リストから漏れていたFくん
■昨日、facebookでFさんという方が友達申請してくださいました。とっても驚いたことに、私のゼミの出身だと伝えてくれました。「あれっ、Fくんって、いたかな〜」。思い出せませんでした。私は、ゼミ生の卒業論文のタイトルを一覧できるようにホームページで公開しています。ところが、Fくんの名前は思い出せないし、一覧にもありません。「Fくん、勘違いしているんでは…」と思って伝えたら、間違いなく私のゼミ出身だというのです。丁寧に確認をさせてもらいました。2008年の卒業、卒業論文は高速道路の問題、サークル活動は吹奏楽部でトランペット、就職先は…。ああ、思い出してきました。私のゼミの3期生でした。なんと、私が卒業論文のタイトル一覧に、Fくんの名前と卒論のタイトルを入れるのを忘れていたのでした…。これって、あかんやん。Fくん、ごめんなさい。Fくん以外にも、ごめんなさいな方がおられたりして。ああ、ショック。Fくんが「ネタにできます」って言っていたけど、その前に、投稿しておきます。
■卒業論文のリストは、こちらです。Fくんは、福富太一くん。ご本人もfacebookで伝えてくださいましたが、当時は、所属していた龍谷大学吹奏楽部に夢中で、ゼミのことについてはあまり関心がなかったとのこと。なるほど…です。そのような福富くんに、私はどのような指導をしたのか、ご本人によれば、私は「吹奏楽部だけでなく、学業でも自分のやり遂げたと自信を持てるもの(卒業論文)を残しなさい」と指導したようです。それは、今も変わらない龍谷大学で働き始めた時から一貫した考え方です。加えて、ゼミでは、「発表することの力」、たぶんプレゼン能力のことだと思いますが、評価したようです。こちらは、うっかりしていたわけですが、福富くんはきちんと記憶してくれていました。ありがとうございます。
■ということで、福富くんのお名前と卒業論文のタイトルをきちんと付け加えておきました。福富くん、本当に申し訳ありませんでした。福富くんと同様にリストに名前が入っていないという方はご連絡ください。
卒業生からのメール
■この春卒業したゼミ生からメールが届きました。銀行員になりました。メールでは、しっかりした決意を述べていました。あまり肩に力が入らないようにして、頑張って欲しいと思います。こういうメールは嬉しいですね。
脇田ゼミ1期生の桐原くんとの再会
■昨日は、夕方からは、大学の教員として素敵な時間を持つことができました。
■私が龍谷大学で働き始めたのは2004年になります。先日、一番最初のゼミの学生、脇田ゼミ1期生だった桐原 真介くんから31日に会いたいとの連絡が入りました。桐原くんは、長年タイに海外赴任していたのですが、最近帰国されたようで、そのようなこともあり連絡をくれたようです。嬉しいですね〜。桐原くんにはうまい具合に調整してもらって、夕方から会食をすることができました。また、桐原くんの長年の友人で、龍谷大学出身の卒業生も参加してくださることになりました。
■桐原くん以外は初対面でしたが、楽しい時間を過ごさせていただきました。お3人は社会人になって15年目になるのだと思いますが、それぞれにキャリアを積まれて社会の中堅として活躍されています。そのことが、お話いただいた内容からもよく伝わってきました。また、私からは、私が大学で取り組んできた事業や、最近の龍谷大学の様子についてもお話しさせていただきました。
これまでは、それぞれのお仕事やご家庭のことに必死で、母校のことを考える余裕もなかったのだと思いますが、最近の大学の変化に驚いておられました。また、強い関心を持っていただけました。ぜひ、もう一度、母校とのつながりを強めていただければと思います。いろいろお話ができて嬉しかったですね。
■桐原くんは、大学に在学していた時代、いろんなことに取り組んでおられました。一番印象に残っているのは、アフリカのケニアに学校を作るため頑張っていたことでしょうか。私はあまり記憶がなかったのですが、これから卒論に集中して取り組むという4回生の後半に、アフリカに行ってくると言って驚かされました。もっとも、心配した卒論もきちんと提出しました。宝塚市でフィールドワークを行い、「まちづくり協議会と自治会」との相補的な関係について論じた卒論でした。地域社会学としては、大切な内容だったと思います。まだ、私の研究室に保管されています(卒業生全員の卒論が保管されています)。
■昨晩は、桐原くんたち卒業生の皆さんにお話を聞かせていただき、教員として大変嬉しく思いました。時々、同窓会に呼ばれることがありますが、今回のように、卒業生の皆さんと気楽にお会いしてお話をお聞きできればと思っています。
小さな同窓会
■先日、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」で、小さな同窓会が開かれました。私の大学院の授業に受けにきておられた社会人院生の皆さんとの同窓会です。写真のお2人が私の授業を受けにこられていたのは、もう14年ほど前のことになりますかね。NPOの理事長をされていた藤野さんが私の授業を履修しておられました。ある自治体の職員だった藤井さんも履修はされていませんが(いわゆるモグリ)で出席されていました。あの頃は、このお2人以外にも、いろんな社会人院生の方達が出入りしていてとても賑やかでした。この日は、藤井さんが龍谷大学瀬田キャンパスに用事があり、昔の懐かしい仲間と会いたいとのご要望もあり、急遽、同窓会(という名の飲み会)を開催することになりました。急遽…ということで、多くの皆さんのご都合がつきませんでした。残念です。とはいえ、この日、お二人の最近のお仕事やご活躍の様子を聞かせてもらいました。楽しい時間をありがとうございました。
【関連エントリー】■2年まえの同窓会の様子です。この時は、少し参加者は多めでした。
社会人院生だった皆さんとの同窓会
3回生(脇田ゼミ13期生)のコンパ
◼︎火曜日の4限は3回生のゼミ「社会学演習IA」です。今週は、「この本のここがすごい!」というグループワークを開催しましたが、引き続き、その勢いでゼミのコンパを開催しました。最近の言い方だと「飲み会」というのでしょうかね。JR瀬田駅前の居酒屋で盛り上がりました。写真は、記念写真です。学生たちに指示したわけではありませんし、特に相談したわけでもありませんが、学生たちは両手で「脇田」の頭文字の「W」を表現しています。春からグループワークを繰り返してきたせいでしょうか、全員が、お互いに話のできる関係になってきました。良い雰囲気です。お互いに支え合いつつ、良い卒業論文の完成を目指しましょう。
◼︎こちらは、2007年春に卒業した脇田ゼミの2期生とのコンパで撮った写真です。おそらく撮影したのは、卒論発表会を終えた後かな。2007年の2月です。この学生たちも13期生のゼミ生たちと同じく、「脇田」の頭文字の「W」を両手で表現しています。偶然だけど面白いな。ちなみに、「T」をしている写真もあります。この学年では、卒論の研究を進めるための指導をした際に、亡くなった環境社会学者・舩橋晴俊先生が提唱された「T字型研究戦略」を詳しく説明しました。何度も説明してきたので、相当印象に残ったのでしょう。「W」の後は「T」になりました。
自分は何をしたいのか…
◾︎昨日のことでした。夕方、帰宅時のJR瀬田駅でのことです。ホームが寒いので改札口を入ったところで待っていると、後ろから突然「わきたせんせー!」と声がしました。卒業生の岩田麻希さんでした。彼女は、卒業後、化粧品と美容の仕事に就きました。今では、経営者として頑張って働いています。岩田さんは、2011年の春に卒業しました。卒業して4年経った2015年の11月に、偶然に瀬田駅で出会いました。その時のことを、「ゼミOG岩田さんとの偶然の再会」としてエントリーしました。このエントリーの中では、「岩田さんの仕事を少しだけですが応援させていただきました」と書いてあります。化粧品や美容の仕事で、母校に恩返しができるのではないか…とふと思い、知り合いのキャリアセンターの課長さんに彼女の存在を伝えたのです。たまたま、キャリアセンターが、女子学生のために「就活メイクセミナー」を開催していたことを知っていたからです。いろいろ紆余曲折はありましたが、結果として、岩田さんは、母校の「就活メイクセミナー」を担当することになりました。ひさしぶりに会った岩田さんからは、その後も、「就活メイクセミナー」の講師は続いており、今年度も3回目のセミナーを担当するとのことでした。
ゼミOGによる「就活メイクセミナー」in 深草キャンパス
2回目の「就活メイクセミナー」
◾︎岩田さんは、現役の学生だった頃はどのような学生だったか…。ひとつ前のエントリーにも書いた内容とも関係しますが、やはり「自分のやりたいことがわからない」若者の1人だったと思います。その彼女が変わったのは、就職活動を通してでした。就職活動を通じて、化粧品や美容の世界で活躍している人たちとの出会いが(「異質な他者との出会い」)、彼女を大きく変えたように思います。卒業してから8年。話しをしたのは短い時間でしたが、彼女からは、今の職業に対する自信と誇りが伝わってきました。
最近の卒業生のこと
■2013年春に卒業した卒業生(脇田ゼミ8期生)2人から、嬉しい連絡がありました。1人は男性で、電撃的に婚約したとのこと。知り合って友達として10年交流があったようですが、3ヶ月前からいわゆる「お付き合い」が始まり、婚約に至ったというのです。素晴らしい。もう1人はです。来年ご結婚だそうです。こちらも、とてもおめでたいですね。女性の方の卒業生は、昨年1年間、仕事が終わってから専門学校に通い、毎日遅くまで勉強を続け、社会福祉士の資格を取得しました。今後は、この資格を活かした仕事をしていきたいとのこと。よかったね〜。右の写真は、その8期生の皆さんとの同窓会で撮ったものです。
■もうひとつ。こちらはお名前をあげても問題なさそうなので、実名です。昨年の11月に「安平くんのこと」をエントリーしました。安平くんは、2014年3月に卒業した脇田ゼミ9期生です。このエントリーで、以下のように書きました。
さて、安平くん、来春からは関西勤務になるようです。関西に帰ってきたら、まずしたいこと。それは、卒業論文でお世話になった地域の方にご挨拶に行くことです。これは、安平くんの弁明です。「卒論を提出した後、経済的なことからすぐに下宿を引き払い、卒業式まで実家に戻ったことから、ご挨拶に伺うタイミングを失ってしまいました。関西に赴任したら、すぐにご挨拶に伺います」とのことでした。安平くんの卒論のタイトルは、「農村女性によるコミュニティビジネス-滋賀県大津市『ほっとすていしょん比良』の事例をもとに-」です。「ほっとすていしょん比良」で安平くんがお世話になったのは、山川君江さんです。山川さん、安平くんがご挨拶に伺うとのことですので、どうぞよろしくお願いいたします。
■先日のこと、その山川君江さんがfacebookに、安平くんのことを投稿されていました。京都に転勤になった安平くんが訪ねてきたという投稿です。「転勤で京都に帰って来ました。卒業の時にご挨拶に来たかったけど来れなくて、やっとこられました!!」とご挨拶に伺ったようです。山川さんは、とても喜んでおられました。「『自慢の息子が出来ました』と勝手に思う」ともお書きになっていました。指導した教員として、とても嬉しいです。
■卒業生の皆さんからの素敵な連絡を待っていますよ。
卒業生の来訪
◾️昨日は、自宅に懐かしい方がお越しになりました。2008年の春に卒業した脇田ゼミ3期生の正木晴香さん(旧姓吉澤さん)です。正木さんは、ご家族と一緒に我が家に遊びに来てくれたのです。普段は、お連れ合いの転勤で九州にお住まいですが、お盆の休暇で帰省しているとのことで、昨日、ぜひ会いたいと連絡をくれたのでした。
◾️2歳のお子さんは、最初は知らないお家に連れてこられて緊張のあまり大泣きしていましたが、途中から機嫌を直してくれました。良かった、良かった…(^_^;。最後は、笑顔でハイタッチできるまでに関係が良くなったんですが、「人見知りに関して私の右に出る人はいない…」と威張りたいくらいなので⁈、正直にいうと最初はちょっとオロオロしていました。
◾️さて、正木さんとは久しぶりでした。ご実家のこと、お住いの街のこと、お子さんのこと、うちの孫のこと、昔の思い出話し…。あっという間に時間が過ぎてしまいました。お連れ合いは、初めてお会いしましたが、龍大社会学部出身ということで、なんだかちょっと同窓会のような感じでもありました。連絡をくれて、訪問をしてくれて、嬉しかったな〜。晴香さん、ありがとう❣️今度は、脇田ゼミ3期生で、同窓会をやりましょう。
◾️ところで、正木さんが卒業したのは10年前。私のゼミにやってきたのは、12年前でした。ゼミが始まった時は、私は47歳。すぐに48歳になりましたけど。まだ私自身も若くて、けっこう厳しく卒論指導をしていたと思います。正木さんも、そういう指導のもとで一生懸命、調査と卒論の執筆に取り組みました。卒論のタイトルは「都市農家と周辺住民の地域交流-京都グリーンファームでの取組を事例に-」でした。よく頑張った卒論だったと思います。懐かしいなあ。あの頃は、正木さんも含めたゼミの学生たちと、夏に岩手県の農村にスタディーツアーに出かけたりしました。10年経つうちに、私も歳を取り、学生の気質も大きく変化しました。正木さんが帰られた後に、こんな感じで昔を懐かしみました。
安平くんのこと
■先月の出来事を、このブログに記録として残しておくことを失念していました。以下は、10月15日の出来事です。その日、大阪の新今宮で「NEW念仏踊り研究会」が開催されました。その後は、急いで大津に戻りました。脇田ゼミ9期生の安平昂志くんが、私に会いにきてくれたからです。安平くんの卒業は、2014年の3月になります。
■安平くんからは、今の仕事や職場のことをいろいろ聞かせていただきました。入社したての頃は大変だったようです。ちょっと、精神的にブルーになってかなり落ち込んでいたこともあるようです。しかし、上司のアドバイスや、そのアドバイスに従って取り組んだことで仕事の「勘所」を確信したようです。それ以降は、会社の中でも表彰されるほどの実力を持つようになりました。また、現在では、新人の職員のチューター役も任されているようです。
■安平くんの話しを聞かせてもらいながら、いろいろ思うところがありました。ひとつは、後輩の学生諸君に対してこの先輩である安平くんの経験をどう伝えたらいいのかな…ということです。自分の今の職場も含めてですが、仕事をする、「働くってことは、どういうことなのか」をどう伝えるのかということです。当たり前のことなのですが、仕事はアルバイトとは違います。誰しもがわかっているようなことなのですが、就職したての若い方達には必ずしもそうではありません。与えられた業務をこなした、処理したからといっても、それで仕事ができたことにはなりません。安平くんからは、勤務先で商っている商品の細かな点についても、いろいろ教えてもらいました。就職して4年目ですが、さすがプロですね。私が次々と尋ねる素朴な疑問にも、的確に答えてくれました。
■さて、安平くん、来春からは関西勤務になるようです。関西に帰ってきたら、まずしたいこと。それは、卒業論文でお世話になった地域の方にご挨拶に行くことです。これは、安平くんの弁明です。「卒論を提出した後、経済的なことからすぐに下宿を引き払い、卒業式まで実家に戻ったことから、ご挨拶に伺うタイミングを失ってしまいました。関西に赴任したら、すぐにご挨拶に伺います」とのことでした。安平くんの卒論のタイトルは、「農村女性によるコミュニティビジネス-滋賀県大津市『ほっとすていしょん比良』の事例をもとに-」です。「ほっとすていしょん比良」で安平くんがお世話になったのは、山川君江さんです。山川さん、安平くんがご挨拶に伺うとのことですので、どうぞよろしくお願いいたします。ところで、ゼミで真正面から向き合って私の指導をきちんと受け止めてくれた学生の皆さんは、安平くんのように会いにきてくれる事が多いですね。また、卒業生と、今回の安平くんからのような感じで、仕事の話しを聞かせてもらいたいなあと思っています。
社会人院生だった皆さんとの同窓会
■一昨日、金曜日は、午後から滋賀県庁で世界農業遺産申請関連の仕事をしました。私は申請作業のアドバイザーをしていることから、担当職員の皆さんと申請書をブラッシュアップさせるためにディスカッションを行いました。職員の皆さんのご努力とともに、少しずつ作業を前進させてきました。やっと、ゴールが見えてきました
■県庁での仕事の後は、10年前に私の大学院の授業を履修していた、あるいは履修登録をせずに勝手に聴講に来ていた、当時の社会人院生(NPO・地方行政研究コース)の皆さんとの同窓会でした。当時の私の授業は、特に社会人院生のみなさんにとっては、修士論文を執筆するための「道場」のような感じでした。私としては、社会人院生の皆さんの指導を楽しんでいました。いずれの皆さんも、NPO・地方行政研究コースの院生でした。それぞれ、NPOや地方自治体の組織の中で実務に取り組みながら、課題を見つけて修士課程に進学された方達でした。問題意識がクリアなので、私としても指導のしがいがありました。楽しかったな〜。さて、その方達との同窓会ですが、場所は、毎度お馴染み、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」でした。この社会人院生の皆さんとは、よく飲んできました。これまでも度々同窓会をやってきましたが、今回はひさしぶりでした。いずれの皆さんも、京都や滋賀のNPO、市役所で活躍されています。素敵ですね。