魔の川/死の谷/ダーウィンの海
■知り合いの建築家、古川泰司さんのfacebookへの投稿を拝見して、いろいろ考えるところがありました。古川さんは建築家ですが、建物を設計するだけでなく、林業-製材-職人をつないだ、地域の木を生かした建物の設計を行っておられます。そこが、古川さんのお仕事のユニークにところなのかなと思います。高島市や東近江市の林業関係者に会うために滋賀県にも来られるようで、その時に、ついでに大津でお会いするこもありました(右はその時の写真です)。
■古川さんとのお付き合いは、東京の建築家の皆さんのブログを通したネットワークに、全然関係のない私が紛れ込んでしまったことから始まります。また、その話は別に投稿できればと思います。今ではfacebookは生活の一部になっているほど、私はヘビーユーザーですが、私にfacebookを強く勧めてくれたのも古川さんでした。
■なかなか本題に入りません。古川さんのfacebookへの投稿でしたね。何を投稿されていたのかといえぱ、「林業と建築の間にも、死の谷が存在している」という投稿でした。「死の谷」ってなんだろう…と思いました。古川さんは、そのような人たちのために用語解説のリンクを貼り付けてくれていました。以下がそうです。技術経営の世界でよくいわれる表現のようです。
魔の川
「魔の川」は研究段階と開発段階を分かつ障壁で、基礎技術の研究成果を元に、新技術が市場のどのようなニーズを満たすことができるのかを探り、具体的な新製品、新サービスの開発プロジェクトとして立ち上げる困難さを表している。死の谷
「死の谷」は開発段階と製品化、事業化段階を分かつ障壁で、製品開発から実際に製品発売やサービス開始に漕ぎ着けるまでの困難さを表している。製品であれば調達や生産、流通の手配を整えなければならず、巨額の資金が必要となる。失敗したときの痛手の大きさを深い谷になぞらえている。ダーウィンの海
「ダーウィンの海」は市場に投入された新製品や新サービスが既存製品や競合他社との競争、消費者や想定顧客の認知や購入の壁、顧客の評価などに晒されながら、市場に定着する困難さを表している。市場で行われる製品や企業間の生存競争や淘汰、環境への適応といった過程をダーウィンの進化論に重ね合わせた表現である。
■これを読んで、古川さんが林業と建築の間には「死の谷」があるということの意味がわかりました。たぶん、地域社会の中で建築資材になる木材の調達や生産、流通の手配を整えなければならず、巨額の資金が必要となる…ということなのでしょう。せっかく地域の建築に適した森林があっても、それらは地域で適切に加工されて建築資材に至らない、山で木を育てるところから住宅の建築までが一体となっていて欲しいけれど、そうはなっていない…ということなのだと思います。この古川さんのfacebookへの投稿を拝見しながら、いろいろ考えるところがありました。それは、理事長をしている特定非営利活動法人「琵琶故知新」についてです。私たちのNPOが運営する「びわぽいんと」を社会実装して運用していくことについて、この「魔の川」、「死の谷」、「ダーウィンの道」が、自分たちの場合ではどういうことになるのだろうと思ったからです。
■私は社会学を仕事にしています。で、思うのですが、多くの社会学者は、自分の仕事の関連で、このような「魔の川」、「死の谷」、「ダーウィンの道」のことを考えることはありません。「死の谷」、あるいは「魔の川」の手前のところで自分の仕事は終わりと思っておられると思います。全ての社会学者にお聞きしたわけではないので、よくわかりませんが、少なくと私の周りの同業者は皆そうです。社会学の業界の世界にとどまっています。建築家の古川さんの場合は、林業と建築との間に橋を架けようとされますが、おそらく多くの社会学者は自ら橋を架けるようなことはしないと思います。社会学は、「こういう橋を架けるべきだ」と、現状に対する批判的な指摘はされるでしょうが…。なぜかといえば、社会学は技術経営の分野の当事者であることはないからです。そのようなことは社会学では評価されないし、社会学という学問自体の目的ではないからです。ですから、通常、「魔の川」も「死の谷」も考える必要はありません。ただし、「魔の川」も「死の谷」に直面する当事者の人たちを調査研究の対象にすることはあるのかもしれません。
■ということで、結果としてですが、多くの社会学者とはずいぶん異なる方向に私は進んで行っていることになります。現在に至っては、確信を持ってその方向に進んでいますけど。おそらく、建築家の場合もそうなのではないかと思います。多くの建築家は、林業のことに多少は関心があっても、通常は設計に専念されているのではないか…と想像するのです。建築の世界をよく知っているわけではありませんので、間違っていたことを言っていたらすみません。
■古川さんは、林業と建築つなぎ、「死の谷」に橋を架けることが大切だと考えておられます。私たち「琵琶故知新」の場合はどうでしょうか。私たちは、ICTの技術と地域社会の課題の現場(特に、環境問題や農業問題)とを架橋していきたいのです。「琵琶故知新」の中には、ICTの技術者の理事の方達がおられます。その方達の技術と、同じく理事で企業の経営者であった方のアイデアが合体し、さらに私のような社会学を研究する者の発想がさらに結合することによって、「びわぽいんと」は生まれました。いろいろ議論をしてきましたが、まずは「魔の川」を超えたか超えつつあるのかなという感じがします。しかし、その次、「死の谷」。ここは難しい。地域社会自体がコロナ禍で動きが取れなくなっていますし、いろんな法律等の制約条件の中で、橋を架けることがうまくできていません。「ダーウィンの海」については、そもそも商品を市場に出すわけではなく、目標が地域社会の課題を解決なので、この点については語る資格はないのかなと思います。もっと技術的にあるいは発想的に優れたものが出てくれば、そちらででも構わないわけですから。でも、「死の谷」については、ここが踏ん張りどころかなと思っています。
【関連記事】■「魔の川/死の谷/ダーウィンの海」で検索してみると、「iPS研究に迫る「死の谷」 山中伸弥氏ら新財団で支援」がヒットしました。
https://www.asahi.com/articles/ASMCC52NRMCCULBJ00S.html
甥の訪問
■土曜日の晩は、甥っ子が我が家を訪問してくれました。ある金融機関に勤務しているのですが、この春からは転勤で勤務先がなんと大津になりました。住んでいるのもなんと長等。ご本人にそんなつもりはないでしょうが、伯父さん(私のことですけど…)の縄張りに入り込んできました。
■甥は、中小企業を支える仕事をしています。甥が勤務している金融機関は、中小企業の金融の円滑化を図るために必要な業務を営むことを目的としています。甥自身も、地域の経営者の話を丁寧に聞いて、一緒に頭を悩ませつつ、いろんな人とのコーディネイトもしながら、そうやって支えながら融資していくのだそうです。立派な社会人になりました。頑張って働いているのですね。私は、大学教員で銀行のように融資などできませんが、地域づくりに強い関心を持ってNPO等の活動にも取り組んでいるので、彼の話を聞いていてとても嬉しかったです。
■甥が勤務している金融機関は、全国に支店があって、どこに転勤になるのかわからないのだそうです。次の支店に転勤する前に、大津駅前のいつもに居酒屋「利やん」に一緒に行かなくちゃね。我が家では息子が酒を飲まなくなったし、娘も元々は飲めたのに出産で弱くなってしまいました。彼は、きちんと呑めるので嬉しいです。そう、飲めるではなくて、呑めるです。呼び出しかけます。
「河南堂珍元斎の鳴く虫講談!!」
■ 島根県の松江市にある小泉八雲記念館で、お友達の河南堂珍元斎さん(川東丈純さん)の講談によるイベントです。松江に行けない方は、オンラインでもお楽しみいただけます。
https://www.hearn-museum-matsue.jp/cgi-bin/rus7/info/view.cgi?d=104
アルファベットに取り囲まれて
■水曜日の午前中は、「地域再生の社会学」の講義でした。昼休みは生協の弁当を食べて、午後は、学科会議、FD報告会、教授会、研究科委員会と続きました。会議は、全てオンラインです。コロナ禍が収束したとして、はたして対面式に戻るのでしょうか。同僚とも顔を合わせることがなくなってきました。これでいいのかな…と思いますが、基本、大学教員は大学という組織に属していても個人商店主のような人が多いような気もしますし。「これでもいいんじゃない」というか、むしろこちらの方が良い人の方が多いかも知れません。
■思えば、コロナ禍が始まる前からペーパーレス化が始まっていました。完全に会議はteamsになりました。会議資料も、teamsのフォルダーに保管されるようになりました。個人的にはですが、いまだに、このteamsには慣れません。一時は、会議に入れなくなることもありました。頑張って、いろいろやってみて、再び入れるようになりましたが…。授業は対面式に戻りましたが、manabaをかなり活用している。オンラインで授業をやっていた頃はzoomが多かっのですが、Google Meetも使いました。レポートもゼミでのレジュメもmanabaで提出してもらっています。授業の資料もmanabaで配布しています。学生との面談、そして学外者との会議はzoomになりました。NPOの理事会の連絡はSlack、資料はEvernoteです。いずれも、ここ3年ほどの間に起こった変化です。コロナ禍が、変化を加速させました。そういえば、LINEだけはコロナ禍の前から使っていたな。facebookは生活の一部だし、孫たちとのことwellnoteで知る。アルファベットに取り囲まれています。
■まだまだ、身の回りの変化が続くのでしょうか。でも、大学の中では、まだまだ紙ベースで動いている部分もあるし。なんだかマダラ模様で中途半端だな〜。
■これ、大学にいるし、NPOやっているから、teams、GoogleMeet、manaba、zoom、Slack、Evernoteを使っているけれど、大学を辞めてNPOも引退すると、世の中のDXの変化についていけなくなるな、きっと。と思っています。いやいや、もうそんな変化についていかなくても良いだろう…とも思います。どうだろう。
■ゼミの学生が、数年前まで、好きなアーティストのCDから好きな曲をWALKMANに取り込んで聞いていたけれど、今はサブスクで向こうからどんどん新しい曲を送ってくるのを聞いている。音楽との関係が変わってしまったと言っていた。便利にはなっているけれど、つまらなくなっているのかな。まあ、そんなことをつらつら思いながら、帰宅。大学のバス停で蝉が鳴いているのに気がついた。夏休みまでもう一踏ん張り。写真は、先日の瀬田キャンパスです。ちょうど昼休みかな。暑いを通り越して、熱いです。
龍谷大学吹奏楽部 サマーコンサート2022
1年次キャリアセミナー
■火曜日の2限は、「社会学入門演習」です。1回生対象の入門演習です。今日は、キャリアセンターから依頼のあった「1年次キャリアセミナー」の動画を観て、そのあと、manabaという教育支援システムを使ったワークに取り組みました。
■私が学部を卒業した頃は、日本の社会は安定成長期で、就職課があるだけでした。私が学んだ関西学院大学では、たしか置塩さんという方が有名職員さんとして勤務されていました。中央講堂で就職活動の心構えのような話をされていました。懐かしいです。で、龍谷大学、現在です。就職課はありません。キャリアセンターです。学生の人生設計を支援することに目的があります。大学での学びも、そのような自分自身の人生設計と関連づけていく必要があるということになるのですが…そのようなメッセージは、学生の皆さんにとってはどう感じられたでしょうね。
■私自身も、学生の皆さんに、時々、このような話をします。
単位を楽に取って楽に卒業する…そんなことばかり考えていると、カリキュラムという制度のなかで消費されてしまいますよ。講義とアルバイトと自宅の三角形、時々、「盛場で遊ぶ」も入れて四角形をぐるぐる回って4年間なんとなく過ごすことは勿体ないですよ。授業だけでなく、ボランティアや課外活動に取り組む中で、自分自身の学びをどう作り上げていくのかが大切ですよ。予測通りには行かないけれど、いろんな経験をすることが大切ですよ…
■まあ、こんな感じで話をしているのですが、全員に私の思いが伝わったかという、あまりそのような実感はありません。一つ前の投稿で引用した記事の中にある「コスパ」と「タイパ」、「保証」や「安心」が大切だと思うようなら、なおさらです。でも今日のキャリアセンターの動画は、「社会学入門演習」の中で言ってきたこととかなり重なるので、履修している学生の皆さんは、いろいろ考えてくれたんじゃないのかなと、勝手に思っていますが、どうでしょうね。
■この前は、この授業の現地実習を行いました。高島市マキノ町でエコツーリズムに取り組んでおられる谷口良一さんから学生の皆さんと一緒にお話を伺いました。そのお話の中で、若い頃からどのようにキャリアを築いてこられたのかということも伺うことができました。今日の動画、もし学外の方にも観ていただけるのならば、谷口さんにもご覧いただきたかったです。どう反応されたでしょうね。谷口さんからお聞きした話では、人事交流で国の役所に勤務されていたときに、地方自治体職員のキャリア形成の研修等も担当されたとお聞きしていますので、何かご意見をいただけたかもしれません。
■知り合いの大人の皆さんの職場では、やはりキャリア形成支援の研修等があるのでしょうか。もし、あれば社会人の場合はどうなのか知りたいものです。まあ、そんなわけでして、学生の皆さんには、今日、授業で観たキャリアセンターの動画、谷口さんのお話を関連づけながら理解を深めてほしいと思っています。
■続きです。こんな話も出てきました。今の学生の世代はZ世代(1996年〜2012年生まれ)、その上がY世代=ミレニアム世代(1980年〜1995年生まれ)、保護者の世代はX世代(1965年〜1979年生まれ)、それぞれの世代で社会状況は違いますという話です。「皆さんの両親が若者の時代に経験したことは、今では通用しないんですよ」というメタメッセージも感じました。実際、個人的にはそう思っています。自分の人生は、自分自身の責任で切り開いていかないと。また、「おっ!」とも思いました。もう1958年生まれ(私のことですが)は登場させてもらえないんだな〜。私たちは、団塊の世代とX世代の間で目立たない存在です。まあ、それでよかったんですけど。このまま消えていきます。
■この話には、さらに続きがあります。2030年、仕事を激変させる「7つのキーワード」です。パンデミック、DX、AI・ロボット、脱炭素、ジョブ型雇用、ギクワーク、遊び。このようなキーワードで社会が激変していくという説明の後に(このあたりはビジネスマン向けのネット記事にも登場しますが)、Before CoronaからWith Coronaへと社会がシフトしていくというのです。「産業の効率化や高付加価値化を目指す社会」から、「人の生命保護を前提にサイバー空間とリアル空間が完全に同期する社会へと向かう不可逆的な進化が新しい価値を創出する」ような社会へと。こうなると、おそらく1回生の多くの学生さんたちにはピンとこない話になりますが、「めっちゃ大変な時代を生きていかなあんねんな〜」ということは理解されているかもしれません。
■そして、その上で出てくるが、VUCA 時代という言葉です。Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字を取った言葉です。成功したビジネスモデルが確立されたとしても、状況が変動するサイクルがとても早く、すぐに昔のものになってしまう。変化のある時代、正解が一瞬にして正解でなくなる。不安定になる。そういう時代ですよ…。そう言われると学生さんたちは、たぶん不安になります。大変です。気分的にしんどいです。
■まだ続きます。その次は、そのようなニューノーマルな社会で求められるのは、変化への対応、課題設定・解決、そして創造という力であると。この後は、全員が受講するテスト(GPSアカデミックテスト)の結果をもとに、社会学部生の強みと弱みについての説明、社会学部のカリキュラムの特徴と続きます。当然ですが、自分達がやっている授業のカリキュラムをもとにして説明されているのですが、社会学部は京都の深草キャンパスに移転することもあり、もっと変えていかないと…とカリキュラムの再検討が進んでいるので、ちょっと違和感があったりもしました。本当に、現在のカリキュラムは、変化への対応、課題設定・解決、そして創造といった力をつけることを支援するものになっているのかなと思いました。こんなことを書くと、キャリアセンターの方に叱られますけど。すみません。先に謝っておきます。個人的には、個人がどう生き残るのかという力に加えて、異なる立場や価値観の人と粘り強く協働することで集団、地域として生き残るための力についても強調していただければよかったかなと思います。そういう経験をすることも大切なんですよ。自分のことは横に置いておいて言っているという自覚はありますけどね。許してください。
■ぼろが出てきたので、もう、このへんで終わりにしておきます。動画を観て、上手に作ってあるなあと思うと同時に、聞く側はプレッシャーだな〜、大変だな〜という気持ちにもなりました。社会学者だと、その辺りを批判的に指摘する人もたくさんいると思います。無責任な言い方に聞こえるかもしれませんが、若い大学教員の皆さんには、これから「変化しなければ」と「煽る時代」で教育をしなければならないので、大変だなあと思います。逆に、そういう「煽り」を「鎮める」教育も必要かもしれません。この「煽り」と「鎮め」、亡くなった社会学者の大村英昭先生が言っておられたことです。
■ということで、朝から「煽りの社会」の別件に対応してバタバタしていた時に、このキャリアセンターの動画を拝見しました。ちょっと疲れたかな。X世代の前の名前さえない世代で良かったのかもしれません。コロナ前に退職された先生方は、もっとそのことを実感されているでしょうね。でも、社会学部の職員の方には「この動画良かったですよ、よくできていますよ」と勧めておきましたからね。基本は、よくできているな〜と思っているのです。準備、とても大変だったと思います。各学部の各学科の学生さんたちに理解してもらうためには、学科ごとに内容を替える必要があるからです。キャリアセンターの皆さんに、感謝いたします。
毎日新聞記事「動画も倍速視聴 若い世代の「コスパ」「タイパ」志向、なぜ?」
■この記事の初めに「若い世代が今、重視するのが『コストパフォーマンス』(費用対効果)や『タイムパフォーマンス』(時間効率)」とあります。「タイムパフォーマンス」という言い方があるのですね。そうか、だから「映画やドラマの倍速視聴」が若い世代から流行っているのかと、やっと気がつきました。私は、今のところ、この流行に巻き込まれてはいないませんが。
■で、ちょっと気になったのは、以下の部分です。「コミュニティー平和維持の生存戦略」。「この辺りはどうなん?」と思う部分もありますが、もし、そうならばこれはけっこうなストレスだと思います。
作品を楽しむために映画を見るだけでなく、鑑賞後に仲間と語り合うために映画を見る若者も多い。若い人たちは学校や地元、バイト仲間などとSNS上で24時間つながっている。争うのは嫌なので、意見が分かれるような社会的な問題は話題にしづらい。
コミュニティー平和維持の生存戦略として映画やアニメなどのコンテンツは話題にしやすく、結果的に見なくてはいけない作品が増えていっている。
■もうひとつ、これも生存戦略の一部ということなるのかもしれません。
自分の時間を無駄にしたくないが、映画の予告編では情報が足りず、判断ができない。だから原作を読めば結末がわかるものや、多数が口コミで褒めているものを好む。そういう何かしらの「保証」があれば安心して見られるからだ。
■「保証」があれば安心で見られる…それは、「つまらない」というのとかなり近いような気もしますが、これは若い人たちと接していて、なんとなく理解できることでもあります。たとえば、卒論のテーマとか、調査をどうするというときに、「ああ、回り道したくないのね」、「ああ、安心したいのね」、そういう考えが背景にあるなとはずっと思っていました。ある時、「こうやれば、絶対に卒論がうまくいくというやり方を教えてくれたら、『やる気』スイッチが入るのに」とある学生が笑顔で私に言ってくれたのですが、彼は、冗談ではなくて本気でそう思っていたのです。
■この記事では、「なぜ若者はコスパを重視するのか。大人があおりすぎてきたからだと思う。『効率』や『無駄なことをするな』と言い過ぎなのだ」と指摘しています。大人は、本当に煽っているかな〜。そうかもしれないけれど、ここでいう大人って具体的にはどういう人たちのことでしょう。例えば、保護者の皆さんはそういう考えでお子さんと接しておられるのでしょうか。そのあたり、よくわかりません。ただし、高度経済成長期の時代のような、いい学校に入り、いい会社入って、安定したいい暮らしをする…という「人生の王道」は無くなったという点については、確かにそうだよねと思います。若者たちは、情報化社会の中でSNS等を通して様々な人の生き方に関する大量の情報が入ってきます。押し寄せてくるたくさん情報の中で、どうして生きたら良いのかわからないのです。
学生からは「好きなもの、趣味がない。どうすれば見つけられるか」という質問を受ける。
「たくさん経験した中で決まる。無駄な経験もたくさん必要だ」と回答するが、若い人たちは「無駄」を嫌がる。自分に合う職業、人生に一発で出会いたいという欲求が強い。
■「保証」や「安心」が欲しいのは、社会に情報が溢れていて、何を信じて良いのかわからないからでしょう。しかも、社会そのものが流動的で安定した基盤を持ち得なくなっています(液状化)。そうであれば、「他者」を志向しているようで、それは自己の足元から不安定さを取り除くための仕方なしの生き方なのです。「自分に合う職業、人生に一発で出会いたい」という気持ちもわからなくはありせん。でも、ジョブ型雇用、ギクワークにこれから転換していくと言われており、そのような人生が液状化する中で、シンデレラのガラスの靴のような職業が、どこかにあると考えるのも不思議な気がします。仕事をしているうちに、自分もどんどん変化していきますし。仕事をしながら、以前は気がつかなかった仕事の面白さをみつけていけることの方が大切なように思います。
■昔、昔、その昔。20世紀の半ば頃、アメリカのリースマンという社会学者が注目されていました。彼は、社会的性格として伝統志向型、内部志向型、他人志向型の3つの類型を提示して、最後の他人志向型=「周囲の他人やマス・メディアに登場する同時代人を行動の基準または指針とする」が登場していることに注目しました。井上俊という社会学者は、他人志向型のタイプは、「資本主義の高度化によって生産や仕事そのものよりもむしろ消費や人間関係に重点が移ってくるような社会において支配的となる」と説明しています。現代の日本の若者の傾向を考える上で、そのままでは役に立たないと思うけれど、リースマンがもしまだ生きていてたとしたら、どう語っただろうなと妄想してしまいました。
お寺の掲示板
■先週の土曜日、地域連携型教育プログラム「社会共生実習」の「地域エンパワねっと・大津中央」の学生2人と、午後から大津の中心市街地をまち歩きしました。まち歩きのことについては、ひとつ前の「『地域エンパワねっと・大津中央』でまち歩き」に投稿しましたが、そのまち歩きの途中で見かけたこのお寺の掲示板のことについて、投稿させてください。
■掲示板には、「『努力の賜』か『努力は賜』か」という、この掲示板のお寺、永順寺のご住職が書かれた言葉が掲示してありました。これは、奥が深いと思いました。一見、似ているのですが、前者と後者では、真逆ですね。前者「努力の賜」は、「この成果は、自分が努力したからだ」という意味になります。ここで、メリトクラシーという概念が頭に浮かんできます。前近代の社会では、どういう家に生まれたのかとか、どういう社会的出身なのかということによって、その人の地位は自動的に決定されていました。ところが、近代社会になると個人の努力によって獲得された業績(メリット)により自分自身の地位が決まってくるようになります。また、そのようなことが近代社会を形作る上での原理として機能するようになります。社会の多くの人びとが、そのような業績に基づいて地位が決まっていくことを正しいこととして受け入れるようになります。
■でも、そのようなメリトクラシーに多くの人びとが疑問を感じるような状況が生まれてきます。特に大人にまるまでの学校の中で、どのよな家の生まれだとか、どういう社会的出身だとか、そういうことに関係なく努力で地位を獲得できるのではなく、そのような意味で社会がより平等になっていくことではなく、逆に、社会的不平等や格差の世代が超えて生み出されていくという再生産理論が登場することになりました。
■このお寺の掲示板の後者、「努力は賜」は、「自分が努力して、そのことにより業績をあげられと思っているかもしれないけれど、それはあなたが周りの皆さん、そしてすでに亡くなった人たちにに支えられてきたからだ」という意味で書いておられるのかなと思います。でも、そういった「感謝」の気持ちとして理解するだけでなく、「努力できるって、結局、親から子どもへの教育投資、金があるかどうかできまってくる」ということになると、それは教育格差の問題になります。再生産理論が社会を批判的に捉えるのと同じような意味で、この「努力は賜」を解釈することが可能になるのかもしれません。「『努力は賜』であって、あなたがもし努力できたとしても(=努力の賜)、それはあなた自身の能力というよりも、経済的・文化資本的を背景に、上の世代から努力できる環境や条件をたまたま与えられたからなのですよ」ということになります。そう気がついた時に、その人は、次にどのように振る舞うべきなのか。掲示板にはそのように書いてありませんが、暗に、人びとに問うているような気がするのです。
「地域エンパワねっと・大津中央」でまち歩き
■ 先日の土曜日、休日でしたが、地域連携型教育プログラム「社会共生実習」の「地域エンパワねっと・大津中央」の学生2人と、午後から大津の中心市街地をまち歩きしました。「ここがね、私が通っている居酒屋なんだよ」とまち歩きの冒頭に「利やん」を紹介。もちろん、紹介だけですよ。
■その後は、コッテリ解説をしながら、地図の赤い線を歩きながらガイドしました。通常であれば、ゆっくり歩いて1時間半程度の距離のようですが、何度も立ち止まり解説をしますから3時間ほど歩きました。思い返せば、2004年に龍谷大学に赴任した頃は、中央学区、長等学区、逢坂学区、平野学区、最近では「old大津」と呼ばれるこの界隈を非常によく歩きました。カメラを持って歩いていました。懐かしいです。最近は油断をしているわけではありませんが、歩くことも少なくなってしまいました。町家が解体されてなくなっていることは、この界隈によくあることではありますが、町家を利用した店舗がちょっと増えているような印象を持ちました。やはり、もう少しきちんと歩かないといけませんね。
■結局、昨日は、4.5kmほど歩きました。大した距離ではありませんね。
【追記】■この日のまち歩きの目的ですが、「地域エンパワねっと・大津中央」で活動する中央学区を中心としたエリアを歩いて、多少なりとも「土地勘」を養うということにありました。地図があっても、地図を理解しにくい人たちがいます。これは、もう仕方のないことなのですが、そういう方達でも、活動していくのに不自由がないようにとの配慮からです。もうひとつは、これまで大学の教室で勉強してきた知識を街の景観の中に重ね合わせながら、表面的には見えてこない深いところにあるこの地域の課題や魅力を実感することにありました。
■これまで、コロナ禍以前は、5月の連休後に学生たちは街に出て、地域の方達にお話を伺いにいくことをやっていました。「学生たちの地域デビュー」です。ところが、コロナ禍でそのようなことができなくなりました。そこで、まずは大学でしっかり事前学習を積み重ねることにしました。この事前学習の中身ですが、大きくは3つに別れます。1つめですが、「大津」について学習することです。ここでいう大津とは、近年はold大津と呼ばれる江戸時代の宿場町のエリアを指します。この地域の大きな歴史の流れ(中世から現代まで)を学習をしました。2つめは、自治連合会や自治会等、地域住民組織の歴史や仕組みを学ぶことです。また、現在、これらの地域住民組織がどのような課題や問題を抱えているのか、地域住民組織はどのように変化していこうとしているのか、その辺りのことについて学習しました。これは、地域社会学的な学びということになます。そして3つめは、「エンパワねっと」固有の課題、地域住民の皆さんとの協働による「課題発見×課題解決」に取り組む中で必要とされる、協働や利他的行動のあり方について学びました。ちなみに、龍谷大学生の行動原理は「自省利他」ですから、そのこととも関係していますね。加えて、先輩たちが過去10数年の中で取り組んできた活動の中身についても学んできました。
■今年度は、しっかり準備をしてからのまち歩きです。今年度は9名の学生が履修していますが、金曜日の2限に開講されている「社会共生実習」(その中の私の担当が「地域エンパワねっと・大津中央」)の前後の1限と3限に別の授業を履修している学生が多く、学生を引率して学外に出かけたくてもできないような状況になっています。履修や時間割を組むのは学生の権利ですから、教員がそのことについて何か言うことはできません。とはいえ、自分自身の時間割全体を考えて、もし1限と3限を空けることができるのであれば、もう少し活動の内容も違ってくるかもしれません。この辺り、まあ、仕方のないことですね。このような事情もあって、活動に取り組むのが遅くなっているのです。でも、これから取り返してくれると思います。また、自分自身の成長をしっかり実感できる取り組みになってくれると信じています。