炭鉱の記憶と関西 三池炭鉱閉山20年展
■一昨日の晩、社会学部の懇親会「おうみ会」が開催されました。場所は、瀬田の唐橋のそばにある「料亭 あみ定」です。その際ですが、同僚の教員からこのチラシが配布されました。「エル・ライブラリー」(大阪産業労働資料館)で開催される展覧会「炭鉱の記憶と関西 三池炭鉱閉山20年展」のチラシです。
炭鉱の記憶と関西 三池炭鉱閉山20年展
■私は、1964年の4月から1970年の3月まで、福岡県の小倉と博多に暮らしていました。小倉に住んでいるときは、自宅の近くに、港と炭鉱とをつなぐ引き込み線があり、すでに廃線になっていたことからそこをよく近道に使っていました。雑草が生えた廃線跡を、時々歩いていたのです。子ども心に、「この線路のずっと向こうにボタ山があるんだな」と思っていました。ボタ山とは、石炭の採掘で発生する捨石(ボタ)が小山のように積まれた集積場のことです。もっとも、私が小倉に暮らしていたその時期、すでにエネルギーの王座を石油に譲譲り渡していました。
■展覧会の話しから横道に逸れますが…。当時、私は、親からバイオリン教室に通わされていました。「篠崎バイオリン教室」です。詳しいことは、リンク先のエントリーをご覧いただきたいと思います。現在、NHK交響楽団のコンサートマスターをしている篠崎史紀さんのお父様・篠崎永育先生が主催されている教室でした。教室は先生のご自宅で、現在の小倉北区の足立と呼ばれる地域にありました。私は、先生のご自宅から子どもの徒歩であれば20分ほどのところにある団地に暮らしていました。日本公団住宅が建設した城野団地です。親から通わされていたわけですから、バイオリンが好きではありませんでした。練習不足で、よく先生に叱られていました。結構、辛かった思い出です。先生に叱られて、夕日を浴びながら、配線になった線路をトボトボと自宅である団地まで歩いていて帰るわけですね。そのことを、よく覚えています。
■さてさて、そのよな少年の時の記憶とこの展覧会は、なんの関係もありませんが、何か気になるのですね。来年度は、国内長期研究員。研究部の会議もありませんので、ぜひこの展覧会に行ってみようと思います。
龍谷大学におけるセクシュアルマイノリティの現状とニーズに関するアンケート報告書
■以下は、龍谷大学のホームページに掲載された記事を転載したものです。
本学は、「龍谷大学におけるセクシュアルマイノリティの現状とニーズに関するアンケート報告書」を発行しました。
このアンケートは、本学の人権問題研究委員会が主体となり、早急に取り組まなければならない人権課題のひとつとしてセクシュアルマイノリティの問題を認識し、現状を把握することを目的として実施したものです。2016年11月9日から12月8日にかけて、大学ポータルサイト内のアンケートに回答する形式で、本学の学生および教職員を対象におこないました。
アンケートには、858人(学生710人、教職員148人)の回答があり、うち130人(15%)がセクシュアルマイノリティを自認している学生や教職員からの回答でした。
アンケート結果から、セクシュアルマイノリティとはごく身近で当たり前の存在であること、大学内で、日常に嘲笑的言動が生じていることや、「話のネタ」として使われることも多く、無自覚・無理解の発言が相手を傷つけている結果が明らかとなりました。特に教職員の発言は、学生への影響力が大きく、セクシュアルマイノリティに対する教職員の理解を深めることが重要であると言えます。
また、セクシュアルマイノリティであることをカミングアウトしていない人も多く、大学の姿勢を明確にすることや気軽に話せるコミュニティづくり、相談窓口の設置、性別に関係なく誰でも使用できるトイレの設置などを要望する声が あがりました。
その他、「出生時の性が女性」の「学生」411人中13人(3.2%)が、「自認する性」がわからないと回答し、36人(8.8%)が「好きになる性」がわからないと回答しました。自らのセクシュアリティが定まっていない人や、揺れ動いている人が多いのでは ないかと推測できます。なお、本アンケートの詳細内容は、ホームページで報告書データを掲載しております。本アンケート結果を公表することにより、大学関係者のみならず多くの方のセクシュアリティに対する理解が深まり、多様性を認めあう文化の創造に繋がることを願っています。
<アンケートの概要>
1.実施主体 龍谷大学人権問題研究委員会(事務局:宗教部)
2.回答期間 2016年11月9日~12月8日
3.回答方法 大学ポータルサイトによる無記名アンケート
4.対象者 本学学生および教職員(学生21,785人、教職員2,720人)
5.回答者 858人(学生710人、教職員148人)詳細については、以下の報告書をご覧ください。
【アンケート調査に関するお問い合わせ先】
宗教部 Tel 075-645-7880
龍谷大学職員採用
■龍谷大学では、ただいま「専任事務職員(新卒)のエントリー受付中」です。詳しくは、以下をご覧ください。熱意、探究心、創造力、協働力のある若者に応募していただきたいです!!
龍谷大学職員採用情報
専任事務職員(新卒採用)募集要項
551で昼食
■大切な資料等をまとめておいたのですが、それがなかなかみつかりません。ちょっと絶望的な気分になっていたのですが、朝、もう一度気を取り直して自宅の書斎を探索していると、書類の山の一番下から無事にその資料を発掘することができました。思わず、といっても小さな声ですが、歓声をあげてしまいました。まあ、普段の整理が悪いものですから、こんなことになってしまいます・・・。一度、研究室も書斎も、徹底的に整理をします。
■書類を発掘したあと、今日は深草キャンパスに向かいました。写真は、今日の昼食です。昼からの会議の提案資料を読み込みながら、その内容を再度頭に入れなおす作業と並行しながら「551の豚まん」を楽しみました。しかし、仕事をしながらというのは、せっかくの「551」が…なんですが、仕方がありません。「551」は、本当に和風の味付けです。醤油の味付けがベースだからそう感じるのですね。深草での会議が終わったら、すぐに瀬田キャンパスに行きます。研究部と社会学部教務課で事務処理をして教授会と研究科委員会。「551」パワーで乗り切ります。あっ、晩は学部の懇親会でした・・・。いろいろたまっておりますが、頑張ります。
SHINOBI-TRAIN
■昨日、湖西線の最寄駅にたっていると、いつもとはデザインの異なる電車がやってきました。「忍」の字が見えました。忍者の忍です。漢字の下には、「SHINOBI-TRAIN」。「しのびとれいん」、つまり「忍電車」ですね。なぜ、湖西線で「しのびとれいん」なのか・・・と疑問が出てきます。甲賀忍者のふるさとの地域を走る草津線ならばわかるのですが・・・。おそらく、草津線を走る電車は湖西線も走っているから・・・ではないかと思います。それはともかく、プチ鉄道ファンなものですから、このような電車に乗れることで心が躍りました。このデコレーション、電車のなかを見てわかりましたが、完全に草津線用のものですね。ということで調べてみました。
■こちらのサイトの記事によれば、以下のように紹介されています。「日本だけでなく世界でも特に知名度の高い忍者の里、甲賀市と伊賀市を結ぶJR草津線は、「甲賀の里忍術村」の最寄り駅である甲賀駅も含まれている。このたび、滋賀県と草津市、栗東市、甲賀市、湖南市、日野町、三重県伊賀市で組織される『JR草津線利用促進プロジェクトチーム』は、『忍者』という世界的なコンテンツをより活かすために『しのびとれいん』を企画した」。なかなか素敵なデザインですよね~。
■吊広告のところにも、まるで天井から手裏剣をもった甲賀忍者がいます。車内に忍び込んだかのようです。おもしろいですね~。記事によりますと、デザインは投票で決められたようです。複数のデザイン案に観光客が投票していったのですね。期間は10月22日から11月27日。「沿線地域と台湾など計11カ所のイベント会場などで実施」とあります。台湾まで!! 台湾からのインバウンド効果をねらっているのでしょうね。複数のデザイン案の中から、「国内外の計2019人から投票を得て、もっとも多い581票を獲得したのが今回採用された、忍者のシルエットに流線模様が施された躍動感溢れるデザイン」とのことです。2月25日にデビューしたそうですが、なかなかこの電車に出会うことはないと思います。そう思うと、通勤時にたまたま乗ることができてとてもラッキーだったわけですね。
三寒四温
■あたふたと年度末の仕事に取り組んでいます。そのような日々のなかで、少しずつ暖かくなってきているのを感じます。まだ、寒い日があると思いますが、寒い日がすぎるごとに暖かさが増していくように思います。今日は春の雰囲気を感じています。そんなことを、自宅近くに咲いている梅の花をみながら感じました。ところで、こういう季節を表現する言葉に「三寒四温」がありますが、どういう自然科学的・気象学的な背景があるのかしりませんでした。こういうことなんですね。
三寒四温とは、冬の時期に寒い日が3日くらい続くと、そのあとに比較的暖かい日が4日続くという意味の言葉で、寒暖の周期を表しています。
もとは中国の東北部や朝鮮半島北部で冬の気候を表す言葉として用いられました。冬のシベリア高気圧から吹き出す寒気が7日ぐらいの周期で、強まったり弱まったりすることに由来する言葉とされています。
日本の冬は、”3日間寒い日が続いた後に4日間暖かい日が続く”という周期が現れることはほとんどありません。
その代わり、日本では早春になると低気圧と高気圧が交互にやってきて、低気圧が通過し寒気が流れ込んで寒くなった後、今度は高気圧に覆われて暖かくなり、周期的な気温の変化を繰り返すことが多くなります。
このため、日本においての『三寒四温』という言葉は、本来使われる冬ではなく、寒暖の変化がはっきりと現れる春先に用いられるようになりました。
■学内、学外、年度末の締切のある仕事が次々に迫ってきます。頑張ります。
第8回「びわこレイクサイドマラソン」
■毎年恒例の「びわこレイクサイドマラソン」、第8回目になりました。大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」のランニングチーム「チーム利やん」の仲間と一緒に、天候に恵まれた琵琶湖湖畔12kmと15kmを走りました。私は、全8回のうち6回に参加してきました(欠場の2回は、出張と風邪のため)。この「レイクサイドマラソン」、そもそも私自身が走りたくて走ったのではありません。「利やん」のマスターが、どうしても店の常連と一緒に大会に出場したいと強く希望されたことに根負けして走ることになりました(すぐに説得されたように思いますが…)。それが、「チーム利やん」の事の発端です。最初はたった6人のチームでしたが、ここ何年間でトップの画像のように大勢の皆さんが参加してくれるようなチームに成長しました。もちろん、私のように鈍足の人も、健康づくりのために走っているような人も含めて、ランニングのレベルは様々です。様々といえば、今回は、72歳の男性もチームの一員として参加してくださいました。素晴らしいですね。
■6人の時代から、少しずつ強い選手のリクルートに励んできました。まずは、龍谷大学のアスリート職員のみなさん。NTTやパニソニックのランニング愛好家のみなさん。そして、龍大職員のアスリートの皆さんと繋がっているトレイルランニングやトライアスロンのチームの皆さん…。そうやって数珠繋ぎ方式で、「強い」皆さんをリクルートしてきました。その効果もあり、毎年、入賞者を出すチームへと成長してきたのてす。今回は6名が入賞されました(このうち龍大の職員が4名おられます)。また、チームとしては2回目になりますが、そのうちのお1人は優勝されました。素晴らしい。12kmの部で尾崎祐介さんが優勝されました。すごいです!! 「チーム利やん」、かなりすごいチームになってきました。
■2つ目の画像は、15kmを走るメンバーの集合写真です。15kmのスタート地点は、浜大津港の琵琶湖ホテルの前のあたりです。12kmのスタート地点は、ドイツビールレストランのビュルスブルクの前のあたりです。昨日は、大変天候もよく、ランニング日和でした。さて、ここからは私自身のことについて。今回は…というか、今回も前回に引き続き、全く練習をせずに出場することになりました。その結果は、記録に正直に出てきます。ブログにアップするように記録ではないのですが、自分への戒めとしてアップしておきます。
■フルマラソンの出場を目指して練習を始めたのが2012年の夏。練習を必死にしていた2013年の大会は、1時間19分56秒でした。5分20秒/km程度のスピードです。アスリートの皆さんからすれば、ジョギングのようなスピードですが、これが自己ベストです。2014年3月2日(日)の「篠山ABCマラソン」グロスタイムは4時間53分14秒/ネットタイムは4時間45分51秒でした。この辺りがピークでした。しかし、そこからが…。その後は、練習を続けていくことができず、昨年は100kmウォーキングを完歩したものの、ランニングの方は練習を積んでいくことができませんでした。その結果、今回は、ワースト記録を更新です。1時間44分11秒。6分57秒/km。あまりの遅さに愕然とするようなスピードです。練習を積み重ねないと、心肺機能が低下してしまいます。昨日も辛かったです。
■私とは対照的に、昨年の春に早期に龍谷大学社会学部を退職された原田逹先生は、同じ15kmでしたが自己ベストを更新されました。退職後も、体力維持・向上を目指して、ランニングに励んでこられました。「練習は嘘をつかない」ということがよく言われますが、まさに練習の成果がきちんと記録に表れたわけです。素晴らしい!! 8歳年上の原田先生が練習を積み重ねて自己記録を更新されたということは、励みになります。私も、もう一度復活したいものです。
2010びわ湖レイクサイドマラソン記録速報(15km 男子50歳以上の部)(87人中80位 1:35:38)
2011びわ湖レイクサイドマラソン記録速報(15km 男子50歳以上の部)(119人中114位 1:37:07)
2012びわ湖レイクサイドマラソン記録速報(15km 男子50歳以上の部)(167人中146位 1:35:27)
2013びわ湖レイクサイドマラソン記録速報(15km 男子50歳以上の部)(84人中46位1:19:56)
2014びわ湖レイクサイドマラソン記録速報 欠場
2015びわ湖レイクサイドマラソン記録速報 欠場
2016びわ湖レイクサイドマラソン記録速報(15km 男子50歳以上の部)(169人中162位1:41:28)
2017びわ湖レイクサイドマラソン記録速報(15km 男子50歳以上の部)(222人中189位1:44:11)
■大会は午前中に終了しましたが、午後からは、「利やん」で打ち上げの宴会になりました。これも毎年恒例です。と言いますか、居酒屋のランニングチームですから、この打ち上げを楽しみにして、毎年参加してくださっているのです。ありがとうございます。店員さんやチームオーナーであるマスターのご家族の皆さん、休日にもかかわらず宴会のお世話、ありがとうございました。一応、なんちゃって…ですが、キャンプテンなものですから、メンバー集めと宴会の参加確認及び宴会の進行をさせていただいております。来年こそは、もう少しキャプテンらしい記録で走りたいものです。来年は、男子50歳以上にエントリーできる最後の年になります。頑張ります。
【追記2】■「びわこレイクサイドマラソン」は午前中、午後からは「利やん」で、お互いを健闘を讃えあう「打ち上げ」を開催しました。写真は、その時のものです。龍谷大学のアスリート職員の皆さん、そして昨年12月のホノルルマラソンに出場した原田先生と中川さんです。
春が近づいています
■2枚の写真は、我が家の庭を写したものです。どういう名前の花なのか、園芸に弱い私はさっぱりわからないのですが、この2枚の写真から春が近づいていることを感じます。左が2月2日、右が2月20日に撮影したものです。今年の滋賀県は、かなり雪が降りました。大津市の私の家でも、中心市街地よりも少し北寄りにあり、しかも山沿いにあることから、雪かきが必要なほど降雪しました。しかし、次第に寒さも緩んできているように思います。
■今年の3月末で、研究部長の仕事が終わります。3月30日、そして31日までしっかり会議の日程が組まれていますが、それで終わりです。4月1日からは、長期国内研究員ということになります。期間は1年間。やっと自分の研究に集中できる時間を取ることができます。非常に嬉しいです。元旦のエントリーにも書きましたが、龍谷大学に勤務してからの13年間で、学生生活主任2年、研究主任1年、社会学研究科長4年、研究部長2年、合わせて9年。その他にも社会学研究科の専攻主任等の仕事も長らくやってきました。加えて、文科省の「現代GP」として採択された地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」についても申請の段階からずっと担当してきました。こうやって随分働いてきたので、精神的に金属疲労を起こしそうな状態にあります。自分の研究に集中しながら精神のリハビリに努めます。
■その前に…。2年間、研究部長をしている間に、研究室が物置状態になってしまいました。いけません。研究室内の様子は、私の精神の状態を示しています。まずは、掃除から始めなければなりません。2日間ほどかけて、しっかりと清掃と書籍や書類の整理に努めようと思います。その次は、1年間の研究のスケジュールを立てようと思います。この1年間では次の4つの研究に取り組みます。①過去に取り組んだ滋賀県びわこの石けん運動の研究を、戦後の琵琶湖の政策(水資源開発と環境保全)の文脈の中に位置づけ直す歴史社会学的研究、②「魚のゆりかご水田」を事例とした環境政策・環境実践・生物多様性に関する研究、③総合地球環境学研究所のプロジエクト、④研究員後の種の仕込み…。先日、少しご紹介した、昔を地図を使った研究は③に入ります。
■後、個人的には、来年も「びわ湖チャリティー100km歩行大会」に参加したいと思います。また、今度こそ…なのですが、しっかり走り込みフルマラソンの大会にも出場したいと思います。なんだか、夏休み前から意気込んでいる小学生のようですね…。でも頑張ります。それと、体力をつけることとも関係していますが、歯医者や身体の検査もしっかりやっておこうと思います。頭の中の棚卸し、身体のオーバーホールです。
「平湖・柳平湖公園化対策委員会」合同会議
■昨日は、朝から龍谷エクステンションセンターの「REC会議」に、昼過ぎからは「情報総合機構会議」に出席、その隙間に年度末に事務書類の作成等…。研究部長の仕事は3月31日までしっかり入っていますが、バタバタした日常も、あと1ヶ月ちょっとになりました。
■15時あたりで瀬田キャンパスでの仕事をとりあえず中断し、草津市の平湖・柳平湖という内湖のある農村集落、志那町に向かいました。総合地球環境学研究所の調査です。京都にある地球研の車に便乗させてもらうため、瀬田キャンパスからJR堅田駅まで移動し、そこから地球研の車で琵琶湖大橋を超え、草津市の志那町へと移動しました。ほぼ、琵琶湖の南湖を一周することになります。なんだかな〜…という移動パターンなのですが、仕方がありません。瀬田キャンパスから草津駅まではすぐなのですが、そこから湖岸の志那町までは、バスの本数も限られており、歩くにしてもかなり距離があるからです。
■志那町では、まず志那漁業協同組合を訪問し、組合長さんたちに、内湖で行う地球研の魚類相の調査に関してご説明させていただきました。内湖には漁業権が設定されているため漁協のご協力が必要なためです。漁協としても、私たちの調査に非常に関心を持っておられるようです。捕獲調査では、量的には、圧倒的に外来魚が多いわけですが、環境DNAという最新の手法を使って調べると、ウキゴリ、オイカワ、オオクチバス、カネヒラ、カマツカ、キンブナ、ギンブナ、ゲンゴロウブナ、コウライニゴイ、コイ、タモロコ、チチブ、トウヨシノボリ、どじょう、ナマズ、ニゴロブナ、ビワヨシノボリ、ブルーギル、ホンモロコ、ヤリタナゴといった様々な種類の魚が生息していることが確認されています。私たちのこの内湖での研究の目的を簡単に言えば、志那町のみなさんと協働しながら、魚を中心とした生き物の賑わいを豊かにしていくことにあります。
■漁協では、50年ぶりに内湖にエリと呼ばれる定置漁具を設置されました。トップの画像がそのエリです。琵琶湖に建てられる大きなエリとは異なり、内湖のエリは小さなものです。今後は、漁協のエリ漁とも連携しながら、魚類相の調査を進めていくこができればと思っています。実は、この総合地球環境学研究所がこの内湖で調査をさせていただくにあたっては、ちょっとした「経緯」があります。以下の、関連エントリーをお読みいただければと思います。県の事業に委員として私が関わったことで、この志那町の皆さんとご縁をいただくことができました。
今日は滋賀県庁
平湖柳平湖の「つながり再生構築事業」の協議会
「つながり再生モデル構築事業」第4回協議会
魚の賑わい
取り戻せ!つながり再生モデル構築事業」について
■漁協でお話しをさせていただく前ですが、写真のような看板を志那町の集落の中で見つけました。「閘門」についての説明板です。琵琶湖総合開発によって堤防が建設される以前は、水位の高い内湖と水位の低い琵琶湖の間を船で行き来するために、このような閘門が設置されていました。現在では、圃場整備、河川改修、そして琵琶湖総合開発が終わり、内湖と共に農地の広がる風景が広がっていますが、元々は、田舟がなければ自分の水田には移動できないような地域でした。もちろん、今は軽トラックでの移動になりますが、かつて全て田舟での移動だったのです。1つ前のエントリー「圃場整備・河川改修・琵琶湖総合開発前の内湖の地図」にも書きましたが、そのような時代のことを、地球研の調査の一環としてお聞かせいただく予定です。農業のこと、漁撈のこと、その他の生き物のこと、遊び、水害、内湖で行われていた淡水真珠の養殖、地図を見ながら頭に浮かんでくる様々なエピソードまで、いろいろお話しをお聞きかせいただきたいと思っています。
■お話しをしていただく年代の方達は、おそらく70歳以上の方達が中心になろうかと思いますが、年齢の違い、また性別の違いで、記憶されていることの内容にも差異が出てくることでしょう。そのような差異も含めて、私には非常に興味深いものがあります。例えば、以前は、琵琶湖の藻を刈り取り肥料として使っていましたが、同様に、内湖の湖底に溜まった泥もすくって、その泥についても肥料として利用していたようです。これは、琵琶湖の湖岸の地域であれば、多かれ少なかれ聞き取りをすると出てくる話しなのですが、年齢が少し下がるだけで、そのような経験をしていない、あるいは知らないということがあるわけです。地域の環境を大きく改変する開発事業や、農業に関する技術革新等の近代化を人生のどのあたりで経験するのかによって、記憶に差異が生まれてくるのです。
■晩の19時半からは、志那町の志那会館で、「平湖・柳平湖公園化対策委員会」合同会議が開催されました。志那町の皆さん、滋賀県(河川砂防課、琵琶湖政策課)、草津市(公園緑地課、農林水産課)、滋賀県大、立命館大の教員、そして私たち総合地球環境学研究所が出席しての合同会議になりました。志那町の皆さんの内訳は、平湖・柳平湖各組対策委員、対策委員三役、対策委員会専門部部長、副部長、真珠小委員会委員、町役、組長責任者、生産組合長、漁業組合長、老人クラブ会長。「オール志那町」という感じで、なんだか迫力がありますね。
■長年にわたって進めてきた内湖整備のハード事業は、最終段階を迎えています。「平湖・柳平湖公園化対策委員会」の委員長のFさんは、「これからはソフト事業」と会議を締めくくられましたた。私たち総合地球環境学研究所は、この最後の段階から参加させていただくわけですが、先祖代々、米と魚とともに生きて来られた皆さんと、魚の賑わいのある内湖を将来世代に残していくための多様なソフト事業に参加・参画していく予定になっています。
■この画像は、志那町のあたりから、比良山系を眺めたものです。頂上には、「びわ湖バレイ」スキー場の灯が見えました。写真ではわかりませんが、強い風が比良山の方から吹いています。
圃場整備・河川改修・琵琶湖総合開発前の内湖の地図
■午前中、滋賀県庁の琵琶湖環境部琵琶湖政策課の職員の方と一緒に、草津用水土地改良区事務所を訪問しました。明日、一緒に訪問する予定担っている滋賀県草津市志那町の昔の地図を拝見するためです。もちろん、現在の地図ではありません。圃場整備事業を行う以前の時代の地図です。上の画像いただければご理解いただけると思いますが、いわゆる「青焼」の地図です。今の若い方達には、「青焼」といってもよくわかりないと思います。でも、説明するのは面倒臭いので、ご自身でお調べください。
■琵琶湖の湖岸に面した志那町の圃場整備は昭和47年(1977年)から始まりました。この「青焼」の地図では、圃場整備事業が行われる直前のこの地域の様子がわかります。時間が経過しているので、地図も劣化し変色していますが、よくよく見ると、地域内に大小様々な水路が走っていることがわかります。もちろん、巨大国家プロジェクトである琵琶湖総合開発(1972年〜1997年)が行われる前になります。志那町にある平湖・柳平湖という内湖も、複数の水路で琵琶湖とつながっていました。当時は、閘門が設置されていました。琵琶湖と内湖の水面の高さが異なるためです。船で琵琶湖と内湖とを行き来するために設置されていたのです。内湖の周辺だけでなく、琵琶湖から離れた所にも、水路が走っていました。
■以前、志那町の皆さんに、田舟を使った農業や魚とり(おかずとり)のことなど、いろいろ聞かせていただいたので、地図をじっと眺めていると、地図の中に陸と水が入り混じった「水っぽい」世界が浮かび上がってきました。土地改良区事務所では、同様の地図が草津市役所にもあるお聞きしました。そこで、すぐに草津市役所の都市計画課を訪問しました。そして、突然の訪問でしたが、河川改修や圃場整備事業以前の都市計画の白地図を見せていただきました。昭和41年のものです。こちらの地図も、非常に素晴らしかったです。ワクワクしました。
■これから、この志那町の内湖の環境再生と志那町の地域づくりがセットになったような事業に参加・参画していくことになっています。明日は、私が参加している総合地球環境学研究所のプロジェクトのメンバー、滋賀県、草津市、滋賀県大、立命館の教員が参加する会議に出席します。この事業のなかで、この地図を活用して、人びとの個々人の記憶の中に眠っている「水っぽい」世界を「見える化」して(一種のアクションリサーチ)、若い世代の皆さんも含めた地域全体の財産として共有できるようになれば…と思っています。詳しいことは、またお伝えできるかと思います。