毎日新聞記事「動画も倍速視聴 若い世代の「コスパ」「タイパ」志向、なぜ?」
■この記事の初めに「若い世代が今、重視するのが『コストパフォーマンス』(費用対効果)や『タイムパフォーマンス』(時間効率)」とあります。「タイムパフォーマンス」という言い方があるのですね。そうか、だから「映画やドラマの倍速視聴」が若い世代から流行っているのかと、やっと気がつきました。私は、今のところ、この流行に巻き込まれてはいないませんが。
■で、ちょっと気になったのは、以下の部分です。「コミュニティー平和維持の生存戦略」。「この辺りはどうなん?」と思う部分もありますが、もし、そうならばこれはけっこうなストレスだと思います。
作品を楽しむために映画を見るだけでなく、鑑賞後に仲間と語り合うために映画を見る若者も多い。若い人たちは学校や地元、バイト仲間などとSNS上で24時間つながっている。争うのは嫌なので、意見が分かれるような社会的な問題は話題にしづらい。
コミュニティー平和維持の生存戦略として映画やアニメなどのコンテンツは話題にしやすく、結果的に見なくてはいけない作品が増えていっている。
■もうひとつ、これも生存戦略の一部ということなるのかもしれません。
自分の時間を無駄にしたくないが、映画の予告編では情報が足りず、判断ができない。だから原作を読めば結末がわかるものや、多数が口コミで褒めているものを好む。そういう何かしらの「保証」があれば安心して見られるからだ。
■「保証」があれば安心で見られる…それは、「つまらない」というのとかなり近いような気もしますが、これは若い人たちと接していて、なんとなく理解できることでもあります。たとえば、卒論のテーマとか、調査をどうするというときに、「ああ、回り道したくないのね」、「ああ、安心したいのね」、そういう考えが背景にあるなとはずっと思っていました。ある時、「こうやれば、絶対に卒論がうまくいくというやり方を教えてくれたら、『やる気』スイッチが入るのに」とある学生が笑顔で私に言ってくれたのですが、彼は、冗談ではなくて本気でそう思っていたのです。
■この記事では、「なぜ若者はコスパを重視するのか。大人があおりすぎてきたからだと思う。『効率』や『無駄なことをするな』と言い過ぎなのだ」と指摘しています。大人は、本当に煽っているかな〜。そうかもしれないけれど、ここでいう大人って具体的にはどういう人たちのことでしょう。例えば、保護者の皆さんはそういう考えでお子さんと接しておられるのでしょうか。そのあたり、よくわかりません。ただし、高度経済成長期の時代のような、いい学校に入り、いい会社入って、安定したいい暮らしをする…という「人生の王道」は無くなったという点については、確かにそうだよねと思います。若者たちは、情報化社会の中でSNS等を通して様々な人の生き方に関する大量の情報が入ってきます。押し寄せてくるたくさん情報の中で、どうして生きたら良いのかわからないのです。
学生からは「好きなもの、趣味がない。どうすれば見つけられるか」という質問を受ける。
「たくさん経験した中で決まる。無駄な経験もたくさん必要だ」と回答するが、若い人たちは「無駄」を嫌がる。自分に合う職業、人生に一発で出会いたいという欲求が強い。
■「保証」や「安心」が欲しいのは、社会に情報が溢れていて、何を信じて良いのかわからないからでしょう。しかも、社会そのものが流動的で安定した基盤を持ち得なくなっています(液状化)。そうであれば、「他者」を志向しているようで、それは自己の足元から不安定さを取り除くための仕方なしの生き方なのです。「自分に合う職業、人生に一発で出会いたい」という気持ちもわからなくはありせん。でも、ジョブ型雇用、ギクワークにこれから転換していくと言われており、そのような人生が液状化する中で、シンデレラのガラスの靴のような職業が、どこかにあると考えるのも不思議な気がします。仕事をしているうちに、自分もどんどん変化していきますし。仕事をしながら、以前は気がつかなかった仕事の面白さをみつけていけることの方が大切なように思います。
■昔、昔、その昔。20世紀の半ば頃、アメリカのリースマンという社会学者が注目されていました。彼は、社会的性格として伝統志向型、内部志向型、他人志向型の3つの類型を提示して、最後の他人志向型=「周囲の他人やマス・メディアに登場する同時代人を行動の基準または指針とする」が登場していることに注目しました。井上俊という社会学者は、他人志向型のタイプは、「資本主義の高度化によって生産や仕事そのものよりもむしろ消費や人間関係に重点が移ってくるような社会において支配的となる」と説明しています。現代の日本の若者の傾向を考える上で、そのままでは役に立たないと思うけれど、リースマンがもしまだ生きていてたとしたら、どう語っただろうなと妄想してしまいました。