鉄道ファンの皆さんの集まり
▪️今日は、午前中に龍谷ミュージアムで特別展を観覧した後、伏見に移動しまた。facebookの鉄道ファンのグループで親しくさせていただいている、関西在住の皆さん、そして関東からもお一人加わってくださり、京都の酒所でもある伏見でオフ会を開催しました。オフ会の後は、ご参加いただいた鉄道会社に勤務されていた方のご案内で、近鉄と京阪が乗り入れしていた時の廃線跡をご案内いただきました。このテーマ、古い航空写真や地形図をもとにもう一度きちんと確認してみたいと思います。オフ会=呑み会も、その後のエクスカーションも充実していました。こういうセットの企画、また実現できればと思います。
▪️「近鉄と京阪が乗り入れしていた時の廃線跡」については、明日にでも追記します。
【追記】▪️かつて、近畿日本鉄道(近鉄)と京阪電鉄(京阪)は、現在の京阪丹波橋駅で相互乗り入れしていました。戦時体制の中で、相互乗り入れするように工事が行われ、1945年の12月に完成しました。戦争は終わっていました。ただし、1963年までは、近鉄に合併される前の奈良電鉄という会社が運行していました。そのようなわけで、「奈良電は三条京阪-丹波橋-奈良間の直通電車を,京阪は奈良電京都-丹波橋-中書島-宇治間の直通電車」を走らせていました(ちなこに京阪三条駅、当時は地下ではなく地上に駅がありました)。ところが、沿線で開発が進み、電車の本数が増えくると相互乗り入れをすることが困難になってきたのです。1968年12月に相互乗り入れは取りやめになりました。それからは、京阪と近鉄の間にある陸橋を渡って乗り換えることになったのです。詳しくは、この「『三条発奈良行』のお話」をお読みいただければと思います。
▪️昨日は、この相互乗り入れをしていた時の、廃線跡を案内していただいたのです。「廃線跡ツアー」です。鉄道ファンでも、地形・地理・歴史との関わりで鉄道に関心を持つみなさんならば、こういう事実をとても楽しめるのです。かつて相互乗り入れの線路が設置されていた場所には、すでに住宅が建設されていたり、駐車場になっていたりしますが、住宅が建っていても、その敷地の並び方からはかつての相互乗り入れの線路のカーブを想像することができるのです。有意義でした。