針江のカバタ(3)-「2016社会学入門演習」-

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20160616takashima19.jpg■「針江 生水の郷委員会」の事務所は、針江の公民館の横にあります。そして公民館の横には、この写真のような公園があります。かつて、針江の集落の中を流れる川には、農作業のため使用する田舟がたくさん行き来していました。秋になると収穫した米の臼擦りをする作業が必要になります。農家の皆さんは、この公園の場所まで、籾を田船でここまで運んでこられました。この公園は、臼擦り作業をする場所だったのだそうです。臼擦りは、水車の力を利用して行われていました。現在も、公園の横には水車が動いているわけですが、もう臼擦りをしているわけではありません。この水車は発電をしています。自転車のライトをつけるダイナモのような小さな発電機が付いており、その電力で公園内にある常夜灯を灯しているのです。それでは何のための常夜灯なのか。実は、真空式公共下水道の吸気管にかぶせるカモフラージュなのです。

■針江は、前のエントリーでも説明したように湧水が豊富です。下水道管を敷設しようとして道を掘るとすぐに地下水が湧いてきて、深いところに下水管を通すことができません。しかし、深いところに下水管を通さないと、下水は流れてくれません。そこで、こちの針江では真空式の公共下水道になっているのです。深く下水道を敷設して自然流下させていくことができないので、ポンプで下水管の中を真空にして下水を吸い込んでいくのです。吸い込んでいくためには、下水管に空気が入ってこなければなりません。そこで、針江の集落のなかには、右の写真のようなパイプ状の吸気管があちこちに出ています。ただし、こういった吸気菅は「針江 生水の郷委員会」の皆さんからすれば、「無粋」、つまり集落の景観に似つかわしくないということになります。そこでガイド料を積み立てて、このような常夜灯のスタイルをしたカバーを製作してかぶせておられるのです。そのような意味で、観光を柱とするコミュニティビジネスといった側面をもっているのかもしれません。もっとも、この点については、知り合いの若い研究者がたしか論文を書いておられました。また、別の機会にご紹介できればと思います。
(針江を訪問したのは、6月11日(土)です。)

針江のカバタ(2)-「2016社会学入門演習」-

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20160616takashima13.jpg■針江のお宅の「カバタ」であれば、どこでも拝見できるわけではありません。このような集落外の見学者に誰しもが好意的であるわけではありません。自分の敷地にぞろぞろ人がやってきて、家の中を覗いていく…ご自身が「見られる」側になったことを想像してみるとすぐにわかると思いますが、気持ちの良いものではありません。それにもかかわらず、針江に関心を持つ外部の人たちに、自分たちの守ってきた「カバタ」を見てもらってもかまわない…とお考えのお宅の協力を得て、この「針江 生水の郷委員会」の皆さんはガイドの活動をされています。この辺り、微妙な部分があります。一つ前のエントリーにも書きましたが、突然、「外の眼」から評価されるようになってしまったことと、「外の眼」に自分たちの生活が晒されることになってしまったことの両方の間に、様々な考え方があることが推測されます。「カバタ」のガイド活動は、この両方の考え方に配慮した上で、微妙なバランスに成り立っていることのようにも思います。どちらかに決定するのではなく、様々な意見があることを前提に成り立っているところが大切だと思うのです。

■写真は、ガイドをしてくださったMさんのお宅の「カバタ」です。「カバタ」には、屋敷の一部、あるいは屋敷と繋がっている「ウチカバタ(内川端)」と、屋敷地内あっても屋敷とは離れている「ソトカバタ(外川端)」の2つがあります。こちらのMさんのお宅のばあいは、「ソトカバタ」になります。大変綺麗にお使いですね。この「カバタ」の雰囲気からは、今も現役でお使いであるとが伝わってきます。「元池」から湧き出てきた水は、ポンプで屋敷内にも送られて生活に利用されているようです。もちろん、上水道はどのお宅でも使われています。どうして、水道があるに、わざわざ湧き水を使っておられるのでしょうか。大きな理由は、経済的な理由です。水道水を利用するとお金がかかりますが、湧き水はお金がかかりません。では、針江の人びとが「カバタ」を残されているのは、そういった経済的理由からだけなのでしょうか。そうではありません。副次的ではありますが、維持管理の手間をかけてでもこの「カバタ」の中にある「価値」、暮らしの中で初めて実感できるような「価値」を、大切に維持していきたいと考えておられるのです。「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」、この「カバタ」を守っているわけではないのです。

■「端池」では、コイが泳いでいます。もともと、この「端池」で飼育している鯉は、食用に使われるものでした。何かのお祝いの時に、外からお客さんがやってきた時に、この「端池」の鯉が調理されるわけです。もっとも、最近は、食用だけでなく、観賞用に鯉を飼っておられお宅も多数あるようです。こちらのFさんのお宅のばあいも、緋鯉ですから観賞用になりますね。しかし、ここは今でも現役の施設なのです。そしてこれも大切なことだと思うのですが、あえて「カバタ」のある生活を楽しまれているのです。この「楽しみ」という視点、とても大切なことだと思います。

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■こちらの「カバタ」は、もう一人のガイドであるFさんのお宅の「ソトカバタ」です。Fさんのお宅の「ソトカバタ」とは、少し水の色が違います。少しだけ青みがかっています。色だけでなく、味も違います。「カバタ」の湧き水は地下水脈からのものですが、どの地下水脈かによって水の成分が違っているのです。とても微妙ですよね。こちらのお宅の「壺池」には、レタスとビールが冷やされていました。私たちが見学することから、イメージが湧きやすいように演出してくださったものかと思います。しかし、演出だけでなく、実際にこの「壺池」で日常的にこのように利用されているのです。「壺池」で冷やされた野菜は、冷蔵庫で冷やされた野菜とは違い、乾燥せず大変みずみずしく野菜の持っている美味しさを味わえるのだそうです。いいですね〜。「端池」には、黒い鯉と岩魚が悠々と泳いでいました。これは、明らかに食用なるわけですが、こちらのお宅では召し上がっておられでしょうか。そのあたりは、お話しを聞き損ってしまいました。
(針江を訪問したのは、6月11日(土)です。)

針江のカバタ(1)-「2016社会学入門演習」-

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■JR近江高島駅から2駅でJR新旭駅に到着します。そこから、針江集落までは徒歩で15分。早めに針江の公民館に到着し、「針江 生水の郷委員会」の皆さんに、あらかじめ予約をしておいた集落内のガイドしていただくための手続きを済ませました。「生水」と書いて「しょうず」と読みます。集落のあちこちに地下から湧き水がコンコンと湧き出ています。

■針江は、どこにあるのか。琵琶湖に流入する河川では野洲川に次ぐ長さである安曇川が形成した扇状地にあります。扇状地とは、河川が山地から平野に流れ出るさい、河川が運んできた土砂が、山側を頂点として扇状に堆積して生まれる地形のことです。扇状地では、その扇城の地形の一番端のあたりに湧き水が出ることが多く、生活に必要に水を得やすいことから、それらの場所には集落が形成されていることが多いと言われています。この針江も、安曇川の扇状地の端にあります。針江、そしてその上流にあたる霜降という集落では、豊かな水を利用した独特の生活文化が営まれてきました。これらの文化は「琵琶湖周辺の生活文化を理解するために欠くことのできない貴重な文化的景観として評価」され、2010年8月5日には、「高島針江・霜降の水辺景観」として国の重要文化的景観」に選定されました。

■「針江 生水の郷委員会」のガイドは、13時から始まりました。1年生の学生が16名、3年生のティーチングアシスタントが1名、そして教員の私、全員で18名いるので、2グループに分かれてガイドをしていただきました。私たちのガイドをしてくださったのは、男性のMさんです。この日が、初めてのガイドの仕事で、まさにガイド・デビューとのことでした。しかし、とても初めてのガイドとは思えませんでした。一つ一つ、非常に丁寧にご説明していただきました。トップの写真、これは「カバタ」と呼ばれる水利用の施設です。漢字で書くと「川端」と書くようです。ここには、もともと屋敷があったわけですが、後継者がおられなかったのでしょうか、屋敷は取り壊されています。しかし、この「カバタ」は地域の人びとの強い希望もあり、残されることになりました。それだけ針江の皆さんは、「カバタ」のことを気にかけて大切にされているのです。これはかなり立派な「カバタ」だと思います。大きなお屋敷だったのでしょうね。少し説明します。

■「カバタ」の中からパイプが出ています。これは、「元池(もといけ)」と呼ばれます。パイプが地下に打ち込まれており、10mから20mほどの深さにある砂礫層を流れる地下水脈に届いています。この地下水脈の水が、パイプを通して地表に湧き出てきているのです。この「元池」の水は、一旦丸い「壺池(つぼいけ)」の中に溜められます。ここでは食器を洗ったり、野菜を洗ったり、夏には野菜を冷やしたりする場所とのことです。もちろん、「壺池」に入る前の「元池」から出たばかりの水は飲料水として利用されてきました。今回、私たちは、事前に渡された紙コップに入れて、この「壺池」の湧き水を試飲させていただきました。非常に美味しい!! 微妙に水の「甘さ」を感じることができます。おそらく、この水で玉露などのお茶を入れると非常に美味しいのではないかと思いました。「壺池」の溜まった水は、さらに「端池(はたいけ)」に流れ出ます。ここには、多くの「カバタ」の場合、鯉などの魚が飼われています。お茶碗についた米粒などは、この「端池」の鯉が食べてくれるのだそうです。「端池」の水は、水路へと流れ出ていきます。水路は中島と呼ばれる内湖に、そして最後は琵琶湖に注ぎ込みます。この写真の「カバタ」は、人がお住まいになっていないので、「端池」の中には、鯉はおらず、その代わりにクレソンが生えていました。そうです。サラダなどに使われるあのクレソンです。実際に使われている「カバタ」は、この後の別のエントリーでご紹介することにしましょう。

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■針江の集落の中を案内していただいていると、右上のような注意喚起の看板があちこちに貼られています。以下のように書かれています(針江集落を、針江区と呼んでおられます)。

針江区内 見学のみなさまへ

ここは、観光地ではありません。
生水(しょうず)の恵を受け、自然とともに暮らしている生活の場です。
私達の暮らしを知っていただくために、散策は必ず地元ガイドと一緒に見学カード
(右下図)を身に着けた状態でお願いします。
針江区内に見知らぬ方がおられることに、子どもやその親が敏感になっています。
ガイドを伴っておられない方には、目的をお訪ねするとともに、場合によっては
区外に退去をお願いすることもありますので、ご理解をお願いします。

■この看板からは、「針江 生水の郷委員会」によるガイドが、「観光」目的でないことがわかります。ガイドという形をとることで、外からやってくる見学者を受け止めて集落の生活を防衛しているのです。そのような意味で、ガイドはガーディアンでもあるわけです。この辺りのことについては、少し説明が要りますね。「針江 生水の郷委員会」には公式サイトがあります。その中には、次のような記述があります。

ここ針江地区は里山の写真家・今森光彦さんが撮り2004年1月にNHKハイビジョンスペシャルで放映された映像詩『里山・命めぐる水辺』の舞台になった美しい景色と生命の輝きに満ちた滋賀県高島市新旭町針江という小さな静かな集落です。

この地域には日本でも珍しい水の文化があります 比良山系に降った雪、雨が伏流水となり各家庭から非常に綺麗な水がコンコンと湧き出ます。人々はこの自噴する清らかな水を飲料や炊事と言った日常生活に利用しています。
このシステムをこちらでは川端(かばた)と呼んでいます。
このような究極なエコの生活、美しい景色、地域の人とのふれあいなどを求めて日本全国、海外よりたくさんの人が見学に見えるようになりました。

■今森光彦さんは、滋賀県大津市出身の写真家です。昆虫や生物の写真、そして今森さんの地元である滋賀の里山を題材にした作品で知られています。私も、滋賀県立琵琶湖博物館に勤務している時に、大変お世話になりました。その今森さんの映像作品『里山・命めぐる水辺』を、私自身も拝見しました。そして、大変驚き感動しました。おそらくは、多くの皆さんも同様だったようで、たくさんの皆さんが「小さな静かな集落」であるこの針江集落に来られるようになったのです。そうです。「小さな静かな集落」の日常生活が、突然、観光の対象になってしまったのです。自分たちの豊かな湧水とともにある生活文化、それらは針江の人々にとってみれば当たり前のことでではありますが、それを改めて「外の眼」から評価されることは、地元の皆さんがここに暮らすことの誇りを醸成することにつながるはずです。しかし同時に、これまで考えもしなかったような「外の眼」に自分たちの生活が晒されることになってしまったのです。それだけではありません。「子どもやその親が敏感」になるような出来事さえも起きてしまいました。ここは、「自然との共生」をテーマにしてテーマパークではありません。あくまで、「小さな静かな集落」なのです。人びとは、外からの評価を受け入れつつも、同時に、自分たちの生活を防衛していく必要があったのです。「針江 生水の里委員会」の存在の背景には、このような事情があったのです。以下は、針江を紹介した今森さんの映像作品『里山・命めぐる水辺』です。どういうわけか、YouTubeにアップされていました。いつか、視聴できなくなる可能性大です。

(針江を訪問したのは、6月11日(土)です。)

白髭神社-2016「社会学入門演習」-

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■6月11日(土)・12日(日)の両日、「社会学入門演習」の現地実習を実施するために、担当しているクラスの1年生(男子学生10名・女子学生6名)とラーニングアシスタントの3年生と一緒に高島市を訪れました。11日は新旭町の針江集落の「針江生水の郷委員会」の皆様、12日は「高島ワニカフェ」の皆様にお世話になりました。ありがとうございました。このブログでは、この2日間の出来事を、少しずつ報告していくようにしたいと思います。

■11日は、午前10時半頃にJR近江高島駅に到着しました。高島観光協会から自転車をお借りして(レンタサイクル)、全員で、まずは白髭神社に向かいました。白髭神社には、琵琶湖に大きな朱塗りの鳥居があります。近江の厳島(宮島)とも呼ばれているようです。ちなみに、近江地方最古の大社とのことです。この大きな朱塗りの鳥居。琵琶湖を紹介するさいに、よく登場します。昨年の4月には、「琵琶湖とその水辺景観」が日本遺産に認定されていますが、白髭神社も構成文化財のひとつとなっています。高島市には、この白髭神社以外にも、11日の午後から訪問した針江を含む「針江・霜降の水辺景観」、そして12日の午前中に見学した「大溝の水辺景観」等があります。以下は、「日本遺産 滋賀」の公式サイトにある説明です。

「琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産」

滋賀県と大津市・彦根市・近江八幡市・高島市・東近江市・米原市が申請した「琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産」が、平成27年に文化庁から「日本遺産」として認定されました。

古来より穢れを除き、病を癒すものとして祀られてきた水。

その水を豊かに湛える瑠璃色に輝く琵琶湖の周囲では、「水の浄土」の教主・薬師如来が広く信仰され、琵琶湖をのぞんで建立された寺社は、今日も多くの人々の信仰を集めています。

また、琵琶湖とともに育まれた暮らしのなかには、日常の生活に山からの水や湧き水を使いながら、水を汚さない「暮らしの文化」が、現在もなお伝わっています。
さらに、湖辺の集落や湖中の島では、米と魚を活用した鮒ずしなどの独自の食文化やエリなどの伝統的な漁法が育まれてきました。

古くから芸術や庭園の題材に取り上げられてきた琵琶湖とその水辺は、多くの生き物を育むとともに、近年では、水と人の営みが調和した文化的景観として、多くの現代人を惹きつけて止みません。
ここ滋賀には、日本人の高度な「水の文化」の歴史が集積されているのです。

■白髭神社で早めの昼食を摂り、全員で記念写真を撮りました。ちょっと残念だったことは、数台のジェットボートが騒音を立てて大きな鳥居を繰り返しくぐっていたことです。法律や規制の面で、このようなジェットボートの航行が可能なのかどうか私にはわかりませんが、「日本遺産」に選ばれた風景を味わおうとする者にとっては、あまり愉快なことではありませんでした。それはともかく、私たちは、レンタサイクルでJR近江高島駅まで戻り、電車で新旭に向かいました。

「まわしよみ新聞」(社会学入門演習)

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■火曜日の2限は「社会学入門演習」です。1年生の大学入門ゼミといってもよいのかもしれません。私のクラスは16名。クラスの仲間内でもだいぶ親しくなってきているようですが、まだ完全に打ち解けているわけではありません。ということで、「まわしよみ新聞」を実施しました。「まわしよみ新聞」については、昨年の3年生ゼミでも実施しました。どことなくまだぎこちなさの残る最初の段階で、この「まわしよみ新聞」を実施することで、みんなすぐに打ち解けていきました。「まわしよみ新聞」については、こちらの解説を丁寧にお読みいただきたいと思いますが、自分が気になった記事について思ったことを話し、人の話しを聞くこを通して、お互いをより深く知るためのコミュニケーション・ツール…そのように考えていただければよいかと思います。昨日も、しだいに盛り上がっていきました。最初は、「新聞 ? まわしよみ?」と怪訝に思っていた学生たちでしたが、実際にやってみると予想外に面白い経験になったようです。
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最澄がプロデュースした世界

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■土曜日の晩に、突然、発熱してしまいました。普段、比較的健康に暮らしているし、熱が出ることもないので、37℃を超えると辛くなり、38度を超えると相当に辛くなります。もう、ふらふらになります。38℃越えの熱はまったく下がらず、翌日はずっと布団の中で過ごさねばなりませんでした。「これはもうあかん…」と、家族に頼んで市販の解熱剤を薬局で買ってきて飲んだところ、少しずつ熱は下がってきました。しかし、「こんなに急に熱が出るって、ひょっとしてインフルエンザ」との思いが消えず、職場の皆さんにも迷惑をかけると困るし…との思いもあり、医師の診断を受けることにしました(大学も含めて学校という場所では、あっという間に病気は広がってしまいます)。幸いにも、インフルエンザではないという診断をいただきました。喉が腫れているので、喉かららウイルスが侵入し発熱をしたのではないか…とのことでした。熱は下がってきましたが、今度は喉が痛みが相当にひどくなってきました。鼻水も止まらなくなりました。せっかくの連休なのですが…。初日の土曜日は、良いスタートを切ったのですが…。

■さて、土曜日は、私にとって連休の初日でした。「天気が良いので、どこかに出かけたい」という家族の強いリクエストがあり、いろいろ考えた末に、比良山系にある「びわ湖バレイ」に出かけてみることにしました。ちょうど天気も良く、五月晴れで空も澄み渡っていたので、「びわ湖バレイ」に登ると大きな琵琶湖が良く見えるに違いないない思ったのです。奈良から大津に転居したこともあり、以前とは違い、「びわ湖バレイ」も随分近くになりました。

■ところで、私は長年にわたって琵琶湖や琵琶湖流域に関して研究をしてきましたが、これまでこの「びわ湖バレイ」に登ったことがありませんでした。これは、なかなか信じてもらえないのですが…。「関西人であれば、普通、家族の行楽でびわ湖バレイに行くもんちゃうの」というご意見もあろうかと思いますが、本当に行ったことがなかったのです。というわけで、今回、人生初の「びわ湖バレイ」。家族のリクエストという側面もありますが、私自身も素敵な経験ができました。

■「びわ湖バレイ」は、スキー場として開発されました。琵琶湖の西側、湖西地域にある比良山系にはたくさんの山々が連なっています。その中の、打見山から蓬莱山にかけての幅広い稜線上に、スキー場のゲレンデが広がっています。そこが「びわ湖バレイ」です。もちろん、スキーは冬だけです。それ以外のシーズンには、高原公園として多くのひとびとが行楽に訪れます。もともとは、産業経済新聞社が1965年に開設したスキー場です。50歳以上の年代の皆さんは、この「サンケイバレイ」という言葉に馴染みがあるのではないでしょうか。

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■それとはともかく、トッブの写真をご覧ください。これは蓬莱山から撮った風景です。空のように見えるのは琵琶湖です。琵琶湖の向こう側には、湖東の地域が広がっています。近江八幡市にある沖島も確認できますね。彦根市の荒神山もわかります。スケール感を出すため…ではないのですが、赤い服を着ているのは私です。家族が撮ってくれました。しかし、これでも実際に見た時に感じるスケール感とはかなりの落差があります。下は、iPhone6 plusのパノラマ機能で撮ったものです。この蓬莱さんの山頂に立つと、右側は大津の街が見えます。「プリンスホテル」やオペラハウスである「びわ湖ホール」が確認できます。また左側を見ると、湖北の奥琵琶湖も薄ぼんやりではありますが見えてきます。土曜日は、竹生島もわかりました。きっと、空気が澄み渡った冬期であれば、大津の街から、伊吹山や湖北の山々まではっきりと見えるのでしょうね。

■下の4枚の写真は、そのパノラマの風景を、4回に分けて撮ったものです。上段左は、打見山から湖北方面を撮ったものです。上段右は、湖東方面。下段左は、野洲や守山、そして堅田方面。下段右は、比叡山や京都方面になります(京都の街は見えませんが…)。「びわ湖バレイ」の一番南端、蓬莱山が南に緩やかに斜面になっていく直前のところに、このようにお地蔵様が並んでいました。

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■ところで、この様な風景を見ながら、家族が質問をしてきました。「琵琶湖は、なぜ琵琶湖という名前なのか」という質問です。楽器の琵琶に似ているから琵琶湖…というのは、よく知られています。南湖が左で弦を押さえる部分、一般に弦楽器では指板ないしはフレットと呼ばれる部分です。それに対して大きな北湖は、琵琶の本体、胴の部分にあたるのわけです。ちなみに、この様な名前の由来については、歴史学者の木村至宏先生のご著書『琵琶湖-その呼称の由来』が有名です。ごく簡単な説明であれば、同じく木村先生が『琵琶湖ハンドブック』の中でも「『琵琶湖』の名前」というタイトルで解説されています。以下は、引用です。

琵琶湖の名前は、湖の歴史に比べて新しく、16世紀初頭が最初で、広く知られるようになったのは今から320年前である。それまでは近淡海、淡 海、水海、湖などと呼ばれていた。名前は湖上に浮かぶ竹生島にまつられている弁才天に典拠。弁才天がもつ楽器の琵琶が湖の形状に似ていることに由来する。それと琵琶が奏でる音色と湖水のさざ波と相似していたことも密接な関係がある。

弁才天の持つ琵琶が、どうして湖の形状に似ているといわれるようになったのであろうか 。前出の『渓嵐拾葉集』の編述者は 、比叡山延暦寺の学僧光宗であるが、おそらく眼下に広がる湖を日々眺望して、楽器琵琶から湖の形状を観想をしたに違いない。上空から見ることのできない時代に、驚くべき洞察力といえるだろう。また『同書』には弁才天は湖とともに比叡山を守る神として位置付けられている。

■琵琶湖の名前の由来が、直接的に琵琶湖の形に似ていることからきているにしても、その背景には、天台宗・比叡山延暦寺、竹生島の弁財天などの宗教の存在があることがわかります。実際、2015年には、琵琶湖は、「琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産」として文化庁の「日本遺産」に選定されています。以下が、その選定理由になったストーリーの概要です。

「穢れを除き、病を癒すものとして祀られてきた水。仏教の普及とともに東方にあっては、瑠璃色に輝く「水の浄土」の教主・薬師如来が広く信仰されてきた。琵琶湖では、「水の浄土」を臨んで多くの寺社が建立され、今日も多くの人々を惹きつけている。また、くらしには、 山から水を引いた古式水道や湧き水を使いながら汚さないルールが伝わっている。湖辺の集落や湖中の島では、米と魚を活用した鮒ずしなどの独自の食文化やエリなどの漁法が育まれた。多くの生き物を育む水郷や水辺の景観は、芸術や庭園に取り上げられてきたが、近年では、水と人の営みが 調和した文化的景観として、多くの現代人をひきつけている。ここには、日本人の高度な「水の文化」の歴史が集積されている。」

■この琵琶湖、水、そして天台宗・薬師如来の関係については、長年にわたり滋賀県の文化財保護に関して活躍されてきた大沼芳幸さんが、興味深い文章を書いておられます。これは、産経新聞に掲載された「びわこの考湖学 第2部」の第25回「多数の薬師如来古仏 清らかな水の世界の盟主」です。私が興味深く思った部分を引用します。

平安時代後期の歌謡集「梁塵秘抄」には、琵琶湖を次のように表現しています。「近江湖は海ならず、天台薬師の池ぞかし」すなわち、平安時代の人々は、琵琶湖を天台宗の根本如来である、薬師如来の浄土と意識していたことがわかります。

民が栄え、国が栄えるために最も必要なことは何でしょうか?それは、豊かな実りであり、その実りをもたらすものは「水」です。そして水は、すべての命を育む神聖なものです。最澄にとって、水を祈りの対象とすることが、彼の理想を成就させるために、不可欠な要件だったのではなかったのでしょうか。

薬師如来の本当の名前は「薬師瑠璃光如来」。瑠璃の光とは「水の光」です。すなわち薬師如来は清らかな水の世界の盟主なのです。なおかつ、薬師如来が住まう浄土は「東方浄土」とされています。比叡山の東に広がるのは「琵琶湖」です。最澄にとつて、水に祈り、水の力を得るための聖地として、東方に生命あふれる琵琶湖が広がる、比叡山の地を選んだことは、いわば必然だったのかもしれません。ただ、最澄が初めて琵琶湖を「浄土」として位置付けたわけではないと思います。それ以前から近江には、琵琶湖を神の住まうところとして神聖視するアニミズム的な心象が根付いており、これを最澄が仏教の世界に再編したのでしょう。そして、琵琶湖に注ぐ水の源である山々に、次々と山寺が建立され、ここに、「水のカミ」である薬師如来が安置されたのです。このことが、近江に特異的に多く残る薬師如来古物の秘密なのです。この水のコスモスともいうべき世界をプロデュースした最澄の名に「澄」の字が含まれていることにも、深い意味があるのではないでしょうか。

■大沼さんの考えは、近江盆地と琵琶湖が生み出す水に対する土着の信仰を、仏教が取り込み(習合し)、最澄が一つの宗教的世界としてプロデュースした…というものです。近江盆地の山々から琵琶湖へと注ぐ水。水のネットワークを通して生み出される世界。これは、現在、「将来の琵琶湖のあるべき姿」として環境政策的に目指されていることの根底の考え方と重なり合っているようにも思います。非常に興味深く思いました。残念ながら、私自身は、文化史や宗教史に関する教養が乏しく、大沼さんのお考えを導きに、最低限のことをもう少し勉強しないと…と思いながら、ふとこんなことを妄想しました。もし、最澄が現在に蘇り、戦後の琵琶湖や琵琶湖の周囲で行われてきた様々な開発事業を目にした時、どのように考えるだろうな…、そのような妄想です。民が栄え、国が栄えるために行われたはずの様々な開発事業が、結果として何をもたらしたのか、おそらく最澄は鋭く批判することでしょうね。

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■話しを戻しましょう。「びわ湖バレイ」では、雄大な琵琶湖の風景を楽しむだけではなく、満開の水仙の花も楽しみました。「びわ湖バレイ」の蓬莱山の左斜面には、30万株もの水仙が植えられている「水仙の丘」があります。関西で水仙というと淡路島が有名ですが、この「びわ湖バレイ」の「水仙の丘」も本当に素晴らしいものでした。遠くから見ると、斜面に、黄色いに点々が散らばってるいようにしか見えないのですが、そばに行って「水仙の丘」を登ると、この写真のような素晴らしい風景を楽しむことができます。もちろん、人工的に植栽されたものだと思いますが、とても感動しました。水仙は、ヨーロッパの地中海沿岸が現在地との事ですが、日本には中国を経由して伝わってきたそうです。その名前も、いろいろ調べてみると、中国では、その名の通り「水の仙人」、言い換えれば「水の神の化身」や「水の精の成り代わり」に例えられていたようです。なるほど、「梁塵秘抄」で「近江湖は海ならず、天台薬師の池ぞかし」と歌われた琵琶湖にふさわしい花なのかしれません。

■体調はあまりよくないのですが、それでもこの長文をエントリーするまでには、体力は回復してきました。ひょっとすると、スケールの大きい琵琶湖の風景に圧倒されて?!、発熱したのかも…しれませんね。

昨日の「社会学入門演習」

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20160426nyumonenshyu5.jpg▪︎火曜日の2講ときは、「社会学入門演習」です。1年生の入門ゼミナールのようなものでしょうか。大学に慣れていくための入り口のようなゼミです。昨日は、急遽、瀬田キャンパスのミニツアーを実施しました。瀬田キャンパス、広いようでそんなに広くありません。しかし、学生は、自分が授業を受ける教室、食堂、そのような場所にしか行っていないようです。いろいろ好奇心を持ってキャンパス内をウロウロしているものだと思っていましたが、そうではないのです。せめて図書館ぐらいは行っておいて欲しいのですが、どうでしょうか…。というわけで、ミニツアーです。

▪︎まずは、食堂の横にある「ボランティア・NPO活動センター」に行きました。学生のみなさんには、授業とアルバイトとサークルの間をぐるぐる回るだけ…の大学生活ではなく、大学の外にも、「社会的な課題・問題」にも目を向けて欲しいなと思っています。様々な人びととの出会いの中で、自分自身で勝手に⁉︎思い込んでいる「殻」を破って、自分の持っている可能性に気がついて欲しい、伸ばして欲しいと思います。さらに、社会と関わって生きて行くことの意味を感じて欲しいと思います。

▪︎この「ボランティア・NPO活動センター」の裏側に、立派な野球場があるのですが、多くの学生たちは実際にきちんと見たことがないようでした。硬式野球部と準硬式野球部の学生たちだけですね。ということで野球場を見学、そのあとは引き続き、隣接する雨天練習場「瀬田ドーム」を見学しました。この「瀬田ドーム」の横には、農学部の建物である9号館があります。エントランスあたりだけでもと思い、少しだけ見学させていただきました。実験や実習のための部屋があったり、壁面には、稲の様々な品種が展示されていたりすることを見て、学生たちは「農学部やな〜!!」とちょっと感動していました。私にとっては、そういう学生の反応の方が興味深かったのですが。

▪︎9号館の後は、引き続き、お許しを得て9号館の南側にある温室を見学させていただきました。すると、たまたまでしょうが、麦の遺伝について研究されている中村千春先生がやってこられました。そして、ご自身が実験中の温室で、先生の麦の遺伝に関する研究についてご説明くださいました。手のひらに乗っているのは、中村先生がピンセットで取り出した麦の花です。「かわいいでしょ」と言って、一人の女子学生の手のひらの上に乗せてくださいました。なかには、麦と稲の区別が曖昧な学生もいたのですが、そのような学生に対しても、中村先生は丁寧、かつユーモアを交えてわかりやすくお話しくださいました。

▪︎おそらくは、このようなミニツアーを実施していないと、学生たちは、農学部に近寄ることもなかったのではないかと思いますし、中村先生との出会いもなかったのではないかと思います。ちょっと好奇心を持ってみる、ちょっと勇気を持って行動してみると、自分の生きている世界が変化していきます。中村先生には、そのあとお礼のメールを差し上げましたが、頂いたお返信には、「学生諸君には、どんなことにも興味を持って、明るく前向きに人生を切り開いていって欲しい」と書いておられました。本当に、そう思います。学生のみなさん、中村先生と知り合いになったのですから、今度、キャンパスで先生をお見かけしたら、ぜひ挨拶をしてお話しをさせてもらってください。きっと、面白い展開になると思いますよ。
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2016年度「社会学入門演習」

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■11日(月)から実質的に授業が始まりました。キャンパスに行く最寄り駅のバス停は長蛇の列です。履修が確定するまで、しばらくこのような状況が続くのではないかと思います。さて、今年度、前期の私の時間割ですが、月曜日の2講時が「地域社会論Ⅰ」、火曜日の2講時が「社会学入門演習」、残りの授業はすべて金曜日に集中しています。残りは、昨年と同様に研究部関連の会議に対応できるように空けてあります。

■昨日は、第1回目の「社会学入門演習」でした。これは、新入生のための授業で、私のクラスは全員で16名です。この演習では何をするのかというと、6月に1泊2日の調査旅行をしてレポートにまとめて報告書を作成します。その過程で、大学での授業を履修するための基本的なことも同時に学ぶことになります。今日は、まだ情報処理の授業を受けていないため、パソコンのメールが使えないことから、取り急ぎ、全員とLINEで連絡が取れるようにしました。ラーニングアシスタントのF君や、テキパキと動く学生がいてくれるおかげで「社会学入門演習脇田班」のグループへの参加も1日で終わりました。パソコンからメールを送ることはできないけれど、LINEはできるというのは、なんだかいまどきの現象ですよね。

■今日は、それぞれ自己紹介をしてもらいました。その際、「大学4年間でチャレンジしたいことはなに?」と全員に聞いてみました。国内旅行であちこちに行きたい、韓国語を習得したい、英語のレベルを上げたい、高校の教員になりたい、自分が作曲した楽曲のCDを出したい、プロ野球選手になりたい…。いろいろ語ってくれました。しかし同時に、何をしたら良いのかよくわからない学生達も半分強いたように思います。この辺りも、いまどきなのかもしれません。教員として望むことは、授業とサークルとアルバイトの三角形を真面目にぐるぐる回ること以上の何かを、ぜひ大学の4年間で経験して欲しいということです。みなさん、期待していますよ。

シニアの会

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20160409senior3.jpg■大津市へ転居して、5週間が過ぎました。引越しの混乱も、なんとか収まって普通に暮らせるようになりました。今までは、自宅と職場の往復、介護、そして自宅の内側のことばかり気にかけていましたが、昨日は、やっと地域の活動に参加することができました。自治会の高齢者の方達が自主的に企画運営している活動です。「シニアの会」といいます。私はまだ還暦にも達していませんが、どういうわけかお誘いを受けて参加させていただくことになりました。今回は、近所の公園でお花見ハイキングでした。「人生の先輩方」と一緒に歩きながら地域のことをいろいろ教えていただきました。「先輩方」からすれば、私などはまだ「ヒヨッコ」の類です。ということもあり、多少、年齢的な「アウェイ感」がないわけではありません。とはいえ、せっかくお誘いいただいたのですから、気にしていても仕方がありません。

■私の暮らしている地域は、いわゆる郊外の新興住宅地なのですが、隠れた「桜の名所」があります。不思議なことに、地元の皆さんしかやってきません。人で混み合うようなことは全くありません。この日も、家族、友人同士、自治会…様々な方達が桜を楽しんでおられました。私たち「シニアの会」も、桜の樹の下でお手製のお弁当をいただきながら、そしてお菓子をお互いに譲り合いながら、気持ちよく花見をしました。

■私のところの自治会には、若い年代の家族が住んでおられます。しかし、近くの自治会でも、四半世紀ほど前に開発された地域の自治会の場合は、高齢化率が高くなっているとお聞きしました。高齢化率が高くなるような状況の中では、いろんな意味でお互いを気遣い、支え合えるような「良い関係」をたくさん持っておくことが大切なことだと言われています。昨日は、そのことを強く実感しました。

「高島ワニカフェ」

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■今日は、家の用事で高島市まで出かけました。家の用事ではありますが、少しだけ身体を休めることができました。怒涛のような年度末でしたから…。さてさて、車で高島市に到着した時は、すでに13時半を過ぎていました。腹ペコでした。ちょっと遅めの昼食を摂ろうと、前から行ってみたかった「高島ワニカフェ」に行くことにしました。

■「ワニカフェ」、不思議な名前ですね。ワニといっても鰐…ではありません。「つくる(生産者)と食べる(消費者) 2つの”ワ”をつなぐカフェを目指して」というのが、こちらのカフェのコンセプトです。以下は、こちらのカフェのサイトからの引用です。

例えば、有機でこだわって育てられた 野菜や鶏卵、近江牛。
これらはすべて、豊かな自然に恵まれた滋賀・高島で育まれた命。
ワニカフェでは、地元農家さんや琵琶湖漁師さんなど生産者さんから直接いただく
「命をいただいた実感のある安心・安全な食材」を使用しています。
そしてこれら食材のもつ味わいを、なるべくそのまま活かしたお料理を提供しています。
食べものをつくる・とる現場と、食べる現場をきちんとつなげることで、
関わるすべての人とあらゆる感動を共有できたらとの思いでお店をしています。

ーワニカフェの取り組みー
高島ワニカフェでは、食を通じた地域文化の継承と地域資源の発掘、
そして地域活性化のモデルづくりを目指しています。
その一つとして、高島の有機野菜を地元で消費できる
新たな流通のしくみ「高島マーケット」に取り組んでいます。

■私のゼミで取り組んでいる「北船路米づくり研究会」では、「生産者と消費者の架け橋になり」、「消費者にも地域の「農」を支える側になっていただく」ために活動をしています。ということで、こちらの「高島ワニカフェ」のお考えには大いに共感するわけです。注目したいのが「新たな流通のしくみ『高島マーケット』」です。これ、非常に面白い取り組みですね。今日は、「高島ワニカフェ」を経営されているご夫婦に少しお話しを伺わせていただくことができました。改めて、じっくり、具体的に、関係者の皆さんにお話しを伺ってみたいものです。

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■「高島ワニカフェ」の建物は、地元の商工会の皆さんが古民家を改修した「びれっじ」の中にあります。「びれっじ」は1号館から8号館まで整備されていおり、「高島ワニカフェ」は6号館に入っています。とても雰囲気のある建物です。今日は写真のようなランチをいただきました。スープ、私がお願いしたのは、白味噌とカブのポタージュ。高島の野菜を使った前菜の盛り合わせ。カツレツ。それから、デザート。いずれも大変満足しました。
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