「調査・資料作成」に特化ししたAI、Gensparkを使ってみました。

▪️東京の大きな企業に勤務されている知人が、Gensparkを強く勧めてくださいました。facebookで、あるシンポジウムで話をするので、時間をかけてパワーポイントのファイルを作り疲れた…みたいなことを書いていたので、このGensparkを強く勧めてくださったのです。これは、ウェブ情報に基づいた「調査・資料作成」に特化ししたAIです。今度のシンポジウムでは、私が参加してきた市民活動やNPOの活動、そして国から支援を受けている農村ROMの活動についてお話しするのですが、そのような情報はたしかにウェブ上にありますからね。

▪️というわけで、Gensparkは、短時間でスライドを作成してくれました。AIってこういうことなのかなと実感しました。ネット上にしっかり情報があって、このスライドを使ってきちんと説明できる知識と能力がスピーカーにあれば、けっこう使えるのではないか、作業の時間を短縮できるのではないかと思いました。もちろん、まだ使い方がよくわかっていないので、なにか凡庸な内容ですし、修正が必要ですし、写真や模式図等も付け加えたりしないといけませんが。そういう細かなことについてもオーダーできるのかもしれません。

▪️ただ、学生さんが安易に使ってしまうと、大火傷をしてしまいそうです。できあがったスライドの意味がわからずに、また著作権等についてもよくわからずに使ってしまうと、自分自身の評価を下げるだけでなく、下手をすると剽窃等になってしまいそうです。こういうAIのリテラシーをきちんと指導していく授業も大学には必要だと思います。私が知らないだけで、すでにそういう教育が龍大でも行われているのかもしれません。どうでしょうね。まだでしたら、早くに取り組んだ方がよいと思いました。AIの発展のスピードに教育の制度が追いついていないことが気になります。私は、あと1年ちょっとしか大学に勤務しないのですが。今日は、良い経験ができました。

▪️東京の知人からは、「使わないリスク>使うリスク」と言われました。あと1年で大学を定年退職する者と、ビジネスの世界で活躍する方とのAIに対する熱量の違いも感じました。

【追記1】
勤務している龍谷大学では、AIに関してガイドラインが示されていました。
「龍谷大学における生成AIの活用に関する学生向けガイドライン」の策定について

【追記2】Gensparkに関してはこのような評価を確認しました。
【2 危険】 Gensparkの安全性調査レポート

【全日本大学選手権準決勝】関西学院大学 vs. 関西大学|2025年11月30日【ハイライト】


▪️全日本大学アメリカンフットボール選手権準決勝、母校である関西学院大学は関西大学に大勝しました。関学大52―7関大です。決勝戦の甲子園ボウルに出場します。相手は、同じく関西の大学である立命館大学です。おそらく、現時点での、日本学生アメリカンフットボール界での最高の試合が行われることになるのではないかと思います。
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▪️さて、今日の準決勝ですが、関大側は、エースQB(チームの司令塔)が故障して途中から交代したということもあって、そして関学のディフェンス陣の頑張りもあって、思うように試合ができなかったのではないかと思います。それに対して関学は、今の関学の力を最大限に発揮して勝利しました。関西リーグでは17-17の引き分けだったので、さてどうなるかと少し心配をしていましたが、杞憂でした。しっかり相手を研究して準備をされてきたのですね。甲子園ボウルは、龍谷大学新月会(職場の関学出身者の同窓会)の有志の皆さんと応援をします。チケットも購入しました。関学ファイターズ、立命館を破って日本一に返り咲いてくれることを祈ってしっかり応援します。

▪️母校の勝利を喜んだあと、負けた関大の選手たちの気持ち、特に4回生の皆さんの気持ちのことを想像しました。試合が終わる前から、涙を流していた選手もおられました。悔しいのでしょうね。関学との対決のために1年間準備をしてきたのに、力を発揮できなかったことの悔しさだろうと思います。アメリカンフットボールは、あらかじめ敵チームを徹底的に分析して、その分析に合わせてどれだけ準備ができるかどうかが勝負のようです。エースQBが試合の途中で故障になり、交代で出場したQBは、本来はというか別のポジションも兼ねている人で、QBだけで練習してきた選手ではありません。プレッシャーも含めて、とても大変だったと思います。よく頑張ってくださったと感謝したいと思います。

▪️優れたRBもおられるのですが、本来の力を発揮できなかったように思います。負けた側にも、きっとすごい人間ドラマがあるのだろうなと想像しています。そのうちに、そのようなことも報道されるのではないかと期待しています。アメフトに全てを捧げてきた若者たち、負けたとしても、何かそこから獲得してくれていてほしいです。こちらは、試合の経過を報じる記事です

【追記】▪️ファイターズの71番は、OLの中西春貴さんです。大変残念なことですが、10月25日に病気で亡くなられました。まだ、21歳だと思います。そのことを以下のXへの投稿で知りました。

▪️中西春貴さんに関する新聞記事です

快晴の京都

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▪️今日は大学で仕事があり、8時40分頃に深草キャンパスに到着しました。写真は、仕事の合間にキャンパス内のある建物の北側から市内を眺めて撮ったものです。雲ひとつない快晴です。気持ちが良いです。このような気持ちの良い日は、街中を歩きたいのですが、そういうわけにはいきません。遠くに洛北の山々が、左手に京都タワー、そして右手には東福寺が見えました。写真にきちんと写っていますが、わからないかもしれませんね。

「愛土農園」で農作業

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20251129aido1.jpg ▪️今日は、朝10時から暮らしている新興住宅地に隣接する農村、仰木に出かけました。国の「農村型地域運営組織(農村RMO:Region Management Organization)」に採択された「仰木地域共生協議会」の活動の一環で農作業に取り組みました。あいにく、今日の参加者は少なく2人だけでした。私と同じく新興住宅地にお住まいのSさんです。

▪️今日の農作業は、タマネギの苗を植えることでした。協議会の会長さんからご指導をいただき、頑張って大量の苗を植えていきました。針金を縛るシノという道具がありますが、あのシノをマルチシートに空いている穴に突き刺して、少し穴を開けてそこに苗を植えていきます。簡単なことなんですが、なかなかコツをつかめませんでした。苗を3/2ほど植えた頃にやっと早く植えることができるようになりました。残りは別の仲間が明日植えてくださることになっています。タマネギの苗って、なんだか頼りない感じなんですが、これがだんだんしっかりしてきて、来春には美味しい玉ねぎが土の中にできる予定です。苗を植えた後は、ひとつひとつの苗にジョウロで水を与えました。頑張って美味しいタマネギになってねと願いを込めて水をやりました。

▪️この畑には名前がついています。「愛土農園」(あいどのうえん)といいます。このあたりの字名が「合土(あいど)」だったので、合を愛にかえて名称にしたというご説明を受けました。「集えるみんなが同じ土に触れ、種や名前を植え付け、収穫を心待ちする”交流農園”」なんです。理事長をしている特定非営利活動法人「琵琶故知新」も「仰木地域共生協議会」に参加していますが、こういった農作業に取り組む方達の交流が促進していくように、スマートフォンのアプリを開発して提供していくことになっています。今日は、しゃがんでタマネギの苗を植えていたものですから、少し腰を痛めてしまいました。

『家で幸せに看取られるための55のヒント』

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▪️定年退職1年前には研究室の断捨離。定年退職後は自宅の断捨離に励まねばなりません。できるだけ身軽になって、終活に励みたいと思います。そして、この本のタイトル通りになりたいと思います。ということで、まずは勉強させてもらいます。ただ、残念ながら、スピリチュアルな側面については、この本では触れていませんね。私は、スピリチュアルも大切だと思っているのです。浄土真宗では「後生の一大事」というそうですが、「死後の自分はどこに行くのか」という問題のことです。「死んだらそれまでなんだから、関係ないよ」と思われるかもしれませんね。私は、そう思いませんが。

▪️有名な精神科医の中井久夫さん、そして評論家の加藤周一さんは、人生の最期でカトリックの洗礼を受けられました。また、社会学者の吉田民人さんも仏教に相当傾倒されました。そういえば、学部生の時に農村社会学の講義をしてくださった余田博通先生も、病床でだったと思いますが、プロテスタントの洗礼を受けられたのではなかったかな。中井久夫さんは、洗礼を受けられた理由を尋ねられた時「べんりでしょ」とお答えになったとか。「死後の自分はどこに行くのか」という問題にイメージを与えてくれるという意味で便利なのでしょうか。私には詳しいことはわかりません。ただ、みなさん、自分の最期には、スピリチュアルな支えが必要だと判断されたのではないかと思います。想像ですけど。

▪️以前、在宅診療医の方とお話ししたことがあります。その時に、「お迎え」現象の話が出ました。亡くなる直前になると、すでに亡くなっている人があの世から迎えに来てくれるかのように感知する現象を、「お迎え」というようです。その医師のお話しでは、「お迎え」があった方達は、苦しまずに安らかに亡くなっていったと言っておられました。そして、それは何故なんだろうと私にも聞かれたのです。その時は、龍谷大学に勤務していたかもしれないけれど、まだ仏教のことをあまり勉強していませんでした。今だと、近代主義的・合理主義的な人でも、最期の最期は、自分が消えていくことに強い不安を覚えるのではと考えています。人間は弱い存在です。それが、「後生の一大事」なのかな。スピリチュアル的な面で明確なイメージをもつことは、「後生の一大事」を通過していくことを容易にするのではないのか、そのように思うのです。中井さんが「べんりでしょ」と言ったのは、そういうことなんじゃないのかな。どうやろ。

「Unknowing わからないままに響きあう」という展覧会

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▪️火曜日1限は「社会学基礎ゼミナール」です。教室は、深草キャンパスの慧光館の5階です。授業が終わって階段を降りていくと、1〜3階のフロアになりやら展示してあります。多くの学生さんは通り過ぎるだけなんですが、たまに足を止めてじっくり展示物を鑑賞されている人もおられました。展覧会が開催されていました。その展覧会では、様々な作品が展示されていますが、それらは「たんぽぽの家アートセンターHANA 」に所属する作家さんたちの作品です。写真の織物は、私が一番気になったものです。福岡左知子さんの作品です。すごく素敵ですね。

▪️展覧会の開催期間は、本日11月25日から12月25日まで。「Unknowing わからないままに響きあう」という展覧会です。以下は、概要です。

この展覧会は、”わかる”ことを目的としません。むしろ、“わからない”という状態にとどまりながら、それでも誰かと、何かと、共にいることの可能性を探ります。展示では、障害をもった人々による、あるいは彼らとともに生まれた作品を紹介します。それらは、アートに見えるかもしれないし、見えないかもしれない。そこには言葉にならない感覚や、説明できない魅力がある。わからないからこそ、思いやる。わからないままに、響きあう。ただ「いる」ことで、何かが共鳴する。作品と、そしてその向こうにいる誰かと、分からないままに響き合う体験が待っています。

▪️ちなみに、この展覧会の企画立案やキューレートされたのは、龍谷大学大学院を修了した松本拓さんです。偶然ですが、今日、慧光館から出たところで、その松本さんにお会いして立ち話をすることができました。松本さんが書かれた「”わからない”という状態にとどまりながら、それでも誰かと、何かと、共にいることの可能性」という部分に、私は強く共振しました。私のなかでは、帚木 蓬生さんのネガティブケイパビリティとか、アメリカの哲学者であるリチャード・ローティが哲学の役割は会話を継続させることであると主張したことなどと、強く共振しました。そのことを松本さんに伝えると、そのような理解に逆に共感してくださいました。

▪️世界から「”わからない”という状態にとどまりながら、それでも誰かと、何かと、共にいることの可能性」がどんどん失われて希薄になってしまっているからこそ、このような展覧会を通して、学生の皆さんもいろいろ感じてほしいなと思います。

『斜め論』

20251124nanameron.jpg▪️『斜め論 空間の病理学』の書評。何か困り事を抱えた人びと(他者)に、自分の側から関わっていく(他者へのケア)ときの姿勢。中井久夫さんのいう「ちょっとした垂直性」が気になりました。以前、環境社会学会の編集委員長をしているときに、学会誌『環境社会学研究』で「市民調査」という特集を組みました。その特集の中の蔵治光一郎さんの論文で、一般の市民による「市民活動」(環境調査)を、専門性からズレていて質問されてもちょっと自信がないぐらいの人が手伝うとうまくいって(市民は楽しみを優先している)、バッチリ専門性のある人が手伝うとうまくいかない(科学的な精度を求める)…随分前のことなので記憶が曖昧ですが、そのような話が論文の中に出てきました。きちんと確認していないんですけど。この「斜め論」、「ちょっとした垂直性」というのは、私の研究や実践の文脈では、そういうふうなことに重ね合わせて理解することになります。筆者には「違うよ」って言われるかもしれないな…。もっとも、この本の中に出てくる信田さよ子さんのお話のような迫力は、自分には全くありません。以下は、書評の中の一部。

しかし、臨床的な意味での治癒は、むしろ水平方向において、つまり他者との横のつながりの回復などによって起こるのではないか。このことは、中井久夫が統合失調症患者がその急性期から「共人間的世界(身近な他者との関係)」の再構築において回復に向かうとしたことにも通ずる。ただし中井は、治療者が権威的ではないやり方で患者を導くこと、つまり「ちょっとした垂直性」の必要性に触れていた、と著者は指摘する。
そう、水平方向はケアにおいて重要な意味を持つが、そこには平準化(横並びに埋没させること)に陥る危険も潜んでいる。垂直方向の批判から水平方向の全面賛美に向かうのではなく、「斜め」を目指すこと。ここに、ラ・ボルド病院の実践において垂直と水平の次元を乗り越えようとしたガタリの「斜め横断性」の概念が重ねられる。

ブロムシュテットさん


▪️昨晩は、NHKの「クラシック音楽館」で、ヘルベルト・ブロムシュテットさんが指揮をされた、ブラームスの2つの作品を鑑賞しました。「ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 作品83」と、「交響曲 第3番 ヘ長調 作品90」です。ピアニストは、レイフ・オヴェ・アンスネスさん。ノルウェーの方です。このピアノコンチェルト、きちんと批評することなど私にはできませんが、素敵な演奏でした。この方については、ここに詳しいことが書いてあります。ヘルベルト・ブロムシュテットさんともお若い頃から一緒に演奏をされてきたようです。このブラームスのピアノコンチェルトとともに、メインの交響曲3番も熱演でこれもとても素敵でした。98歳のブロムシュテットさんが椅子に座って指揮をされました。今は移動も歩行器が必要でお若い時の指揮のように身体は動かないのでしょうが、N響はマエストロの音楽的意図を十分に汲み取って演奏されたのではないかと思います。N響の団員の皆さんは感動されたでしょうね。98歳で、よく頑張って日本まで来てくださいました。心より感謝します。ブロムシュテットさんは、16年前に亡くなった父と同い年です。父も生きていれば、100歳近いわけですね。もう何十年も前のことになりますが、ブロムシュテットさんの指揮によるN響の演奏をTVでみていて、父は「この人は鷹のような顔しているな」とよく言っていたことを思い出しました。

目指せ甲子園ボウル


▪️昨日は、全日本大学アメリカンフットボール選手権の準々決勝でした。関西学院大学ファイターズと中京大学イーグルスが対戦しました。ライブ配信で観戦しました。結果は、母校関西学院大学が63―21で勝利しました。点数だけから見たら圧勝という感じなんですが、前半は中京大学が次々と「奇策」を繰り出してきて、関学側はなかなかすぐには対応できていなかったのでヒヤヒヤしました。今日は、中京大学側の攻撃で、ロンリーセンターというフォーメーションを初めて拝見しました。びっくりしました。こういうのがあるんですね。なんというか、実力が上の関学に対して、中京大学は、知恵を絞って、意表を突くような戦いで挑んでこられたわけです。

▪️解説のお一人は、かつてQBとして活躍された関学OBの小野宏さんでした。解説のなかで小野さんは、地方の大学と関西や関東の大学との差が縮まってきていると言っておられました。たしかに、中京大学はこの日のためにたくさんの種類の攻撃のパターンを用意して試合に臨んでこられたように思います。これも小野さんの解説ですが、今日の関学は対中京大学であらかじめ準備をする時間は全くなかったようです。アメリカンフットボールは、準備と作戦のスポーツですし、今日のような試合展開があちこちで見られるようになれば、ファンももっと増えるのではないかと思います。

▪️とはいえ、準決勝は、立命館大学と早稲田大学。それから、関西大学と関西学院大学の対戦ということになりました。関西の3強が出揃うことになりました。関東の大学にもっと頑張って盛り上げてほしいなと思います。とはいえ、私、個人はですが、当然、関西リーグ1位の関西学院大学が、関西リーグ3位の関西大学を大差で破り、決勝である甲子園ボウルでも関西リーグ2位の立命館大学を破って優勝して欲しい。あっ、立命館大学が早稲田大学に勝つことを前提としていますが…。

▪️ちなみに、準々決勝の東北大学と早稲田大学の対戦は、7対31で早稲田大学が勝利しました。

最近の「基礎ゼミナールB」

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▪️木曜日1限は、1回生の「基礎ゼミナールB」。このクラスで共通のテキストを決めてあります。『「日本」ってどんな国? ──国際比較データで社会が見えてくる』という新書です。その新書を時間をかけてじっくり丁寧に読んできました。この新書の存在は、同僚の教員のfacebookへの投稿で知りましたが、ご本人がおっしゃるには、別の同僚を通してこの信書のことを知ったとのことでした。

▪️全部で7つの章から構成されていますが、基本、毎週1つの章を取り上げてきました。学生の皆さんは、各自、あらかじめその章を精読して要約を提出することになっています。演習は、基本、グループワークで進めています。グループに分かれて、まずグループの他の学生さんがどのように要約しているのかをお互いに確認します。その上で、ひとつの章に書かれている内容に関して、感想を述べあい意見交換をしてもらいます。それぞれのグループの感想や意見交換の結果についても報告してもらいます。要約の提出も、感想や意見交換の結果の集約も、すべてmanabaというクラウド型の教育支援サービスを使って行なっています。だから、学生さんたちは、授業では新書とスマートホン(あるいはパソコン)を使って授業を受けることになります。筆者の指摘にハッとしたり共感したり、時には反発したり疑問を持ったり…いろいろな感想や意見が出てきますが、それらもすべてmanabaに残していきます。

▪️学生の皆さんは、こうやって時間をかけて活字に向かい合うような経験はしてこなかったようです。最初は、グループワークという形式に慣れていないせいか、どこかぎこちない雰囲気もありましたが、今はスムースに授業が進んでいるように思います。

▪️ 12月6日には、魚見航大さんが経営されている「革靴をはいた猫」を訪問し、お話を伺います。こちらの会社は、靴磨きと靴修理の会社です。「革靴という『手をかける文化』を通して、ひきこもりやハンディキャップのある方々が自らの意志で一歩を踏み出すチャレンジを後押しし、共に手を動かしながら学び合う実践の場」でもあります。普通の?!大学生だった魚見さんが、どのようなプロセスを経て学生時代の最後にこのような会社を起業されたのか。モヤモヤした気持ちを形にして行動にしていくことができたのか。学生さんたちの大きなヒントになればと思っています。また、定年退職前の私は担当しませんが、来年度から学生さんたちが履修することになる、「公共社会学」の授業にも関連づけていければと思っています。

▪️グループワークでは、たくさんの蓄積が生まれした。それらは全てmanabaに記録されています。それを元に、この新書に関して少し長めの書評を各自で執筆してもらうことになっています。冬休みの宿題になると思います。そして、その書評が、この基礎ゼミナールBの最終レポートにもなります。

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