「地域エンパワねっとⅡ」のオリエンテーション
▪︎昨日は、地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」コースの「地域エンパワねっとⅡ」を履修する7期生の学生のためのオリエンテーションが開催されました。2年生の後期が「地域エンパワねっとⅠ」、3年生の前期が「地域エンパワねっとⅡ」になります。この日のオリエンテーションは、「地域エンパワねっとⅠ」の振り返りを各自が行い、その結果を、他の活動チームの人たちに聞いてもらうことから始まりました。そのあとは、チームごとにわかれて、4月から始まる「地域エンパワねっとⅡ」の活動内容に関して議論し、チーム内で共有することになりました。着実に進んでいるチームあれば、まだ思いだけが空回りしているチームもあります。いずれにせよ、この春休みのあいだに地域の皆さんとよく相談をして、4月から着実に活動を積み重ねていけるようにしてほしいと思います。
▪︎私の7期生の指導は、このオリエンテーションで最後になります。4月から、私の担当は8期生になります。8期生から「大津エンパワねっと」の「新カリキュラム」がスタートします。「地域エンパワねっとⅠ・Ⅱ」の履修するセメスターも半期早まり、「地域エンパワねっとⅠ」は2年生の前期から始まるこにとなります。半年早まることで、「地域エンパワねっと」の活動もずいぶん変わってくるのではないかと思っています。私は7期生の指導からは抜けますが、かわりにH先生が7期生の担当をしてくださいます。よろしくお願いいたします。
▪︎ところで、この日は、東京から視察の皆さんがお越しになりました。東洋大学社会学部の教職員の皆さんです。東洋大学社会学部でも、龍谷大学の「大津エンパワねっと」のような取り組みを始めたいという思いがおありになるようで、そのために視察に来られたのです。関東方面でも、少しは注目されているのかな…。この「大津エンパワねっと」、企画を練りはじめたのは2007年の1月でしたから、来年になるといよいよ10目になります。その次の年には、10期生も生まれます。そう考えると、ちょっと感慨深いものがあります。
▪︎この日のオリエンテーションで、7期生の指導は最後だったことから、最後に、挨拶をさせていただきました。私は4月から8期生の指導に移ります。私の気持ちが、ちゃんと伝わったかな。7期生の皆さんの、9月の発表を楽しみにしています!!
小佐治での生き物調査
▪︎総合地球環境学研究所のプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」のフィールドのひとつである、滋賀県甲賀市小佐治にいってきました。小佐治では、今年度、滋賀県庁農林水産部や滋賀県立琵琶湖博物館の支援で、集落の環境保全部会の皆様が「豊かな生きものを育む水田づくり」のブロジェクトに取り組むなかで、定期的に水田の生き物調査を実施されています。また、地域の子どもたちと水田の生き物の観察会も開催されています。昨年の夏から、私たち地球研のプロジェクトでも、この小佐治の活動に参加させていだたいています。
▪︎今回は、冬なので、どれほどの生き物がみつかるのかな…と心配していましたが、夏と比較すると生き物の影は薄いですが、トンボの幼虫であるヤゴ、ゲンゴロウ、マツモムシ等の水性昆虫、そしてメダカ、ドジョウ等の魚たちが多数確認できました。それから、私は初めて見ましたが、アカガエルの卵も多数確認することができました。アカガエルは、早春に卵を産みます。水田周辺の森林に生息しています。そして、春先に冬眠を一時中断して繁殖のため池や沼などに産卵するようです。この小佐治では、土質が細かく水田が割れてしまわないように、水を張ってある水田が多く、田んぼのなかにもアカガエルが産卵にやってきます。
▪︎左は水田の水たまりに産卵されたアカガエルの卵です。そばに寄ってみると、右のような感じです。なんといいますか、こんな飲み物がありましたよね。なんといったかな…。バジルシードという飲み物かな。それから、タピオカ…って感じもしますね。もちろん、これらの卵は、観察したあとは、必ず水田に返しています。午前中の観察会のあとは、地球研の私たちのプロジェクトのコラボレーションの内容に関して、地元の環境保全部会の皆さんと話し合いを行いました。なんとか、見通しがたってほっとしました。詳しくは、またいずれご説明することになろうかと思いますが、生き物のにぎわい作り(生物多様性の保全)の活動と営農やコミュニティビジネスとの関係、流域の水質や栄養循環との関係、コミュニティ形成等との関係について研究上の関心をもちつつ、小佐治の皆さんとの連携していく予定です。
総合地球環境学研究所にて
▪︎「総合地球環境学研究所」のことについては、このブログで何度もエントリーしてきましたが、参加している地球研のプロジエクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」が、4月より、いよいよフルリサーチの段階に進みます。地球研では、以下のような仕組みになっています。
地球研では、既存の学問分野で区分せず、「研究プロジェクト方式」によって総合的な研究を展開しています。
研究プロジェクトはIS(インキュベーション研究 Incubation Study)、FS(予備研究 Feasibility Study)、PR(プレリサーチ Pre-Research)、FR(フルリサーチ Full Research)という段階を経て、研究内容を練り上げていきます。
国内外の研究者などで構成される「研究プロジェクト評価委員会(PEC)」による評価を各対象年度に実施し、評価結果を研究内容の改善につなげています。研究の進捗状況や今後の計画について発表し、相互の批評とコメントを受け研究内容を深める「研究プロジェクト発表会」を年に1回開催しています。
CR(終了プロジェクト Completed Research)は、社会への成果発信や次世代の研究プロジェクト立ち上げなど、さらなる展開を図っています。
▪︎「段階を経て、研究内容を練り上げ」、「研究プロジェクト評価委員会(PEC)」による評価を毎年受けることが、義務付けられています。これがこの研究所の特徴なのですが、フルリサーチの段階に進むまでには、たくさんのプロジェクトが評価を獲得できずに脱落していきます。プロジェクトが取りやめになります。非常に厳しい評価制度になっています。私たちは、なんとかフルリサーチまで進むことができましたが、フルリサーチを進んだ後も、毎年厳しい評価を受け続けなければなりません。今日も、実は、その評価委員会が開催されています。リーダーの奥田昇さんが頑張っているはずです。数日前、プロジェクトのコアメンバーの皆さんが集まって「研究プロジェクト評価委員会(PEC)」の評価を受けるための「作戦会議」を開催しました。会議のあとは、その翌日に滋賀県の甲賀市の農村で行う調査の準備をしなければなりませんでした(まだ、本格的な調査の前段階あたりなのですが、農村のリーダーの皆さんと相談をしながら、少しずつ前進しています)。そうやっているうちにすっかり晩になってしまいました。写真は、その時のものです。
▪︎黒いシルエットの建物は、地球研です。丘の斜面に建設された不思議な形をした建物です。帰りは、畏友でもある京都大学生態学研究センターの谷内茂雄さんと一緒でした。谷内さんとは、長年にわたり流域管理に関する研究プロジェクトを一緒に取り組んできました。いずれも、文理融合を基盤にした学際的な流域管理に関する研究プロジェクトです。今回の地球研のプロジエクトのばあいは、さらに地域住民の皆さんや行政の皆さんとも協働・共創(Co-design/co-production)しながら進める「超学際研究(trans-disciplinary)」的研究になります。
▪︎この日、谷内さんとは、叡山電鉄で京都の街中まで出かけて、夕食を一緒にとりました。谷内さんは、「IPBES(生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム)」の報告書作成のメンバーです。昨年の10月にはオランダで第1回目の会議が開催され、来月はアルゼンチンで第2回目の会議が開催されるそうです。谷内さんからは、そのようなIPBESの動向や、環境科学分野の国際的な動向などをいろいろ教えてもらいながら、これからのプロジェクトの方向性に関して意見交換をしました。総合地球環境学研究所は、「Future Earth」のアジアの拠点になっています。「Future Earth」とは、持続可能な社会への転換のためには、科学者と社会の様々なステークホルダーとが超学際的連携・協働を行うための国際的な枠組みです。詳しくは、このパンフレットをお読みいただきたいと思いますが、私たちはこのような国際的な動向を視野にいれながらプロジェクトに取り組んでいます。
夏原グラント2015
▪︎今年から、平和堂財団環境保全活動助成事業の選考委員をしています。平和堂は、滋賀県を中心に近畿地方・北陸地方・東海地方で総合スーパーとスーパーマーケットを展開していますが、その企業により設立された財団です。公式サイトによれば、公益財団法人平和堂財団は、株式会社平和堂の創業者である故夏原平次郎さんが、平和堂をここまでに育てていただいた地域に感謝し、そのご恩に報いるため、私財を寄付し平成元年3月に設立したものなのだそうです。平成23年(2012年)からは、環境保全活動に対する助成も行っておられます。私が選考委員をすることになった助成事業のことです。
▪︎この前の日曜日は、「夏原グラント継続2年目公開プレゼンテーション・選考会」でした。朝10時から午後は15時半過ぎまで、20団体のプレゼンテーションをお聞きし、質疑応答を行いました。そのあとは、夕方17時半頃まで選考委員会。助成事業で選考委員をしたことはありますが、これだけたくさんの団体にきちんと時間をかけて丁寧に行う選考は初めてでした。選考の結果は、4月になってから発表されますが、たいへん勉強になりました。明日は、新規に助成の申請のあった団体に対する「新規1次選考会」です。全部で40団体です。
▪︎写真ですが、審査員席に座っているので、写真がうまく撮れていません…。
長浜
▪︎長浜にいく用事がありました。 長浜、ひさしぶりでした。駅からは、雪の伊吹山が見えました。街中には、独特の雰囲気があって、なかなか良いものですね〜。長浜は、地元の商店・商業関係者によるまちづくりが盛んです。そのようなまちづくりの成果も、いろんなところで感じることができました。
▪︎私にとって長浜といえば、親子丼の「鳥喜多」さんなのですが、今回は伺うだけの時間的余裕がありませんでした。とても有名な鳥料理のお店で、いつも行列ができています。ということで、仕事が終わったあと、「ホワイト餃子」をお土産に購入することにしました。長浜のB級土産的な感じでしょうか。「ホワイト餃子」の写真を撮っておけばよかったな…。wikipediaの説明ですが、以下の通りです。「ホワイト餃子にはチェーン本部としての機能を持つ『本店』と、本店で技術指導を受けてのれん分けとして本店経営に準じた経営を行う『支店』がある。本店と支店は餃子専門店である。本店支店とは別に本店で技術指導を受け、かつ立地などの条件により(中略)特別に認められた『技術連鎖店』がある」。ということで、長浜で「ホワイト餃子」を売っているのは、「長浜茶真」というお店です。「技術連鎖店」です。中国で食べた「上海生煎」に似ています。満足しました。
▪︎もうひとつ、満足したものがあります。「長浜タワービル」です。ちゃんとwikipediaに説明がありました。
1964年(昭和39年)に、地元の資産家が「長浜にも東京タワーのような名物を」という理由で建設。ビルは5階建てで、その上部に「長浜タワー」と文字の入った鉄塔が立つ。ビル内は雑居ビルになっており、現在は1階部分に2軒の飲食店が入居している。開業当時は5階部分が有料の展望台になっていたが現在は閉鎖。また、かつてはビル側面に大きなバラの飾りを施していたが老朽化により強風時に飛ばされる恐れがあることから2004年(平成16年)に撤去された[1]。
なおビルの正面には「NAGAHAMA TOWERBILL」と英語表記が入る(下の写真参照)が、「Bill」はスペルミス。
▪︎おお、スペルミスですか…これもご愛嬌でしょうか。
平湖柳平湖の「つながり再生構築事業」の協議会
▪︎昨晩は、草津市の琵琶湖湖岸近くにある志那町にお邪魔しました。志那は、平湖・柳平湖という内湖のそばにある集落です。志那町では、この内湖の環境を復活させようと、長年にわたり様々な取り組みをされてきました。昨日は、自治会舘である志那会館で、平湖柳平湖の「つながり再生構築事業」の協議会が開催されました。この「つながり再生構築事業」では、「魚道を生かした在来魚の郷づくり」、「淡水真珠の復活」…地域の夢を共有しつつ、少しずつその実現に向けて取り組みが進もうとしていますが、私は、その取り組みの進捗をお手伝するために、滋賀県庁琵琶湖環境部琵琶湖政策課の職員のみなさんと一緒に、この協議会に参加しています。昨日は、草津市農林水産課の職員の皆さんも参加されました。来年度からは、総合地球環境学研究所で私が参加している研究プロジェクトも、在来魚の復活に関してモニタリングをさせていただく予定です。
▪︎昨晩の協議会では、地元の皆さんから、地元の思い(希望・夢)として、来年度の取り組みに関して、以下のようなご提案がありました。4月には、在来魚の産卵状況を確認することになりました。地元の言葉では、湖岸の浅瀬にきて、マコモ等に在来魚が産卵することを「魚がセル」といいます。この「魚がセル」状況を確認しようということになりました。そのためには、内湖の水位等も調整しなければなりません。5月には、地元の方たちが講師役となって、地元の小学校の生徒さんたちにを対象に、内湖の環境を題材とした環境学習を実施されます。田植えの後は、内湖に面した水田に孵化した仔魚を放流し、一定生育した段階で内湖に移動させる作業を行います。来年度は、琵琶湖から内湖に在来魚が遡上させるための魚道の設置も検討中です。6〜7月にかけては、淡水真珠養殖の復活を目指した活動が行われます。3年目のイケチョウガイから淡水真珠の玉を取り出す作業を行うようです。このような取り組みについては、草津市役所農林水産課や草津市にある立命館大学等が支援されているようです。また、在来魚の生態調査等も行います。ここには、すでに述べたように総合地球環境学研究所の研究プロジェクトが参加させていただく方向で検討させてもらっています。7月には、外来魚の駆除をかねた地元の子どもたちも参加する「釣り大会」が開催されます。ここには、滋賀県庁琵琶湖環境部琵琶湖政策課が支援させてもらうことになっています。秋には、他の地域の内湖復活の取り組みを視察にいくことや、内湖の浅瀬にシジミをまくことが予定になっています。非常に盛りだくさんですね。でも、すべて地元の人たちの手作りの取り組みです。そこに、行政や専門家が、側面から支援するということになっている点が重要かと思います。あくまで主体性といいますか、イニシアチブは地元側にあり、内発的に生み出された地元の思い(希望・夢)を、側面からゆるやかに行政や専門家が応援していく…という感じでしょうか。
▪︎その他にも、たくさんの個人的なご意見をお聞かせいただきました。
暮らしが内湖とともにあったこの地域の文化を次世代に継承していくために、身の丈にあった(自分たちで維持管理ができる)ビオトープがつくりたい。/ 昔は、農作業にいくときに必ず内湖を通った。今は、暮らしと切り離された遠い存在になってしまっている。ビオトープは集落のそばにつくりたい。/ 現在、内湖の維持管理の作業が大変。維持管理することが、少しでも集落にとって経済的プラスになるような仕組みをつくりたい。/ かつては、内湖に釣にくる人たちを対象に、駐車場やマッチの販売等をしてこずかいを稼いでいた。励みになっていた。/昨年、ラムサール条約の関係で、全国から子どもたちがやってきて、田舟に乗ったり、淡水真珠やイケチョウガイをみてとても感動していた。このような感動を地元の子どもたちにも味合わせたい。/ 50歳ぐらいから下の人たちは、田舟の艪をこいだ経験がない。河川改修、圃場整備等で、水路で移動することがなくなってしまったから。艪こぎの競争とかできたら、盛り上がるのでは。田舟を使った遊びもできたらいい。/ 夢を実現していくためにも、ひとつひとつ取り組みの成果や効果を確認していく必要があるのでは。
▪︎平湖柳平湖の今年度の協議会は、これが最後になります。いよいよ、具体的な取り組みを始めてくいことになります。このブログでも、取り組みの様子や成果等をご報告できるようにしたいと思います。
▪︎昨日は、できあがったばかりの『志那町誌』を購入させていただきました。写真は、そのなかにあるかつての平湖柳平湖の地図や絵図です。河川改修や圃場整備が行われる以前の姿を確認できます。田舟なしには生活できなかった当時の様子を想像できるのではないでしょうか。
地(知)の拠点大学による地方創生事業 ~地(知)の拠点COCプラス
甲賀市の大原財産区を訪ねる
■総合地球環境学研究所のプロジェクトで、甲賀市にある大原財産区の事務所を訪問しました。いろいろお話しをお聞かせいただいたあとは、大原ダムを見学しました。農業用のダムです。下流には、私たちのプロジェクトで調査を進めている小佐治という集落があります。古琵琶湖の湖底だったところが隆起してできた丘陵地帯に、降雨によりいくつもの谷筋が生まれました。いつの時代かはわかりませんが、小佐治の皆さんは、この谷筋に水田を作り農業をしてきました。いわゆる八津田です。そして、後背地の丘陵の森林の中にため池を作り、そのため池の水から灌漑していました。大きなため池が5つ、小さなため池は無数にあったと言います。水不足の時のために、小さな無数のため池に水を貯めてリスクを分散させていたのです。しかし、大原ダムができてからは、そのような灌漑に伴う苦労は無くなりました。無数にあった小さなため池は放棄されることになりました。生物多様性の観点からは、そのような無数にある小さなため池には意味があったと思うのですが…。このことについては、またこのブログの中で書くことにしたいと思います。
Türk Hava Yolları | Hayal Edince (Dream)
▪︎トルコ航空のCM宣伝のようです。子役の演技がとても素晴らしく、何度も、この動画をみてしまいました。最後、旅客機が着陸した先に見える高い山はなんという山なんでしょうね。おそらくは、アララット山(アウリ・ダウ山)ではないでしょうか。「旧約聖書」に出てくるノアの方舟伝説の山として有名らしいですね。この動画の山、実際のところ、どうなんだろう…。
「鳥越晧之先生を囲む会」
▪︎昨日は、早稲田大学の横にある東京リーガロイヤルホテルで、恩師である鳥越皓之先生の退職記念パーティーが開催されました。鳥越先生は、仏教大学、桃山学院大学、関西学院大学、筑波大学、早稲田大学と、5つの大学に勤務されましが、この日は、大学院での教育をご担当された関西学院大学以降の教え子たちが集まりました。また、鳥越先生といえば「生活環境主義」ということになりますが、その最初の著書である『水と人の環境史』(御茶の水書房)が出版された頃の研究仲間の皆さん、そして筑波大学や早稲田大学の親しい同僚の方たちが集まりました。
▪︎「生活環境主義」のお仲間のお1人は、昨年まで滋賀県知事であった嘉田由紀子さんです。個人的な考えですが、30数年前、嘉田さんが鳥越先生に琵琶湖の環境問題に関して相談をして一緒に研究を始めることがなければ、「生活環境主義」は生まれていなかったのではないかと思います。この日集まった多くの教え子の皆さんも、鳥越先生のもとで環境社会学を学ぶことはなかったでしょう。そうなると、それぞれの人生は、もっと別のものになっていただろうと思います。さらに、日本の環境社会学ももっと違う展開になっていたかもしれません。私自身も、おそらくは環境の研究をしていなかっただろうと思います。私は、この日集まった教え子のなかでは最初の頃の教え子になります。一番若い方は、早稲田大学のFさんです。最近、修士論文を提出して学位を取得できることになった方です。教え子とはいっても、私とは一世代ほどのひらきがあります。
▪︎この日の様子を、嘉田さんがfacebookに記事をアップされているのでご本人の承諾を得て、写真と文章を転載させていただくことにいたします。嘉田さん、ありがとうございました。以下が、嘉田さんの投稿です。最後に私の名前が出てきますが、この日の私の役割は司会でした。この会の準備にあたってきたしっかり者の後輩からは、「会の準備を何も手伝っていないのだから、脇田さんはご飯を食べずに司会をしてください」と言われたのです。
「鳥越晧之先生を囲む会」、2月15日午後、東京で開催。
いわゆる「退官記念祝賀会」ですが、形式ばった会にはして欲しくないというご本人の強い希望で、関西学院大学、筑波大学、早稲田大学という、3つの大学の大学院の「環境社会学」や「社会学」の教え子を中心に、集まりました。
全員が一言ずつ「鳥越先生からの心に残った言葉」として、それぞれの学生の苦しいとき、迷った時に、ふわっと「それはたいしたことないよ」と軽く支え、また時には「私を信用しなさい」と重く支え、時として、体力が落ちていそうな学生の下宿に食べ物を差し入れしたり、時として、見込みのありそうな学生には崖っぷちまで追い込んで実力を引っ張り出したり、というようなやりとりを披露下さいました。
私自身、かなり深く鳥越イズムにはまった人間ですが、今日の教え子さんたちの言葉をきいて、見事な指導というにはもったいないほどの人間味あふれるやりとりに感動しました。これも、柳田國男以来の日本民俗学、本居宣長にたどる国学や、有賀喜左エ門などから広がる日本社会学の長い、深い系譜に根ざし、かつ沖縄、ハワイ、モンゴルなど海外の現地研究も取り込みながらの学識ゆえ、と感じ入りました。
振り返ってみれば、琵琶湖研究所が滋賀県立で開所されて直後の1982年の「湖畔集落研究会」からはじまった鳥越さんをリーダーとする地道な環境社会学研究があったからこそ、「生活環境主義」という領域をひらき環境政策にも応用できました。環境研究に「居住者の視点・住民の視点」を明示化できた琵琶湖政策にとっての恩人でもあります。
でも鳥越イズムの根っこは「それおもろいか?」「遊べるか?」という知的好奇心だ、というも今日のみなさんの共通理解だったようです。
鳥越さん、この4月からは、関西の大学でまた次世代育てに関わって下さいます。ますますお元気でご活躍ください。
脇田さん、全体進行、ご苦労さまでした!
▪︎先月、鳥越先生の最終講義が早稲田大学で開催されました。先生の話しぶりは、いつものように笑顔と柔らかな雰囲気ではありましたが、私自身はその背後にある重いメッセージを受け取りました。そして、嘉田さんの投稿にもありますが、昨日、若い教え子の皆さんのスピーチをお聞きしたとき、かつて鳥越先生から厳しく指導された当時のことを改めて省みることになり、身が引き締まる思いがしました。
▪︎32年前、関西学院大学の社会学部の校舎2階にある「合同研究室」のコピー機の前で、鳥越先生から言われたことを今でも思い出します。「脇田くん、今のままではダメだから、私のところにいらっしゃい」と声をかけてくださいました。先生はまだお若く(41歳)、大学院は担当されていませんでしたが、京大大学院の農業経済を学ぶ院生なども関学に呼んで、農村社会学に関して、個人的にゼミをされていたのです。また、『水と人の環境史』を出版されたばかりの頃でした。現在、先生は日本社会学会の会長であり、様々な学会の役職をつとめてこられましたが、当時は新進気鋭の若々しい環境社会学者だったように思います。日本の社会学のなかに、環境社会学会が誕生する少し前のことでもありました。そのような研究者として勢いのある先生から指導を受けることができたこと、私にとってはとても幸せなことでもありました。いつか、修行時代のことをもう少し詳しく書くことになるかもしれません。
▪︎「鳥越先生を囲む会」のことに戻りましょう。昨日は、参加者の誰もが、とても良い雰囲気の会だと言っていました。いわゆる「学閥的」なものがなかったからです。先生と教え子や仲間の皆さんとの、純粋に学問を通した関係と先生への感謝の気持ちが基盤になっているからです。鳥越先生は70歳になられました。早稲田を退職されたあとは、ご自身の研究に専念されるのかなと思っていましたが、どうもそうではないようです。これも嘉田さんの投稿のなかに書いてありますが、関西のある大学に異動されます。こんどは、学生を直接的に教育されるのではなく、大学経営という重責を担われるようです。
▪︎写真についても、少し説明をしておきましょう。トップの集合写真。鳥越先生の教え子以外の方たちについて少しご紹介しておきましょう。中央の鳥越先生の向かって右側。嘉田由紀子さん、桜井厚さん、松田素二さん、秋津元輝さん。向かって左側は、古川彰さん、好井裕明さん、柏雅之さん、ひとりおいて松村和則さん。
▪︎すぐ上左の写真。鳥越先生、嘉田由紀子さん、松田素二さん、古川彰さん。上右の写真、スピーチをされる鳥越先生。左の写真は、会場のホテルから見えた庭園。大隈庭園です。大隈重信の邸宅があった場所です。