『リスクの社会学』( Niklas Luhmann ・著、 小松 丈晃 ・訳)
▪︎今日は12日(月)、成人式で祝日です。しかし、大学は授業をやっている…と思って大学にいくと、今日は休みでした。法科大学院だけが授業で、他はすべて祝日で休みです。授業の15回確保という文科省からの指示があり、月曜日は祝日でも授業実施日になることがほとんどだったのです。しかし、今日は、違っていました…。
▪︎キャンパスに到着してから、愕然としました。ちょっとだけですけど(^^;;。休日、誰もいないキャンパスに来て研究室にこもることが、嫌いではないのです。卒論の添削やその他諸々で、年末の研究室の大掃除ができていなかったので、今日は、少し整理整頓を行いました。もう、これから残りの人生、かなりの確率で読む事はない書籍・報告書・雑誌の類を選び出しました。研究室のスペースは限られており、これ以上、書籍を書架に置くことができないのです。こういう単純な作業でも、残すのか捨てるのか考え始めるとけっこう時間がかかりました。ふと外をみると、すっかり暗くなっていました。
▪︎さあて帰宅しようと、建物の外に出たとき、私の研究室のある2号館のお隣り、理工学部がはいっている1号館の入り口あたりに照明がつけられていました。なんとなく、エエ感じやな〜ということで、iPhone6plusで撮ってみました。こういう暗い時間帯でも、iPhone6plusはけっこう思うように撮ってくれます。ありがたいですね〜。
▪︎まあ、そんな1日であったわけですが、1日の最後に、ニコラス・ルーマンの『リスクの社会学』の翻訳が出版されていることを知りました。翻訳者は、『リスク論のルーマン』の著者である小松丈晃さんです。私は、少しだけ小松さんと面識があります(東北社会学会)。ルーマンの『リスクの社会学』をベースに東北大学で学位を取得されたときに、小松さんの学位論文を送っていただき拝読していました。小松さんが、学位論文のなかで紹介されているルーマンのリスク論と、当時、私が執筆したばかりの論文、「地域環境問題をめぐる“状況の定義のズレ”と“社会的コンテクスト”-滋賀県における石けん運動をもとに」(『講座 環境社会学第2巻 加害・被害と解決過程』,有斐閣)とが、リスクに対する考え方で交錯するところがあり、そのことで小松さんと少しお話しをさせていただいたのです。その後、小松さんは、学位論文を『リスク論のルーマン』にまとめられました。この小松さんの著書は、大変評価の高いものになりました(日本の環境社会学者は引用しませんが、すぐれた研究書です)。私としては、はやく小松さんに『リスクの社会学』を翻訳していただきたいと思っていましたが、とうとうそれが実現しました。これまでは、英訳されたものを読んでいましたが、はやく小松さんにと、ずっと思っていたのです。
▪︎私の論文は、今でも時々引用されますが、引用の仕方がいつも「状況の定義のズレ」という概念に特化したものになっています。一度、ひとつのパターンで引用されると、そのパターンで繰り返されるわけです。今時の学会のよくないところかもしれません。きちんと個々の論文を読み込んでいないのです。本当にしっかり読んでいただきたいところは、もっと別のところにあります。リスクという概念で捉える問題が登場した時代状況や、リスクそのものに対する考え方でした。小松さんはさすがといいますか、そのあたりきちんと理解していただけたように思います。さっそく、小松さんの翻訳を読んでみようと思います。かつて取り組んでいた「石けん運動」の研究は、中途半端に中断していますので、刺激をいただき「再起動」したいと思います。
能勢の湯治場
▪︎世の中は三連休ですが、大学は、ちゃ〜んと授業があります。大学の関係者は働き者です…冗談です。それはともかく、土曜日に、自らを慰労しに奈良の近場の温泉を探していってまいりました。昨日は、老母の生活介護の日。妻も同行してくれました。そしていつもとは違って車ででかけることにしたのですが、車でいくのならばついでだからと、老母宅の近くにある温泉にはいりに行こうということになりました。ネットで探すと、ありました、ありました。それも、かなり鄙びた感じの温泉です。湯治場という雰囲気ですね。大阪府の能勢町にある「山空海温泉」です。能勢町は、大阪府の最北端に位置します。お隣は、京都の亀岡市です。田園風景が続きます。そのようなのどかな風景のなかの、川沿いの土地に「山空海温泉」はありました。建物の屋根に温泉マークです。
▪︎関西で、こういう雰囲気の温泉をみたことがありません。どこも観光化された温泉ばかり…。この鄙びた雰囲気は、岩手県に暮らしていたときに、訪れた温泉に似ています。観光客向けではなくて、集落が経営している温泉でした。ちなみに、ここは個人が経営されている温泉のようです。係りの方にお聞きしたところ、豊中にお住まいの方がオーナーさんで、その方が個人の資金で掘り当てたのだそうです。源泉かけ流しの温泉です。ただし、温度が少し低いため、加温しているようです。温泉らしい硫黄臭が少しします。エエ感じですね〜。ひさしぶりでした、こういう温泉は。入浴料は700円と、東北の鄙びた村の温泉と比較すると高めですが、こういう雰囲気も混みと考えれば(個人的な評価ですが)OKでしょうか。私個人は、大変満足いたしました。けっこうわかりにくいところにあるにもかかわらず、お客さんが次から次へとやってこられます。知る人ぞ知る…タイプの温泉のようです。
【追記】▪︎冒頭に、「世の中は三連休ですが、大学は、ちゃ〜んと授業があります」と書きましたが、月曜日は、大学も休みでした。今回については。次のエントリーにも書きましたが、そのことをわからずに、大学に出勤してしまいました。
「信貴山縁起」
▪年末から続いた卒論の指導・添削、そしてその指導・添削のために後回しにせざるすをえなかった原稿執筆の仕事が一段落しました。また、昨年の秋からの仕事の疲れもたまっていることもあり、日帰りではありますが、奈良県内のの温泉で自分を慰労することにしました。妻に「近場で良いところ…」を探してもらったところ、奈良県三郷町に信貴山観光ホテルという施設があり、そこは天然温泉(源泉の温度は30℃程度なので暖めていますが…)だということで、食事と温泉がセットになった日帰りコースを利用してみることにしました。ホテルは、混み合うこともなく、ゆったり温泉につかることができました。昼間からビールなどもいただき、すっかり気持ちよくなってしまいました。
▪︎信貴山観光ホテルで温泉につかり、食事をとって、ちょっと昼寝などもしたあと、近くにある朝護孫子寺にお参りしました。朝護孫子寺、ホテルの側からみると川を挟んだ向かい側にあります。初めて、お参りしました。奈良に転居してきたのが、30年近く前のことになりますし、大変有名なお寺ではありますが、このお寺にお参りするのは初めてでした(ちょっとお恥ずかしいことなのですが…)。しかも、この朝護孫子寺は、高校生の時、日本史で勉強した「信貴山縁起」とも深く関係があり、宝物館のような施設での絵巻物のレプリカを丹念に拝見することができました。絵巻物の物語、こういう内容だったのかと、大変満足いたしました。また、登場する人物の表情の豊かさにも驚きました。信貴山によせていただいたのは、インターネットで温泉を調べてヒットしたからで、たまたま偶然なのですが、とても勉強にもなりました。本堂からは、遠くに奈良盆地を眺めることができました。
▪︎「信貴山縁起」(信貴山縁起ともいいますが)、とても有名なのですが、『源氏物語絵巻』、『鳥獣人物戯画』、『伴大納言絵詞』と並ぶ四大絵巻物の1つということや国宝であるということを知りませんでした。今は、便利になったもので、その場でスマホを使って調べることができました。すでに書きましたように、昨日、観覧させていただいたのはレプリカですが、堪能させていただきました。トップと2枚目の写真は、wikimedia sommons からのものです。上が「山崎長者の巻(飛倉の巻)」、下が「延喜加持の巻」の、それぞれ物語のなかのワンシーンを描いたものです。どのような物語なのか、wikipediaの「信貴山縁起」のところに詳しく説明してあります。よろしければ、参考になさってください。
▪︎たまたま選んだ近場の温泉のそばにあった、有名なお寺…ということなのですが、勉強もできて私自身は大変満足いたしました。
シンポジウム「大津いじめ事件のあと」
■facebookにも同じ写真を投稿したところ、龍谷大学社会学部を卒業した後、教員になるべく京都教育大学の大学院に進学した卒業生から、「第三者委員会のメンバーとして、尾木先生と一緒に取り組まれている先生が院におられます。すごく、貴重な講演会ですね(^^)」とのコメントをいただきました。尾木先生とは、教育評論家として活躍されている尾木ママこと尾木直樹さんのことです。たくさんの皆さんのご来場をお待ちしております。
■詳しくは、以下をご覧ください。
龍谷大学社会学部学会シンポジウム 大津いじめ事件のあと~止められない暴力と向き合う社会へ~
開催日時
2015年1月15日 16:00 〜 2015年1月15日 17:30
開催場所
8号館103教室MAP
お問い合わせ
龍谷大学社会学部学会
龍谷大学社会学部学会シンポジウム
大津いじめ事件のあと~止められない暴力と向き合う社会へ~と き 2015年1月15日(木) 開場15時30分 開演16時00分
ところ 龍谷大学瀬田学舎8号館103教室
講 師 尾木 直樹(教育評論家、法政大学教職課程センター長・教授)
加野 芳正(香川大学教育学部・教授)
森澤 範子(大津市いじめ対策推進室・相談調査専門員)2014年10月11日、大津いじめ事件から3年を迎えた。加害者に対するネット上の批判や社会の反応も大きく、いじめ事件として社会的に強い影響を与えた事件である。また近年は、SNSを使ったいじめもメディアで多く取り上げられている。事件後、いじめに対する取り組みや社会、地域にはどのような変化があったのだろうか。いじめという怪物に立ち向かうために今、私たちにできることは何か。本シンポジウムでは、事件から3年、いじめ防止対策推進法公布から1年を迎え、もう一度いじめについて考え、向き合う場としたい。
入場無料 一般来場歓迎
2014年度の卒論提出
▪︎冬期休暇(冬休み)が終わり、授業は6日(火)から始まりました。とはいえ、学生のみなさんは、今月で授業は終了(龍谷大学は、たしか20日までだっでしょうか…)。4年生は、冬期休暇が終わるとすぐに卒論の提出ということになります。この卒論について、ちょっと愚痴をこぼします。
▪︎私のゼミでは、11月末までに草稿を書き上げて、12月は順番に添削指導をする…ということになっていたはずなのですが。ほとんどのゼミ生は、その約束を守れませんでした。本当はとっても嫌なのですが、仕方がないので自宅に草稿を送ってもらうことにしました。もう年末も押し迫ったころに、どっと卒論が送られてきました。私はといいますと、年末に開催された同窓会や忘年会、そして年が明けてからの新年会の合間に、ひたすら学生たちの卒論に赤ペンを入れる「難行苦行」に耐えなければなりませんでした。ゼミの4年生は、卒論を書き上げて清々しい気持ちで正月を迎えたことでしょうが…。
▪︎そして1月5月(月)には、添削した卒業論文を返却し、一人一人と面談をして口頭でも指導をしました。昼の13時から始めましたが、予想以上に時間がかかり、19時頃まで指導が続きました。非常に疲れました。この卒論の添削のために、自分自身の締め切りのある仕事が先延ばしになってしまいました。そちらの方は、なんとかギリギリにまにあわせることができましたが…。無理をして体はくたくたです。現在3年生のみなさん。来年は、こんな冬休みを私に過ごさせないでください。今年の4年生には、私の正月休みを返してもらいたいです。
▪︎とはいえ、全員卒論を提出できたので、ゼミの担当教員としては、ホッとしています。卒論の提出期間は、7日〜9日の3日間。ほとんどのゼミ生は中日の8日に集まって、お互いの卒論の仕上がりぐあいをみたあと(複数の眼でチェックする)、提出しました。1人は予定があわず、前日の7日に提出しました。そして最終日に残りの3人がなんとか提出できました。いや〜、ヒヤヒヤしました。本当に。
月と鉄道
■冬休みが、卒業論文の怒濤のような添削作業が、同窓会・忘年会・新年会とともに終わり、新年の仕事が始まりました。昨日は、今年初めての講義でした。残すは、あと1回。後期の授業のまとめをするだけです。4年生のゼミも、今日、全員で卒業論文を提出します(1人だけ都合がつかず、昨日、早めに提出しました)。
■年末に「脇田ゼミ」1期生、そして2期生の同窓会に呼んでいただきました。みなさん、立派になっておられました。同窓会ですから、「あの時、どうだった、こうだった…」というような昔話に花が咲きました。どういう昔話か、私のゼミのばあいは、やはり卒業論文ということになります。優れた卒論が書けた人のことだけでなく、ギリギリセーフだった人のことも。頑張った人からは、「卒論は大変だったけども、ちゃんと取り組んでよかった…と、今すごく思っています。本当に心の底から良かったと思っています。そういうことは、卒業してやっとわかるんでしょうかね。適当に過ごす大学生活よりも、勉強したって後になって自信持っていえますし」と卒業論文に関しての経験を語ってくれました。
■4年生は、あと、みんなで協力して卒業論文集を印刷・作成するだけです。そして2月の口述試問ですね。それで、4年間の大学生活が終了します。あとは、3月の卒業式を待つだけです。3年生は、現在、「北船路米づくり研究会」の活動を4年生から受け継ぎ、頑張って活動に取り組んでいます。もうじき、農事組合法人「福谷の郷」さんと平井商店さんのコラボによる今年の「純米吟醸 無ろ過生原酒 北船路」が販売されます。その予約確保に懸命になっています。頑張ってください。3年生の後輩、つまり4月から新3年生(現在2年生)は、19名に決定しました。後輩をきちんと指導する準備をしてほしいと思います。
■私の方はといいますと、昨年の秋から続いている忙しさが、年度末に向けて続きそうです。ちょっと健康管理にも気をつけないといけませんね。春休みの予定については、そのうちに「脇田の予定」でアップしようと思います。学生の皆さんは、それを見て、私に連絡をとってください。
■写真は、この文章とは特に関係ありません。昨日、帰宅時に、自宅の近くで撮った写真です。ちなみに、線路内に立ち入っているのではなく、踏切で撮影しました。iPhone6plusで撮りました。月の輝きが美しい晩でした。
『農山村は消滅しない』(小田切徳美・岩波新書)
▪︎ネットでこういうニュースを読みました。NHKのニュースです。一部を引用します。
住民の半数以上を高齢者が占め、存続が危ぶまれているいわゆる「限界集落」は国の調査で全国400か所以上に上り、中でも東北地方は50か所と中国・四国地方に次いで人口減少が深刻な過疎地が多く、集落維持のコストが課題となっています。
このため国土交通省は、集落を維持する場合と中心部に移しコンパクトな街づくりを進める場合のコストを比較し、実際の集落をモデルに検証することになりました。
▪︎国交省は、限界集落を維持するための、社会的費用がかかりすぎる…といいたいのでしょうね。「集落の維持にかかる道路や上下水道の費用やバスやゴミ収集車などのコストと、集落の移転に伴う費用を比較し移転でどれだけ節約できるのかを分析する」のだそうです。人口が集中している地域に住んでもらいたい、移転の費用を出すから、いまいるところを諦めて、町の方に暮らしてくれ…ということなのかもしれません。東北地方整備局の方は、「限界集落の問題は、住民の合意形成が難しくなかなか解決に向かわないが、『コスト』を見える形にすることで、集落再編を進める貴重なデータにしたい」とも話しておられます。
▪︎このようなコストだけが突出するような形での調査には違和感があります。単純に、集落維持に必要なコストと移転の費用を天稟にかけて判断することに違和感があります。限界集落の移転の話しは、その地域の歴史や状況、そして当事者の方たちの考え方を大切にしながらでないと進みません。コストの見える化だけの話しではないでしょう。移転するにしても、その移転先は、集落にとって馴染みのある地域なのか、それとも縁もゆかりもない地域なのかで、かなり違った話しになります。また、何代にもわたって暮らしてきたその土地の持つ意味、土地の「場所性」の問題についても、きちんと視野にいれないといけません。さらには、近くの町場に息子世代が暮らしているのかどうかといったことも、移転の問題にとっては重要になるでしょう。どのような地域を対象にした調査なのか、どのようなデータが収集されるのか、そのあたりもすごく気になります。特定の地域の事情が強く反映しているにもかかわらず、データだけが一人歩きしてしうことが怖いと思います。なんとか生き残ろうと頑張って村づくりに取り組んでいる地域がありますが、そのような地域にも、冷水をかけてしまうことにはならないのか…と心配しています。
▪︎この小田切徳美さんの『農山村は消滅しない』(岩波新書)は、このような政策的動向が既成事実化していく状況を批判的にとらえています。新書の帯には、「地方消滅論が見落とした農山村の可能性」と書いてあります。以下は、この新書の内容です。
増田レポートによるショックが地方を覆っている。地方はこのままいけば、消滅するのか? 否。どこよりも先に過疎化、超高齢化と切実に向き合ってきた農山村。311以降、社会のあり方を問い田園に向かう若者の動きとも合流し、この難問を突破しつつある。多くの事例を、現場をとことん歩いて回る研究者が丁寧に報告、レポートが意図した狙いを喝破する。
▪︎今は、時間的余裕がありませんが、近いうちに読んでみようと思います。
【追記】▪︎日本記者クラブで、小田切さんが講演されています。その講演がYouTubeにアップされています。
日本はどこに向かっているのか…
■内田樹さんの「2015年の年頭予言」(「内田樹の研究室」)を読んだ。私たちの国の向かっている方向や行末について語っておられます。暗い行末のなかで微かに明るい未来を確認するとしたら、絶望のなかで少しでも希望が持てるとしたら…そのような意味で大切な部分かと思いました。
統治システムが瓦解しようと、経済恐慌が来ようと、通貨が暴落しようと、天変地異やパンデミックに襲われようと、「国破れて」も、山河さえ残っていれば、私たちは国を再興することができる。私たちたちがいますべき最優先の仕事は「日本の山河」を守ることである。
■「国破れて山河あり」とは、杜甫の「春望」という漢詩からきています。杜甫は、安禄山の乱で長安の敵中に軟禁されました。この「春望」は、戦乱で荒れ果てた長安の春の景色を遠望し、変わらない悠久の自然と、国を混乱と破壊に陥れる戦乱を比べて、杜甫自身の不遇を嘆いた漢詩だといわれています。しかし、内田さんは、ここで「山河」を次のように説明しています。あえて、絶望のなかの希望のみを引用します。
日本の言語、学術、宗教、技芸、文学、芸能、商習慣、生活文化、さらに具体的には治安のよさや上下水道や交通や通信の安定的な運転やクラフトマンシップや接客サービスや・・・そういったものも含まれる。
日本語の語彙や音韻から、「当たり前のように定時に電車が来る」ことまで含めて、私たち日本人の身体のうちに内面化した文化資源と制度資本の全体を含めて私は「山河」と呼んでいる。
外形的なものが崩れ去っても、「山河」さえ残っていれば、国は生き延びることができる。
自分の手元にあって「守れる限りの山河」を守る。
それがこれからの「後退戦」で私たちがまずしなければならないことである。
それが「できることのすべて」だとは思わない。
統治機構や経済界の要路にも「目先の権力や威信や財貨よりも百年先の『民の安寧』」を優先的に配慮しなければならないと考えている人が少しはいるだろう。
彼らがつよい危機感をもって動いてくれれば、この「後退戦」を別の流れに転轍を切り替えることはあるいは可能かも知れない。
谷川清澄さん戦争証言
■「みんなの戦争証言アーカイブス」が提供されている動画を貼付けます。貼付けたのは、現在98歳の谷川清澄さんです。谷川さんは、以下のサマリーをお読みいただければわかりますが、海軍の兵士として従軍されました。
大正5年、福岡県に生まれ佐賀県で育った。「侍か軍人でなければ人でない」と言われた佐賀での暮らし。海が好きで、軍隊に憧れていたという少年は海軍兵学校を目指す。人々が自由を謳歌し文化を育んだ大正デモクラシー。「あれで空気が緩んだ」と谷川青年は時代の空気に厳しい目を向ける。アメリカを仮想敵国とした兵学校での厳しい訓練に耐え、21歳で卒業。分隊長として駆逐艦に乗員した3年後の昭和16年、日米開戦を迎え出撃。ミッドウェー海戦では水雷長として、米国艦隊との激しい戦闘の渦中に。空からの波状爆撃で炎上し自走できなくなった空母「赤城」を沈めたのは、谷川さんが発射した魚雷だ。轟沈する赤城に取り残された1人の水兵の影が見えたという。「30年は夢に出てきた」という。日米開戦前夜から終戦までを一貫して海軍兵士として闘い、見つめてきた谷川さんの証言は貴重だ。ミッドウェーでの作戦は事前に漏れていたーー。谷川さんが目の当たりにした衝撃的な大本営の舞台裏も。
■学生の皆さんにも、しっかり視ていただきたいと思います。