안도현 (アン・ドヒョン)の詩

20141012rentan.jpg ■韓国の知人がFacebookで、「스며드는 것 」という詩を紹介していました(正確にいうと、韓国のテレビ番組のなかにこの詩が登場していた)。안도현(アン・ドヒョン)という1961年生まれの韓国の詩人の詩でした。ハングルが読めないので、正確な意味あいはわかりませんが(ネットの翻訳機能を駆使して、おぼろげながらの理解)、カンジャケジャン(간장게장)という料理に関する詩です。カンジャケジャンとは、新鮮な生のワタリガニを漬け込み醤油ダレに漬けて熟成させた料理です。といっても、「美味しい」詩ではありません。料理にされるワタリガニの母親の詩なのです。カンジャケジャンにされるワタリガニは、卵を身体に抱えたメスの蟹が材料になります。卵が詰まっていて肉が硬く、しっかりと味を楽しむことができるからなのだそうです。しかし、「殺される」側のワタリガニの母子にとっては、これは凄惨で残酷な話しになります。

■詩のなかでは、漬け込み醤油ダレが身体にしみ込んでしだいに聞こえなくなってしまうのですが、完全に聞こえなくなってしまう前に(死んでしまう前に)、子どもたち(卵)に母親が語りかける…そのような悲しい詩らしいのです。最後に、残された力で、子ども(卵)たちにを安心させるために、夕方になってきたし灯りを消して寝ましょうと語るのですが、それは醤油の中に入れられたため周りが真っ暗になったことを夕方に、そしてしだいに死んでいくことを睡眠に例えた…というのが、私の友人の解釈です。視点を変化させると、「美味しい」から「悲しい」に大転換してしまう。この詩の題名は、「스며드는 것」(おそらくは「しみ込んでくること」なのかな…)。はっ…としました。アン・ドヒョンという人は、どういう詩人なのか。詩については、知識や見識をまったく持ち合わせていないため、よくわかりません。
(画像:ウイキメディアコモンズ

■ネットで調べてみました。アン・ドヒョンさんには、「練炭一枚」という詩があります。韓国の教科書にも取り上げられている詩のようです。この詩についても、素敵だなと思いました。韓国語・ハングルの会話学校のサイトで紹介されていました(こちらです)。ただし紹介されている方は、「日本語で訳しましたが、詩人が選んだ単語のニュアンスをそのまま活かすことが完璧にはできませんでした。なので、今回の和訳は私がこの詩を読みながら感じた私の感想や解釈が影響されていると思います」とも書かれています。これも大切な点ですね。

<연탄 한 장>
     안도현

또 다른 말도 많고 많지만
삶이란
나 아닌 그 누군가에게
기꺼이 연탄 한 장이 되는 것

방구들 선득선득 해지는 날부터
이듬해 봄까지
조선팔도 거리에서 제일 아름다운 것은
연탄차가 부릉부릉
힘쓰며 언덕길 오르는 거라네
해야 할 일이 무엇인가를 알고 있다는 듯이
연탄은, 일단 제 몸에 불이 옮겨 붙었다 하면
하염없이 뜨거워 지는 것 매일 따스한 밥과 국물 퍼먹으면서도 몰랐네
온 몸으로 사랑하고 나면 한덩이 재로 쓸쓸하게 남는게 두려워
여태껏 나는 그 누구에게 연탄 한장도 되지 못하였네

생각하면
삶이란
나를 산산히 으깨는 일
눈 내려 세상이 미끄러운 어느 이른 아침에
나 아닌 그 누가 마음 놓고 걸어갈
그 길을 만들 줄도 몰랐었네, 나는

<練炭一枚>
        アン・ドヒョン

他の言葉も多くて多いけど
人生とは
自分ではない誰かのために
喜んで練炭一枚になること

床がひやっとしてくる日から
来年の春まで
朝鮮八道の道で最も美しいのは
練炭車がブルンブルンと
頑張って丘を上がることなんだよ
やるべきことが何か知っているように
練炭は、まず自分に火を移し燃えると
限りなく熱くなること
毎日温かいご飯とお汁をがつがつ食べながらも知らなかった
全身で愛した後は
一塊の灰として寂しく残ることが怖くて
今まで私は誰に対しても練炭一枚にもなれなかったね。

思ってみれば
人生とは
自分を
粉々に砕くこと

雪が降り世の中がつるつるしたある朝っぱらに
自分ではないある人が安心して歩いていく
その道を作ることもできなかった、私は

■私は、このアン・ドヒョンの詩を読みながら、以前このブログで書いた「黒子に徹する潔さ」のことを思い出しました。このエントリーのなかでは、後半部分に内田樹さんの文献を引用しています。その後半部分をここに転載します。

■こんなことを書いていると、先日読了した、内田樹(うちだ・たつる)先生の『村上春樹にご用心』のことを思い出してしまいました。この本、内田さんが運営しているブログで村上春樹について言及しているエントリーもとにつくられたようです。amazonでのレビューの評価、極端にわかれています。私は楽しんで読みました。この本は、村上春樹について語ってはいますが、村上春樹の作品論として読んではだめでしょうね。村上ファンでありレヴィナスの研究者である内田さんが、村上作品を通して、自らの思想を語っているわけですから。内田さんの本が持っている面白さとは、難しい表現であれやこれやと蘊蓄をたれるのではなく(衒学的でなく)、シンプルかつクリアな視点から、森羅万象をサクサク解き明かしていく、まあそんな感じですかね、私のばあい。この『村上春樹にご用心』も、そうです(もちろん、このは内田さんの「読み」であって、別の「読み」が可能であることはいうまでもありません)。
■物語、父の不在(真理や神の不在)、身体、死者とのコミュニケーション、批評家と春樹…キーワード的に見れば論点はいろいろあるのですが、内田さんのいいたいことはひとつ。なぜ、村上春樹は世界中で読まれるのか。本の帯には、こう書いてあります。「ウチダ先生、村上春樹はなぜ世界中で読まれるんですか? それはね、雪かき仕事の大切さを知っているからだよ」。村上春樹に影響を与え、彼自身も翻訳をした『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(サリンジャー)で主人公のホールデンがいうところの「ライ麦畑のキャッチャー」と雪かき仕事って同じことです。ちょっとだけ、引用してみます。
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 世の中には、「誰かがやらなくてはならないのなら、私がやる」というふうに考える人と、「誰かがやらなくてはならないんだから、誰かがやるだろう」というふうに考える人の二種類がいる。「キャッチャー」は第一の種類の人間が引き受ける仕事である。ときどき、「あ、オレがやります」と手を挙げてくれる人がいれば、人間的秩序はそこそこ保たれる。
 そういう人が必ずいたので、人間世界の秩序はこれまでも保たれてきたし、これからもそういう人は必ずいるだろうから、人間世界の秩序は引き続き保たれるはずである。
 でも、自分の努力にはつねに正当な評価や代償や栄誉が与えられるべきだと思っている人間は「キャッチャー」や「センチネル」の仕事には向かない。適正を論じる以前に、彼らは世の中には「そんな仕事」が存在するということさえ想像できないからである。(29~30頁、センチネル:見守る人)
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「センチネル」たちの仕事は、『ダンス・ダンス・ダンス』で「文化的雪かき」と呼ばれた仕事に似ている。誰もやりたがらないけれど誰かがやらないとあとで他の人たちが困るような仕事を、特別な対価や賞賛を期待せず、黙って引き受けること。そのような、「雪かき仕事」を黙々と積み重ねているものの日常的な努力によって、「超越的に邪悪なもの」の浸潤はかろうじて食い止められる。政治的激情や詩的法悦やエロス的恍惚は「邪悪なもの」の対立項ではなく、しばしばその共犯者である。この宇宙的スケールの神話と日時用生活のディティールをシームレスに接合させた力業に村上文学の最大の魅力はある。それを世界各国語の読者とともに享受できることを私は深く喜びとする。(10~11頁)
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■最後の引用のなかで、太字で強調したところ、これは私個人によるものです。あらためて引用をした部分を読みながら太字で強調してみました。「超越的に邪悪なもの」の共犯者は、日常世界のなかに突如としてあらわれます。時には、自分自身がその共犯者になっているかもしれません。そのことをいつも心に念じておく必要があろうかと思います。ここでもう一度、アン・ドヒョンの詩に戻ります。内田さんは、村上春樹の作品に関して「宇宙的スケールの神話と日時用生活のディティールをシームレスに接合させた」と書いておられますが、私はアン・ドヒョンの詩のなかにもそれに近いものを感じとりました。たまたま偶然なのかもしれませんが、アン・ドヒョンの詩の最後にも「雪かき仕事」が登場しています。なにげない日常生活のなかで、この世の中を支えようとする人びと。それは「贈与的精神」をもった人びとであり、「贈与する人びと」であるわけですが、そのような人びとにアン・ドヒョンも村上春樹(そして内田さんも)は共感し、文学という仕事をとおして支えようとしているのかなと思います。

ボストン美術館「華麗なるジャポニスム展」(京都市美術館)

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■ここは、大阪の阪急梅田駅の近くです。足早に通路を歩いていく人たちの向こうで、かわいらしく微笑んでいる女性がいます。これは、印象派の画家として有名なクロード・モネの最初の奥さんなのだそうです。お名前は、カミーユ。そう、カミーユさんにみつめられて私は立ち止りました。壁にはたくさんの団扇、床は畳っぽいですね。そしてカミーユさんは、赤い着物をまとい扇子を片手にもって振り返っておられます。着物には、歌舞伎に登場するような侍の刺繍がなされています。19世紀後半、ヨーロッパは「大日本ブーム」になります。そのようなブームのなかで、クロード・モネの「ラ・ジャポネーズ」という作品は描かれました。このあたりまでは、高校までに美術史の知識で、多くの皆さんがご存知のことかと思います。美術の教科書にも、よくこの作品は登場しますよね。

■ところで、この大きなポスター。京都市美術館で11月末まで開催されるポストン美術館「華麗なるじゃポニズム展」のものです。調べてみると、この「ラ・ジャポネーズ」はボストン美術館で修復されたようです。科学的な分析をもとに、完璧に修復されているようです。こちらをご覧ください。すごいですね〜。展覧会の内容ですが、以下が見所とのことです。

1.傑作《ラ・ジャポネーズ》修復後、世界初公開!
2.印象派と浮世絵の華麗なる競演
3.ボストン美術館の名品150点が集結
4.ボストンならでは! アメリカのじゃポニズムも
5.《ラ・ジャポネーズ》から《睡蓮》まで…モネのジャポニスムを追体験

■これは、なんとしても観覧したいものです!!

おうみ映像ラボ 遠足 ~映画『ワキノタン』の撮影地・高島市朽木針畑を訪ねて~

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20141007wakinotan.jpg ■知り合いの女性が、今春友人4名で「おうみ映像ラボ」というチームを立ち上げられました。滋賀県下のドキュメンタリー映画や記録映像を発掘するチームなんだそうです。素敵ですね〜。そのチームて、今週末に、朽木・針畑への遠足(上映会+撮影地の体験)にいく日帰りミニツアーの企画をたてられました。ということで、私は申し込みをさせていただきました。

■日曜日、JR湖西線・堅田駅から滋賀県高島市朽木針畑へバスで向かい、そこでドキュメンタリー映画「ワキノタン」を鑑賞します。作品は、「朽木針畑で40年間にわたり集落に暮らす人々の生活の中にある『暮らしの知恵・思い・カタチ』を記録映像として撮影してきた針畑生活資料研究会(主宰:丸谷彰氏)」によるものです。大変楽しみです。ドキュメンタリーを鑑賞したあとは、「朽木を散策し、針畑の山菜採集など食文化の体験を、生活文化に触れ」る予定です。

おうみ映像ラボ

説明
映像を媒介にして、地域に引き継がれた技術や知恵、地域性・共同体の姿などの「暮らしの周縁」にあるものの価値を再認識する「共感の場」を創出することを目的としています。

映像上映会や映像づくりなどを通じてネットワークを形成し、地域の人・技・文化・景観をアーカイブ化していきます。

この活動により、視覚・聴覚、また関わりの深い人のお話を通じて滋賀の恵みを再認識し、次世代に繋いでいこうと考えています。 

ご関心のある方、映像記録の情報をお持ちの方、ご連絡いただければ幸いです。
「おうみ映像ラボ」どうぞ宜しくお願い致します。

・2014年度 滋賀県「美の滋賀」地域づくりモデル事業 受託
所有者情報
メンバー:大原歩(大学非常勤講師・成安造形大学附属近江学研究所研究員)、大藤寛子(にぎやかし1)、藤野ひろ美(にぎやかし2)長岡野亜(映像作家)【五十音順】

【追記】■残念ながら、このイベント、台風のために延期になりました。

Akira Yoshimura Works ― 吉村朗写真集 ―

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■大隅書店から「Akira Yoshimura Works ― 吉村朗写真集 ―」が発売されています。私自身、写真集が好きなのですが、堅い雰囲気といいますか、緻密なコンセプトにもとづいて撮られたものについては、自分自身、あまり関心が向いてきませんでした。この吉村朗の写真集については、関係者の方から、大変丁寧にお話しを伺ったこともあり、購入することにしました。以下は、大隅書店の解説からの引用です。

吉村が挑んだ“新たな物語”のための写真 ― それは、まさに実験であった(深川雅文「闇の光 吉村朗の軌跡」より)。1980年代半ばより都市のスナップ写真家として脚光を浴びた後、1990年代に大きく作風を変え、日本近代という怪物をめぐって自己の実存と歴史のあり方を重ね合わせ問い掛ける問題作を発表し、内外の注目を集めた吉村朗。馴化されず、媚を売らず、自らの道を突き進んだ、孤高の写真家の待望の作品集、遂に刊行!

吉村 朗(よしむら・あきら)
写真家。1959年6月3日、福岡県門司市(現・北九州市門司区)に生まれる。本名は吉村晃(1991年頃、朗に改名[通称])。1978年3月、福岡県立門司高等学校卒業。同年4月、日本大学芸術学部写真学科入学。1982年3月、同卒業。同年4月、東京綜合写真専門学校研究科入学。1984年3月、同卒業。1980年代半ばより、都市のスナップ写真家として脚光を浴び、その後、歴史的事象を追った諸作品を発表して注目を集める。主な写真展に、「分水嶺」(銀座ニコンサロン、1995年)、「新物語」(「現代写真の母型1999 IV 鈴木理策/吉村朗」川崎市市民ミュージアム、2000年)、「u-se-mo-no」(イカズチ、2004年)、写真集に、『SPIN』(Mole、1999年)がある。2012年6月2日、逝去。

■写真集そのものについては、関係者の方から拝見させていただきました。説明を受けながら拝見すると、心のなかにズーンと重い衝撃がありました。吉村朗の解説については、川崎市民ミュージアム学芸員の深川雅文さんが、「Commentary 闇の光 吉村朗の軌跡」を書かれています。この解説を拝見しながら、写真集からの重いメッセージを、再度、深く受けとめたいと思います。

アイリス・グレースの作品


[http://irisgracepainting.com
https://www.facebook.com/pages/Iris-Grace-Painting/609967369017975?fref=photo

NHKスペシャル「カラーでよみがえる東京 ― 不死鳥都市の100年 ―」

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■これは、すごい…と思います。「不死鳥都市」という言い方にシックリこないところもありますが、とても期待してしまいます。しかしです。なんといいますか、ナレーションと音楽で、かなり「その気」にさせられてしまいますね。トップ画像の下にある「投稿」をクリックしてください。NHKがfacebookに投稿した動画をご覧いただけます。詳しくは、以下のサイトをご覧いただければと思います。
http://www.nhk.or.jp/special/phoenix/
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■この公式サイトのなかに、東京という空間の歴史を地層に例えて表現している部分があります。最近、こういう「発想」、あちこちでみかけますね。たとえば、「東京時層地図」とかもそうです。まさに、「時」間の地「層」ですから。埼玉大学教育学部の谷謙二さんは、「今昔マップ」というサイトを運営されています。まだ、詳しくみていませんが、このサイトも興味深いですね〜。

造形衝動の一万年

vg
滋賀県立安土城考古博物館で、「平成26年秋季特別展 造形衝動の一万年~縄文の宇宙/円空の衝撃/アール・ブリュットの情熱~」が開催されています。このポスターを拝見してちょっと衝撃を受けました。素晴らしい、実に素晴らしい!! 期間は、9月20日(土)~11月30日(日)です。観覧してみたいのですが…。行けるかな。

人間は、古来、自らの内にある表現欲求に従い、さまざまな造形物を製作してきました。

本展では、文化財として遺されている造形物の中から土偶・木偶・埴輪といった考古資料を中心に、鉈彫・神像彫刻・円空作品などの異端の宗教造形物の系譜をたどり、さらに近年注目されているアール・ブリュット作品から海外の民族資料にまで視野を広げ、人間の精神の奥底に潜む「造形への衝動」を浮かび上がらせていきます。

■アール・ブリュットについては、滋賀県庁のホームページにある以下の説明をご覧ください

フランスのジャン・デュビュッフェ(Jean Dubuffet 1901-1985)という芸術家が考案した言葉で、日本語に訳される場合には一般的に「生の芸術」とされ、「美術の専門的な教育を受けていない人が、伝統や流行などに左右されずに自身の内側から湧きあがる衝動のまま表現した芸術」と解釈されている。作者に障害のある方が多いことから、障害者アートと解釈されることも多いが、同じ意味ではない。

■さらに、滋賀県近江八幡市にある「ボーダレス・アートミュージアムNO-MA」のサイトもご覧いただければと思います。

【追記】■我が家に新車がやってきました。その新車に乗って、琵琶湖博物館の「第22回企画展示:魚米之郷(ぎょまいのさと)-太湖・洞庭湖と琵琶湖の水辺の暮らし-」、そして上記の安土城博物館の「造形衝動の一万年~縄文の宇宙/円空の衝撃/アール・ブリュットの情熱~」、そして最後に「ボーダレス・アートミュージアムNO-MA」、この3つに1日で行ってみようかなと思っています。できるかな…。

Jascha Heifetz - Bach, Chaconne From Partita No.2 In D Minor, BWV 1004


■昨日、突然、空から「音楽」のイメージが降ってきました。学生オーケストラの時代に演奏していた曲のイメージです。それは、ピエトロ・マスカーニが作曲したオペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲でした。当時、この曲をたびたび私の所属していた学生オーケストラでは演奏していました。年に何度か大阪や神戸の複数の小学校で音楽教室を開催し、活動資金を稼いでいました。その音楽教室には、必ずこの曲が入っていました。そなんことをfacebookに投稿して、学生オーケストラ時代の後輩たちからコメントをもらったりしていると、いろいろ当時のことが思い出されてきました。

■私が学生オーケストラ(関西学院交響楽団)に入部した頃、部室は、仮説の狭いプレハブの建物でした(私が入部する数年前に、部室は火事で焼けてしまっていました)。今から30年程前に新しい学生会館が建てられ、専用練習場もできましたが(私たちが卒業したあと…)、当時は、アメリカンフットボール部やボート部といった体育会の様々な部と同じ2階建てのプレハプの建物のなかありました。体育会系の部は1階、文科系の部は2階だったように思います。もちろん練習場も専用の場所はなく、古い学生会館のなかにある音楽練習場を他の音楽系サークルと共用していました。全体の練習は、音楽練習場でやるとしても、個々人の練習はそういうわけにはいきません。学生会館の片隅やテラス、そして体育館の軒下…といった場所で練習を行いました。

■こういう外の環境は、特に木製の弦楽器や管楽器に良いはずがありません。しかし、雨の日も風の日も、こういった環境でひたすら練習に励みました。冬は寒さに凍え、夏は厚さや湿気、さらには蚊の襲撃に悩みながら練習を続けました。音楽系サークルといっても、体育会の部のようにひたすら練習に練習を重ねる日々でした。当時は、スキーやテニスのサークルが花盛りでしたが、私たちはそのようなある意味「学生らしい」ことは一切しませんでした。といいますか、そういうことをやっている余裕がありませんでした。特に弦楽器のパートの学生たちはほとんど「初心者」でした。練習をひたすら積み重ねるしか、定期演奏会に出る方法はなかったのです。

■練習は(弦楽器であれば)、以下のように練習を積み重ねました。「個人」練習。先輩による「指導」。ひとつの譜面台で一緒に演奏しなが練習する「プルート練習」。パート全体で一緒に練習する「パート練習」。1stバイオリン、2ndバイオリン、ビオラ、チェロ1名づつで行う「カルテット」による練習。ここにコントラバスが1名加わる「クインテット」による練習。それから、弦楽器セクション全体でおこなう「弦セク」とよばれる練習。オーケストラ全体で行う「総合」練習。今から考えると、よく考えられたやり方だと思います。弦楽器パートは、ほんんどが「初心者」の人たちです。そんな「初心者」の集まりであっても、鍛え上げていく練習メニューが用意されていたのです(当時は、これが当たり前…と思っていましたが)。まあ、時間的余裕がある学生だからこそ、できることでもありますが…(今の学生さんたちにはどうでしょうか…)。

■そうやって定期演奏会に向けて練習を積み重ねながら、時々、時間をみつけてはモーツアルトの弦楽四重奏を楽しんでみたりしました。懐かしいです。それに加えて、私のようにバイオリンをやっているものであれば、個人的に楽しむ曲がありました。それはヨハン・ゼバスティアン・バッハが作曲した「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティー」と呼ばれる曲です。ソナタとパルティータがそれぞれ3曲づす、合計6曲から構成されています。バイオリンを弾く人であれば必ず弾く曲、愛されている曲なのです。しかし、なかなか技術的にはとても困難な曲…でもあります。難しいのです。全曲を弾きこなせるような人は、私がオーケストラにいた頃には誰もいなかったように思います。特に難曲として有名なのは、パルティータ2番のなかにある「シャコンヌ」という曲です。私も、夜、体育館の軒下でこの「シャコンヌ」を練習しました。あこがれの曲でした。しかし、きちんと弾けるようにはなりませんでした。動画は、20世紀を代表するバイオリニストの1人であるヤッシャ・ハイフェッツの演奏です。

【追記1】■本文の冒頭にピエトロ・マスカーニ作曲の「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲のことについてふれました。せっかくですので、学生オケ時代の後輩が大勧めの動画もアップしておきます。リッカルド・ムーティの指揮によるものです。

20140928taiyounosyounen.jpg 【追記2】■Facebookで、「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲に関して、学生オーケストラ時代の後輩たち以外からもコメントをいただきました。その方のコメントで、「中国英語のBGM」でも使われているということでした。少し調べてみました。「太陽の少年」(監督: チアン・ウェン)という映画でした。文化大革命時の北京を舞台にした青春映画です。この映画の最後のところで、「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲が使われているようなのです。どんな映画か、それはこちらをお読みください。なお、映画のラストシーンはこちらでご覧いただけます

MIHO MUSEUM2014年秋季特別展「 獅子と狛犬―神獣が来たはるかな道―」

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■「MIHO MUSEUM」の秋季特別展です。とっても行きたい、観覧したい特別展です。「MIHO MUSEUM」の説明を以下に引用します。神社の入り口におかれている狛犬、2匹とも狛犬と呼んでいますが、じつは角の有るものが狛犬、無いものが獅子なのです。

神社に詣でれば、参拝者をまず迎えてくれるのが一対の神獣の像です。角の有るものを狛犬、無いものを獅子と区別しています。いったい日本に生息しない獅子が、どのようにしてわが国の神々を護るようになったのでしょうか? また、なぜ角を有する狛犬が一方に配されるのでしょうか?
本展覧会は、古代エジプトや西アジア、中央アジア、中国などの獅子や角を持つ神獣から、日本に伝来し独自に発展した特色ある獅子と狛犬の名品まで幅広く展観し、神獣が来たはるかな道を辿っていきます。
古代エジプトやメソポタミア、中央アジアで、聖なる存在として祀られた獅子、その獅子を打ち負かす英雄たちの造形や、聖なる存在の傍らに静かに佇み守護する獅子。 中国で龍や鳳凰とともに神獣の仲間に列し、獅子のような姿をした角をもつ辟邪(へきじゃ)や、仏陀の座に控える獅子の姿。
やがて、日本に伝来したこの神獣は、獅子と狛犬一対として、社寺などの聖なる領域への魔の侵入を防止する役割を担うようになります。両者は、大きく口を開いて咆哮するように威嚇する「獅子」と、口を結んで睨みを利かす「狛犬」という、阿吽(あうん)の一対として安置される事例が多くみられます。
こうしてユーラシア大陸を長途して日本列島に至った神獣は、独自の役割を担いながら、今も人々に愛されているのです。

■ところで、私がいままでみてきた狛犬(狛犬と獅子とのペア)のなかで、一番びっくりしたというか、笑ってしまったものは、岩手県の盛岡市にあります。盛岡天満宮の狛犬です。私は、南部鉄でできたこの狛犬のミニチュア模型をもっています。そのうちに、ここにもアップしたいと思います。取り急ぎ、こちらのサイトの記事をお読みいただけれはと思います。

啄木も気に入った(?)盛岡天満宮の狛犬 [狛犬・寺社(岩手県)]

日本ゲゲゲイ連合 (東京ゲゲゲイ)


■「日本エレキテル連合」。中野聡子さんと橋本小雪さんのお笑いコンピとして、最近、人気があるのだそうですね。そのお2人が登場する動画。なんだか、すごいんです。詳しくは、こちらをご覧ください。小さなお子さんだと泣き始めるかもしれませんね。シュールな芸風です。

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