「そだね〜♪」な研究集会

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■平昌オリンピック、日本女子カーリングチームの「そだね〜♪」は、共感をベースにしているように思います。共感の上で議論やコミュニケーションが展開していくわけですね。一方、何かにつけ「でもねー」で始まるパターンの場合、相手を否定し、シュンとさせたりガックリさせることで、自己の存在価値を誇示し、そのことで自己の承認欲求を満たそうとしているように思います。意識的に無意識のうちにの違いはありますが、相手を支配することに、優位に立つことに隠れた目的があるので(さらには搾取することに)、建設的な議論やコミュニケーションは展開しにくいわけです。その場合は、得てして権威主義的に振舞うことにもなります。どこか自信の無さやコンプレックスの現れでもあるわけですが、もちろんご本人はそのような自覚はありません。

■「そだね〜♪」と「でもねー」は、大きな分かれ道になると思います。以前に、朝日新聞のコラム(折々のことば)で哲学者の鷲田清一さんが、作家の高橋源一郎さんの言葉を引用されていました。「誰かを論破しようとしている時の人間の顔つきは、自分の正しさに酔ってるみたいで、すごく卑しい感じがするから」というものです。これはツイッターのツイートらしいのですが、このツイートとも関係しているように思います。この「すごく卑しい感じ」は「でもねー」と親和的です。ただし、自分で自分の卑しい顔は見ることはできません。自分以外の他人であれば、そういう卑しい顔を嫌という程見てきましたが…。「でもねー」に対抗するために、自分も「でもねー」に陥ってしまう危険性があります。

■「そだね〜♪」から始まるコミュニケーションを心掛けることは、「和顔愛語、先意承問」とつながっています。仏教の「大無量寿経」というお経には、「無有虚偽諂曲之心、和顔愛語、先意承問」とあることを学びました。「媚び諂いのような嘘偽りの心でなく、和やかな笑顔と思いやりのある話し方で人に接して、相手の気持ちを先に察して、その望みを受け取り、自分が満たしてあげる」という意味とのこと。お互いが「そだね〜♪」であれば、「和顔愛語、先意承問」なのかもしれない。しかし、相手を否定し相手を支配しようとする「でもねー」相手に、「和顔愛語、先意承問」だとどうなるのでしょう。仏教の教えは、こういう場合には、どう答えるのでしょうね。

■先週の金曜日のことになりますが、東京に向かいました。「地方創生時代の地域コミュニティ・観光資源管理を考える研究集会(第3回)」に参加するためです。前回、第2回に参加し、自分とは異なる見解や立場からの発言を聞いて、改めて自分自身の立ち位置を確認できました。「ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ」とは哲学者ヘーゲルの言葉です。哲学は現実の後に遅れてやってくるという意味です。その哲学の末裔である社会学も、遅れてやってくる上に、実証主義(ポジティビズム)の足枷の中で、現実と関わろうとします。そういう前提を持つ「知」が果たす役割、大いにあるとは思いますが、それとは違う形で現実と関わりたいと思います。前置きが長くなったけど、この研究集会にはそういう方も集まっています。

■第3回は、国立歴史民俗博物館の柴崎茂光さんから世界自然遺産に認定された後の屋久島のことについてお話しを伺いました。「地域に根差した地域研究・観光学の可能性について-フィールドでの違和感から-」というタイトルです。この地域の関係者であり研究者である柴崎さんがフィールドで心を痛めて悩まれてきたことに共感しました。外からの観光の眼差しに一方的に消費されていくかのような状況や、世界自然遺産となった結果、それ以外の価値が見えなくなったり失われていく過程、そしてそれらを時間をかけながらどう改善していけば良いのか、決して雄弁には語らない(偉そうに、賢そうには語らない)、むしろ自分の悩みを告白するかのような柴崎さんの語り口調にも共感しました。地域の関係者である柴崎さんのお話しは、世代を超えて将来世代にまで及びました。研究会の後は懇親会。そして二次会と続きましたが、司会進行の土屋俊幸さん(東京農工大学大学院)の進行も素敵なこともあって、基本的に「でもねー」ではなく参加者の「そだね〜♪」で柴崎さんの話題がいろいろ展開していくことになりました。こういう展開は素敵ですよね。この研究集会、当初3回は継続しようということになっていましたが、参加者の皆さんの意見で、現在のメンバーでさらに3回継続することになりました。

■翌日は、寄り道をせずにさっさと帰宅しました。新幹線の中でのお供は、宇野重規さんの『民主主義のつくり方』と、宮下直さんの『生物多様性の仕組みを解く』。宇野さんの本は再再読になります。そういえば、先週の「チャレンジ!オープンガバナンス2017」の審査員をされていたので、少しだけお話しをするチャンスがありました。宮下さんの本は、私のような素人にはわかりやすいものです。この2冊、私の中ではつながっているし、昨日の柴崎さんのお話しもつながってくるように感じられました。ふと気がつくと、新幹線は関ヶ原を越えて近江・湖東を走っていました。その風景に、強く春を感じました。

「チャレンジ!オープンガバナンス2017」公開最終審査会(琵琶湖の水草問題に取り組むプロジェクト(その11))

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20180319cog3.jpg■3月4日、東京大学浅野キャンパス 武田ホールで、「チャレンジ!オープンガバナンス2017」(主催:東京大学公共政策大学院「情報通信技術と行政」研究プログラム)最終公開審査が行われました。この日1日かけて、全国から集まった13チーム、そしてそれぞれのチームを支援する自治体からプレゼンテーションが行われました。チームは7分、自治体は3分のプレゼンテーション。私たち「水宝山(水草は宝の山)」のプレゼンテーションは9番目、13:40からでした。リーダーで、真野浜で民宿を経営されている山田英二さんがプレゼンテーションをされ、私は控えの質問対応要員として参加させていただきました。大津市政策調整部企画調整課の担当者の方も一緒に登壇されました。大津市政策調整部長さん、滋賀県琵琶湖環境部琵琶湖政策課の参事さんも応援に来てくださいました。ありがとうございました。

■結果として、賞はいただくことはできませんでしたが、最終選考に残ったということで「ファイナリスト賞」を頂くことができました。まあ、残念賞ですね。水草は湖底で繁茂しており、客観的なデータがオープンデータとして存在していません。問題の状況を客観的に把握することの困難さがあるわけです。そこが制約条件になっているなと思いますが、今後は、「水宝山」の活動が発展し、大きくの皆さんが参加される中で生み出される「社会的努力」や「社会的成果」をきちんとした数値データで示しつつ、それを社会的に共有していくような仕組みを作りたいと思います。

■公開審査会の後、3人の審査員の方達が、わざわざ私たちのところにやってこられて応援のコメントをくださいました。嬉しかったですね〜。ありがとうございました。次回の「水宝山」の会議では、滋賀で見守ってくれたチームの皆さんにきちんと報告をしておきたいと思います。また、最後まで支援してくださり、東京まで応援に来てくださった大津市役所、滋賀県庁の皆様にも心より感謝します。今回は、私たち市民グループの活動を契機に、大津市と滋賀県が組織の壁を超えて連携してくださっていること、本当にありがたいことだと思っています。引き続き、頑張って琵琶湖の水草問題に取り組みたいと思います。

■最後の写真ですが、大津市の「オープンガバナンス」の取り組みの中で知り合った方です。びっくりしました。研究熱心ですね〜。そして、今日の13チームのプレゼンテーションを、グラフィックレコーディングの技でまとめておられたのにはさらにびっくりしました。グラフィックレコーディングのことを、「グラレコ」っていうんですね。あちこちで、見かけるようになりました。年寄りは、なかなか新しい試みについていくことができません。

更新が滞っているうちに、春になりました。

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■最近、ホームページに併設したこのブログ、ほとんど更新できていません。いろんな方達から、読ませてもらっていますよと声をかけていただくこともあり、時々チェックしていただいている皆さんには、本当に申し訳ないと思っています。また、日々の出来事や備忘録の類ではありますが、いろんな話題でエントリーしていければと思います。よろしくお願いいたします。

■最近、知人のIT企業の社長さんから、こういう主張する方がおられるとお聞かせいただきました。facebookは自分のブランディングに活用したり人間性を伝えるツールとして使い、ブログでは専門性、つまり自分が専門とする知識や見解を情報発信するツールとして使うべき…というものです。そういう考え方があると知って、「そうなんだ〜、自分はそういうのはと全く縁遠いな〜…」と思うしかありません。まあ、仕方ありません。日々の出来事や備忘録の類ばかりのブログですが、お読みいただいている方がおられるということで、これからもこのスタイルでブログを更新していきます。

■最近、どうしているのか…。来年度に向けて、いろいろ予定が入り、手帳が黒くなってきています。先月は老人ホームに入所している老母の入院があり、その後も諸々の用事で少し疲れてしまっています。気分一新というわけではありませんが、先日、朝に時間があったので守山市の第1なぎさ公園に行ってきました。菜の花が満開なんです。例年、見頃は2月なんですが、どういうわけか今年は3月の今頃で満開になっています。冬が寒かったからかな。

■公園に着くと菜の花の香りが漂ってきました。花粉で大変な時期ですが、菜の花の香りを楽しみました(好き嫌いはあるでしょうが…ちょっと臭いという人もいるでしょうね)。菜の花畑の向こうには、少しだけ頂きに雪を残した比良山系が見えます。ここに来る方たちは、この風景を楽しみにされています。例年だと、雪で白くなった比良山系と黄色い菜の花の組み合わせを、皆さんは楽しまれるのだと思いますが、今年は雪はわずかになってしまいました。琵琶湖の南湖の周囲に暮らしている方たちからすれば、季節の風物詩のような風景なのかもしれません。足元に目をやると、土手にツクシが生えていました。
暖かい長閑な季節になりました。とはいえ、のんびりしていることはできません。新年度が迫ってきました。

第21回地球研地域連携セミナー「地域の底ヂカラ~結の精神が育むいきものの多様性」

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(諸々のことで心に余裕がなく、本文をアップすることができていません。もう少しお待ちください。)

第9回「びわ湖レイクサイドマラソン」

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■日曜日は、第9回「びわ湖レイクサイドマラソン」でした。大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」のランニングチーム、「チーム利やん」の皆さんと出走しました。レースは、ハーフマラソンと12km。このチームの雑用をこなす世話役係として、チームオーナーであるマスターの光山くんからは(なんちゃって)キャプテンを拝命していますが、レースについても「当然ワッキーはハーフマラソンの方やろ」との指示があり、練習不足ではありましたがハーフを走ってきました。

■成績は、ネットタイムで1時間56分50秒でした(公式タイムは1時間58分21秒)。男子50歳代の部では88位/236人中。なんとか2時間切りできました。最初は、結構調子が良かったんです。12kmあたりまでは、5分台前半/kmのラップで走っていました。しかし、13kmあたりからは5:30前後/kmにスピードが落ちてしまいました。さらに、15kmを過ぎてからガタッと崩れてしまいました。最後の方では、「チーム利やん」のチームメイト、7つ年上の原田逹先生にも追い抜かれてしまいました。原田先生、自己ベストおめでとうございます‼︎ 私はといえば、やはり練習不足ですね。心肺が最後まで持ちませんでした。前半は快調に走っていたのですが…。結果、自己ベストを出すことはできませんでしたが、それなりに満足しないといけません。以下は、手元の腕時計に記録したラップです。

3km16:32 4km5:15 5km5:11 6km5:10 7km5:27 8km5:03 9km5:16 10km5:19 11km5:15 12km5:16 13km5:37 14km5:38 15km5:30 16km5:39 17km5:59 —19km11:43 20km5:55 21km:6:24

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■「チーム利やん」には、私のような鈍足の市民ランナーだけでなく、様々なロードやトレイルのレースで入賞しているアスリートの方たちにも参加していただいています。そのようなこともあり、この「レイクサイドマラソン」では「チーム利やん」、それなりに有名です。毎回入賞者を出しています。今回も、入賞者はもちろん、年代別で優勝者が出ました!! 女性です。チームからは、これまで3回優勝者が出ていますが、今回は初の女性ということになります。素晴らしい。夏目泰子さん、おめでとうごいます‼︎ 夏目さん以外にも、2位、3位、4位と、アスリートの皆さんはチームの期待通り入賞されました。

■今回のレースでは、懐かしい再会もありました。2007年の春に卒業したゼミの教え子櫻井くん(脇田ゼミ2期生)が、ハーフマラソンに出場しました。混み合うスタート地点の5mほど先に櫻井くんがいました。「Ryukoku」と書かれたシャツを着ていました。彼は龍谷大学のラクロスチームのコーチをしており、シャツに「Ryukoku」と大きく書いてあったのです。もちろん櫻井くんの走力にはかなうはずもなく、彼は私よりも15分ほど早くゴールしていました。遅れてゴールした私を待っていてくれました。短い時間ですが、彼と少し話しをすることもできました。

■今回は、息子(ハーフマラソン)や娘婿(12km)も「チーム利やん」として走りました。そして孫のひなちゃんも応援に来てくれました。昨年のレースではお母さん(娘)のお腹の中からの応援でしたが、今回は、お父さん、叔父さん(息子)、おじいさん(私)が走るところを見て応援してくれました(実際のところは、なんのことやらわかっていないと思いますけど)。レース終了後は、大津駅前の居酒屋「利やん」で恒例の大宴会になりました。いつものように盛り上がりました。走った後のビールはもう最高です。途中からは、孫のひなちゃんも「利やん」にやって来てくれました。「利やん」デビューです。酔っ払ったお店のご常連が抱っこしようとしてひなちゃんを泣かしてしまうという出来事もありましたが、ひなちゃんにも「利やん」にきてもらえて、おじいさんの私としては、とても嬉しい思い出になりました。

■さて、このシーズンは、昨年12月の「ホノルルマラソン」(フルマラソン)と今回の「レイクサイドマラソン」(ハーフマラソン)で終わりになります。来シーズンに向けて、もう少し努力をしなくてはいけません。幸い、季節も暖かくなってきました。寒さにめげることもないと思います。目標の月200kmを実現したいと思います。

2004年の2月21日の送別会

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■自宅のリビングを整理していたら、懐かしい画像を焼いたCDが出てきました。2004年2月21日という日付になっています。岩手県盛岡市の街中の居酒屋で開催された、私の送別会の画像でした。私は、2004年4月から龍谷大学に異動することになっていたので、達人、所属していた岩手県立大学総合政策学部・地域政策講座の学生や卒業生が企画してくれたのでした。写真を見ると、地域政策講座の同僚だった教員の皆さんも2人写っています。

■この送別会、確かサプライズの企画だったように記憶しています。送別会の前に別の用事があり、私はその用事を済ませて、盛岡市内の中心市街地にある大きな駐車場に自分の車を止めて、その送別会の会場に向かおうとしていたのでした。すると、駐車場で、どういうわけか地域政策講座の卒業生と出会って驚いたりしたのですが、実は私の送別会のために集まって来ていたのです。もちろん、偶然にあったように卒業生たちは振舞っていました。しかし、サプライズということは、別の理由で盛岡の街中に出かけていたはずです。何か別の理由で私を呼んでいたはずなんですが…。その辺り、思い出せません。サプライズの企画をしてくれた卒業生が、現在は福岡県に住んでいるので問い合わせています(笑)。なんだか、申し訳ない。

■わざわざ、就職した愛知県から駆けつけてくれた卒業生もいました。おそらく、みんなは、私が感動して号泣することを楽しみにしていたと思うのですが、どういうわけか、この時は珍しく私は泣来ませんでした。サプライズでびっくりしすぎたのかもしれない。写っている学生や卒業生の皆さん、元気にされているでしょうか。ちなみに、14年前の画像なので、自分の画像を見て当然若いと思うわけですが(当時は45歳)、同時に、顔がぽちゃっとして締まりがないな…とも思います。また、岩手時代の皆さんにお会いしたいものです。

「生物多様性しが戦略の中間評価」

20180215biodiversity.png ■「生物多様性基本法」という法律があります。この法律に関して、環境省は、以下のように解説しています

生物多様性基本法は、生物多様性の保全と持続可能な利用に関する施策を総合的・計画的に推進することで、豊かな生物多様性を保全し、その恵みを将来にわたり享受できる自然と共生する社会を実現することを目的としています。平成20年5月に成立し、同年6月に施行されました。 本基本法では、生物多様性の保全と利用に関する基本原則、生物多様性国家戦略の策定、白書の作成、国が講ずべき13 の基本的施策など、わが国の生物多様性施策を進めるうえでの基本的な考え方が示されました。 また、国だけでなく、地方公共団体、事業者、国民・民間団体の責務、都道府県及び市町村による生物多様性地域戦略の策定の努力義務などが規定されています。

■この「生物多様性基本法」に基づいて地方公共団体・自治体が策定する、生物の多様性の保全及び持続可能な利用に関する基本的な計画、それが「生物多様性地域戦略」になります。この地域戦略については、「生物多様性基本法」や「生物多様性国家戦略」の中でも、その策定を推進して行くことになっています。滋賀県でも、2015年に「生物多様性しが戦略」が策定されました。以下は、この地域戦略を策定するまでの経緯について、担当する滋賀県琵琶湖環境部自然保護課では以下のように説明しています

滋賀県では、生物多様性の保全や持続可能な利用をめざした取組を推進するため、平成25 年度(2013 年度)と平成26 年度(2014 年度)の2年間をかけて、「生物多様性しが戦略」の策定を行ってきました。この戦略を策定する過程から多くの県民の皆さんに参加していただくため、平成25 年度(2013 年度)には、希少種保全、外来種対策、里山里地里湖、観光、事業活動など11 のテーマでワーキンググループを開催しました。また、平成26 年度(2014 年度)には、県内6か所でタウンミーティングを開催し、議論や意見交換を行い、平成27年3月に「生物多様性しが戦略」を策定しました。

■私は、この説明にあるタウンミーティングにファシリテーターとして参加しました。また、その戦略の内容を検討する「滋賀生物多様性地域戦略策定に係る専門家会議」にも委員として参加しました。国の法律や施策に方向付けられての策定ではありますが、様々なワーキンググループに参加された多様なお立場や考えの委員の皆さんのご意見が反映された、「滋賀県らしい」地域戦略になったように思います。滋賀県内の地域社会では、「守り」という言葉が使われてきました。例えば、「山の守りをする」「田んぼの守りをする」というような使い方をします。この「守り」という言葉を、この滋賀県の地域戦略では「人が自然を管理するという人間中心の考え方ではなく、自然の状態をよく見ながら、自然本来の力にゆだね、人間は必要な手を加える」というふうに捉えています。「自然を人の所有物として自由に扱うのではなく、預かったものと捉え、責任をもって次の世代に引き継ぐこと」が重要になってきます。滋賀県の「生物多様性しが戦略」では、この「守り」という言葉を大切なキーワードにしているのです。

■先日のことになりますが、自然保護課から、「生物多様性しが戦略の中間評価」がネット上にアップされたとの連絡が入りました。私は、策定時の専門家会議の後、「生物多様性しが戦略推進専門家会議」の委員に就任しました。この会議で、私たちは委員は中間評価について議論を行ってきました。「生物多様性しが戦略」では、平成62年(2050年)に向かって「滋賀らしい『自然とのかかわり』のあり方を発展させることにより、生きものと人とが共存し、自然の恵みから生み出される多様な文化が展開する社会が実現されている」ことを長期目標にしていますが、その長期目標のもとで、 平成32年(2020年)に向けての行動計画では3つの短期目標が設定されています。

行動計画
短期目標1 : 生物多様性の危機に対して、緊急の取組が実施されている。
短期目標2 : 社会経済活動における生物多様性の保全・再生への配慮の組み込みと、生態系サービスの持続可能な利用の取組が進んでいる。
短期目標3 : 生物多様性に関する県民の理解が深まり、各主体による生物多様性に配慮した行動が広まっている。

■「生物多様性しが戦略の中間評価」では、行動計画における数値目標等を用いて総合的に評価を行っています。滋賀県の生物多様性の現状を把握し、今後の取組に活かすこ とを目的としています。「生物多様性しが戦略」に限りませんが、政策の評価とはなかなか難しいなと思います。数値目標として設定されている指標の適切さも含めて、いつも悩むところが大きいわけです。もちろん、漫然と施策や事業進めるのではなく、こうやってチェックしていくことがとても大切なことなのですが、まだまだ色々工夫をしていかねばならないように思います。以下は、その中間評価です。ご関心のある方は、ぜひお読みいただければと思います。

「生物多様性しが戦略の中間評価」

「水宝山」の提案が「チャレンジ!オープンガバナンス2017」の最終公開審査の対象に!! (琵琶湖の水草問題に取り組むプロジェクト(その10))

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「水草」というカテゴリーの投稿をお読みいただきたいのですが、琵琶湖・南湖での「水草問題」に関心のある大津市民や大津市にある企業経営者の皆さんと、「水草は宝の山」(水宝山:すいほうざん)というチームを作り、琵琶湖辺へ漂着する水草の有効活用できる仕組みの構築を目指して活動しています。この活動に関しては、大津市役所、滋賀県庁の職員の皆さんに、行政の専門的な立場からの情報提供をしていただくなどの、ご支援いただいています。また、総合地球環境学研究所のプロジェクトとも連携しています。

■「水宝山」では、この度、東京大学公共政策大学院「情報通信技術と行政」研究プログラムが主催されている「チャレンジ!オープンガバナンス2017」に、大津市役所が課題として提示された「琵琶湖辺等への漂着する水草等の有効活用」に関して、アイデアを応募させていただきました。書類審査の結果、幸いなことに、全国から応募された59件の提案の中から最終公開審査の対象となる13件のうちの1つとして選ばれることになりました。ちょっとホッとしています。もちろん、私たち「水宝山」の活動の目的は、すでに書いたように、「琵琶湖辺へ漂着する水草の有効活用できる仕組みの構築」にあるわけですが、審査員の皆さんから評価をいただけたということは、チームにとって励みになります。

■「水宝山」、「COG2017」のこと、そのうちに、また関連情報を投稿させていただきます。

「卒業生との勉強会」(キャリアセンター主催)

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20180206setubun1.jpg■2月3日のことになりますが、深草と瀬田キャンパスで、「卒業生との勉強会」(キャリアセンター主催)が開催されました。私のゼミを昨年の春に卒業したKくんも、在校生に自分が勤務している職場や就職活動等についていろいろレクチャーしていたようです。キャリアセンターからは「Kくんがやってくるので、『勉強会』が終わった後の懇親会にぜひ出席してください」との連絡がありました。キャリア主任ではありませんが、せっかくですので私も出かけてみることにしました。そうすると、「勉強会」が終わったばかりのKくんにたまたま出会うことができました。ところが、「お父さんの代わりに地域の会議に出なくてはいけないので、懇親会は出られない」というのです。あら、残念ですね。でも、仕方がありません。地域の会議にも、お父様の代理出席ができるようになったんですね。チラリとでもKくんに会えてよかったです。

■懇親会では、「大津エンパワねっと」で指導した社会学部のHさんやDくんと会うことができました。病院のメディカルソーシャルワーカーや福祉施設の相談員として活躍している様子でした。もう卒業してから6年経つそうです。社会人として働き始めると、みんな大人になりますね。喋り方、話しの内容、表情、立ち振る舞い…。「大人の雰囲気」「大人のオーラ」があふれています。それから、指導はしていませんが、原田先生のゼミ生だったTさんが挨拶に来てくれました。「facebook上での原田先生とのやりとりをいつも拝見しています」とのことでした(そうか、油断できんな…)。Tさんは鉄道会社に勤務されているそうです。そのうちに車掌や、試験に受かる必要がありますが運転士の仕事もやるのだそうです。わたくし、少し「鉄」が入っていますので、「おっ!すごい」「かっこいい!」と思ってしまうわけですけど(^_^;。短い時間でしたが、卒業生の皆さんと交流できました。教員は、卒業生と会って話す機会がもっと必要ですね。今日は、そう思いました。ゼミの同窓会は時々卒業生が開催していますが、学部単位でもっとこういう機会があればと思いました。

■帰宅後は、節分ということで恵方巻きをいただきました。いつから恵方巻きなんて言い出したのでしょうね。ここ20年ほどのことだと思うけど、すっかり定着したみたいです。いつもは買っているんですが、今年は我が家で恵方巻きを作ってくれました。海鮮の太巻きです。カットしてあるのは、海鮮抜きになります。海鮮の太巻き1本をいただくと、もうお腹いっぱいになりました。

「ヨシ条例ができた経緯」(小谷博哉)

20180202ryuikigovernancetohananika.pngILEC(国際湖沼環境委員会)という機関があります。滋賀県草津市の烏丸半島に施設があるのですが、そこは、私が以前に勤務していた滋賀県立琵琶湖博物館の向かい側になります。ちなみに、この組織の目的ですが、「世界の湖沼環境の健全な管理とこれと調和した持続的開発の在り方を求めて国際的な知識交流と調査研究推進を図る」ことにあります。そして、「湖沼環境問題に関する世界中の著名な研究者、政策・計画の専門家からなる「科学委員会」を有し、その助言のもとに活動を行っています」。

■ちょっと前のことになりますが、「ヨシ条例ができた経緯」という文書を読むチャンスがありました。上記の国際湖沼環境委員会と滋賀大学や滋賀県立大学が連携推進機関として実施している「流域政策研究フォーラム」で2011年に発行した報告書に収められていました。筆者は小谷博哉さんです。滋賀県職員として「第1回世界湖沼会議」開催や「滋賀県琵琶湖のヨシ群落の保全に関する条例」(ヨシ条例)など、環境政策に関わって仕事をされてきた方です。2013年05月13日に74歳でお亡くなりになりました。過去の琵琶湖の環境政策に関して、いろいろお話しを伺いたかったのですが、とても残念です。その小谷さんが執筆された「ヨシ条例ができた経緯」は、2ページほどの短い文章です。報告書の中の第5章「琵琶湖の湖沼流域ガバナンスの変遷、その評価と課題」の最後に収めれています。少しその内容について紹介したいと思います。

■小谷さんによれば、日本の法文上「生態系」という用語が使われたのは1993年に施行された「環境基本法」が最初になるそうです(同法第14条第2号)。しかし、その1年前の1992年に滋賀県が制定した「滋賀県琵琶湖のヨシ群落の保全に関する条例」の前文中には、すでに生態系という用語が登場しているというのです。以下は、この条例の前文です。

琵琶湖は、その営々とした自然の営みの中で、様々な人間活動を支え、私たちに限りない恩恵をもたらしてきたかけがえのない資産である。

この琵琶湖が、近年、集水域の都市化の進行などにより水質の改善が進まず、その保全と利用が危惧される事態にあり、私たちとのかかわりも、新しい段階を迎えている。

県民すべての願いである 碧琵琶湖を取り戻すためには、今日までの湖に流入する汚濁の原因となる物質を削減する努力に加えて、湖自身の健全な自然の営みを重視し、その維持と回復に努めることが求められる。今一度、私たちも自然界の一員であるとの認識に立ち返り、県民一人ひとりが、自然にやさしい暮らしを心がけ、自然の生態系の仕組みに目を向けていかなければならない。

その第一歩として、自然と人との共生を目指していく私たち滋賀県民の琵琶湖の保全活動として、湖辺のヨシ群落の保全を進めるものである。

水辺に広がるヨシ群落は、湖国らしい個性豊かな郷土の原風景であり、水鳥や魚の大切な生息場所である。また、湖岸の浸食を防止し、湖辺の水質保全にも役立つなど優れた自然の働きを有している。

ヨシ群落の保全は、琵琶湖を代表する自然を守り、水辺の生態系の保全を図るのみならず、私たちの心の支えである湖国の風土や文化を守る大きな意義を持っている。

私たちは、今後も、それぞれの役割を一層果たすことに努力し、一体となって琵琶湖を守り、美しい琵琶湖を次代に引き継ぐための新たな取組の出発点として、滋賀県琵琶湖のヨシ群落の保全に関する条例を制定する。

■今から読むと当たり前のことを書いているように思えますが、当時は、そうではありません。注意深く読めばわかりますが、この条例ができる以前、環境政策で重視されていたのは、琵琶湖の富栄養化を防止するために周囲の河川から流入する汚濁源の物質をどのように削減するかということだったからです。そのための政策的手法は、下水道を普及させることになります。実際、滋賀県の下水道の普及率は、開発着手時では2.6%ときわめて低い数値でしたが、大幅に普及が進み、平成12年度末(2000年度末)で全国平均を上まわりました。膨大な社会的費用を投入しているわけです。この下水道の普及によって、富栄養化を抑制することができるようになりました(もっとも、下水道という技術システムに私たちの暮らしが組み込まれることのマイナス面を指摘する指摘もあります)。しかし、条例の前文では「物質を削減する努力に加えて」とあります。それだけでは、足らないという認識が背後にあります。

■小谷さんの文章の中では、そのことも説明されています。巨大国家プロジェクトである琵琶湖総合開発により、「琵琶湖周辺は急速な変貌にさらされつつあり、滋賀県は同事業に関わって提訴された琵琶湖訴訟の被告の一員としての立場はあったものの、稲葉知事以下県政の趨勢は琵琶湖の生態系保全の在り方を真剣に探りつつあったが…」。当時の滋賀県知事は稲葉稔知事です。稲葉知事は、ある研究者の仲立ちで、海外のヨシ保全に詳しい研究者と会談を行い、琵琶湖のヨシ保全についての検討を始めるように命じたのです。曖昧な表現ですが、この当時、少しずつ環境政策の「潮目」が変化していくことがわかります。

■県行政としてヨシ群落を保全していくためには、条例の制定が不可欠です。その条例の制定権は県議会が持つことになりますが、当時の県議会では、ヨシ群落を保全するための条例については、否定的な意見が大半だったといいます。小谷さんの記述から引用すると、「そんなヤクザ草を守ることになんの意味があるのか?」「減反政策がすすめられている現在、休耕田にヨシの根が侵入してくれば田地の回復が困難になる」、「雀の巣になってイネを荒らされてはたまったものではない」等々。今からすると、驚くような発言ですが、かなり反発が強かったことがわかります。で、どうしたのか。その時期、県議会からは散在性のゴミに対応する条例制定が発議されていました。この散在性のゴミとはどのようなものなのか、小谷さんの記述からはよくわかりませんが、一般的には、あちこちにポイ捨てされているゴミのことかと思います。それを条例で規制するとしても、具体的な対応策は困難です。小谷さんによれば、「県行政当局は制度的な対応が困難であるとして議会と厳しく対立していたので、ごみ条例の策定とのバーターによってやっとヨシ条例の制定にこぎ着くことができた」のだそうです。そうか、バーターだったのか…。

■もう1つの問題は、国との協議です。以下は、小谷さんの記述です。

いま一つネックとなったのは国との協議であった。1984年に制定された湖沼水質保全特別措置法は当初湖沼環境保全法として発議されたのであるが、当時の建設省が湖沼流域にまたがる法制度は建設省の所管であるべきとの強硬な意見により水質保全に特化した法制度になったといういきさつもあり、調整がかなり難航したのであるが、1992年夏にブラジルのリオデジャネイロで開催された国連環境サミットに向けて湿地の保全が大きく取り上げられてきたという国際的な背景もあり、種々条件付きではあったがこれも国の認めるところとなった。

■ここからは、水質を重視する国の湖沼政策との調整に苦慮されたことがわかります。条例の前文にある「今日までの湖に流入する汚濁の原因となる物質を削減する努力に加えて、湖自身の健全な自然の営みを重視し」という部分などはそうではないかと思います。「努力に加えて」というところが、当時に建設省へのひとつの「配慮」のように思います。以下は、国交省のホームページの中にある「下水道の歴史」の「現行下水道法制定以降」「水質汚濁防止行政の動き」についての解説から引用したものです。太字やアンダーラインの強調は、私によるものです。湖沼水質保全特別措置法だけでなく、その前後で建設省が進めてきた取り組みが水質や下水道を柱としたものであることがわかります。

昭和33年には公共用水域の水質の保全に関する法律(水質保全法)と工場排水等の規制に関する法律(工場排水法)の2法が制定されたが、排水基準の設定、違反者に対する措置などの規定は不充分であった。しかしながら、水質保全法において、工場排水と家庭下水の両方により汚濁している河川を対象として都市河川汚濁防止計画を定め、所定期日までに下水道処理場を建設し良好な処理水を放流することを求める規定が置かれたことは下水道にとって画期的なことであった。すなわち、都市環境の整備のみならず、河川の水質保全にも対応することが求められることとなった。

昭和42年には公害対策基本法が制定され、環境基準が定められるようになった。そして昭和45年の公害国会において水質汚濁防止法が成立し、水質汚濁に関する排水基準の設定や下水道が特定事業場として取扱われることになったこと等により、下水道の水質保全に果たす役割が拡大し、かつ責任が増大した。さらに昭和53年に、総量規制制度が導入されるなど、下水道が水質保全に果たすべき役割はいよいよ重要となってきた。また、昭和59年に、湖沼水質保全特別措置法が制定され、下水道が重要な施策として位置付けされている。平成5年11月には公害対策基本法に代わり、環境基本法が制定された。また、よりおいしい水・安全な水の確保が求められる中、平成6年3月には水道水源の観点に絞った水質保全を目的とする「水道原水水質保全事業の実施の促進に関する法律」と「特定水道利水障害の防止のための水道水源水域の水質の保全に関する特別措置法」が制定され、下水道事業の推進が生活排水対策の中心として位置付けられている。

■さて、この時期から、滋賀県の環境政策は、従来の「技術的解決手法」(例えば下水道による汚濁不可削減)、「規制的手法」(法や条例による規制)だけでなく、「経済的手法」を取り入れ、そして多様なステークホルダーとの協働により環境問題を解決しようとする「流域ガバナンス」の方向にも、少しずつ少しずつシフトして間口を拡大していくことになります。

■ヨシ群落の保全については、「ヨシが琵琶湖の水を浄化する」という言説がよく見られます。ヨシが水中の栄養塩を吸収するというのです。しかし、栄養塩を吸収するのはヨシに限ったことではありません。しかも、ヨシは生えている堆積物から栄養塩を吸収します。また、そのまま放置しておけば枯れて水中で腐敗します。このような有機物の腐敗は、水質を悪化させます。以前は、人がヨシを刈り取り利用し、ヨシ原には火入れをして新たなヨシが生えてくるようにしていました。それは、琵琶湖のためというよりも、自分たちの生活のため、生業のためにそうしていたのですが、そのような人が関わることが、結果として、琵琶湖の水質維持にも一定程度寄与していたと考えられます。それにもかかわらず、どうして「ヨシが琵琶湖の水を浄化する」という言説が流布しているのか。そのあたりの事情の一端は、時間を遡れば、「滋賀県琵琶湖のヨシ群落の保全に関する条例」が誕生した当時の環境政策を巡る状況にあるのかもしれません。では、ヨシ群落の保全に、どのような新しい視点を入れて行けばよいのか。今回とは別の投稿で述べたいと思います。

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