日本はどこに向かっているのか…

■内田樹さんの「2015年の年頭予言」(「内田樹の研究室」)を読んだ。私たちの国の向かっている方向や行末について語っておられます。暗い行末のなかで微かに明るい未来を確認するとしたら、絶望のなかで少しでも希望が持てるとしたら…そのような意味で大切な部分かと思いました。

統治システムが瓦解しようと、経済恐慌が来ようと、通貨が暴落しようと、天変地異やパンデミックに襲われようと、「国破れて」も、山河さえ残っていれば、私たちは国を再興することができる。私たちたちがいますべき最優先の仕事は「日本の山河」を守ることである。

■「国破れて山河あり」とは、杜甫の「春望」という漢詩からきています。杜甫は、安禄山の乱で長安の敵中に軟禁されました。この「春望」は、戦乱で荒れ果てた長安の春の景色を遠望し、変わらない悠久の自然と、国を混乱と破壊に陥れる戦乱を比べて、杜甫自身の不遇を嘆いた漢詩だといわれています。しかし、内田さんは、ここで「山河」を次のように説明しています。あえて、絶望のなかの希望のみを引用します。

日本の言語、学術、宗教、技芸、文学、芸能、商習慣、生活文化、さらに具体的には治安のよさや上下水道や交通や通信の安定的な運転やクラフトマンシップや接客サービスや・・・そういったものも含まれる。
日本語の語彙や音韻から、「当たり前のように定時に電車が来る」ことまで含めて、私たち日本人の身体のうちに内面化した文化資源と制度資本の全体を含めて私は「山河」と呼んでいる。
外形的なものが崩れ去っても、「山河」さえ残っていれば、国は生き延びることができる。

自分の手元にあって「守れる限りの山河」を守る。
それがこれからの「後退戦」で私たちがまずしなければならないことである。
それが「できることのすべて」だとは思わない。
統治機構や経済界の要路にも「目先の権力や威信や財貨よりも百年先の『民の安寧』」を優先的に配慮しなければならないと考えている人が少しはいるだろう。
彼らがつよい危機感をもって動いてくれれば、この「後退戦」を別の流れに転轍を切り替えることはあるいは可能かも知れない。

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