母のこと
◾️新年4日の晩から、娘の一家が我が家にやってきました。もちろん、可愛い孫も一緒です。今回は、人見知りもなく、娘夫婦があらかじめ画像や動画で私のことを事前学習しておいてくれたおかげか、笑顔で「おじいちゃん」と言ってくれました。一緒に、積み木でも遊びました。アホのように見えるでしょうが、私自身は、大変幸せです。
◾️5日は、その娘夫婦と孫、そして息子や妻と一緒に老人ホームにいる老母を見舞いました。というか、見舞う予定でした。ところが、朝、老人ホームから連絡が入りました。血液の酸素量や血圧が下がっているので病院に搬送するというのです。母は、先々月あたりから、かなり弱ってきていましたが、とりあえず、救急隊員の方達の処置で少し持ち直したようです。病院に駆けつけて母を見守りましたが、幸いなことに、母の様子が落ち着いてきたということで昼過ぎに老人ホームの方に戻ることになりましたが、老人ホームに戻った母が喋ることはありませんでした。意識があるようにも思えませんでしたが、孫たち(息子と娘)が一生懸命声をかけて見舞ってくれました。意識がないように見えてはいましたが、ひょっとすると、孫たちの声が聞こえていたのかもしれません。
◾️見舞った後は、老人ホームの側と「看取り」についての合意をしておくことにしました。滋賀医科大学の医師から、「いつ亡くなっておかしくない。まだ2年先まで生きておられるかもしれない。いつ亡くなられるかはわからない。だからこそ、お母様の延命治療をどうするのか老人ホームの側ときちんと相談をして欲しい」とのアドバイスをいただいたからです。ただし、「看取り」の協議については隣接するクリニックの医師の同席が必要とのことで、正月の休み明けに、その協議を行うということになりました。
◾️朝から大騒動でしたが、ひとまず、母を見舞った私たちは遅い昼食を摂るため老人ホームの外に出ました。そして昼食を摂っている時、老人ホームの方から私の携帯電話に連絡が入りました。今しがた、母が息を引き取ったというのです。孫たちに会った直後だったこともあり、大変驚きました。本当のことはよくわかりません。都合の良い考えかもしれませんが、孫に会って、孫の声を聞いて、安心して息を引き取ったのではないかと思います。享年86歳でした。7日に通夜を、8日に葬儀を相済ますことができました。家族と親戚だけの小さな葬儀でしたが、生前母が私によく言っていた通り、葬儀会社には、明るい華やかな洋花で祭壇を飾っていただきました。葬儀の後は、孫も含めて家族や親戚の皆さんと、母の棺を鮮やかな花でいっぱいにしました。
◾️葬儀の後は、比良山系の麓にある火葬場に。天候も晴れ。少し暖かい日でした。母のご遺体がお骨になるまで親戚の皆さんから、それぞれの方の母の思い出をたくさんお聞きすることができました。炉から出てきた母の遺骨については、女性の職員の方が、大変丁寧にご説明くださいました。まるで人骨の講義をされているかのように丁寧にご説明くださいました。その中で、「指仏」という言葉を知りました。指先の骨なのだそうです。「お母様は、手先がご器用でいらしたのでしょうね」と職員の方が言われました。たしかに。和裁、洋裁、編み物が好きでしたし、料理も好きでした。おそらくは母のお骨上げをしてくださった家族や親戚の皆さんの記憶に残ることでしょう。お骨上げ。それを見ていた孫も自分でやってみたかったようですが、1歳9ヶ月でまだ少し小さいわけで、ちょっと無理ですね。ごめんね。おじいさんの時には、ぜひよろしくお願いします。
◾️9日は亡くなった母が入所していた老人ホームに行って、母の居室から荷物を引き上げてきました。母が使っていた電動式の介護のベッドとリクライニングの車椅子については、ベッドは福祉団体に、リクライニングの車椅子は老人ホームに寄付させていただきました。考えてみれば、母のことについては、この10年間で実に多くの皆さんのお世話になってきました。その方達のお顔が頭に浮かんできます。地域包括支援センターの職員さん。介護保険のケアマネージャーさん。ヘルパーさん。訪問看護師さん。いろいろ支えてくださったご近所の皆さん。病院の医師や看護師の皆さん。老健の職員の皆さん。最寄りの役所の職員の皆さん。老人ホームの職員の皆さん。司法書士の先生。それから妻をはじめとする家族や親戚の皆さん。最後は、葬儀会社の社員の皆さんや火葬場の職員の方にも。お一人お一人の方達に、母のことに関していろんなことをお話しし、ご相談してきました。その時々、皆さんからの親切で優しいお言葉から、どれだけお力をいただけたかわかりません。また、facebookにも母の介護のことを投稿してきましたが、fbの友達の皆さんにも、介護で疲れた気持ちをどれだけ慰めていただき、励ましていただいたかわかりません。本当にありがとうございました。
◾️10日は、母が暮らしてい町の役場に行き、様々な手続きをしました。後期高齢者医療、介護保険、障害者手帳…。うっかりしていて、印鑑証明証のカードと障害者手帳のことを忘れていました。明日は、もう一度カードと手帳を返却しに役場に行って、その後は尼崎にある年金事務所に行きます。年金と健康保険の手続きをします。これで、とりあえずは社会的な手続きは一段落かなと思います。明日は、大阪梅田を経由することになります。昔、奈良に暮らしていた頃、母の世話をしに行く時には、よく阪急梅田三番街の「インデアンカレー」で昼食を摂って気合を入れたものです。明日は、うまくいけば開店直後に食べられるかもしれません。甘くて辛いカレーをいただきながら、この10年間のことを、いろいろ思い出すことにします。
2019 あけましておめでとうございます!
◾️新年、あけましておめでとうございます。皆さま、本年もよろしくお願いいたします。
◾️大晦日に息子が帰省しました。元旦は、いつもよりも1人多い3人でお雑煮とお節料理いただきました。これは習慣だと思いますが、正月は家で作ったお節料理を頂かないと気持ちが落ち着きません。蒲鉾、イクラ、カズノコ以外は、すべて我が家で作られたものです。あっ、そうそう、葉蘭も南天も庭にはえているものです。雑煮だけは私が作ります。我が家の元旦の雑煮は、すまし。例年は鶏肉と水菜と焼き餅なのですが、水菜が売り切れていたことから替わりに小松菜です(関東方面は、小松菜入れることが多かったような気が…)。明日からは、雑煮は白味噌になります。ちなみに餅ですが、年末に購入したデロンギのオーブントースターでうまく焼けました。まあ、こんな感じで穏やかな元旦を過ごしました。
◾️2日は、帰省した息子も一緒に、家族で老人ホームにいる老母を見舞いに行きました。到着したのは、3時のオヤツを食べたあとです。老人ホームに入所して2年少しが経ちますが、今は話しかけても「はい」としか言えません。息子(=孫)が話しかけても、反応がありません。誰がやってきたのか、よくわからないのかもしれません。そうこうしているうちに、また眠ってしまいました。ひさしぶりに見舞いに来た息子には、母が弱っていることがよくわかるようでした。ただし、痛みや苦しみが見られないようなので安心したようです。
◾️ 2年前、母が滋賀の老人ホームに移ってしばらくしてからの正月は、まだみんなで介助をすれば、我が家に連れてくることができました。2年前は、まだ笑顔がありました。しかし、その年の春に脳内出血を起こしました。滋賀医大に入院しました。退院はできましたが、身体に麻痺が残ることになりました。介護保険のレベルも要介護5になりました。すべてに介助を必要とするようになったのです。その後、腎臓の問題で、またまた入院。この10年間に、眼底出血、横紋筋融解、硬膜下血腫…いろんなことで入院してきました。入院のたびに体力がなってきたように思います。今は、「はい」しか言えない程弱ってきているわけです。5日には、娘の家族と一緒に老人ホームの母を見舞おうと思っています。小さな孫(母にとってはひ孫ですが…)のことがわかるかな。
◾️見舞いの後は、少し琵琶湖の風景を眺めながら帰宅することにしました。南湖の東側から、比叡山、そして雪で白くなった比良山系の山々をしばらく眺めて風景を「味わい」ました。お正月からキャンプを楽しまれている方達がおられます。すごいですね。
◾️ここで少し昨年のことを振り返っみようと思います。2018年は、私にとってどんな年だったのでしょうか。良いことばかりではありません。不愉快なこと、腹ただしいことがありました。これはここに書くわけにはいきませんね。まあ、組織で働いていれば、ある意味で仕方のないことでもあります。悲しいこともありました。大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」のマスター光山幸宏くんが亡くなったことです。本当に悲しかった。仕事では大きな変化があったわけではありませんが、還暦を迎えたことで、なにか気持ちに少し変化が生まれたきたように思います。退職まで順調にいけばあと8年になり、大学教員として今後取り組むべきことが、私の意思というよりも、様々な方達との「ご縁」のなかで、結果として絞り込まれてきたようにも思います。
◾️おそらく人生最後になる、流域ガバナンスに関する文理連携の研究プロジェクトも終盤を迎えました(こういうプロジェクトは、生涯に何度もできるものではありません)。当初からの構想を大切にしつつ、強い意志を持って最後までやり遂げます。このように終盤を迎えていることもありますが、新しい取り組みも始まりました。市民団体「水草は宝の山」も、少しずつですが歩みを進めています。この取り組みを契機として新たにNPOも生まれようとしています。「ビワポイント」という環境保全活動をサポートする社会的仕組みも動き始めるはずです。また、仰木の里学区の皆さん、大津市役所、そして龍谷大学の学生・教職員の協働による「学生まちづくりLaboratory」の取り組みも前進を始めました。そんなこんなで、来年も、地域社会の中に「贈与の精神」が循環する素敵な取り組みや仕組みが、お世話になっている皆さんとのつながりの中でうまく育っていくように、楽しみながら努めていきたいと思います。
◾️そうそう、昨年は、母校・兵庫県立兵庫高等学校の同級生の皆さんとも、再びつながり、交流が始まりました。とても嬉しかった。たいへんありがたいことです。同級生の皆さん、よろしくお願いいたします。神戸を訪問するチャンスが増えると素敵だなと思っています。
◾️冒頭の動画は、「水草は宝の山」の活動に一緒に取り組んでいる山田英二さんが、経営されている真野浜(大津市)の民宿「きよみ荘」の上から撮られた、初日の出の動画です。山田さんは、毎日のように朝日を撮影されています。初日の出の動画、1時間以上の長さがあります。もし、お時間があったら全てご覧になって琵琶湖の素晴らしさを感じ取っていただければと思います。初日の出だけをご覧になりたい場合は、時間を端折って、後の方からご覧になってください。
エフゲーニ・スヴェトラーノフ指揮、NHK交響楽団「チャイコフスキー 交響曲5番」
◾️昨晩は、9時前に帰宅して夕食。録画してあったNHKの「クラシック音楽館」を視る、というか聴きました。家族が録画してくれていました。今回は、「N響 伝説の名演奏~リクエスト特集~」で、冒頭は1997年9月6日にNHKホールで収録されたチャイコフスキーの交響曲5番。指揮は、エフゲーニ・スヴェトラーノフ。今から21年前の演奏です。
◾️どういうわけか録画は2楽章の有名なホルンのソロから始まりました(録画の失敗か…)。続いて円舞曲の3楽章。抑制するところは抑制して、とても丁寧に演奏されている気がします。それに対して、4楽章は大変な重量感と迫力を感じました。感動しました。名演奏ですね。まあ、だからこそ視聴者からたくさんのリクエストがあったわけです。私は、学生時代に関西学院交響楽団に所属していました。4年生最後の定期演奏会でのメインの曲は、このチャイコフスキーの5番でした。まあ、思入れのある曲だということもあり、普段にも増してこのテレビでの演奏に釘付けになったわけです。
◾️4楽章の490小節。1stバイオリンが演奏する基本動機が金管楽器に移行するあたりになると、スヴェトラーノフは目をつぶってしばらく指揮をすることをやめました。いや、やめてはいないのですね。指揮者とオケが完全に溶け合った感じかな。素敵です。演奏を終えたスヴェトラーノフは、大層満足したようでした。私のように30年以上もオケで楽器を弾いていない者が言うべきではないのかもしれないけれど、どのように演奏して欲しいのか、指揮者が求めるものが非常によくわかる指揮でした。演奏後の続き。ホルンの松崎裕さんが難しいソロを完璧に演奏したことを讃えるために、スヴェトラーノフは松崎さんのところに歩み寄り、指揮台まで引っ張りし出して、指揮台に上がるようにと促しました。松崎さんは、とても困った表情をされていたが、これも伝説になっているエピソードのようです。松崎さんはすでにN響を退団されていますが、現在も在籍されている方達も、この演奏当時は相当に若い。チェロの藤森亮一さん、今とは全く雰囲気が違います。
◾️さて、ネット上にアップされているNHK交響楽団の記録を見ると、この演奏の前日、9月5日のメインの曲もチャイコフスキーの5番でした。さらに調べてみると、5日の演奏では、第2楽章の開始前、スヴェトラーノフは「ダイアナ妃に捧げる」とスピーチしたのだそうです。ダイアナ妃は、その5日前の8月31日に自動車事故で亡くなっています。ちなみに、スヴェトラーノフは、この演奏の5年後、2002年5月に他界しました。このスヴェトラーノフが亡くなったことについては、N響のバイオリン奏者であった鶴我裕子さんが執筆された『バイオリニストは肩が凝る 鶴我裕子のN響日記』で、「スヴェトラーノフが来た日」と「スヴェトラーノフが死んだ日」というエッセーで読めるらしいことも知りました。ぜひ、読んでみたいものです。また、この演奏の録音はCDになっているらしいので、ぜひ購入してみたいとも思います。
龍谷大学吹奏楽部「第45回定期演奏会」
◾️昨晩は、龍谷大学吹奏楽部「第45回定期演奏会」(シンフォニーホール)でした。龍谷大学吹奏楽部の演奏のレベルの高さについては、ここに書くまでもなく、毎回のごとく感心するのですが、そのような演奏の中でも、まず第一部の「ロシアのクリスマス音楽」が深く印象に残りました。そして、第二部の「ユーフォニアムと吹奏楽のための協奏曲」では、外囿祥一朗さんのユーフォニアムの演奏に驚きました。素晴らしい。学生時代に所属していた学生オーケストラの後輩は、外囿祥一朗さんの大ファンだそうです。外囿さんの演奏を聞けたことを大変羨ましがっていました。
◾️第三部の二曲目は、自分もかつて演奏した経験のあるファリャのバレエ音楽「三角帽子」でした。演奏した経験があるのに、あれっ、何だか違うな…と思う部分がありました。大学院に在籍していたときに、エキストラとして後輩たちの定期演奏会に出演した際にこの曲を弾きましたから、もう35年ほど前のことになります。で、演奏会のあとで、吹奏楽部の部員の皆さんを指導されている先生方とお話をするチャンスがあり、お一人の先生から、「それは演奏されたのが『三角帽子』の第二組曲だからだと思いますよ」と教えていただきました。そういえばと…確認すると、私が演奏したのは確かにその第二組曲でした。
◾️音楽的教養の足らない私にそう教えてくださったのは、音楽監督である若林義人先生と学生時代に同級生で、現在は、パーカッションのご指導をしてくださっている早坂雅子先生です。昨日は、早坂先生と、定期演奏会の後に少しお話をさせていただくことができました。演奏レベルの向上だけでなく、そのことを通して、人格的に部員の皆さんが成長されていくこと、卒業後にこの学生時代の厳しい練習の経験を生かしていけることを大切にされているとのことでした。吹奏楽部は、若林先生や早坂先生をはじめとした多くの先生方に、長年にわたってご指導していただいています。心より感謝いたします。
◾️で、なぜ先生方とこのようなお話をさせていただくチャンスがあったのかといえば、来年度から、吹奏楽部の部長として音楽活動を支えることになっているからです。昨晩は、そのようなこともあり、定期演奏会後の打ち上げの場に少しだけ参加させていただいたのです。来年度から、私にできることは限られていますが、現部長の先生から仕事を引き付き、副部長であるOB/OGの大学職員の皆さんにご指導いただきながら、頑張って取り組んでいければと思っています。私自身も学生時代にオーケストラの部員であったことから、龍谷大学吹奏楽部の部員の皆さんが、日々、どのように音楽に取り組んでいるのかに大変関心があります。時々、練習をされている様子を見学させていただこうとも思っています。
◾️打ち上げの場で強く感じたことがあります。部員である学生の皆さんの立ち振る舞いを見ていて、集団としてきちんと鍛えられているなということです。周りに対する配慮等も、きちんとできる。恐らくは、吹奏楽部の活動を通して身につけておられるのでしょう。もっとも、そうは言っても、打ち上げでは部員同士はもちろん、指導者の先生方と和気藹々と愉快に語り合っておられました。
◾️大きな集団ですから、いろいろ課題はあると思いますが、来年の4月から吹奏楽部を教員として応援できることを楽しみにしています。
「TOO MUCH やりすぎ!展」
◾️現在、龍谷大学瀬田学舎2号館ではアート展が開催されています。「TOO MUCH やりすぎ!展」です。滋賀県の社会福祉施設「やまなみ工房」の作家さんたちの作品が展示されています。うちの大学院で博士号を取得した松本拓さんが、このアート展の企画とキューレーションを担当されています。以下は、松本さんからのメッセージです。
このアート展では世界からも注目されている滋賀県の社会福祉施設「やまなみ工房」の作品を展示しています。テーマは「やりすぎ」です。小さすぎる作品、作りすぎた作品、縫いすぎた作品など、多様なやりすぎ作品が集いました。しかし作家はやりすぎたとは思っていません。ただ好きなことを好きなように、彼らは表現しているだけです。もしこれらの作品を見て過剰なものを感じるとすれば、それは作品と見る者の価値観のギャップかもしれません。
社会生活を営む多くの人は社会に共通の価値観を身につけています。そして、いつの間にか、その価値観を正しいものとして考えるようになります。そういった社会的な価値観からすると、ここに並んだ作品はやりすぎなもの、過剰なものに見えるかもしれません。でも作家からすると、少しも過剰ではありません。これが彼らの表現スタイルなのです。それでは彼らは何を表現しているののでしょうか?もし作品を見て何か感じるところがあれば、作品に身をゆだねてみませんか。「やりすぎ」に込められた作家の声が、不意に聞こえてくるかもしれませんよ。
日本橋の「ここ滋賀」へ!!
◾︎15日(土)、東京都目黒区にあるこだわり米専門店「スズノブ」さんで経営者の西島豊造さんにお話しを伺った翌日、16日は、滋賀県のアンテナショップ「ここ滋賀」を訪問しました。滋賀県民が当たり前すぎて普段気づくことのない、「お洒落な滋賀県」がたくさんあるような気がしました。たくさんのお客さんで賑わっていました。本来の目的には、「ここ滋賀」の2階にあるレストランで、滋賀の食材がどのように料理され提供されているのかを体験することでした。しかし、非常に残念なことに、この日は予約で貸切になっていました。ということもあり、お酒を飲める学生3人と一緒に滋賀の地酒を利き酒することにしました。利き酒ですので、ほんの味見程度ですが、改めて滋賀が酒どころであることを確認しました。次回は、ぜひレストランに行きたいものです。
◾︎「ここ滋賀」のあとは、築地本願寺を参拝しました。「龍谷大学の学生だったら、一度は、築地本願寺に参拝しておくべきでは」と提案して学生たちと参拝したのです。龍谷大学は浄土真宗本願寺派・西本願寺の宗門校ですが、築地本願寺はその西本願寺の直轄寺院になります。建立されたのは江戸時代のことになりますが、1923年の関東大震災による火災で被害を受けたことから、当時の浄土真宗本願寺派法主・大谷光瑞と親交のあったといわれている伊東忠太が設計を担当しました。伊東忠太は、大変有名な建築家・建築史家です。この築地本願寺以外にも、様々な神社の設計もしているようです。築地本願寺は、古代インドの建築様式を設計に取り入れているようです。他の日本の仏教寺院とは、かなり雰囲気が異なります。建物からは荘厳な雰囲気が漂っていますね。築地本願寺を参拝した後は、近くにある築地場外市場で昼食を摂りました。海鮮丼のランチです。そして、最後は、他府県のアンテナショップも視察ということで、長崎県の「長崎館」へ。「ここ滋賀」よりも品数や品揃えが多かったような印象があります。長崎県出身の俳優・歌手の福山雅治のポスターが目立っていました。大消費地である東京には、日本全国の都道府県のアンテナショップが東京にはたくさんあります。このようなアンテナショップは、全国の都道府県の商品や観光地のブランド化に、どのように、どの程度、影響を与えているのでしょうか。大変気になるところです。
社会調査実習で東京へ!!
◾︎今年度は、社会調査実習を担当しています。私が担当する実習では、長浜市の農村・早崎町でお話しを伺わせていただきました。詳しくは、8月31日のエントリー「滋賀県長浜市早崎町での『社会調査実習』」をお読みいただければと思います。このエントリーの最後のところで、このようなことを書きました。
◾︎東京の全国の米を扱う専門店での出来事として、こんなお話しをお聞きした。「魚のゆりかご水田米」を、出産の内祝いとして購入するご夫婦がおられるという話しです。出産の際の内祝いとは、現在では、お祝いに対するお返しのような感じになっていますが、生まれたお子さんの体重と同じ重さの「魚のゆりかご水田米」をお返しに贈るのだそうです。このプレミアム米の名前に「ゆりかご」が入っていることから、内祝いに用いられるとのことでした。このお話しを聞いた時、とても面白いなと思いました。「魚のゆりかご水田米」は、そのようなネーミングがつけられた時点で、「物語」を付与されたプレミアム米になっているわけですが、さらに、この「内祝い」という、これまでとは別種の「物語」の文脈が与えられ、さらなる付加価値が生み出されているのです。しかも、その「物語」は、生産者である農家の側ではなく、消費者の側が与えているのです。
◾︎この「東京の全国の米を扱う専門店」とは、東京都目黒区にある「株式会社スズノブ」さんのことです。履修している学生の皆さんたちとも相談をして、「スズノブ」の経営者である西島豊造さんにお話しをお聞かせいただきたいとお願いをしたところ、西島さんは快く引き受けてくださいました。大変ご多用の中、15日(土)の午後、私たちのために3時間を超える長時間にわたってお話しくださいました。ありがとうございました。日本の地域のコメ農家を支えるために、地方自治体や農協等との組織と連携しながら、ボランティアで米のブランド化を通した地域活性化に取り組んでこられたご経験、大変興味深いものでした。ただし、伺った「超濃密」なお話しを文字起こしするのは大変だな〜。6名の学生で分担して取り組みます。
冬の庭
◾︎寒くなってきましたが、少し大きめの鉢に寄せ植えした花には昆虫が飛んできます。おそらく、ハナアブでしょうか。冬には咲く花の数も種類も少なくなるので、我が家の小さな庭に咲く花も、虫たちにとっては貴重な存在なのかもしれません。昆虫の知識がもっとあれば、いろいろ観察して発見もあるんでしょうが、如何せん、不勉強なものでよくわかりません。庭に置いてある鉢は、寄せ植えだけでなく、春に花を咲かせる球根を植えた鉢もたくさんあります。そのような球根からは芽が伸びてきました。また、ヒヤシンスも咲き始めました。ヒヤシンスは、気温がぐっと下がる状況の中で花を咲かせます。こうやって、外に置いてあります。冬の庭は華やかさはないけれど、それでもいろいろ小さな楽しみがあります。
◾︎スイセンが今年も花を咲いてくれました。我が家の小さな庭には、3箇所にスイセンが植えてあります。特に世話をすることもなく、毎年、花を咲かせてくれます。ありがとう。冬の間、頑張って咲いて欲しいです。雪が降ると、雪の重みで折れてしまうので、何か対策を講じないといけませんが。ところで、スイセンの花ですが、まず袋状の膨らみができて、その袋を破るような感じで咲くんですね。
(農学部×ローソン)コラボ企画:近江米「みずかがみ」を使ったおにぎり2種類
◾︎龍谷大学のホームページで紹介されました。瀬田学舎にある農学部が、コンビニエンスストアのローソンとコラボした企画です。以下、転載します。私の印象でしかありませんが、農学部は、最近、地域連携の分野でも頑張っておられるように思います。
龍谷大学農学部と株式会社ローソンによる「新しいお米のカタチプロジェクト」をきっかけに新商品としておにぎり2種類(「和風だし飯おにぎり」、「洋風ブイヨン飯おにぎり」)を、滋賀県内のローソン店舗にて、12月17日(月)から発売開始いたします。
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発売期間: 2018年12月17日(月)~31日(月)販売店舗: 滋賀県内のローソン店舗
内容:
1 「和風だし飯おにぎり」 本体価格102円(税込110円)
白だしをベースに昆布だしを加え、シンプルながらお米とだしの美味しさを
味わっていただけるよう仕上げています。2 「洋風ブイヨン飯おにぎり」 本体価格102円(税込110円)
ブイヨンをベースにした洋風ごはん。隠し味にオリーブオイルを加えています。
和風だし飯おにぎりとの食べ比べもおススメです。
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パッケージは、龍谷大学農学部の学生のアイデアを形にしたものです。販売開始日である12月17日(月)11~12時には、ローソン大津大江二丁目店にて、龍谷大学の学生が販売しました。
<参考>
(2018.12.07)
農学部生が滋賀県知事を訪問し、株式会社ローソンとの連携プロジェクトについて説明しました【REC、農学部】
https://www.ryukoku.ac.jp/nc/news/entry-2922.html(2018.10.12)
農学部✕(株)ローソン 製品開発PJ 「おにぎりのパッケージをデザイン」
https://www.ryukoku.ac.jp/nc/news/entry-2568.html<新しいお米のカタチプロジェクト>
これまでにない米の調理法や加工法を考えたり、海外への販売戦略や米農家の経営のあり方などの農業デザインに至るまで、学生の斬新なアイデアを株式会社ローソン協力の元にカタチにする龍谷大学農学部のプロジェクトです。
◾︎「みずかがみ」とは、現在、滋賀県で栽培が推奨されている米の品種です。一般財団法人日本穀物検定協会が実施する、「平成29年産米の食味ランキング」で、3年連続最高ランクの「特A」に評価されています。(近江米振興協会)では、この「みずかがみ」の特徴を、以下のように説明されています。温暖化対策なんですね。推進ガイドラインも定められており、組織的に生産量を上げて、産地化・ブランド化を目指しておられるようです。需要に生産が追いついていない状況のよです。
○温暖化対応品種として滋賀県で開発、育成されました。高温に強く、猛暑の年でも品質が安定しています。
○琵琶湖をはじめ、滋賀の自然環境に配慮して栽培されています。統一パッケージで販売されるものは、すべて「環境こだわり農産物」の認証を受けています。
○コシヒカリより数日〜1週間早い早生品種です。9月上旬には店頭にお届けできます。