ドライブレコーダーの設置

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■昨日は、我が家の自家用車が車検を受ける日でした。その車検に合わせてドライブレコーダーの取り付けも、ディーラーさんに行ってもらいました。「えっ、今頃…」と思われるかも知れませんが、そうなんです、やっとです。歳をとって事故のこととか、煽り運転とか、まあいろいろ心配して取り付けることにしました。現在63歳ですが、いつ頃まで運転を続けるのでしょうね。今の車の次の車が、最後の車になるように気がします。いつ頃免許を返納したらよいのでしょうね。駅まで歩いて10分以内と比較的に便利なところに住んでいるし、自宅から1kmほどのところにスーパーマーケットが2軒あるので、身体が元気なうちはなんとかなるとは思いますが…。

■問題は坂が多いということです。今はなんともなくとも、年齢ととともにその坂が大きな「壁」になっていきます。もう亡くなりましたが、両親の介護や看病をしながらそのことを実感しました。両親は大阪郊外の坂だらけの新興住宅地に暮らしていました。そのため、人生の最期で父は、自宅の門からドアまでの階段でさえ苦労していました。「こんな階段の1段を上がるのさえ苦労するようになってしまって…」と嘆いているのを今でも思い出します。

■高度経済成長期には、都市に人口が集中して、市街地は郊外に向かって膨張して行きました。あたかも、近郊の農村地域が市街地に飲み込まれルカのようでした。農村の里山だった場所は新しい新興住宅地として開発されることになりました。そういった新興住宅地は、「○○台」、「○○ヶ丘」、「○○平」、「○○ヶ原」という地名で呼ばれることが多いように思います。これらは、いずれも、元々は丘陵地の地形を示す地名です。里山だった丘陵地で住宅地を造成し、こういった地名をつけてきたのです。亡くなった父は、「こんな坂を還暦すぎた頃は、街で飲んで帰ってきても、平気で歩いていけたんだけどなあ」と言っていました。そのような住宅地に暮らし始めた時は、いつか苦労することになるなどとは想像もしていなかったのです。難しいですね、自分が年老いた時のことを想像するのは。

■ということで、回り道をしましたが、問題は、いつまで運転するのかということでした。いつ免許を変えするのかということでした。今のとろ、75歳、つまり後期高齢者になる頃かなと想像していますが、その年齢になった時の自分はどう判断するでしょうね。これは難しい問題です。もっとも、車の方もどんどん進歩していて、AIに運転を任せるような時代が目の前に迫っています。特定条件下における完全自動運転や、特定条件下においてシステムが全ての運転タスクを実施することなどすぐに実現しそうです。とはいえ、私としては、車の進歩よりも、車に依存しなくても暮らしていける仕組みが地域社会の中に生まれてくることの方が重要かなと思っています。では、それはどのような仕組みなのでしょうか。

「個人モデル」と「社会モデル」/ 星加良司さん(東京大准教授)への時事通信社によるインタビュー

■今朝、時事通信社による、星加良司さん(東京大准教授)へのパラリンピックに潜む「危うさ」全盲の社会学者に聞くというインタビュー記事を読みました。星加さんは、この記事の中で次のよう述べておられます。

放送時間がある程度確保され、一つのスポーツイベントとして、アスリートのパフォーマンスに焦点を当てた正当な報道がされた印象を持っています。ただ、パラリンピックというのは「障害の社会モデル」という考え方を社会に普及させるという観点からは、「危ういコンテンツ」だと私は言い続けてきました。

■では「障害の社会モデル」とはなんでしょうか。「個人モデル」との対比で以下のように説明されています。

障害学の基本テーゼとして、「個人モデル」と「社会モデル」という二つの考え方があります。個人モデルというのは従来の常識的な捉え方のことで、障害者が経験する困難が個人の心身の機能制約から生まれてくると考えます。そこから生じた問題を、個人の努力を中心に、周りのサポートで克服していくという理解の仕方です。私が専門とする障害学はこうした従来の見方を個人モデルとして批判し、社会モデルを提起しました。社会モデルとは、そもそも障害者に困難が生じる原因は心身の制約によるのではなく、社会がマジョリティーの利便性を優先する形で偏って構成された結果、しわ寄せを受けているのがマイノリティー=障害者であるという考え方です。問題の本質を見極めるために、個人の身体に焦点を当てるのではなく、今の社会がどういう組み立てになっているのか、誰にとって生きやすい社会なのかに目を向けるわけです。

■この「社会モデル」のような考え方は、これまでも何人かの方達が主張されてきたことかと思いますが、星加さんからすれば、そのような「社会モデル」と対比される個人モデルの考え方は、「仮に福祉の充実に寄与しても、障害者と非障害者の非対称な関係を維持、固定して再生産してしまうという問題を抱えていますから、やはり転換すべき考え方」ということになります。では、オリンピックとパラリンピックを別々に開催すべきではないと考えておられるのかといえば、そうではありません。「大会そのものの在り方の問題と、それに対する社会の側のまなざしの問題を分けて考える必要がある」というのが星加さんの主張です。パラリンピックのアスリートにとって大会の開催はメリットがあることを認めた上で、社会の側がパラリンピックに余計な意味を付加することをやめたほうが良いと主張されます。これだけ競技性が高まっているのだから、「普遍的な障害理解や共生というテーマとつなげることには無理」があり、それとは別に、「障害を生み出している現状の社会の問題を見詰め、共生というテーマにそれ自体としてきちんと向き合う」ことが必要だと主張されます。

秋ですね。

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■今週の月曜日、朝から滋賀県立琵琶湖博物館で仕事をしてきました。私自身もこの博物館で働いていたわけですが、現役の学芸員の皆さんの中には、私の子どもの世代に近い方達がおられます。私が勤務していたのは開館した直後の1998年3月末まで。それから四半世紀近く経過したので、まあ当然なんですが。帰りは、少し車を停めて、琵琶湖大橋と比良山系を撮ってみました。気象のことはわかりませんが、山の向こうの空には夏の雲が、琵琶湖の上の空には秋の雲が。季節が移り変わっていきます。

■我が家の庭の法面に、シュウメイギクが咲き始めています。気温がグッと下がってきたせいでしょうね。秋やな〜。もうじき、ヒガンバナの芽が伸びてくるでしょう。そして、このシュウメイギクの背後にあるハギも、花を咲かせます。シュウメイギクは、菊と名前に入っていますが、これはアネモネの仲間なんだそうです。と思っていると、ヒガンバナが芽を出しました。毎年、庭の法面の4〜5箇所でたくさんの花を咲かせてくれます。花が咲くまでは、もう少し時間がかかりますが、毎日、次々に芽を伸ばしてくるのを楽しみます。

面白いTシャツ

20210831t-shirt.jpg ■真夏、自宅では普段着としてTシャツを着ています。出かける時も、ちょっとお洒落なTシャツを着ることとがあります。今年は、新しいTシャツを3枚ほど書いました。2枚の普段着Tシャツと、1枚のお洒落なTシャツです。私はよくわからないのですが、Tシャツっていうのは、毎年買い換えるものなのですかね。知り合いに、一夏でちょっと首や裾のあたりが伸びてくるので、ワンシーズンでおしまいにする…という人がいました。私からすれば、もったいない…という感じです。

■それはともかく、お洒落なTシャツは、様々な古墳をデザインしたものです。普段着の方にTシャツは、縄文時代の土偶が描かれています。何も、そんな変わったTシャツを着なくても…とお思いでしょうが、変わったTシャツをきたかったのです。もう1枚は、これ。なにやら鳥羽僧正の鳥獣戯画を思い出しますね。実際、鳥獣戯画をもとにデザインされています。よく見ると、跳ぼうとしているカエルの足を、ウサギがしっかり捕まえて邪魔をしているように見えます。違います。これ、組体操です。カエルとウサギが、力を合わせて「サボテン」の型の組体操をしているところなのです。カエルの口の開き具合がいいですね〜。

梅雨前線と照葉樹林帯

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■これは、先週の土曜日、14日の降雨の状況と天気図です。上は「CLIME」という天候予報アプリによる、お昼過ぎの画像です。ネパールのあたりから、帯のように日本列島まで雨が降っていることがわかります。下は、気象庁の天気図です。 太平洋とオホーツク海の高気圧に挟まれるように日本付近に前線が延びています。8月なのに梅雨のような天気が続いているのは、この梅雨の頃に現れるような前線のせいです。天気図では前線は中国で切れているようですが、実際に雨雲はずっと続いています。「CLIME」の画像でも分かるように、ヒマラヤ山脈の南側にあるネパールとブータン、それからビルマ北部、雲南省、中国内陸にある重慶や武漢、上海、台湾、そして最後は日本列島(西日本)に伸びています。

■この辺りのことを、2013年にお亡くなりになった民族学者(文化人類学者)佐々木高明さん中心とした研究グループの皆さんは、照葉樹林帯文化圏と呼んでいました。1970年代のことかなと思います。この地域には共通する文化が多く、日本で確認されるそれらの文化は共通の起源から伝播してきたのではないか…とする考え方です。今では、いろいろ批判もあり、この考え方を積極的に継承する人はいないのではないかと思いますが、学説史的にはいつまでも記憶される研究なのではないかと思います。

■私は、その佐々木高明さんに一度だけお会いしたことがあります。国立民族学博物館で開催された研究会だったかシンポジウムだったか、忘れてしまいましたが、そこでアルバイトをした時のことです。アルバイトの内容は、発言者のマイクのスイッチを入れたり切ったりする仕事だったように記憶しています。佐々木高明さん、網野善彦さん、小山修三さん、石井進さん、大林太良さん、春成秀爾さん…、民族学、考古学、歴史学の世界でよく名前の知られた著名な研究者が集まっておられました。ミーハーですが、網野善彦さんのことを「めっちゃ、かっこいい」と思いました。1980年代の中頃のことです。懐かしい。いろんなことが、どんどん懐かしい話になっていきます。すみません、ちょっと脇道にそれてしまいました。

■さて、今回の豪雨では、私の住んでいる大津でもあちこちで小さな被害が発生しました。冠水したり、道路が土砂崩れで通行止めになったりしました。まだ、国道1号線は普通だと思います。私自身は、コロナのこともあり、夏期休暇中でも他所に出かけたりせずに自宅にいる生活をしています。ですから、困ったことはないのですが、あちこちに被害が出ているとの報道に驚きました。おそらく、これからは毎年のようにこういった「これまでにない豪雨」が続くのでしょうね。大変憂鬱になります。

■琵琶湖の水位も、急激に上がりました。13日には-30cmだったわけですが、15日には30cmを超えるようになりました。3日ほどで一気に60cmも水位が上昇したわけです。というわけで、水位操作のルールに従い、琵琶湖の水位を下げるために、琵琶湖の水の唯一の出口である瀬田川洗堰を全開にしました。琵琶湖の水害は、河川が決壊したり、溢れたりすることによる水害だけでなく、琵琶湖の水位が上昇し湖岸の地域が水没する浸水被害もあります。そして、滋賀県内だけでなく、もちろん下流の地域のことも考えながら、総合的に管理を行なっています。気候変動の中で、このような仕組みだけで、どこまで通用するでしょうね。おそらく、ダムや堤防だけでなく、どこかで水を溢れさせる場所をあえて作る「流域治水」の考え方に基づき、流域単位で検討することが必要になってくるのでしょう。

コロナの後


■感染者の数字だけ見ていると、こういう一人一人の経験が見えてこなくなります。コロナが収束しても、大阪の60代の女性の「私が殺したんや」という苦しみ、女優の川上さんのような「強い恐怖と後悔」は、その人の中に残り続けます。そのような苦しみは、多くの人びとからは忘れ去られてしまいますが、忘れ去られてしまうこと自体も当人にとっては苦しみになるのではないかと思います。このような問題を、社会学的にも整理・分析する研究がそにうちに登場するのではないかと思っています。

総務省統計局長からの令状

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■先月、半年間続いた総務省が実施している家計調査が終了しました。家計調査って何だろうと思っている方、以下は統計局のホームページから引用したものです。

家計調査は,一定の統計上の抽出方法に基づき選定された全国約9千世帯の方々を対象として,家計の収入・支出,貯蓄・負債などを毎月調査しています。

家計調査の結果は,これら調査世帯の方々の御理解・御回答によって得られており,我が国の景気動向の把握,生活保護基準の検討,消費者物価指数の品目選定及びウエイト作成などの基礎資料として利用されているほか,地方公共団体,民間の会社,研究所あるいは労働組合などでも幅広く利用されています。

調査をお願いしている皆様へ

調査をお願いしている皆様から御回答いただく情報は、統計データに集計・加工され、インターネット、報告書などで直接御覧いただけるほか、政府・地方公共団体、企業、学界などで活用されることにより、様々な行政施策、商品・サービス、研究成果などとなって広く国民に還元されます。

このような利活用のされ方から、「統計は国民の共有財産」と言われますが、私たち統計作成者は、国民に有用性の高い統計を提供することはもとより、調査をお願いしている皆様から御回答いただいた情報の保護に万全を期すとともに、御回答の負担にも常に配慮してまいります。

お忙しいところお手数をおかけしますが、「統計」の重要性を御理解いただき、調査への御回答をよろしくお願いいたします。

■家計調査の役目はご理解いただけたかと思います。我が家は、全国の中から選ばれた約9,000世帯のうちの1世帯というわけです。どうして選ばれたのか、統計ですから、何やらきちんとした抽出の方法があるようです。内心、「どうせ当たるのだったら、もっと心がウキウキすることに当たったらよいのに」と思わないわけではありませんが、これは国民の義務で拒否することはできません。罰則もあるとのこと、やらないわけにはいきません。もっとも、私は、一日に終わりにその日使ったお金を報告するだけですが、それを整理して総務省に報告する連れ合いは大変でした。私は、財布の中にレシートを保管する習慣がついてしまいました。

■ということで、総務省から礼状が届きました。「あはは…」と力抜ける感じですかね。おそらくは、 調査員という方が我が家のポストに投函してくださったのでしょう。ご苦労様でした。この調査員,一般の人の中から,5つの要件を満たしている人が、都道府県知事により特別職の地方公務員として任命されるのだそうです。今度は皆さんのところに、依頼がいきますよ。

「人口激減と超高齢化…」

■「40年後の日本は、5人に2人が高齢者で、毎年人口が100万人近く減る社会になる」というNewsweek日本語版の記事です。執筆されているのは、教育社会学者の舞田敏彦さんです。舞田さんは、「データえっせい」というブログを公開されています。時々、興味深く拝見しています。

■さて、40年後というと、私は生きていれば102歳になりますが、まずそんなことはあり得ないと確信を持っています。20年後も怪しいなと思っています。2060年頃というと、私自身のことというよりも子どもたちが高齢者になったときのことになります。私には子どもが2人いますが、生きていることができれば70歳を超えています。その時の高齢者の定義がどうなっているのかわかりませんが、現在のように65歳以上が高齢者ということになれば、私の子どもたちもその時にはとっくに高齢者になっています。毎年100万人減少していくということになりそうですが、それがどのような社会になるのか、なかなか想像ができません。舞田さんは、次のように述べておられます。記事のグラフもお読みください。

グラフの右に目を移していくと、2020年代以降は50万人、70万人、さらには100万人減る時代になると予想される。たった1年間で、だ。ピンとこない人もいるかもしれないが、鳥取県の人口規模の自治体が毎年ごっそり消えていく、と言えば分かりやすいだろう。ある論者の表現を借りると「静かなる有事」だ。

■調べてみました。wikipediaの情報ですが、2018年度であれば山形県が108万9806人、続いて宮崎県、富山県になります。この3県は100万人を超えていますが、その後は100人下回ることになります。秋田県、和歌山県、佐賀県、山梨県、福井県、徳島県、高知県、そして島根県は67万9626人、鳥取県は56万0517人となります。舞田さんが書かれているように、毎年、こういった県の人口分だけ日本全体の人口が減っていくというと、かなり深刻であることがわかります。40年後の時代、日本の社会はどうなっているでしょう。

■先程、2人の子どもたちは高齢者になっていると書きましたが、孫たちの年齢は40歳代前半になります。人口減少によって社会が大きく変化すると、日本に暮らすことはできないかもしれません。舞田さんは、「今のレベルの生産活動を行えているかどうかは分からない。機械化、ICT(情報通信技術)化、移民の受け入れを極限まで進め、どうにか国の体裁を保っているような状況だろう」と予想されています。また、舞田さんは、内閣府の『我が国と諸外国の若者の意識調査』(2018年)の結果をもとに、韓国の若者たちは「若者の国外脱出志向が強い」が、日本の若者たちは「『ずっと自国で暮らしたい』若者が6割と多くを占める」と書いておられます。

■40年後もこの傾向が続くのかどうか、私には全くわかりません。2人の孫たちは、日本には暮らすことができないかもしれません(ひょっとすると、日本には暮らしたくない…かも)。舞田さんは、「若い労働者が海外に出ていく『出稼ぎ大国』になる」かもしれないと危惧されています。ただし、このような人口減少や経済の問題だけでなく、私は.地球温暖化による気候変動の影響がさらに強烈になり、社会の根底の部分にまでも深刻な影響を与えてしまっている…ことが心配なのですが、そうなると事態はさらにややこしくなりますね。孫たちを含めて、将来世代の人びとは、どのような社会を生きなければならないのか。心がとても重くなります。

家族の意味


■先月、NHKで放映された「3人の親 子育てをめぐる喜びや葛藤の日々 カラフルファミリー」という番組です。以下は、番組の概要です。この概要では「家族の意味」と表現していますが、自分も含めてですが、「あたりまえ」と思い込んでいる家族観のようなものが相対化されることになります。

かつて女子高生だったトランスジェンダーの男性と、彼を愛し子どもを産んだパートナー、そして、2人に精子を提供したゲイの親友が、一緒に子育てを始めた。3人の子育てをめぐる喜びや葛藤の日々を通して、家族の意味を見つめる。

2018年秋、ひとりの赤ちゃんが元気な産声をあげた。この子には3人の親がいる。1人目は、女性のカラダで生まれ、今は男性として生きているトランスジェンダーの“パパ”。2人目は、彼のパートナーで、子どもを産んだ“ママ”。そして3人目は、ふたりに精子を提供したゲイの親友。
3人は一緒に子育てすることを決めた。

初めて味わう子育ての喜び。
LGBTというだけで、どれほどかけがえのない体験をあきらめていたか。一方で、法的な親子関係を認められないなど、いくつものハードルも。さらに、どのように子育てに関わればよいのか? そもそも自分はこの子にとってどんな存在なのか? 自分たちらしい家族のカタチをめぐって3人は揺れる。3人の子育ての日々を通して、“家族”の意味を見つめる。

戦争孤児についての記事

■昨日は終戦記念日でした。戦後、75年。毎年のように、8月が近づいてくると戦争関係の記事をたくさん目にすることになりますが、今年は、そのような記事の中でも、戦争孤児、民間への戦後補償の記事が大変気になりました。いずれも重い内容です。まずご紹介したいのは、戦災孤児の方たちのお話です。「『私の戦争は、あの日で終わらなかった』戦災孤児が語る、終戦後の”地獄”」というBuzzFeed Newsの記事です。記者は、籏智広太さんです。

■記事にの中で登場されるのは鈴木賀子さん(82)です。鈴木さんは、東京大空襲の中で、家族を失いました。「空襲のあとも、生き残った姉と弟と一緒に暮らすことすらできなかったんですよ。どこにも、行くところはなかった。地獄そのものでしたよ」という大変辛い体験をされます。辛い…という言葉では不十分ですね。どうか、記事をお読みください。記事の最後では、鈴木さんは次のように語っておられます。

戦後、自らが戦災孤児であることは、あまり多く語ってこなかった、という。そんな、鈴木さんにとってあの戦争とは、何だったのか。いま、何を思っているのか。

「戦争で、すべてが変わってしまった。あたしばかりじゃないでしょう。紙一重で助かった人も、それからの人生なんて生優しいものではなかったんだと思います。あたしだって助かりましたけど……」

「あたしには、政治のこととか、小難しいことはわかりません。でも、陸軍海軍のエライ人、東條英機、そして官僚が戦争を起こしたわけですよね。それなのに、私たちに、国が何かをしてくれるわけでもなかった。何もしてくれなかったですよね

「あとね、なんでもかんでも天皇陛下万歳と教えられてきたせいかもしれないけど、なんで天皇陛下が止めてくれなかったんだろうって気持ちが、ありますね……。止めてくれていれば、家族も死なず、バラバラにならなかったのに。こんなこと言っていいのかわからないけれど、あたし、気持ちをもってきどころがないんです

鈴木さんは「でもね、これもあたしの人生だから。結婚してからは幸せでしたし、終わりよければ、全てよしですよ」と気丈に笑う。しかしその一方で、こんな言葉も、つぶやいた。

「あたし、どこかでずっと突っ張って生きてきたんですよね。誰かの人の顔色を見て、背伸びしてきた。この年まで、ね」

■もうひとつ、記事を読みました。数年前のNHKの番組の記事です。「わたしはどこの誰なのか 戦争孤児をはばむ壁」。記事に登場されるのは、谷平仄子(ほのこ)さん(74)です。今年、75歳ということになりますね。谷平さんの記憶は、「戦争孤児を保護する埼玉県の施設からけ始まるわけですが、その後5歳で里親に引き取られて北海道で育ちました。「知らされていたのは、戦争で孤児になったということだけ。戦後の食料難の時代に引き取り、育ててくれた養父母の苦労を考えると、実の親について聞くことは」できなかっと言います。

■しかし、里親が亡くなり、仄子さんご自身も70代を迎えた頃に、自分のルーツを確かめたいという強い気持ちを持つようになります。報道される沖縄戦や空襲の被害者、原爆被爆者に残留孤児の皆さんのその体験談を食い入るように見つめる中で、ある思いが浮かんできました。「わたしはどこの誰なのか。わからないままでは死ねない」。谷平は、里親に引き取られ前の児童養護施設をたずね、母親の名前を知ることになります。さらに実母のとを知りたいと北海道庁に自分に関する情報開示を請求します。しかし、個人情報保護の壁の中で、それは完全にはできませんでした。こちらも、ぜひ記事の方をお読みください。この記事の最後では、谷平さんは次のように語っておられます。

戦争をしたのは国です。その戦争によって親と引き裂かれた子どもがいる。私はまだ現在進行形なんです。終わってないんです。そこを忘れてもらっては困るんです。それなのに出自に関する事実を真っ黒に塗りつぶされて、なんと無慈悲でしょうか。行政の人はすべて読むことができるのに、なぜ当事者である私は見ることができないのでしょうか。

■昨晩、放送されたNHKスペシャルは「忘れられた戦後補償」でした。以下は、その番組の内容です。再放送があれば、ご覧いただければと思います。国がどのような議論をして、民間への補償を行わないでも済むように論理を構成してきたのかを分析しています。

番組内容
国家総動員体制で遂行された日本の戦争。しかし、80万人が犠牲となった民間人は補償の対象から外され続けてきた。国家の戦争責任とは何なのか、膨大な資料から検証する。

詳細
詳細国家総動員体制で遂行された日本の戦争。310万の日本人が命を落としたが、そのうち80万は様々な形で戦争への協力を求められた民間人だった。しかし、これまで国は民間被害者への補償を避け続けてきた。一方、戦前、軍事同盟を結んでいたドイツやイタリアは、軍人と民間人を区別することなく補償の対象とする政策を選択してきた。国家が遂行した戦争の責任とは何なのか。膨大な資料と当事者の証言から検証する。

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