春の宴会
■ひとつ前のエントリーにも書きましたが、民博の特別展を観覧した後、母が入所している介護老人保健施設まで車を走らせました。この日は、母の見舞いだけでなく、介護福祉士、看護師、栄養士、ケアマネージャーといった施設の専門職の皆さんと、母の状況共有のためのカンファレンスが持たれました。その後、急いで滋賀に向かって車を走らせました。この日、夕方から「教員部長会」が開催されることになっていたからです。母の施設には妻も同行してくれたことから、私は山科で車を降り(後は妻に任せて…)、電車で深草キャンパスに向かいました。
■「教員部長会」は、大学の縦割り組織の弊害を少しでも緩和し、組織の壁を超えて横に連携していくことを目的に開催しています。学長にも参加していただいています。もっとも、今回で開催は2回目です。私も含めた教員部長3名で始めました。今回も、食事と酒を楽しみながら、いろいろ情報・意見交換をすることができました。場所は、深草キャンパス近くの割烹料理店です。写真は、この時に出てきた一品です。春らしい椀です。桜の香りが漂う美味しい椀でした。桜の蕾、桜の葉、桜色の染まったおこわの中身は白身の魚…、それらを葛餡とともに美味しくいただきました。「春の宴会」ですね〜。ところで、次回の開催もすでに決まっています。次回は6月に開催することになっています。場所は、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」です!!
新任者研修
■今日からいよいよ新年度です。今日は、深草キャンパスで入学式がありました。明日は、瀬田キャンパスで入学式が挙行されます。学生の入学式だけでなく、今日は、新しく龍谷大学に赴任されてきた教員の皆さんの辞令交付式や研修が行われました。新任者研修です。今日は瀬田キャンパスの学部の教員の皆さんが対象でした。明日は、深草キャンパスの教員の皆さんです。研究部も30分ほど時間をいただき、研究部長として「龍谷大学の研究活動について」というタイトルでお話しをさせていただきました。
■今日は、大学の長期計画・中期計画に始まり、研究推進体制、組織制度、科研費、個人研究費、学内女性、研究支援ガイド、研究不正、コンプライアンス…30分しかないものですから、早口で説明させていただきました。研究部の職員の皆さんが作成したパワーポイントのページ数、30分にしては内容が多すぎるように思いますので、私の方で調整する必要があります。明日は、もう少し要領良く、メリハリをつけて説明したいと思います。
■私が龍谷大学に赴任したのは12年前です。もう、その時の、自分自身が受けた研修の内容については、記憶が霞んでいます。新任者研修で学んだこと…、記憶にありません。しっかり覚えているのは、「龍谷」の名前の由来です。文学部の鍋島直樹先生が講師でした(当時は、法学部におられました)。大学のホームページでは、次のように説明しています。「大学の校名は、本願寺の山号である「龍谷」に由来します。 親鸞聖人の廟地「大谷」を漢字にあてた「谷龍」(訓はオオタニ)を分かち書きにしたものです」。漢字で書けば、画像のような文字になります。このお話しは、非常に記憶に残っています。
【追記】■この「おおたに」という感じ、Googleの「U+8C45」というコードを入力すると、この漢字が登場するそうです。それをコピペすると、使えるはずです。でも、使うチャンスがあるかな…。多分、ないでしょうね〜。
長野了法総務局長送別会
■秋田と仙台の出張で疲れてはいましたが、関西に戻った翌日25日(木)からすぐに仕事が再開しました。午前中は、朝9時半から大津市役所で都市計画審議会がありました。昼からは瀬田の研究部に行き仕事の確認をし、その後は、研究室で学生の指導…でした。一旦自宅に帰り、夕方からは、京都にある「ウエスティン都ホテル京都」で開催された「長野了法総務局長 送別会」に出席しました。総務局長は事務職員のトッブに立つ役職です。そして、総務局長である長野さんご自身が3月末で定年退職されることから、盛大な送別会が開催されることになったのです。
■送別会は、約400名近い皆さんが参加されました。学内の事務職員や教員が一番多いわけですが、退職されたOB・OG職員の皆さん、企業の経営者の皆さん、それから龍谷大学の評議員の国会議員さんも出席されていました。よく企画された送別会で、非常に内容が盛りだくさんでした。学長室や滋賀県人会の職員の皆さんが中心となって準備をされてきたのです。先輩を慕う後輩の職員の皆さんの熱い気持ちにも感動しました。自分が勤務している大学ですが、「凄いな龍谷大学…」と心の中で思いました。
2015年度「卒業式・学位授与式」
■3月18日(金)、脇田ゼミの11期生が卒業しました。卒業おめでとうございます。残念ながら、全員で卒業というわけにはいきませんでしたが、レベルのある卒業論文を執筆できた人も、レベルはともかく頑張って卒業論文を執筆した人も、ギリギリの低空飛行ではあってもなんとか卒業論文を提出できた人も、その辺りはいろいろなのですが、とにかく卒業できてよかったと思います。
■社会人になって、いろいろ苦労することになろうかと思いますが、松浦弥太郎さんの『松浦弥太郎の仕事術』の中から、以下の言葉を贈りたいと思います。今は、ここに描かれていることの意味がわからないかもしれませんが、働き始めて何か迷うことがあったら、思い出して欲しいと思います。詳しくは、「仕事とは「自分」を役立てること」をお読みください。
「自分はなにがしたいのか?」ではなく、「自分は社会でどう役立てるのか?」を考える。最終的には、その仕事を通じて人を幸せにしていくことを目標にする。これさえ忘れなければ、よき仕事選びができます。毎日の働きかたが変わります。
人との関係の中で、どのように「自分」をいかしていくかを考えなければ、何をしても仕事にならない。逆にいえば、どんなささやかなことでも、自分を社会で役立てる方法が見つかれば、仕事になる。
■下の写真は、卒業式のあと、瀬田のロイヤルオークホテルで開催された、龍谷大学校友会(龍谷大学全体の同窓会)・社会学部同窓会による新会員歓迎パーティーの時のものです。卒業生は自動的に会員になり歓迎され、私たち教員はゲストとしてご招待いただくのです。校友会の会長は、薬師寺の副住職である村上太胤さんです。村上会長からは、卒業生たちに向けたお祝いのスピーチの中で「まずは、家に帰ったら、直接でも電話でも良いから、ご両親に『ありがとうございました』と言ってください。これは社会人になるための基本ですから」と述べられました。とても大切なことですね。
龍谷大学シンポジウム「日本料理の国境線」広告記事
■2月12日のエントリーは「龍谷大学シンポジウム-日本料理の国境線-」 でした。このシンポジウムの広告記事が朝日新聞に掲載されました。以下、少しだけ記事の中身をご紹介したいと思います。まず、このシンポジウムの趣旨説明について。龍谷大学農学部食品栄養学科教授の伏木亨先生(食の嗜好研究センター・センター長)は、次のように説明されています。
日本料理は世界的ブームとなり、多くの人が興味をもっています。日本料理と料理人も世界に進出し、日本の食文化がグローバル化しつつあります。一方、世界中でおいしい日本料理が食べられるようになると、本家である日本は今後どうすればよいのか。今日の日本料理は、フレンチやイタリアンなどを取り入れて大きく変化しています。表向きはしっかり伝統を守りながらも、内側では大胆に変えていく、これが日本料理の魅力であり、今後も世界で最もおいしい料理であり続けるための原動力になると考えます。ただ、こうして変化しながらも「日本料理であるため」に「守るべきもの」は何なのか。シンポジウムでは、日本料理を継承し発展させていく道筋を探りたいと思っています。
■アンダーラインで強調しました「変化しながらも「日本料理であるため」に「守るべきもの」は何なのか」を明らかにしていくことがこのシンポジウムの目的でした。2月12日のエントリーにも書いたことと関係していますが、私が興味深く思ったことは、なかなか言語化しにくい味覚に関する本質について定義すること(国境線を確定すること)は、ある意味で社会的な行為でもあるということです。国境線はどこかにすでに実態として存在するのではなく、日本料理を関わる人たちが「集合的」に構築してきたわけですから。しかも、それは「暗黙知」のような存在でもあるわけですから。
■シンポジウムの趣旨説明のあと、短い対談が2つ続きました。ひとつめは、川崎寛也さん(味の素株式会社イノベーション研究所食品官能特性研究グループ/主任研究員)と才木充さん(京料理「直心房さいき三代目主人)の対談でした。聞き手である川崎さんは、「脳が高度な認知・判断をして料理の国境を判断」することが研究から明らかになるると説明されています。脳が高度な認知・判断をする…そこには、文化や個別の学習が大きく効いているようにも思えます。この脳の判断で重要になってくるのは「香の強さ」=「風味」が料理を決定するということです。というわけで、料理人の才木さんは、このシンポジウムにあわせて「バター真丈」を創作されました。真丈は、糝薯・真蒸・真丈とも書くようですが、魚のすり身に山芋や卵白そして出汁をを加えて熱処理したものです。今回の「バター真丈」は、バターの風味によって日本料理の国境線を超え、次に一番だしの強い風味で日本料理に戻ってもらうことを狙っておられるわけです。「最後に感じる風味」(才木さん)=「ドミナントフレーバー」(川崎さん)が日本料理かどうかの判断の重要な要素の一つになっているようです。
■2つ目の対談は、龍谷大学農学部食品栄養学科准教授である山崎英恵先生(食の嗜好研究センター副センター長) と高橋拓児さん(京料理木乃婦三代目主人)との対談でした。日本料理には難しい食材であるオックステール。高橋さんは、あえてこの食材をあえて使われました。そして、脂を抜いたうえで、和食にあうように渋みの強いアズキの煮汁、昆布や干しシイタケ、野菜等のだしで炊いてうまみ成分等で味の補正を行われました。山崎先生は、「和の色や音の諧調があるように、料理にも味のトーンがある」、「食材の微妙なトーンを調えることで料理の国籍が決まるのだと感じた」と述べておられます。
■対談の次は、このシンポジウムに参加された京都の料理人の皆さんが、それぞれの「国境線に挑んだ料理」を披露されました。会場にお越しの聴衆の皆さんは、その料理を試食しながら、料理人の皆さんのお話しをうかがいました。
■そしてシンポジウムの最後は、村田吉弘さん(菊乃井主人/日本料理アカデミー理事長)と伏木亨先生との対談です。村田さんは、次のように語っておられます。「国境を越えようとしても、日本料理の料理人のフィルターがかかれば、西洋の素材・技術を使っても最終的には日本料理に行き着くと感じました」、「国境線を左右するのは、日本人が培ってきた『意識』ではないかと思います」。素材とは技術ではなくて、料理人がお客さんに美味しい料理を食べていただこうとすると、結果としてそれは日本食になってしまう。その背景にあるのは「意識」だというのです。素材や技術ではなくて、意識。このご指摘は、大変重要かなと思います。伏木先生は、さらに「日本料理は、料理人と客の両方が、その『意識』を共有しています。それが日本料理の本質、国境線かもしれません」とコメントされています。私自身は、2月12日のエントリーでこんなふうに書きました。「食材や調味料に規定される側面はもちろんあるわけですが、それと同時に料理人と食べる人との『相互作用』により生み出されている部分も相当に大きいのだな…と感じました。それは社会や文化の中で構築されてきた集合的な暗黙知のようなものかもしれません」。このあたり、社会学を勉強している者からみると、非常に興味深いのです。
龍谷大学大学院「NPO地方行政コース」の修了生の皆さんと
■昨日は、火曜日でしたが教授が開催されました。入試判定の関係で、いつもの水曜日から火曜日になったのです。教授会があるときは、昼からまず学科会議があります。学科会議、教授会、大学院の研究科委員会、そして昨日は、大学院の専攻会議も開催されました。昼から19時半近くまで…。会議が長引きました。仕事ですから、たくさんの会議もこなさないといけませんが、心の中では、会議が長引いていることに困っていました。というのも、自分が幹事をする小さな飲み会が、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」で開かれることになっていたからです。
■飲み会は18時半から始まることになっていましたが、私が到着した時にはすでに20時になっていました。もちろん、飲み会はすでに盛り上がっていました。昨晩集まってくださったのは、龍谷大学大学院「NPO・地方行政研究コース」で、私の授業を履修されていた、あるいはモグリで授業を受けていた社会人の方たち3名です。深草キャンパスで開講されている「NPO・地方行政研究コース」には、私が所属する社会学研究科から幾つかの科目を提供しており、私が担当している科目はその提供科目のひとつなのです。政策学部部や政策学研究科ができるまでは、私の授業を社会人の方たちがよく履修してくださいました。社会経験の豊富な社会人の方たちを相手に授業をすることは、とても楽しい経験でした。昨晩も、近況の報告と共にいろんな思い出話しをしながら、ずいぶん盛り上がりました。たまたま私の授業を履修してくださった方たちとの「ご縁」、本当にありがたいことだと思っています。また、こういった集まりがあったらいいね…と言う話しから、「大人の私塾」、勉強と交流ができる「場」を作ろうという話しになりました。まだ「夢」や「妄想」のレベルですが、これを皆んなの力で具体的な形にしていければと思っています。
ゼミOGによる「就活メイクセミナー」in 深草キャンパス
■私のゼミの卒業生である 岩田 麻希さんが、深草キャンパスで「就活メイクセミナー」を開催しました。岩田さんは、化粧品メーカーに勤務されています。今回は、卒業生として母校に恩返しをするような形になりました。「就活メイクセミナー」は、2月4・5日と8・9日の4日にわたって開催されました。彼女の会社の後輩たちも当日はスタッフとして参加されたそうです。4日間で111名の参加者があり、大変好評だったようです。素晴らしい!! 「母校のために、在校生のためにこうやって力になれて嬉しかったです!(在学中はこんなことができるなんて、全く想像も、思いもしてなかったので…笑)」とメッセージを伝えてくれました。嬉しいですね〜。
■私は、岩田さんと大学のキャリアセンターをちょこっとお繋ぎしただけなのですが、キャリアセンターの皆さんがOGである岩田さんの提案に、真摯かつ丁寧に対応してくださったようです。岩田さんは、キャリアセンターのスタッフの皆さん、そして大学の事業法人である「龍谷メルシー株式会社」のスタッフの皆さんに大変感謝されていました。また、こういった形でOB・OGの皆さんには、母校・龍谷大学に貢献していただければと思います。よろしくお願いいたします。
山邊朗子先生を偲ぶ会
■今日は、私が所属する社会学科の卒論に関連する会議がありました。そのあと、昨年の11月25日にご逝去された山邊朗子先生を偲ぶ会が、瀬田キャンパスの2号館で開催されました。関西の社会福祉学研究の最前線で活躍されてこられた方ということもあり、多くの方たちが参加されていました。私は、たまたま2期4年間にわたり社会学研究科長を務めた関係から、大学院社会学研究科の「東アジアプロジェクト」の一環として、山邊先生と一緒に韓国や中国の大学に何度も訪問いたしました。そのことは、このブログにも書いてまいりました。でも、今日は、ずっと昔むかしの山邊先生との思い出を少しだけ書いておこうと思います。山邊先生の同僚の皆さん、そして先生を慕っておられた多くの院生や学生の皆さんには、どうでも良いことかもしれませんが…。
■山邊先生と最初にお会いしたのは、今から33年前になります。私は母校・関西学院大学の大学院社会学研究科修士課程の1年だった時です。山邊先生は、もともと私と同じ研究科の修士課程で、社会学理論の研究をされていました。アメリカの社会学者であるタルコット・パーソンズの社会学理論に関する研究です。しかし、その後、同志社大学大学院文学研究科社会福祉学専攻に進学され、福祉学の道を歩まれました。私が山邊先生とお会いしたのは、先生が同志社の修士課程に在籍されている時のことでした。山邊先生と私との共通の先輩に当たる方のご自宅でホームパーティが開かれ、そこでお会いしたのです。まだご結婚されていませんでした。お名前は旧姓でした。この時のことを非常によく覚えているのですが、それはなぜか。正直に書きますが、とてもお美しく目だっておられたからです。山邊先生は、そのパーティで、明るくおしゃべりされていましたが、その話し方には、結構ストレートで辛辣な部分がありました。見た目の様子とのギャップ…と言いますか、そのようなこともあって、深く記憶することになったのかと思います。
■私は2004年から龍谷大学に勤務しています。勤務して数年たった頃だったかと思いますが、瀬田駅で山邊先生とご一緒になりました。そして、時間がないのでタクシーに乗って瀬田キャンパスまで行こうということになりました。その時、お互い関西学院大学の出身であることから、いろいろ関学の話しをしました。そして、たまたま先ほど書いた共通の先輩の話しになり、その先輩のホームパーティのあの場に一緒にいたことも分かったのです。お互いに、大変びっくりしました。ご結婚されてお名前も変わっておられましたし、あれから時間もずいぶん経過していたので分からなかったのです。もっとも、そもそも山邊先生のご記憶の中には、私のことなどは残っていなかったと思いますが…。今日の偲ぶ会では、山邊先生が写った写真のスライドショーが上映されました。その中には、山邊先生が龍大に赴任された頃、お若い頃の写真もありました。そのお写真を見ていると、先輩のホームパーティでお会いした時の先生の面影が浮かんできました。
■山邊先生のご冥福を心からお祈りいたします。
入学試験
■龍谷大学の一般入試のスケジュールは、以下の通りです。A日程入試が1/30・1/31・2/1、B日程入試が2/12・2/13、C日程入試が3/7。土曜日は、一般入試の初日でした。私はといえば、特に、入試監督等の業務があったわけではありませんが、この日、研究室で作業をしなければならない仕事があったために瀬田キャンパスにやってきました。深草キャンパスと瀬田キャンバスを行ったり来たりする日々のため、なかなか研究室にいる時間がありません。愚痴をこぼしても仕方がありませんね。作業を終えて移動しようとしたとろこ、バス停は受験生の皆さんがこんな状況で並んでいました。参りました〜。私の不注意でした。入試が終わる時刻を知っていれば、こういったことにはならなかったんですが。
■こうやってたくさんの受験生が受験してくれることは、大学教員として喜ばしいことです。しかし、いわゆる「2018年問題」が確実にやってきます。18歳人口が急激に減少していく問題です。団塊の世代の子ども世代のことを、団塊ジュニアと一般には呼んでいます。団塊ジュニアが高校を卒業したのは1992年頃です。その時は、18歳人口が205万人にもなりました。しかし、その22年後の2014年には、18歳人口は118万人と半分近くまで減少しました。15年後の2031年には18歳人口は100万人を割ると言われています。これまで、18歳人口が減少しても、多くの大学がなんとかやってこられたのは、進学率が上昇したからです。しかし、これからは進学率の上昇も見込めないと言われています。
■写真に戻りましょう。私は、バスを待つ受験生の最後尾に並びました。いつまでこのように風景が見られるでしょうか。「 2018年問題」に本気で対応しない大学は潰れていくと言われています。私が学生の頃、大学が将来潰れるかもしれないなんて想像していた人は皆無でした。今後、本気で改革を進めていない大学(学部も含めて)は、受験生から選ばれる大学にはなれないでしょう。経営的に大変厳しい状況に落ち込んでいきます。同じ大学の中でも学部によって差が生まれてくるでしょう。さらには、学科によっても…。それはそんなに遠い未来のことではありません。すでに少しずつ進行していることですから。
龍谷大平安、センバツは4年連続
■ 第88回選抜高校野球大会に、京都から昨秋の近畿大会4強となった龍谷大学付属平安高校が、4年連続40回目の出場を決めました。おめでとうございます!! 組み合わせ抽選は、3月11日、大会は3月20日からとのことです。
■調べてみました。1927年に硬式野球部が全国中等学校優勝野球大会に、1928年に選抜中等学校野球大会に初出場しています。夏の甲子園では、2016年までに33回出場。優勝3回、準優勝4回。実力と伝統の両方を兼ね備えた京都の強豪です。2014年の春の選抜では優勝しています。今年も是非頑張ってほしいと思います。
「龍谷大平安、センバツは4年連続」(京都新聞)