第97回日本社会学会大会

▪️学会のあの雰囲気(どの雰囲気?!)があまり得意ではありません。そうなんですが、今回は、京都産業大学で開催された第97回 日本社会学会に参加しました。昨日は、公共社会学の部会に、今日はアクションリサーチの部会に参加しました。

▪️公共社会学の部会では、多くの報告者のみなさんは、ご自身が勤務されている大学のカリキュラムの中で公共社会学がどのように取り組まれているのかを説明されました。その中のお1人は同僚の川中大輔さんでした。龍谷大学社会学部の取組みですから、私もよく知っている内容になりますが、とても刺激的でした。川中さん、聴衆を魅了するような話し方もあって、楽しい時間を過ごすことができました。勤務している社会学部は、来年度から深草キャンパスに移転し、現在の3学科から1学科(総合社会学科)になります。カリキュラムの核になる授業が公共社会学や社会共生実習になります。

▪️アクションリサーチの部会、コーディネーターの平井太郎さん(弘前大学)から真夏の頃でしたか、ご連絡をいただきましたので、参加させていただくことにしました。総合地球環境学研究所で取り組んだ一連の研究プロジェクトの成果、『流域環境学』『流域ガバナンス』(ともに、京都大学学術出版会)等をお読みいただいていたようで、私の研究の中にアクションリサーチの要素を読み取って下さったようです。私自身は、明確な自覚はなかったのですが…。

▪️今日は、とても残念ですが報告者4人のうち2人が欠席するということになりました。でもそのかわり、最後に平井さんご自身が取り組まれてきた事例に関してお話をお聞かせくださいました。アクションリサーチに真正面から取り組まれてきた方のお話なので、とても勉強になりました。ただ、私が大切だなと思った部分は、アクションリサーチを行う地域の皆さんとの関係で、うまくいかなかった話や情けない話なんですね。普通、学会での報告って、自分の研究成果を誇る、もっと言えば「どうや、すごいやろ」というオーラが出ていたりする時があるのですが、それとは逆に、「うまくいかなかった話や情けない話」の中にこそ、現場で実践的な研究に取り組む研究者にとって大切な「種」があるように思うんですよね。それをみんなでしっかりと共有することが大切だと、まあ個人的にはそんなふうに思っているのです。そのようなことが可能な研究会のようなものがあると素敵だなと思っています(絶対に学会ではないでしょうね)。

▪️ 部会の最後には、金曜の晩に一緒に呑んだ茅野 恒秀さんが部会全体に関してコメントをされていました。理路整然とした内容で話されたので、とても感心しました。同僚の川中さんにしろ、平井さんや茅野さんにしろ、若い方達、頑張っておられますね。嬉しいです。

▪️ちょっと、アクションリサーチについて、真正面から勉強してみようと思います。部会の中でも発言があったように思いますが、公共社会学とアクションリサーチは重なる部分が多々あります。そのことに、もっと自覚的であろうと思います。

茅野恒秀さんと「利やん」

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▪️今日と明日、京都産業大学で日本社会学会が開催されます。ということもあり、多くの社会学者が京都に集まって来られました。親しくさせていただいている信州大学の茅野恒秀さんは、大津にホテルを予約されました。そして、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」で私と呑みたいとお申し出くださいました。大歓迎です。前々から、いつかは「利やん」で呑んでみたいと思っておられたようです。私は、facebookでたびたび「利やん」でいろんな皆さんと交流していることを投稿していますので、それをご覧になってどんな居酒屋なんだろう…と思われたのだと思います。加えて、居酒屋界の神様である吉田類さんが評価した居酒屋でもありますから。そういう意味では、茅野さんは念願が叶った…ということになりますかね。どうやろ…。

▪️茅野さんとの出会いは、彼が日本自然保護協会に勤務されていた頃でしょうか。私が環境社会学会の編集委員長をしているときに、学会誌『環境社会学研究』15号の特集として「環境ガバナンス時代の環境社会学」を企画した際、そこに茅野さんには論文「プロジェクト・マネジメントと環境社会学──環境社会学は組織者になれるか,再論」を投稿していただきました。その時以来のお付き合いかと思います。2009年のことになります。茅野さんは、大変な努力家で、ご自身の研究だけでなく、地域社会の環境問題に関しても積極的に関わっておられます。大変、実践的な研究者でもあるのです。私よりもずっとお若い方ですが、「すごいな!!」といつも感心しています。

▪️昨日の茅野さんとは結構な量の焼酎を飲みました。今日、茅野さんに日本社会学会でお会いした時、「部分的に記憶が曖昧になっている」とおっしゃっていました。曖昧になっているのは、私も同じなんですけど。昨日は、「利やん」でそろそろ会計を済ませようかという頃に、知り合いの方たちがお店に入ってこられました。龍谷大学農学部の教員の、古本強さんと石原健吾さんです。すでにどこかで呑んでこられたようでした。エエ感じに出来上がっておられたように思います。記憶が曖昧なので、ここで古本さんや石原さんと何を話していたのかは記憶していません…。とはいえ、茅野さんには、「利やん」って素敵な居酒屋なんだなと理解していただけたように思います。

▪️ところで、茅野さんから、「『利やん』ってなんて読むんですか?」と質問をいただきました。facebookやブログで「利やん」と書いてあっても、読み方まではわかりませんからね。正式には「としやん」といいます。でも、お客さんの中にはわざと「りーやん」と呼ぶ方もおられます。滋賀県庁の皆さんは「りーやん」という方が多いですね。というか、店名を「りーやん」だと思っておられる方もたくさんおられます。代々、先輩から「りーやん」と聞いてこられたからです。ということで、このブログをお読みくださっている皆さん、「利やん」は「としやん」です。よろしくお願いいたします。

「法然と極楽浄土」「眷属」

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▪️龍谷ミュージアムでは、秋季特別展「眷属」が開催されています。会期は、11月24日まで。これは急がねばなりません。また京都国立博物館では特別展「法然と極楽浄土」が開催されています。こちらは、12月1日まで。ぼーっとしていると、終わってしまいます。急がねばなりません。午前中は「眷属」、午後は「法然と極楽浄土」を鑑賞・観覧できればと思っています。龍谷ミュージアムから京都国立博物館までは歩きます。

庭木の剪定

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20241107mygarden3.jpg▪️11月1日と4日に、お世話になっている庭師さんに、庭の剪定をしていただきました。見た目も、私の気持ちもスッキリしました。ありがとうございました。自分でももう少し剪定ができるようになりたいなと思っています。ただ、うちの脚立だと無理です。庭師さんが使っておられるような脚立、足の長さをそれぞれ調整できる3点支持の脚立が必要になってくると思っています。特に、法面での作業は普通の脚立では無理ですから。ただし、脚立から落ちて怪我をしてしまう自分を、ついつい想像してしまうんですよね〜。歳をとって体の動きも鈍くなっていますし…。

▪️今回、剪定をしていただいたので、落ち葉の掃除も比較的簡単にできるのではないかと思っています。落ち葉の季節になる前にお願いできてよかったです。庭の樹木の剪定ですが、樹木の種類で剪定の時期が異なってくるようです。一度、きちんと調べて庭の樹木や草本に関して、どのような世話をいつ頃やるべきなのか、それが一覧できるようなカレンダーのようなものを作ってみようと思っています。まあ、思ってはいるのですが。なかなか…です。

▪️気温が下がってきました。飼育しているクサガメも食欲がなくなってきました。クサガメは水温が20 ℃以下になると食欲がなくなってきます。15℃以下になると冬眠をしようとします。まだ、冬眠まではもう少し時間が必要かな。うちのクサガメは水の中で冬眠させます。コンテナの中に水と一緒に3匹をいれて上から段ボール箱を被せて暗くします。そうすると、春まで冬眠をします。

▪️玄関脇の水蓮鉢ではヒメダカを飼育しています。このヒメダカ、最初は2匹だけだったのですが、どんどん増えて今は10匹ほどになりました。玄関脇は日がよく当たり暖かいので、ヒメダカもまだよく動き回って、餌もしっかり食べています。それに対して、庭の池のヒメダカは水草の影に隠れてじっとしています。こちらは水温が低く、もうすでに冬に備えているようです。こちらは飼い始めて4年ほど経つのですが、まだ元気に過ごしています。でも、そろそろ寿命かもしれません。来年の春まで生き残ってほしいです。

▪️日々、秋が深まりつつあるように思います。今日は少し肌寒さも感じます。この季節、庭のあちこちでツワブキの花が咲き始めます。黄色い花です。花が枯れるとタンポポのような白い綿毛になります。風で種が飛ばされていきます。そのようなわけで、我が家の庭にはあちこちにツワブキが増えてきたのです。ツワブキの花には、ハナアブのような昆虫たちがたくさん集まってきます。この季節に咲いている花は少ないので、ツワブキは昆虫にとって貴重なのではないかと思います。写真は、ハナアブではなくてスズメガです。たぶん、オオスカシバです。以前、このオオスカシバの幼虫に、庭のクチナシを丸坊主にされてしまいました。幼虫は、クチナシを餌にしているからです。そのクチナシ、枯れてしまいました。

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100kmウォーカーによる「反省会」

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▪️大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」で、先日開催された「びわ湖チャリティー100km歩行大会」に出場した滋賀県庁の職員の皆さんと「反省会」を持ちました。全員、完歩しました。全員「100kmウォーカー」です。というわけで、祝勝会のようなものなのですが、「びわ100」での経験を共有しあいました。お若い3人は、まだ20歳代です。

▪️向かって一番右のメガネの男性は、昨年も参加されましたが、70kmのあたりでリタイヤ。今年はリベンジでした。無事に完歩されて、大変満足されていました。70kmでリタイヤ、さぞや悔しかったことでしょうね。向かって一番左の男性は、ラガーマン。「練習しなくても100kmは歩けるやろ」とぶっつけ本番で完歩されました。完歩はされましたが、最後はめちゃくちゃ苦しかったようです。1kmを歩くのに18分もかかっています。足を前に出すのが精一杯だったのではないでしょうか。その苦しかった時に、沿道からたくさんの励ましの言葉をかけていただいたことがとても嬉しかった感動したとおっしゃっていました。大切な経験をされました。その後ろの女性は、途中の休憩時に眠たくて仮眠を取ったりされたのですが、70kmを超えてから驚異的な速さで歩かれました。すごいですね。真ん中のお2人は、ベテランの職員さんです。昨年と同様に、今年も立派なタイム完歩されました。

▪️とても残念なのですが、「びわ100」は今年が最後でした。ファイナルですから。80歳になっても挑戦できるような自分でありたいと思っていたものですから、今年が最後というのはとても残念なのです。でも、滋賀県庁の職員の皆さんとの長い距離のウォーキング(44kmの練習会)、来年以降も継続できれば嬉しいなと思っています。ベテラン職員のおひとりは、「一歩ずつ前へ成し遂げる達成感、共感、このような会は続けたいですね」とおっしゃっていました。本当に、そう思います。

▪️以下は、「びわ100」が公表されているデータをもとに作成した「第10回びわ湖チャリティー100km歩行大会結果(世代順)」です。ベテラン職員の方が作成してくださいました。ありがとうございます。私と一緒に歩いてくださった、龍谷大学吹奏楽部OBの上道さんのデータも整理してくださいました。チェックポイント(CP)間のスピードですが、休憩時間も含めたものです。
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370,000アクセス感謝!!

▪️アクセスカウンターが「370,000」を超えました。皆様、ありがとうございます。アクセスカウンターが「350,000」を超えたのは今年の7月24日です。「350,000」から「360,000」までは52日かかっています。「360,000」から「370,000」までは51日かかっています。アクセス数が10,000増えるたびに書いていますが、たまに社会学っぽいこと、環境っぽいことも書いてはいても、基本は身辺雑記でしかありません。人生の日々の記録です。facebookへの投稿とほぼ同じ内容です。ただ、一人の大学教員の日々の出来事や気になったことを書いているだけです。それにも関わらず、ご覧いただけることをありがたいと思っています。心より感謝いたします。いつもと同じような感謝のご挨拶になりますが、ご容赦ください。

「びわ100ファイナル」の記録

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▪️「びわ100」ファイナルからだいぶ時間が経過しましたが、記憶が曖昧になる前に、記憶していることをこのプログに残しておきます。とても長くなりますが、どうかご容赦ください。

▪️10月19日(土)・20日(日)の両日で、「第10回 びわ湖チャリティー100km歩行大会」=「びわ100 ファイナル」が開催されました。私は、第3回・4回・5回・6回・9回と過去5回出場し、ありがたいことに、なんとか全ての回で完歩することができました。とはいえ、毎回、本当に自信がなく、完歩できるのかどうか心配していました。今回はファイナルということで、悔いの無いものにしたいと、これまでの中で一番練習をしてきたように思います。とはいえ、普段からウォーキングにきちんと取り組んでいるのかといえば…けしてそのようなことはありません。7月に入り、そろそろ練習をしなくてはと思っていましたが、ものすごい酷暑のために、ウォーキングに取り組むことを躊躇していました。また、7月の下旬はコロナウイルスに感染してしまい、体調が回復した8月に入ってから真面目に練習のウォーキングで距離を積み重ねてきました。

▪️真面目にと書きましたが、全国のあちこちで開催されるウルトラウォーキングに参加されているようなベテランの皆さんと比較すれば、たいしたことはないのです。5kmあたりから始めて、10km、20km、30kmと歩く距離を少しずつ伸ばし、最後は、44km、そして最終的には55kmまで練習で歩きました。過去5回完歩して、練習時に50kmを超える距離が歩けたら、本番でもなんとか100kmを完歩できるという根拠のない思い込みのようなものがあるのです。30kmまでは1人で練習しましたが、44kmでは滋賀県庁の20名ほどの職員の皆さんと一緒に歩きました。そこには、親しくさせていただいている龍谷大学吹奏楽部OBの上道郁夫さんも一緒に参加されました。そして、その上道さんとは55kmの練習も2人で一緒に取り組みました。その55kmの長い道中では、足に塗る靴擦れ防止のクリームのことやシューズの情報を教えていただきました。そして本番も上道さんと一緒に歩くことになりました。これはとてもありがたいことでした。

▪️当日のことについて書きます。前日は、あまりしっかり睡眠を取ることができませんでした。4~5時間ほどです。緊張しているから、興奮しているからでしょうか。これは良くないですね。徹夜で歩かねばならないのに、睡眠時間が短いというのは問題です。でも、仕方がありません。大津市内の自宅からスタート地点の長浜市まで、JRで向かいました。まずエントリーをして、スタートの準備を始めました。スタートは、3グループに分かれてのスタートになりました。私は、一番最初にスタートするグループでした。スタートするまでに、上道さんとも合流しました。上道さんは、2番目のグループです。スタートは3分程私よりも遅くなります。でも、そのうちに追いついていただく約束をしました。スタート地点では、facebookを通して知り合った香東秀孝さんとも、今回実際にお会いしてご挨拶をすることができました。香東さんは、毎朝、10kmを歩かれるプラチナの脚の持ち主です。東京からお越しくださいました。もう1人、娘が勤務している企業の上司の方ともお会いすることができました。

▪️そうやってスタートを待っていると、雨が降り出してきました。これはまずいです。天気予報で雨が降ることはわかっていましたが、スタート時点からとは思ってもいませんでした。過去の大会で2回雨で辛い思いをしました。第4回と第9回です。足の裏が真っ白になり、ふやけて肉刺ができて、それが潰れて、その後は歩くたびに痛みを感じることになりました。その時の辛さが強く記憶に残っているので、今回は、上道さんの情報をもとに、万全の対策をして臨みました。GORE-TEXのシューズ、GORE-TEXのソックス、そしてGORE-TEXのレインウェア。足裏には少々高価なクリームも塗りました。結局、雨に悩まされることはなく、ソックスも履き替えることなく、ゴールすることができました。これらのことは、「びわ100ファイナル 準備編」として投稿しましたので、そちらをご覧ください。

▪️さて、スタート後のことを書きます。これまでは、多くの参加者の皆さんと団子になって歩くのが嫌で、けっこう飛ばし気味に歩いていたように思いますが、今回の目標は、最後までイーブンのペースで歩くということでした。ですから、追い抜かれても気にせず、ただひたすらペースを守る努力をしました。前に人がいると、ついつい追い抜きたいという気持ちになってしまうのですが、そうなるとペースが乱れてしまいます。その時は追い抜く余力があったとしても、後半戦ではそのことの積み重ねがマイナスに作用するからです。

▪️上道さんとは、彦根市内で合流できました。上道さんは、GARMIN社のスポーツウォッチをされています。私も息子から以前プレゼントされた同社のスポーツウォッチを腕につけていたのですが、事前の設定が不十分で、自分のスピードを「1kmあたり何分何十秒」という形式で表示できるようにはしていなかったのです。ということで、上道さんが前を歩かれる時は、スポーツウォッチでスピードを確認しながら歩いている上道さんに合わせて歩き、私が前の時は、上道さんから時々スピードを教えてもらっていました。そうやってペースをおよそ一定にキープできるように努力しました。「びわ100」ではIBUKIというGPSをリュックに装着して歩きます。スマホでも私たちがどのあたりを歩いているのかわかるのです。少し調子に乗りすぎでペースが早いと、上道さんのスマホに奥様から「早すぎる」と注意のメッセージがLINEで届いたりしました。まあ、そのようなこともあったのですが、最初からだいたい同じようなスピードで歩くことができました。これは、大きかったと思います。



▪️もうひとつ、今回はウォーキングの途中での栄養の摂り方に注意を払いました。私は糖尿病の持病があり(最近は、「糖尿病」という病名に伴う偏見やスティグマを排除するために「ダイアベティス」と言い換えるようになっているそうですが)、血糖を尿とともに排出する薬を飲み、食事にもかなり気を使っています。糖質をできるだけ摂取しないようにしているのです。問題は、普段の生活では血糖値を下げるように努力しているのですが、ウルトラウォーキング中は歩き続けるために、そのエネルギーとして血糖が必要になるのです。今回は、この問題を可視化するために、スポーツ栄養学の専門家のアドバイスをもとに、「FreeStyle LibreLink」という血糖値を測定するセンサーを左の二の腕に貼り付けて歩きました。過去に「びわ100」を完歩していても、途中で悪寒が生じてしまったり、歩くスピードが極端に遅くなることがありました。それは、低血糖によるものと思われます。

▪️今回の私の目標は、できるだけ血糖値を上げず、しかも低血糖にならないように歩くということでした。スポーツ栄養学の専門家からは、最後まで食べ続けるようにアドバイスをいただいていました。センサーの数値を見ながら、アンパン、アップルデニッシュ、おにぎり等をこまめに食べながら歩きました。「できるだけ血糖値を上げず、しかも低血糖にならないように」と矛盾するようなことを書きましたが、そのように上手い具合にはいきませんでした。エイドステーションでは、味噌汁とご飯が出ました。ご飯を食べると、血糖値がぐーんと上がりました。その数値を見て焦りました。普段は白米は食べないようにしているので、数値を見て驚いたのです。歩くと血糖値は下がります。食べると血糖値は上がります。血糖値が乱高下しました。ただ、今回は低血糖にならずに最後まで歩き続けることはできました。途中で、疲れて座り込んでおられる方達を拝見しました。ひょっとすると、栄養補給がうまくできていないのかもしれません。

▪️第1チェックポイント(近江八幡市)には、6時間40分で到着しました。時刻でいうと16時40分頃、夕方ですね。天気予報では、雨が止んでくるはずだったのですが、ところがどっこい、この第1チェックポイントで強風を伴う強い雨が降り出したのでした。参加者の皆さんはテントの下に避難されていましたが、それでも雨から逃れられません。私と上道さんは、この第1チェックポイントでゆっくり休むことをせず、土砂降りの雨の中をスタートしました。同じ頃に第1チェックポイントに到着された方の中には、半袖のTシャツに短パン、その上から簡易なレインコートを着用、そのようなスタイルの方がおられました。その後、どうされたのかわかりませんが、あの雨の中では歩くことは大変だったと思います。

▪️上道さんと私は、GORE-TEXの上下を着ていましたので、その辺りの心配はありませんでした。むしろ、短い休憩だけで、雨の中をスタートしたのです。

第2チェックポイントに向かう途中、これは嵐かなと思う瞬間もありました。途中、エイドステーションで前述のご飯と味噌汁をいただき、ここでもあまり休まずに、歩きました。ゆっくり休んでしまうと、脚の筋肉が固まってしまい、再スタートしてエンジンがかかるのに時間がかかってしまうからです。そうならないように、短い休憩でスタートしました。今回、上道さんと一緒に歩きました。もし、1人で歩いていたらどうなっていたでしょうか。おそらく、疲労のため、脚の痛みのため、休憩時間が長引いてしまったと思います。お尻から根が伸びてしっかり椅子に絡まっていくのです。そうなると、脚はますます固まっていきます。これは、まずいわけです。

▪️でも2人でバディを組んで歩いていると、お互いへの配慮が働き、「そろそろ行きますか」とどちらからともなく声を掛け合うのです。これは大きな気づきになりました。健脚、剛脚の方達は、関係のない話になりますが、普通の脚力の人たちは、同じような力の方とバディを組まれることをお勧めします。上道さんと私は、事前に、44kmと55kmを一緒に歩いていたので、ほぼ同じような力量で歩かれることがわかっていました。だからこそ、バディを組むことができたのです。

▪️嵐かなと思う瞬間もあったわけですが、途中からはその風が追い風になりました。野洲川にかかっている橋を渡るときは、両手をひげると後ろから風が押してくれる感じがしました。それほど風が強かったのです。第2チェックポイントには、21時39分頃に到着しました。ここでは、足の裏の状態をチェックしました。上道さんのシューズやソックスはGORE-TEXではなかったので、水たまりに片足をつけてしまい、足裏が白くふやけておられました。私が持っていた大判のバンドエイドを差し上げてそれで応急の対応をしていただきました。そのケアのためにしっかり休憩しましたが、休憩時間をできるだけ短くしてスタートしました。

▪️第2チェックポイントのあたりまで来ると、「脚が棒のようになっている」感じがします。でも、ここまでくると、55.6km歩いたことになります。「びわ100」は102.1kmですから、残りは46.5kmになります。でも、そういうふうには考えないようにしています。あえて、頭の中では「次の第3チェックポイントまで、たった15.2kmだ」と考えるようにしています。第3チェックポイント以降のことは、考えないようにしています。「びわ100」は今回がファイナルなので、もうこのような情報は役に立たないと思いますが、第2チェックポイントから第3チェックポイントまでは、歩道が整備されていて、とても歩きやすい道なんです。

▪️話はずれますが、歩きやすいということで言えば、すべての歩道ではありませんが、ずいぶん改善されていることを実感しました。これは、私の推測でしかありませんが、「びわ1」のために道が整備されているのではないかと思っています。「びわ1」は自転車で琵琶湖を1周するアクティビティですが、とても人気があります。滋賀県も力を入れています。滋賀県の関係人口を増やそうというわけです。結果としてですが、「びわ1」のおこぼれを「びわ100」もいただいているのではないかと思います。あくまで、私の推測でしかありませんが。

▪️第3チェックポイントまで来ると、「脚が棒のようになっている」のを通り越して「脚は完全に棒」になります。しんどいです。残りは、31.3kmです。でも、そのようには考えません。繰り返しになりますが、第4チェックポイントまで「たった12.2kmだ」と考えるようにしています。特に、第4チェックポイントまでは、瀬田川沿いを歩かないといけません。「びわ100」のコースの中では、個人的な印象ですが、歩きにくいのです。暗くて、しかも眠いのです。川に落ちないように気をつけて歩かねばなりません。今回は睡眠不足でした。不安がありました。フラフラして瀬田川で溺れるなんてとんでもない話です。ということで、コンビニに立ち寄り、眠気覚ましのカフェイン飲料を買って飲みました。「強眠眠打破」です。

▪️個人的な事情ですが、私には、なんとしても第4チェックポイントまで歩かねばならない理由がありました。この第4チェックポイントをベースに、瀬田川沿いを「びわ100」のボランティアスタッフとして巡回していた方が、私がやってくることを待っていてくださったのです。龍谷大学職員の竹之内正臣さんです。竹之内さんとは、第4チェックポイントでお会いすることができました。でも、気が付いていませんでしたが、それ以前にすれ違っていたのです。昨年の第9回の「びわ100」では、第4チェックポイントの直前では相当ばてていました。竹之内さんによれば、その時の様子とは今回は全然違っていたようです。上道さんと一緒にしっかり歩いていたので、それがまさか私だとは気がつかなったようです。

▪️第4チェックポイント。ここで83kmです。昨年は、雨で足がふやけて肉刺ができたため、ここでボランティアの方に足のケアをしていただきました。本当に、ありがたかったです。でも、今回は違っていました。GORE-TEXのシューズ、ソックスのおかげて足裏には何も問題が発生していませんでした。短時間の休憩とエイドのサービスを受けた後、再び、上道さんとスタートしました。ここからは、ゴールまであと19.1kmです。1kmを散歩のようにゆっくり15分で歩いても、残り5時間あればゴールできます。

▪️第4チェックポイントを出発する頃には、すでに明るくなっていました。瀬田川を遡り、プリンスホテルのあたりを歩いていると、朝日が登ってきました。なんというか、感動的な雰囲気でした。一緒に歩いた上道さんは、朝日に向かって手を合わせて拝んでおられました。ご来光ですね。もし1人で歩いていると、頑張りが足らずに、足はなかなか前には進まなかったと思います。上道さんと一緒に歩いているからこそ、頑張ることができたのだと思います。この辺りで、さらに頑張る気持ちにもなりました。応援してくださる方たちが現れたからです。

▪️まず、私の指導をしてくださったスポーツ栄養学の専門家=石原健吾先生(龍谷大学農学部)が、自転車(競技用のバイク)に乗って、私たちのところに応援に来てくださったのです。とても嬉しかったです。IBUKIで確認すると、石原先生の予想よりも先に進んでいたので、慌てて自転車で追いついてくださいました。石原先生は、昨年もボランティアとして第4チェックポイントの近くでお世話になりました。石原先生によれば、その時の私の様子と、今年とではかなり違っていたようです。昨年は、ふらふらの状態だったのですね。

▪️その後、毎週にのように通っている大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」のご常連、中川俊典さんが、IBUKIをタブレットで確認しながら、私がどのあたりを歩いているのか探しておられました。目の前にいたのに。私の方からお声をかけさせていただきました。まさか、朝早く、わざわざ応援に来てくださるとは思ってもいませんでした。とても感動しました。

▪️石原先生や中川さんの応援を受けた後、いよいよ最後になります。残り12kmです。浜大津のあたりで、疲れ切って歩けなくなっている方もおられました。私はといえば、もう、脚が棒になる…を通り越して、大変なことになっていました。ちょっとかがむと倒れそうになります。でも、バディの上道さんが良いペースでリードしてくださいました。上道さんの足取りは、私とは違って最後までしっかりされていました。私は、脚を前に進めるだけで精一杯。上道さんにリードしていただきながら、坂本の街を抜けて雄琴温泉のゴールに向けて進んでいきました。

▪️スタートしてから22時間37分10秒。ゴールすることができました。20日の朝8時37分です。毎回のことですが、余裕を持ってのゴールではありません。やり遂げたという気持ちもありますが、それと同じだけ、「もう、これ以上、歩かなくて良いのだ」という安心した気持ちが湧いてくるからです。毎回のことですが、もう最後は大変でした。第2チェックポイントからはストックを使っていましたが、最後は杖のような感じでした。上道さんがリードとてくださったから、なんとかなりました。結果、自己記録が出ました。上道さんのお陰です。本当にありがとうございました。心より感謝いたします。

▪️ゴールの際には、運営スタッフの小林幹雄さんに出迎えていただきました。小林さんには、「びわ100」で毎回お世話になってきました。ありがとうございました。でも、今回が「ファイナル」なのですね。多くの皆さんは、ゴール後、雄琴温泉のどこかで疲れを癒してから帰宅されるのでしょうが、私は自宅がゴールの近くということもあり、家族に車で迎えにきてもらい、そのまま帰宅しました。家族から見ても、昨年とは違い、足取りがしっかりしているとのことでした。昨年は、玄関前にある階段を登るのも大変だったようで。今回は、脚が棒を通り越してもっと大変な状況になっていましたが、それでも体力を維持したままゴールできたようです。バディを組んでくださった上道さんをはじめとして、多くの皆様に支えていただいたおかげです。

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「びわ100」完歩しました。

「淡海ヨシボランティア」に参加しました。

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▪️今日は、公益財団法人・淡海環境保全財団が主催する「淡海ヨシボランティア」のイベントに参加させていただきました。場所は、野洲市の須原地先(あやめ浜)です。今日のイベントには、3グループが参加されていたようです。そのうちの2グループは地元滋賀県の企業の社員の皆さんでした。親子連れで参加されている方もいらっしゃいました。私は、財団の職員さんにお誘いいただき、参加させていただきました。県のヨシ群落保全審議会のメンバーなので、会議だけでなくもっと現場に出かけなくてはとの思いから参加させていただきました。楽しかったんです。

▪️昨日は大雨でしたが、今日は快晴。ボランティア日和でした。淡海環境保全財団のヨシ苗育成センターで育てられたたくさんのポットに入った苗(たしか、200個でしたか…)を、それぞれが移植ゴテで浜に穴を掘って、ポットから取り出した苗を植えていきました。人数が多かったこともあり、作業自体は30分ほどで終了しました。きちんと苗が活着してくれると嬉しいです。このヨシ苗ですが、この浜に生えていたヨシを「親」として、そこから苗を増やしていったのだそうです。いろいろ配慮されていますね。
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▪️もともとは、もっと水辺に植えていたそうなのですが、このあたりは風が吹くと強い波がやってきます。今日も、そのような日でした。すると、せっかく植えた苗も活着する前に流されてしまうようです。ということで、今回は、少し波で流されないように、陸側に苗を植えていきました。

▪️ボランティア活動の最後には、地元の松沢松治さんがご挨拶をされました。ご挨拶の中で印象に残ったことが2つありました。1つは、国が実施した超巨大事業である琵琶湖綜合開発で、このあたりのヨシ群落が失われてしまったことです。今は、湖岸に湖州道路が走っていますが、これは治水事業の一環として建設されたもの、道路とはいっていますが、堤防なのです。正式には「湖岸堤・管理用道路」と言います。琵琶湖周辺において、洪水時に浸水被害の恐れ がある地盤標高の低い地域(全長約50.4kmの範囲)に設けた堤防なのです。このような事業により、水害の被害に遭うリスクが下がったわけですが…。

▪️ 2つめは、昔はどんなに風が強くても琵琶湖の水が濁ることはなかったというお話でした。松沢さんによれば、大きな河川からの砂の供給がなくなってしまい、砂地だった湖底に泥も混じるようになったために、濁るようになったのだそうです。風が強く吹くと湖底の泥が巻き上げられ濁るのです。治水・利水事業により大きな河川からの砂の供給が滞ってしまうと、これまであった砂浜が少しずつ欠けていくことになります。ヨシは、砂が堆積するような場所に真っ先に生えてくる植物ですから、砂浜がかけていくとヨシ群落も衰退していくことになります。

▪️人間の行ったことに対して、自然は素直に反応しているのです。その自然の応答にきちんと耳を傾け、自然のもつ力に寄り添うようにしながら、松沢さんの記憶にある、かつてのようなヨシ群落を復活させていく必要があります。そうそう、2週間前は、この浜の横の歩道を一生懸命歩いていました。「びわ100」です。
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西の湖(近江八幡市)の葦地(よしじ)を見学

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▪️1993年、淡海環境保全事業財団が設立されました。2012年には、公益財団法人に移行しました。設立から、昨年で30年を迎えました。そのタイミングで「淡海ヨシのみらいを考える会議」が設立されました。私はこの会議のメンバーです。10月25日(金)に、さまざまな職業の方達、しかし琵琶湖のヨシ群落に強い関心をお持ちの皆様と一緒に、「現地見学会」に参加させていただきました。午前中は、公益財団法人・淡海環境保全財団の「ヨシ苗育成センター」を訪問して、財団の職員の方から、ヨシ苗育成事業、ヨシ紙事業、ヨシ腐葉土事業に関して丁寧な説明を受けました。午後からは、見学の場所を近江八幡市にある西の湖の円山に移しました。特定非営利活動法人「まるよし」の皆さんが活動されている葦地(よしじ)を訪問し、「まるよし」の代表である宮尾陽介さんに解説していただきました。

▪️トップの写真、刈り取ったヨシを乾燥させるためにヨシの束を寄せ合わせて立てます。これを「丸立て」というようです。ヨシ刈は冬に行われますので、季節外れの風景になるのですが、この場所が近々ヨシをテーマにしたイベントを「まるよし」さんで開催するとのことで、そのために「丸立て」を用意されたようです。ちなみに、この円山のヨシは大阪で開催される万博に運ばれ使われるとのことでした。円山には、ヨシ業者さんがおられます。産業としてヨシを栽培して、刈り取り、ヨシの商品を製造・販売されているのです(下の2枚の写真は、そのようなヨシ業者さんの作業場を撮ったものです。)。そして、それらのヨシを栽培する葦地は個人の所有地なのです。公有水面のヨシ群落は開発や土木工事により減少してしまったのとは異なり、ヨシ産業が存在し、ヨシを刈り取る土地も私有地であるため、このあたりのヨシ群落は残っていると言えるのかもしれません。ただし、かつてのようにたくさんのヨシ業者さんがいるわけではありません。中国から安価なヨシが輸入されることで、たくさんおられたヨシ業者さんの数もずいぶん減っています。

▪️ヨシについては、以下の短い説明が役に立つかもしれません。特に、「過大に評価されてきた水質浄化機能」に関しては注文していただきたいと思います。ヨシと言えば、「水質浄化」と多くの皆さんが思い込んでこられたように思いますが、そうではないことを専門家が指摘しています。では、ヨシ群落にはどのような機能があるのかということなのですが、「湖国の原風景を象徴する景観の形成、環境教育の場」、「鳥類・魚類などの生殖・繁殖の場」、「ヨシ産業や暮らしを支えてきた資源の供給」の3つが挙げられています。
「琵琶湖ハンドブック三訂版」7-7 ヨシ
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20241101nishinoko_yoshi6.jpg▪️さて、特定非営利活動法人「まるよし」の宮尾さんからは、次のようなお話をお聞かせいただきました。上の写真ですが、真ん中に水路があり左右にヨシ群落が広がっています。左は、毎年きちんとヨシの刈り取り、火入れ等の作業がきちんと行われているヨシ群落です。右の方は、ヨシを刈り取る人が不足することで(高齢化で作業が大変になってこられた)、ヨシ刈ができなくなっていたヨシ群落です。宮尾さんたち「まるよし」では、3年前からこの土地でヨシ刈を始められました。まだ、左のヨシ群落のようにはなっていません。所々にオギが生えています。宮尾さんによれば、ヨシ刈が行われずに、そのまま腐って堆積していくとそこは水気のない乾いた土地になっていきます。そのような場所にオギが生えてくるとのことでした。宮尾さんたちが取り組んでいるヨシ群落も、きちんと管理をしていくことで、右のようなヨシ群落に少しずつ戻っていくのかもしれません。

▪️最後の写真は、宮尾さんがヨシ群落に渡っているところです。ヨシ群落には橋がかかっていません。この船を使って対岸のヨシ群落に移動するのだそうです。今後とも、宮尾さんには、特定非営利活動法人「まるよし」の活動状況や、円山や西の湖の周囲のヨシ群落の保全や利用等についていろいろ教えていただきたいなと思ってお願いしています。「まるよし」さんでは、ヨシの活用に力を入れておられます。現在は、岐阜県の業者さんや研究者とも連携して、ヨシを使った建築資材(ボード)の商品化に取り組まれています。琵琶湖のヨシ、現代的な文脈の中で、再び積極的に活用されるようなアイデアをもっと考えていかなければなりません。

龍谷大学吹奏楽部 秋華賞ファンファーレ G1 @JRA京都競馬場


▪️競馬のことはまったくわかりません。競馬場にも行ったことがありません。というか、ギャンブル一般、全て縁遠い感じですかね。とはいえ、この龍大吹奏楽部のファンファーレには注目です。競馬に縁遠い私は、菊花賞というの知っていても、この秋華賞というのは知りませんでした。昨年も秋華賞でファンファーレを吹いていますが、何のためのファンファーレなのか気にしていないというか、忘れてしまっていました。すみません…。

▪️YouTubeの動画を拝見する限り、当日のファンファーレうまくいったようです。よかった、よかった。音が外れるのは、予想が外れるにつながるので嫌われる…という話を聞いたことがあります。今年から新しい赤いパレードコスチュームになりました。かっこいいです。スクールカラーの赤です。

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