「地域エンパワねっとⅠ」と「啐啄同時」
■履修学生の皆さん。このあたりが一番しんどい時期かもしれません。活動のテーマを焦点化していくことは、なかなか難しい。自分たちのミーティングだけで、ああでもないこうでもないと時間を消費しているだけでは、活動の展開がありません。また、漫然と地域の皆さんにお話しを伺うだけでも活動の展開は、なかなかありません。勉強にはなりますけれど、「君たちは、いったいエンパワで何をしたいんや?」と逆に地域の皆さんから問われることになります。まち歩きをしたり、地域の皆さんにお話しをうかがいながら、自分たちのなかにぼんやりと浮かび上がってきたテーマを、どのようにしたら地域のなかに隠れているニーズや課題と結び付けていけるのでしょうか。
■仏教の宗派に禅宗があります。その禅宗に「啐啄同時」という言葉があります。「そったくどうじ」と読みます。「啐」とは、鳥の雛が卵からかえろうとすると、雛が内から卵の殻をつつくことを言い、「啄」とは親鳥が雛がかえろうとするときに、外から卵の殻をつつくことをいいます。禅宗では、この鳥の親子の話しを禅にあてはめます。禅において、師匠と修行者との呼吸がぴたりと合うこと、機が熟して弟子が悟りを開こうとしているときのことを「啐啄同時」と呼んでいるのです。先日、1人の学生が、「地域づくりって難しいですね」と言っていました。当初予想していたよりも手こずっているのでしょう。でも、もう少しすると「啐啄同時」のタイミングがやってくると思います。一緒に頑張ってまいりましょう。
大津エンパワねっと「大学と地域をつなぐ特別講義Ⅰ」
■昨日は、龍谷大学社会学部の地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」の「大学と地域をつなぐ特別講義Ⅰ」が、社会学部社会学科の学生を対象として「社会調査入門の授業」のなかで実施されました。講師は、大津市歴史博物館学芸員の木津勝先生です(コミュニティマネジメント学科、地域福祉学科・臨床福祉学科の「大学と地域をつなぐ特別講義Ⅰ」は、すでに終了しています)。
■木津先生は、大津に関わる近現代の古写真を収集・研究されています。今回の講義「大津ってどんなとこ?古写真でみる地域のあゆみ」でも、それらの写真をふんだんに用いて大津の明治期以降の歴史についてご説明くださいました。一般の市民の方にもお聞きいただきたい内容でした。木津先生、ありがとうございました。
■特別講義の様子は、「大津エンパワねっと」の公式facebookページでもごらんいただけます。facebookに登録されていない方にもご覧いただけると思います。ぜひ、以下のURLをクックしてご覧いただければと思います。こちらで写真をご覧ください。
瀬田キャンパスのグラウンド
■昨晩、瀬田キャンパスのグラウンドに、行ってみました。龍谷大学に勤務して10年目になりますが、そもそもあまりグラウンドに来ることもありませんでした。たまたま、龍谷大学吹奏楽部の部室件練習場に、予約していた吹奏楽部の定期演奏会のチケットを受け取りにいったさい、隣のグラウンドから「足音」が聞こえてきたので、気になって行ってみたのです。
■陸上競技部が練習をしていました。1週何メートルぐらいでしょうか。400mはないと思いますが、300mはあるのかな…。そこを長距離の先週たちが走っているのです。かなりのスピードです。私たち、市民ジョガーとはスピードが違います。さすが、アスリートの皆さん、素朴にすごいなと思いました。
■以下は、大学のホームページにある陸上部の紹介です。今年は、ずいぶん頑張られたようです。ぜひ、お読みください。
総務省の「域学連携」に関連して
■大学と地域社会との連携に関して、社会的な注目が集まっています。国も、様々な事業を行おうとしています。ひとつは文科省の「地(知)の拠点整備事業(大学COC事業)」です。もうひとつは、総務省の「『域学連携』地域づくり活動」です。後者の「域学連携」については、龍谷大学が京丹後市との関係で参加しているようです。私も、間接的にですが、岐阜県内のある自治体で「域学連携」のお手伝いをすることになりました。
■間接的…と書いたのは、こういうことです。「域学連携」は、大学の活力を活かした地域づくりです。その地域づくりの勢いを、自治体内部の別の地域にも波及させてたいとお考えなのです。具体的には、地域で定着している公民館活動と、地域づくり活動とをつなぐ事業をあらたに立ち上げていくことになります。詳しいことは、後日、報告したいと思います。
超整理手帳
■超整理手帳を愛用しています。超整理手帳は、一橋大学教授であった野口悠紀雄さんが、1996年に考案した手帳です。「ジャバラに折られた長いスケジュール・シートのメリットは『スケジュールをひと目で確認できる』こと。ジャバラ式のスケジュール・シートを開けば、最長8週間の予定がひと目で見渡せる」ことに特徴があります。便利ではあるのですが、この機能を使い切っているかといえば…あやしいですね。もっと、頻繁にジャバラ式の手帳を広げて仕事全体の長期的な動きがどうなっているのか、日々、確認しなくてはいけないのですが、どうしても目前の仕事にばかり目がいってしまいます。
■超整理手帳は、毎年、中身のスケジュールシートだけを替えていきます。2014年度は、方眼タイプのスケジュールシートにしてみました。今頃になって2014年用(2013年11月〜2015年1月)を入手したので、すでに2013年度用(2012年11月〜2014年1月)に書き込んだりメモったりしたことを、これから転記しなくてはならないのです。面倒ですが、仕方がありません。この手帳のカバーは、ちょっとだけ豪華なものにしています。皮製。それも赤です。目立つ色にしました。忘れることがないように…という思いからです。
■ところで、皆さんは、どんな手帳を愛用されていますか?いろいろ手帳遍歴したあげくに、今は、この超整理手帳におちついています。以前は、バイブルサイズの6穴式のシステム手帳をつかっていました。少し大きいA5サイズに移行したこともあります。その他にも、「ほぼ日刊イトイ新聞」から生まれた「ほぼ日手帳」を使っていたこともあります。で、この超整理手帳が自分にとって最高なのかと問われると…。なかなか難しいものです。
農業共済新聞の取材
■全国農業共済協会という全国団体があります。国が定める農業災害補償法に基づき農業共済制度を運営するためにつくられた公益社団法人です。この「共済制度」とは、農家が掛金を出し合って共同準備財産をつくり、災害が発生したときに共済金の支払いを受けて農業経営を守るという、農家の相互扶助を基本とした制度です。この全国農業共済協会=NOSAIでは、「農業共済新聞」という新聞を発行しています。
■今日は、ゼミで取り組んでいる「北船路米づくり研究会」の活動に関して、この「農業共済新聞」から取材を受けました。取材は昼休みでした。昼食をとる時間をさいて、「北船路米づくり研究会」に参加している4名の学生が集まってくれました。学生たちが、インタビューに答えているのを聞きながら、短い期間ではありますが、この「北船路米づくり研究会」の活動を通して、学生たちはずいぶん成長してくれたのだなあと、あらためて感心しました。教員としては、嬉しかったですよ。
■今月の第三土曜日には、大津市の丸屋町商店街で開催している「北船路米づくり研究会」にも取材に来てくださるそうです。野菜市では、私たちを指導してくださっている農家にもインタビューをしていただく予定になっています。私たちを取材してくださった記事は、1月22日に発行される「農業共済新聞」の近畿版のトップに掲載される予定です。この「農業共済新聞」を通して、多くの皆様に私たちの活動のことを知っていただけたらと思っています。
就活と卒論
■12月になりました。3年生の就職活動が、いよいよ始まりましたね。私のところには、「合同説明会にいくので、ゼミを欠席させてください」というメールが届きます。「ゴーセツ」というやつですね。どうか、洪水のように押し寄せる情報に振り回されないようにしながら、就職活動に前向きに取り組んでもらいたいと思います。また、洪水のように押し寄せる情報に恐れをなして、殻に閉じこもってしまうのも困ります。落ち着いて。焦ってはいません。キャリアセンターのガイダンスやキャリアカウンセラーの方たちのアドバイスを参考に、丁寧に準備を行って就職活動に取り組んでください。「シューカツの雰囲気」に飲み込まれないように。また、友達の就職活動の進捗状況に、過剰に反応しないようにしてください。人それぞれの就職活動があるわけでから。
■ただし、就職活動だけで大学生活の最後が終ってしまうと思っていたら、それは問題です。必修の卒業論文のことを忘れないでください。就職活動に振り回されて、「卒業論文なんてどうでもよい、適当でかまへんやん…」という気持ちになってしまうと、あとで辛い思いをすることになります。就活と卒論は、車の両輪のようなものです。両輪ですから、どちらも同じようにエネルギーと情熱を注がなければ、卒業というゴールに向かってまっすぐに進むことはできません。
■ゼミでは、「今年の12月中に、卒論の具体的なテーマ、できれば調査地も決めていきましょう」と伝えました。それは、指導教員として、長期的に卒論に取り組んでもらいたいと純粋に思っているからです。少しずつ自分の卒論の研究を成長させていくことが、結果として、一番の「卒論の近道」だと思うからです。しかし、それだけではありません。卒論は、就職活動とも微妙にかかわってきます。就職活動の面接では、しばしば、「卒業論文ではどのようなテーマに取り組んでいますか?」と質問されます。そのさい、卒論の構想だけでも、きちんと説明できることが大切かなと思います。さらに、具体的な自分の課題設定にむかって、計画的に調査・研究を進捗させていることを、きちんと説明できるようにしてください。
■ひょっとしたら、卒業論文を「お手軽」に済ませたいと思っている人がいるかもしれません。できるだけ卒論にかける時間やエネルギーを節約して、要領よく、単位や評価を獲得したいと思っている人がいるかもしれません。コストをかけずに、ベネフィットは得たい、そういう考えの人がいても不思議ではありません。しかし、それは間違っていると思います。あるいは、最初から「卒論の単位さえあれば、内容や質はどうでもよい。ギリギリ低空飛行でもOK」と思っている人(…さすがに、そんな人は私のゼミにはいないと思いますが)、それも間違っていると思います。卒業論文とは、大学で勉学に取り組んできたことの、いわば総決算のようなものではないかと思います。繰り返しになりますが、ちゃんとした水準のある論文を執筆しようと思うと、時間がかかります。しかし、そのような水準のある卒論を時間をかけて書き上げることができたとき、それまでの経験は、あなたに自信を与えることになるはずです。自分自身のためにも、時間をかけて卒論に取り組んでください。
■ぜひ、早めに卒業論文に取り組むようにしてください。一生懸命取り組む人には、私の方も、時間を惜しまず一生懸命に指導します。
若草山-芝・鹿・宗教-
■12年も乗り続けた自宅の車が新車に替わりました。昨日、その新車が我家にやってきました。ということで、新車の走り具合を確かめてみたく、近場を少しドライブをしてみることにしました。目指したのは、若草山です。若草山からは、奈良の街を眺めることができるからです。
■若草山には、若草山の麓から、春日山、そして高円山へと向かう有料ドライブウェイ「奈良奥山ドライブウェイ」を通っていくことになります。くねくねと曲がった道を登っていくと、山頂近くの駐車場にたどり着きます。駐車場から山頂までは歩いてもすぐです。時間は、ちょうど夕日が沈んだ頃でした。ここに来たのは、何年ぶりでしょうか。おそらく、20年以上前、おそらくは25年程前のことではないかと思います。奈良に住んでいても、なかかな若草山に登ることはないのです。
■若草山は芝に覆われています。この芝は、この若草山にしか自生しない固有種だといわれています。昨年、共同通信で配信されたニュースですが、次のように報道されています。
奈良・若草山の芝は固有種 シカ共生でガラパゴス化?
奈良市の若草山で、芝の種子を採取する京都府立桂高校の生徒たち=2011年6月(同校提供)
国の天然記念物「奈良のシカ」が暮らす奈良市の若草山に自生する芝が、DNA鑑定の結果、他の場所では確認例がない固有種であることが京都府立桂高校の調査で分かった。小ぶりだがシカに食べられても次々と葉を出し成長するのが特徴で、シカと共生する独自の進化を遂げた可能性が高い。
指導した片山一平教諭によると、この芝は日本芝の一つである「ノシバ」の一種。若草山の山頂付近に古墳が築かれた4世紀ごろから自生しているとみられる。片山教諭は「千年以上かけた特異な進化の過程はまるでガラパゴスだ。砂漠化したモンゴルの草原のような場所の緑化につなげたい」と話している。
■この芝が固有種で、この若草にしか自生しないこと。そして、鹿の存在を前提にしていること。私には自然科学的なことはわかりませんが、事実だとすれば、これはとっても面白いことだと思います。記事には出てきませんが、奈良の鹿は特殊な存在です。古来より春日大社の神使とされています。春日大社が創建されるさい、茨城県にある鹿島神宮の祭神・武甕槌命が神鹿に乗ってやってきたと伝えられています。宗教的な存在でもあり、人びとは、この鹿を大切に扱ってきました。であれば、鹿と芝の共生には、このような古来より続く宗教や信仰の存在も同時に関連づけて考えられるべきだと思うのです。もし、宗教的なバリアがかかっておらず、他の地域のように鹿が狩猟の対象になっていたのであれば、おそらくは、若草山はまったく異なる植生の山になっていたことでしょう。若草山は、比較的シンプルながら、長い歴史のなかで生態系と文化が複合化してできあがったシステム(生態学者の川那部浩哉がいう「生命文化複合体」)として捉えることができるのです。
■さて、それはともかく…です。山頂からの風景を写真でご覧ください。すばらしい風景です。ここは、「新日本三大夜景」のひとつにも選ばれています。もう少し暗くなるまでまてば、その美しい景色を眺めることができたのかもしれませんが、山頂はけっこう強い風が吹いており、10分程はいましたが、寒さにまけて退散することになりました。
奈良県人会で蟹
■龍谷大学には、教職員の「奈良県人会」があります。私のように出身は兵庫県神戸市でも、現在奈良に住んでいる人もOKというとっても優しい県人会です。ちなみに、「奈良県人会」以外にも、「滋賀県人会」という大きな県人会があります。琵琶湖のある滋賀県ですから、「淡水会」という名前もついています。和歌山県出身者が、この「淡水水」に対して「海水会」という県人会をつくった…という話しも聞きました。ということで、奈良県人会に所属してはいますが、出身地が兵庫県(神戸市)であることから、何人かの仲間と職場の皆さんに呼び掛けて兵庫県人会もつくりました。昨年つくった、できたてホヤホヤの県人会です。こういう県人会、最近の若い人にはあまり流行らないのかもしれませんが、私は、職場の人間関係がとっても豊かになるように思っています。特に仕事の話しをするわけでもないのですが、アフター5にふだん部署の違う人たちが集まって飲食をしながらおしゃべりをしていると、なんだかとってもリラックスできます。
■奈良県人会は、年に4回ほど開催されます。先週の土曜日は、忘年会のシーズンにあわせた奈良県人会でした。今回は、京都にある「TAIZAR」(タイザー)というダイニングバーで開催されました。この「TAIZAR」は、丹後にある「間人」という地名からきています。「間人」とかいて「タイザ」と読みます。じつは、こちらのお店のシェフの故郷なのだそうです。お店ホームページには、以下のような説明がありました。
「TAIZAR」とは・・・
オーナーの愛する故郷の地名
京丹後市の間人(たいざ)が由来です間人(たいざ)とは、聖徳太子の生母、穴穂部間人(はしうど)皇后の名前から由来しています。間人(はしうど)皇后はその昔、「大浜の里」といわれていた当地に蘇我・物部氏の戦いの最中、この内乱を避けるため由良川を下り丹後(大浜の里)にその身を移して来ました。
丹後町に今も残る間人(たいざ)の地名は、間人(はしうど)皇后がこの地を去る(退座(たいざ)する)際に、間人(はしうど)の名前を使うことを許したことに由来しているとされ、『大浜の里にむかしをとどめてし間人(はしうど)村と世々につたへん』という歌を賜ったと伝えられています。
尚、間人(はしうど)皇后がこの地に滞在された間の館は、「御所の坪」と言われ、東山公園(間人(たいざ)・岡成地区の山中)の辺りではなかったかと言われています。
■「間人」は、蟹で大変有名なところです。ということで、「奈良県人会」のお料理のなかにも、「間人蟹」がありました。焼き蟹です。とっても甘くて美味しい蟹でした。陶板に塩をしきつめ、その上に蟹をならべて蒸し焼きにするのです。いや~素晴らしいお味でした。また行きたいお店です。ところが、来年の1月28日で閉店されるのだそうです。なんだか、残念です。といいますか、閉店前にお店にくることができて幸せでした。