電気鉄道事業発祥地

20141014denkitetudo.jpg ■京都駅は、私にとって通勤のときに通過する場所です。自宅のある奈良から近鉄で京都駅まで行き、そこからJR京都駅まで歩き、こんど琵琶湖線に乗り換え瀬田駅までいく。京都駅は、そのようなルートの通過地点でしかありません。そのようなこともあり、駅構内の外に出ることはあまりありません。駅の周辺にある書店や居酒屋(ないしはパブ)に行くとき、あるいは近くにあるショッピングモールに買い物をしにいくとき以外は、駅の建物から外に出ることはありません。まして、京都駅から地下鉄に乗って繁華街である四条のあたりまでいくなんてもことも、県人会や同窓会等の特別な用事がない限りありません。つまり、京都駅は通過はしていますが、京都の街のことはあまり知らないのです。

■先日のことになります。駅から少し離れたところにあるラーメン店に昼食をとりにいきました。京都駅ビル内の伊勢丹にも拉麺小路という場所があり、全国の有名店が出店されています。まあ、そこでも良かったのですが、その日は京都駅近くにある「本家 第一旭」に行きたくなり、テクテク歩いていたのです。すると、駅のすぐそばにこの写真の石碑がたっていることに気がつきました。何度も通っているはずなのですが、今回、このような石碑が建っていることに初めて気がつきました。「電気鉄道事業発祥の地」と書いてあります。帰宅してからも調べてみて、いろいろわかりました。京都市役所のホームページでは、この日本発の電機鉄道に関して詳しく解説していました。以下は、そこからの引用です。

日本初の市街路面電車
明治28(1895)年2月1日から昭和53(1978)年9月30日までの83年間,路面電車が京都市内を縦横に走っていました。明治28(1895)年,民営の京都電気鉄道会社(京電<きょうでん>)が東洞院(ひがしのとういん)塩小路(しおこうじ)下るの七条停車場(しちじょうていしゃじょう,京都駅)と伏見町(ふしみちょう)下油掛(しもあぶらかけ)間の営業を開始。京都に日本初の路面電車が誕生しました。明治45(1912)年6月,京都市営電車の営業が開始され,京電との激しい客取り合戦が繰り広げられましたが,大正7(1918)年7月,京都市が京電を買収し,競合区間の路線が統一されました。大正中期から昭和初期までは,市電の黄金時代が続きました。
昭和30年代の後半(1959~1964)から,市電と競合する市バスや会社バスが増加し,更に自動車も多く走りはじめ,路線の自由がきかない市電経営は行き詰まりを見せました。
昭和45(1970)年3月31日,日本最古の路面電車路線だった伏見線(塩小路高倉<しおこうじたかくら>と中書島<ちゅうしょじま>間)と稲荷線(勧進橋<かんじんばし>と稲荷間)が廃止されたのを皮切りに,路線が次々と廃止され,昭和53(1978)年9月30日,残る外郭線(北大路・西大路・九条・東山・七条・河原町の各線)すべてが廃止され,京都の路面電車の歴史に終止符が打たれました

先走りの少年
京電開業の6か月後の明治28(1895)年8月,雑踏や街角,橋上では電車の先五間(約9メートル)以内を先行し,昼は旗,夜は提灯をもち「電車がきまっせえ。あぶのおっせえ」と叫びながら線路を走る告知人がいました。告知人は,12歳から15歳の少年で構成されていて,先走りと呼ばれました。告知人制度は,府令第六十七号電気鉄道取締規制によるもので,仕事は危険な上に汗とほこりにまみれての重労働で,少年が電車にひかれる事故が相次いだため,告知人制度は廃止されました。

疏水止まれば電車も止まる
京電は琵琶湖疏水(びわこそすい)による水力発電によって電力が供給されたため,疏水の流れが止まると,京電も休業となりました。京電の定期休業日は,元旦,毎月1日と15日の疏水藻刈日。その他,水利事務所の機械故障や琵琶湖の増水などによって,たびたび電車の走行が止まりました。明治32(1899)年,東九条村(ひがしくじょうむら,現南区東九条東山王町)に石炭による火力発電所が開設され,その発電により輸送能力が一気に向上しました。

■素朴に「電車に乗るのが楽しい…」と思うだけの幼稚な鉄道愛好家なので、こういう歴史的な事実関係についてはまったく知りませんでした。京都の路面電車と琵琶湖疎水の関係については受験勉強のときに得た知識として知っていましたが、「先走りの少年」がいたなんてことも…知りませんでした。しかも、「電車がきまっせえ。あぶのおっせえ」と叫びながらというのが、京都らしい。ただし、少年が電車にひかれる事故が相次いだため…というのは、悲惨というか、なんとも言いようがありません…。解説では、路面電車が全面的に廃止になったのが昭和53(1978)年だといいます。私が二十歳のときです。当時、神戸に住んでいましたが、廃止寸前の頃に、一度だけ乗ったような記憶があります。今から思えば、市電を無くしてしまうなんて…もったいない話しですね。電車、自転車、人の歩行を優先るす街になっていれば…と思わずにはいられません。

■ところで、「電気鉄道事業発祥の地」の石碑の碑文ですが、以下の通りです。
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電気鉄道事業発祥の地
日本最初の電気鉄道はこの地に発祥した。即ち明治二十八年二月一日 京都電気鉄道 株式会社は 東洞院通り七条下る鉄道踏切 南側から伏見下油掛通りまで 六キロの間 に軌道を敷き 電車の運転を始めた。この成功を機として 我が国電気鉄道事業 は漸次全国に広がり 今日の新幹線電車にまで発展することになったのである。よってその八十周年にあたり 先人の偉業 を讃えてこの記念碑を建てる。 昭和五十年二月一日

日本国有鉄道
京都市交通局
関西電力株式会社
阪急電鉄株式会社
京阪電気鉄道株式会社
近畿日本鉄道株式会社
阪神電気鉄道株式会社
南海電気鉄道株式会社
京福電気鉄道株式会社
鉄道友の会京都支部
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■関西の鉄道関係の企業がずらりとならんでいますね。阪神、南海なんて鉄道会社は京都とは関係ないはずですが、鉄道会社のとっては重要な「発祥の地」ということで、ここに名前があがっているのでしょう。ちなみに最後の「鉄道友の会」ですが、1953年(昭和28年)11月14日に創立された全国規模の鉄道愛好者団体です。広く鉄道知識を普及し、鉄道趣味を通じて会員相互の親睦を深め、鉄道を愛護し、その発展に寄与することを目的として設立されています。この「発祥の地」の石碑は、伏見区にも建てられているのだそうです。こちらも、チャンスがあれば見学したいと思っています。

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