月7日のエントリーで少しだけ紹介していますので、そちらをご覧いただければと思います。
▪︎『シリクトク ノート』第9号の最後の「編集後記」では、編集・制作作業にあたった中山芳子さんが、次のように書いておられます。素敵な文章だなと思いました。
雪のエゾジカ猟は、自分の生まれ育った斜里にいながらにして、映画の中の出来事のようだった。解体作業では、まだ若いシカの体にナイフが入り、鮮血とともに白い湯気がフワーッと立ち上がった時、あー確かに今の今まで、生きていたのだと感じ、自然に涙が出た。「カワイソウ」などというあいまい感情とは違う心の揺れ。解体に格闘する若いハンターを見守るベテランの視線の温かさ。そうして、内臓を抜いたシカを車まで引っ張って運ばせてもらうと、思いがけない重みに汗が吹き出た。いのちの重み。野生動物や、雄大な風景がクローズアップされがちな知床だけど、こうして人間が常に自然に携わり、いのちに対峙し続けている。良くも悪くも、人間が居てこそ知床なのだと思う。