「生物多様性タウンミーティング」

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■昨晩は、「滋賀県生物多様性地域戦略」の策定作業の一環で、大津での「生物多様性タウンミーティング」が開催されました。ぶっつけ本番でファシリテーターをさせていただくことになりました。皆さん、素敵な人たちばかりで、ファシリテーターとしてとても楽しく仕事をさせていただくことができました。いろいろ勉強にもなりました。特に、企業と生物多様生との関わり、生物多様生とその社会的費用について、個別の地域ごとの生物多様生…大切な課題について、いろいろ勉強させていただくことになりました。ありがとうございました。

■ファシリテーターの立場からちょっと残念だったことをいえば、ジェンダーバランスが悪かったことと、あとは年齢構成でしょうか。参加者の皆さんは、年齢40歳代〜50歳代の男性に集中していました。男女の違いや年齢にそれこそ多様生があったほうが、より多様なご意見がお聞きすることができたのかなと思います。このタウンミーティングはどなたでも参加自由ということになっていましたので、当日になるまでどんな方達が参加されるのかはわかりませんでした。とはいえ、こんなことがありました。

■同じ中学の先輩・後輩の関係にあたる方たちがいらっしゃったのです。それがわかったとき「おお、まさにタウンミーテイングや」と思いました。昭和50年代の前半、同じ中学に通っておられたのです。そのことが、みんなで話しをしているあいだにわかってきたのです。しかし、同じ中学に通っておられても、住んでいる地域が違うと琵琶湖に対する印象もぜんぜん違っておられました。面白いな〜と思いました。そのうちのお1人は、魚釣りが好きで、よく魚を釣って食べていたというのです。「学校にいくときに、釣りの道具をもって出かけて、土管のなかに釣り道具をかくしておいて、帰りは道草してその釣り道具で釣りをして帰って、魚臭いので魚釣りをしてきたのがばれて、親に怒られました」とか、「近所に川魚屋さんが何軒かあってのですが、自分で釣ればいくらでもおるのに、なんで魚を買わんとあかんねんと思って釣っていました」とか。こういう過去の経験っておもしろいし、すごく大切だと思います。また、そのような川魚屋さんは、当時、中学生が釣ってきたウナギを500円で買ってくれたというのです。お小遣いかせぎにもなったわけですね。

京阪電車

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■微妙に、ちょっと「キッチュ」なのが、素敵だな〜。

赤松学長に活動報告

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■今年も、赤松学長に、「北船路米づくり研究会」の活動報告をさせていただきました。赤松学長には、3年生の代表である小西くんと副代表の小林さんから、龍大米と龍大芋が届けられました。小西くんも小林さんも学長にお会いするということで、大変緊張していましたが、無事に報告を終えることができました。いろいろ、個人的に「予行演習」をしてきたのかもしれませんが、うまくいったのかな。

■今日の活動報告については、龍谷大学のホームページの「大学紹介」>「学長の動き」で紹介されるかもしれません。

【追記】■「学長の動き」の10月23日に、予想とおり掲載していただきました。

「ふるさとの看取り方」


■facebookのお「友達」がリンクを貼って紹介されていた記事に注目しました。「“地域活性化”を軽々しく語るな! 消え行く集落の最期を偲ぶ、『ふるさとの看取り方』」。なんともショッキングなタイトルです。こんなリード文がありました。

安倍内閣が重要課題に掲げ、にわかに注目を集めるようになった地域活性化。しかし総務省職員として多くの地方を周ってきた田中佑典氏は、安直な「地域活性化」の掛け声に対し、絶対に活性化できない地域もあると主張。限界集落の現実を伝え、消え行く運命の地域を「看取る」方法を考えることも必要だと訴えました。

■なんとも勇ましい文章です。しかし、そのあとの講演録には、どこにも「安倍内閣」や「安直な『地域活性化』」なんて言葉は登場しません。あとの講演録を読んでも、講演者の田中さんは、そういう文脈で語っているわけではありません。リード文が非常によくないと思いました。個人的な印象ですが、田中さんの主張が、このリード文によってねじまげられているようにも思いました。田中さんは、限界集落のある地域の出身者として(ある意味当事者として)、ユーモラスに、もっと淡々と語っているように思います。そこに持ち味があるのに。

集落って何なんでしょうね? 僕はずっと考えてきましたけど、最近ちょっとわかってきた気がするんです。集落って、人間の生活の爪あとなんです。思えば集落って、本来は林業とか漁業とか農業とか、何かしらの生業を中心に集まった人間の集合体だと思います。よそ者にはわからないかもしれない、でもそこに住んでいる人にとっては先祖代々受け継がれてきた、かけがえのない生活の場所。そこに暮らし続けたいと思って生活している人がたくさんいました。

いろいろ述べてきましたけど、僕の思いはすごくシンプルで、1,000年続いたコミュニティが何も残さず消えるって寂しすぎると思うんです。僕はこれからも、集落に集落の住民に向き合っていきたい。そこで懸命に生活しているひとりひとりに焦点を当てて、その生活を最後までサポートしていきたい。ふらっと遊びに行って、昔話に花を咲かせて、一緒に笑って一緒に悲しんで、1000年続いたコミュニティの最期を、僕はこの目で見届けたいと思います。

■トップの動画は、YouTubeにアップされた田中佑典さんの講演です。こういうのは、いまどき講演とはないのでしょうね。この講演を企画した「TEDxTokyo」については、こちらをご覧ください

里芋のコロッケ

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■昨晩は、「北船路米づくり研究会」で学生たちが生産した龍大芋(棚田の里芋)を使っていただいている、「串かつ おばんざい とんとん」さん(京都市中京区 富小路通蛸薬師下る高宮町571-1)を訪問しました。そして龍大芋をつかったコロッケをいただきました。ジャガイモのコロッケとは、まったく異なる食感と美味しさでした。ひとつはソースで、ひとつはカレー塩でいただきました。ごちそうさまでした。

自信

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■facebookのある秘密のグループ(?!)のページで、陸上競技・元400mハードルの選手(日本記録保持者)である為末大さんのブログが紹介されていました。最新のエントリーのタイトルは「自信」。ひとつまえのエントリーは「修羅場に強い人」、もう1つ前は「夢中の人、努力の人」。知り合いの学生に読んでもらいたいなあと思うエントリーが続いていました。
とりあえず、「自信」のエントリーについて。

■為末さんは、「自信は二種類ある」といいます。

一つは地位や実績に由来するもの。これはそれが達成できた人しか手に入らない。こちらの自信は自分より優れた人、もしくはその実績が忘れられたり、またはその肩書きを失うとなくなる。もう一つの自信は自分の行動からくるもの。あの時やりきったという自分、あそこで耐えたという自分。やり遂げた、逃げなかったという履歴からくる自信。これは生涯誰にも奪えない

本来の自信とは素晴らしい実績をあげたから手に入るものではない。自分なりに懸命にやり遂げたという実感からくる。自分は自分にしかなれないし、自分を良く見せることなんでできない。だから素のまま、このままの自分をさらけ出すしかない。自信のある人は裸になれる。馬鹿にされることに耐えることができる。

自信のない人は努力をかっこよくやろうとする。だから結実しない。自信は自分自身の中に作る。なりふり構わず、ひたすらにやりきることで、自信は作られる。

■やればできるじゃないかという「有効性感覚」を自分自身のなかに醸成していくことの重要性を、為末さんは指摘されています。本気に頑張って、なにかの「壁」を超えた瞬間の体験や、そのときの「やったー!!」という感覚の重要性について指摘されているのです。人との相対的比較のなかでしか、自分自身の価値を認識できない人は、残念ながらとても不幸なのではないかと思います。

■ところで、wikipediaをみて気がついたことですが、為末さんは広島県立皆実高等学校を卒業されています。もちろん、陸上部。私は、皆実高校に高1の1学期まで在籍していました。2学期からは神戸の兵庫高校に転向しました。大変短い期間でしたが、皆実高校に在籍しているとき私も陸上部に在籍していました。もちろん、なにかちょっと嬉しいというミーハーな気持ちにもなりました。20歳も年が違うお若い方ですが、ブログに書かれていることには、いろいろ共感するところがあります。ゼミ生の皆さんも、ぜひ、お読みください。

届きました「ほぼ日手帳」(カズン)

20141022hobonichi2.jpg ■昨日、エントリーした「ほぼ日手帳カズン Harris Tweed Hamish(ハミッシュ)」が届きました。これはなかなか素敵なガラです。「スコットランドのハリス島を中心に作られている、世界的に有名なツイード生地『ハリスツイード』と革を組み合わせて作った三つ折りタイプのカバー」。気に入りました。

■「ほぼ日手帳」(カズン)には、以下のような特徴があります。
・A5版なのでかさばる…わけですが、しっかり書き込むことができます。
・「糸かがり製本」なので、暑い手帳でも作用に楽にあけることができすま。
・これは有名ですが、「ほぼ日刊イトイ新聞」のコンテンツの中から心に響く言葉を1日ページごとに印刷してあります。読んで楽しむことができます。
・2015年版から、本体表紙の見返しに手帳ごとの製造番号がナンバリングされています。世界でひとつ。愛着がわきます(わくはず…)。
・「3年分のカレンダー(年間カレンダー)」→「TO DO リスト(年間インデックス)」→「月間カレンダダー」→「週間ダイアリー」→「1日ページ・2日で1ページ」と、大きな時間のながれから一日の時間のながれに至るまでを、連続させて、スケジュールや目標を管理できる仕組みにはなっています。

■具体的に細かく、一日の落とし込んでいける仕組みになっています。が、しかし。そのようなことにこだわると、結局、面倒臭くなって手帳を使えなくなってしまいます。だいたい、アバウトに使い方を決めておいて、あとはその時々の記録を残していくのがベターなのかなと思っています。記録といっても、絵を描いたり、切り抜きをはったり、スクラップ帳のような使い方もありでしょうかね。とにかく、マイ・スタイルを習慣化させないといけません。

■2015年版なのですが、2014年の12月から予定を書き込めるので、現在使っている「超整理手帳」に記載している内容(2015年1月まで)を転記しました。そうすると、12月〜2月はけっこう予定がうまってしまいました…(悲しい)。

ほぼ日手帳カズン Harris Tweed Hamish(ハミッシュ)

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■世の中の文房具好きの皆さんは、そろそろ手帳のことを考えはじめるシーズンではないでしょうか。街中の文房具売り場では、様々な種類の手帳やカレンダーが売り出されています。で、私はといいますと、長年、「超整理手帳」を利用してきました。何年間使ってきたでしょうね〜。かなり長い期間、使ってきました。が、しかし。来年から、「ほぼ日手帳」(カズン)にすることにしました。じつは、以前、「ほぼ日手帳」を使っていたのです。

■今回、「ほぼ日手帳」をネット販売している「ほぼ日ストア」に発注しました。そろそろ、届くはずです。「ほぼ日手帳」には、いくつか種類があります。私が注文したのは、A5版(ちょっと大きめの「カズン」と呼ばれているタイプ)のものです。私が以前使っているときは、この「カズン」はありませんでした。ただし、サイズが大きいだけでなく、いろいろ工夫が凝らされています。詳しくは、こちらをご覧いただきたいのですが、以前と比べてずいぶん進化しているな〜というのが率直な感想です。

■wikipediaでも解説されています。以下が、その解説です。

概要
「ほぼ日手帳」は、「ほぼ日刊イトイ新聞」オリジナル商品として制作・販売される手帳で、1日1ページという、高い自由度のため、ユーザーは様々な趣向を凝らしながら使うことが可能である。その様子は、ほぼ日刊イトイ新聞のウェブサイトや公式ガイドブックなどで紹介されている。
ほぼ日手帳は、2013年版は、全国で48万人の利用者がおり、全国のロフトでの販売を開始して以来、ロフトでの手帳部門での売り上げが2005年版~2013年版の9年連続で1位である。
概歴[編集]
「ほぼ日刊イトイ新聞」のオリジナルグッズ開発会議での発案をきっかけに、「自分たちが使いたい手帳をつくろう」という思い[2] の下に、2001年春にプロジェクトが開始し、2001年冬に初年版となる「ほぼ日手帳2002」が発売された。
当時、手帳の担当に抜擢されたのは、その年新卒で入社したばかりの松本絢子であった。素人によるオリジナル(独自)の手帳作成のため、「ほぼ日」読者へのアンケートによる意見を参考に、手帳の仕様が決定。この2002年版の時点で、「1日1ページ」、外付けの「カバー」など、現在と大筋同様のコンセプトが盛り込まれた内容であった。この制作の流れは現在も受け継がれており、「ほぼ日」読者や手帳ユーザーアンケートへの回答・意見などを基に、毎年仕様の見直し・改良が行われている。中には、導入されたものの、翌年版には廃止された短命な改良点もあった。

■以上の説明からは、この「ほぼ日手帳」が、基本のベースをもとに、ユーザーの「参加型・参画型」の意見によって「成長・発展」していることがわかります。他の手帳でも、たとえばこれまで使用してきた「超整理手帳」でも、「参加型・参画型」の側面はもっているのですが、「ほぼ日手帳」は、圧倒的にその自由度が大きいことが特徴かと思います。自分で、自分の手帳を、「成長・発展」させていくことができるのです。今年2015年度の手帳では、1つずつ、シリアルナンバーが打たれています。こう公式ページでは解説しています。「本体表紙の見返しに手帳ごとの製造番号がナンバリングされています。ひとつとして同じ手帳はなく、より愛着を持って使っていただけます」。手間をかけて、可愛がれば、可愛がるほど、「世界でここにしかない、ユニークな手帳」が完成するのです。そのための「ほぼ日手帳」では、「あっ…なるほど〜」という様々な工夫を凝らしています。

■ただし、課題があります。どこまで、「ほぼ日」側の「戦略」に乗って「愛着」をこの手帳に注ぎ込めるか…ということです。この手帳が大好きになるためには、マメさが必要です。自分でいうのもなんですが、まあ、このブログを書いているようなマメさがあれば、おそらく世界で唯一自分だけの「ほぼ日手帳」が「作品」としてできあがることでしょう。そうなると、「楽しく」なるはずです。このあたりも、「参加・参画型」という点と連動していると思います。そのような「ほぼ日手帳」のトータルなシステムが、「全国のロフトでの販売を開始して以来、ロフトでの手帳部門での売り上げが2005年版~2013年版の9年連続で1位」(wikipedia)という結果を生み出しているのかもしれません。ただし、ブログと同じように、この手帳に愛情を注ぎ込めるのか…まだ、確信をもてません。

■しかし、この「ほぼ日手帳」には、愛着をもつためのさらなる工夫も凝らさせています。自分のお気に入りに手帳にするために、じつに様々な種類のカバーを用意しているのです。今年、私が注文したのは、「Harris Tweed Hamish(ハミッシュ)」というカバーです。トップの画像は、「ほぼ日手帳」の公式サイトからのものです。「スコットランドのハリス島を中心に作られている、世界的に有名なツイード生地『ハリスツイード』と革を組み合わせて作った三つ折りタイプのカバー」です。こうやって、自分で自分の手帳に「投資」をして、「自分だけの手帳」、「愛着」を注ぎ込める手帳…になるように、自分で自分に思い込ませているのかもしれません。とりあえず、来年は、「ほぼ日手帳」(カズン)です。

【追記】■このような「ほぼ日手帳」の背景にある考え方やシステムって、ちょっと「地域づくり」や「環境再生」の実践を考える上でも参考になる…のかもですね。

お葬式に参列して

■妻方の親戚のお葬式に参列しました。お葬式に対する感じ方、年々、違ってきているなあ…と思いました。死をみつめることは、今の生をしっかり生きることの前提であり出発点でもある…年を取ると、自然とそのようなな考え方が強まってきました。死を終着点ではなく通過点としてイメージすることも大切かなと思います。

■今日は、妻方の親戚のお葬式があり、大阪の葬祭場まで、妻、妻の母(義母)の3人で参列してきました。亡くなられた方には、ひょっとすると親戚の結婚式のときにお会いしただけなのかもしれません。こういう遠い親戚のばあい、最近は、参列しない人のほうが多いのかもしれませんが、なぜか参列させていただこうという気持ちになりました。

■その親戚の男性は、82歳でお亡くなりになりました。天寿を全うされたと思います。何人ものご弟さんやお姉さんが参列されていました。現在、家族の規模はどんどん縮小していますから、近い将来、このようにたくさんの兄弟姉妹が故人をみおくるということは無くなるのではないかと思います。葬儀は、その時代ごとの家族のあり方や死生観と大きく関係しています。近年は、家族だけで葬儀を行う家族葬、お通夜をおこなわない一日葬、そして火葬のみの直葬もおこなわれるようになりました。その善し悪しについては、様々な議論があるところですが、お葬式はどうなっていくのでしょうか。これは、日本人の生き方に関わるけれど、みえにくい、社会の根底にところに潜んでいる切実な問題だと思っています。

■お葬式だけではありません。今は、墓の問題も深刻です。先日のNHK「クローズアップ現代」のテーマは、「墓が捨てられる~無縁化の先に何が~」というものでした。「全国各地で墓石の不法投棄が相次いで」おり、「その背景には、お参りする人がいないいわゆる無縁墓の急増が」あるというのです。そして、「過疎化の進む地方から始まった墓の無縁化が、今、都会でも急速に広がり始めて」いるというのです。詳しくは、こちらをご覧ください。現在は、先祖伝来の土地で生涯暮らすわけではありません。子どもの世代は、遠く離れたところに住んでいます。祖父母のことを孫たちはよく知らない…物理的にも心理的にも世代を超えた家族の関係は希薄にならざるをえません。そのような状況のなかで、墓の無縁化が進んでいるのでしょう。

■番組のなかで、宗教学者の山折哲雄さんは、以下のように説明されています。

これは戦前からずっと、日本人の宗教の一つの中心をなしていたのは、『家の宗教』としての先祖崇拝でした。これがガタガタと崩れ始めた、その結果とも言えるかもしれません。従来の伝統的な家制度の中で作られたお墓信仰は崩れざるを得ない、魂の行方を信じることができない。現代人がそうですよね、私もそうだ。誰も思わなくなってしまったとすれば、自分の死後の問題をどうするか、葬儀の問題をどうするかという問題に直面しているということです。ある意味ではジレンマの時期に今さしかかっていると思います。

■昔は、死んだ後のあとのことは、子どもや子孫が面倒をみて、きちんと供養するのがあたりまえでした。ある意味で義務でした。しかし、今は、生きているあいだに自分が死んだあとのことを考えなくてはいけません。番組のなかでは、本人の希望どおりに死後の手続きを勧めてくれるNPO法人と契約されたご夫婦が登場されます。ご夫婦は墓もつくりません。以前、家族社会学者の山田昌弘さんが、もう5年ほど前のことでしょうか、日本社会学会の学会誌で「家族の個人化」と「家族の『本質的』個人化」について論文を書かれていました。私は、そのような「家族の『本質的』個人化」と、このエントリーで取り上げているような問題が関連していると考えています(こりのエントリーでは、個人化については説明しませんが)。死後のことを、自己責任で考えねばならない時代がやってきているのです。

■このような問題は、ひとつ上の世代ではなく、まさに私たちの世代の問題なのです(私は56歳ですが)。死んだあとのことをどうするのか…そのことを今から考えねばなりません。問題は、このこと以外にもあるように思います。まわりの同世代は、しばらく先に定年を迎えます。「残りの人生」をどう充実させていくのかということを真剣に考え始めています(そして、どう生きていくのかも…)。もちろんそれは大切なことなのですが、今の「生」をしっかり生きることの前提や出発的には、「死」をしっかりみつめることが必要だ…そのように思います。「生」を煽る現代社会において、「死」をみつめることは非常に難しい。みつめるためには、「死」を終着点ではなく通過点としてリアルに「イメージ」することも大切かなと思っています(山折哲男さんのいう「魂の行方」)。「死」をみつめ「死」を通過点としてイメージする。私も含めて、一人一人にとって大きな課題なんじゃないのか…個人的にはそう思っています。

感謝35,000アクセス!!

■今年の5月5日に、アクセスカウンターが25,000を超え、その約3ヶ月後の8月5日に30,000を超えました。このブログは、2012年7月25日にスタートしました。アクセスカウンターは、2012年9月5日に設置しました。その日から、10,000アクセスを獲得するのに約11ヶ月かかりました。2013年7月21日です。その次、10,000アクセスから20,000アクセスまで7ヶ月と7日かかりました。2014年2月6日です。そして 20,000アクセスから25,000アクセスまで3ヶ月。そしてほぼ予想通り、8月5日に30,000アクセスに達しました。6ヶ月で約10,000アクセスというペースでしょうか。

■今回は、35,000アクセスになりました。30,000アクセスから2ヶ月半です。ちょっと、ペースがあがりました。日々の生活の記録を残しているだけのこのブログに、最近は、1日に80から120ほどのアクセスをいただいています(昨日は、161ものアクセスがありました。とても珍しいことです)。世の中のブログ一般からすればたいした数字ではありませんが、本ブログとしては、最近のアクセス数の伸びは画期的なことかなと思っています。ありがとうございます。本当に、日々の記録、つまらない身辺雑記だけのブログですが、どうかお許しください。

■ところで、私は「ひらがな入力」のブラインドタッチです。今時、そんな人間がいるのか…と思われるかもしれませんが、「ひらがな入力」です。そして、プラインドタッチです。ですから、ゆっくりしゃべるのと、ほぼ同じスピードでタイプすることができます。よく、「ワープロ世代ですね…」と言われます。そうかもしれません。それはともかく、「ひらがな入力」のブラインドタッチのため、誤字・脱字が多くなってしまいます。この点では、お読みいただく皆様に大変ご迷惑をおかけしていると思います。申し訳ありません。昨日のエントリーも、誤字だらけでした…。みつけしだい、修正しています。なお、本当はコメントもいただきたいのですが、海外からのスパムコメントの嵐が吹き荒れており、コメントができないように設定しております。どうかご容赦ください。

■さて、次のお知らせは40,000アクセスのときになります。このペースでいくと、お正月開けの頃には、40,000アクセスに到達できるのではないかと思います。

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