龍谷大学吹奏楽部OB・OGとの会食
■昨晩は、仕事が終了したのち京都へ移動しました。2008年春に卒業した福富太一くん、そして行武弥生さんと会食しました。2人とも龍谷大学吹奏楽部で活躍した人たちなんです。ちなみに、福富くんは私のゼミの学生でもありました。
■少し福富くんのことについて書いておきたいと思います。福富くんは、私のゼミの3期生になります。私もまだかろうじて40代でした。学生の皆さんには、各自一人でフィールドワークを行い、そのデータに基づいて卒論を書いてもらうことが私のゼミでの約束でした。でも、福富くんは、卒論に関してはあまり熱心になれない学生でした。というのも、彼は吹奏楽部のトランペッ奏者だったのですが、心は吹奏楽部のことでいっぱいだったからです。当時、私は学生の皆さんの課外活動に関してあまり理解できていなかったのではないかと思います。
■もちろん、学業が第一であることに間違いはないのですが、学生の皆さんの成長にとって課外活動は大変重要な役割を果たしているからです。当時の私は、その辺りについて理解が不足していました。というわけで、福富くんの卒論への姿勢については、内心、少しイライラしていたのではないかと思います。でも、福富くんは、ゼミの約束通り十分かどうかは別にして、フィールドワークに取り組みきちんと卒論を執筆して提出しました。また、同時に、吹奏楽部での演奏会でも頑張ることができたようです。
■福富くんが卒業した後、ずっと交流はありませんでした。ところが数年前に、facebookで私を見つけて友達申請をしてくださったのです。それ以来、彼のfacebookへの投稿を拝見していますが、立派な企業人に成長されたなあと喜んでいます。営業職のようですが、若い後輩の社員さんたちの研修も担当されているようです。加えて、吹奏楽も現在でも続けておられるのです。きちんとレッスンにもついて空いた時間できちんと練習をされています。立派だなあと思います。彼の方も、私がたびたび吹奏楽関連の投稿をしているので読んでくださっているようです。彼も、自分が学生の時のゼミの先生が部長だと知って少し驚かれたのではないかと思います。
■行武弥生さんと初めてお会いしたのは、吹奏楽部のOBOG総会の時ではないかと思います。私はもちろんOBではないのですが、部長として出席させていただきました。OBOG会のお世話をいろいろしてくださっているようです。facebookでもつながっています。今回は、福富くんの同期であることから、彼から声をかけてくださいました。
■昨晩は、お二人が4回生の時、2007年度のお話も聞くことができました。手元にある『創部50周年記念誌』には、その年の出来事に関して、次のように書かれていました。学生指揮をされていた山田慎吾さんがお書きになった文章です。
【若林先生が専任監督になられた事】
若林先生が専任監督に就任される少し前。先生に警視庁音楽隊隊長就任のお話がきていました。しかし先生は、そのお話を断り吹奏楽部の専任監督に就任してくださいました。今でも若林先生、学校関係者の方々には言葉では言い尽くせないほどの感謝でいっぱいです。【最後のコンクール】
若林先生が専任監督に就任されて初めてのコンクール。更に4回連続大会金賞がかかった年。重要な大会でしたが、結果は全国大会銀賞でした。レセプションで若林先生が仰った「全ての責任は音楽監督である僕にある」というお言葉。これは今でも重く胸に響いています。先生がいかに大きなものを背負って専任監督に就任されたかが痛いほど伝わり苦しかったです。
■私自身、若林監督ご本人から監督に就任の前後のことは伺っています。昨日は、行武さんからは、「若林先生が警視庁音楽隊隊長になると聞いて、泣き崩れた」ということを伺いました。でも、この引用にも書かれているように、龍谷大学吹奏楽部の音楽監督に就任いただき、その後、龍谷大学吹奏楽部は更に飛躍していくことになります。お二人は、吹奏楽部の時代の変わり目のような時代を現役部員として過ごされたことになります。