「関オケマスタリー会」

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▪️昨日は、関西学院交響楽団のOB・OGの集まり、「関オケマスタリー会」でした。「関オケ」とは関西学院交響楽団の通称です。開催されたのは、関学会館です。私が現役の頃は、まだこの建物はありませんでした。会の名前は、関学のスクールモットーである「Mastery for Service」からきているのだと思います。「身につけた能力や知識を自分のためだけに使うのではなく、世のため、人のために活かす(自己練達と自己犠牲・奉仕の結合)」という意味です。

▪️私はよくわからないうちに、この集まりのメンバーになっていました。古希前の私ですが、この集まりの中では若手です。年配のOB・OGの飲み会…と思ったら、先輩達のコーラス、後輩によるデュエット、そして現役生による演奏も行われました。もちろん、飲みましたけど。私は飲むだけ。最後は、2つ上の先輩、長年、中高一貫の学校で、地理の教員をされていた先輩の、インドにかんする講演でした。盛りだくさんでした。この先輩、現役の時はコントラバスを演奏されていました。教員になってからも市民オーケストラに参加され、確か18年ほどオケで演奏されておられましたが、今は地域の市民講座の講師などをお勤めになりながら、ピアノを演奏されています。

▪️みなさん、それぞれいろいろ考えて、老後を過ごされています。今日、一番年上の方は、昭和31年のご卒業でした。おそらく、90歳を超えておられます。91歳か92歳。車椅子で参加されていました。お元気です。一番年上の方と現役生では70歳ほど年齢が離れています。しかし、この上ヶ原キャンパスで音楽に取り組み、音楽を楽しんでいることは今も昔も同じですね。

懺悔

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20261007soba-kishimen3.jpg▪️日曜日、大垣駅に着いて昼食を摂りました。蕎麦屋「さらしな」さんへ。大垣は、水の都です。こちらのお店は、自家製の井戸水(湧き水)をふんだんに使った名物「水そば」が有名です。期間限定なのかな。美味しくいただきました。蕎麦も糖質があります。うどんよりはGI値が低いわけですが…。今日は自分に許すことにしました。2枚目の写真は「おしながき」。どうして東北の地図なんだろうと思いましたが、よく見ると「奥の細道」。松尾芭蕉が歩いたルートですね。そして大垣は旅を終えた「結びの地」でしたね。

▪️三重県からの帰宅時、近鉄で名古屋駅までもどりました。せっかく名古屋駅に来たのに通過するだけというのは辛かったです。禁断の糖質に手を出してしまいました。懺悔。

阿下喜界隈散策

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20261007ageki7.jpg▪️前回の投稿のように阿下喜で下車したあと、三岐鉄道北勢線の終点、阿下喜(あげき)の街を散策しました。三重県いなべ市北勢町の阿下喜は、江戸時代から昭和中期にかけて地域の経済・交通の拠点として大いに栄えていたそうです。ところが、その後モータリゼーションによって衰退していくことになりました。ところが、最近は、逆に「レトロな風情」(開発が行われなかった)を活かして、まちおこしで注目を集めているようです。古民家を改装したカフェや店舗があちこちにありました。駅の近くには、ヴィジターセンターもあり、親切にご案内いただきました。

▪️散策をした後、昼食は、ちょっと奮発しました。「Nord」というカジュアルなフレンチレストランを見つけて、「1人ですけどいいですか」と恐る恐る入りました。こちらは、古民家ではなく、新しい建物でしたが。予約がたくさん入っているようですが、入り口近くのテーブルならばとOKが出ました。前菜は、いなべ市で採れた野菜も使ったサラダ。自社製と言っておられました。このレストランを経営しているのは、株式会社松風カンパニーです。会社組織で、市と連携しながら阿下喜の街中にさまざまな古民家を活用した施設を開店させておられます。地域の食やカルチャーを発信する事業に取り組んでおられます。ここのフレンチレストランも、そのうちのひとつなのです。この日のメインは「”さくらポーク肩ロースのBBQ煮込み”〜クスクスと自家製パンと薪焼き野菜添え〜」です。こちらのお店、ガスを使わずに薪の火で調理されているようです。クスクスとパンは、糖質制限している身には辛いのですが、今日は自分に目をつぶることにしました。ちょっと集中して仕事を終えたところなので、自分へのご褒美です。

▪️昼食のあとは、阿下喜駅の近くにある「いなべ阿下喜ベース」に行きました。ここ、温泉もあるんですよ。この温泉にゆっくり浸かりました。宿泊施設もあります。まちおこしの拠点なのだと思います。頑張っていただきたいと思います。この施設の向こうに山が見えますね。この山の向こうは滋賀県です。車で移動すると、多賀町や彦根市になります。でも残念ながら、公共交通機関は動いていないので、阿下喜→桑名→名古屋→新幹線で京都…ということになります。仕方ありません。ぐるっと回って帰宅しました。

▪️三岐鉄道北勢線で桑名に戻るさい、「ナローはつづくよどこまでも」と書かれたポスターを見かけました。ネットで調べると、「三岐鉄道北勢線のナローゲージをテーマにした、東員町総合文化センターひばりホールで上演される住民参加型のオリジナルミュージカル」とのこと。地域が北勢線を応援していることがわかります。私が帰るころ、ちょうど高校生がたくさん乗って来ました。沿線の高校に通学している生徒さんたちですね。ただ、ネットで調べてみると赤字経営のようですが、沿線の自治体が支えているようです。大変ですね。でも頑張って欲しいです。滋賀県では、近江鉄道が同様の経営上の問題を抱えていますね。全国のローカル鉄道のこと、気になります。

三岐線北勢線

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▪️全国に3つしかないナローゲージ(レール幅がわずか762mm)鉄道の1つ、三岐線北勢線に乗って、終点の阿下喜まできました。もともと軽便鉄道です。大垣から桑名までは養老鉄道でした。養老鉄道では、養老山地の麓に続く連続する扇状地の斜面を横移動して独特の地形を楽しみました。こちらの三岐線北勢線では員弁川が削り残した大地の段差、河岸段丘の緻密な地形を楽しみました。できるだけ、水平に走るためには、河岸段丘をウネウネと走っていくことになります。特に、この北勢線の後半の部分です。1両目の運転室の斜め後ろからずっと前の景色を眺めて、そのウネウネを楽しみました。私は古希前のおじいさんですが、心はウキウキです。鉄道好きの少年のようですね。鉄道の楽しみ方としては、王道からかなり外れますが、これはこれでアリなのかな。一応、私は社会学に分類される人なんですが、今日は地理学っぽいです。

▪️写真の1段目右と2段目左について少し説明します。これは転車台です。この転車台とは、終着駅などで列車の方向転換するためのものです。もともとは別の駅のそばにあったようですが、阿下喜駅が新しくできたとき移設したようです。駅の北側にあった製材所から引込線が北勢線の本線と直行して設けられて、製材所で材木を詰んだ貨車を転車第まで人力で推し出し、転車台で90度方向転換をして本線へ合流させていたそうです。これ、現地にあった解説板からの引用です。

▪️写真2段目左。北勢線の前身である北勢鉄道が1931年(昭和6年)の阿下延伸ならびに殿下に合わせて製作した「モハニ50型電車」6両の内の最後の1台だそうです。これも現地にあった解説板からの引用です。

養老鉄道と「西桑名第2号踏切」

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▪️岐阜県の大垣でのイベントの後、大垣で1泊しました。朝、まずは養老鉄道に乗って大垣から桑名まで移動することにしました。大垣を出発してしばらくすると、線路は養老山地の方に大きくカーブします。養老山地の麓には複合扇状地があり、何本もの川が作った扇状地が連続してつながっています。養老鉄道は、そこを横に進んでいくのです。独特の地形と景観を楽しみました。また乗りたいです。以下は、帝国書院の教科書からの引用になります。

岐阜県の養老山地山麓にみられる扇状地は、標高150m付近の扇頂から標高10m付近の扇端まで、東に向かって傾斜している。

扇央では、川は表層水のみられない水無川となる場合が多く、伏流した水は扇端で湧き出す。扇状地の大部分を占める扇央は、水の確保が難しいために開発が遅れていたが、その後、畑や桑畑などに開発され、より収益性の高い果樹園などに切り替わっていった。一方、水の確保が容易だった扇端付近には早くから集落が立地し、水田が開かれてきた。洪水時の氾濫に備え、扇状地の川の流路を人工堤防などによって固定すると、土砂が河道に堆積し、天井川化する。この地図中の小倉谷でも、河道の下をくぐる鉄道や道路などのトンネルを3か所確認できることから、天井川が形成されていると判断できる。

▪️桑名に到着したらすぐに、「西桑名第2号踏切」へ移動しました。まあ、ここは鉄道ファンには「聖地」の類だと思います。三岐鉄道北勢線のナローゲージ(レール幅が762mm)、JRの狭軌(1,067mm)、近鉄の標準軌(1,435mm)、3つのレール幅の違う鉄道を一度に見ることができるのです。はい、とても喜びました。まず北勢線の電車が通過し前に進むと、今度はJRの踏切でストップ。渡ると今度は近鉄の踏切でストップ。はい、楽しめました。このあと三岐鉄道北勢線に乗り、終点の阿下喜まで行きました。当初は、四日市あすなろう鉄道も楽しむ予定でしたが、昨晩の懇親会と二次会で体力を消耗してしまったので、この日はこの北勢線の往復&阿下喜の観光を楽しんで、滋賀に帰りました。当初は、帰りは関西本線、草津線、琵琶湖線、湖西線で帰宅する予定でしたが、名古屋経由で新幹線で京都まで帰りました。軟弱者です

岐阜県大垣市でのイベント「ゆるくいこうう! まちのすきまと 本のある場所から」

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▪️既成の、制度化され固定化された「図書館」という概念を解放する。解放することで(ゆるくしていくことで)、いろんな人たちが集まり交流する場が生まれてくる。いろんな方達の居場所(すきま)が生まれる。陽キャの人も陰キャの人も。良いイベントでした。懇親会、二次会も楽しみました。この日集まったのは、「まちライブラリー」、「みんなの図書館」に取り組んでいる、あるいは関心のある皆さんです。この世界の「スーパースター」のお3人に会えるということで興奮されていたように思いました。そのことが、私には興味深かったです。

▪️「スーパースター」のお3人は、それぞれ個性豊かな方達です。吉成信夫さんとは、私が岩手県立大学総合政策学部に勤務しているときからの知り合いです。私は、1998年4月から2004年3月まで県大に勤務していました。正確な時期は忘れてしまっていますが、どこで知り合ったのかもわすれていますが、とにかく知り合ってから20年以上経過しています。吉成さんと再会したのは、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」です。2023年1月のことです。その時の驚きをこのブログにも投稿しています。「大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」で奇跡の再会!!」という投稿です。この時、吉成さんの方から「脇田さんじゃないの!!」と声をかけていただきました。びっくりするとともに、ありがたいことだと思いました。このとき、この「利やん」には、「みんなの図書館」の発案者である土肥潤也さんも参加されていました。なにか、今回のイベントの伏線のような出会いだった気もします。

▪️吉成さんは、96年に家族で岩手に移住され、20010年に「森と風のがっこう」開校されました。また、2003年から2010年まで岩手県立児童館「いわて子どもの森」初代館長、2015年から2020年までは岐阜市立図書館長、2020年5月からは「みんなの森 ぎふメディアコスモス」総合プロデューサーに就任されています。現在は、岐阜市を退職され、全国各地で図書館にかかわる事業に関わっておられます。こうやってみると、吉成さんが手がけた事業には、すべて「森」が入っています。この「森」という言葉は、「多様な人が共生し、誰の居場所にもなる」という意味で使われているようです。ですから、吉成さんにとってみれば、誰もが頭のなかに重い、描く堅苦しい図書館ではなくて、本を中心に図書館は「森」であるべきだというお考えなのでしょう。今回のイベントでは、地元の書店さんも参加されて、「スーパースター」のお3人の書籍を購入できました。お3人とも頑張って営業モードも少し入って宣伝されていましたwww。吉成さんの本は『賑わいを創出する図書館』です。「開館9ヶ月半で来館者100万人を達成した『みんなの森 ぎふメディアコスモスの冒険」というサブタイトルです。通勤時に読み始めました。

▪️「スーパースター」の2人目は礒井純充さんです。礒井さんとは直接のつながりはなかったのですが、このイベントに参加する前に、東京の森ビルにお勤めの知り合いの方から、「私は昔礒井さんの部下で仕事を一緒にしていました。礒井さんによろしくお伝えください」と連絡が届いていました。というわけで、ちょっと無理やりかもしれませんが、間接的にはつながりがあったわけです。でも、研究室には、磯井さんの本が5冊もあります。礒井さんは、 1981年、森ビル株式会社に入社し「アーク都市塾」「六本木アカデミーヒルズ」などの文化・教育事業に従事されたのち、2011年に「まち塾@まちライブラリー」を開始されました。「まちライブラリー」の提唱者です。この「まちライブラリー」とは、利用者や参加者が本を持ち寄る(寄贈する)ことで始まります。そうやって本を集めて、本棚を「育てて」いきます。そして 本に「みんなの感想カード(メッセージカード)」を挟んで、寄贈者の想いや読んだ人の感想をアナログにつなげていくというところに特徴があります。自宅、カフェ、オフィス、病院、公共施設の一角など、オーナーがそれぞれのやり方で自由に無理なく運営できるところに特徴があります。そのことで収益をあげることはしません。

▪️「スーパースター」の3人目は土肥潤也さんです。静岡県の焼津市で、「みんなの図書館」の提唱者です。「みんとしょ」と呼ばれるのですが、このことについては、このブログに投稿しています。ぜひ「『みんとしょ』と『まちライブリー』のこと」をご覧ください。「みんなの図書館」は、「一箱本棚オーナー制度」を導入した私設図書館です。月額料金(本棚オーナー料)を支払った市民が、館内の一箱分のマイ本棚を借り、そこに自分の好きな本を並べて利用者に貸し出します。そうやって、自分を表現していくのです。そうすることで、人と積極的に話をするようなタイプでない方でも、関心を同じくする人たちとつながっていくことになります。そって棚のなかに手紙を置いたり、いろんなつながりが生まれてくる。そういう仕掛けです。

▪️礒井さんが提唱されている「まちライブラリー」も土肥さんが発案された「みんなの図書館」、共に本を手段にしながら、人と人のつながりが自然に生まれていく仕掛けですね。そこには、吉成さんのいう「森」が生まれることになる。素敵ですね。この「スーパースター」のお3人に刺激を受けたさまざまな活動が展開されているようです。「まちライブラリー」は、全国に約1300カ所以上広がっているそうです。「みんなの図書館」も急増していて、現在は、全国に130館以上あるようです。このような人のつながりのなかで生まれてくるのは、「何か人にしてもらう」ということでなくは、自分も当事者になり「何か人にしてあげられる」関係なのだと思います。takeではなく、お互いにgiveしあえる関係でしょうか。退職後は、自分自身も、このような活動に参加できるかもしれません。

2027年度「ポスター作成講座」

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20261003poster_workshop2.jpg▪️昨日、金曜日の2限は、「社会共生実習」でした。今年度も、京都大学の小野英理先生を講師にお迎えして「ポスター作成講座」を開催しました。小野先生、ありがとうございました。たしか、今回で7年目ですかね。毎年毎年、龍大生のポスター作成の技量の変化を見守ってくださっています。ありがとうございます。

▪️昨日は、他学部から工藤和也先生(経済学部国際経済学科)とゼミの皆さんもご参加くださいました。ありがとうございます。うれしかったです。学部の壁を超えて、学生や教員が交流できる契機をもっともっと作っていかないといけないと思っています。これからは、「学部単位」ではなく「キャンパス単位」で、教育にしろ研究にしろいろいろやっていく必要があると思っています。ちなみに、工藤先生は、龍谷大学新月会の仲間でもあります。

東高瀬川

▪️昨日は琵琶湖疏水沿いを歩きました。健康のためのウォーキングですが、京都は歴史のある街だけに、いろんなことが気になって勉強することになります。今日、朝、出勤時に大学の近くを流れている東高瀬川について、スマートフォンを使って調べました。このリンク先は、京都市役所の東高瀬川に関する解説です。

▪️この東高瀬川は、江戸時代に角倉了以が作った京都〜伏見間の高瀬川のうち、鴨川を横断した先(鴨川の南側)から伏見まで間をこの名前で呼んでいます。大正時代には舟運は廃止になり、昭和の時代に河川改修を行う時に、東高瀬川と名付けられたようです。通勤で使う京都市営地下鉄「くいな橋」駅から大学に向かう途中(スーパーマツモトの東側)に流れています。

▪️江戸時代は浅い川でした。水深30cm程度でした。水田が広がる田園風景のなかを流れる高瀬川(現在の東高瀬川)を、高瀬舟が荷物を乗せて行き交っていたのです。しかし、高度経済成長期以降、まわりが住宅地化されるなかで治水対策が必要になり、深い河川に改修されました。高瀬川は、木屋町あたりは風情がありますが、この辺りは、「特定外来生物」のミシシッピアカミミガメが甲羅干しをしていて、時折ヌートリアも見かけるような感じです。現在の風景から、かつての様子を想像するのは難しいですね。ということで頭の中でかつての風景を妄想しています。それはそれで、楽しめます。

▪️『高瀬舟』という小説があります。明治の文豪である森鴎外の小説です。恥ずかしながら、私はまだ読んだことがありませんでした…。ということで、「青空文庫」に入っているので、それを読んでみました。。江戸時代の京都・高瀬川を舞台に、「足るを知る」ということや「安楽死・自殺幇助」がテーマの作品のようですね。特に、後者は重いテーマです。弟を殺した(安楽死させた、自殺幇助した)喜助は殺人で捕まり島流し(遠島)になります。その喜助を高瀬舟で護送する同心が羽田庄兵衛です。この作品の中に次のようなところがあります。

その日は暮れ方から風がやんで、空一面をおおった薄い雲が、月の輪郭をかすませ、ようよう近寄って来る夏の温あたたかさが、両岸の土からも、川床の土からも、もやになって立ちのぼるかと思われる夜よであった。下京の町を離れて、加茂川を横ぎったころからは、あたりがひっそりとして、ただ舳にさかれる水のささやきを聞くのみである。

▪️「加茂川を横切った頃からは」とありますね。作品の本筋とはかなり遠く離れてしまいますが、この横切ったという部分に「おっ!!」と思いました。ちなみに、近代以前や明治・大正期、下流についても「加茂川」や「賀茂川」と表記することがあったようです。というわけで、鴎外も歴史的な響きや当時の慣習から「加茂川」の文字を当てたと考えられます。この小説を読み進めながら、江戸時代の高瀬川の様子を想像してみました。実際に歩いているので、小説を読んでも感じ方が違ってきているのなかなと思います。

▪️水深30cmしかない高瀬川を、たくさんの荷物を乗せて行き交う小舟ってどんな感じだろうと思いますよね。ということで、wikipediaのCreative Commonsにある著作権が放棄された写真をお借りしました。
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琵琶湖疏水沿いをウォーキング

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20261001sosui5.jpg ▪️今日は琵琶湖疏水沿いを歩いて京都駅までウォーキングしました。途中、師団街道の最後の方は、「ここは人が歩いてよいのかな…危険」という感じでしたが、なんとか塩小路通りまで辿り着き、そこからは京都駅へ。琵琶湖疏水沿いは、独特の景観がありますね。例えば、幾つもの古い橋。なんだか、風情があります。また遊歩道沿いに桜等の樹木が植えられています。かなり大きく成長している樹木も目立ちます。

▪️以下は、AIと一緒に調べた情報です。でも、AIは嘘をつきますからね。要注意。AIの調べたことを以下は、要約して書いています。

琵琶湖疏水沿いは、独特の景観があります。今日歩いたあたりの疏水は、1892〜94年にかけて舟運を目的に建設されました。京都の近代化のためのインフラとして整備されたわけです。その後、明治時代末から大正にかけて、疏水沿線各地で植樹が行われたようです。基本、景観整備ということなのでしょうが、中には土留め目的で桜が植えられたことも確認できるようです。そして、その後、深草一帯で桜が増えていった可能性があるとのことでした

▪️このあたりは、AI慎重ですwww。

1979年に塩小路下流の大規模改修が開始されました。1984年には、伏見地区の歩行者専用道路建設開始して、1988年に改修が完成したそうです。現在の「水路+遊歩道」という空間の基本形が成立したわけですね。

このような人間による整備とは別に、こういうことも知りました。疏水沿いに植えられた桜からすると陸側には住宅、道路、電線といった桜の成長とバッティングするものが多数あり、管理者によって剪定されるわけですが、疏水の方に枝を伸ばせば、競争相手も障害物も少なく、日光を確保できます。水面からの反射も利用できます。剪定する人も、危険性がなけれは伸びていく樹冠を剪定せずに、そのままにしておいた…のではないかということらしいのです

▪️AIが根拠としたネット上の資料を確認する必要がありますが、確かに、桜が満開の頃に疏水沿いの道を歩くと、気分がいいですからね。春の満開の時のために、このような剪定にしているのはそうかもしれません。おそらく、桜やその他樹木の成長に関する生物学的な事柄と、人間による(考えられた)剪定の結果として、この独特の景観が生まれているのでは…ということのようです。この疏水の植栽の管理は、京都市上下水道局 → 疏水事務所 → 委託された造園業者という流れの中で剪定も含めて行われているそうです。剪定の仕様書に、何か書いてあるのかもしれませんね。伏見区深草担当区長は、以前、私の大学院の授業を受けていた方です。聞いてみますかね。忙しいから、こんな個人的な関心事の相手はしてくれませんね、きっと。
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ムーミンのお土産

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▪️水曜日の2限に、旧カリキュラムの「社会学基礎ゼミナール」を担当しています。2年生後期に配当される演習です。3年生からは「社会学演習」(いわゆるゼミ)に配属されるわけですが、その事前準備をこの「社会学基礎ゼミナール」で行うことになっています。この「社会学基礎ゼミナール」を履修している1人の学生さんは、2年生の後期からフィンランドに1年間留学されていました。ということで2年生の後期に履修できませんでした。今年の夏に帰国したので、今は3年生になってある教員のゼミに配属されています。そうなんですが、卒業するために「社会学基礎ゼミナール」の単位を取得しなければなりません。

▪️「社会学演習」の方は、「社会学演習IA」(3年前期)、「社会学演習IB」(3年前期)、「社会学演習IIA」(4年前期)、「社会学演習IIB」(4年後期)と順番にグレードをあげていくのですが、そのフィンランドに留学していた学生さんは、「社会学演習IA」のときは日本にいなかったので、卒業するためには、来年「社会学演習IIA」を履修しながら、同時に、後輩の方達と一緒に「社会学演習IA」も履修しなければなりません。なかなか大変な履修になりますが、ご本人は大変成績優秀な方なので、難なく乗り越えていかれると思います。

▪️今日は、自分自身の研究のテーマに関して相談を受けました。卒論の指導は所属されているゼミの教員の仕事になるのですが、その方の邪魔にならない程度で、ヒントをさしあげることができたかなと思います。そのあと、背負っていたリュックをゴソゴソして写真のようなフィンランドのお土産を出して、私にくださいました。フィンランドといえば、ムーミン。私は、ムーミンに登場するスナフキンが好きなので、ちょっと嬉しかったです。スナフキンは紅茶らしいです。

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