青山ブックセンター「パン・発酵・移住の話を聞こう。」
■facebookのお「友達」のお一人が教えてくださまいました。『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済』」という本です。ずいぶん、変わったタイトルですよね。「腐る経済」。なにか不思議とてもです。普通の感覚だと、経済という仕組みは腐っては困ると思うからです。しかし、この「腐る」/「腐らない」という視点が重要なのです。普通は、腐らない方が価値があると思いますよね。しかし、筆者である渡邉格さんは、腐ることが大切だと考えます。渡邉さんご自身、随分、いろいろ悩んで生きてこられているように思います。今の社会に合わずに…というか、今の社会がおかしいと考えて、その行き着いた先が「腐る経済」なのです。ご自身の経験に基づいた洞察から、「腐る」ことこそが大切なのだという考えに至られたのです。
■以下は、amazonにあったこの本の紹介です。
どうしてこんなに働かされ続けるのか? なぜ給料が上がらないのか? 自分は何になりたいのか?――人生どん底の著者を田舎に導いたのは、天然菌とマルクスだった。講談社+ミシマ社三島邦弘コラボレーションによる、とても不思議なビジネス書ここに刊行。「この世に存在するものはすべて腐り土に帰る。なのにお金だけは腐らないのはなぜ?」–150年前、カール・マルクスが「資本論」であきらかにした資本主義の病理は、その後なんら改善されないどころかいまや終わりの始まりが。リーマン・ショック以降、世界経済の不全は、ヨーロッパや日本ほか新興国など地球上を覆い尽くした。
「この世界のあらたな仕組み」を、岡山駅から2時間以上、蒜山高原の麓の古い街道筋の美しい集落の勝山で、築百年超の古民家に棲む天然酵母と自然栽培の小麦でパンを作るパン職人・渡邉格が実践している。パンを武器に日本の辺境から静かな革命「腐る経済」が始まっている。【著者・渡邉格(わたなべ いたる)から読者のみなさんに】
まっとうに働いて、はやく一人前になりたい――。回り道して30歳ではじめて社会に出た僕が抱いたのは、ほんのささやかな願いでした。ところが、僕が飛び込んだパンの世界には、多くの矛盾がありました。過酷な長時間労働、添加物を使っているのに「無添加な」パン……。効率や利潤をひたすら追求する資本主義経済のなかで、パン屋で働くパン職人は、経済の矛盾を一身に背負わされていたのです。
僕は妻とふたり、「そうではない」パン屋を営むために、田舎で店を開きました。それから5年半、見えてきたひとつのかたちが、「腐る経済」です。この世でお金だけが「腐らない」。そのお金が、社会と人の暮らしを振り回しています。「職」(労働力)も「食」(商品)も安さばかりが追求され、その結果、2つの「しょく(職・食)」はどんどんおかしくなっています。そんな社会を、僕らは子どもに残したくはない。僕らは、子どもに残したい社会をつくるために、田舎でパンをつくり、そこから見えてきたことをこの本に記しました。いまの働き方に疑問や矛盾を感じている人に、そして、パンを食べるすべての人に、手にとってもらいたい一冊です。
■どうですか。面白そうでしょう。私は、この本をkindleで購入し、iPadで一気に読みました。この本の著者である渡邉格さんとパートナーの渡邉麻里子さんは、「タルマリー」というカフェを経営されています。渡邉格さん。お名前は「いたる」とお読みするようです。「いたる」さんの「タル」と、麻里子さんの「マリ」を合わせて「タルマリー」というのだそうです。本を読んでいて思いましたが、ご夫婦の信頼関係と行動力は素晴らしいものがあります。麻里子さんは、格さんの「腐る経済学」の熱烈な支持者のようです。二人の中から生まれてきた思想なのかな。それはともかく、この本を読むと、お二人で支えあっていることがよくわかります。さて、「タルマリー」では、天然酵母によるパンや地ビール、そして薪で焼くピザを販売されています(岡山県真庭市から、2015年には鳥取県智頭町に移転)。天然酵母にこだわる背景にある、渡邉さんの「腐る経済」の思想を、「菌本位制」と「地域内循環」というキーワードで説明されています。非常に刺激的です。どう生きていくのか、よく考えている暇も余裕もないまま、人生の選択を迫られしまっている学生の皆さんにも、ぜひ読んでみてほしいと思います。渡邉さんや麻里子さんの生き方から勇気をもらえるかもしれません。
■来月の10日の晩になりますが、東京の青山ブックセンターで、渡邉格さんとパートナーの麻里子さんが、「タルマリー」についてお話しをされるそうです。夜の19時から21時までの2時間です。東京は遠いわけですが、とても気になっています。このイベントが開催されることを、尼崎出身・東京在住の若い友人が教えてくれました。
■以下のリンクは、このイベントの紹介です。
パン・発酵・移住の話を聞こう。~鳥取県智頭町 自家製天然酵母のパンとビール、タルマーリーの挑戦~
【追記】 ■今日は深草キャンパスで終日研究部の仕事でした。他部署を回って意見をいただき、資料を読み込むうちに昼休みになりました。昼食は生協の学生食堂です。「ご飯SS」、「豚汁」、「ローストチキンソテー」、「ごぼうサラダ」、「鉄分たっぷり和え」、「白菜胡麻和え」。全部で717kcal。カロリーは少し多めですね。野菜量は225gと、1食にしてはしっかり摂れました。塩分は6.1gと多めですね〜…。野菜をたくさん食べようと和え物にすると、味付けで塩分を摂ってしまうようです。一番高いのは金額。738円。学食としては、高い。これは失敗です。
75,000アクセス感謝!!
■さきほど、アクセスカウンターが75,000に到達しました。皆様、ありがとうございます。アクセスカウンターは、2012年の9月5日に設置しましたが、それ以降、以下のようにアクセス数が増えてきました(5,000刻み)。5,000ごとに、かかった日数=期間は縮まる傾向にあり、1日ごとの平均アクセス数も伸びてきていましたが、2015年度からは、少し減少傾向です。とはいえ、内容を大幅に改善することも、更新の頻度を上げることも、なかなかできませんし、備忘録か日記のようなものなので…。とはいえ、この調子でご覧いただくと、今年の年末か来年の正月あたりには、「10万の大台」にたどり着けるかもしれません。日記、身辺雑記のレベルを超えることはありませんが、今後ともどうかよろしくお願いいたします。ちなみに写真は、アクセス数とは関係ありません。写真が何もないのも寂しいなと思ったものですから…。
2012/9/5:アクセスカウンター設置。
2013/2/21 :5,000アクセス:期間169日: 30アクセス/日
2013/6/29 :10,000アクセス。期間128日: 39アクセス/日
2013/10/30 :15,000アクセス。期間123日: 40アクセス/日
2014/2/6 :20,000アクセス。期間99 日:51アクセス/日
2014/5/6 : 25,000アクセス。期間89日: 56アクセス/日
2014/8/5 :30,000アクセス。期間91日: 55アクセス/日
2014/10/21: 35,000アクセス。期間77日: 65アクセス/日
2014/12/8 :40,000アクセス。期間48日: 104アクセス/日
2015/1/27 :45,000アクセス。期間50日: 100アクセス/日
2015/3/25 :50,000アクセス。期間56日: 90アクセス/日
2015/5/19 :55,000アクセス。期間55日: 91アクセス/日
2015/7/22 : 60,000アクセス。期間64日: 78アクセス/日
2015/9/27 : 65,000アクセス。期間67日: 75アクセス/日
2015/11/23 : 70,000アクセス。期間57日: 88アクセス/日
2016/1/26 : 75,000アクセス。期間日64日 : 78アクセス/日
【追記】■アクセス数とは関係のない話しになりますが…。先日の社会学部教授会で2017年度の国内研究員に就くことが承認されました。2017年度は、1年間、授業や会議もなく、やっと研究に集中できる年にできそうです。龍谷大学に赴任して12年目ですが、社会学部の学生生活主任を2年、研究主任を1年、大学院の社会学研究科社会学専攻主任を4年(学部の仕事と重なっています…)、研究科長を2期4年、務めてきました。さらに、今年からは2年間、全学の研究部長を務めます。
■授業の関係でいえば、地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」に10年間関わってきました。2006年に構想を立ち上げ、2007年に文部科学省の現代GPに採択され、2008年度から2015年度まで社会学科の担当教員として8年間授業を担当してきました。ずいぶん、大学の仕事をしてきました。その上で、2017年度、1年間研究に専念させていただくことになります。皆様、どうかご理解いただきますよう、よろしくお願いいたします。
■写真は、インドネシアのバリ島にある庭園です。ゆったりとした時間が流れていました。このようなゆったりした時間の中で、集中して研究関連の仕事をしていきたいと思います。
大寒波襲来
■昨晩、気が気ではありませんでした。大寒波が押し寄せてくることがわかっていたからです。昼間のニュースでは、沖縄県にもミゾレが降ったようです。これは尋常ではありません。「約40年ぶり大寒波」とのことです。眠る前にYahooで予報を調べてみました。日本海側に張り付いている雪雲が、北西から南東に向けて移動してきていました。「滋賀、京都南部、大阪、奈良と雪が降り始めるのかな…」と思っていました。朝の9時から瀬田キャンパスで会議が予定されていたので、遅れないようにいつもよりも早目に出勤しなくてはとも思っていました。ところが予想とは違って、瀬田キャンパスのあたりでは雪は降っていませんでした。東近江市や彦根以北にお住まいの方たちのfacebookの投稿には、雪景色の写真がアップされていましたが、大津の南の方は大丈夫でした。しかしながら、さすがに大寒波ですね。1号館の前の、噴水の池の水は凍っていました。
■氷の厚さは、3cm程度でしょうか。面白かったのは、多くの学生たちか凍った池の氷を見て「やばい!!」と言いながら近寄り、その厚さを試そうとしていたからです。さすがに実際に氷の上に乗る学生はいないようでしたが、片足程度はのせてみて少し体重をかけてその厚みを確認しようとしていました。私も片足をのせてみましたが、カチンコチンに凍っていました。少々のことでは割れそうにありませんでした。瀬田キャンパスで働いて12年目ですが、これほどの厚みの氷を見たことがありません。「約40年ぶりの大寒波」がやってきたことを改めて実感しました。
■大寒波とは関係ありませんが、取組んでいる食事の栄養管理のことも少しだけ。今日の昼食は、瀬田キャンパスの生協の学生食堂で頂きました。「ライスSS」、「豚汁」、「若鶏醤油揚げ」(これは意外にカロリーが低いのです)、「ほうれん草のお浸し」、「鉄分たっぷり和え」(ヒジキ、大豆、ジャコ、揚げ、高野豆腐、ほうれん草)、「きんぴらごぼう」。これで、616kcalです。野菜量は207gです。まずまずでしょうか。しかし、塩分が5.9gもある。栄養士さんに言われるような食事を摂ることはなかなか難しいです。いよいよ、弁当を工夫して作るかね。ちなみに、節酒の方ですが継続しています。週に2日か3日、休肝日を設けるようになりました。以前は、酒がないと眠られないように気持ちになっていましたが、特に飲まなくても大丈夫だということがよくわかりました。
妹尾河童さんの「ビェンロー」
■約40年ぶりの大寒波の襲来らしいですね。奄美大島でも雪が降っているようです。これは普通ではありません。facebookを通してですが、香港通の日本人の友人からは、「香港郊外で雪が散らついているよ」と香港の動画を教えてもらいました。台湾の方たちの投稿からは、亜熱帯の台湾に雪が降っていることを知りました。台湾では雪が珍しいらしく、積雪のあった山間部に人が押し寄せているようです。信じられない状況ですね。ネットのニュースによれぱ、このような異常寒波の原因は、北極にあるようです。北極上空に巨大な気流の渦が生まれており、これが原因となっているようです。アメリカ東海岸の歴史的大雪と言われる豪雪も、この渦が原因のようです。
■こんなに寒い冬の晩は、「ピェンロー」がぴったりです。「扁炉」と漢字で書きます。どんな料理かといえば、干し椎茸がまずはポイントになります。今日は、老人健康福祉施設に入所している母親の見舞いと洗濯物の交換のために、兵庫県まで車を飛ばしました。出かける前に、ぬるま湯に干し椎茸の冬子(どんこ)を入れておきました。ちょっと贅沢ではありますが、冬子にこだわった方が良いかと思います。帰宅すると、良い具合に出汁が出ていました。もう一つの大切なポイントは白菜です。「ピェンロー」は冬の甘くなった美味しい白菜をたくさん食べる料理です。軸の部分と葉の部分を分けてカットします。軸の方は、細めにカットします。そして、豚肉と鶏肉と共に、干し椎茸の出汁で、白菜をクタクタになるまで煮込むのです。その際、風味を出すのために入れるのがごま油。これもポイントですね。最後に、春雨を入れて、もう一度ごま油を入れます。まあ、これだけの料理なんですが、とっても美味しいのです。美味しいスープはできるだけ残して、最後に雑炊にします。そのさい、必要なのが、冷たいぺったら漬。大根の麹漬です。これと熱々の雑炊を一緒にいただくのです(今回は、この〆の雑炊の相棒を忘れてしまいました…)。味付けですが、塩と一味だけです。それも、雑炊は別にして、各自で好みの濃さや辛さにします。ちょっと薄いかなという程度の塩味が美味しく食べるためのコツかと思います。
■この「ピェンロー」という料理、広西省の田舎の方(現・広西チワン族自治区)の家庭料理らしいのですが、実際のところ、私は詳しいことを知りません。高校の先輩でもある舞台芸術家の妹尾河童さんが、ご自身の著書の中で紹介してから、全国的に有名になりました。『河童のスケッチブック』という本です。自宅の書架のどこかに入っているはずです(長らく開いていないので、ひょっとしたら家族に捨てられてしまっているかもしれません…嫌だな)。今は文庫本にもなっているはずです。まあ、それはともかく。この本で紹介された「ピェンロー」は、私の印象ですが、あっという間に全国的に知られるようになりました。そして、この「ピェンロー」をさらに有名にしたのが、男性向けの料理雑誌である『dancyu』なのではないかと思います。この雑誌で紹介されてさらに有名になったような気がします(私の印象にしか過ぎませんが…)。こんなことを書いていると、昔、無頼派の小説家である檀一雄の『檀流クッキング』とか、その息子である檀太郎の『新・檀流クッキング』とか、ずいぶん熱心に読んで自分でも実践していたことを思い出しました。私は子どもの頃から料理を作ることが好きです。結婚してから、ずいぶん雑誌の『オレンジページ』で紹介されたレシピに助けてもらいました。さらにいわゆる男料理に関心を向かわせたのが、檀親子の著書なのです。あれっ、最後は、「ピェンロー」とは関係のない話しになってしまいました。
iPhone6 plus の故障
■毎日利用しているiPhone6 plusが、突然、故障してしまいました。自分ではなんともならないし、ネットで情報を探しても解決策が見当たりませんでした。仕方がないので、JRと地下鉄を乗り継いで、急遽、心斎橋のアップルストアまで行ってきました。心斎橋アップルストアのGENIUS BARでは、とても丁寧に対応していただきましたが、スタッフの方も、このようなトラブルは初めて見たとおっしゃっていました。結局、対応策は、復元・再インストールしかないということになりました。どうせ希少な出来事ならば、こんなトラブルではなくて、もっと良いことに当たって欲しいな〜。画像は、その時の見積書。このデータがアップルに保管されルコとになっており、引き続き、トラブル場合は電話で対応していただけることになりました。いやはや…どうなることやら。
第44回「北船路野菜市」
■本日は、第44回「北船路野菜市」が開催されました。5人のゼミ生、指導農家、そして私が参加しました。日本列島に寒波が押し寄せ、その影響で滋賀県では雪が降りました。その影響で、今回は出荷量は少なくなりました。白菜、大根、水菜、壬生菜、白カブ、九条ネギ、サンチュ、里芋、海老芋、餅、大豆…。餅と大豆が若干残りましたが、本日も無事にほぼ完売いたしました。お買い求めいただい皆様、ありがとうございました。このまま順調にいくと、野菜生産の端境期で4月はお休みなので、記念すべき第50回は、8月になります‼︎ 私たちは、消費者の皆様にも、農家と共に地域の「農」を支える側になっていただきたいと考えております。そのために、地域の生産者と消費者をつなぐために活動しています。今後とも、どうかよろしくお願いいたします。第50回の記念にあたっては、いつもとは少し違った雰囲気の野菜市になればと思っています。学生たちに面白いアイデアを出してもらいたいと思います。写真は、学生に送ってもらったものです。
■「北船路野菜市」の後、学生たちは北船路に向かいました。その際、湖西道路の和邇(わに)にある道の駅「妹子の郷」に立ち寄ったようです。この冬に醸された「純米吟醸 無ろ過生原酒 北船路」の写真を送ってきてくれました(写真の撮り方は、いまいち…)。この生原酒、一昨年・昨年ともに大変好評でしたが、今年はさらに良い仕上がりになっているとの評価を、あちこちからいただいています。皆様、道の駅にお立ち寄りの際は、ぜひお買い求めください。今年の酒米は山田錦です。
■過去のエントリーの繰り返しになりますが、少し説明をさせてください。この地酒は、研究会が主催した農村・都市交流イベント「北船路かかし祭」に平井商店の奥様が参加されたさい、「美しい琵琶湖が一望するこの北船路の棚田で、大津の酒米ができたら素敵ね…」という奥様のひとことを、北船路の農家の皆様に研究会がお伝えしたことから誕生しました。農・商・学連携による新しい地酒が誕生することになったのです。今年で3年目になります。研究会では、この日本酒の広報と販売促進に努めています。
■私たちの研究会のメンバーは、私のゼミの学生ですので「社会学部」の学生ということになります。自分たちの力で酒米を生産することもできませんし、日本酒を醸造することもできません。生産や醸造に関する技術と知識がありません。しかし、地域内での連帯や関係をデザインしていくことはできます。それが社会学部の強みかと思います。この瓶のラベルは、ゼミの卒業生が製作しました。「北船路」の文字を書いた学生は日野町役場の職員、龍のイラストを描いた学生はBBCびわ湖放送の社員になりました。全体のデザインを担当した学生は高島市で働いています。みんな元気にしているかな。
“最期のとき”をどう決める~“終末期鎮静”めぐる葛藤~(NHKクローズアップ現代)
▪︎1月19日(火)に放送されたNHKの「クローズアップ現代」のテーマは、「“最期のとき”をどう決める~“終末期鎮静”めぐる葛藤~」でした。強い関心をもっているテーマなのですが、仕事の関係で、この時間帯に家でテレビを視ることができません。しかし、この「クローズアップ現代」の公式サイトでは、すでに放送した内容を、そのまま文字で読むことのできるサービス「放送まるごとチェック!」を提供しています。皆さんも、ぜひ、こちらをまずはお読みください。以下は、番組の紹介文です。
いま、在宅で療養する末期のがん患者に、「終末期鎮静」という新たな医療が静かに広がっている。耐えがたい苦痛を取り除くために鎮静剤で意識を落とし、眠ったまま最期を迎えるというものだ。最新の調査では、在宅で亡くなったがん患者の7人に1人に行われていたことがわかった。自分の意志で、眠ったまま苦しむことなく死を迎える患者。その一方で、遺族の中には、「“終末期鎮静”に同意したことで、患者の人生を終わらせてしまったのではないか」と悩んだり、罪悪感にさいなまれたりする人もいる。自宅で最期を迎えるがん患者が増える中、終末期の医療はどうあるべきか、考える。
▪︎この「放送まるごとチェック!」を通勤電車のなかで読んで、涙が出てきて困りました。番組に登場された末期ガン患者の男性と奥様とのやり取りを読んだときです。ご本人や奥様やご家族も、「終末期鎮静」という選択をして良かったとお考えのようです。しかし、すべての方達がそのように思えるわけではないようです。このような「終末期鎮静」が、「積極的安楽死」とほとんど違わないと考える人もおられるからです。非常に、難しい問題です。医学だけではこのような困難に対応することができません。番組のなかでは、日本在宅ホスピス協会会長であり、医師・僧侶でもある小笠原文雄さんが、次のように述べておられます。
われわれは患者さんにエネルギーの5割ぐらいを、そしてご家族の方にも5割ぐらい、要するに患者さんだけでなくて、家族がお疲れになると、患者さんも疲れた家族の顔を見たくないもんですから、どんどん痛みも悪くなってしまいますので、どうしてもよくない負の連鎖が始まってしまいますから、患者さんとご家族と、両方きちんとケアをしないといけないところは、なかなか両方ケアするのは大変なこともあるものですから、難しい点もあるのかなと思いますよね。
(そういうことから終末期鎮静が選択されてしまう?)
そうですね。
ケアをするためには看護師さんとか、多職種みんなで、大勢の方でケアをしないとうまくいかないことが多いもんですから、最終的には、終末期鎮静にまでなってしまうケースもあるんだなあという、そういう感じがしてます。
▪︎できれば、ご家族も、医師も、「終末期鎮静」という選択をせずに、患者さんに与えられた命を全うして、「生ききって」ほしいと願っていると思いますが、終末期のケアは大変難しいわけです。身体の痛みと心の痛みは連動しているのです。苦しみ方が変わってくるのだそうです。
痛みはやっぱり、心の痛み、これが大事なんです。
心っていうか、精神的な痛み。
いわゆる在宅ホスピス緩和ケアというのを提供してるんですが、ホスピスというのは命、生き方、死に方、みとりの哲学、考え方です。
そして緩和ケアの「緩和」は苦しみを和らげること、「ケア」とは生きる力、希望が出ること、だから心のケアをするだけでかなり痛みの感じ方が変わってくる、苦しみの感じ方が変わってくる。
▪︎このような心のケアの問題は、医学や医療の領域を超える問題です。私は、広い意味での(特定の教団や宗派等にとらわれない)宗教的な支えが必要だと思っています。いずれやってくる最期を、意味のあるものとしてご本人とご家族が共に受け入れるためには、小笠原さんが述べておられたように、「多職種みんなで、大勢の方でケアをしないと」いけません。その「みんなで」の中には、患者さんの最期を意味の側面から支える専門家の存在、すなわち宗教的に支える専門家の存在が必要になると思っています。言い換えれば、生と死の境界を「通過」していくことを支える専門家の存在ですね。では、そのような専門家の支えも含めて、個々の患者さんにとって必要な精神的なセーフティネットを、どのようにすれば構築していけるのでしょうか。私の父は末期の肺癌で苦しんで亡くなりました。父を看取りました。そのとき、現代社会では人の死を扱う様々な専門家が分業化しており、人の死の苦しみをトータルに扱えないことを痛感しました。
▪︎生から死へ、その境界どのように通過していくのか。安心して死に向かうためには、自分のなかに、しっかりとした死に向かうためのイメージが必要になるでしょう。もちろん、よく言われてきていることですが、周りの方たちと最期のことについて語りあっておくことが必要になるでしょう。この世に未練を残していると、非常に辛いと思います。まだ健康なときから、そのような準備を重ねていかなければならないわけです。大変な時代になりました。私の知人のお爺様は、ご家族に「ほな寝まっさ」といっていつものように布団で休まれましたが、朝には亡くなっておられました。大往生です。素晴らしいと思います。誰しもが、自宅で、家族に見守られつつ、眠るように、安心して苦しまずに死んでいきたいと思うでしょうね。また、ご家族の皆さんも、亡くなった方が命を全うされたと、当たり前のように受け止められると思います。しかし、現代社会では、そのような大往生は非常に困難になっているように思います。
社会調査実習の打ち上げ
■昨日は木曜日でしたが、祭日だった月曜日の授業の振り替え日でした。ということで、1・2限は授業がありました。1 限は「社会調査実習」、2限は「社会学演習ⅠB」(3年生ゼミ)でした。今日が2015年度最後の授業の日になりました。ということで、2限の「社会調査実習」の打ち上げを行いました。当然のことながら、会場は、大津駅前の居酒屋いつもの「利やん」ということになりました。といいますか、私が指定したということで…。
■急な打ち上げのアレンジだったので(昨年末に伝えてはありましたが…)、都合のつく学生の皆さんだけの参加になりました。とはいえ、写真のような感じに、楽しい時間を過ごすことができました。好き嫌いのある学生の皆さんでしたが、例えば、クジラの刺身や牡蠣の唐揚げ等も楽しみました(好き嫌いを無くさないと…)。学生との宴会ということで、「利やん」のマスターがいろいろご配慮くださいました。ありがとうございました。
■打ち上げの最後の方で、私やティーチングアシスタントのUくんに、学生の皆さんが感謝の気持ちを込めてメッセージのボードをくださいました。昔だったら色紙ということにとなるのですが、素敵な感じのメッセージボードです。皆さん、ありがとう!! 私の社会調査実習では、沖縄や北海道のような場所ではなく、大学のある滋賀県内を調査地にしています。それは、わざとなんです。そのことについて、学生の皆さんは十分に理解してついてきてくれました。一生懸命、指導についてきてくれて、ありがとうございました。ティーチングアシスタントの宇佐くんも、泣きそうになるぐらい嬉しかったそうです。
【追記】▪︎この実習を履修したSさんからは、このメッセージボードを「研究室に飾ってくださいね」と言われていました。さっそく、そうさせていただきました。ありがとう!!
トワイライトエクスプレス「瑞風」(JR西日本)
■JR西日本で、新しい「トワイライトエクスプレス」が来年の春に運行するようです。動画を見ると、ちょっとだけですけど、心がくすぐられるように気がします。とはいえ、めちゃくちゃ高そうな…。詳しくは、こちらをご覧ください。
8期生報告会・「大津エンパワねっと」の「共有」ってどんなことなのだろう…
■1月17日(日)の午後、瀬田キャンパスの8号館で、地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」コースのイベントが開催されました。8期生による「地域エンパワねっとⅡ」の報告会です。以下は、その報告会で配布された報告書に書いた挨拶文です。
2007年から始まった地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」は、今年度で9年目を迎えました。来年度は、いよいよ節目の10年目ということになります。これだけの長期にわたり「大津エンバワねっと」を継続することができたのは、中央地区と瀬田東学区の皆様、関係諸機関・諸団体の皆様が、いつも暖かく、そして時には厳しく学生たちをご指導してくださったおかげだと思っております。心より御礼申し上げます。
この報告書は、今年度活動してきたエンパワ8期生(46名)の活動の過程と結果をまとめたものです。8期生は、中央地区5チーム(27名)、瀬田東学区4チーム(19名)にわかれて活動を行ってきました。学生たちが、悩み、苦労しながら取り組んできた過程を、この報告書の中から読み取っていただければ幸いです。
「大津エンパワねっと」は、(1)学生の目線から地域の課題を探す「発見」、(2)地域の皆様とともに発見した課題に取組む「解決」、(3)得られた成果の「共有」、この3つの段階から構成されています。しかし、学生たちが、この「発見」・「解決」・「共有」の3つの段階をスムーズに移行できたかといえば、そのようなことは全くありません。
まず、「発見」の段階でつまずきます。それは、学生たちが、自分たちの勝手な思い込みや世間に流布する常識に縛られているからです。地域の皆さんの元に何度も通ってお話しを聴かせていただき、地域を歩きまわり、様々な活動に参加させていただくなかで、やっと意味のある課題の「発見」に至ります。しかも、その課題を「解決」するためのアイデアが簡単に頭に浮かんでくるわけではありません。地域づくりに正解はありません。ここでも学生たちは大変苦労します。この解決の段階でも、地域の皆さんから何度もご指導をいただきながら、やっと小さなプロジェクトの企画が生まれます。企画を実施していくのも大変です。自分たちが思い描いたようには進められません。様々なアクシデントが生じます。そのような苦労を経験することで、小さなプロジェクトのささやかな成果を、やっと地域の皆様と「共有」できるようになるのです。
このような苦労とともに経験したことが、学生たちの人生にとってどのような意味を持っているのでしょうか。また、拙い学生たちの活動を受け入れていただくことは、地域社会にとってどの様な意味を持っているのでしょうか。さらに、大学にとって、地域社会と協力しながら地域連携型教育プログラムを推進していくことの意味は、どこにあるのでしょうか。来年度は、節目となる10年目になります。初心に帰るとともに、多くの皆様と、その様な根本的なところにある問題を改めて考えていければと思います。
社会学部の諸事情から、2015年度より「大津エンパワねっと」のカリキュラムが変更することになりました。「地域エンパワねっとⅠ」が、2年生の前期から始まることになりました。そのため、「地域エンパワねっとⅡ」に取組む7期生と「地域エンパワねっとⅠ」に取組む8期生が、同時に地域で活動することになりました。中央地区と瀬田東学区の皆様には、いろいろご負担をおかけいたしました。ありがとうございました。いろいろ課題を抱えている「大津エンバワねっと」ですが、どうかこれからもよろしくお願いいたします。
■大学という組織が、地域社会と連携して活動しようとするときに、様々な課題が生まれます。一つは、活動の持続性・継続性です。数年で、終わってしまうようなプログラムや活動が多いからです。「大津エンパワねっと」は、文部科学省の現代GP「現代的教育ニーズ取組支援プログラム」の審査を受けるさいに工夫をしていました。社会学部のカリキュラムの中にきちんと正課の授業として位置付け、単位を出し、成績もつけ、さらには学長が認定する資格(まちづくりコーディネーター)も出すようにしました。そのような意味で、カリキュラムの中に位置付けられた一つの資格課程となっています。また、文科省の支援が終了した後もプログラムを動かすことができるように、事業費を確保することが大学の中でも認められていました。教学的にも、財政的にも、きちんと準備をして挑戦したのです。用意周到に準備をしたこともあつて、「大津エンパワねっと」は、一定程度、活動の持続性・継続性が維持されてきたように思います。しかし、その持続性・継続性とは何を指すのでしょうか。
■「大津エンパワねっと」は、(1)学生の目線から地域の課題を探す「発見」、(2)地域の皆様とともに発見した課題に取組む「解決」、(3)得られた成果の「共有」、この3つの段階から構成されています。しかし、学生たちが、この「発見」・「解決」・「共有」の3つの段階をスムーズに移行できたかといえば、全くそのようなことはありません。まず、「発見」の段階でつまずきます。それは、学生たちが、自分たちの勝手な思い込みや世間に流布する常識に縛られているからです。地域の皆さんの元に何度も通ってお話しを聴かせていただき、地域を歩きまわり、様々な活動に参加させていただくなかで、やっと意味のある課題の「発見」に至ります。しかも、その課題を「解決」するためのアイデアが簡単に頭に浮かんでくるわけではありません。地域づくりに正解はありません。ここでも学生たちは大変苦労します。この解決の段階でも、地域の皆さんから何度もご指導をいただきながら、やっと小さなプロジェクトの企画が生まれます。企画を実施していくのも大変です。自分たちが思い描いたようには進められません。様々なアクシデントが生じます。そのような苦労を経験することで、小さなプロジェクトの「ささやかな成果」を、やっと地域の皆様と「共有」できるようになるのです。この「発見」・「解決」・「共有」のプロセスの中で、「ささやかな成果」が地域の中で、そして上の学年から下の学年へと手渡しされていくことこそが、持続性・継続性なのではないでしょうか。
■では、さらに…ですが、「小さな成果」を「共有」するとはどのようなことなのでしょうか。ここが一番重要かなと私自身は思っています。たとえ小さな活動でも、ある瞬間、「ああ、素敵だ…」とか、あるいは「こういうことが大切なんだよね…」と思う出来事があります。そのような出来事は、誰かに命令されたわけでもなく、強制されたわけでもなく、学生と地域の皆さんとが共に活動する中から、自然に、創発的に生まれてくる、湧いてくる…そんな感じのものなのです。なぜそういう出来事を、「素敵」で「大切」だと思うのでしょうか。どのような条件があれば、そのように「素敵」で「大切」な出来事が生まれてくるのでしょうか。そのような出来事は、口の中に入れたコットンキャンディのようにあっという間に消えてしまいます。でも、「またこんな『素敵』で『大切』なことが生まれたらいいな〜」とか、「地域のあちこちに生まれたらいいな〜」とか、さらには「どうしたらそうなるのかな〜」…そのような思いをできるだけ多くの皆さんと一緒に考えるたり思ったりできた時、それが「共有」なのかもしれない…。まだ曖昧な言い方しかできないのですが、最近、そんなふうに考えています。