仰木の棚田
■昨日は、プライベートな用事があり、妻とともに滋賀に出かけました。たまたま、昨日は自家用車で向かいました。大津市の仰木の近くを通ったとき、「そうだ、全国的にも有名な『仰木の棚田』を見学してみよう」と思い立ちました。「仰木の棚田」を見学するのはひさしぶりでした。龍谷大学に赴任した頃ですから10年程前のことでしょうか、山に戻ってしまった山奥の棚田を復元する作業のボランティアだったかと思います。現在、仰木ではボランティアを受け入れた棚田の保全活動が行われているようですが、当時は、まだ模索段階だったかたと思います。
■その前にも「仰木の棚田」を訪問したことがあります。それは、今から20数年程前のことになろうかと思います。当時、私は滋賀県立琵琶湖博物館の開設準備室に勤務していました。仕事の関係でお知り合いになった、昆虫写真家の今森光彦さんとご一緒させていただきました。仰木には今森さんのアトリエがあるのですが、そこにもお邪魔しました。おそらく、仰木の棚田と人びとの暮らしを写した写真集『里山物語』(木村伊兵衛賞受賞)が出版された頃だったかと思います。今森さんとは、仰木のお隣の伊香立の方にもでかけました。懐かしい思い出です。そのようなことも思い出しながら、おぼろげな記憶を頼りに棚田の狭い道を走りました。
■「仰木の棚田」は、琵琶湖の湖岸からの傾斜地をあがったところの丘陵地にあります。丘陵地の高低差によりそうようにひろがっています。棚田の境目には樹や樹の茂みもみられて、独特の美しさを感じさせます。遠くには、かすかに琵琶湖を望むこともできます。昨日は、台風のせいで雲が垂れ込めていました。青空のときとはまた異なる、棚田の風景は不思議な魅力を放っていました。今森さんの写真集で全国的に有名になった「馬蹄形の棚田」も、もちろん健在でした。仰木の棚田は、丘陵部だけでなく、山の谷筋のかなり奥の方までも続いています。かなり奥の棚田でも、きちんと耕作がなされ、稲が成長していました。同行してくれた妻が、そのような棚田を眺めながら「こんな奥までどういう人が耕しているんやろね」とつぶやくようにいっていました。こんな山奥の棚田だと作業が非常に大変だろうな…という思いから出たつぶやきなのでしょう。私自身も、立派に手入れをされていることに驚きました。
再掲「川・霧・地震・水・竹―ウイスキーの背景―」(2008/11/4)
▪︎大学の本部のある深草キャンパスの近くに、「軍人湯」という銭湯があります。まだいったことはありませんが、その名前が気になっています。伏見区の深草には、「大日本帝国陸軍第十六師団」が存在していました。この十六師団の練兵場の跡地は、現在、龍谷大学の深草キャンバスと京都府警警察学校になっています。そういうわけで、龍谷大学の周囲の伏見区の深草界隈は軍事的なエリアでもありましたて。さて、「軍人湯」ですが、京阪の駅としては藤森駅の近くになります。かつて、この銭湯の周囲には兵舎が並んでいたてことから、このような銭湯の名前になっていようなのです。興味深いですね。大学のある伏見区、深草界隈の近現代の歴史について、もっと勉強してみたいと常々思っています。
▪︎さて、この「軍人湯」に関して短い投稿をfacebookにしたのですが、すると同僚の先生からコメントをいただきました。「銭湯も京都名物のようですね。京都通の旅行者によると『地下からくみ上げた水がまろやか』なんですって」。それに対して、「しかも京都の地下は、巨大な水瓶ですからね‼︎」とお返事しました。そうなんです。京都は地下水が豊富なんです。そうリプライさせていただいたとき、現在は「塩漬け状態」になって更新が停止しているブログに、「川・霧・地震・水・竹―ウイスキーの背景―」という記事を投稿していたことを思い出しました。2008年11月4日に投稿したものですから、もう7年近く昔のことになりますね。せっかくですから、その記事をここに掲載することにしました。以下が、その記事です。本文中に登場する「ryotaさん」とは、当時の私のブログにいつもコメントをくださっていた方です。いろいろ深い見識をお持ちの方で、私自身、ryotaさんのコメントをいつも楽しみにしていました。
■少し前のことになりますが、エントリー「サントリー・オールド」(2008/10/19)に、ryotaさんから今回は以下のようなコメントをいただきました。ryotaさんは、このブログが扱う、かなり広い意味での「環境」の話題に対して、いつも前向きにコメントをくださいます。
—————————
「名酒がつくられる場所は人間にとっても気持ちのいい場所なのだろうか?というテーマだと各地の酒蔵を巡ったりして楽しく追求できそうだなと想像しています。」「『アースダイバー』ふうにみると、『山崎』というのは天王山の『崎』、三川合流に臨んだ『サッ』に位置する特別な場所といえるのかもしれません。」
—————————■いただいた2つのコメントのうち、前者については、中国でいうところの「気」の問題とも深く関係していると思いますし、このテーマでアースダイビングしてみると、飲兵衛の私のばあい趣味と実益(という趣味)をかねていて大いに結構ということになるのですが、悲しいことに、そのアプローチを深めていくだけの知識や教養がありません(アースダイビングについては、ちょっと読むのが大変かもしれませんが、こちらをご覧ください)。後者については、「あっ…」と、ちょっと驚きました。山崎は、天王山という山の先っちょ、ということですよね。う~ん、そうか。このブログで、ずいぶんアースダイビングなんて書いてきたにもかかわらず、私には、そういう発想がありませんでした。ryotaさんからいただいたコメントに、真正面からお応えすることができないわけですが、それでも、非力なりに少しだけ書いてみたいなという気持ちになりました。サントリー・オールドの背景について書いてみることにしました。
■上の画像をご覧ください。トップの写真に、少しばかり知名等を入れてみました。ここは、桂川、宇治川、木津川の3つの河川が合流する三川合流地点です。この三川合流地点あたりの北西(左上)には天王山が、そして南西(右下)には男山があります。天王山については、Wikipediaでは、次のように解説しています。
——————————————–
京都盆地の西辺となる西山山系の南端に位置し、東の男山とのあいだで地峡を形成する。この地峡には、桂川・宇治川・木津川が合流して淀川となる川の流れに沿って、右岸にJR京都線(東海道本線)、東海道新幹線、阪急京都線、国道171号(旧西国街道)が、左岸に京阪本線、旧国道1号(現・府道13号京都守口線、旧京街道)と、かつて水上交通路であった川筋をふくめて、近畿最大の大動脈である京阪間のほぼ全ての交通路が含まれる。また、その京都府側では名神高速道路の大山崎JCT/ICがあり、名神高速道路のバイパス機能を持つ京滋バイパスが宇治・滋賀(名神瀬田東JCT)方面へ分岐する。また、当地は、豊富な地下水に恵まれており、南麓の大阪府側にサントリー山崎蒸留所が所在することでも有名。関西地方では名神高速道路の渋滞箇所で有名な天王山トンネルの知名度が高い。
——————————————–■この「地峡を形成する」ってとこが、なんだかすごいな~。これまで、地峡だなんて考えたことはありませでしたから…。wakipediaの定義は、「二つの陸塊をつなぎ、水域にはさまれて細長い形状をした陸地」です。地峡といえば、スエズ地峡やパナマ地峡しか頭に浮かびませんでしたから…。この天王山、本能寺の変で織田信長を討った明智光秀と羽柴秀吉が戦った「山崎の戦い」で有名です。スポーツの勝敗の行方に関して、よく天王山という言い方をしますが、ここからきています。といっても、お恥ずかしいお話しですが、そのことを知ったのはずいぶん大人になってから、それもオジサンと呼ばれてもよい年齢になってからでした…。まあ、こんなふうに書いても、ご理解いただけるのは、関西在住の皆さんということになりますから、少し、全体の状況がわかるように、もう一枚画像を用意しました。現在は干拓されましたが、かつて存在した巨椋池のおおよその位置も円で示しておきました。
■このような地形の特徴をご理解いただいたうえで、次の説明をお読みいただけますでしょうか。以下は、サントリーのサイト内にある「ジャパニーズウイスキー物語 第二話 研鑽が生んだ傑作」にある説明です。
—————————————–
鳥井信治郎はスコッチ製造法に関する文献から、土地の重要性を学んでいた。良い原酒は良い水が生み、良い熟成は良い自然環境なしにはあり得ない。その確信をもとに、全国の候補地から選ばれたのが京都郊外の山崎だった。
山崎は北に天王山を背負い、対岸の男山をはさんで桂川、宇治川、木津川が合流する。三川の水温が異なる上に、大阪平野と京都盆地が接する、狭まった自然の関門にあるため霧が発生しやすい。この湿潤な気候が貯蔵熟成に好影響を与える。
また千利休の愛した水がある。天王山に広がる竹林の下からは良質な水が湧き出している。利休はこの清水で茶を点て、侘び茶の第一歩を記している。
最終的にはこの水が決め手となった。当時のスコットランドの醸造学の権威、ムーア博士から「山崎の水は、ウイスキーに最適の水」の検査報告を得られた。
—————————————–
■なるほど~。霧ですか。霧が生みだす湿度がウイスキーの熟成に必要なわけですか。「狭まった自然の関門」、つまり上でみた地峡ですね。それから「三川の水温が異なる」ってところがポイントのようです。調べてみると、霧の発生には、①空気中に凝結核が多い、②水蒸気量が十分である、③空気を冷却する、この3つの条件が必要だといいます。この3つの条件についてはよくわかりますが、三川の水温が違うとどうして霧が発生しやすいのでしょうか。う~ん、わかるようで、ちょっとわからない部分があります…(ちょっと、理解できなくて気持ち悪いのですが…どなたか教えてください…)。まあ、それはともかく、サントリー山崎蒸留所の水野めぐみさんが運営されているブログ「山崎蒸留所ブログ」のエントリー「霧の山崎」で、この霧が発生している状況をご覧いただけます。■さて、もうひとつは水です。さきほどのサントリーの解説では、「天王山に広がる竹林の下からは良質な水が湧き出している。利休はこの清水で茶を点て、侘び茶の第一歩を記している」とあります。この点についても、少し調べてみました。尾池和夫さんのホームページのエッセーで興味深い記述をみつけました。尾池さんは、京都大学の総長をつとめられた地震学者ですが、俳人でもいらっしゃいます。月刊俳誌「氷室」に、「京都の地球科学」という連載エッセーを、1994年5月からずっと続けておられます。この連載の23番目のエッセー(1996年3月号)「京都の水」です。
———————————————–
京都の有名な茶席を市の地図に記入すると、それらは南北に三列に並んでいることがわかる。東山の山麓に、北は大原三千院から、銀閣寺の東山殿お茶の井、菊の井、清水寺の南の延命水、東福寺、その南の金湧水まで並ぶのが花折断層系、市中の裏千家、表千家から菊水、芹根井までの列が伏流水、西の天竜寺や西芳寺が西山断層系の水である。
———————————————–
■う~ん、なるほど。尾池さんの解説を地図に落とすと、上の画像のようになります。黄色が花折断層系、水色が伏流水、ピンクが西山断層系です。じつにはっきりわかります。気になったところを、大変乱暴にまとめると…。
———————————————
①「京都の名産である京扇子」
↓
②「原料は竹」
↓
③「竹は活断層の破砕帯や扇状地の補強のために植えられる」。
——————————————–それから…
——————————————–
①「水と地震は深い関係にある」
↓
②「おいしい酒が作られる所は大地震の起こる所である」(伏見の地下水=伏し水)
↓
③「千年から数千年に一度ずれた活断層に沿って岩盤は深くまで破砕されていて、そこを地下水が大量に流れている」
↓
④「天王山麓の山崎蒸留所と千利休の妙喜庵」
↓
⑤「有馬-高槻構造線は、大地震を繰り返し起こしてきた活断層」。
——————————————–■いや~、竹と水と酒(伏見の日本酒、山崎のウイスキー)がつながってくるわけですね。サントリーのホームページのなかで、作家・椎名誠さんの「シングルモルトウイスキーの旅」というタイトルのエッセーを読むことができます。その第5回目は「山崎 勇躍編」です。ここにも竹のことが登場します。椎名さんは、山崎蒸留所の裏山を登ったときのことをレポートされています。その最後には、「山崎峡は昔から豊富な竹林に覆われて、これが良質の水を蓄えていた。その湧水がうまいウイスキーのもとになる」と書かれています。しかし、尾池さんの説明によれば、竹が良質の水を蓄えてきたというよりも、「竹は活断層の破砕帯や扇状地の補強のために植えられ」たのであり、「活断層に沿って岩盤は深くまで破砕されていて、そこを地下水が大量に流れている」ということになります。なるほど~。勉強になります。冒頭に書きましたように、ryotaさんからいただいたコメントとうまく結び付けてエントリーすることはできませんでしたが、個人的には、いろいろ勉強になりました。そういう意味で、ryotaさんに感謝、です。
■このような話題は、社会学とはまったく関係のないことであり、地理学や地学等の話題になってくるわけですが、私自身は、それぞれの地域の社会を特徴づけているこのよう制約条件は、環境社会学の枠組みのなかで考えていることともつながっていると思っています。近代社会は、このような環境がもつ制約条件を制御する方向で展開してきました。実際には、「制御できている」と思い込む方向で…という方が、より正確かもしれませんね。そして、近代社会から生まれた社会学も、このような制約条件を無視しがちです。しかし、環境の研究を進めていると、普段は無視している/気が付かないそのような制約条件を、強く意識せざるを得ないことがたびたびおこります。
ぼてじゃこトラストの記念シンポジウム
▪︎本日の午前中は、ボランティアの皆さんと一緒に自治会の夏祭りの後片付けをして、午後は大津市南郷の「アクア琵琶」に移動しました。この「アクア琵琶湖」を会場に、発足20年を迎えた市民団体「ぼてじゃこトラスト」の記念シンポジウムが開催されたからです。20年も地道に活動を継続しながら成果もあげていく…とてもすごいことだと思います。私は、お祝いの気持ちとともに参加させていただきました。この「ぼてじゃこトラスト」は、環境の変化や外来種の増加で激減したぼてじゃこ(タナゴ)の調査を行うとともに、子どもたちへの環境教育活動にも取り組んでおられます。
▪︎今日のシンポジウムでは、琵琶湖や琵琶湖流域に関わって活動をされている小中高生を中心とした団体が活動報告をされました。「ぼてじゃこワンパク塾」、「アイキッズ」、「ホタルの学校」の3団体の皆さんです。それぞれの団体のみなさんの活動のレベルの高さに驚きました。素晴らしい。活動報告のあとは、前滋賀県知事・びわ湖成蹊スポーツ大学学長の 嘉田 由紀子さんが基調講演をされました。嘉田さんのファンの方達がたくさんいらしゃっていたようで、真剣にメモを取りながら聞いておられました。そのあとのパネルディスカション、残念ながら、夕方から自宅マンションの管理組合の理事会があるため、聞かせていただくことができませんせでした。途中で会場を後にしました。「滋賀の川遊び、雑魚取り文化を次世代につなげよう!!」というテーマでのディスカッションだったようです。残念ですね〜。でも、総合地球環境学研究所のPD研究員の浅野さんが来てくれていたので、彼にどのようなディスカッションだったのかをあとで聞かせてもらうことにしたいと思います。このパネルディスカッションのテーマ、すごく大切なテーマだと思っています。
2015「びわコミ会議」
▪︎昨日は、大津市の「コラボしが21」で、「びわコミ会議」が開催されました。琵琶湖に関わって活動をしている人びとが一堂に会すると同時に、琵琶湖の現状を知るための「大交流会」です。この「びわコミ会議」ですが、「マザーレイク21」と呼ばれる琵琶湖総合保全整備計画との関連で開催されています。詳しくは、こちらをご覧ください。私は、参加している総合地球環境学研究所のプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」のメンバーと参加しています。
▪︎午後のセッション「びわ湖のこれから話さへん?」では、様々なテーマに分かれてグループ・ディスカッションを行いました。地球研のプロジェクトリーダー奥田昇さんと、PD研究員の浅野さん、サブリーダーである京都大学生態学研究センターの谷内茂雄さん、そして私で担当したのは、「野洲川と人びとのつながり」に関するグループです。野洲川上流、甲賀市の丘陵地帯にある農村、そして野洲川下流の守山市にある農村からお越しの、3人の農家の皆さんにお話しを伺うことができました。特に話題になったのは、お3人がまだ少年だった昭和20年代の話しです。河川改修や圃場整備事業が実施される以前の、「魚つかみ」「魚食」の文化の豊かさについていろいろお話しを伺わせていただきました。皆さん、大変楽しそうにお話しになりました。私自身も、とても興奮しました。野洲川流域の上流、野洲川の下流と、お住まいの農村はもちろん、「魚つかみ」をしていた河川の状況や、つかんだ魚の種類も全く違っているわけですが、「もっと話しをしていたい」とおっしゃるぐらいに話しあいは盛り上がりました。村の中で昔話をすることはあっても、他所の村の方たちと話しをした経験はないそうです。必ず、また、こういう盛り上がることのできる「場」を設けること、お約束いたしました。
▪︎「びわコミ会議」の最後まではいることができませんでした。自分の所属する自治会で「夏祭」か開催されており、そこでボランティアとして焼きそばを作らなければならなかったからです。あとで、プロジェクトリーダーの奥田さんに聞いたところ、琵琶湖に関わって活動をしている人びとが一堂に会する「大交流会」である「びわコミ会議」らしく、いろんな方達との今後の協働の可能性が見えてきたようです。こういう人びとの連携が生まれるとこも、この「びわコミ会議」の魅力かなと思います。
夏期休暇中に総合地球環境学研究所へ
▪︎大学の一斉休暇明、深草キャンパスと瀬田キャンパスに出勤しましたが、今日は大学ではなく総合地球環境学研究所へ向かいました。今年度、下半期の予算の計画的な執行にあたっての打ち合わせです。いつのまにやら研究プロジェクトの「人間社会班」というザクッとした名前の班リーダーになっていることから、地球研の職員ではありませんが、けっこう細々したことを調整しなければなりません。夏期休暇中は、けっこう頻繁に地球研に通っています。まず、旅費を確定するために、フィリピンで行う海外調査と、国内の宍道湖や八郎湖で行う調査の日程を決めました。優秀なPF研究員がいてくれるので、なんとかなっていますが…、そのように人材がいても研究プロジェクトのマネジメントはなかなか大変…なわけです。もちろん、大学の仕事とのバランスや調整も難しいのですし…。
▪︎休憩しに研究所の庭に出ると、私たちのプロジェクトの調査地である甲賀市甲賀町小佐治から頂いた稲が成長していました。少しずつ成長して、稲穂らしくなっきていました。こんなふうに、私たちの研究プロジェクトも成長発展すればよいのですが、なかなかそういうわけにはいきません。少しずつしか前進できません。とはいえ、前向きに、誠実に、研究プロジェクトに取り組んでいます。
イタリアンな昭和の居酒屋
▪︎昨日は、瀬田キャンパスの研究部に一日詰めていました。いろいろ、雑多なことを済ませクタクタになり、さて帰宅しようと思うと夕方になっていました。「そういえば、今日は、晩御飯がなかった」と思い出しました。妻が友人と食事を楽しみに出かけたていたからです。ということで、いつもの駅前の居酒屋「利やん」へ。そういえば、ひさしぶりに「利やん」の話題です。
▪︎「利やん」のマスター、体調を調整中で、代打の料理人の方がカウンターに入っておられます。マスターが全幅の信頼を置いておられる料理人です。この方、この「利やん」のご常連の息子さんです。イタリア料理を修行されてきた方です。そういう方が、「昭和の居酒屋」である「利やん」で料理をすると、「和」と「イタリアン」のコラボレーションのような料理が生まれます。写真は昨日いただいた料理です。
▪︎トップは豚肉のローストにジェノベーゼ風ソースをかけたものです。ジェノベーゼソースとは、本来、香草であるバジルの葉と、松の実、チーズ、オリーブオイルをもとに作りますが、今回のソースはジェノベーゼ風です。バジルはシソ科の植物です。ですから、シソと風味が似ています。シソを細かく刻み、そこに粉チーズとニンニクを入れ、オリーブオイルを加えてあります。松の実は、高いので無し…とのことでした(笑)。ジューシーな豚肉とこのソースが口のなかでよくからみ、非常に美味しかったです。
▪︎下の左の写真。これはジャガイモ料理です。「利やん」はおでんが名物の居酒屋ですので、おでんのジャガイモを流用しています。やはりバジルのかわりにシソを使ったソースですが、こんどはイカの塩辛をきざんだものが入っています。通常は、アンチョビかなにかを使うそうですが、今回は、お店にあるイカの塩辛です。これも美味しかったな〜。最後、下の右の写真ですが、鶏肉のローストなんですが、味噌をベースにしたソースがかかっています。
▪︎代打の方は、昨日が最後のお仕事でした。本日より、マスターが復活されます。よかった。めでたし、めでたし。
【追記】▪︎「利やん」は、私にとって、いろんな意味で大切な「場所」です。昨日は、よく存じ上げているご常連と、その奥様、奥様のお友達が一テーブル囲んでおられました。年上のお姉様方になるわけですが、北船路で生産している「龍大米」(コシヒカリ)に強い関心をもってくださいました。10月の「北船路野菜市」では、新米も販売します。ぜひ、お買い求めいただき、龍大米の味を試していただきたいと思います。また、カウンターに座っていた若い青年は、大阪の方。純米吟醸「北船路」が好きで、これまでも何度も「利やん」に来てくださっているようです。私のゼミが、この純米吟醸酒をプロデュースしたとことを知って、いろいろ質問をしてくださいました。昨晩は、「利やん」で「北船路米づくり研究会」の宣伝をずいぶんさせていただきました。
龍谷大学第5次長期計画 第2期中期計画
■一斉休暇明け、昨日は深草キャンパスの研究部に出勤しましたが、今日は瀬田キャンパスの研究部に出勤しています。研究室で仕事をしてもよいのですが、現在、この酷暑のなかで研究室の空調が故障しております。私の研究室は2号館という建物の3階にあります。3階建の3階ですから、真夏は空調なしでは耐えられません。今日は、雨模様の天気で比較的気温は低いのですが、それでも研究室の内部は34℃になってしまいます。これでは、体調を崩してしまいます。ということで、研究部に避難して、仕事をさせてもらっています。
■今日は、メールボックスに「龍谷大学第5次長期計画 第2期中期計画」という冊子が投函されていました。教職員全員に配布されたものだと思います。龍谷大学では、1970年代から長期計画に基づき大学運営に取り組んできました。現在の第5次長期計画は2010年度から展開しています。その前半期の「第1期中期計画」が2014年度で終了し、2015年度からは、後半期である「第2期中期計画」に取り組んでいます。この「第2期中期計画」のことを、学内では「2中」と呼んでいます。「2中」では、「第1期中期計画」に取り組むなかで明らかになった課題、外部環境の変化や文教政策動向などを勘案し、新たに31項目にわたるアクションプランを策定しています。以下は、ごく一部を紹介したいと思います。
■「2中」では新たな評価方法が導入されました。重要行政評価指標(KPI= Key Performace Indicator)です。評価についても、できるだけ客観的な数値でということです。定性的要素に依存する事業についても、間接的に定量化できる事業をもって評価指標・基準を設定することになっています。なかなか厳しいです。31項目のアクションプランのうち、研究部のアクションプランは、「特色ある研究体制の確立」と「外部研究資金の獲得および研究活動の充実強化に向けたスキームの確立」です。前者では、龍谷大学らしさを備えた研究の特色化に資するものとして、「世界仏教文化研究センター」における活動の実質化と広報体制の確立、そして強みのある研究を推進するための学内支援制度の見直し、新しく開学した農学部の教学資源を活用した研究・社会連携方策の展開していくことになっています。現在、「世界仏教文化研究センター」のプロデュース作業に、必死で取り組んでいます。後者の「外部研究資金の獲得および研究活動の充実強化に向けたスキームの確立」では、外部資金獲得に向けて、新たなインセンティヴ要素の充実、科研費獲得に向けた諸制度の充実・整備、外部研究資金獲得・誘致に向けた体制の整備をおこなっていきます。農学部が開設されたことで、科研費の獲得金額がかなり伸びています。外部研究資金の獲得も増えています(一般には、理科系学部の多いところほど、また理科系学部の規模が大きいほど、科研費の獲得金額は高くなります)。
■この「龍谷大学第5次長期計画 第2期中期計画」を睨みながら、改めて、研究部としての展開を考え、頭のなかを整理しています。巻末言のタイトルは、「『大学冬の時代』における成長戦略としての5長、そしてポスト5長期」です。18歳人口が減少するなかで、大学という業界には、かつての右肩あがりの時代の呑気さは微塵もありません(そのはずです…大学から給与を得ている者は、そうでないといけない)。この厳しい状況のなかで、どう生き残り、どう成長していくのか、大変困難な課題かと思いますが、知恵を絞り、汗をかきながら前進するだけです。
西粟倉村のこと
▪︎つい先日、知り合いの新聞記者から問い合わせがありました。仕事上の問い合わせというよりも、個人的に意見を聞かせてほしい…という感じでしょうか。このような質問です。「日本創成会議が提唱している東京圏から地方への移住呼びかけについてはどう思うか?」。この「移住の呼びかけ」については、以下の日本経済新聞の記事をご覧ください。
民間有識者でつくる日本創成会議(座長・増田寛也元総務相)は4日、東京など1都3県で高齢化が進行し、介護施設が2025年に13万人分不足するとの推計結果をまとめた。施設や人材面で医療や介護の受け入れ機能が整っている全国41地域を移住先の候補地として示した。
創成会議は「東京圏高齢化危機回避戦略」と題する提言をまとめた。全国896の市区町村が人口減少によって出産年齢人口の女性が激減する「消滅可能性都市」であるとした昨年のリポートに次ぐ第2弾。
東京、神奈川、千葉、埼玉の1都3県では、今後10年間で75歳以上の後期高齢者が175万人増える。この結果、医療や介護に対応できなくなり、高齢者が病院や施設を奪い合う構図になると予測した。解決策として移住のほか、外国人介護士の受け入れ、大規模団地の再生、空き家の活用などを提案した。
移住候補地は函館、青森、富山、福井、岡山、松山、北九州など一定以上の生活機能を満たした都市部が中心。過疎地域は生活の利便性を考え、移住先候補から除いたという。観光地としても有名な別府や宮古島なども入っている。
高齢者移住の候補地域は以下の通り(地名は地域の中心都市。かっこ内は介護施設の追加整備で受け入れ可能になる準候補地域)。
【北海道】室蘭市、函館市、旭川市、帯広市、釧路市、(北見市)
【東北】青森市、弘前市、秋田市、山形市、(盛岡市)
【中部】上越市、富山市、高岡市、福井市、(金沢市)
【近畿】福知山市、和歌山市
【中国】岡山市、鳥取市、米子市、松江市、宇部市、(山口市、下関市)
【四国】高松市、坂出市、三豊市、徳島市、新居浜市、松山市、高知市
【九州・沖縄】北九州市、大牟田市、鳥栖市、別府市、八代市、宮古島市、(熊本市、長崎市、鹿児島市)
▪︎いかがでしょうか。なるほどと思われる方もいらっしゃるかと思いますが、私は、この提案内容に納得がいきませんでした。一極集中している東京の視点から語られているからです。乱暴にいえば、東京=大都市の論理に地方を従属させて消費しようとしているかのようです。移住とは、そんなに簡単なものでしょうか。高齢者の移住に関していえば、身体の弱ってきた人たちほど、移住は難しいと思います。移住してそこに根を生やして、その土地の人たちといろんな関係を作り、その地域になんらかの貢献をして…そういうプロセスを経ることが移住には必要だと思っているからです。このよう提案は、「物価の安い海外で優雅に暮らそう」という発想と、ほとんどかわりはありません。知人の新聞記者に教えていただきましたが、かつて「シルバーコロンビア計画」というものがあったそうですね。wikipediaで申し訳ありませんが、以下のように説明されています。「1986年に通商産業省のサービス産業室が提唱した、リタイア層の第二の人生を海外で送るプログラムを指す。正式名称『シルバーコロンビア計画”92”-豊かな第二の人生を海外で過ごすための海外居住支援事業』。『92』が付いているのは、目標年次を1992年としていたため。結局は、『計画』どまり、『構想』レベルに終わった」。また、もっと以前に遡れば、「南米への移住」等の政策についても、同様の考え方のように思います。
▪︎そのようなやり取りを、知人の新聞記者としたあと、facebookでひとつの記事をみつけました。岡山県にある西粟倉村に関する記事です。西粟倉村は、岡山県の最北東端に位置し、兵庫県・鳥取県と境を接する村です。記事は、「ニシアワー」という名前がついたサイトです。西粟倉村の挑戦者たちの活動を伝えるサイトです。こう紹介されています。
ぐるぐる、めぐる。生態系の循環に寄り添う地域作り
ニシアワーは、岡山県西粟倉村の挑戦者たち活動をお伝えするメディアです。2008年、西粟倉村で50年後(2058年)を目指す「百年の森林構想」が掲げられました。50年後を目指す冒険の物語は、ローカルベンチャーと呼ばれる挑戦者たちが村に眠っている可能性を発掘していくこと、そして挑戦者たちを見守ってくださる応援者を増やして行くことによって成立し、前進していきます。
■「なんだか、おもしろいぞ!!」と思わせる力のようなものを感じました。西粟倉村の主産業は林業てす。しかし、多くの国内の地域と同じく林業になかなか展望を見いだせない状況にありました。そのような厳しい状況にありながらも、西粟倉村は2004年に合併を阻み、独自の道を歩み始めます。2008年には「百年の森林構想」を打ち出し林業と地域と人の再生をはかっていきます。この「百年の森林構想」の経緯にいて説明した文書を引用してみます。
西粟倉村は、2004年に合併を拒み、村として自立していく道を選択しました。スケールメリットよりもスモールメリット。小さな村だからこそ実現できる未来があるはずだ。大都市、大企業の下請けにはならない、自立した循環型の地域経済を目指すべきだ。2004年以降、議論を積み重ねるなかで、目指すべき方向が徐々に言語化されていきました。
2005年には「心産業(しんさんぎょう)」というコンセプトが打ち出されます。心の生態系の豊かな村へ。心のつながりを大切にしながら、価値の創出と交換が行われる地域経済へ。(中略)仕事がないから過疎化する。だったら仕事を生み出そう。地域資源から仕事を生み出していける起業家型人材の発掘・育成を進めることになりました。 そして2008年、「百年の森林構想」という旗が掲げられました。「百年の森林構想」というビジョン、「心産業」というコンセプト、「雇用対策協議会」という推進組織によって、移住・起業の連鎖反応が広がっていくことになります。
■非常に建設的で前向きな地域経営に対する意志のようなものを感じます。地域の主体性です。そのような主体性が、移住・起業の連鎖を生み出したというのです。このあたりについては、「挑戦者たち」というページにいろんな方たちが登場します。たとえば、酒屋と日本酒バーを開業した女性、「地域の中のローカルベンチャーの支援をする。それのなにが悪いんですか」と主張する役場職員、地域商社、西粟倉・森の学校の若き経営者…。非常に気になる方たちばかりです。こういう方たちがいる地域って、魅力的ですよね。その魅力に挽きつけられるように多くの方たちが、この西粟倉村にやってこられるようです。そして、西粟倉村で生まれて育っている子供たちが増えているというのです。詳しくは、こちらのページをご覧ください。
京阪・深草駅の工事
▪︎本日は、大学の一斉休暇が明けた初日でした。午後から、深草キャンパスの研究部に出勤しました。一斉休暇前から、複数の懸案事項がありました。研究部のこと、地域連携のこと、個人的なこと…。3つの部署の関係者と調整や相談をさせていただきました。授業は来月からですが、事務部門の業務はすでに再開しています。とはいえ、交代勤務のようですし、学生もあまりいないので、キャンパスにはのんびりした夏休みの雰囲気が漂っていました。
▪︎事務的な作業を終えて、夕方には帰宅しました。今日は、大学に向かうときには気が付きませんでしたが、京阪の深草駅、新しい駅舎の鉄骨が組み上がりつつあります。ここに新しい駅舎と自由通路ができます。今までは、自転車を押して上り下りできるような、緩やかな階段がついていました。自転車はいいのですが、車椅子だと無理です。ということで、エレベーターが設置されるようです。バリアフリー化工事ですね。駅舎の方は京阪電鉄が、自由通路の方は京都市が担当して工事を進めています。
▪︎新しい駅舎には、エレベーターが2基、幅広改札口、点字案内板、多機能トイレが整備されます。また、すでに工事は進んでいますが、ホームも拡幅延長され、列車接近表示器も整備されるようです。深草キャンパスに、今年の4月から新しい国際学部ができたことにより、深草駅での学生の乗降数が増えたため、安全確保のためにもこのようなホームの拡幅は必要だったと、うちの大学の関係者からは聞いています。
▪︎この界隈、たしかにバリアフリーが必要です。東西に移動するためには、京阪や琵琶湖疎水を横断しないといけません。歩道もあまり整備されていません。車椅子等でもスムースに移動できるようにするためには、バリアフリー化工事が必要なのでしょう。深草駅のバリアフリー化工事は、2004年3月に「深草地区バリアフリー移動等円滑化基本構想」の策定により決定しました。その基本構想では、JR稲荷駅のバリアフリー化工事や、道路の段差・勾配の改善、歩行空間の明確化といった道路のバリアフリー化も含まれています。深草界隈も変化しつつあります。いつか、「あの頃は、そうだったね〜」と思い出すときに、役立つかも…と思い、撮っておくことにしました。