薬師寺・東塔の心柱(しんばしら)



■3月に篠山ABCマラソンを走ってから、脚の故障、胸の肋骨(軟骨)にヒビがはいり…と、走る気持ちがしだいに萎えていき、そのうちに暑い夏になり、夏休みこそと思いつつ、忙しさにかまけて…今日に至っているわけです。体重にそんな変化はありませんが、筋肉は落ちてしまっていますね。すっかり、普通の中年のおじさんに体力は戻ってしまっています…■半年前までは、奈良の自宅周辺を10kmから15kmほど、よく走っていました。そのような、私のランニングコースに、自宅から南下して唐招提寺と薬師寺をめぐって帰宅するというものがあります。これで、だいたい10kmになります。

■はい、前置きが長くなりました。今日は、薬師寺東塔の心柱が、解体修理のために取り外しされたという話題です。創建以来、1300年で初めてのことなのだそうです。心柱の中は、長い歴史のなかで劣化し、空洞の部分もあるようです。薬師寺の僧侶の皆さんの読経のなかで、そろそろと心柱が移動する様子は、単なる修理とは違って、なにか神聖な存在に触れるかのようです。2つの動画をじっくりご覧いただければと思います。これから修理とともに、柱を支える基壇の発掘等の調査も行われるようです。下の動画では、管長である山田法胤で、古代の謎が解ければよいといっておられます。どんなことが見えてくるんでしょうね〜。

■この話題とは直接関係ありませんが、薬師寺の管長である山田さんや副住職をされておられる村上太胤さんをはじめ、多くの僧侶の皆さんが、龍谷大学文学部を卒業されておられます。このうち村上さんは、現在、龍谷大学の同窓会組織である「校友会」の会長をつとめておられます。

梅田の秋空

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阪急梅田の「新聞原稿」箱

20140910hakyuumeda.jpg■老母の生活介護に週1回かよっています。介護世代です。そのさい、必ず阪急宝塚線を利用します。その宝塚線の一番端に、写真のような箱があります。「新聞原稿」と書いてあります。なんとなく推測できるのですが、不思議な箱ですね。同じように「なんだろう…」と思う人が多いようですね。ネットにこの箱に関する説明がありました。まあ、その情報が正しいのかどうか、私自身は確かめることはできませんが、参考にはなります。facebookでも鉄道ファンのページに投稿したところ、お詳しい方から説明を受けることができました。

■今はE-mailがありますし、インターネットで簡単に原稿を送ることができますが、ずっと以前はそうではありませんでした。手書きの原稿を、鉄道を使って届けていたようです。お詳しい方のお話しでは、「各新聞社と阪急が契約をしていて、新聞原稿を(格安で)荷物として本社(大阪本社)に届けるのに、しっかりと間違いなく届く鉄道を利用」したのだそうです。「京・阪・神にある新聞社の支局(支社)が例えば河原町の駅に預けると駅員が運転士に渡し、運転士が梅田駅でこの箱に入れる」、そして電話で連絡を受けた本社の方が、梅田駅まで記事を受取にいく…そんな仕組みになっていたようです。なるほど…です。

■しかし、インターネットの時代に、どうしてこの「新聞原稿」の箱が残っているのでしょうか。撤去するのが面倒だから…とか。あるいは、非常の際の通信手段を残してある…とか。きっと何か理由があるかと思うのですが、実際のところはどうなんでしょうね。

iPhone6

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■いろいろ噂はありましたが、とうとう発売になりました。これまで、初代のiPhoneから使い続けてきましたが、現在使用中のiPhone5は、もうバッテリーが完全にアウト状態。すぐに外付けバッテリーを使わねばならないようになってしまいました。じつは、スリープポタンやバッテリーに欠陥があり、無料で修理してもらえる対象にもなっています。しかし、今回は修理に出さずに、次のモデル、iPhone6に移行しようと思います。

■今回は、5.5インチのサイズも用意されています。大きいのと小さいの。どっち??悩みますね。それから、大きくなっただけでなく薄い、ディスプレイが美しい、バッテリーが長持ちする(これが重要)、ビデオが優れものになっている、Wi-Fi接続がよくなる、指紋によるセキュリティ…といろいろ特徴があるようです。楽しみです。でも、当分の間は買うことができないでしょうね。もうしばらくの辛抱です。

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アップル社のティム・クック最高経営責任者(CEO)のスピーチ

早朝の出勤

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■今朝は、自宅を6時10分過ぎに出ました。昨日中に、午前中の会議資料を咲く瀬艇しておかなければならなかったのですが、それを失念したため、仕方なしに早朝の出勤です。ずいぶん涼しくなりましたね。写真は、駅にむかう踏切でちょっと立ち止まって撮ったものです。仕方なしの早朝出勤ですが、やはり早起きは気持ちがよいものです。その気持ちと、朝日の風景が同期したのかもしれません。

■プラットホームに並ぶ乗客の皆さんも、半分程の方たちが長袖を着ておられます。本格的な秋に移っていきます。大学の仕事の方も、本格的に始まっています。「大津エンパワねっと」の学生たちの指導は、8月末から始まりましたが、先日(7日)、「報告会」が無事に終了しました。今週は、教授会や研究科委員会もあります。また慌ただしいヒ日々が始まります。

近鉄の「かぎろひ」

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■通勤では、近鉄「大和西大寺」駅を利用します。乗り換えです。昨日、電車を降りた時に、目の前にこの「かぎろひ」が一時的に停車していました。これは、近鉄特急の12200系を団体専用列車15400系に改造した、クラブツーリズムという旅行会社専用の団体列車なのだそうです。なかなかシックな色使いですね。とろこで、「かぎろひ」ですが、明け方の空の明るみ、曙光(しよこう)のことなのだそうです。 万葉集に「東(ひむがし)の 野にがきろひの 立つ見えて かへり見すれば月かたぶきぬ」(東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡)という柿本人麻呂の歌があるようです。

このような解説をみつけました。なるほど〜と唸ってしまいました。夜明けの風景の裏側にある意味を解説されています。

東の野を見ると朝日の光が輝いており、振り返って西を見ると月が沈みかけている)
10歳の皇太子・軽皇子が、藤原京東の阿騎野(あきの)で狩りをされた時に、お供をした柿本人麻呂が詠んだ歌です。
ただし、これはただの狩りではありませんでした。
28歳の若さで亡くなった軽皇子の父・草壁皇子を追悼する意味をもった狩りでした。亡くなった草壁皇子も、昔この阿騎(あき)の野で狩りをされたことがあったのでした。
この人麻呂の歌は早朝の狩野の雄大な景色を描きながら、景色だけではなく、そこに亡くなった草壁皇子への哀悼の気持、そして来るべき軽皇子の世を祝福する気持を詠み込んでいます。
沈んでいく月を亡くなった草壁皇子に、のぼってくる太陽を軽皇子にたとえているのです。
この阿騎野の狩りから5年後、15歳の軽皇子は持統天皇からの譲位を受け、文武天皇として即位しました。

■いや〜、勉強になりました(黒字強調の部分)!! 鉄道の話しだったんですが…。阿騎野(あきの)って、今の奈良県の大宇陀のあたりです。奈良には暮らしていますが、奈良のことをわかっていませんね〜。滋賀と大津ばかり。

中秋の名月

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■昨晩(8日)は、「中秋の名月」です。わかっているようで、わかっていないこの「中秋の名月」。この歳になっても、由来をきちんと説明できません。まあ、それはそれとして、自宅の近くで2枚、iPhoneで撮ってみました。そして本日(9日)は、「スーパームーン」なんだそうです。こちらも、あまり意味がわかっていません。月が地球に非常に近づく…ってことぐらい。この記事を書いているのは8日なんですが、どういわけかブログの日付は自動的に9日なってしまうのです。なんでだろうね〜。

「地域エンパワねっとⅡ」閉講式と慰労会

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■6期生の「地域エンパワねっと」の閉講式が、昨日の「報告会」「交流会」に続いて開催されました。6期生の皆さん、良い笑顔をされているので、人それぞれでしょうが、何か満たされるものがあるのでしょうね。 おめでとうございます。私も、ここまで皆さんに伴走してきましたが、少しホッとしています。しかし、一休みといってもいられません。月末からは次の学年7期生の取り組みが始まるからです。

■上の写真は、全体の記念写真*。下の自撮の写真は、私が直接指導したチームの皆さんです。厳しい指導だったと思うので、辛いときもあったかもしれませんが、最後まで頑張ってよく取り組んできました。「大津エンパワねっとコース」を修了すると、大学により「まちづくりコーディネーター」の資格が認定されますが、昨日の閉講式では、直接指導した一人一人の学生に認定証を手渡し、しっかり握手をさせてもらいました。

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■閉講式のあとは、「エンパワ」でお世話になっている「大津の町家を考える会」の雨森さんと、ドイツレストラン「ヴュルツブルク」で慰労会を持ちました。雨森さんは、もちろん「報告会」と「交流会」にも来てくださったのですが、エンパワの交流会にはお酒が出ません。車に乗ってこられる人もおれますし…。まあ、仕方がないのですが、雨森さんと私は、ものすごくもの足らなさを感じたというわけでして…。そんなこともあり、雨森さんから「ドイツビールでも行きますか?」とお誘いを受けたのです。石山駅まで向かい、そこからは雨森さんの奥様の運転で、「ヴュルツブルク」へ。美味しいビールをいただきました〜。昨晩は、奇麗な月がのぼっていましたし、ビールを楽しむのにはうってつけの夜でした(本日9月8日(月)は、中秋の名月なのだそうです。雨森さんに教わりました)。

■雨森さんとお別れし、JR「膳所」駅から京都に向かいました。そして、近鉄に乗って帰宅しようとしていたまさにそのとき、突然私の前に1人の若者がたちはだかったのです。びっくり。「わきたせんせー」と声をかけてきたのは、エンパワ6期生の諸君でした。そのエンパワ6期生の諸君に拉致されるように(いや、私が誘ったのかな…)、京都駅近くのアイリッシュハブに移動しました。私が学生の頃は、まだ受け継がれていた大学の「酒文化」。もう絶滅してしまったと思っていたのですが、少数ではあるにしろ、こういう学生たちも健在なのですね。ちょっと安心しました。6期生の諸君は、閉講式のあとに、有志が集まって瀬田駅近くの居酒屋で慰労会をもったのだそうです。雨森さんと2人で慰労会をしたように、学生たちも慰労会だったのですね。偶然に、京都駅で一緒になったというわけです。 お酒の力も手伝って、ここには書けないちょっと「コイバナ」っぽいことなども聞かせてもらい、楽しい時間をもつことができました。また、こうやって呑みましょう。

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■ところで、この日の「報告会」には、「エンパワ」修了生や卒業生の皆さんが7名も駆けつけてくれました。そのうちの1人であるMくんは、後輩たちの報告会の内容を聞くために、わざわざ姫路からやってきてくれました。報告会が終わると、交流会に参加する時間的余裕もなく、明日の仕事の関係ですぐに姫路に戻っていきました。Mくんを初めとして、先輩たちはどうして忙しいなかわざわざ報告会に来てくれているのでしょうか。後輩たちの活動を気にかけてくれているのでしょうか。おそらくは、彼ら彼女ら自身も、きちんと説明できないのではないかと思います。しかし、とても気になるのです。「エンパワ」では、先輩から後輩へ、先輩から後輩へと、眼に見えない「エンパワ魂」が受け継がれているように思います。その「エンパワ魂」がきちんと受け継がれていることを確認し、それらがより豊かに大きくなっていることを確認することで、先輩たちも安心してくれているのではないでしょうか。Mくんは、私にこういっていました。「後輩の報告をみていると、僕らのときと比較して、すごいなと思いました。自分たちのやったことが恥ずかしい…」。6期生の活動が、Mくんが思うほど優れた活動だったのかどうかは別にして、少しずつ成長・発展しているの確認して、安心してくれていると思います。
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■最後の写真は、「エンパワ」とは特に関係していませんが、なんとなく閃いて、撮ってみたものです。なにか、現在の気持ちと相関しているのかもしれません。

*スクリーンの「大津エンパワねっと」のタイトルは、5月末で退職された奥田伊代さんが作成してくださったものです。

「地域エンパワねっとⅡ」報告会

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■昨日、地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」の6期生「地域エンパワねっとⅡ」報告会が開催されました。白石学部長が校務で欠席であることから、学部長にかわり長上教授が、開会に先立ち挨拶をされました。その挨拶のなかで、近江商人の「三方よし」の話しを取り上げられました。「大津エンパワねっと」の「三方よし」とは何か…ということです。「学生よし」、「大学よし」、「地域よし」。確かに、そうですね。

■地域社会で地域の皆さんと一緒に活動しながら、課題を「発見」し、その課題を「解決」するための事業に取り組み、その成果を地域と「共有」する…その一連の学習プロセスは、学生たちの成長を促していきます(少なくとも、そのことを目指しています)。つまり、「学生よし」。「大学よし」とは何でしょうね。長上先生の挨拶のなかでの説明は、受験生のなかに「社会学部に入学して『大津エンパワねっと』を受講したい」という人が増えてきている…というものです。大学の運営にとってもプラスだと思います。また、社会学部のもっている可能性を引き出す、ひとつの方法なのかもしれません。一番難しいのが最後の「地域よし」。これは、いったいどういう意味で「よし」なのか。そのことを学生の皆さんは地域の皆さんとの交流のなかで考えてほしい…というのが、長上先生の挨拶でした。

■「エンパワ」が地域課題の解決を目指すのだから、単純に「それは地域社会にとってもよいことではないか…」といえるのかもしれませんが、この点についてはもう少し詳しく検討していかねばなりませんね。これは個人的な意見ですが、学生の活動を支援したり応援したりすることのなかで、結果として、地域社会のなかに微妙にプラスの変化が生まれてくる。この「結果して」というのが重要だなと思っています。社会学でいうところの「意図せざる結果」ですね。古典的な社会学の概念を使えば、「大津エンパワねっと」がもつ「地域コミュニティ」に対する「潜在的順機能」(Robert K. Merton)ということになるのかもしれません(もちろん、立場が変われば、必ずしも「よし」ばかりだけではないという意見もあるでしょう)。それがどのようなことなのか。6期生の皆さんは、自分の取り組みに必死でそんなことを考える余裕はなかったと思いますが、「エンパワ」を修了した時点で、少し考えてみてほしいと思います。まあ現実は、「もっといろいろ頑張ればよかった…」「情けない…」「思ったようにはいかなかった…」ということなのかもしれませんが、それにもかかわらず、どうして地域の皆さんはこれほどまでに、学生の皆さんのことを応援してくださるのでしょうね。学生の皆さんは、このことをきちんと自分のなかで自分なりに総括してほしいと思います。そうすると、「エンパワ」の経験をより一層人生に活かしていけるように思います。

■昨日は、非常にたくさんの学外の方達がご来場くださいました。学生たちが活動をしている瀬田東学区、中央学区の関係者の皆さんはもちろんのことですが、大津市役所やその他団体、他大学からもお越しいただきました。ありがとうございました。大津エンパワねっと事務局に確認したところ、学外からは36名の方にお越しいただいたようです(瀬田東学区関係者13名、中央学区関係者17名、大津市役所4名、他大学3名)。ちなみに、6期生は43名(他の実習に参加しているためやむをえず欠席している人たちがいます)。秋から「エンパワ」に取り組む7期生が49。修了生や卒業生が7名。教員が14名。全員で150名でした。

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■私は、1期生から6期生まで、ずっと「エンパワ」で学生たちを指導をしてきているので、学生たちの変化に鈍感になっているのかもしれませんが、年々、学生たちのプレゼンテーションが良くなってきている…という話しを、学外の多くの方達からお聞きしています(ほんまに、そうなんやろか…)。そういう評価はありがたいことですが、実質的な活動の内容がもっと問われる必要もありますね。口頭発表のあとのポスターセッションでは、その実質的な活動内容に関して、来場者からいろいろ質問が行われます。また、アドバイスや意見も出されます。学生たちは、そのことを大きいポストイットカードに書いてポスターに貼付けていきます。本当は、このことを活かして「地域エンパワねっとⅢ」という授業があればよいのですが、なかなかそうもいきません(6期生のなかには、ここで「エンパワ」が終わるのはさびしい、この「エンパワ」を続けられるものなら続けたい…と考える人もいます)。

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■この「地域エンパワねっと」の「報告会」。大学と地域をつなぐための、とても大切な行事だと思っています。この「報告会」と、毎月地域の皆さんと開催している「大津エンパワねっとを進める会」、大学の地域に対する「姿勢」を示すものでもあります。また、大学に対する地域社会の信頼を醸成していく「場」もあります。今後、「大津エンパワねっと」はカリキュラム改革等でその内容にも変化が出てくるのでしょうが、基本的な部分、特に地域との関係づくりについては方向性を見失わないようにする必要があります。それが、「地域よし」を担保するための一番基本の条件になるのですから。

関西六大学野球連盟秋季リーグ「大商大-龍谷大」戦

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■昨年のことになりますが、「地元の大学の野球部」として龍谷大学硬式野球部を応援したいという大津市民の皆さんと一緒に「龍谷大学硬式野球部私設応援団」を結成しました。総勢5名の小さな団体ですし、この私設応援団の「母体」は、いつもの大津駅前の居酒屋「利んやん」です。「利やん」のマスターと常連の皆さんの強いご要望で、私もこの私設応援団の一員になりました。

■今日は、お揃いのキャップもそろえて、応援用のメガホンも持参して、本日、やっと応援・観戦が実現しました。関西六大学秋季リーグ。場所は、大津市の皇子山球場。大阪商業大学との試合です。1類側のスタンドには、硬式野球部の部員たちが陣取って応援をされていました。私たちは、その後ろに座らせていただき、応援です。マスターともう1人常連の皆さんは、市民野球(軟式野球)をやっておられる現役スポーツマン、さらにもうお1人は、ご自身は野球はしないけれど猛烈な野球ファン。私などとは、レベルが皆さん違うのです。ちなみに、この日は、中学で野球をやっているマスターの息子さんもやってきてくれました。ありがとうござます。龍大関係者として、心より感謝します。

■試合の方ですが、「地域エンパワねっとⅡ」報告会のため途中でぬける3回のあたりまでは、龍大がリードしていたのですが、そのあと同点に追いつかれてしまいました。マスターがLINEで連絡してくれたのです。さて、結果はどうなるでしょうね…。結果については、のちほど【追記】でお知らせします。

■ところで、大学スポーツと地域社会との関係について、少し自分の考えを述べたいと思います。龍谷大学硬式野球部は、本部のある京都の大学の野球部かもしれません。しかし同時に、大津市民からみても「大切な地元の大学」であるべきなのです。瀬田キャンパスのお隣、草津市の立命館大学BKCキャンパスは、そのあたりのマネージメントをうまくやっておられるように思います。もっと大学の地元の街、大津に、市民サポーターが増えてほしいと思います。そのための努力をしていくべきだと思います。瀬田キャンパスは、そのあたりの取り組みが非常に弱いようにも思います。もちろん、吹奏学部を中心とした「夕照コンサート」という素晴らしい実績もあります。スポーツ関連でも、そのような取り組みができないものでしょうか。私自身は、以前、野球部と少年野球の関係者をつないで「少年野球教室」の実現に協力したことがあります。当時の椹木寛監督、自ら少年たちを指導してくださいました。地元の少年にとって、いつまでも忘れられない経験になったはずです。このような地道な取り組みが、結果として「地元」のサポーターを増やしていくことにもなると思うのです。

【追記】■龍谷大学、「2-1」で勝利しました!!

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