コンクールの前後で(4)~函館市電~
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▪️路面電車が走る街は素敵な街が多いと思います。このブログでも、福井、岡山、広島、鹿児島、富山、そして大阪の路面電車について投稿してきました。私は路面電車が好きなんですね。先日訪問した北海道の函館も、函館市営の路面電車が走っています。市電と呼ばれています。札幌市で開催された全日本吹奏楽コンクール・大学の部に出場した龍谷大学吹奏楽部の金賞受賞を確認した後、札幌から函館まで移動しました。函館空港から関西に戻る前に、せっかくだからと、五稜郭にも立ち寄りました。その際、もちろん路面電車に乗りました。
▪️写真は、私が乗車した市電です。「五島軒」と書かれています。函館の老舗レストランの広告ですね。市電丸ごとレストランの広告になっています。市電の行き先の表示、「函館どつく」になってます。「どつく」と表記されていますが、通常はドックとカタカナです。wikipdiaの説明ですが、「船の建造、修理、係船、荷役作業などのために海岸、河岸、湖岸等を掘り込みまたは埋め立てて築造された湾入状・袋状の平面形の土木構造物」ということになります。ただ、関西人は「どつく」という表記に一瞬躊躇うのではないでしょうかね(笑)。
▪️ところで、車内では「あれっ?」と思うアナウンスが流れていました。調べてみると「函館の路面電車開業110周年記念 車内放送してみませんかぁ?(YouTube公開)」という企画のようです。面白いですね、この企画。「それぞれの停留場名ご案内の前に,函館の良いところ,函館の好きなところ,函館への想い,函館市電への応援 など,思い思いのコメントも入れて」あります。こうやって一般市民が車内放送という形により「参加」することで、マイレール意識が涵養されていくのであれば、素敵なことだなと思います。
京阪「祇園河原町駅」のホーム
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▪️2つ前の投稿に書きましたが、9月14日のことになりますが、京都市西文化会館ウエスティで開催された、「クラリネット×パーカッションオーケストラ2024」を楽しんできました。帰りは、阪急と京阪を利用しました。阪急の四条河原町駅で下車して、四条大橋を渡り京阪の祇園四条駅へ徒歩で移動しました。鴨川沿いのこの駅、微妙にカーブしています。歩いているとよくわからないのですが、地図で見ると鴨川は微妙にカーブしているんですね。だからホームもカーブになるのでしょう。そのホームに、左の写真のような階段がありました。まさか「トマソン現象」の階段ではありませんよね。これは監視台なのでしょうか。でも、ホームにはきちんとカメラが設置してあります。「カメラだけでは確認できない時は、ここに人が立って確認するのかな?」と思ったりしました。
▪️帰宅後、facebookの鉄道ファンのグループで詳しい方達にお尋ねしてみました。すると、京阪にお詳しい方から、以下のような説明をいただきました。「”お立ち台”です。最近のインバウンドで外国人は車両から降りたらその場で立ち止まる人が多く、最近は”もん日”と呼ばれる祭りやイベント時だけでなく出動回数が増えてます」とのことでした。ここに駅員さんが立って混み合うホームの状況を確認して、車掌さんに伝えられるのでしょう。なるほど、これは「トマソン現象」ではなく、現役バリバリで役立っているわけです。
京阪「祇園河原町」のホーム
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▪️2つ前の投稿に書きましたが、9月14日のことになりますが、京都市西文化会館ウエスティで開催された、「クラリネット×パーカッションオーケストラ2024」を楽しんできました。帰りは、阪急と京阪を利用しました。阪急の四条河原町駅で下車して、四条大橋を渡り京阪の祇園四条駅へ徒歩で移動しました。鴨川沿いのこの駅、微妙にカーブしています。歩いているとよくわからないのですが、地図で見ると鴨川は微妙にカーブしているんですね。だからホームもカーブになるのでしょう。そのホームに、左の写真のような階段がありました。まさか「トマソン現象」の階段ではありませんよね。これは監視台なのでしょうか。でも、ホームにはきちんとカメラが設置してあります。「カメラだけでは確認できない時は、ここに人が立って確認するのかな?」と思ったりしました。
▪️帰宅後、facebookの鉄道ファンのグループで詳しい方達にお尋ねしてみました。すると、京阪にお詳しい方から、以下のような説明がありました。「”お立ち台”です。最近のインバウンドで外国人は車両から降りたらその場で立ち止まる人が多く、最近は”もん日”と呼ばれる祭りやイベント時だけでなく出動回数が増えてます」とのことでした。なるほど、これは「トマソン現象」ではなく、現役バリバリで役立っているわけです。
JR山科駅
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▪️ 帰宅時のJR山科駅です。帰宅するときは、この山科駅で湖西線に乗り換えます。時々、間違ってまた琵琶湖線に乗ってしまいます。その山科駅で、空を見上げると、こんな空でした。綺麗だなと思いました。三日月も見えました。夕闇が素敵だなと思いました。そこに、琵琶湖線の電車が入ってきました。もちろん、これには乗らずに、この後の湖西線の電車に乗りました。おそらく、この写真を撮っているのは、このプラットホームで私だけかなと…。
▪️日常的、当たり前、そのような風景に「美しさ」を見出すことができた…そのように思いました。幸せです。おそらく、皆さんの周りでも、そのような風景が突然現れてくるのではないかと思います。当たり前の日常に、突然現れる「美しさ」に気がつくと、とても幸せな気持ちになりますよ。
▪️このブログでは、どんな「しょうもない」ことでも、私として「ピン!」ときた事について、投稿しています。
茅野家の「乗り鉄旅行」
▪️ 信州大学で教員をされている茅野 恒秀さんが夏休みの家族旅行=「乗り鉄の旅」で関西にやってこられました。茅野家は家族全員そろって鉄道ファンなのです。息子さんたちは、かつて国鉄やJRで活躍した電車、頑張って走ってきた電車、そしてこれから引退していく電車に会いにいくことをとても大切にされています。どこに古い電車がまだ頑張って走っている、⚪︎日にはどこのあたりにいるはずだ…、そんな感じで事前にリサーチして、あたりをつけて、旅行をされているのです。その辺りが、素晴らしいと思うのです。お父さんとお母さんのさりげないアシストはあるようですが、基本、兄弟2人で事前にリサーチされているのです。茅野家の教育って、本当に丁寧で素晴らしい。将来は筋金入りの鉄道ファンになること間違いなしです。
▪️今日は信州の松本を出発して、在来線で名古屋、そして京都へ。京都からは湖西線で敦賀まで移動し、敦賀と富山の間は北陸新幹線を利用して、今日は富山泊。明日は、直江津を経由して松本に戻られるそうです。そのことを昨日茅野さんから教えてもらいました。それじゃ息子さん達に会いに行こうと思い立ち、湖西線の2駅の間たった5分間ですが、会いに行ってきました。プレゼントも渡すことができました。プレゼントは、琵琶湖の魚のノートです。茅野兄弟は淡水魚ファンでもあるのです。私は、滋賀のおじいさんのような気持ちになりました。
▪️今年の春(春休み)も「乗り鉄の旅」で関西にやってこられました。その時から、私たちは仲良しになっています。だから、今日も電車まで私が会いにやってくると知って、とても喜んでくれていたようです。ありがとうね、きいとくん、りいとくん。左側が兄のきいとくん。右側が弟のりいとくん。りいとくんが手に持っているのが、私からのプレゼント。このクリアファイルに、琵琶湖の魚のノートが入っています。で、このクリアファイル、自宅にあった鉄道関係のクリアファイルです。喜んでくれているかな。
阪堺電車に乗りました。
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▪️昨日は初めて阪堺電車に乗りました。大昔に少し乗ったことがあるのかもしれませんが…。昨日乗車した区間は、天王寺駅前から堺市の宿院まで。昼間に乗りましたが、たくさんの方達が日常の足として利用されているように思いました。経営的には厳しい状況にあるようですが、具体的にはよくわかっていません。こちらの大学紀要論文に説明されていますので、ご参考になさってください。
▪️昨日は、広重の展覧会を観覧し、昼食を摂った後、天王寺駅前を出発しました。出発してしばらくすると、線路を横断しようとする車が右側から現れてきました。ところが車が少し渋滞していて線路を渡りきれず…「あっ、衝突する」と、ひやっとする場面も起こりました。路面電車は、こういうことがたまにあるのかもしれません。とはいえ、路面電車は楽しいです。街にも元気を与えます。路面電車のある街には、「ゆとり」と「豊かさ」があるように思います。これからの時代の都市においては、誰しもが気軽に移動できるように、こういった公共交通機関がもっと整備されるべきだと思います。
▪️令和2年(2020年)に発行されたこの堺市「堺市阪堺線沿線地区交通戦」という報告書では、「今後めざすべき方向性について」として以下のように書かれています。
超高齢社会や働き手不足が進行する一方、外国人旅行客の増加などを背景に、自動運転技術の進展、MaaS などの ICTを活用した移動サービスの展開など、社会環境や交通のとらえ方が大きく変革する時代を迎えている。
そのような中、堺市では、大阪府内初の百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録(2019.07)、大阪・関西万博(2025)を契機に、恵美須町沿線のホテル立地や外国人旅行客のインバウンド需要の増加、大和川自転車道の整備など、ハード・ソフトともに、大きな動きが想定されている。
支援完了後も阪堺線堺市内区間の存続を図っていくためには、このような背景を踏まえなが ら、停留場間隔も短く乗り降りもしやすい路面電車として、人々に愛されてきた堺の歴史的資源であるという特徴も活かし、鉄道、軌道、バス、さらには自転車など、多様な都市交通シス テムやまちづくりと連携しながら、以下の戦略を講じていく必要がある。I さらなる安全性の向上及びバリアフリーの推進
II 結節機能の向上(他の交通機関との連携強化)
III 沿線資源との連携強化
IV 多様な主体の参加・協働の機会拡大
鉄道ファンの皆さんの集まり
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▪️今日は、午前中に龍谷ミュージアムで特別展を観覧した後、伏見に移動しまた。facebookの鉄道ファンのグループで親しくさせていただいている、関西在住の皆さん、そして関東からもお一人加わってくださり、京都の酒所でもある伏見でオフ会を開催しました。オフ会の後は、ご参加いただいた鉄道会社に勤務されていた方のご案内で、近鉄と京阪が乗り入れしていた時の廃線跡をご案内いただきました。このテーマ、古い航空写真や地形図をもとにもう一度きちんと確認してみたいと思います。オフ会=呑み会も、その後のエクスカーションも充実していました。こういうセットの企画、また実現できればと思います。
▪️「近鉄と京阪が乗り入れしていた時の廃線跡」については、明日にでも追記します。
【追記】▪️かつて、近畿日本鉄道(近鉄)と京阪電鉄(京阪)は、現在の京阪丹波橋駅で相互乗り入れしていました。戦時体制の中で、相互乗り入れするように工事が行われ、1945年の12月に完成しました。戦争は終わっていました。ただし、1963年までは、近鉄に合併される前の奈良電鉄という会社が運行していました。そのようなわけで、「奈良電は三条京阪-丹波橋-奈良間の直通電車を,京阪は奈良電京都-丹波橋-中書島-宇治間の直通電車」を走らせていました(ちなこに京阪三条駅、当時は地下ではなく地上に駅がありました)。ところが、沿線で開発が進み、電車の本数が増えくると相互乗り入れをすることが困難になってきたのです。1968年12月に相互乗り入れは取りやめになりました。それからは、京阪と近鉄の間にある陸橋を渡って乗り換えることになったのです。詳しくは、この「『三条発奈良行』のお話」をお読みいただければと思います。
▪️昨日は、この相互乗り入れをしていた時の、廃線跡を案内していただいたのです。「廃線跡ツアー」です。鉄道ファンでも、地形・地理・歴史との関わりで鉄道に関心を持つみなさんならば、こういう事実をとても楽しめるのです。かつて相互乗り入れの線路が設置されていた場所には、すでに住宅が建設されていたり、駐車場になっていたりしますが、住宅が建っていても、その敷地の並び方からはかつての相互乗り入れの線路のカーブを想像することができるのです。有意義でした。
JR湖西線 開通50周年記念イベント
関西六大学・龍産戦
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▪️金曜日、ひさしぶりに阪急に乗りました。若い頃は、私鉄といえば阪急がメインでした。通学で利用していました。その後、結婚して住まいが阪神間から遠ざかり、奈良に暮らしている時は近鉄を利用することになりました。そして今は大津です。というこで、今利用の頻度が高い私鉄は京阪です。ということで、なんだか懐かしかったわけです。この写真の特急は、観光用ですかね。特急料金はありません。通常の運賃だけです。ただ、この日は「西京極駅」までの移動だったので、残念ながら乗るのは、この特急の次にやってきた準急でした。
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▪️なぜ西京極駅に行ったのかといえば、この日、関西六大学連盟の「令和6年度春季リーグ」・「龍谷大学 対 京都産業大学」の試合が、西京極にある「わかさスタジアム京都」で行われたからです。昨年も龍谷大学硬式野球部の応援にきましたので、2年連続での応援になります。今年は部長をしていませんが、吹奏楽部も応援の演奏しており、部員の皆さんを労いたいという気持ちもちろんありました。
▪️さて、試合の方ですが、15時開始の予定でしたが、実際に2時間ほど遅れて始まりました。結果の方ですが、残念ながら1-3で負けてしまいました。何か、チームワークの歯車がうまく噛み合っていないような感じでしょうか。吹奏楽も素人ですが、もちろん野球はもっと素人なんです。素人の印象論にしかすぎませが、そのように感じました。この翌日も、京都産業大学との試合でしたが、翌日も敗戦でした。ということで、今季は、6連敗になります。ちょっと、厳しい状況ですね。どこに原因があるのでしょうか。硬式野球部の皆さんには、チームを立て直して、残りの試合を頑張って欲しいと思います。
「あべのハルカス」からの眺め
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▪️先日、大阪の「あべのハルカス美術館」で開催されている展覧会「円空-旅して、彫って、祈って-」に行ってきました。そのまま帰っても良かったのですが、せっかく「あべのハルカス」に来たのだからと、ビルの最上階の展望室まで上がりました。もちろん、お金を払って。60階から、JRの天王寺駅と近鉄の大阪阿倍野橋駅の界隈をしばし鑑賞⁉︎しました。1枚目がその時の写真です。JRの大阪環状線、大和路線、阪和線、近鉄の南大阪線。じっと眺めていて見飽きませんね。同じように見飽きない人がちらほらおられました。あっ、あと阪堺線も。この方角では見えませんが、60階から眺めました。
▪️2枚目は、北側の風景です。左の方に、高いビルが集まっているところがありますね。これは梅田界隈になります。そのずっと向こうには宝塚市や川西市の山々が見えます。万博公園の「太陽の塔」もみえるらしいのですが、私の肉眼では無理でした。手前の方、少し左よりのところには大阪城が見えます。昔は、この天守閣が一番高かったのでしょうが、今はもっと高いビルの中に埋もれてしまっています。この大阪城は上町台地の先端部分にあります。そこから道路が南に走っています谷町筋です。大昔、縄文時代ですが、この上町台地の両側は海でした。大阪平野は海が淀川が運んできた土砂が海に堆積することによってできあがっていくのですが、その歴史をこの風景を眺めながら想像しました。さらに手前の方をよく見ると四天王寺さんも確認できます。『日本書紀』によれば推古天皇元年(593年)に造立が開始されたようですね。その頃は、どのような風景だったのでしょうね。
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▪️3枚目は西側です。真ん中あたりは、宝塚ですね。ずっと左方(西側)には私の故郷である神戸や六甲山が確認できます。また、大阪湾も光って見えています。西宮市にある母校・関西学院大学は台地の上にあるので、望遠鏡があれば見えたのではないかと思うのですが、私の肉眼では無理です。母校の背景にある甲山(かぶとやま)も霞んでいるため確認することができませんでした。残念です。左の方にあるビル群は梅田界隈、その南の方のビル群は難波界隈でしょうか。そして一番出前には、天王寺公園が。公園内には動物園も。37歳になる娘がまだ赤ん坊だった頃、この動物園に行ったことを思い出しました。その時、学生時代所属していた学生オーケストラを指揮していただいた、湯浅卓雄先生にも偶然にお会いしました。芋蔓式に、いろんな記憶が風景の中かから浮かんできます。
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▪️4枚目は、南側です。遠くには大阪平野と奈良盆地を隔てる金剛山地が。左の方に、白い巨大な施設が見えます。これは、「ヤンマースタジアム長居」です。手前の方には、阪神高速14号松原線が走っています。そこに隣接している巨大な墓地は、「大阪市営南霊園」です。江戸時代は、千日前あたりに刑場・墓地・火葬場があったのですが、明治3(1870)年にこれらは廃止となり,明治7(1874)年に天王寺村埋葬地(阿倍野斎場)が完成し、そこに千日前にあった墓地などがここに移されたようです。一度、訪れてみたいのですが、まだ実現していません。
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▪️5枚目は、東側です。遠くに見えるのは生駒山系です。以前、長らく奈良に暮らしていました。6年間ほど岩手県に単身赴任していましたが、30年近く奈良に暮らしていました。私が奈良から大阪に来るときは、近鉄奈良線を利用していたので、この写真に写っている南大阪線はほとんど利用することはありませんでした。近鉄奈良線に乗車していると、石切のあたりからは、この写真とは逆の方向に大阪平野や六甲山や神戸の方面が確認できました。大津に暮らすようになってからもう奈良線に乗車することはありません。懐かしい気持ちになります。