100本目の焼酎
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■大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」に初めて行ったのは、滋賀県庁に勤務していた時代に上司であった田口宇一郎さんに連れて行っていただいた頃のことですから、もう四半世紀以上前のことになります。その後、オフィスが「利やん」から離れてしまったこともあり、また岩手県の大学に勤務することにもなり、10年あまりご無沙汰することになりましたが、2004年から龍谷大学に勤務するようになり、再び通い始めました。
■「利やん」では、焼酎がキープできます。キープするたびに、周りの人たちと一緒に記念写真を撮ってくれます。お店では、その写真をカードにして瓶にぶら下げてくださいます。そのようなシステムになっているのです。先月のことですが、そのカードが100枚になりました。14年かけて100本をキープしたということになります。もちろん、1人で飲んでいるわけではありません。「利やん」は私にとって、異業種交流やまちづくりの交流の場であり、応接間であり、リビングでもあります。大切な場所です。ですので、他の皆さんと一緒に、時には宴会に供出して飲むことが多いわけです。そんなこんなで100本です。
■2004年の1枚目のカードは、これは誰だろうと思うぐらいに、若い自分が写っています。100枚のカードには、私の交友関係の記録が残されています。次第に白髪が増え、髭も真っ白になり、2017年の現在の自分に至ります。もちろん、周りの人たちも同じように。時間の経過は早いですね。びっくりします。100枚目のカードに一緒に写ってくださった方達は、このお店のご常連の皆さんです。相撲の番付で言えば、三役以上の方達。私は、たぶん幕内ではあるのでしょうが、まだまだ貫禄が足りません。前頭5枚目ぐらいかな。
【追記】
■「櫻井」って、芋焼酎の銘柄です。ふと思いましたが、酒が飲めない体質だと、多分、この店に通うことなかったでしょう。また、今ある交友関係もなかったんじゃないのかな…。全く別の人生を歩んでいたと思います。
兵庫県人会
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■昨晩は、「兵庫県人会」でした。何回目になるのでしょうか…ちょっと忘れてしまいました。今度確認をしておきます。回数はともかく、研究部での会議を終えて、瀬田キャンバスから京都の深草キャンパスの近くにある中華料理店「味苑」に急いで移動しました。ギリギリ間に合いました。この中華料理店は、四川料理のお店とのこと。美味しくいただきました〜。予想通り、汗が出まくり…で困りましたが。
■今回も、「来年度こそは、冬に日本海の蟹を食べに行こう!!」と、盛り上がりました。県人会のプチ慰安旅行です。もちろん、場所は兵庫県。これは県人会の中では重要企画になっています。昨年、私は行けませんでしたが、兵庫県人会の有志で丹波篠山にイノシシ鍋=牡丹鍋を食べに行きました。本当には蟹のはずだったのですが、諸般の事情から牡丹鍋になりました。兵庫県は日本海から淡路島まで、美味しいものがいっぱい。美味しい県人会なのです。それから、半袖を着るようになった頃、次の県人会を開催しようということになりました。次回の幹事も、酔っ払った勢いで決まりました。どうも候補地は、甲子園球場らしいです。甲子園は食べられません?!が、兵庫県の誇りですからね。ビールを飲みながらデイゲームを楽しみ、その後はビアガーデンかな。今回は、新しく2名の方が会員になってくださいました。龍谷大学の教職員の皆さんの中で、兵庫県出身者と居住経験者の皆さんがいらっしゃいましたら、ぜひこの県人会にご参加ください。
岩手県宮古市重茂の早採若芽
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■岩手県の三陸海岸、宮古市の重茂から「早採若芽」が送られてきました。軽く水洗いをして、湯通しすると実に鮮やかな緑色になりました。春を感じさせますね。早速、ポン酢をかけていただきました。重茂には、確か今から18年前の夏、岩手県立大学の1期生の諸君と三陸海岸をバスで回った時に、立ち寄った記憶があります。
■重茂の皆さんは、海の環境保全に積極的に取り組まれています。今回の「早採若芽」は、「東北食べる通信」から送られてきたものです。「東北食べる通信」は、毎月、東北の情報誌と旬の食べものを送ってくれます。情報誌を読むでみて、18年前に重茂で伺ったお話しのことを思い出しました。送られてきた若布は養殖されたものです。しかし、元々、若布の養殖をしていたわけではありません。重茂の初代の組合長が、「天恵戒驕(てんけいかいきょう)」というビジョンを提示されたことから始まったのだそうです。
私たちのふるさと重茂は天然資源からの恵みが豊富であり、今は何ら不自由はないが、天然資源は有限であり、無計画に採取していると近い将来枯渇することは間違いない。天然資源の採取を控えめに、不足するところは自らの研鑽により、新たな資源を産み補う。これが自然との共存共栄を可能とする最良の手段である。
■このビジョンのもとで、おもえでは1960年代からワカメ養殖に取り組まれてきました。また、輸送にコストがかかるため、そのコストを下げるために、乾燥・塩蔵・ボイル塩蔵と加工技術を進化させていきました。また1970年代には海の環境を守るために合成洗剤追放運動にも取り組みました。そのような努力が高い年収が確保されていることから、後継者率も他の地域と比較して群を抜いて高いとのことです。
■重茂は三陸海岸にありますから、東北大震災でも大きな被害を受けました。(本文続きます。)
「浅茅生」の酒粕を使った”ディアマン”
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■左党(酒好き)の私の場合、「浅茅生(あさじお)」と言えば日本酒が頭に浮んできます。大津市の中心市街地、丸屋町商店街の中にある平井商店の銘柄です。しかし、こちらの「浅茅生」は、フランス菓子「ディアマン」です。ゼミ生たちがプロデュースした「純米吟醸無ろ過生原酒 北船路」、今年も新酒が発売されているということで、先日、平井商店さんに伺いました。美味しい「純米吟醸無ろ過生原酒 北船路」を購入した時、ふとレジの横を見るとこのワンカップ酒の器に入ったお菓子が並んでいたのでした。
■「ディアマン」とは、フランス語でダイヤモンドのことです。お菓子の側面についているキラキラ光る砂糖から、そう呼ばれるのだそうです。ただし、この「ディアマン」には「浅茅生」の酒粕が入っています。食べてみると、ほのかな酒粕の風味に加えて、素敵な酸味を少し感じました。美味しい‼︎ 実はこのディアマン、芦屋の洋菓子ブランド「アンリ・シャルパンティエ」とのコラボ商品です。「アンリ・シャルパンティエ」は、丸屋町商店街に隣接する菱屋町商店街に出店しています。この「ディアマン」を扱っているのは、「アンリ・シャルパンティエ」の中でも大津の店舗(浜大津店)だけとのことです。大津にある老舗の酒蔵と有名洋菓子メーカーとのコラボは、どのようなプロセスで誕生したのでしょうか。興味のあるところです。
「純米無ろ過生原酒 北船路」
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■昨日は、第54回「北船路野菜市」でした。野菜市を開催している丸屋町商店街にある「平井商店」さんで、新酒の「純米無ろ過生原酒 北船路」4合瓶を2本購入。これは、すでに卒業しましたが、研究会の学生たちがプロデューした日本酒です。瓶のラベルの「北船路」の文字、デザイン、すべて学生たちが制作したものです。この新酒を夕食時にいただきました。キャップを開けるとプシュっと音がしました。生酒ですね〜。菌が生きてます。この季節ならではの美味しさ‼︎ 今年の酒米は、北船路集落の農事組合法人「福谷の郷」さんが生産された山田錦です。
■facebookのお友達の皆さんも、ぜひ丸屋町商店街の「平井商店」さんでお買い求めください。飲食店の経営者の皆様、問屋さんにご注文ください。お店のすぐ近くの滋賀県庁のお友達の皆様、中央学区、そして中心市街地のお友達の皆様、よろしくお願いいたします。ちょっと離れているけれど、大津市役所の皆さんも「大津の酒」です、よろしくお願いいたします。龍谷大学のお友達の皆様には、私の方から改めて注文をとらせていただきます。直接、お店に注文される場合は、以下のリンク先をお読みください。このリンク先には「北船路」は掲載されていませんが、直接、電話でご注文ください。
平井商店
■お酒とは関係ありませんが、写真の私、額に2つの凹みがありますが、これは「デコ眼鏡」をしていたせいです…。左腕の袖もな…。すみません、みっともない写真で。
豊田さんの「利やん」デビューと山田周生さんとの出会い
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■アメリカの映画”Back to the Future”のことをご存知でしょうか。マイケル・J・フォックスが主演した映画で、デロリアンというスポーツカーを改造したタイムマシンで現在・過去・未来を行き来するストーリー…とまとめてしまうと乱暴すぎますね。私はこの映画の大ファンなんですが、昨晩は、「おお!! 大津駅前に、デロリアンが現れた!!」と言いたくなるようなシーンに出くわしました。かっこいい !! なんだか、ちょっとSFチックです!! 頭の中では、映画”Back to the Future”のテーマが流れてきました。もう、妄想全開です。この車は、昨晩、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」でお会いした山田周生さんが乗っておられるディーゼルエンジン車です。車の後ろには、廃食油からバイディーゼルを作る超小型の精製装置を積んでいます。この車で山田さんは、化石燃料に頼らず世界一周されました。すごいです。詳しくは、山田さんのwebサイトをご覧ください。
Biodiesel Adventure
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■山田さんは、現在、岩手県の三陸沿岸にある釜石市で、エコハウスを作ってエネルギーを自給自足する生活にチャレンジされているそうです。そして、釜石の復興に尽力されています。菜の花畑から広がる持続可能な地域づくりです。こちら菜の花畑から広がる持続可能な地域づくりからは、その活動を知ることができます。以下は、引用です。
活動サマリー
【これまでの活動 〜廃油で地球を走る〜】元々は廃油をリサイクルして作る「バイオディーゼル燃料」を自給自足しながら地球を走る実験プロジェクトを行ってきました。2007〜2008年には廃油のみで地球一周を完走。世界の自然再生エネルギーやエコビレッジなど「自然と共生する循環型のくらし」に関わる幅広い分野を研究取材してきました。【大震災に遭遇 〜エコ燃料が力を発揮〜】
地球一周後、2009年から日本一周をしていた最中、岩手県花巻市滞在中に大震災に遭遇したのです。ガソリンが枯渇し、多くの人が被災現場へ辿り着けない中、廃油さえあれば燃料を自前できる当車が力を発揮。物資配給・人の運搬など支援活動を展開できました。それまで行ってきた活動が緊急時に役立つということを自ら実証することとなったのです。【緊急支援から地域づくり活動へ】
その経験により「今こそ東北被災地から循環型のエネルギーとくらしを実現・発信すること」が私たちのミッションであると強く感じ、被災地に居住を続け長期活動を行っています。【どんな事業?】
「身近な自然再生エネルギーを取り入れた循環型地域づくり」をコンセプトに、下記3つを柱に事業を行っています。
①「菜の花大地復興プロジェクト」
被災農地や耕作放棄地を活用し、菜の花を植え搾油し、無農薬無添加のなたね油を全国へ販売。農作業やラベル貼りなど小さいけれど幸せと思える雇用を生み、土や自然に触れ心身を健康に保ち、コミュニティ間の交流機会も促します。菜の花は食料(菜花と油)にもなれば、景観も美しく、油は緊急時に燃料になります。そうした多くの利点を活かしながら、地域力を向上し災害に強い地域づくりにつなげます。菜の花と地域食材を活かした「青空レストラン」も季節限定で開きます。
②「エコエネルギー100%古民家ハウス づくり」
海と山をつなぐ川の中流域にも菜の花畑を育てています。そこにある古民家を、地域内外の人が交流できるハウスとして改築中。電気は自然再生エネルギー100%を実現し、自然から電気を生み出すくらしを実際に学び体験できる場所として活用します。エコツーリズムと連携したプログラムも行います。
③「廃油リサイクルプロジェクト」
地域から出る廃食油を集め、バイオディーゼル燃料にリサイクルし、地域で利用する仕組みをつくり、エネルギーの地産地消と環境への意識向上を目指す取り組みです。
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■昨晩は「ご縁」の不思議さを感じました。建築家の伴政憲さんとパニソニックの関連企業にお勤めの田中正敏さんが、釜石の山田さんのもとで出会い、どういうわけかそれぞれ別のルートで大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」のランニングチームに入られました。「あっ、なんでここにいるの!」とお互いにびっくりしたという話しでした。そのことを、昨日聞かせていただきました。そして、そのお2人を介して、私は山田さんとお知り合いになることができました。「利やん」は、人をつなぐ不思議な場所だな〜と思います。また、元々お酒を嗜まれない「大津グリル」というレストランの経営者である豊田令枝さんからは、お酒をちょっと楽しめるようになったので「利やん」にデビューしたいとのご要望があり、お店にお連れすることになりました。また、伴さんからも、「山田周生さんを『利やん』にお連れするので、一緒にどうですか~」とお誘いがありました。そのようなお誘いのコラボの中で「ご縁」をいただくことができました。昨晩は…というか、昨晩も盛り上がりました。豊田さんによれば、「琵琶湖の歴史や地形の話から、米の話、東北大震災の話、菜の花ディーゼルオイルの話、そしてどう暮らせば幸せなのかという哲学的な話まで、幅広く濃い濃い時間」だったそうです。あまり意識していませんが、結果としてそのような話題で盛り上がりました。楽しかったな〜。山田さんと伴さんは、車の運転があるのでお酒を飲まれませんでしたが、アルコールで調子を上げた私におつきあいくださいました。私は、幸せ者だな〜。昨日は、そうやって山田さんのプロジェクトのお話しを伺ったわけですが、釜石に行って実際に見てみたいと強く思いました。来年度は行ってみよう。
「ハリハリ鍋を食べながら 鯨について語り、遊ぶ会」
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■昨日は、夕方まで自宅で仕事をしていました。来年度からの国内長期研究員にそなえて、少しずつ研究中心のモードに暮らしや意識をシフトチェンジさせています。もちろん、研究部の仕事は3月末まで頑張りますが、春からに備えて少しずつ準備を進めているのです。そういうわけで夕方まで自宅の書斎で仕事をしていましたが、夕方からは雪のなか、大阪に出かけることにしました(雪が降っているのは滋賀だけですが・・・)。
■出かけた先は、大阪市天王寺区にある應典院という浄土宗の寺院です。寺院とはいってもお葬式はしません。應典院のwebサイトでは、次のように説明されています。「かつてお寺が持っていた地域の教育文化の振興に関する活動に特化した寺院として計画され、〈気づき、学び、遊び〉をコンセプトとした地域ネットワーク型寺院として1997年に再建されました」。このwebサイトをご覧になればよくわかると思いますが、様々な方たちがこの寺院に出入りして魅力的な活動をされています。以前から、應典院のことはよく聞いていたので、一度訪問したいと思っていましたが、今回やっ行くことができました。應典院を訪問したのは、あの「まわしよみ新聞」の発案者であり、「大阪あそ歩」のプロデューサーとしても知られる陸奥賢さんが、應典院で企画された催しに参加しようと思ったからです。「ハリハリ鍋を食べながら 鯨について語り、遊ぶ会」という催しです。生のリアルな陸奥賢さんにお会いできて、しかも鯨の「ハリハリ鍋」を味わえる。なかなか豪華な企画です。以下は、陸奥さんのプロフィールです。
【プロフィール 400文字バージョン]】
観光家/コモンズ・デザイナー/社会実験者。1978年大阪生まれ。2007年に堺を舞台にしたコミュニティ・ツーリズム企画で地域活性化ビジネスプラン「SAKAI賞」を受賞。2008年10月に大阪コミュニティ・ツーリズム推進連絡協議会「大阪あそ歩」のプロデューサーに就任。大阪市内だけで300以上のまち歩きコースを有する「日本最大のまち歩きプロジェクト」となり、『大阪あそ歩まち歩きマップ集』は約2万部を売るロングセラーに。2012年9月にはコミュニティ・ツーリズム事業としては日本初の「観光庁長官表彰」を受賞。2013年1月に大阪あそ歩プロデューサーを辞任し、現在は観光、メディア、まちづくりに関するプロデューサーとして活動中。「大阪七墓巡り復活プロジェクト」「まわしよみ新聞」「直観讀みブックマーカー」「当事者研究スゴロク」などを手掛ける。應典院寺町倶楽部専門委員。著書に『まわしよみ新聞のすゝめ』。
■陸奥さんは、チーム「いきものがかり」の皆さん(よくわかりません…私には謎…)と一緒に、蚕、鯰、狸、亀など「異類」に関するプロジェクトを手掛けてこられました。今回の「異類」は鯨です。鯨を食べること=命をいただくことを通して、鯨の歴史・文化・物語を見つめ直す。鯨肉を使った「ハリハリ鍋」を味わうことで、鯨の命を自分の命につなげていく・・・そのような企画のように思いました。もっとも、陸奥さんの発想からすれば、きっちりとした企画や計画を組み上げるのではなく、むしろ良い意味でスカスカの状態をつくり、そのスカスカの空間で参加した方達が面白い相互作用を展開し、当初は予想していなかった面白い出来事が創発的に生成してくる…そんなことを期待されているに違いないと思っているのですが、実際のところはどうなんでしょうね~。
■当日は、冒頭のイントロダクションの後、應典院のなかにある十一面観音を祀った祭壇の前で、参加者の皆さんと浄土宗に則った法要を営みました。法要(鯨の供養)にあたっては、秋田光軌さん(浄土宗應典院主幹・應典院寺町倶楽部事務局長)が導師をお務めになりました。龍谷大学では浄土真宗の法要が営まれますが、「浄土宗と浄土真宗とでは同じ浄土教系だけどやはり差異があるなあ」と、仏教に関して素人ではありますが、そのようなことを感じました。まあ、それはともかく、こうやって「ハリハリ鍋」をいただくにあたって法要を営むと、「命」をいただいているという感覚が身体のなかで増幅されていきます。美味しい食事ができるという意味よりも、鯨の命を自分の命の一部に組み込んでいくということの有難さを感じるわけです。私の単なる主観的に思いなのかもしれませんが…。
■トップの写真は、その鯨です。奥の白い肉、これはセミクジラの皮です。手間の2皿は、ナガスクジラの肉です。左は、サシが入っていますね。これはナガスクジラの顎の肉です。鹿の子と呼ぶそうです。法要にあたっては、鯨に戒名が与えられました。セミクジラとナガスクジラだから最低でも2頭の鯨ということになるのですが、戒名は1つです。陸奥さんと秋田さんが一緒に考えられました。「鯨誉大光」。この戒名のもとで、法要を営みました。十一面観音の祭壇の下の方をご覧ください。ここには、鯨のハリハリ鍋がお供えしてあります。
■法要の後は、陸奥さんから鯨に関するお話しを伺いながら、鯨の「ハリハリ鍋」を美味しくいただきました。「ハリハリ鍋」とは、鯨肉と水菜を使った鍋料理です。ハリハリとは、水菜の食感を表現していると言われています。関西では、昔、この「ハリハリ鍋」を家庭料理としてよく食べました。今回の「ハリハリ鍋」は、陸奥さんのお友達で、浄土真宗の僧侶で調理師の免許をお持ちの方が、北海道日高産の上等の昆布で出汁をとり、その昆布出汁をベースに鯨と水菜を炊いてあります。非常に上品な味に仕上がっていて、驚きました。鯨の個性的な出汁が強いと思ってしまいますが、昆布と鯨の出汁が見事にマッチしていました。私が幼い頃に自宅で食べたものはとはかなり違います。おそらく昔は、冷凍の技術や鮮度の問題もあり、肉の劣化が早いため、もう少し濃い甘辛い出汁でごまかして食べていたような気がします。記憶が曖昧ですが…。今回のものは、それはと全然違います。
■「ハリハリ鍋」のことを調べてみると、冷凍技術と輸送技術が発達した明治期以降に、庶民の味として親しまれるようになったようです。もう少し、日本の近代、捕鯨技術、流通、食文化、その辺りの関係についてきちんと勉強をしたいと思いました。この「ハリハリ鍋」とは別に、炊き込みご飯もご用意していただいていました。これも美味しかった!! 私のテーブルは比較的年齢の高い方たちが座っていたことから(私が年齢が一番上だったような)、こどもの頃に食べた鯨の話しで盛り上がりました。
■食事の後は、陸奥さんが考案された「直観讀みブックマーカー」を楽しみました。あらかじめ、タイトルに鯨が入った本がたくさん用意されており、その本を使って遊ぶゲームです。今回の「直観讀みブックマーカー」のやり方がやっとわかりました。このゲームを通して、コミュニケーションが生まれることがポイントなのですね。また、本を通して、知らない人と、まだ見ぬ方との「ご縁」も生まれるところも重要かな。この「直観讀みブックマーカー」については、また別途ご紹介したいと思います。
【関連エントリー】鯨のベーコン
大学生協食堂で昼食
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■まだ暑くて汗をかく頃までは、「弁当男子」を継続していましたが、現在は、中断しています。世の中のお母様や奥様方は、ご家族のためにいやでも弁当を作らないといけないのでしょうが、私は趣味で、自分の健康のために弁当を作っていましたので、いったんストップしてしまうと気が抜けてしまいます。いけませんね。これ、ウォーキングやランニングも同じです。継続できません。継続できているのは、このブログぐらいか・・・。情けない話しです。弁当男子については、再開してレポートしてほしいとのご要望を周囲の皆さんからいただいております。近いうちに。
■ということで、本日は、ひさしぶりに大学生協の食堂で昼食を摂りました。弁当男子はストップしていますが、一応、健康のことを考えてはいます。今日も、いろいろ悩んだ結果、以下のような昼食になりました。「鶏牛蒡ご飯」のSSサイズ、「ポークブラウンシチュー」、「コロッケ」、「冷奴」、「15種類のヘルシーサラダ」。これでカロリーはどれほどかといえば、たった「395kal」なんです。びっくりしました。まあ、ご飯茶碗は「SS」サイズで最小のものですから、他のお皿の大きさもわかりますね。全体に量がすくないのでしょうね。レシートをみると、金額以外に次の記載がありました。
「赤の食品群」(たんぱく質・カルシウム・ビタミンB1 体のなかで血や肉になる)→2.2点(1食の目安2点)
「緑の食品群」(ビタミン・ミネラル・食物繊維 体の調子を整える)→1.3点(1食の目安1点)
「黄の食品群」(炭水化物・脂質 働く力になる)→1.5点(1食の目安7点)
■黄色が足らないんですかね・・・。これは、炭水化物や脂質です。これ7点も摂ってしまうと・・・。私はお爺さんになりかけのおじさんだから、こんなものでよいのでしょうか・・・よいのでしょうね。夜、炭水化物を原料に使った発酵しているジュースも飲みますしね。
琵琶湖八珍「ビワ・コ・ハ・ホン・ニ・ス・ゴ・イ」
■島根県の宍道湖には、「宍道湖七珍」という言い方があります。「しんじこしっちん」と読みます。日本海・中海・宍道湖とつながっていることから、宍道湖には海水が流れ込みます。宍道湖は汽水湖なのです。そのため、魚介類が大変豊かです。そのような豊かな魚介類のなかでも、特に、スズキ、モロゲエビ(ヨシエビ)、ウナギ、アマサギ(ワカサギ)、シラウオ、コイ、シジミ(ヤマトシジミ)の7種類を選んで「宍道湖七珍」と呼んでいるのです。
■昔から、こういう言い方があるのかなと思っていましたが、違いました。昭和も戦前の時代になりますが、地元の新聞に連載された「宍道湖十景八珍」という記事が、事の始まりなのだそうです。なんだか、「お国自慢」のようなニュアンスがありますね(私自身は、この「お国自慢」って、けっこう大切なことだと思っていますが…)。戦後になり、宍道湖と日本海の間にある中海で国営干拓事業が始まりそうだった頃、1958年頃なのだそうですが、こんどは「宍道湖七珍」という呼び方が発案されたようです。干拓事業によって消えていくかもしれない宍道湖の美味しい魚介を惜しむ…という感じもありますね。結局、干拓事業は途中で中止になりました。もし干拓されていたら、宍道湖の生態系にはどのような影響が出ていたのか、生態学者ではない私には正確に説明できません。幸いなことに、今でも美味しい「宍道湖七珍」をいただくことができます。
■この島根県の「宍道湖七珍」(しっちん)は、全国的に有名です。しかし、その「七珍」を1つ上回るのが、滋賀県で発案された「琵琶湖八珍」(はっちん)なのです。「琵琶湖八珍」の方は、ビワマス、コアユ、ハス、ホンモロコ、ニゴロブナ、スジエビ、ゴリ、イサザ、の8種類を指します。産経新聞の報道によれば、2013年の夏に、滋賀県立安土城考古博物館で琵琶湖の漁業や湖魚料理などをテーマにした夏季特別展が開催された際、琵琶湖ならではの料理の魅力を県内外に発信しようと、「琵琶湖八珍」選ぶコンテスト(「総選挙」と呼んでいたらしい・・・AKB48みたい)を開催したのだそうです。もちろん、宍道湖のことを強く意識してのことです。しかもその上を行こうと8種類が選ばれています。琵琶湖の「食のブランド化」を目指した企画です。
■「宍道湖七珍」については、スズキ、モロゲエビ(ヨシエビ)、ウナギ、アマサギ(ワカサギ)、シラウオ、コイ、シジミ(ヤマトシジミ)、「七珍」の魚介名の頭の文字をとって「スモウアシコシ」、つまり「相撲足腰」と記憶して覚えるようです。それに対して、「琵琶湖八珍」のばあいは、上の「八珍」の魚介名の太字のところを読んでみてください。「ビワコハホンニスゴイ」、つまり「琵琶湖は、ほんに凄い!!」になります。このことを滋賀県の農政水産部の高橋滝治郎部長にご教示いただきました。いや~、この覚え方を発見した人は、なかなか凄い人だと思います。
■さて、「琵琶湖八珍」のことを書いた本も出版されています。『琵琶湖八珍 湖魚の宴 絶品メニュー』。執筆されたのは、滋賀県立安土城考古博物館の副館長をされていた大沼芳幸さんです。「琵琶湖八珍」を材料にした料理とそのレシピが紹介されているようです。「裏八珍」まだ提唱されています。正式な「八珍」には入らないものの、その他の美味しい湖魚料理についても紹介しているようです。滋賀県に暮らして、琵琶湖流域の研究をしていますから、これは「読まねば!!」ですね。さっそく注文をしました。
目次は、以下の通りです。
第1章 湖魚を捕る
日本遺産「琵琶湖の伝統的漁法」
琵琶湖漁業の特徴
海と共通する漁第2章 湖魚料理の特徴
日本遺産「琵琶湖の湖魚食」
ナレズシ……………….(湖魚料理の特徴 その1)
畑作物と合わせて食べる…..(湖魚料理の特徴 その2)
小さい魚を捕り食べる文化…(湖魚料理の特徴 その3)
小骨を断つ……………..(湖魚料理の特徴 その4)
淡水魚を生で食べる文化…..(湖魚料理の特徴 その5)第3章 琵琶湖八珍
琵琶湖八珍の提案
ビワマス……(琵琶湖八珍の魚 その1)
コアユ……..(琵琶湖八珍の魚 その2)
ニゴロブナ….(琵琶湖八珍の魚 その3)
ホンモロコ….(琵琶湖八珍の魚 その4)
ハス……….(琵琶湖八珍の魚 その5)
イサザ……..(琵琶湖八珍の魚 その6)
ゴリ(ウロリ)(琵琶湖八珍の魚 その7)
スジエビ……(琵琶湖八珍の魚 その8)第4章 これも美味しい「裏八珍」
ウナギ……..(裏八珍の魚 その1)
コイ……….(裏八珍の魚 その2)
シジミ……..(裏八珍の魚 その3)
ナマズ類……(裏八珍の魚 その4)
ウグイ……..(裏八珍の魚 その5)
イワナ……..(裏八珍の魚 その6)
ドジョウ……(裏八珍の魚 その7)
ギギ……….(裏八珍の魚 その8)第5章 他所者魚を食べる
ブラックバス..(他所者の魚 その1)
ブルーギル….(他所者の魚 その2)
ワカサギ……(他所者の魚 その3)
テナガエビ….(他所者の魚 その4)付録
琵琶湖の湖魚・加工品販売店一覧、琵琶湖の港36景
新年会
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■年を越して色々仕事を抱えてしまっている状況なんですが、それでも新年会はやらなければなりません。いや、やりたい…が正しい表現ですね。上は、社会学部の地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」で学生たちがお世話になっている「大津の町家を考える方」の雨森鼎さんとの新年会です。場所は、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」。雨森さんからは時々お誘いがあり、この「利やん」に来ていますので、新年会というよりも普通の呑み会のような感じでもあります。とはいえ、今年初めての「利やん」。お正月恒例人ですが、常連客へのサービスとして升酒をいただきました。
■昨年の春に社会学部を早期退職された原田先生の、昔の教え子の皆さん(すでに50歳前後)や、先生がかつて運営されていたネット上の「掲示板」にアクティブに書き込みをされていた皆さんが、先生と一緒に定期的に飲み会をされています。どういうわけかそこに私も参加するようになっているのです。何年か前に、「高槻ジャズストリート」で、初めてこちらの皆さんと出会ったように思います。その時以来、こうやってお誘いをいただいています。
■この日は、基本的に、昨年のホノルルマラソンを完走された原田先生のお祝いを新年会も兼ねてしようという話しだったのですが、全然マラソンの話しは出ませんでした。映画「スターウォーズ」のストーリー、どれが正しいのかということで、ああでもないこうでもないとみんなで話しをしていました。そういう雰囲気も、楽しかったな〜。皆さん、ありがとうございました。こうやって、先生のゼミの教え子の方達のみならず、非常勤で教えた昔の学生たちも集まってこられるというのは、本当にすごいと思います。原田先生の人徳ですね。写真は、原田先生がお撮りになったもので、3人でちょっと梯子酒をしている時のものです。一緒に写っているのは、原田先生が追手門学院に勤務されていた時の最初のゼミ生Mさんです。エエ感じの笑顔やな〜。