さらばプラシノキ
■昨日、私は草津で平和堂財団「夏原グラント」の仕事がありましたが、我が家では、いつもお世話になっている庭師さんに来ていただきました。庭の法面に芝桜を植え直していただくのですが、それと同時に、芝桜と相性の良くないブラシノキを抜いていただくことにしました。きちんと根回しをして、クレーンで吊り上げて、庭師さんに預かっていただくことになりました。このブラシノキ、ずいぶん大きくなりました。以前は、150cm程度だったのですが…。この5年ほどで、大きくなりすぎたかもしれません。
■ブラシノキの後には、白い小さな花を咲かせて、やはり小さな赤い実の成るツリバナを植えていただくことになりました。調べみると、「山地や丘陵の林内及び林縁で普通に見られるが、花や果実を観賞するため庭木として茶庭などに使われる」とのことです。ブラシノキは、オセアニア生まれの真っ赤な、そして少し不思議な形の花を咲かせましたが、今度は、ちょっと地味です。和風ですね。芝桜とツリバナの植栽は、今月中に行っていただく予定です。
「夏原グラント」と「モバイル本棚」
■本日は、平和堂財団夏原グラント・一般助成2年目の団体の皆さんによるプレゼンテーションの日でした。地域で取り組まれている活動のお話を伺っています。いつものことながら、勉強になります。場所は、草津市立総合交流センターです。立派な施設ですね。草津市が羨ましい。大津市は…。それはともかく、掲示板に面白いグループのポスターを見つけました。
■おそらく、この団体の皆さんかと思います。「学び床」という団体です。そのようなことをfacebookに投稿すると、すぐに代表の池田次のようなコメントが入りました。「モバイル本棚、少しずつ活動を広げています!! またお話しましょう」。これは、また会いに行かないといけませんね。
学び床って?
「社会人がまちに出る」をモットーに、学びや本をベースにした様々なコンテンツを通じて交流し、まちとつながる実践型コミュニティです。モバイル本棚って?
その名の通り、手作りの移動式本棚。
大きさ:車に詰めるくらい
収納冊数:できるだけ
走行可能距離:未知数活動の背景?
こんにちは、代表の池田です。
私は、まちづくりや生活の基盤に関わりたいとの思いから、鉄道会社に入社しました。
とはいえ、既存の組織や肩書きではアプローチできないことがたくさんあります。
私は同じような会社員や、またはそうでない人も、既存の枠組みから「越境」し、地域や暮らしを考えたり、人との出会いを通じそこから新たな挑戦が生まれてくる。そんな「まちの入り口」になっていけばなぁと思っています。活動内容は?
月に2回程度、de愛ひろばなどに本棚を置き、集まった人が自由に本を読んだり、本を通じて対話したりしています。神社や畑など様々な場所でも場づくりを計画中。ゆくゆくは、地域の人と好きな本などを持ち寄り、シェア型図書館を展開したい。絶賛仲間募集中です。
その他、有志で古本市を開いたり、公共公益機関などと連携し市民参加型アクションを行っています。
■素敵じゃないですか。
世界農業遺産認定のお祝い、これはゴールではなくスタート。
■昨年7月に、滋賀の農林水産業「森・里・湖に育まれる漁業と農業が織りなす 琵琶湖システム」が世界農業遺産に認定されました。昨晩は、その申請作業に取り組んだ滋賀県庁職員の皆さんと一緒に、時期は遅れましたがお祝いの会を持ちました。昨年の10月のことになりますが、世界農業遺産に取り組まれた4代にわたる歴代農政水産部長(滋賀県庁)の皆さんとは、この「利やん」ですでにお祝いをしたのですが、実際に申請書の作成にあった職員の皆さんとはなかなかチャンスがなかったのです。もちろん、お祝いの場所は、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」の別館(宴会場)です。facebookやこのブログに何度も投稿してきましたが、世界農業遺産に認定された「琵琶湖システム」に関する様々な出来事が、いつもこの「利やん」と深く関係しているのです。「利やん」は、「琵琶湖システム」の聖地なんです(知らんけど…ですけど)。
■それはともかく、昨日参加された皆さんとは、次のことを確認しました。「世界農業遺産の認定は、ゴールではなくてスタートだ」。ちょっと下品な表現ですが、「世界農業遺産の認定の価値を、骨の髄までしゃぶりつくさんとあかん」と思っています。国連のFAOに世界農業遺産として認定されたことを、社会的に活かしていかねば意味がないのです。そのような取り組みを、もっと民間の力で進めていきたいと考えています。写真ですが、「『世界農業遺産』認定をめざそう」になっていますが、これは認定される以前のものです。今だと、「『世界農業遺産』認定の価値をしゃぶりつくそう!!」かな。民間の関係者が、本気にならなければなりません。
■昨日は自宅で仕事をして、夕方から「利やん」のある大津の街へ出かけました。ついでに健康維持・回復のためウォーキングをやろうと、JR唐崎駅で降りて大津駅前にある「利やん」まで歩きました。疲れました。100kmウォーキングをしていたあの体力はどこにいったんだろう。コロナで引きこもっていることが多く、知らない間に体力がなくなっているのです。スマホのアプリ「キョリ測」で歩いた距離を測ると約6km。一般的なスピードだと1時間50分なんだそうですが(18.3分/km→かなりゆっくり)、私は1時間15分ほどで歩きました(12.5分/km→これも大して早くありませんね)。
■認定のお祝いの会は、18時半から始まる予定でしたが、ウォーキングを頑張ったせいか少し早めに「利やん」到着しました。ふと壁に目をやると、闘病の末2018年の10月16日に亡くなった「利やん」のマスター光山幸広くんの写真が飾ってありました。光山くんの向かって左側は、TBSの「酒場放浪記」の吉田類さんです。番組の取材があった時に写したものです。取材があったのは、2017年の11月13日です。光山くんが持っている色紙は、現在、「利やん」の本店の方に飾ってあります。
■この写真を見ながら、思い出したことがあります。世界農業遺産認定に向けて頑張っていることをアピールするために、トップの写真に写っている皆さんと一緒に「第3回びわ湖チャリティー100km歩行大会」=「びわ100」に参加した時のことです。「びわ100」は、長浜からスタートして、南郷の洗堰をまわって雄琴温泉に至るまでの100kmを徹夜で歩くチャリティーイベントです。びわ湖ホールのところに90kmの第6チェックポイントがありました。その少し前のあたりで、光山くんが私を迎えてくれたのです。その時の投稿には、次のように書いてあります。
足裏は豆で痛かったのですが、比較的スムースに第6チェックポイントに移動することができました。その移動の途中、大津プリンスホテルを過ぎたあたりで、1人の男性に呼び止められました。「チーム利やん」のオーナーで、大津駅前の居酒屋「利やん」のマスターである光山幸宏さんでした。これまた、びっくりです。一緒に歩いていた亀甲さんも、「チーム利やん」の団結力に驚かれていました。光山さんは、わざわざ用意した椅子に私を座らせて、カチコチになった肩と背中を揉んでほぐしてくださいました。また、暖かい飲み物も差し入れてくださいました。ありがたかったです。本当に。光山さんからも元気をいただき、第6チェックポイントに到着しました。5時45分頃です。
■昨日のお祝いの会には、私も含めて10名ほどの方たちが参加されましたが、本当は、もっとたくさんの方達が世界農業遺産をアピールするために「びわ100」に参加されていました。今年の秋は、「びわ100」にエントリーするかどうかは別にして、またみんなで琵琶湖の南湖を1周50kmを歩く「合同練習会」をやりたいねという話になりました。滋賀県庁を出発して、時計回りで、湖西を北上し、堅田で琵琶湖大橋を渡リ、そこから南郷の洗堰を目指して南下し、洗堰を渡って再び県庁にまで戻るというコースです。もちろん、練習会のあとは、「利やん」で打ち上げをするはずです。下の写真は、初めて「びわ100」に参加した時の集合写真です。とても懐かしいです。
芝桜の植え替え
■ いつもお世話になっいる庭師さんから連絡がありました。大きくなりすぎたブラシノキを抜いていただくことになりました。どうも、法面に植えてある芝桜との相性が良くないのです。ブラシノキが大きく元気になると、芝桜の元気がなくなります。ということで、抜いていただくのです。おそらく、根回しをして、別のお宅に植えられるのではないかと思います。
■ブラシノキを抜いたあとは、芝桜を植えていただきます。抜いたあとだけでなく、庭師さんには、もう一度、芝桜を植え替えていただくようにお願いをしました。写真は、6年前に庭の大改修をしていただいた頃の様子です。自分で言うのもなんですが、本当に綺麗に咲いていました。また、こんな庭になったらと思っています。ただし、花が咲き終わったら、きちんと一株ごと剪定をしなくてはいけません。以前は、それがきちんとできていませんでした。今度は、頑張ります。
日本の大学の未来
■ネットで「日経ビジネス」の「私立大学の志願者数は4年連続減少へ 増えている大学は?」という記事を読みました。「私大全体の志願者数は4年連続減少」ということは、私立大学に勤務する者としては気になります。記事の中で専門家は「少子化の影響に加えて、年内入試が増えている」ためと分析しています。年内入試とは、総合型選抜と学校推薦型選抜など、一般選抜以外の選抜方法のことです。あと、「大学入学共通テスト利用入試の志願者数は増加」ということも書かれていました。記事の最後では、「国立・私立ともに、総合型選抜などの年内入試を選ぶ受験生は増加傾向にある。難関大学志向は根強くあるものの、志願者数は緩やかに減少傾向を見せている。安全志向の高まりが、2023年入試の傾向と言えるかもしれない」とまとめられていました。
■この記事の中身についてコメントできるような知識も能力は私にはありません。それでも、短期的な視点で受験者が増えた減ったという話よりも、少子化の影響がこれからも続いていくことが確実な中で、日本の大学の未来はどうなっていくのかという点が気になるのです。定年退職まで残り4年なのですが、少なくとも10年程度の時間の幅で、受験生から選ばれる大学であるために何をすべきなのかが気になるのです。将来に向かって大学としての計画を策定することは当然で、どの大学もやっていることではありますが、その計画のもとで、それぞれの部署で具体的にどのような改革や実践を進めていくのか、素朴な表現になりますが、実際に知恵を絞り汗をかくことが大切になってくるのだと思います。口先だけの改革では、対応できません。
■「日経ビジネス」の記事以外に、気になる記事を拝見しました。教育社会学者の舞田俊彦さんが書かれた「受験地獄はもう遠い過去……時代は『大学全入』から『大学淘汰』へ」記事です。この記事を読むと、少子化の大きな流れの中では、少々の小手先の改革では間に合わないような気持ちになります。舞田さんが注目するのは、「不合格率」です。「不合格率」が受験競争の激しさの指標になるからなのですが、この「不合格率」が1990年ビークに「滑り台よりも急な角度で下がり、2000年には20%、2008年には10%を割り、直近の2022年春ではわずか1.7%」になってます。記事に掲載されたグラフの中では、大学不合格者はほとんどいなくなった「大学全入時代」が視覚化されています。もちろん、このようなことは大学の業界に関わる人にとっては常識の範囲の話になります。舞田さんの興味深い指摘は、記事の後半部分になります。
■昨年の出生数77万人でした。想定より10年早く、初の80万人割れとなりました。昨年生まれた子どもたちが18歳になるのが2040年です。私自身は生きていられるかどうかわからない年齢ですが、若い同僚の教員の皆さんは定年が視野に入ってくる頃かと思います(定年が現在と同じであればですが…)。舞田さんは、2040年の大学の進学率を60%と仮定しています。進学率については、もっと高くなるという意見もあろうかと思いますが、舞田さんはあり得ないことだと否定されます。少子化が続く中で、日本の経済的な豊かさはどのようになっていくのか。学費の高い日本の大学で、果たして進学率は伸びていくのか。かなり不透明です。ここでは舞田さんが仮定される大学進学率60%だと、2040年の大学進学者は46万人になります。現在の63万5000人よりも3割近く少なくなります。舞田さんの記事にはもうひとつの仮定があります。「国公立大学と有力私大の入学者数が今と変わらない」という前提です。このような二つの前提のなかで計算してみると、「5人に2人が国公立大ないしは『MARCH』以上の私大に入れる」ということになるようです。MARCHとは、明治大学、青山学院大学、立教大学、中央大学、法政大学のことです。「MARCH」以上ですから、入試の難易度からすると、早稲田大学、慶應大学、上智大学といった私立大学も含まれます。国公立大学とこれらの私立大学で大学進学者の40%になると舞田さんは計算されています。
■舞田さんは、「今後の人口ピラミッドの変化を見越して、社会人のリカレント教育(学び直し)に重点を移すことも必要になる。やせ細る18歳人口を奪い合うことだけに躍起になっている大学は、淘汰されるほかない」と指摘をされています。このリカレント教育に重点を移すということについては、賛否両論あるでしょう。しかし、大学淘汰の時代は目の前にもう来ていることは間違いありません。「5人に2人が国公立大ないしは『MARCH』以上の私大に入れる」時代がやってくると、これらの大学以外はどうなっていくのか。生き残ったとして、どのような教育が必要になってくるのか。入学してくるボリュームゾーンの学生の皆さんの基礎学力はどうなっているのか、どのようなことを大学に求めるようになるのか。いろんなことが気になります。
JR瀬田駅で箱田くんに遭遇
■昨日の夕方、帰宅途中、JR瀬田駅の階段を1段ぬかしで登っていると、上の方から「わきたせんせー」と声をかける人が…。驚いて見上げると、脇田ゼミ2期生の箱田正幸くんでした。2007年春の卒業です。この学年の皆さん、もう40歳前なんですね。箱田くんは、大手家電メーカーの関連会社に勤務されています。みんな立派になっていますね〜。教師としては嬉しいです。箱田くんとは、以前もJR瀬田駅であったし、確か大阪の御堂筋線の中でもあいました。
■箱田くんと同級生の皆さん。また、同窓会をいたしましょう。キリの良い40歳を迎える年、2024年のあたりでどうでしょうか。facebookで通じているのは岡山 由美子さん、清谷 宗真くん、倉田 康寿くん、櫻井 三佐紀くん、壷井佑三子さん、北條 圭さん、松葉 圭亮くんかな。都合がつかない人たちは、なんとか連絡をとって同窓会をいたしましょう。出席できない方たちは、zoomでも顔だけでも見せてください。
■写真、箱田くんに無理を言って撮らせてもらいました。ありがとう。最近、こうやって自分の顔を写真に撮ると、瞼が垂れ下がっていて、なんだかなーと思います。「眼瞼下垂」ってやつですかね。仕方ないですね、来年からは前期高齢者ですし。
『わたしのコミュニティスペースのつくりかた』
■届きました。素敵な本だな〜。本のタイトルを見て、心の中にモワモワとイメージが湧いてきて、ちょっとワクワクしてくる人は、ぜひ手に取って読んでみてください。なにより、タイトル通り「わたしのコミュニティスペースのつくりかた」が具体的に書いてあります。構成が素敵だな〜と思います。
■以下は、amazonに掲載されていた紹介文です。
イメージづくりからオープン準備、運営までの困りごとにQ&Aで答えるほか、民営図書館「みんなの図書館さんかく」、地域の文化複合拠点「ARUNŌ」の完成までのストーリー、全国のコミュニテイスペース運営者の体験談、企画や予算、契約、宣伝、取材対応、事業の継続性までのハウツウなど盛りだくさんの内容です。
場づくり・運営のかなり具体的な実践手法を紹介しておりますので、地域に溶け込むような場づくりに興味を持っていらっしゃる方にぜひ手に取っていただきた1冊です。
■こちらは、この本の著者のお一人である土肥潤也さんが運営する私設図書館「みんなの図書館さんかく」に関する記事です。Twitter経由で、このブログにも貼り付けてみました。この記事もぜひ読んでみてください。
私設図書館「みんなの図書館さんかく」を作った男が「余白」を作る理由(榎昭裕)#Yahooニュースhttps://t.co/bfQpeadLU6
— 脇田健一 (@wakkyken) March 7, 2023
■環境問題に関連して、問題解決のための緻密な仕組みを考えて地域に押し付けてるのはやめよう、むしろ「スカスカ設計」の方がいいんだよと常々言ってきました。こんなので大丈夫なのかなという「スカスカ設計」からスタートしながらも、いろんな人が関わりながら現場の中から「こうした方がおもしろいよ」とか、「私はこんなふうに展開してみたい」とか、そう行った動きが創発的に出てくる、新しいアイデアが出てくる、そういうことの方がずっと大切なんだとも言ってきました。そういう自分の「スカスカ設計」の考え方は、土肥さんの「余白」ということと、どこがつながるような気がします。気がするだけかもしれませんが。この私設図書館「みんなの図書館さんかく」に行ってみようと思います。
3年ぶりの歓送会
■ 昨日は、夕方から龍谷大学吹奏楽部の「歓送会」が深草キャンパスの生協食堂で開催されました。12月末の定期演奏会を最後に「卒部」した4回生の皆さんの旅立ちをお祝いする会でした。コロナ感染拡大のため3年ぶりの「歓送会」です。
■ものすごい人数の部員の皆さんが集まりました。退部された4回生の皆さんは私服ですが、現役部員の皆さんはステージ衣装でもある青いブレザーを着用されていました。というわけで、部長の私も普段のジーンズではなくスーツにネクタイでした。私が部長に就任したのも2019年。ということは、部長になった時に入部されてきた方達が卒部されているということでもあります。少し感慨深いものがあります。
■ 4回生の皆さんが龍谷大学に入学した後、翌年の2月(2019年度内ですが)には、「歓送会」をなんとか開催することができました。その直後から感染が拡大していくことになりました。3月に予定されていた関東地域の大学とのジョイントコンサートも中止になりました。
■ 2020年度は、集まって練習をすることもできませんでした。吹奏楽コンクールは中止になりました。サマーコンサートや夕照コンサートも中止にりました。宮城県への演奏旅行も中止でした。サマーコンサートは時期をずらしてオータムコンサートとして開催しました。その後12月の定期演奏会についてもなんとか開催することができました。この年は、オンラインで何度も相談の場を持ったように記憶しています。
■ 2021年度は、社会も大学も新型コロナに少しは対応することができたようで、様々な活動を再開できるようになりました。サマーコンサートは開催できましたが、私の記憶ではオンラインによる無観客生配信での開催でした。夕照コンサートもオンライン配信でしたが、定期演奏会は無事に開催することができました。オンライン配信も同時に行いました。いろいろ工夫をしました。この年度は、吹奏楽コンクールも再開され、龍谷大学は2年連続で金賞を受賞しました。とはいえ、陽性者が出ることで練習はたびたび中断しました。2月に開催が予定されていた「吹奏楽フェスタin鳥取」は中止になりました。
■ 2022年度は、サマーコンサート、夕照コンサートも無事に開催することができました。ただし、陽性者や濃厚接触者が出るたびに練習が中断されました。岐阜での演奏旅行も、途中で陽性者がでたことから一般向けの「オータム・コンサート in 岐阜」の公演は中止になりました。なんとか、兵庫県朝来市での「龍谷大学吹奏楽部演奏会」は開催することができましたし、年末の定期演奏会も無事に開催することができました。大変な状況の中で、吹奏楽コンクールも3年連続で金賞を受賞することができました。
■こうやって思い出すと、4回生の皆さんも含めて、部員の皆さんはコロナに負けずに、本当によく頑張って課外活動に取り組まれてきたと思うわけです。龍谷大学では、「課外活動は、正課授業とあいまって大学教育の重要な一環である」という基本方針のもとで、多くの学生の皆さんが課外活動に取り組まれています。コロナの中での課外活動は、大変辛いものだったと思いますが、そこで苦労された経験は今後の部員の皆さんの成長に必ず役立つことはずです。
■昨日の3年ぶりの歓送会では、たくさんの皆さんと一緒にお酒を飲むことができました。もちろん、感染に気をつけながらということになりますが、楽しい時間を過ごすことができました。私は、最後までお付き合いしました。結局3次会にまで出席しました。普段、幹部以外の部員の皆さんとはなかなかお話をするチャンスがないのですが、昨日は、いつもとは違う方達とお話ができました。人数は限られていますけどね。楽しかったです。
■写真は、1次会である女子部員の方からいただいたものです。これ、亡くなった方や幽霊がつける三角頭巾「天冠」と言います。なんでまた…、これ使えうにはまだもう少し時間が…。実は、ステージで使ったものなのだと説明してくれました。昨年中止になった「吹奏楽フェスタin鳥取」が今年は無事に開催されたのですが、その時のステージで使ったものなんだそうです。鳥取(境港市)といえば、水木しげる。というわけで、フェスタでは、「ゲゲゲの鬼太郎Funk ver.」が演奏されました。私は、関西アンサンブルコンテストの応援に行っていましたから、鳥取公演の様子は知らないのですが、妖怪に扮した部員の皆さんもステージに登場して会場を盛り上げたのだそうです。その時、他の部員の皆さんは演奏の開始にあたって、この「天冠」を頭につけたのだそうです。面白いアイデアですね。これ、白いフエルトでできています。おそらく、想像なんですが、ステージ衣装の青いブレザーのポケットにしまったままになっていたことに気がついて、理由は分かりませんが、私と監督にプレゼントしてくれました!! サイン入りです。私と家督は、同い年で、昨日の場では一番年寄りでしたから〜(^^;;。
【追記】■なんで「卒業」ではなくて「卒部」なのか。その理由も昨日教えてもらいました。留年して卒業できない先輩たちのことを慮って、慣習として、「卒部」という言い方をしてきたのだそうです。なんと、なんと。
龍谷大学吹奏楽部OB・OGとの会食
■昨晩は、仕事が終了したのち京都へ移動しました。2008年春に卒業した福富太一くん、そして行武弥生さんと会食しました。2人とも龍谷大学吹奏楽部で活躍した人たちなんです。ちなみに、福富くんは私のゼミの学生でもありました。
■少し福富くんのことについて書いておきたいと思います。福富くんは、私のゼミの3期生になります。私もまだかろうじて40代でした。学生の皆さんには、各自一人でフィールドワークを行い、そのデータに基づいて卒論を書いてもらうことが私のゼミでの約束でした。でも、福富くんは、卒論に関してはあまり熱心になれない学生でした。というのも、彼は吹奏楽部のトランペッ奏者だったのですが、心は吹奏楽部のことでいっぱいだったからです。当時、私は学生の皆さんの課外活動に関してあまり理解できていなかったのではないかと思います。
■もちろん、学業が第一であることに間違いはないのですが、学生の皆さんの成長にとって課外活動は大変重要な役割を果たしているからです。当時の私は、その辺りについて理解が不足していました。というわけで、福富くんの卒論への姿勢については、内心、少しイライラしていたのではないかと思います。でも、福富くんは、ゼミの約束通り十分かどうかは別にして、フィールドワークに取り組みきちんと卒論を執筆して提出しました。また、同時に、吹奏楽部での演奏会でも頑張ることができたようです。
■福富くんが卒業した後、ずっと交流はありませんでした。ところが数年前に、facebookで私を見つけて友達申請をしてくださったのです。それ以来、彼のfacebookへの投稿を拝見していますが、立派な企業人に成長されたなあと喜んでいます。営業職のようですが、若い後輩の社員さんたちの研修も担当されているようです。加えて、吹奏楽も現在でも続けておられるのです。きちんとレッスンにもついて空いた時間できちんと練習をされています。立派だなあと思います。彼の方も、私がたびたび吹奏楽関連の投稿をしているので読んでくださっているようです。彼も、自分が学生の時のゼミの先生が部長だと知って少し驚かれたのではないかと思います。
■行武弥生さんと初めてお会いしたのは、吹奏楽部のOBOG総会の時ではないかと思います。私はもちろんOBではないのですが、部長として出席させていただきました。OBOG会のお世話をいろいろしてくださっているようです。facebookでもつながっています。今回は、福富くんの同期であることから、彼から声をかけてくださいました。
■昨晩は、お二人が4回生の時、2007年度のお話も聞くことができました。手元にある『創部50周年記念誌』には、その年の出来事に関して、次のように書かれていました。学生指揮をされていた山田慎吾さんがお書きになった文章です。
【若林先生が専任監督になられた事】
若林先生が専任監督に就任される少し前。先生に警視庁音楽隊隊長就任のお話がきていました。しかし先生は、そのお話を断り吹奏楽部の専任監督に就任してくださいました。今でも若林先生、学校関係者の方々には言葉では言い尽くせないほどの感謝でいっぱいです。【最後のコンクール】
若林先生が専任監督に就任されて初めてのコンクール。更に4回連続大会金賞がかかった年。重要な大会でしたが、結果は全国大会銀賞でした。レセプションで若林先生が仰った「全ての責任は音楽監督である僕にある」というお言葉。これは今でも重く胸に響いています。先生がいかに大きなものを背負って専任監督に就任されたかが痛いほど伝わり苦しかったです。
■私自身、若林監督ご本人から監督に就任の前後のことは伺っています。昨日は、行武さんからは、「若林先生が警視庁音楽隊隊長になると聞いて、泣き崩れた」ということを伺いました。でも、この引用にも書かれているように、龍谷大学吹奏楽部の音楽監督に就任いただき、その後、龍谷大学吹奏楽部は更に飛躍していくことになります。お二人は、吹奏楽部の時代の変わり目のような時代を現役部員として過ごされたことになります。