ロジャー・ノリントン

20140106norrington.png ■昨晩、このブログを更新したり本を読んでいたりしていると、隣のリビングからベートーベンの「運命」(交響曲第5番)が聞こえてきました。ちょっとびっくりしてリビングにいってみました。NHK交響楽団の演奏会で、指揮者はロジャー・ノリントン。イギリスの指揮者でした。なぜびっくりしたかというと、やたらにテンポが速く、独特の表現をしていたからです。

■私は学生時代に、オーケストラに所属していました。学生オケの演奏会では、しばしばベートーベンのシンフォニーを演奏するのですが、この「運命」についても何度も何度も演奏してきたので、「体にしみついている曲」になっているのです。また、さまざまな指揮者の演奏もLPレコードで聞きました(当時は、CDではなく、まだLPレコードが全盛時代でした)。「耳にしみこんでいる曲」でもあるのです。しかし、リビングから聞こえてきたロジャー・ノリントンの「運命」は、「『運命』ってこんなシンフォニーだよね」という鑑賞の幅、言い換えれば「閾値」を超える演奏でした。

■ノリントンの演奏は、非常に速いテンポとノン・ヴィブラート奏法にその特徴があるようです。そこから生まれる響きを、ノリントンは「ピュア・トーン」と呼んでいます。それに、通常のオケと楽器の配置もかなり違います。調べてみると、ノリントンは、絶賛と批判が両極端にわかれる指揮者なのですね。昨晩、放送されたNHK交響楽団の「運命」も、速すぎてオケ、特に弦楽器がテンポについていけないときもあったように思います。しかし、この速いテンポと独特の表現が、曲の骨格をクリアに浮かび上がらせているようにも思いました。私は、嫌いじゃありませんね、こういうの!

■ネットでみつけたノリントンに関する記事(音楽ジャーナリスト・毬沙琳(まるしゃ・りん)さんの記事)です。なるほどな…と思いました。

ノリントンは単にヴィブラートの有無にこだわっているのではない。根本にあるのは、スコアを丹念に読み解く中でテンポのあり方、アーテキュレーション(音と音のつなげ方、切り方)やアクセントの強弱など、音楽学者的なアプローチを独自に行っていることだ。作曲家が求めていた音に近づきたいという真摯な音楽への向き合い方だとも言える。

これまでの巨匠指揮者たちが不真面目だったというのでは全くない。多くの演奏家はスコアから読み取った解釈を、自由なイマジネーションによって表現しようとする。私たちは演奏家の数だけ音楽の違いを楽しむことが出来るし、芸術は自由な人間の賜物であるから正解などどこにも存在しない。だからこそ、作曲家の意図を遥かに超えた作品の魅力を引き出すことも可能なのだ。

しかしベートーヴェンの作品がこの世に生まれて200年と考えると、この10数年で作曲家が生きていた当時の響きを現代の楽器で再現しようという潮流が盛んになってきたことには重要な意味があると言える。作品が素晴らしいものであれば尚更、様々なアプローチで表現方法を改革することは、さらなる魅力の発見にも繋がるのだ。

ノリントンで聴くN響のベートーヴェンからは、このオーケストラの持つ音の美しさが際立ち、作品の構造が音の透明感によって強調される。同じアンダンテでも「歩く早さで」という解釈には様々な感性が作用するが、ノリントンの場合は明解だ。「ベートーヴェンがメトロノームを用いた最初の作曲家であり、メトロノーム記号はスコアの一部だ」と確信している。(「音楽の友」で連載中の「ノリントン先生のベートーヴェン講座」をお読み頂ければ、マエストロの音楽解釈が手に取るように伝わってくる)

■ということで、とっても気になったものですから、ノリントンの別のベートーベンも聴いてみたくなり、さきほどiTuneでダウンロードしてみました。それが、トップの画像です。ところで、ノリントンの演奏の前提になっている考え方、社会科学の古典とよばれる作品を読むばあいと、どこかで共通するところがあるように思いました。ある学説や理論を、現在の「いま・ここ」に生きる私たちの文脈から解釈するのではなく、それらが生成されてくる時代状況のなかにしっかりと位置づけながら、もっといえば、それらは何を思想的ないしは理論的な敵手としながら生み出されてきたのか、そのあたりまでをも含めて解釈していく…、そういうことでしょうか。

■以下の動画は、ノリントンの「運命」です。

■ユーモア、ウイット、悪戯…。
ロジャー・ノリントンへのインタビュー

九谷焼

20140105kutani.jpg ■27年程前のことになるでしょうか、たぶん結婚したころだと思います。義父から九谷焼の二合徳利と猪口を譲り受けました。写真をご覧いただきたいのですが、徳利ほうには、老人と老婆が描かれています。「高砂」です。能の作品のひとつです。

■阿蘇の神主友成が、播磨国高砂の浦で、老夫婦に会って高砂の松と住吉(すみのえ)の松が相生(雌株・雄株の2本の松が寄り添って生え、1つ根から立ち上がるように見えるもの)、すなわち離れていても夫婦である…との故事を聞き、二人に誘われて津の国住吉に至り、住吉明神の来現を仰ぐという」筋になっています。和歌の徳をたたえ、国の繁栄を主題としているそうです。松の永遠性、夫婦が一緒に年老いていくこと、相老(相生にかけている)の仲睦まじさを、能のなかでは老人が語るのだそうです。大変、おめでたい能です。ですから、以前は、結婚式の披露宴のときに、謡の上手な人が披露することがよくありました(って、書いても今の学生の皆さんには理解不能でしょうが)*。

■義父は、毎日毎日、夏の暑いときでも、ぬる燗で日本酒を呑みます。そのさい、お気に入りの九谷焼の徳利を使っています(九谷焼とは、石川県南部で生産される色絵の磁器のことです)。よくわかっていませんでしたが、義父は、ひょっとすると「いつまでも仲よく暮らすんですよ」とこの徳利を譲ってくださったのかもしれません。さてさて、そのあたり、実際のところはどうなんでしょうね~??。まあ、それはともかくです。今年、ひさしぶりにこの徳利を出して正月に使ってみました。私は、この焼物について評価するだけの見識はをもちあわせていません。しかし、正月のようなめでたいときに出して使ってみること、大切ですね~。年を取ったせいでしょうか、あらためてそう思いました。

*「大辞林」を参照しました。

感謝18,000アクセス!

■先月の12月13日にアクセスカウンターが17,000を超えました。そして、本日、23日目で18,000を超えました。冬期休暇中ではありましたが、意外なことに、いつも通り3週間程で、アクセス数を1,000増やすことができました。みなさま、ありがとうございました。

ゼミ8期生と同窓会

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■昨日、1月4日(土)。通常であれば、正月休みの内でしょうが、私は昨日が仕事始めでした。というのも、赤ペンの添削で真っ赤になった卒論の原稿を、4年生に返却することになっていたからです。「なかなか、エエ感じの水準までいっているやん…」という卒論から、「おいおい、あれ程言ったのに、どうして卒論の執筆要項を守れないかね…」というものまで・・・実に出来上がりは様々ですが、とりあえず各自に手渡し、赤ペンをいたれ箇所について、ひとつずつ説明をして修正をお願いしました。残された時間は大変短いわけですが、全力で最後の仕上げをしてほしいと思います。

■卒論指導の後は、京都駅前の居酒屋で、昨年の3月に卒業したばかりのゼミOB・OGの皆さんと同窓会を持ちました。あいにく、すでに予定が入っていたり、体調不良等により参加者は、私も含めて7名てしたが、大いに盛り上がりました。とても楽しかったです。Faecebookに投稿したところ、参加できなかった方たちからもコメントをもらうことができました。ありがとうございました。

■幹事のSさん、いろいろ手配をいただきありがとうございました。引き続き、このような同窓会を持てればと思います。どうか、よろしくお願いいたします。

【追記1】■写真には写っていませんが、広島県で働いているMくんも、この日は参加しました。新幹線の関係で、ちょっと集合写真の撮影には間に合わなかった…。
【追記2】■さびしいので、Mくん(右側)の写真も追加。みんなで広島に遊びにいくよ。
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キノコのレストラン

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■昨晩は、奈良に暮らしている妻方の親戚の皆さんと新年会を持ちました。場所は、生駒市の住宅街にある「きのこ料理」の専門店です。トップ写真。これは、ディスプレイ用のキノコです。いろんな種類が大皿に盛られています。いや〜実に見事です!! マイタケ、シイタケ、ヤマブシタケ、シメジ、キクラゲ…ス素晴らしいです。いずれも、栽培されたものなのだそうですが、これだけいろんな種類のキノコを一度に見たのはひさしぶりです。

■下の写真の右側。これは、キノコ汁です。様々な食感と味のキノコが、楽しめました。複数のキノコが良い出汁を互いに出しあって、旨味の相乗効果がスプのなかでおこっています。実に、美味しかった!! レストランのサイトでは、このキノコ汁について、「鴨や、イタリアの松茸(ポルチーニ茸)でとっただしに、朝採れきのこが数種入った滋味あふれる絶品スープ」と説明されています。うん、たしかに。もちろんキノコ汁は、いただいたキノココース料理のうちの一品です。その他にも、工夫された様々なキノコ料理をいただきました。ごちそうさまでした。

■レストランのオーナーさんとも、キノコの話しで盛り上げました。たとえば、キノコの画家である大竹茂夫さんのことも、よくご存知でした(大竹さんの「冬虫仮装館ホール」というサイトをご覧ください。オーナーさんとは、「大竹さんが作画された絵本」は素敵ですよね〜、不気味でいて、なんだか素敵…」という点で、意見が一致しました。「菌生代」をご覧ください。)
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走り初め

20140102run.jpg■2014年の元旦。昨日は、老母のところに、私の家族と妹が集まりました。ささやかな新年のお祝いを、いたしました。大晦日に、奮発して蟹をたくさん買いました。たくさん買ったつもりだったのですが、実際にカニスキにする段階になると、あまりたいした量でもないことに気がつきました。普段、夫婦2人の食生活なので、人数が増えると分量がよくわからなくなるのですね、きっと。まあ、量は少なかったのですが、それなりに満足し、日本酒もすすみました。結局、元旦は「日本酒の海」に沈没しました。まあ、お正月ですから…。

■そして、今日。二日酔いではないにしろ、少し前日の日本酒が残っているな…と実感できるような目覚めでした。これではいかんと。家族と一緒に、奈良に初詣にいきました。春日大社、東大寺二月堂、東大大仏殿と御参りしました。奈良に住んでいると、これは「定番」の初詣コースかもしれません。だいたい、6km弱ほどの距離を歩くことになります。こうなると、正月ですから、家に戻ればすぐに「ビールを呑もう」となりたいのですが、ここでグッと我慢。自宅に戻ったら、すぐに着替えてストレッチ。そのあと、10km程の距離を走りました。

■「走る前に、きちんと時間をかけて自宅でストレッチをあらかじめ行った、そしてランの後もストレッチをきちんと行った…」というところが、以前と比較して進歩したなと…自分では思っているのです。まだ、本をみながら勉強している段階ですが…。フルマラソンを過去に2回完走しましたが、いずれも30kmを過ぎたあたりから、膝の外側に痛みが発生し走れなくなりました。ストレッチをきちんとしていなかったせいです。ということで、練習前と練習後のストレッチに時間をかけるようにしています。さらに、「アイシングなんかもしなさい…」って、ベテランランナーの方に言われていますが、今のところ冷たい水シャワーを膝から下にかけている程度です。フルマラソンの本番、膝の痛みを発生させないためには、このアイシングについても、きちんと考えなくてはいけませんね。

■さて、10kmのランですが、「だんだん元に戻りつつあるな~…」という感覚をつかむことができました。平均ペースが1kmを5分51秒ですから、私のレベルでは「無理せず走ることができる」ギリギリのペースかなと思っています。来月の2月は、「大津市民駅伝」、「びわ湖レイクサイドマラソン」、そして3月には「篠山ABCマラソン」とレースが続きます。練習をきちんと積み重ね、良い調子にもっていきたいと思います。

2014謹賀新年

20140101gantan.jpg新年あけましておめでとうございます!!

■みなさま、新年あけましておめでとうございます。旧年中は、facebookのつながりでも、リアルなつながりでも、本当にお世話になりました。今年も一生懸命頑張りますので、どうかお付き合いいただきますよう、よろしくお願い申し上げます。みなさまとのつながりのなかから、素敵な出来事が生まれることを心から期待しております。また、そのような出来事が地域や組織を素敵な方向にかえていく力になればと思っております。

■比良山系・蓬莱山の麓にある棚田の農村・北船路と連携したゼミの活動、「北船路米づくり研究会」は、いよいよ5年目に入ります。定期的な野菜市、農村・都市交流イベント「かかし祭」の実施に加えて、今年は北船路の棚田の酒米でつくった「地酒」(清酒 北船路)を学生たちがプロデュースします。

■龍谷大学社会学部で取り組む地域連携型の教育プログラム「大津エンパワねっと」は、6期生が地域の皆さんと共に地域課題解決に取り組んでいます。

■総合地球環境学研究所の「流域再生」のプロジェクトにコアメンバーとして取組んでいます。地域社会との共創(Co-design Co-product)、そして文理を越えた領域融合を基調としたプロジェクトです。今年は、「琵琶湖の石けん運動」に関する研究を中心に、これまでの研究成果をまとめる作業にも入ります。

■昨年も家族で短い旅行に行きました。一昨年はベトナム、昨年はインドネシアのジャワ島とバリ島です。今年は、できれば北欧を目指したいと思います。

■昨年は、「京都マラソン」と「大阪マラソン」を、とりあえず完走しました。完走しましたが、大変不甲斐ない記録でした。真面目に練習を継続できていないからです。今年こそは、納得のいくランをしたいと思います。

(写真:我家のダイニングに飾れた、お正月用の小さなタペストリーです。)

2013年 最後のご挨拶。

■「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」にお越しの皆さま。大晦日のこの日、「2013年最後のご挨拶」をさせていただきます。

■昨年、2012年のの7月25日に、このホームページを開設しました。「三日坊主」で更新も終わるかな…と思っていましたが、自分でも意外なことに、なんとか今日まで更新を続けてこられました。いろんな理由からコメントはできないように設定してあります(大きな理由は、スパムコメントの大攻撃にあうため)。ですので、何かございましたら、「CONTACT」機能か、あるいはメールでご連絡をいただければと思います。

■2013年、いろいろありました。ありすぎて、ここでは簡単に書くことができません。各方面の皆さまには、本当にお世話になりました。いろいろ勉強させていただきました。長年、滋賀県で学ばせていただいたことをもとに、来年はいよいよ、アウトプットに時間とエネルギーを割いて頑張ることになります。ちょうど1年前の大晦日には、このブログで以下のようにかいています。

■とはいえ、ゼミ4年生の卒業論文の原稿がドッと送られてきており、これから原稿のチェックをしなくてはいけません。ゼミ生たちには、「私の正月を返してくれ!!」と声を大にして叫びたいのですが、仕方がありません…。来年度は、もっと早くに卒論指導を終えるように、卒論指導の仕組みを大きく変える予定です(3年生の皆さん、ご覚悟を)。また、この5年程、学生の指導や地域貢献にかなりのエネルギーと時間を投入してきましたが、少し自分自身に充電をする時間が必要になってきました。来年は、長期的な視点にたって、自分自身への充電も心が得けるようにしたいと思っています。

■…と決意しただけで、実際にはどうだったでしょうか…。気持ちばかりが焦ってしまっていますが、こんどこそは分自身の仕事にきちんとエネルギーを割いていくことにします。とはいえ、研究、教育、地域連携、地域貢献、学内行政(研究科長は2期目の1年目で、あと1年残っています…)のバランスが重要です。特定のことに傾きすぎた自分の仕事のバランスを、きちんと修正するという感じでしょうか。

よみがえったイタセンパラ

20131230itasenpara.jpg■右の写真は、イタセンパラ(板鮮腹)という淡水魚です。ウィキペディアコモンズから拝借してきました。このイタセンパラは、タナゴ(コイ科)の一種です。10cm程の小さな魚です。国の天然記念物にもなっています。ただし、その生存が危ぶまれてきました。環境省のレッドリストで最も絶滅危険性の高い「絶滅危惧IA類」に指定されています。生息している地域は、琵琶湖・淀川水系、そして濃尾平野、富山平野になります。淀川の「シンボルフィッシュ」と呼ばれています。

■先日、このイタセンパラについて新聞記事(産経新聞)を読みました。一度消滅したと思われていた淀川のイタセンパラですが、8年ぶりに繁殖が確認されたというのです。記事には「大阪府立環境農林水産総合研究所水生生物センター(同府寝屋川市)や沿岸の子供たちなど、官民が手を携えた地道な活動が着実に実を結びつつあり、関係者は『地域の宝』のさらなる繁殖に期待を寄せている」と書かれています。素敵な話しですね。

■淀川のばあい、イタンセンパラは、流れの早い本流ではなく、岸近くの「わんど」にいます。わんどとは、河川沿いにある潅水域(かんすいいき=水たまり)のことです。河川本流が増水したとき直接につながりますが、ふだんは、ため池のようになっています。淀川のばあい、これらのわんどは明治以降の治水事業のなかで人為的につくられてきました。水草なども茂り、いろんな水生生物が生息できる安定した環境となっていました。しかし、このわんどに生息していたイタセンパラが一時期、姿を消していたのです。記事には、こう書かれています。「しかしその後、琵琶湖から下ったブラックバスやブルーギルなどの外来魚が繁殖し、生態系が変化。護岸工事によるわんどの減少が重なり、18年には大阪の淀川から完全に姿を消した」。その姿を消したイタセンパラが、また繁殖をしはじめたのです。

■再び、繁殖をはじめた背景には、行政と地域の子どもたちの努力がありました。再び、記事を引用してみます。

復活の裏には、官民連携した保全への努力があった。10月には、大阪市旭区の淀川左岸に広がる「城北(しろきた)わんど」で、地元の小中学生約45人を招いた行政機関主催の放流会が行われた。

イタセンパラは、希少性の高さや見た目の美しさからネットオークションなどでの売却目的に密漁する動きがあり、これまで放流場所は非公開だった。しかし「地域の人も参加できるような保全活動にしたい」と初めて公開に踏み切った。密漁防止のため、行政と地域住民が連携した巡視活動も始まった。

シンボルフィッシュを守る動きは、ほかにも活発化している。同センターは、子供たちにイタセンパラについての知識を深めてもらおうと、淀川沿岸の小学校に職員が出向く「出前授業」を開催。市民団体「淀川水系イタセンパラ保全市民ネットワーク」(寝屋川市)と行政機関が連携し、外来魚駆除を目的とした釣り大会も開かれた。

着実に成果が表れつつあるイタセンパラの保全活動。同センターの上原一彦主幹研究員は「長期的な生物の保全には地域ぐるみの協力が不可欠。『地域の宝』として地元住民が誇れる存在になれば」と話している。

20131230itasenpara2.jpg■この記事からわかることは、生物を保全していくためには、人のかかわりが必要であるということです。以前は、人と生物を隔離することで保全しようとする発想の方が、圧倒的に優勢でした。しかし、時代は少しずつ変化してきました。今回の事例では、「シンボルフィッシュ」という意味付けを通して、イタセンパラと地域の人びととの間に関係が生まれ、地域の人びとが保全の担い手となっていることがわかります。その前提として、イタセンパラが生息し続けていくために必要なわんどという環境、そこにある生態系の価値を再評価しようとする意識の広がりが存在しているはずです。

■ところで、この画像は、新聞記事の引用のなかにある「城北わんど」を、Google Earthでみたものです。いかがでしょうか。画像の左側が下流、右側が上流です。上流からみて左側が左岸、右側が右岸と呼ばれます。この画像では、左岸の方に、わんどが確認できるかと思います。わんどのあるところは、増水すれば水につかります。わんども、本流とつながります。現在、淀川は、治水・利水のための土木工事によって、「陸」の世界と「水」の世界は完全に分断されているわけですが、かつては、その境目が大変曖昧でした。わんどのような場所が、いたるところにありました。いろんなところに中洲があり、また河岸ではヨシが繁っていました。それらの場所は、「陸」の一部になったり「水」につかったりする場所となっていました。そこにも、たくさんの生物が生息していました。

■この「陸」と「水」の関係について、もう少し考えてみたいと思います。極端な例で考えてみましょう。私は、かつて東南アジアのカンボジアのトンレサップ湖に調査にいったことがあります。その時の経験について、少し述べたいと思います。以下は、トンレサップ湖についてのwikipediaの説明です。

トンレサップは、カンボジアに位置する湖であり、河系と結びついている。東南アジア最大の湖であり、クメール語で巨大な淡水湖 (sap) と川 (tonlé) という意味がある。一年のうちほとんどの期間、水深は1mに留まり、面積は2700平方kmしかない。形状はひょうたん形である。しかし、夏季のモンスーンの時期には湖からプノンペン付近でメコン川に流れ込むトンレサップ川が逆流する。そのため周囲の土地と森を水浸しにしながら面積は1万6000平方kmまで拡大して深度も9mに達する。淡水魚には陸上植物起源の有機物が豊富に供給され、また多量のプランクトンが発生する、このような一時的水域で繁殖するものが多いため、魚が大量に発生する。体重100kgを上回るメコン大ナマズ (Pangasius gigas) やフグなど600種類以上の淡水魚が生息する。雨季の終わりには水が引き、繁殖を終えた魚は川下に移っていく。トンレサップ水系で採れる魚は、カンボジア人のたんぱく質摂取量の60%を占める。水が引くにつれ周囲に養分に富む堆積物を残すため、雨季以外には重要な農地が拓ける。浮き稲などが栽培されている。トンレサップ川が逆流することで、メコン川下流の洪水を防ぐ安全弁にもなっている。

(太字強調は脇田)

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■トンレサップ湖周辺の水田です。2003年8月下旬に撮影したものです。「ああ、これから田植が始まるのかな?」とお思いの方、それは違います。もう一度、上のwikipediaの引用の太字をお読みください。そうです。この水田は、これから湖になってしまうのです。水につかった水田のむこうには、なにやら茶色い壁のようなものが見えますね。これは、竹で作った漁具です。湖のなかに迷路をつくって魚を迷い込ませて獲るのです。琵琶湖のエリという定置漁具に似ています。稲を育てる場所が、同時に、魚を獲る場所でもあるのです。興味深い風景ですね(確認していませんが、漁具を仕掛けている人と、水田を耕している人は別の方だと思います。一定のルールの元で、特定の人の所有している水田に、他人が漁具をしかけても問題ないのです。もともと、カンボジアには、私たちが近代国民国家のもとで自明としている近代的土地所有権の観念ははっきりとは存在していませんでした)。右の写真ですが、家が見えます。これは水に浮いています。雨季にトンレサップ湖の水位が上昇するあいだ、ここに暮らして、漁をおこなうのだと思います。フローティングハウスですね。ここでは「陸」と「水」の世界が連続していることが、はっきりわかります。また、そのような環境をうまく活用して人びとの生業や生活が成立していることがわかります。もちろん、日本を含む東アジアと東南アジアとでは、同じモンスーン気候とはいってもかなりの差があります。トンレサップ湖のばあいは、かなり「強烈」です。しかし、このような「陸」と「水」の世界が連続する風景、そしてそこに人びとが強く関与する風景、それは日本も含めたアジア・モンスーン地帯のいわば原風景といえると思うのです。

(この投稿の後半は、現在、塩漬け状態にある拙ブログ「Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」の「モンスーンのなかの淀川、淀川のワンド(その1)-大阪から、何故かカンボジアへ-」 」にもとづいています。)

仕事を律する

20131229ayameike.jpg ■冬休みに入り、自宅の大掃除とか、いろいろ、諸々…やるべきことを、とりあえず少しずつこなしています。前進しています。それと同時に、マラソンのレースに向けて気合いをいれるために、「今日からきちんと計画的に練習するぞ!!」という強い意識のもと、走りました。もちろん、走ることは確かに気持よかっのですが(心肺は少々辛いものがありましたが)、なんといいますか、ランニングがまだまだ生活のなかに定着していないといいますか…。これから、きちんと走って練習し、定着させます(反省)。写真は、その気持を改めて、しっかり自分のなかで強く意識したときに撮ったものです。

■今日は、少し風はありましたが、写真のとおり、気持ちが良い日でした。こんな空のような気持ちで、いつもいると幸せなのでしょうね。まずは、(1)やるべきことをきちんと処理できている。(2)部屋や研究の中が整理整頓されている。(3)パソコンのデスクトップが美しい。(4)酒を飲みすぎず、規則正しい生活をする。私のばあいでいすが、(1)~(4)が、きちんと日常生活のなかでうまくいっていると、きっと、写真のような空のような気持ちで過ごせるのではないかと思うわけです。

■そうは思うのですが、これがなかなか難しい。(1)~(4)は、どこかで相関しているように思います。なんでもかんでも、「よっしゃ!」と引き受けてしまうことを、少し考えて、仕事の優先順位に関して、きちんと自分のなかで整理をつけなければ…、言い換えれば、「仕事を律する」必要があるとも思っています。う~~ん、それが果たしてできるのかな~。そこが、問題なのですね。でも、自分のなかには、この写真の空のような清々しい気持で、これからも仕事をしていたいとは思っているのです。

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