しばらく更新できませんでした…
▪︎ブログの更新、しばらくお休みしていました。いろいろ、盛りだくさんで、精神的にも疲れてしまい、更新する気力が湧いてきませんでした。毎日、覗いてくでさっている皆様、申し訳ありませんでした。ちょっと気持ちをハイにするために、「Stand By Me」をアップします。
▪︎今後のエントリーの予定ですが、2月7日・8日に、中津川市にまちづくりのお手伝いに行きました。その時のことも、アップしたいと思います。まだ、完成させていない「本文続きます」のエントリーもありますね…。なかなか厳しいですが、頑張ります。
Johannes Brahms - String Sextet op.18 - 2. Andante, ma moderato
▪︎昨晩、突然、ブラームスの弦楽6重奏曲第1番第2楽章を聞きたくなりました。仕事の片手間で聞きたいので、YouTubeを探したところ、こんな動画がアップされていました。6重奏曲は、バイオリン、ビオラ、チェロ、それぞれ2人づつの編成で演奏します。バイオリンのお1人は、マッシモ・クァルタという方です。私は、お名前を存じあげませんでしたが、イタリアの有名なバイオリニストなのだそうです。1991年度パガニーニ国際コンクールの優勝者でもあります。印象ですが、このイタリアの皆さんのブラームス、なんだか、これまで聞いてきたものとは違って、すごく「うねる」というか「ゆれる」という感じがします。でも、これも新鮮で良いのかな…と思いました。
▪︎ちなみに、この第2楽章は、フランス映画の「恋人たち」 (ルイ・マル監督)で使われているのだそうです。調べてみました。すると、この映画で使われた曲のばあい、チェロはあのカザルスが演奏しているというではありませんか。カザルスは、チェロの現代的奏法を確立した巨匠です。以下は、「恋人たち」の動画です。こちらの第2楽章は、私がこれまで聞いてきた「がっしり」した「力強い」演奏でした。動画は貼り付けませんが、リンクだけでも。
http://youtu.be/BgSJDuyrvWI
▪︎さらに調べてみると、この映画のストーリーは、以下の通り。「夫に不満をもつ若き人妻が、ふと知り合った若者と情熱の一夜をすごし、夫も家もすてて若者とともに去る」というものなのだそうです。映画を観ていないので、ストーリーだけだと「なんだかな〜…」という展開です。個人的には、第2楽章のイメージと、映画のストーリーのあいだにはギャップがありすぎます(笑)。数珠繋ぎ的に調べてみました。ルイ・マル監督は、あの「死刑台のエレベーター」の監督なのだそうです。これは、この監督のデビュー作です。こちらは、ジャズ・トランペッターのマイルス・デイビスの即興演奏で、大変有名です。マイルス・デイビスのことと、映画の題名ぐらいは私でもわかるぐらい有名です。ちなみに、こちらの映画もヒロイン(社長夫人)の夫(社長)は、彼女の不倫相手(社員)から殺されてしまうのです。これはひどく単純化したストーリーで、実際には、もっと複雑です。
「死刑台のエレベーター」動画http://youtu.be/upO75002b9k
ルイ・マルの解説http://www.ppmz.com/essays/katsusha/katsusha_008.htm
▪︎これらの映画は、みんな、私が生まれた頃の映画です。断片的な知識としては知っていますが、この時代の映画を丹念にみたことはありません。こうやってみると、学生の皆さんに偉そうにいえる立場でもないわけです。しかし、私は自分がいろいろ知らないことについて、どこか自分のなかにちょっと困ったことだな…という恥じらいの気持ちがあります。もっと知りたい、あるいは勉強したいという気持ちも強くあります。なんのためか。それは、単に知りたいから。知ることで、世界が拡がるから。わくわくするから。「それが何の得になるのか? 」。「それは、わかりません。それぞれの人ごとに…」というしかありません。でも、よくわからない事柄を「もっと知りたい…」という気持ちが、自分の中から湧き出てくることは、人が生きていくうえでとても大切なことなのではないかと思うのです。最後の部分、知り合いの学生の皆さんに向けて書いています。
【追記】▪︎以下は、IsraeliChambrProject によるブラームスの弦楽6重奏曲第1番の演奏です。全曲です。第2楽章は16分45秒あたりから始まります。こちらの重厚でがっしりした演奏の方が、私としてはしっくりきますね。じつに素晴らしい。
Israeli Chamber Project
吹奏楽部の定期演奏会
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■23日(火・祝)、大竹茂夫さんの個展を神戸の三宮にある画廊で「堪能」したあと、川西の奥の奥にある老母宅に向かいました。この日は、どうしても大竹さんの個展に行きたかったので、老母の生活介護は妻に頼み、妻が用事をすべて終えてくれた頃に到着することになりました。そこから老母宅の期限切れ間近の軽自動車を車検に出し(ふだんは私が買い物用に使用する)、その後は妻とともに大阪を経由して大津に向かいました。「びわ湖ホール」で開催される「龍谷大学吹奏楽部第41回定期演奏会」を楽しむためです。神戸、川西、大阪、大津…なんとも慌ただしい一日でした。
■この龍谷大学吹奏楽部の定期演奏会、毎年、楽しみにしています。毎年行っているので、とうとう今年はご招待いただきました。関係者の皆さん、ありがとうございます。プログラムは、以下の通りです。
【プログラム】
《Ⅰ部》
○「フライト」 作曲:C.T.スミス
○「日本民謡組曲『わらべ唄』」 作曲:兼田敏
○「アルメニアン・ダンス」 作曲:A.リード《Ⅱ部》
○「歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』より間奏曲」 作曲:P.マスカーニ/編曲:建部知弘
○「交響第5番『革命』より」第4楽章 作曲:D.D.ショスタコーヴィチ/編曲:上埜孝
○「トランペット協奏曲変ホ長調」 作曲:J.N.フンメル/編曲:上埜孝
(客演:菊本和昭 NHK交響楽団主席トランペット奏者)
○「吹奏楽のためのラプソディ」 作曲:外山 雄三/編曲:藤田玄播
■第Ⅰ部の指揮は吹奏楽部コーチの児玉知郎さん、第Ⅱ部の指揮は、吹奏楽部の音楽監督であり常任指揮者でもある若林義人さんでした。こうやってプログラムを拝見すると、Ⅰ部は吹奏楽のために作曲された作品、Ⅱ部は管弦楽の作品を吹奏楽に編曲したものであることがわかります。また、Ⅰ部とⅡ部には、それぞれ「日本民謡組曲『わらべ唄』」と「吹奏楽のためのラプソディ」が入っています。日本の「わらべ唄」や「民謡」をもとに作曲された作品です。ということもあるのでしょうか、今回の定期演奏会のポスターは「日本」をイメージするものになっています。
■前者の「日本民謡組曲『わらべ唄』」は、アメリカの高校生のために1962年に作曲された作品です。後者の「吹奏楽のためのラプソディ」は、1960年にNHK交響楽団が行った海外演奏旅行のために作曲された作品(アンコール用)です。1960年と1962年。戦後復興を一定程度終え、これから本格的に高度経済成長期に突入していく時代です。1964年には、世界に日本の復興をアピールすることになる東京オリンピックが開催されます。日本が国際的な信頼と自らの自信を取り戻そうとする時代です。そのような時代の精神を背景に、日本の作曲家達はどのような思いで仕事をしたのでしょうか…。バルトーク、ヤナーチェクのような作曲家が、母国であるハンガリーやチェコの民俗音楽や民謡にこだわりながら作曲したように、兼田敏や外山 雄三も日本の民俗音楽にこだわったのではないのか…。きちんと音楽の歴史を勉強したことがないので、思いつきのようなことを書いていますが、そのようなことが気になりました。よく、日本のメロディーと西洋の語法との融和を図った…という評価がなされています。以下、今回の演奏に関して、メモ程度のことをごく簡単にまとめておきます。
■私は、学生時代にオーケストラに所属してヴァイオリンを弾いていたので、どちらかといえば第Ⅱ部の曲に注目していました。「歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』より間奏曲」は、しばしば学生時代に演奏した曲です。弦楽器のない吹奏楽でどのように演奏するのか、大変興味がありました。吹奏楽のために編曲されているわけですが、ピアノやピアニッシモなどの部分、弦楽器独特の響きをどのように演奏するのかに関心があったのです。/ショスタコーヴィチの第5番・第4楽章は、練習を積み重ねてきたことがよく伝わってきました。一人一人の皆さんの技術的な高さがよく伝わってきました。/トランペット協奏曲は、初めて聞く曲でした。トランペット奏者にとって、このフンメルの協奏曲は、ハイドンの協奏曲とならんでとても有名な作品ということも知りました。18世紀後半に活躍したアントン・ワイディンガーというトランペットの名手が、有鍵式のトランペットを発明して半音階の演奏ができるようになりました。その名手ワイディンガーのために作曲された協奏曲です。プログラムの解説によると、原曲はホ長調。ところが、実際には変ホ長調で演奏されることがほとんどなのだそうです。調べてみると、変ホ長調の場合、たとえばB♭管では♭が1つですむのに対して、原曲のホ長調だと♯が6つになってしまい、現在のトランペットでは演奏がかなり困難になるとのこと。もちろん、N響の菊本さんのトランペットの演奏は、素晴らしいものでした。第3楽章の技術的に難しそうなパッセージも軽々と吹いておられるので、本当にびっくりでした。ワイディンガーという名手のために作曲されたということがよくわかりました。
■最後の「吹奏楽のためのラプソディ」は、一番楽しみにしていた曲でした。本来は、「管弦楽のためのラプソディ」として作曲されたものです。和太鼓、チャンチキと呼ばれる鉦、拍子木、うちわ太鼓、鐘といった日本の伝統的な打楽器が活躍します。また、「あんたがたどこさ」(肥後手まり唄)、「ソーラン節」、「炭鉱節」、「串本節」、「八木節」など、私たち日本人には聞き慣れた(若い学生の皆さんは違うと思いますが…)民謡が多数登場します。もっとも、この曲を初めてきいた欧米の人たちは、まったく違った印象をもっただろうと思います。打楽器によるリズム、土俗的なメロディ、いずれもが強烈な印象を与えたのではないかと思います(当時の海外の音楽批評がどのようなものであったのかは知りませんが)。個人的なことをかけば、途中に「信濃追分」のフルートのソロが奏でられます。大変感動しました。じつに、じ〜〜んと心に凍みました。この最後の「吹奏楽のためのラプソディ」では、指揮者の若林さんや、パーカッションの方達が法被を着ておられました。また、指揮者のまわりには、うちわ太鼓をもった4名のパーッカション担当の方達があぐらをかいて座っておられました。これも、ひとつの演出なのかなと、楽しませていただきました。
■以下の動画は、NHK交響楽団による「管弦楽のためのラプソディ」です。指揮者は、この作品の作曲者でもある外山雄三さんです。1983年の演奏会ですから、今から30年程前のものですね。コンサートマスターの堀正文さん(現在は、ソロ・コンサートマスター)、むちゃくちゃお若いですね。
【追記】■おもしろいインタビュー記事をみつけました。「指揮者・外山雄三さんが聴く「N響アーカイブシリーズ」- 初海外演奏旅行の秘話を語る」という記事です。NHK交響楽団が初めて海外演奏旅行したときのことに関して、外山雄三さんがインタビューを受けている記事です。
ノルウェー旅行(4) - グリーグのカエル -
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■ノルウェーの作曲家・グリーグは、ピアノの名手でした。ただし、かなりの「あがり症」だったようです。演奏するさいは、このカエルをお守りのようにポケットに入れていました。そして、指先で、このカエルのお守りをこすっていたのです。本物は、ゴム製だったようです。もちろん、これはお土産です。グリーグの暮らした家がある場所(「トロールハウゲン」)には、少し前に投稿したコンサートホールだけでなく、博物館もあるのですが、その博物館のショップに売られていました。グリーグがもっていたお守りのレプリカですね。前足が欠けています。おそらく、本物が欠けているのでしょうね。
■グリーグにとって、このゴムのカエルは、単なる幸運を呼ぶお守りを超えて、精神的なつながりをもった友達だったようです。このカエルの他に、子豚のぬいぐるみの友達もいました。寒い冬のあいだ、グリーグは、自分の作品をもってヨーロッパのあちこちに演奏旅行することが多かったようですが、そのときにはいつもカエルくんと子豚くんが一緒でした。眠るときも、一緒だったと伝えられています。
■グリーグの博物館では、彼の生涯についていろいろ学ぶことができました。特に、妻であるニーナ・グリーグとの関係は、とても興味深いものがあります。グリーグ自身、以下のように語っています。「私は素晴らしい声とたぐいまれな解釈力を持つ若い女性に恋をした。その女性が私の妻となり、生涯の伴侶となった。あえていえば、ニーナは私の歌曲の唯一の理解者であり、表現者だ」。詳しくは、以下のページをご覧ください。
ニーナ・グリーグ Nina Grieg (1845~1935)(norway the official site japan)
■グリーグの生涯について関心をもつようになり、良い伝記はないかとちょっとだけ調べてみました。すると、この本が一番、読んでみたいと思いました。「音楽の友社」のサイトのなかで、青山学院大学の広瀬大介(ひろせ・だいすけ)さんが、この本の書評を書かれています。この書評を読んで、迷わず読んでみることにしました。
本書は、グリーグの生涯を丹念に追いかけるというよりも、作曲家の生涯においてもっとも輝ける瞬間をそのまま切り取り、そこからグリーグの人となりをあぶりだすような手法を用いる。ノルウェーの民謡素材を用いつつも、それを普遍的言語へと高める努力を惜しまぬ結果生まれた《ピアノ協奏曲イ短調》作品16、そしてもっとも長大な分量が割かれる《ペール・ギュント》など、「音楽そのもの」を媒介として、そこから作曲家の生涯を浮かび上がらせていく。とりわけ、後者を巡るヘンリク・イプセンとの関係は興味深い。お互い完全に胸襟を開くわけではないものの、その志のありようをきちんと理解しあう友情は、互いの芸術を尊重するゆえの距離感なのだろう(このような詩人と音楽家の距離感の取り方は、ホフマンスタールとリヒャルト・シュトラウスのそれをある程度識る筆者にとっては、大変納得ゆくものだった)。
こうした特殊な、ある種の入門的・あるいは啓蒙的とも言うべき記述方法を採用したのは、そもそもグリーグの浩瀚な伝記は言うに及ばず、北欧音楽の研究書そのものが日本語ではまだまだ少ない(これは日本に限らず西欧諸国でも大差ないはず)という特殊事情にもよるだろう。寡作なグリーグの場合であれば、代表曲についての記述によって、その生涯をほぼ網羅できてしまう。
その全貌をいまだ知られているとは言い難いこの作曲家を多くの人に知ってもらう、という観点から見れば、この叙述方法は、考え得る幾多の方法のなかでも、もっとも適したものと思われる。まだ人目に触れることの少ないグリーグ関連の写真もふんだんに用いられており、それを見るだけでも豊かな発見に満ちている。もっとも、作曲家の人生とその作品を並置して描こうとするこの方法は、前者の体系的な叙述がある程度犠牲になることは避けられない。巻末の年譜を参照しながら読むことで、理解を補うことも必要になるだろう。作品へのアプローチも、その種の人間ドラマを紡ぐことに主眼があるために、「音楽そのもの」への言及はごく限られている。
龍谷大学吹奏楽部第41回定期演奏会
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■今年も龍大吹奏楽部の定期演奏会に参ります。これで何回目だったかな…。さきほど申し込みました。もう、すでにC席しか残っていませんが、なんとかセーフ。早めに申し込んでいなかったので、わざわざ吹奏楽部の関係者の方が、研究室の扉にメッセージを残してくれました。ありがとうございました。手分けして、営業活動にも励んでおられるのですね。
■ところで、今回のプログラムのなかには、「吹奏楽のためのラプソディ」(外山 雄三)が入っています。「管弦楽のためのラプソディ」を吹奏楽部版に編曲したものでしょうかね。楽しみです。
【プログラム】
《Ⅰ部》
フライト
作曲:C.T.スミス《Ⅱ部》
トランペット協奏曲変ホ長調
作曲:J.N.フンメル客演/菊本 和昭(トランペット奏者)
吹奏楽のためのラプソディ
作曲:外山 雄三
【追記】■後日談。毎年通っているということで、どういうわけか招待されることになりました。ありがとうございます。
ズービン・メータ
■昨晩は、リビングからマーラーの5番が聞こえてきました。NHK「クラシック音楽館」を妻が視ていました。昨晩は、ズービン・メータ指揮のイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団。プログラムは、シューベルトの「交響曲 第6番 ハ長調 D.589」とマーラーの「交響曲 第5番 嬰ハ短調」でした。私がきがついたときは、すでにマーラーの5番が始まっていました。
■メータは1968年からイスラエルフィルの音楽監督を務めているそうです。非常に長い関係ですね。強い絆で結ばれているといわれています。シンフォニー全体の仕上がり具合に関しては、なんともいえませんが、豊かな弦楽器の響きにちょっと驚きました。素晴らしさは噂通りだなと思いました。また、アンコールは、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲。これは私自身、思い出深い曲なので、グッときました〜。
■ところで、メータとイスラエルフィルによるマラーの5番を聞きながら、「あれっ…そういえば、メータのLPレコードをもっていたな」と思い出したのでした。すでに、LPレコードを聞くことのできるプレーヤーは、我が家にはありません。なんですが、LP自体はいまだにきちんと保管してありました。誇りかぶっていましたけど…。ジャケットは、若い頃のメータ。といいますか、このLPレコード自体を購入したのが、ずいぶん昔のことですので、当然、メータの髪の毛も黒々としています。中をあけると作曲家・音楽評論家の柴田南雄が解説を書いています。その日付は、1976年になっています。購入したのは1976年ではなく、もう少し後だと思います。価格は、4,000円。当時、超・貧乏だった私によく買えたな…と思うような価格です。
「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲(マスカーニ作曲)
■余韻に浸る間もなく、「ブラボー」!! とても日本的現象かもしれませんね。メータも、目を丸くしてびっくりしています。個人的には、この「プラボー」と叫んだ人も恥ずかしいだろうに…と思うわけですが、意外に本人は得意げだったりして…。この曲は、学生時代に何度も弾きました。しかし、私たち学生では、こんなに長くフレーズ感じとることや、同時に繊細かつダイナミックに演奏する事はできませんでした。今から思うと恥ずかしいです…。譜面づらは弾けるのですが、こんな風にはまった演奏できませんでした。まあ、あたりまえか(^^;;。
第6回「大津ジャズフェスティバル」
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■昨日は、第6回「大津ジャズフェスティバル」(OJF)でした。実行委員のMさんから、緊急にボランティアをしてもらえないかとの打診があり、土曜日だけボランティアをさせていただきました。私の担当場所は「大津祭曳山展示館前」でした。ひさしぶりの会場担当でしたが、なんとか無事にボランティアを終えることができました。ありがとうございました。第6回をむかえた「大津ジャズフェスティバル」、じつに立派に運営をされています。安定感がありますね。「大津祭曳山展示館前」の受付をしながら、昔のことを思い出しました。
■10月15日の京都新聞の1面のコラム「凡語」に、小山さんの事が書かれていました。
青い琵琶湖と秋空を背景にしたステージで、プロやアマチュアのミュージシャンが演奏し、多くのジャズファンが音楽を楽しむ。「世界一美しい」をうたい文句とする大津ジャズフェスティバルが18、19の両日、大津市の浜大津など湖岸一帯で開かれる▼市民の自主的な活動として2009年に始まり、今年で6回目となる。開催を言い出したのは、第3回まで実行委員長を務めた故小山清治さんだ▼大津市の市街地を歩き、シャッターが下りた商店の多さに驚いたのがきっかけだった。「好きなジャズでまちなかを盛り上げたい」と、仲間と立ち上がった▼数人しかスタッフが集まらない会議もあったが地道に賛同者を増やし、強いリーダーシップで初回を成功に導いた。その後、がんが見つかり、闘病の中で第3回を開いたが、一昨年春に54歳で亡くなった▼遺志を継いだスタッフたちの奮闘で、その後もイベントは盛大に続き、今年は約160組1100人が32会場で演奏する。プロも含めて全て無料で聴けるのが魅力の一つだ▼小山さんは運営を始めたころ、「とりあえず、第5回までは何とか続けたい」と話していた。今回、もうその回数を超える。故人が当初想像した以上に育ったフェス。今年は、どんな音色をまちなかに響かせてくれるのだろうか。 [京都新聞 2014年10月15日掲載]
■第1回の2009年の7月に、父親が1年間の闘病の末に亡くなりました。私はずっと看病等で週末は父のところにいっていたので、「大津ジャズフェスティバル」の実行委員会立ち上げには参加できましたが、その後、実行委員としては実質的に参加できないでいました(実行委員会が週末に開催されたため…)。ボランティアかなにかでお手伝いをしようと思っていましたが、小山さんは、わざわざ私に声をかけてくださいました。開催近くになって、再び実行委員になってほしいと呼んでくださったのでした。しかし、実際に実行委員会に参加してみるときちんと機能しているようにはとても思えませんでした。人はそれなりに集まっていましたが、必要な知恵をだし、きちんと動ける人があまりにも少なすぎました。人を動かす仕組みもありませんでした。また、私が知る限りですが、MCなどをしたいという人はいても、汗をかいて舞台裏の仕事等をする覚悟のある人が少なすぎました。上記のコラムのなかには、「初回を成功に導いた」とありますが、それは天国の小山さんも「ちょっと違うよ、それは…」とおっしゃるかもしれません。実際、第1回の運営は惨憺たるものがありました(あくまで個人的な見解ですが)。個人的な知り合いの街の皆さん、そして市役所の職員の方からも、厳しい評価をいただきました。
■しかし、このときの失敗を乗り越え、きちんと実行委員会を再構成し、準備をしっかりした第2回目以降からは、「大津ジャズフェスティバル」は軌道に乗り始めしまた。社会経験豊富な社会人の実行委員の方が増えて、実行委員会の組織を機動力をもたせるた形に再構成したことが大きかったと思います。ジャズフェスティパルの目指す方向性や運営の仕組みをめぐっては様々な議論(激論)が交わされましたが、結果として、現在のジャズフェスの原型ができあがったのが、この第2回目なのではないかと思います。そして私が参加できたのも、この第2回目までです。というのも、1人暮らしを始めた老母の生活介護や大学の地域連携事業等で忙しくなり、ジャズフェスティバルにエネルギーを注ぐだけの余裕が無くなってしまったからです。第6回「大津ジャズフェスティバル」は、冒頭にもかきましたが、第2回目以降の経験知やノウハウが蓄積され、多くの実行委員やボランティアの参加もあり、大変安定した運営のように思えました。素晴らしいですね。
■以下は、塩漬け状態になっている個人プログのなかの「大津ジャズフェスティバル」のエントリーです。忘れていたことを、いろいろ思い出します。この他にも、「ジャズフェスティバル」で検索すると、たくさんの記事がまだ出てくると思います。ジャズフェスの前史のような感じになりますが、私と小山さんとの出会いは、2008年でした。当時、大津市が主催していた地域SNSを通して出会いがありました。そして、6月には、龍谷大学社会学部で実施している地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」と、中心市街地で地域づくりに取り組んでいる「大津まちなか元気回復委員会・企画部会」とのコラボレーションによる「町歩き」に、小山さんは参加されました。大津中心市街地の寂しい様子を目の当たりにし、「大津ジャズフェスティバル」の実施を決意されました。そのような話しも、以下のエントリーのなかに出てくるかもしれません。
2009/5/14「大津ジャズフェスティバル(その1)」
2009/5/14「大津ジャズフェスティバル(その2)」
2009/5/14「大津ジャズフェスティバル(その3)」
2009/5/14「大津ジャズフェスティバル(その4)」
■ところで、写真の説明をしていませんでしたね。ステージの背景は、「大津祭曳山展示資料館」です。ガラスを通して、なかに曳山の原寸大レプリカが置かれていることがわかります。「西王母山」です。この展示館がある丸屋町の曳山です。
■トップの写真は、「ORB」というバンドです。パンフレットには、「同じ会社で働いていた仲間が集まり、スタンダード・ジャズなどの演奏を楽しんでいる『おやじバンド』です」と自己紹介されています。定年退職をされた中までジャズを楽しまれているのですね。演奏ですが、これがまた素晴らしいのです。多くの人びとが会場の前で足を止めて、その演奏を楽しまれていました。
■3枚目の写真は、「幸バンド」です。男女のボーカルが印象的です。最後のステージということもあり、ベテラン…の風格が漂っています。迫力ありました。私の仕事は、会場の設営と撤収に加えて、パンフレット等の配布とともに、ステージが終わるたびに、募金をお願いすることでした。300円以上の募金をしていただくと、様々な種類が用意されたOJF特製のカンバッジを差し上げる仕組みになっています。たくさんの方達が募金をしてくださいました。市民の実行委員とボランティアが開催して、多くの市民が応援する…そして街に音楽と賑わいを生み出す、素敵だと思います。
チャイコフスキー交響曲第5番
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■風邪をひいてしまい38℃の熱が出ていましたが、病院に処方してもらった薬で、やっと熱が下がりました。体調も安定してきたように思います。今回は、風邪がもとで、2日間の禁酒をせざるを得ませんでした。しかし、体調が戻ったので「もう、飲んでも良いでしょう〜」と自分で勝手に診断し、夕食では缶ビールをいただきました。美味しいですね〜。
■晩は、ひさしぶりに、テレビでNHK交響楽団の演奏を楽しみました。プログラムは、モーツァルトの交響曲 第40番と、チャイコフスキーの交響曲 第5番です。後者の「チャイ5」は、私が学生時代(学部4年生)に演奏した最後の曲です。懐かしかったですね〜。指揮者のブロムシュテットさんは、1927年生まれといいますから、87歳になります。ものすごく、お元気ですね。驚きます。亡くなった父親と同年齢とはとても思えません。番組では、演奏前にプロムシュテットさんの解説がありました。このようなことをおっしゃっていました。スコアには、作曲家がすべてにわたり細かく指示を書いている…というのですね。なぜそのスピードなのか、なぜこの音であって別の音でないのか。作曲家の意図を細かく検討していくと、その曲が深く理解できる…まあ、そのようなお話しでした。スコアという地層を掘り進む科学者のようでもあります。曲を、作曲者という主体の視点から構造的に理解しようとされている…そういうふうにいえるのかもしれません。
■今回のN響の演奏では、ブロムシュテットさんが思うように演奏できたのでしょう。そのことが、演奏後のブロムシュテットさんの満足げな様子からよくわかりました。チャイコフスキーの曲では、しばしばメロドラマのようなロマンチックな演奏がみられます。しかし、ブロムシュテットさんの指揮は、ロマンチックな演奏でありながらも、スコアの分析にもとづく曲の解釈の「枠組み」があり、その「枠組み」のなかで適度に抑制されているように思えました。ベタベタしたところが、ありません。そのバランスの妙味は、87歳で現役の指揮者にしかできないことなのかもしれません。
■ところで、「チャイ5」と書きました。オケの世界では、曲名に関して業界用語がいろいろあります。「チャイ5」は「チャイコフスキーの交響曲第5番」のことです。だから、チャイコフスキーの交響曲4番のばあいは、「チャイ4」といいます。では、6番はどうかというと、こちらは「悲壮」タイトルがついています。ベートーベンだと、交響曲の3・5・6・9番は、それぞれ「英雄」・「運命」・「田園」・「第9」と呼ばれることが多いわけですが、その他は、「べー1」、「べー2」、「べー4」、「べー7(なな)」ということになります。私が学生時代に演奏した曲でいえば、ドボルザークの交響曲9番については良く知られるように「新世界」となりますが、8番は「ドボ8」といいます。「ブラ1」、「ブラ2」、「ブラ3」、「ブラ4」。これは、すべてブラームスの交響曲ですね。えっ…と思うものもあります。たとえば、「モツレク」です。モーツァルトの「レクイエム」です…。話しが脱線してしまいました。
■トップの写真は、私が4年生の12月に行われた「関西学院交響楽団 第60回 定期演奏会」の写真です。私にとっては、学部生時代最後の定期演奏会です。演奏しているのは「チャイ5」。指揮は、湯浅卓雄先生です。今日、自宅にあるMDに録音された演奏を聞いてみました。まあ当然なのですが、いかにも学生オーケストラ…です。特に弦楽器は、初心者から始めた人がほとんどなので、技術的なレベルでいえば、…いろいろ問題があります。いやお恥ずかしい…という感じなのですが、指揮者の湯浅先生は、そのような技術的なレベルであっても、私たち学生オケの良いところを引き出し、できるだけ良い演奏に曲全体をうまく組み立てようとされていることが伝わってきます。
■写真のなかには、現在も市民オーケストラで活躍されている人たちが多数います。羨ましいですね〜。また、音楽大学等からエキストラで来ていただいた方のなかには、その後、プロのオーケストラに入団された方もおられます。このブログで何度も書きましたが、私はといえば、28歳のときにそれまで続けてきた音楽活動を中止しました。それは、それでよかったと思っていますが、問題は、はたして楽器を再開できるのか…ということでしょうね。
【追記】■ブロムシュテットさんと東日本大震災・いわき市について。
ブロムシュテットのスピーチ〜いわき市民に語りかけた5分間(前編)
ブロムシュテットのスピーチ〜いわき市民に語りかけた5分間(後編)