龍谷ミュージアム

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▪️昨日は、龍谷ミュージアムに出かけました。シリーズ展「仏教の思想と文化-インドから日本へ」と特集展示「阿弥陀さん七変化!」を観覧。特集展示は今日までです。龍谷ミュージアムについては、こちらの動画でその概要が紹介されています

▪️「龍谷大学関係者」は龍谷ミュージアムで開催するすべての展覧会を無料で観覧できます。「龍谷大学関係者」とは、龍谷大学学生(科目等履修生を含む)、龍谷大学学生保護者(親和会員)とその同伴者1名、龍谷大学卒業生(校友会員)とその同伴者1名、龍谷大学教職員(非常勤講師、アシスタントスタッフ職員を含む)、龍谷大学退職者(専任教職員・特別任用教員)、浄土真宗本願寺派の宗会議員、学校法人龍谷大学理事・監事・評議員の皆さんです。このことを学生の皆さんは、ご存知でしょうか。おそらく文学部のある大宮キャンパスの皆さんは龍谷ミュージアムに行かれているとは思いますが、私の勤務する社会学部は滋賀県大津市の瀬田にキャンパスがあるため、よほど仏教に関心がなければ、行くことはないのかもしれません。もったいないことだと思います。

関西吹奏楽コンクールのチケット

20240817ryusui_concours.jpg▪️ 「チケットぴあ」を使ってチケットを入手しました。前期高齢者の私は、この「チケットぴあ」の使い方がよくわかっていなかったので少々戸惑いましたが、なんとかなりました(笑)。もちろん龍谷大学吹奏楽部の応援なんですが、関西のライバル校の演奏もしっかり聴かせていただきます。今日は「チケットぴあ」程度で済みましたが、歳をとっていくと、「いろいろわからんことや戸惑うことが増えてくるんやろな〜」と思いました。

▪️まあ、そのようなことはともかく、龍谷大学関係者は吹奏楽部の活躍にご注目くださいね。

川西英の『神戸百景』

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▪️先日、自宅のクリアファイルを整理していたら、このファイルを見つけました。確か神戸に出かけた時に、どこかのお店で買ったのかな…思い出せません。このクリアファイルには、神戸に生まれた画家・版画家の川西英(かわにし・ひで/1894-1965)さんの4つの版画の作品が印刷されています。画文集『神戸百景』におさめられた作品です。表の方は、「みなと」というタイトルの版画。裏には3つの作品がありますが、上から順番に「商工会議所」、「中突堤」、「新造船レセプション」です。震災からの復興や、街の開発で、もう『神戸百景』の作品のような雰囲気は神戸にはありません。でも、私の幼い頃の記憶にある神戸は、この版画に描かれたような雰囲気でした。こちらに『神戸百景』の作品が丁寧に紹介されています

▪️それから、大学時代の後輩であるOくんがfacebookに投稿していた動画「映画の中の神戸‥懐かしの昭和の風景」も、私にとって懐かしい風景が満載でした。良い動画を教えてもらいました。昔の映画に登場する神戸を集めた動画です。鶴田浩二、石原裕次郎、加山雄三、懐かしい俳優さんたちが登場します。古い国鉄や阪急も出てきます。神戸以外に、加山雄三の「海の若大将」という映画では、西宮にある母校・関西学院大学のキャンパスも登場します。母校が若大将シリーズの撮影に使われたとは知りませんでした。これはこれで、懐かしいですね。今はキャンパスの雰囲気も一部を除いて大きく変わっていますから。

朽木古屋の「六斎念仏踊り」

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▪️昨日は、古屋(滋賀県高島市朽木)の「六斎念仏踊り」を見学させていただきました。「『六斎念仏踊り』ってなんだろう?」という方は、まずは以下をご覧になってください。最近、気がついたのですが、こんな素敵なサイトができていたんです。私がこの「六斎念仏踊り」と少しつながりがあるのは、こういうことがあったのです。こちらをお読みいただければと思います

▪️昨日は、早めに古屋に到着して、この「六斎念仏踊り」を継承されている坂本家を訪問しました。私がゼミで指導した坂本昂弘くんのお祖父様からお話を伺いました。でも伺ったのは、「六斎念仏踊り」ではなく、林業(樹木の伐採等)や炭焼きのことでした。お祖父様は、高度経済成長期の最後の頃、家族で守山市に移られました。坂本くんのお父様は小5、弟である叔父様は小2でした。山の仕事では暮らしていけなくなったからです。しかし、町場にはたくさんの求人があったといいます。

▪️坂本家は、お祖父様が守山市で働きながら、家、農地、山林、墓を維持するために、車でたびたび古屋に通われました。お父様や叔父様も一緒に通われました。朽木は雪深いところです。積雪があると、屋根の雪をおろさねぱなりません。雪おろしをした後は、また守山まで戻るのです。その途中、山道で車が故障してしまったこともあったといいます。大変なことです。夏は、所有されている山林の下草を刈らなくていけません。坂本家は、今でいう「二拠点居住」をされてきたのです。「二拠点居住」と書きましたが、現在の田舎暮らしを楽しむ「二拠点居住」とは全く違います。家を守るために、家産を守るために通っておられたのです。お盆の時は、もちろん古屋で過ごされました。そして、お祖父様は何十年もお仲間と一緒に「六斎念仏踊り」を行ってこられたのです。

▪️古屋には20軒の家があるのですが、過疎が進む中で、今日は、たしか7 軒のお宅の前で「六斎念仏踊り」が踊られました。一度途絶えた「六斎念仏踊り」ですが、古屋の外から継承しようとやってこられた若者の皆さん、その若者の皆さんに刺激を受けて、古屋にルーツを持つ地元の2人の若者もこの「六斎念仏踊り」に参加されているようです。少し安心しました。こういった文化が継承されるためには、ここで暮らし続けることが可能な条件を、時代の変化に合わせて整えていかなければならないのですが、関係者の皆様にはぜひその辺りのこともお考えになって欲しいと思っています。

▪️私は4軒のお宅の前で演じられた「六斎念仏踊り」を見学させていただきました。本当は全て拝見したかったのですが…。というのも、自分で車を運転して帰宅するのに少し時間がかかるかなと思ったので、全て踊り終える前にお暇しました。古屋は、安曇川の支流である針畑川沿いにあります。その針畑川沿いの道、慣れていない私には夜道の運転が大変かなと思ったからです。狭い道がたくさんあるのです。後ろからおそらく地元の方の車が迫ってきます。そういう時は、車を停車させて先に行っていただきました。そういうことが3回くらいあったでしょうか。よく知らない暗く狭い道を地元の方と同じスピードで運転できません。そうそう、一度、鹿とも遭遇しました。やばかった。ドキドキしながらの運転でしたが、なんとか無事に自宅まで辿りつくことができました。

▪️最後の写真は、お祖父様にお話を伺っている時に叔父様に撮っていただいたものです。お祖父様は、昭和10年生まれ。今年で89歳になられるとのこと。大変お元気です。昔の山での仕事のことをしっかり記憶されていて驚きました。

The Revived • «Відроджені» • The Olympic team of Ukrainian athletes who died during the war


▪️朝、新聞を読んでいると「パリ五輪が11日終わった。期間中、ロシアの侵攻を受けるウクライナのスポーツ選手たちを扱ったある動画が、パリの五輪選手村でのイベントやテレビで流れて話題になった」という記事が目に入りました。まずは、この動画をご覧ください。小さい頃からボクシングに取り組んできた若い男性の人生が回顧されますが、こういうメッセージが入ります。「ボクシングはロシアに勝利してからと言ってきた。けれど、その夢はかなえられない。だって私は死んだのだから」。

▪️記事によれば、ロシアの攻撃に巻き込まれて亡くなったウクライナのアスリート6人を人工知能(AI)で再現したものなのだそうです。動画に登場されるボクシング選手マクシム・ハリニチェウさんは2018年のユース五輪で準優勝した期待されていた選手だったのですが、2022年5月に志願入隊し、2023年3月に東部のルハンスク州で命を落されました。22歳でした。彼の傍らに立つのは、動画の解説によれば、アナスタシア・ホンチャロワさん(自転車)、フェディル・イエピファノフさん(フェンシング)、オレクサンドル・ピエリエシェンコさん(重量挙げ)、ニキータ・ザシアドコさん(水泳)、そしてミコラ・ジドコフさん(サッカー)です。

▪️ロシア侵攻で命を落としたウクライナのスペーつ選手は498人に上るようです。この動画の企画に関わったクリエーターは「戦争が長引くにつれ、死者が死亡者数という『統計』になってている。しかしその裏には、一人ひとりの顔が、声が、ストーリーある」と強調されています。遺族から様々な角度から撮影した顔写真全身写真の提供を受け、留守番電話に残されたメッセージの音声も使っているとのことです。それらを「メタ・ヒューマン」と呼ばれるAIツールで選手の姿を再現しています。「本物の人間のようでありながら、AIだと分かる微妙な部分を追求した。選手たちは命を奪われ、今はもういないということを伝えたかった」。遺族からの要望やこだわりも受け止めつつ制作されたようです。これも動画の解説ですが、「この取り組みは、亡くなったアスリートたちの物語や夢を伝えるだけでなく、ロシアの侵略が世界中のスポーツに与えた影響に注目を集めること」も目的にしているとのことです。

【追記】▪️こういうAIの技術が「進化」していくと、将来は、死者と擬似的なコミュニケーションができるようになるのかもしれません。意識の中で亡くなった方のことを思い、イメージすることはできます。コミュニケーションの定義にもよりますが、それは通常のコミュニケーションとは違うものです。しかし、AIが進化して、亡くなった方の生前の様々な情報が蓄積され、その情報を元に亡くなった方が再現され、こちらから話しかけに亡くなった方が応答するようになったり、逆に亡くなった方が話しかけてきたり、そういったことが可能になるのかもしれません。現在、人とAIのコミュニケーションはさまざまな分野で実現していますから。もちろん、それが人工的に作られたものであることを承知で、そのようなコミュニケーションを人は求めるようになるのかもしれません。

アクセスカウンター

▪️このブログを含む私のサイトにはアクセスカウンターを置いています。通常は、150人から多くても200人程度のアクセス数なのですが、先週の6日(火)は323、7日(水)は251、8日(木)は524、昨日11日(日)は440。どうしてこのようになっているのか、その理由がよくわかりません。多くの皆様にご覧いただくことは、とてもありがたいことだと思っているのですが、急にアクセス数が増えるとやや不安な気持ちにもなります。何があったのかな〜。

茅野家の「乗り鉄旅行」

20240811brothers.jpg▪️ 信州大学で教員をされている茅野 恒秀さんが夏休みの家族旅行=「乗り鉄の旅」で関西にやってこられました。茅野家は家族全員そろって鉄道ファンなのです。息子さんたちは、かつて国鉄やJRで活躍した電車、頑張って走ってきた電車、そしてこれから引退していく電車に会いにいくことをとても大切にされています。どこに古い電車がまだ頑張って走っている、⚪︎日にはどこのあたりにいるはずだ…、そんな感じで事前にリサーチして、あたりをつけて、旅行をされているのです。その辺りが、素晴らしいと思うのです。お父さんとお母さんのさりげないアシストはあるようですが、基本、兄弟2人で事前にリサーチされているのです。茅野家の教育って、本当に丁寧で素晴らしい。将来は筋金入りの鉄道ファンになること間違いなしです。

▪️今日は信州の松本を出発して、在来線で名古屋、そして京都へ。京都からは湖西線で敦賀まで移動し、敦賀と富山の間は北陸新幹線を利用して、今日は富山泊。明日は、直江津を経由して松本に戻られるそうです。そのことを昨日茅野さんから教えてもらいました。それじゃ息子さん達に会いに行こうと思い立ち、湖西線の2駅の間たった5分間ですが、会いに行ってきました。プレゼントも渡すことができました。プレゼントは、琵琶湖の魚のノートです。茅野兄弟は淡水魚ファンでもあるのです。私は、滋賀のおじいさんのような気持ちになりました。

▪️今年の春(春休み)も「乗り鉄の旅」で関西にやってこられました。その時から、私たちは仲良しになっています。だから、今日も電車まで私が会いにやってくると知って、とても喜んでくれていたようです。ありがとうね、きいとくん、りいとくん。左側が兄のきいとくん。右側が弟のりいとくん。りいとくんが手に持っているのが、私からのプレゼント。このクリアファイルに、琵琶湖の魚のノートが入っています。で、このクリアファイル、自宅にあった鉄道関係のクリアファイルです。喜んでくれているかな。

「六斎念仏踊り」の皆さんと

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20240811toshiyan2.jpg▪️金曜日は、この皆さんと、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」。私のお隣は、坂本恭二さん(Kyoji Sakamotoさん)、向かいは、斉藤 成美さん、高橋タカカーンくん。坂本さんが、斉藤さんや高橋くんと呑むので一緒にどうですかと誘ってくださいました。このお3人は、高島市朽木古屋で伝えられてきた「六斎念仏踊り」を復活させてこられた皆さんです。坂本さんは、古屋のご出身ですが、斉藤さんと高橋くんは、高島市の教育委員会による「六斎念仏踊り」復活のプロジェクトに応募された方達です。「六斎念仏踊り」の継承者である古屋の古老の皆さんからしっかりと指導を受けて、「六斎念仏踊り」の復活を成し遂げられました。ちなみに、斉藤さんと高橋くんは踊り手、坂本さんは笛を吹かれます。

▪️どうして、このお3人と繋がっているのか、以下のブログの投稿をご覧いただければと思います。じつは、ゼミ生の卒業論文の指導がきっかけなのです。
「朽木古屋『六斎念仏踊り』の復活」
「朽木村古屋の坂本家のこと」
「六斎念仏踊り継承発表会」(滋賀県高島市朽木古屋)
「古屋六斎念仏踊りオンライン稽古」

▪️今年も、8月14日に朽木古屋で「六斎念仏踊り」が行われます。外の皆さんの力で復活したのですが、今ではそのことに刺激を受けて、古屋にルーツを持つ若者も参加されているとのことでした。とっても素晴らしいことだと思います。私も14日には、安曇川の支流、針畑川沿いの細い細い道を車を走らせて見学させていただく予定です。ところで、左の写真ですが、真ん中をご覧ください。酒場放浪記の吉田類さんのサインが入った色紙が飾ってあります。「利やん」は、居酒屋界の神様がやってきた名店なのです。
「吉田類の酒場放浪記 大津『利やん』」」
「BS-TBS『吉田類の酒場放浪記 あけまして2時間スペシャル!』」

原一雄監督『水俣曼荼羅』と「魂」の救済

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▪️研究室に保管してあった原一雄さんの作品(DVD)を自宅に持って帰ることにしました。自宅のTVの大きな画面で、DVDを観てみようと思います。どういうわけか、研究室のパソコンだとうまく観ることができないのです。この両方の作品には共通の問題意識があるように思います。「ゆきゆきて、神軍」には、「知らぬ存ぜぬは許しません!」とありますが(奥崎謙三さん)、この2つの作品を観ると、この国の社会の根本にある仕組みは、深刻な問題の、非常に大切な部分を曖昧化・不可視化させているなということが伝わってきます。それをさせまいと、当事者や関係者は闘うわけですが、闘えば闘うほど、その逆になってしまい被害者は「魂」を救済されないま放置されることになってしまうわけです。特に、行政との対立の場面においては、そのことを強く感じました。ただ、「水俣曼荼羅」を拝見していると、それ以外にも、いろいろ考え込む部分もありました。

▪️「水俣曼荼羅」の中で、被害者・患者である緒方正実さん(「語り部の会」会長)が天皇皇后(現上皇上皇后)にお会いした時のことを、緒方さん自身が語っています。いろいろ反対があったと言います。水俣病の幕引きにつながる雰囲気づくりを患者本人が行うのはおかしいという反対意見です。

▪️緒方さんは、次のように語っています。

天皇陛下は、身を乗り出して私の目をしっかり見られて、本当に目を逸らすことなく聞いてくれましたね。同じ人間があれほどの雰囲気をつくれるのかなとも思ったんですね。オーラなのかと思うんですね。ずっと遠くの時代の先祖と会ったというような、そんな感じもしましたね。私が人になる、そのきっかけを作ってくれた、緒方家の先祖と会ったような、そんな雰囲気までこう。

ですから、私は水俣病のそういった苦しみ、悲しみの部分を少しでも取り除くための天皇皇后両陛下その面会であったならば、何も失うものは、私は、そこにはないと。(『水俣曼荼羅 製作ノート』203ページ)

▪️この時のことを撮影していた原監督自身は、次のように語っています。緒方さんは、天皇皇后両陛下と会って話を聞いてもらってから、緒方さんとの関係も変わったと言います。

撮影中、緒方さんの口から「天皇」は自分の遠い先祖に繋がっている、と聞いたとき、私は青天の霹靂というか、思ってもいないことが飛び出した、と驚きました。何か違う、何か言い返さなきゃいけないって必死に頭の中で言葉を探しているんですけど、とうとう見つからなかった。映画の作り手としては、黙って聞いてちゃいけないんところだったんですけど、言葉が全く出てこなかった。(『水俣曼荼羅 製作ノート』252ページ)

▪️戦後社会、象徴天皇制、水俣病、魂の救済。2人の間では、この点に関しては大きな乖離があるのかもしれません。この緒方さんが天皇皇后両陛下と対面で話をされた時こと、この新聞記事の中に書かれています。緒方さんは、記事の中で「長年胸につかえていた思いが、取り除かれるように感じた。『幸せですらあった』」と語っています。以下は、記事の続きです。

天皇陛下は、話し終えた緒方氏に感想を述べられた。

「真実に生きるということができる社会を、みんなでつくっていきたいものです」「今後の日本が、自分が正しくあることができる社会になっていく、そうなればと思っています」

約1分間という異例の長さだった。

「私だけではなく、水俣病の患者皆が苦しんだ。それは消えることはない。しかし、その苦しみがあったからこそ、天皇陛下にお会いできた。あの時私は、自分の水俣病を許し、自分の本当の人生を手にしたと思う」

▪️この新聞記事に書かれていることが事実だとして、天皇皇后との対面の中で起こった緒方さん劇的な経験、そのことに対する評価は大きく分かれるのかもしれません。以下の講演抄録は、元RKK(熊本放送)報道部記者牧口敏孝さんがまとめられたものです。ヒントをいただきました。「赦しと祈り ~水俣病患者 緒方正実さんとの出会いから~」

新型コロナ

▪️先月の下旬、とうとうコロナ11波に捕まってしまいました。罹患しました。第5類に分類される以前までは、流行っているコロナウイルスは第何波なのか気にしていましたが、そのうちによくわからなくなっていました。今は、11波らしいですね。マスク、手洗い、手のアルコール消毒…今まで通りに励行してきました。マスクをするようになってから、新型コロナだけでなく、普通の風邪も引かなくなりました。ですので、まさかこの段階で罹患するとはと少々驚きました。

▪️最初は、39.6℃まで熱が上がり、「俺、大丈夫か」という感じだったのですが、翌日には熱が下がり、そして数日後にはほぼ平熱にまで下がりました。自宅近くの発熱外来を受診したのですが、受診した部屋は、部屋というよりも病院の通用口の仮の診察室にしたものでした。その部屋というか通用口に座っていると、看護師さんが感染防止のための「重装備」の格好で現れました。そして、鼻の穴に細い綿棒のようなものを突っ込まれました。その綿棒にウイルスの反応を見るのでしょう。結果はやはり「重装備」の医師から伝えられました。陽性でした。持病のことを伝えてあったのですが、HbA1cも血圧もきちんと抑えられているので大丈夫でしょうということで、解熱剤だけを処方してもらい、薬局で解熱剤を手に入れて帰宅しました。しかし、その解熱剤もほとんど使わずに済みました。「俺、どうなっているねん」という感じです。いったいどこでコロナをもらってきたんでしょうね。謎です…。

▪️先月は、ちょっと熱中症っぽい感じの日もありましたし、困ったものです。今は、たまに痰がらみの咳が出てくることもありますが、だいぶマシになってきました。最初、しばらくは熱が下がっても気怠さが続いていたのですが、今は普通に戻りました。先日、浜大津の旧大津公会堂で開催された「水俣曼荼羅」上映会も、医者の指示通り自宅療養をした上で、なんとか参加することができました。よかったです。8月は体力の増強に努めます。自宅で療養していると、筋肉がどんどん減ってきているような気がします。実際、コロナになって1kg体重が減りました。たった1kgなんですが、食事療法に努めて減量してきていたので、すでにヒョロヒョロのお爺さんになっています。もうこれ以上は痩せたくないのです。困りましたね。血糖値に影響を与えない範囲で、少し体重も増やします。

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