「鳥越晧之先生を囲む会」

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▪︎昨日は、早稲田大学の横にある東京リーガロイヤルホテルで、恩師である鳥越皓之先生の退職記念パーティーが開催されました。鳥越先生は、仏教大学、桃山学院大学、関西学院大学、筑波大学、早稲田大学と、5つの大学に勤務されましが、この日は、大学院での教育をご担当された関西学院大学以降の教え子たちが集まりました。また、鳥越先生といえば「生活環境主義」ということになりますが、その最初の著書である『水と人の環境史』(御茶の水書房)が出版された頃の研究仲間の皆さん、そして筑波大学や早稲田大学の親しい同僚の方たちが集まりました。

▪︎「生活環境主義」のお仲間のお1人は、昨年まで滋賀県知事であった嘉田由紀子さんです。個人的な考えですが、30数年前、嘉田さんが鳥越先生に琵琶湖の環境問題に関して相談をして一緒に研究を始めることがなければ、「生活環境主義」は生まれていなかったのではないかと思います。この日集まった多くの教え子の皆さんも、鳥越先生のもとで環境社会学を学ぶことはなかったでしょう。そうなると、それぞれの人生は、もっと別のものになっていただろうと思います。さらに、日本の環境社会学ももっと違う展開になっていたかもしれません。私自身も、おそらくは環境の研究をしていなかっただろうと思います。私は、この日集まった教え子のなかでは最初の頃の教え子になります。一番若い方は、早稲田大学のFさんです。最近、修士論文を提出して学位を取得できることになった方です。教え子とはいっても、私とは一世代ほどのひらきがあります。

▪︎この日の様子を、嘉田さんがfacebookに記事をアップされているのでご本人の承諾を得て、写真と文章を転載させていただくことにいたします。嘉田さん、ありがとうございました。以下が、嘉田さんの投稿です。最後に私の名前が出てきますが、この日の私の役割は司会でした。この会の準備にあたってきたしっかり者の後輩からは、「会の準備を何も手伝っていないのだから、脇田さんはご飯を食べずに司会をしてください」と言われたのです。

「鳥越晧之先生を囲む会」、2月15日午後、東京で開催。

いわゆる「退官記念祝賀会」ですが、形式ばった会にはして欲しくないというご本人の強い希望で、関西学院大学、筑波大学、早稲田大学という、3つの大学の大学院の「環境社会学」や「社会学」の教え子を中心に、集まりました。

全員が一言ずつ「鳥越先生からの心に残った言葉」として、それぞれの学生の苦しいとき、迷った時に、ふわっと「それはたいしたことないよ」と軽く支え、また時には「私を信用しなさい」と重く支え、時として、体力が落ちていそうな学生の下宿に食べ物を差し入れしたり、時として、見込みのありそうな学生には崖っぷちまで追い込んで実力を引っ張り出したり、というようなやりとりを披露下さいました。

私自身、かなり深く鳥越イズムにはまった人間ですが、今日の教え子さんたちの言葉をきいて、見事な指導というにはもったいないほどの人間味あふれるやりとりに感動しました。これも、柳田國男以来の日本民俗学、本居宣長にたどる国学や、有賀喜左エ門などから広がる日本社会学の長い、深い系譜に根ざし、かつ沖縄、ハワイ、モンゴルなど海外の現地研究も取り込みながらの学識ゆえ、と感じ入りました。

振り返ってみれば、琵琶湖研究所が滋賀県立で開所されて直後の1982年の「湖畔集落研究会」からはじまった鳥越さんをリーダーとする地道な環境社会学研究があったからこそ、「生活環境主義」という領域をひらき環境政策にも応用できました。環境研究に「居住者の視点・住民の視点」を明示化できた琵琶湖政策にとっての恩人でもあります。

でも鳥越イズムの根っこは「それおもろいか?」「遊べるか?」という知的好奇心だ、というも今日のみなさんの共通理解だったようです。
鳥越さん、この4月からは、関西の大学でまた次世代育てに関わって下さいます。ますますお元気でご活躍ください。
脇田さん、全体進行、ご苦労さまでした!

▪︎先月、鳥越先生の最終講義が早稲田大学で開催されました。先生の話しぶりは、いつものように笑顔と柔らかな雰囲気ではありましたが、私自身はその背後にある重いメッセージを受け取りました。そして、嘉田さんの投稿にもありますが、昨日、若い教え子の皆さんのスピーチをお聞きしたとき、かつて鳥越先生から厳しく指導された当時のことを改めて省みることになり、身が引き締まる思いがしました。

▪︎32年前、関西学院大学の社会学部の校舎2階にある「合同研究室」のコピー機の前で、鳥越先生から言われたことを今でも思い出します。「脇田くん、今のままではダメだから、私のところにいらっしゃい」と声をかけてくださいました。先生はまだお若く(41歳)、大学院は担当されていませんでしたが、京大大学院の農業経済を学ぶ院生なども関学に呼んで、農村社会学に関して、個人的にゼミをされていたのです。また、『水と人の環境史』を出版されたばかりの頃でした。現在、先生は日本社会学会の会長であり、様々な学会の役職をつとめてこられましたが、当時は新進気鋭の若々しい環境社会学者だったように思います。日本の社会学のなかに、環境社会学会が誕生する少し前のことでもありました。そのような研究者として勢いのある先生から指導を受けることができたこと、私にとってはとても幸せなことでもありました。いつか、修行時代のことをもう少し詳しく書くことになるかもしれません。

▪︎「鳥越先生を囲む会」のことに戻りましょう。昨日は、参加者の誰もが、とても良い雰囲気の会だと言っていました。いわゆる「学閥的」なものがなかったからです。先生と教え子や仲間の皆さんとの、純粋に学問を通した関係と先生への感謝の気持ちが基盤になっているからです。鳥越先生は70歳になられました。早稲田を退職されたあとは、ご自身の研究に専念されるのかなと思っていましたが、どうもそうではないようです。これも嘉田さんの投稿のなかに書いてありますが、関西のある大学に異動されます。こんどは、学生を直接的に教育されるのではなく、大学経営という重責を担われるようです。

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20150216torigoe4.jpg▪︎写真についても、少し説明をしておきましょう。トップの集合写真。鳥越先生の教え子以外の方たちについて少しご紹介しておきましょう。中央の鳥越先生の向かって右側。嘉田由紀子さん、桜井厚さん、松田素二さん、秋津元輝さん。向かって左側は、古川彰さん、好井裕明さん、柏雅之さん、ひとりおいて松村和則さん。

▪︎すぐ上左の写真。鳥越先生、嘉田由紀子さん、松田素二さん、古川彰さん。上右の写真、スピーチをされる鳥越先生。左の写真は、会場のホテルから見えた庭園。大隈庭園です。大隈重信の邸宅があった場所です。

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