iPhone6 Plus 初めての写真
晩秋の深草
■昨日は、午前中は老母の生活介護。昼食に梅田三番街の「インデアンカレー」でパワーを注入し、肥後橋経由・京阪で深草キャンパスへ。会議2連チャンでした。けっこう長くなりました。疲れました。物理的な時間の長さというよりも、議論の中身かな。これ以上は書きません。
■まあ、とにかくです、ちょっと気持ち的に疲れたのです。こういう時は、ぶらりとどこかに立ち寄るわけですが、そういう気持ちにもならず、まっすぐに帰宅しました。京阪深草の駅に向かう最中に撮った写真です。満月ではありませんが、月が出ていました。見慣れた風景ですが、こうやって写真に撮ると風景の奥にある姿がみえてきます。その風景に気持ちが投影されます。
■写真はiPhone5で撮ったものです。画質が荒いですが、どうかご容赦ください。上の写真は、キャンパスの門を出たところにある「大洋」という会社です。その右は、跨線橋の上から撮った京阪深草駅。左は、琵琶湖疎水でとった町家。錆びたトタンの壁に「魚治」の看板がお気に入りなのです。
電気鉄道事業発祥地
■京都駅は、私にとって通勤のときに通過する場所です。自宅のある奈良から近鉄で京都駅まで行き、そこからJR京都駅まで歩き、こんど琵琶湖線に乗り換え瀬田駅までいく。京都駅は、そのようなルートの通過地点でしかありません。そのようなこともあり、駅構内の外に出ることはあまりありません。駅の周辺にある書店や居酒屋(ないしはパブ)に行くとき、あるいは近くにあるショッピングモールに買い物をしにいくとき以外は、駅の建物から外に出ることはありません。まして、京都駅から地下鉄に乗って繁華街である四条のあたりまでいくなんてもことも、県人会や同窓会等の特別な用事がない限りありません。つまり、京都駅は通過はしていますが、京都の街のことはあまり知らないのです。
■先日のことになります。駅から少し離れたところにあるラーメン店に昼食をとりにいきました。京都駅ビル内の伊勢丹にも拉麺小路という場所があり、全国の有名店が出店されています。まあ、そこでも良かったのですが、その日は京都駅近くにある「本家 第一旭」に行きたくなり、テクテク歩いていたのです。すると、駅のすぐそばにこの写真の石碑がたっていることに気がつきました。何度も通っているはずなのですが、今回、このような石碑が建っていることに初めて気がつきました。「電気鉄道事業発祥の地」と書いてあります。帰宅してからも調べてみて、いろいろわかりました。京都市役所のホームページでは、この日本発の電機鉄道に関して詳しく解説していました。以下は、そこからの引用です。
日本初の市街路面電車
明治28(1895)年2月1日から昭和53(1978)年9月30日までの83年間,路面電車が京都市内を縦横に走っていました。明治28(1895)年,民営の京都電気鉄道会社(京電<きょうでん>)が東洞院(ひがしのとういん)塩小路(しおこうじ)下るの七条停車場(しちじょうていしゃじょう,京都駅)と伏見町(ふしみちょう)下油掛(しもあぶらかけ)間の営業を開始。京都に日本初の路面電車が誕生しました。明治45(1912)年6月,京都市営電車の営業が開始され,京電との激しい客取り合戦が繰り広げられましたが,大正7(1918)年7月,京都市が京電を買収し,競合区間の路線が統一されました。大正中期から昭和初期までは,市電の黄金時代が続きました。
昭和30年代の後半(1959~1964)から,市電と競合する市バスや会社バスが増加し,更に自動車も多く走りはじめ,路線の自由がきかない市電経営は行き詰まりを見せました。
昭和45(1970)年3月31日,日本最古の路面電車路線だった伏見線(塩小路高倉<しおこうじたかくら>と中書島<ちゅうしょじま>間)と稲荷線(勧進橋<かんじんばし>と稲荷間)が廃止されたのを皮切りに,路線が次々と廃止され,昭和53(1978)年9月30日,残る外郭線(北大路・西大路・九条・東山・七条・河原町の各線)すべてが廃止され,京都の路面電車の歴史に終止符が打たれました。先走りの少年
京電開業の6か月後の明治28(1895)年8月,雑踏や街角,橋上では電車の先五間(約9メートル)以内を先行し,昼は旗,夜は提灯をもち「電車がきまっせえ。あぶのおっせえ」と叫びながら線路を走る告知人がいました。告知人は,12歳から15歳の少年で構成されていて,先走りと呼ばれました。告知人制度は,府令第六十七号電気鉄道取締規制によるもので,仕事は危険な上に汗とほこりにまみれての重労働で,少年が電車にひかれる事故が相次いだため,告知人制度は廃止されました。疏水止まれば電車も止まる
京電は琵琶湖疏水(びわこそすい)による水力発電によって電力が供給されたため,疏水の流れが止まると,京電も休業となりました。京電の定期休業日は,元旦,毎月1日と15日の疏水藻刈日。その他,水利事務所の機械故障や琵琶湖の増水などによって,たびたび電車の走行が止まりました。明治32(1899)年,東九条村(ひがしくじょうむら,現南区東九条東山王町)に石炭による火力発電所が開設され,その発電により輸送能力が一気に向上しました。
■素朴に「電車に乗るのが楽しい…」と思うだけの幼稚な鉄道愛好家なので、こういう歴史的な事実関係についてはまったく知りませんでした。京都の路面電車と琵琶湖疎水の関係については受験勉強のときに得た知識として知っていましたが、「先走りの少年」がいたなんてことも…知りませんでした。しかも、「電車がきまっせえ。あぶのおっせえ」と叫びながらというのが、京都らしい。ただし、少年が電車にひかれる事故が相次いだため…というのは、悲惨というか、なんとも言いようがありません…。解説では、路面電車が全面的に廃止になったのが昭和53(1978)年だといいます。私が二十歳のときです。当時、神戸に住んでいましたが、廃止寸前の頃に、一度だけ乗ったような記憶があります。今から思えば、市電を無くしてしまうなんて…もったいない話しですね。電車、自転車、人の歩行を優先るす街になっていれば…と思わずにはいられません。
■ところで、「電気鉄道事業発祥の地」の石碑の碑文ですが、以下の通りです。
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電気鉄道事業発祥の地
日本最初の電気鉄道はこの地に発祥した。即ち明治二十八年二月一日 京都電気鉄道 株式会社は 東洞院通り七条下る鉄道踏切 南側から伏見下油掛通りまで 六キロの間 に軌道を敷き 電車の運転を始めた。この成功を機として 我が国電気鉄道事業 は漸次全国に広がり 今日の新幹線電車にまで発展することになったのである。よってその八十周年にあたり 先人の偉業 を讃えてこの記念碑を建てる。 昭和五十年二月一日
日本国有鉄道
京都市交通局
関西電力株式会社
阪急電鉄株式会社
京阪電気鉄道株式会社
近畿日本鉄道株式会社
阪神電気鉄道株式会社
南海電気鉄道株式会社
京福電気鉄道株式会社
鉄道友の会京都支部
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■関西の鉄道関係の企業がずらりとならんでいますね。阪神、南海なんて鉄道会社は京都とは関係ないはずですが、鉄道会社のとっては重要な「発祥の地」ということで、ここに名前があがっているのでしょう。ちなみに最後の「鉄道友の会」ですが、1953年(昭和28年)11月14日に創立された全国規模の鉄道愛好者団体です。広く鉄道知識を普及し、鉄道趣味を通じて会員相互の親睦を深め、鉄道を愛護し、その発展に寄与することを目的として設立されています。この「発祥の地」の石碑は、伏見区にも建てられているのだそうです。こちらも、チャンスがあれば見学したいと思っています。
京都タワーとイメージの変遷
■本日、10月1日は、「展望の日」です。全日本タワー協議会が2006年に制定したもので、10月の「10」を「テン」、1日の「1」を「ボー(棒)」と(むりやり…)読むのだそうです。この「展望の日」をアピールするために、昨晩(9月30日)、協議会所属のタワーは赤くライトで照らされたようです。関西だと、「京都タワー」、「通天閣」(大阪)、「ポートタワー」(神戸)が赤くなったようです。トップの写真は、帰宅途中に撮ったものです。たしかに、いつも白いタワーの柱の部分が赤く染まっています。
■みなさん、「京都タワー」に登ったことがあるでしょうか。私は、2回ほどあります。展望台からの風景はなかなかのものだと思いますが、建設当時は、いろいろ論争があったようです。以下は、土木学会の論集「環境システム研究論文集」(2007)に掲載された「京都タワーのイメージ変遷に関する研究」(稲本 健太朗・岡田 昌彰)からの引用です。
設立当初より建設反対論が渦巻く中,京都タワー は意外性とともに外観の美が認識されるようになる.京都のシンボルあるいは地元の風景といった京都自体とのイメージ的結びつきも次第に発現し,いわば地元への同化の進行がここに読み取れよう.高さの認識は 1990 年代前半まで漸増するが,1997 年の新京都駅ビル完成後はその認識の割合も減少し 来塔者数にも減少が見られる.現在でもランドマー クとしての役割は継続して見られるが,これは 1969 年当時で 20m など高さ制限(その後,45m に推移) を京都市が長く発布し周辺建築の高層化が他都市に 比べ大きくは進行しなかったことが背景にあるもの と考えられる.これにより周辺域との相対的高さは 確保され続けてきたが,1997 年の新京都駅ビル竣功 と前後してこのイメージに低下が見られる.また, 新京都駅ビルの竣功はタワーを眺める新たな視点場 を生成させている.
いっぽう,灯台なる当初設計におけるモチーフとは何ら脈絡を持たない「蝋燭」なるイメージが竣工後オブザーバーにより付与され,それが次第に定着し,現在は逆にこの事後的に形成された通説が当初設計におけるモチーフとして認識される傾向があることはたいへん特徴的である.マスとしての形態をもつ応力外被構造の京都タワーはゲシュタルトとしての認識が卓越するものと考えられる.このことがオブザーバーによる見立てを促し,さらに否定・肯定両面における社会的注目度の高さがオブザーバー主体によるこの意味づけを通説へと昇華するまでに強化していったものと捉えられる.このことは,塔状構造物の形成するイメージと,塔の形態ならびに立地地区の地理的条件,及び社会的背景との間にみられる関係性を示唆する知見であるといえる.内外における他の塔状構造物とのさらなる比較検討を今後行う必要があろう.
加えて,設立40周年を迎えた近年においては,上 記のような元来のモチーフや設計における構造特性 などといった京都タワーの歴史的系譜そのものに対 する関心も生じてきている.東京タワーや通天閣な ど国内における他の塔状構造物が映画などのメディ アを通じて“地域資産”“文化財”あるいは“都市 の原風景”という新たなまなざしで注目される社会 的趨勢の影響も考えられるが,40 年という期間が 人々の意識に与えうる影響を端的に示す史実として 指摘されよう.
■昨晩、facebookにこの写真を投稿したところ、ある方から「もともと京都タワーは『ロウソク』をイメージしてるんですよね」というコメントをいただきました。しかし、上記の引用にもあるように、「ロウソク(蝋燭)」ではなく、建設当初は「灯台」をイメージして設計されました。市内の町家の瓦葺きを波に見立て、海のない京都の街を照らす灯台をイメージしたものなのだそうです。以下は、「京都タワー」のサイトから[url-http://www.kyoto-tower.co.jp/kyototower/about/index.html]引用です[/url]。
京都駅の烏丸口から出ると、真正面に京都タワーが見えます。 1964年(昭和39年)12月に誕生したタワーの独特な姿は、海のない京都の街を照らす灯台をイメージしたもの。その姿だけではなく、構造も個性的ってご存じでしたか?
■当初は景観論争もあったようですが、今では上記の論文の引用にもあるように「京都のシンボルあるいは地元の風景といった京都自体とのイメージ的結びつきも次第に発現し,いわば地元への同化の進行」していきました。見る側の「眼差し」が、見られる側(物としての建築物)の社会的意味付けを変化させていったわけです。仏教寺院が多数ある「京都らしい」イメージとして受容されるさいに「ロウソク(蝋燭)」という新たなイメージが付与されているのです。私自身も、京都の景観について調べる前までは、「蝋燭」という流布したイメージで、そして京都のランドマークとして受け入れていました。
■この京都タワー、怪獣映画のなかにも登場するようです。映画『ゴジラvsメカゴジラ』(1993年)です。1993年になっても、まだ怪獣映画が製作させていたのか…というのが私の正直な感想ですが、それはともかく、この映画のなかでは、ゴジラの熱線によって京都タワーが破壊されているのだそうです。また、『日本沈没』(1973)のなかでは京都タワーが倒壊するのだそうです(両方ともwikipediaの情報ですが…)。1973年に『日本沈没』の映画が上映される頃には、京都といえば「京都タワー」(お寺のロウソクイメージ)が定着していたのでしょう。
龍谷大学餃子研究会
■職場には、人間関係の「風通しをよくするために(いわゆる親睦)」「お互いに仕事で助け合うことができるように(組織内社会関係資本の蓄積)」と、いろんなアフター5の団体があります。まずは、学部教授会の懇親会です。社会学部の懇親会は、「おうみ会」という名前がついています。ここには、社会学部教務課の事務職員の方たちも招待されます。お互いに仕事で忙しいので、こういうときに、ざっくばらんに雑談をして楽しむことで、「ああ、この先生はこういうユニークな考えをお持ちだったのか」といったように、普段は知ることのできない職場の仲間の人柄を知ることができるわけです。
■このような団体は、なにも学部懇親会だけではありません。私個人のばあいですが、「奈良県人会」があります。奈良県出身者や奈良在住者の集いです。私は奈良に住んでいるので、参加させていただいています。もちろん、出身は奈良ではありません。神戸、つまり兵庫県です。しかし、龍谷大学に教職員の県人会、「滋賀県人会(淡水会)」と「奈良県人会」しかありません(…おそらく)。ということで、勝手に、兵庫県出身者を仲間で探して「兵庫県人会」をつくりました。この「兵庫県人会」については、5月30日のエントリーでも報告しました。
■それだけではありません。私のばあいに限ってですが、マラソンや駅伝の仲間なんてのもあります。ここまでくれば、勢いづいてしまいます。先日は、「龍谷大学餃子研究会」というものを立ち上げました。今のところ、一応、会長におさまっています。会員も現在のところ3名です。研究会というと、なんだか大げさなのですが、餃子好きの人たち(餃子につきもののビールが好きな人たちも)が集まってつくりました。なお、素敵な方たちの入会を待っています。また、「龍谷大学東九条お好み焼き研究会」なんてのもできつつあります。
■「餃子研究会」では、先日、第1回の研究会を開催しました。研究会の創設から3日目の出来事でした。facebookで連絡をとりあっての、あっという間の出来事でした。第1回研究会の会場は、京都の南区にある「ミスター・ギョウザ」です。副会長のNさんに連れて行っていただきました。とても美味しい餃子でした。パリっとした焦げ目のついた皮、存在感はあるが厚すぎない皮の厚さ。これが微妙にすごいと思いました。そしてパリっときたあとに、焦げていない側の皮のフニャっとした感覚、そして最後は餡のジュワっとくる味。この三拍子がそろった素晴らしいお味でした。こちらのお店は、酢醤油か味噌ダレでいただきます。箸休めには、キュウリの漬け物もあります。そしてなんといってもユニークなのは、トレードマークです。先代の店主さんの横顔が描かれています。
京都タワー
■先日からご紹介しているiPhone5の水彩画アプリ「Waterlogue」。私、ちょっとはまってしまいました…。続けて同じアプリの話題で申し訳ありません。こんどは、「京都タワー」です。昨日は、京都駅を経由して18時半から深草キャンパスで会議でしたから、夕方の18時頃だったでしょうか。京都タワーはすでに照明をあびていました。京都タワービルも含めて、駅周辺のビルの部屋にも明るくなっていました。
■私は、狭間の時間帯が好きです。海水と淡水が入り交じるところを汽水域といいますが、時間の推移とともに風景のなかにも「汽水域」が生まれます。この
「京都タワー」をアプリで加工していた時間帯も、ちょうどそのような「汽水域」の時間帯でした。そういう風景に対する自分の思いも込めながら、思いついたときに、水彩画でサラサラっと描けたら、どんなに素敵でしょうね〜。残念なことに、そのような絵の練習をきちんと積んできていないので…。でもいつか、もっと歳をとったときにこういうふうに水彩画が描けたらいいなと思います。幼いころ、絵画教室には通っていたのです。この「京都タワー」の画像ですが、アプリでの加工に加えて、さらにAir Macでも加工しています。少しだけ、暗めの感じに仕上げました。しかし、コンピュータの技術で水彩風の画像を描くというのは、イメージとしては、人工的な旨味調味料で味付けをした料理のようでもありますね〜、やはり。
町家でお酒を楽しもうNo.20「灘と伏見」
■昨日の午前中は、「滋賀県生物多様性地域戦略策定に係る専門家会議」という滋賀県庁自然保護課の会議に出席しました。国が定める「生物多様性国家戦略2012-2020」のもとで、滋賀県の戦略をどうしていくのか…について考える会議です。生物多様性の維持には、多様かつ適切な人びとの自然環境への働きかけが必要になります。そんなわけで、私のような環境社会学者も呼ばれているのです。もっとも生物多様性そのものの専門家ではないので、さてさて…どうしたものか…とも思っていたのですが、旧知の皆さんが委員として出席されていたので、ざっくばらんにお話しをさせてもらいました。とても議論が盛り上りました(…と思います)。楽しい議論になったわけですが、問題はこれをどうまとめていくのかです。
■専門家会議に先立ち、複数のテーマ部会にわかれたワーキンググループがたちあげられ、様々な職業の人びとが生物多様性に関して議論をされています。みなさん、それぞれに大切なご意見を述べられ、有益な議論をなさっています。それらの議論をもとに、滋賀らしい・滋賀ならではの「生物多様性地域戦略」を策定していくことになります。おもしろい展開になりそうです。
■午後から、というよりも夕方からは、2つめの会議 がありました。「環びわ湖大学・地域コンソーシアム」が滋賀県から受託した研究「明日の滋賀を展望する調査」の会議です。人口が減少し、少子高齢化が一層進む30年後にむけて、社会をどのようにデザインしていけばよいのか…そのあたりの見通しをつけることが今回の調査の目的です。いったいどういうふうに議論の成果をまとめるのか…と不安だったのですが、昨日は報告書の全体像といいますか、構成や骨格が見えてきたので、自分の分担分(滋賀の農業・農村・食料に関すること)の位置づけがはっきりしました。なんとか書けそうです。現状の課題を明らかにするために適切な統計データ集めなくてはいけませんが、事務局にサポートしていただけるとのこと、少し安心しました。
■夕方の会議を終えたあとは、京都の西陣に移動しました。西陣にある「京都リサーチパーク町家スタジオ」で、「町家でお酒を楽しもう」という第20回目のイベントが開催されたからです。facebookを通して知り合ったKさんからのお誘いを受けて初めて参加しました。この日は、伏見の酒と灘の酒を比較して楽しむという、日本酒好きにはたまらない企画でした。例によって、いろいろん方たちとお話しができました。
■この日本酒の会、facebookの奈良人脈を通じて知り合ったKさん(食や農に関する活動をされています)と、神戸大学日本酒サークル正宗会の皆さんが企画されているものです。おもしろいですね〜。老若男女、たくさんの方が集まっておられました。だいたい月1回の開催らしいですが、20回も続いているだけのことはあります。大満足の企画です。この日は、灘と伏見の酒があわせて8種類ほど集まっていました。4種類くらいめあたりまでは、お隣の方たちと酒の味についていろいろ語りあってメモをとったりしていたのですが(会では、そういう楽しみ方を勧めておられます)、だんだん気持ちよくなって呑んでおしゃべりをしている…だけになりました。まあ、これもまた良しです。
■ところで、大学に日本酒サークルってのがあるんですね。若い人がこのようなサークルを結成するというのが、素晴らしいと思いました。感激だな〜。自己紹介を1人ずつおこないましたが、私は、ゼミの「北船路米づくり研究会」でプロデュースした純米吟醸無ろ過生原酒「北船路」の紹介もさせていただきました。多くの皆さんに関心をもっていただきました。このなかに、龍谷大学大学院政策学研究科の院生の方がおられて、「龍大でも日本酒サークルを結成するから部長(顧問)になってください」といわれました。一瞬、驚きましたが、「はい、喜んで!!」ですね。さあて、この話しも、どんな展開になるのかな。これまた、楽しみです。
鞍馬で温泉につかる…
■昨日(1月12日)のことになりますが、親しい仲間と一緒に、京都の北、鞍馬にある温泉に遊びにいきました。仲間の皆さんと温泉にゆっくりつかることが目的だったのですが、個人的には、叡山電鉄に乗る…ということも、じつは密か目的でした。これまで、精華大学のある辺りまでは、この叡山電鉄に乗ったことがありましたが、その奥にある鞍馬は今回が初めてでした。900系(デオ900形)、「きらら」という愛称のついたパノラマ列車に乗ることができました。車両の中間あたり、景色を楽しめるように天井の端にも窓がついています。もっとも、景色を楽しむよりも、実際には車中でのおしゃべりを楽しむ…ってかんじになりましたけど。
■もちろん、温泉もゆっくりむつかって、仕事の疲れをいやしました。鞍馬の山のマイナスイオンを思い切り吸いこんで、刺激の少ない鞍馬のお湯にゆったりつかりました。いや~、ひさしぶりに温泉を楽しむことができました。
京都で慰労会
■昨日は、朝から留学生の入学試験の仕事がありました。その仕事が終わったあと、社会学の学術雑誌『ソシオロジ』の編集委員会に向いました。『ソシオロジ』は、日本社会学会の学会誌『社会学評論』とならび、伝統のある社会学の学術雑誌です。編集委員は1年に3回開催され、委員の任期4年になっています。私は、来年の3月で委員の任期を終えることになっています。
■『ソシオロジ』は、『社会学評論』とは異なり、査読を担当する専門の委員がいません。編集委員会のなかだけで査読をしています。そのため、狭い意味での自分の専門分野以外の投稿論文も読まなければなりません。そしてコメントを書き、掲載可能かどうか他の委員と議論をしなくてはいけません。しかも、担当する論文がかなりの本数になります。相当にエネルギーを消耗することになります。
■そんなこともあり、編集委員会が終わったあとは、毎回、慰労会をもっています。仕事を終えて、他大学の教員の皆さんと交流するのはなかなか楽しいものです。昨日は、祇園にあるお店で慰労会をもちました。祇園というと、なんだか敷居が高そうに思いますが、現在の祇園は、私たちのような普通の人がいくお店がたくさんあります。秋の観光シーズンということもあり、昨晩は、たくさんの観光客らしき皆さんが、祇園のエリアを歩いておられました。観光地化しているんですね~。
いよいよ季節到来
■帰宅途中、iPhoneで撮った京都タワーです。今日は雲ひとつ無い青空。ですから、こんなにスッキリした写真が撮れました。で、どうしてたくさんの観光客と一緒に、わざわざこの京都タワーを撮ったのか。じつは、気持ち的には京都タワーではなく、京都タワーの根元(?)、つまり京都タワービルの屋上にあるビアガーデンのことが気になったのです。写真では、提灯が並んでいるのがわかるのでしょう。いよいよ、ビアガーデンが始まりました。
■冷たいビール。私は、真夏に呑むよりも、まだ湿度がそれほど高くなく、朝夕は涼しい、この季節に呑むのが好きです。ビールは、灼熱の真夏よりも、初夏が似合っていると思います。新聞でも、ビアガーデンがオープンした…という記事を読みました。行きたいですね~!! どなたか、ご一緒してください!! ご連絡をお待ちしております。