西前研究室の忘年会

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■今年の10月、京都大学大学院地球環境学堂・地球環境学舎・三才学林の西前出先生の研究室の新歓コンパに、どういうわけかご招待いただきました。それに引き続き、昨晩は、忘年会にもご招待いただきました。宴会要員ですね。

■昨晩は、日本人だけでなく、イギリス、インド、インドネシア、ベトナム、サモア…様々な国からの留学生の皆さんとの忘年会になりました。研究室での忘年会ですので、全部手作りの料理ばかり。イスラムの院生のための料理とベジタリアンの院生のための料理も、きちんと用意されていました。準備も完璧です。こういうのは、普段うちの大学では、なかなか経験できないことですよね〜。さすが京都大学です‼︎ 昨晩は、サモアから留学している男性の院生とも仲良くなり、ウムというサモアの伝統料理のことで盛り上がりました。焼けた石の上にバナナの葉に包んだ豚肉やタロイモを乗せて、上にもバナナの葉をかぶせて蒸し焼きにする伝統料理です。飲んだ勢いですけれど、彼が帰省している時に、サモアに遊びに行ってウムを体験させてもらう約束もしました。ウム料理、経験してみたいです。

■ちなみに、彼は私の息子と同い年です。もろちん院生の方達が若いのは当然なんですが、西前先生ご自身もまだお若く、何か研究室全体の雰囲気がエネルギッシュなんです。研究室の仲間同士のおしゃべりに耳を傾けてみると、1人の修士課程の女性の院生が、こう言っていました。「この前、60歳くらいのおじいちゃんがさぁ、…」と。そうか20代半ばの人たちからすると、60歳くらいって、おじいちゃんなんですね。私は「アラ還」ですから、もうこの年代の方達からするとおじいちゃんというカテゴリーなのです。なんだか、1人浮いているような感じですが、皆さん、とても親切にしてくださいました。ありがとう。

■忘年会は、アトラクションでも盛り上がりました。日本人の院生たちが、今流行りの「恋ダンス」を踊ってくれました。西前研究室の皆さんは、この日の忘年会に備えて、練習を積み重ねて来られたそうです。理系の研究室の場合は、研究室全体で盛り上がることがよくあると思います。羨ましいですね〜。ところでこの「恋ダンス」、私も年末の某所の忘年会で踊るようにと言われているんだけど、とても複雑すぎて無理っぽい…。

「利やん」で再会

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■昨晩の出来事です。深草キャンパスでの研究部の会議を終えて、急いで大津に移動しました。元・滋賀県副知事で、私がかつて勤務していた「琵琶湖博物館開設準備室」や「琵琶湖博物館」で大変お世話になった上司、田口宇一郎さんと、ひさしぶりに大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」でお会いしました。田口さんからのリクエストで、かつて総合地球環境学研究所の研究プロジェクトに一緒に取り組んでいた柏尾珠紀さんもお呼びしました。柏尾さんと私は、田口さんがお住いの地域で農業濁水の問題に関して調査研究をしていました。そんなこともあり、田口さんがお住いの集落で作成された『町史』を渡したいとのお話しがあり、ひさしぶりに3人で会うことになりました。ちょっと同窓会みたいな感じですね。いろいろ、3人で盛り上がりました!

■「脇田といえば『利やん』」と思っておられる方が多いと思いますが、それは田口さんに仕込んでいただいたおかげ…かもです。「利やん」には、田口さんに連れていっていただいたからです。25年前の事です。懐かしいです。ちなみに田口さんが「利やん」に通われてから、もう40年たっているとお聞きしました。自分はまだまだヒヨッコだと改めて反省⁈です。

■田口さんに仕込んでいただいたのは「利やん」だけではありません。組織での仕事の進め方等についても、いろいろ学ばせていただきました。また、田口さんがおっしゃった「仕事はな、ロマンがないとあかんねん」という教えを今でも大切にしています。今の私にとって、とても大切な財産になっています。私の「呑み」を通した人との付き合い方も、田口さんをお手本にしているような気がします。そういう意味では、私は「田口学校」の生徒なのでしょう(^^;;。他にも、私のような方達をたくさん知っています。

■田口さんは、先に帰宅されましたが、かつての研究仲間である柏尾さんとは、その後もいろいろお話しさせていただきました。研究のこと、農村の支援のこと、そして親の介護や看取りのこと…。やはり同窓会って感じですね。昨晩、楽しく、懐かしい、そして充実した時間を持つことができました。

第5回「龍谷大学餃子研究会」

20161208fukuyoshi.jpg■昨日の大宮キャンパスでの起工式のさいにお会いした「龍谷大学餃子研究会」の副会長さんに、「しばらく研究会やっていませんね」とお伝えしたところ、さっそく庶務担当の研究会会員から日程調整のメールが届きました。会長としては、迅速な対応、ありがたいかぎりです。次回で第5回になります。ところで、このブログに第4回のことを報告していませんでした。第4回は、7月に開催されました。そのこをfacebookの方には投稿していました。以下は、その投稿の文章です。記録としてアップしておきます。

第4回「龍谷大学餃子研究会」、無事に終了しました。深草キャンパスに近い「福吉」で開催させていただきました。第3回が、昨年の7月3日でしたので、めっちゃ、ひっさしぶり!

どういうわけか、今回から、女子職員の皆さんが増えました。おじさんが、密かにこういう研究会をしていることを聞きつけたらしく、「私らも入れなさい!」「は、はい…わ、わかりました…」…まあ、そんなこんなで、今回の第4回になりました。今日は欠席されている会員もおられます。現在、育メンパパで頑張っておられる方や、育児や出産のためにお休み中という方もおられます。それても、ずいぶん会員が増えました。

今回は大学近くの「福吉」というお店でしたが、お店を出たあと、男性職員のグループと遭遇しました。それぞれの部署で頑張っておられる課長の皆さんでした。とても素敵な雰囲気が漂っていました。

第1回「龍谷大学新月会」

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■昨夜は、龍谷大学に勤務する教職員の皆さんのうち、母校・関西学院大学出身の皆さんが集まり、初めての「集い」を開催しました。教員にしろ職員にしろ、関西学院大学出身者は、龍谷大学の中では圧倒的に「少数派」です。その存在感は限りなくゼロに近いと言って良いでしょう。そのような意味で、このような会を始めたことは、画期的なことなんだと思っています。会の名前は、「龍谷大学新月会」に決まりました。初代会長は、文学部の東豊先生にお願いすることになりました。

■第1回目の会場は、関学の卒業生の店主さんが経営されている「たかひとり」というお店でした。鴨料理と京都の日本酒のお店です。丁寧にお料理を作っておられます。そのような美味しいお料理と京都の美酒をいただいて盛り上がっていると、3時間があっという間に過ぎてしまいました。最年長の方(東先生)と最年少の方(後述のIさん)とでは、37歳ほどの年齢差があります。しかし、年代を超えて母校や母校界隈の話題で盛り上がることができました。「あの店はよく行ったけど、まだあるの」とか、「君もあの先生に習ったのか」、「僕らの頃はこんなんやったけどわかる?」とか…。そんな話題です。同窓会でよくあるパターンなのですが、それが懐かしく楽しいわけですね。龍谷大学の職員の方たちは圧倒的に龍谷大学出身者が多いわけで、それが故に、龍谷大学の中であえてこのような会を持つことは無いように思います。

■さて、こういう同窓の集まりでは、最後にエールを切ることが定番となっています。私たちの会でも、当初は、学生時代に関学の射撃部の主務をされていたIさんに関学のエールを切っていただく予定になっていました。ところが、ご自宅が遠方であることから先に帰宅されてしまったのです。仕方がないということで、急遽、私が代役をさせていただきました。ちょっとあやしかった…。私は、文科系のサークルでしたから…。Iさんのお話しですと、関学の体育会には「エルーマスター」という役職があるようなのです。今度、詳しく聞いておこうと思います。

【追記】■母校・関西学院大学の同窓会では、よく「新月会」や「弦月会」という名前が使われます。私たち、校章にもなっている新月にすることにしました。なぜ新月か、このように説明されています。「新月が満月へと刻々と変化するように、関西学院で学ぶ者すべてが日々進歩と成長の過程にあることを意味しています。また、月が太陽の光を受けて暗い夜を照らすように、私たちが神の恵みを受けて世の中を明るくしてゆきたいとの思いを表わしています」。「龍谷大学新月会」のメンバーで、人数は少ないけれど、龍谷大学をより良くしてゆくために連帯して頑張りたい…そのような思いで、集まることができればと思っています。

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脇田ゼミ2期生との再会

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■少し前の出来事を報告しておきます。2007年3月に卒業した櫻井三佐紀くんと清谷宗真くんが、会いに来てくれました。会ったのは、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」です。彼らのリクエストです。2人は「脇田ゼミ2期生」。私からするとついこの前に卒業したような感覚ですが、もう10年近く経っているんですね。歳をとればとるほど、時間が経過していくスピードは速くなって行きます。卒業後も何度か彼らには合っていますが、さすがに30歳を超えると貫禄がついてきました。立派になってきたな〜。櫻井くんは、メガバンクに就職しましたが、現在は転職して、東海地方のある自治体の地方公務員をしています。清谷くんは滋賀県在住。有名菓子メーカーに勤務されています。学生の時とは、発言する内容が違っています。まあ、当たり前なのですが、時間の経過とともに、彼らが社会人として鍛えられていることを実感しました。櫻井くんからは、面白い文献を教えてもらいました。元学生から色々教えてもらえるようになり、ちょっと幸せな気分でした。また、いつでも遊びに来てください。

■この櫻井くんと清谷くんの学年とは、何度か同窓会をしてきました。次回は、三重県のある自治体で地方公務員として勤務している、彼らと同学年のOBにお願いして、志摩地方で同窓会を開こうということになりました。これは楽しみですね。

【関連エントリー】
脇田ゼミ2期生の同窓会
ゼミ2期生との同窓会

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第2回「龍谷大学・東九条粉もん研究会」

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■定期的に学内の教職員の皆さんと親睦を深める会が開催されます。私のばあい、学部の懇親会である「おうみ会」、「奈良県人会」、「兵庫県人会」、「滋賀県人会」、「教員部長会」。このうち「兵庫県人会」と「教員部長会」については、その設立に関わりました。これ以外に、「食べ物」を直接的なテーマにした小さな集まりもあります。「龍谷大学餃子研究会」と「龍谷大学東九条粉もん研究会」です。前者の「餃子」の方は、固定メンバーが4名で、これにその回ごとにさらに人数が加わります。N事務部長の「これはという目星をつけた餃子店のリスト」を順番に制覇していこうという、餃子好きの集まりです。後者の「粉もん」の方は、京都の南区東九条界隈の独特の「お好み焼き」を食べ歩こうという集まりです。今のところ、会員は4名です。

■先日、この後者の「龍谷大学東九条粉もん研究会」が開催されました。残念ながら、全員で都合をあわせることができず、参加者は3名でたしが、東九条のお好み焼き店の中でも老舗の「本多」さんを訪れました。 こちらのお店、昭和の香り満載です。味もお店の雰囲気も素晴らしいものがあります‼︎ お店の歴史は58年とお聞きしました。ということは、私と同級生というわけですね。私もこのお店と同じく昭和の香り満載で…。まあ、そんなこともあるわけですが、それはともかく、皆さんと機嫌よく「お好み焼き」とビールを楽しみました。写真を少し説明しましょう。トップ。左側は、筋肉のはいった焼きそばです。そして右側がお好み焼きです。クレープのように薄い生地を鉄板でやき、その上にキャベツ、筋肉、さらに油粕、紅ショウガ、そしてそばとうどんの両方をのせます。このお店では、アベックと呼んでおられました。なるほど、です。そして、あらかじめ鉄板の上に落とした卵の上に、このお好み焼きを「えいやっ!!」と大きなコテでひっくり返して乗せるのです。焼けたら(蒸し焼きかな)、再び、ひっくり返して辛いソースをぬっていただきます。独特の美味しさがあります。2枚目は、うどんだけをトッピングしてで焼いてもらいました。いや~満足しました。

■二次会は、東九条の韓国料理店というか焼肉屋「水月亭」で蒸し豚と焼酎…の予定が、蒸し豚、豚足、ホルモンの焼肉と追加することになりました。年寄り=アラ還の私のばあい、蒸し豚だけでよかったんですが…。しかし、会長であるNさんのオーダーというか食欲に従うことにしました(結果として、体重が1kg増えてしまいました・・・)。こういう集まりを、年に2回ほどやっているのですが、東九条界隈のお好み焼き屋さんを制覇できるのは、いつになるでしょうね~。さて、さきほど会員は4名と書きましたが、新しい会員を迎えることになりました。どういうわけは他大学の方ですが、龍谷大学に「ご縁」のある方で。

西前研究室の新歓パーティ

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■昨晩は、施設に入所している母の見舞い&洗濯物の交換を済ませた後、施設のある兵庫県から京都に阪急で移動しました。西前出先生(京都大学大学院地球環境学堂・地球環境学舎・三才学林)の研究室の新歓パーティにご招待いただいたからです。西前研究室には、この秋から、インドとインドネシアからの国費留学生の皆さんが入学してこられました。秋入学ですね。ということで、その歓迎会を開催されたわけです。そのような歓迎会に、どうして私がいるのか…。私自身もよくわからないのですが、西前先生の研究室の皆さんとは、総合地球環境学研究所のプロジェクトを通して仲良くしていただいているからなのかな…と思っています。

■一次会は、京大農学部の少し東側にある沖縄料理店でした。沖縄料理だけどちょっと不思議な雰囲気、アジアンテイスト満載のお店でした。海藻であるウミブドウをとても美味しくいただきました。その後、西前研究室に移動して二次会を楽しみました。この日、女子の院生たちの間では、アジアの民族衣装を着てくるという「ドレスコード(?!)」があったようです。インド、インドネシア、ベトナム、日本…。皆さんと、とても楽しい時間を過ごしました。ベトナムのアオザイを着ている女子院生が何にもおられますが、一人を除いて全員日本人です。また、研究室の宴会に呼んでくださるとのことで、楽しみにしています。

琵琶湖八珍「琵琶湖は、ほんに凄い!」

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■調査で島根県の宍道湖を視察した時に、「宍道湖七珍(しんじこしっちん)」という言葉を知りました。宍道湖は琵琶湖と違って浅い湖ですが、海水と淡水が混じり合う汽水湖であることから、いろんな種類の魚が獲れます。「宍道湖七珍」は、そのような豊かな生態系を背景にしています。wikipediaではありますが、以下に解説を引用しておきます。

宍道湖七珍は1930年に島根新聞社の記者であった松井柏軒が中国西湖十景に倣って松陽新聞(現:山陰中央新報)に起稿した「宍道湖十景八珍」が始まりとされる[1]。その後、荒木英之が「湖魚四珍」を発案し、松江住民に珍味という言葉を浸透させた。中海の干拓が計画されたことを契機として1958年に発足した「湖に別れを惜しむ会」を中心に湖の珍味を提唱する動きが活発化し、「宍道湖七珍」という言葉が誕生したと考えられている[1]。言葉の誕生後に荒木・木村によって何を取り上げるかが議論され、「スズキ、ウナギ、シラウオ、アマサギ、コイ、アカガイ、ホンジョウエビ」が挙げられ、最初の宍道湖七珍となったが、いつ、どのような経緯を経て現代の宍道湖七珍へ変化したかについては不明となっている[1]。

公益社団法人日本水産学会『日本水産学会誌』Vol.72 No.3 - 馬場幸男「水産談義古今東西-宍道湖七珍」p.520

■この解説で興味深いことは、宍道湖につながる中海の干拓が計画されたことが契機だということです。干拓されれば汽水湖の豊かな生態系はなくなってしまいます。すなわち、人びとの暮らしと湖との関係が切れて、地域の食文化や食材が消えてしまうさいに、この「宍道湖七珍」という言葉が誕生したのです。「湖に別れを惜しむ会」という名称からもそのことがわかります。無くなってしまうことが前提になっています。

■滋賀県の琵琶湖にも「琵琶湖八珍」という言葉があります。2013年末に、県立安土城考古博物館が、来場者への湖魚料理人気アンケートを基に供給量ならど考慮して選定したものです。こちらの言葉の歴史はまだ浅いのです。中海・宍道湖の場合は、干拓によって消えてしまうから…というのが理由でしたが、どうも、琵琶湖の場合は、目の前に豊かな生態系があるにもかかわらず、湖魚を食べる魚食文化が衰退しているという危機意識が背景にはあるように思います。琵琶湖ならではの魚介類を、県内のみならず旅行で滋賀県を訪ねて来られる観光客の皆さんにも味わってもらえるように、「琵琶湖八珍」という言葉での広報活動に取り組んでいるのです。このあたり、背景が中海・宍道湖とはかなり違っています。滋賀県の場合は、琵琶湖の周囲にあった浅い内湖が干拓されましたが、深い琵琶湖は干拓の対象ではありませんでした。

■ところで、この「琵琶湖八珍」の中身ですが、「ビワマス、アユ、ス、ホンモロコ、ゴロブナ、ジエビ、リ、サザ」のことです。アンダーラインを引いたところをつないで読むと、「ビワコハホンニスゴイ」になります。「琵琶湖は、ほんに凄い!!」です。これは偶然なんでしょうか。偶然なんでしょうね〜。このことを発見した方を、心の底から尊敬します。凄いです。

あめのうお倶楽部

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■ひとつ前のエントリーにも書きましたが、30kmウォーキングの後は、国民休暇村の向かいにある沖島に船で渡りました。そして、「あめのうお倶楽部」が主催するビワマスを味わうイベントに参加させていただきました(ビワマスのことを、古くは「雨の魚」と呼びました。産卵期の大雨の日に群れをなして河川を遡上するからです)。ビワマスの紹介については、以前にもエントリーしました。こちらをお読みください。また、「あめのうお倶楽部」については、こちらのブログの記事をお読みいただければと思います。ビワマスをめぐる様々な情報が総合的に解説されています。

■「あめのうお倶楽部」を主催されているのは、西岡信夫さんです。西岡さんは、私が滋賀県立琵琶湖博物館で主任学芸員として勤務していた当時の二代目・副館長をされていました。学芸員の時代に大変お世話になりました。今から、19年も前の話しになります。私はその後、岩手県立大学に赴任し、さらに2004年には龍谷大学に異動しました。滋賀県で再び働くようになって、ご退職された西岡さんと再び出会うことになりました。そして、今年の3月に滋賀県大津市に転居したことから、滋賀・大津・琵琶湖のことをいろいろ知りたいと思っている家族のために、様々な情報やチャンスを提供してくださっています。今回も、琵琶湖の魚の中でも最高に美味しいビワマスを味わうチャンスをいただくことができました。ありがとうございました。

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■トップの写真は、ビワマスの刺身です。とろけるように美味しい刺身です。夏の時期に味わうビワマスの刺身は最高です。その他の料理の写真の紹介もさせてください。お料理は沖島の女性のみなさんが作ってくださいました。お盆の上には、ビワマスの刺身の他に、ご飯、ゴリの釜揚げ、ビワマスの卵が置かれています。これで、海鮮丼ならぬ湖鮮丼を作るのです。ゴリは、琵琶湖に生息するヨシノボリというハゼの仲間の稚魚です。釜揚げにするためには、獲れたての新鮮なものでなくてはいけません。沖島に来たからこそ、いただくことができるのです。このゴリとビワマスの卵をご飯の上に乗せて出汁醤油をかけていただくわけです。私の場合、ビワマスは刺身としていただきました。本当は、このビワマスもご飯の上に乗せるのでしょうね。こんな「湖鮮ドン」が美味しくないわけがありません。満足しました。もう1つの料理は、ビワマスのジュンジュンです。滋賀県では、醤油、砂糖、みりんを使い、すき焼き風に味付けをした鍋料理のことを「ジュンジュン」と呼びます。材料はビワマスと玉ねぎだけなのですが、このシンプルさがビワマスの美味しさを引き立てます。ビワマスのジュンジュンは初めていただきました。

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【写真】上段左:左から西居沖島自治会長と奥村沖島漁業組合組合長、そして西岡さん。上段右:俳句が趣味の西岡さんが、ご自身の作品をご披露されました。「淡海の宝石たらんあめのうお」。下段左:世界農業遺産申請チームのリーダー青田朋恵さん。私もアドバイザーとして世界農業遺産申請に取り組んでいます。下段右:滋賀県農政水産部部長の高橋滝治郎さん。10月の「びわ100」にも参加されます。青田さんと高橋さんの写真の赤ちゃんは、このイベントに参加された方のお子さんです。

ビワマスを釣った!!

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■琵琶湖は400万年の歴史を持っています。伊賀上野のあたりに誕生して、大地の動きとともに、深い湖になったり、時には浅い小さな湖沼が連なったようになりながら少しずつ移動し、約40万年前にほぼ現在の位置にたどり着きました。琵琶湖は周囲を山々に囲まれ、たくさんの河川が琵琶湖に流入しますが、流出する河川は瀬田川だけです。このように閉じた水系として40万年もの歴史があるため、琵琶湖では、生物進化の過程で、ここにしかいない生き物が誕生しました。そのような生物のことを固有種といいます。琵琶湖には約1000種の生き物がいますが、そのうちの50種が固有種といわれています。先週の土曜日、7月30日(土)に、そのような固有種の1種(正確には固有亜種だそうです)であるビワマスを釣るために、釣り好きである娘婿のてっちゃんとともに、奥琵琶湖に行ってきました。今回のビワマス釣りは、私が滋賀県立琵琶湖博物館に学芸員として勤務していた時の同僚である桑原雅之さんのお誘いで実現しました。

■朝3時45分にてっちゃんとともに家を出発し、奥琵琶湖にある大浦の漁港まで行きました。そこから釣り用のプレジャーボート(釣り船)に乗り、琵琶湖の北湖の中心部へと向かいました。ビワマスはサケの仲間です。琵琶湖の周囲の河川で生まれたら、すぐに河川を下り、琵琶湖の深いところに向かいます。ビワマスは、水温の低い深いところで成長するのです。時々、餌をとるために、琵琶湖の中層までやってきます。今回挑戦したトローリングという釣りは、このようなビワマスを狙った釣りです。疑似餌を琵琶湖の北湖の中層あたりまで錘で降ろして、ゆっくり船で曳いていきます。ビワマスが餌と勘違いして疑似餌に喰らい付いたら、リールで釣り糸を巻いていきます。今回は、桑原さん、てっちゃん、私の3人で6時間トローリングを行いました。大小様々なサイズのビワマスが釣れました。私には釣りの趣味はありませんが、海釣りではそれなりにキャリアを積んでいる娘婿てっちゃんでも、このビワマス釣りは初めての体験で、大興奮していました。楽しい時間を過ごすことができました。

■トップの写真、桑原さんが釣り上げたビワマスです。頭の先から尻尾の端まで、全長66cm。かなりの大物です!! これはめったに釣ることのできないサイズです。おそらく誕生してから4年~5年ほどたっているのではないかと思います。桑原さんは、毎年ビワマスのトローリングを楽しんでおられますが、この66cmは自己記録なのだそうです。素晴らしい。66cmというと、リールを巻いていてもかなりの抵抗感があったはずです。桑原さんは、慎重にリールを巻くことに集中されていました。しだいに大物のビワマスの姿が見えてきました。これだけのサイズになると体高もかなりあるので、琵琶湖のなかでビワマスの銀色の腹がうねっている様子は、まるでアナコンダのような大蛇のようでもありました。かなり時間をかけて大物は釣り上げられました。桑原さん、大満足です。船のなかは、歓声ととともにハッピーな雰囲気に包まれました。この大物を、私やてっちゃんではなく、桑原さんが釣り上げてくれて本当に良かったと思いました。また、こういうトローリングを体験させていただいた、ガイドの船頭さんにも大感謝です。

20160803biwamasu5.jpg■釣ったビワマスは、桑原さんと分けることにしました。桑原さんは、ご自身で釣り上げた66cmの大物と、もう1匹手頃なサイズだけを受け取り、後は全部私たちに譲ってくれました。ありがとう、桑原さん。船頭さんがクーラーボックスに氷と塩と水を詰めてくださり、そこに大量のビワマスを詰める一路、大津市に向かいました。そうです、大津駅前のいつも居酒屋「利やん」に運び込むことにしたのです。マスターにお願いして、すべてのビワマスを捌いてもらいました。てっちゃんと私たちはいったん帰宅して仮眠をとり、夕方、こんどは妻や娘も一緒に再び「利やん」へ向かいました。

■ビワマスのトローリングの様子は、逐次、facebookに投稿していたので、私たちが「利やん」に到着すると、私のfacebookの友達であり、居酒屋「利やん」のランニングチームのチームメイトでもあり、そして龍谷大学の職員でもある竹之内くんもやってきてくれていました。少し遅れて、世雄くんもやってきてくれました。お2人とも、ビワマス食べるのは初めてとのことでした。ビワマスは、7月が一番脂が乗って美味しくなります。それなりの漁獲があるのですが、美味しくてもなかなか流通しません。ということで、はじめて味わうのビワマスに、竹之内くんと世雄くんのお2人はとても感動されていました。

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20160803biwamasu8.jpg■左は、翌日の日曜日の晩に自宅でいただいたビワマスの刺身です。「利やん」のマスターに柵にしていただいたものを刺身にしました。釣りたては歯ごたえがあって、これはこれで美味しいのですが、翌日は、その硬直がなくなり、より一層美味しくなります。なんといいますか、甘みがぐんと増すのです。

■今回、改めて思ったことは、普段、琵琶湖の魚を味わった経験のある方が少ないということです。facebookへの投稿には、たくさんコメントをいただきましたが、琵琶湖にいる淡水魚が刺身で食べられるということに、多くの方たちが驚いておられました。琵琶湖にこんな美味しい、しかも美しい魚がいるのかと驚いておられました。多くの人びとが、湖魚を通して琵琶湖のことに思いをはせることができれば、長い目で見れば琵琶湖を守っていくことにもつながるのではないかと思います。

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