8期生報告会・「大津エンパワねっと」の「共有」ってどんなことなのだろう…

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■1月17日(日)の午後、瀬田キャンパスの8号館で、地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」コースのイベントが開催されました。8期生による「地域エンパワねっとⅡ」の報告会です。以下は、その報告会で配布された報告書に書いた挨拶文です。

 2007年から始まった地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」は、今年度で9年目を迎えました。来年度は、いよいよ節目の10年目ということになります。これだけの長期にわたり「大津エンバワねっと」を継続することができたのは、中央地区と瀬田東学区の皆様、関係諸機関・諸団体の皆様が、いつも暖かく、そして時には厳しく学生たちをご指導してくださったおかげだと思っております。心より御礼申し上げます。

 この報告書は、今年度活動してきたエンパワ8期生(46名)の活動の過程と結果をまとめたものです。8期生は、中央地区5チーム(27名)、瀬田東学区4チーム(19名)にわかれて活動を行ってきました。学生たちが、悩み、苦労しながら取り組んできた過程を、この報告書の中から読み取っていただければ幸いです。

 「大津エンパワねっと」は、(1)学生の目線から地域の課題を探す「発見」、(2)地域の皆様とともに発見した課題に取組む「解決」、(3)得られた成果の「共有」、この3つの段階から構成されています。しかし、学生たちが、この「発見」・「解決」・「共有」の3つの段階をスムーズに移行できたかといえば、そのようなことは全くありません。

 まず、「発見」の段階でつまずきます。それは、学生たちが、自分たちの勝手な思い込みや世間に流布する常識に縛られているからです。地域の皆さんの元に何度も通ってお話しを聴かせていただき、地域を歩きまわり、様々な活動に参加させていただくなかで、やっと意味のある課題の「発見」に至ります。しかも、その課題を「解決」するためのアイデアが簡単に頭に浮かんでくるわけではありません。地域づくりに正解はありません。ここでも学生たちは大変苦労します。この解決の段階でも、地域の皆さんから何度もご指導をいただきながら、やっと小さなプロジェクトの企画が生まれます。企画を実施していくのも大変です。自分たちが思い描いたようには進められません。様々なアクシデントが生じます。そのような苦労を経験することで、小さなプロジェクトのささやかな成果を、やっと地域の皆様と「共有」できるようになるのです。

 このような苦労とともに経験したことが、学生たちの人生にとってどのような意味を持っているのでしょうか。また、拙い学生たちの活動を受け入れていただくことは、地域社会にとってどの様な意味を持っているのでしょうか。さらに、大学にとって、地域社会と協力しながら地域連携型教育プログラムを推進していくことの意味は、どこにあるのでしょうか。来年度は、節目となる10年目になります。初心に帰るとともに、多くの皆様と、その様な根本的なところにある問題を改めて考えていければと思います。

 社会学部の諸事情から、2015年度より「大津エンパワねっと」のカリキュラムが変更することになりました。「地域エンパワねっとⅠ」が、2年生の前期から始まることになりました。そのため、「地域エンパワねっとⅡ」に取組む7期生と「地域エンパワねっとⅠ」に取組む8期生が、同時に地域で活動することになりました。中央地区と瀬田東学区の皆様には、いろいろご負担をおかけいたしました。ありがとうございました。いろいろ課題を抱えている「大津エンバワねっと」ですが、どうかこれからもよろしくお願いいたします。

■大学という組織が、地域社会と連携して活動しようとするときに、様々な課題が生まれます。一つは、活動の持続性・継続性です。数年で、終わってしまうようなプログラムや活動が多いからです。「大津エンパワねっと」は、文部科学省の現代GP「現代的教育ニーズ取組支援プログラム」の審査を受けるさいに工夫をしていました。社会学部のカリキュラムの中にきちんと正課の授業として位置付け、単位を出し、成績もつけ、さらには学長が認定する資格(まちづくりコーディネーター)も出すようにしました。そのような意味で、カリキュラムの中に位置付けられた一つの資格課程となっています。また、文科省の支援が終了した後もプログラムを動かすことができるように、事業費を確保することが大学の中でも認められていました。教学的にも、財政的にも、きちんと準備をして挑戦したのです。用意周到に準備をしたこともあつて、「大津エンパワねっと」は、一定程度、活動の持続性・継続性が維持されてきたように思います。しかし、その持続性・継続性とは何を指すのでしょうか。

■「大津エンパワねっと」は、(1)学生の目線から地域の課題を探す「発見」、(2)地域の皆様とともに発見した課題に取組む「解決」、(3)得られた成果の「共有」、この3つの段階から構成されています。しかし、学生たちが、この「発見」・「解決」・「共有」の3つの段階をスムーズに移行できたかといえば、全くそのようなことはありません。まず、「発見」の段階でつまずきます。それは、学生たちが、自分たちの勝手な思い込みや世間に流布する常識に縛られているからです。地域の皆さんの元に何度も通ってお話しを聴かせていただき、地域を歩きまわり、様々な活動に参加させていただくなかで、やっと意味のある課題の「発見」に至ります。しかも、その課題を「解決」するためのアイデアが簡単に頭に浮かんでくるわけではありません。地域づくりに正解はありません。ここでも学生たちは大変苦労します。この解決の段階でも、地域の皆さんから何度もご指導をいただきながら、やっと小さなプロジェクトの企画が生まれます。企画を実施していくのも大変です。自分たちが思い描いたようには進められません。様々なアクシデントが生じます。そのような苦労を経験することで、小さなプロジェクトの「ささやかな成果」を、やっと地域の皆様と「共有」できるようになるのです。この「発見」・「解決」・「共有」のプロセスの中で、「ささやかな成果」が地域の中で、そして上の学年から下の学年へと手渡しされていくことこそが、持続性・継続性なのではないでしょうか。

■では、さらに…ですが、「小さな成果」を「共有」するとはどのようなことなのでしょうか。ここが一番重要かなと私自身は思っています。たとえ小さな活動でも、ある瞬間、「ああ、素敵だ…」とか、あるいは「こういうことが大切なんだよね…」と思う出来事があります。そのような出来事は、誰かに命令されたわけでもなく、強制されたわけでもなく、学生と地域の皆さんとが共に活動する中から、自然に、創発的に生まれてくる、湧いてくる…そんな感じのものなのです。なぜそういう出来事を、「素敵」で「大切」だと思うのでしょうか。どのような条件があれば、そのように「素敵」で「大切」な出来事が生まれてくるのでしょうか。そのような出来事は、口の中に入れたコットンキャンディのようにあっという間に消えてしまいます。でも、「またこんな『素敵』で『大切』なことが生まれたらいいな〜」とか、「地域のあちこちに生まれたらいいな〜」とか、さらには「どうしたらそうなるのかな〜」…そのような思いをできるだけ多くの皆さんと一緒に考えるたり思ったりできた時、それが「共有」なのかもしれない…。まだ曖昧な言い方しかできないのですが、最近、そんなふうに考えています。

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