社会共生実習「地域エンパワねっと」まち歩き

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20200711sate3.jpg■一昨日は地域エンパワねっと(龍谷大学社会学部・社会共生実習)で「まち歩き」を実施しました。この日は、JR瀬田駅を中心に一里山や月輪界隈を歩きました。月輪は、1667年に京都の六人衆によって新田開発が行われて誕生した地域です。京都の経済力を持った方達が膳所藩の許しをえて開発したわけですね。新しい農地と集落が誕生したところで、京都から氏神様をお迎えしました。分社ですね。分社とは新たに別の場所へ分霊(ぶんれい・わけみたま)を祀る神社のことです。京都の六人衆には大切な神社であった八坂神社の神様を分霊して、現在の月輪にお祀りされたわけですね。この八坂神社は、国道1号線沿いの森の中にあります。道路からは、少しわかりにくい感じですが、境内に入ると大きな樹木に囲まれた森の中(鎮守の森)にお社がありました。国道1号線を渡り月輪の集落の方に移動すると、この六人衆を讃える「新田開発発祥之地」の立派な石碑が建てられています。

■下の左写真。マンションが立ち並ぶエリアに墓地が広がっています。でも、これは逆です。元々、近くの農村(大萱)の墓地だった周りにマンションが建設されているのです。1969年に国鉄瀬田駅が開業しました。当時はJRではなく国鉄です。地元の皆さんが長年にわたって希望されていた駅がやって開業したわけです。そのことをきっかけにこの瀬田の地域は、住宅地として開発されていくことになりました。ただし、きちんと都市計画があらかじめ定められて、それに基づいて住宅地が開発されたわけではなく、水田や畑であった農地が少しずつ住宅地になっていきました。スプロール的開発と言います。そのため、住宅地に入ると道が曲がりくねっているところがたくさんあります。家々が込み入ってはいても、その向きはバラバラであったりします。また、道が行き止まりになっていたりもします。きちんと区画整理ができないまま、水田や畑であったところが住宅地になっていったためです。

■下の右の写真。道標です。これは、旧東海道と瀬田駅から龍谷大学瀬田キャンパスに向かう学園通りが交差するところの角にあります。寿司店の敷地の中にあります。おそらく店主さんが設置されたものだと思います。この道標にはこう書かれています。「三條大橋迄で五里余り」、「膳所藩札場より大萱港常夜灯に至る」、「江戸日本橋迄で百二十里余り」、「旧朝倉道信楽より伊勢・桑名に至る」。京都と江戸をつなぐ旧東海道沿いにあるお寿司屋さんの、この地域に対する誇りのようなものを感じます。

■今回のまち歩きのテーマは「1969年瀬田駅開業以降、開発により変化してきた瀬田の歴史を風景の中に読み取る」でした。ひとつの風景の中に、この地域の「履歴」が、まるで地層の積み重ねを見るような感じで感じとることが目的でした。万歩計の数字は10,000歩を超えていました。
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映画「マルモイ」


■ぜひ観てみたいのですが、時間あるかな。以下は、公式サイトから。

1940年代・京城(日本統治時代の韓国・ソウルの呼称)― 
盗みなどで生計をたてていたお調子者のパンス(ユ・へジン)は、ある日、息子の授業料を払うためにジョンファン(ユン・ゲサン)のバッグを盗む。
ジョンファンは親日派の父親を持つ裕福な家庭の息子でしたが、彼は父に秘密で、失われていく朝鮮語(韓国語)を守るために朝鮮語の辞書を作ろうと各地の方言などあらゆることばを集めていました。

日本統治下の朝鮮半島では、自分たちの言語から日本語を話すことへ、名前すらも日本式となっていく時代だったのです。
その一方で、パンスはそもそも学校に通ったことがなく、母国語である朝鮮語の読み方や書き方すら知らない。

パンスは盗んだバッグをめぐってジョンファンと出会い、そしてジョンファンの辞書作りを通して、自分の話す母国の言葉の大切さを知り・・・・。

第32回地球研地域連携セミナー「びわ湖の水草 市民がはじめる環境自治」


Part 1


Part 2
■第32回地球研地域連携セミナー「びわ湖の水草 市民がはじめる環境自治」の動画です。Part 2.の最後の方で特定非営利活動法人「琵琶故知新」からお話をさせていただいます。30分過ぎあたりですかね。私、好き放題話していますね。どうかご容赦を。でも、自分の気持ちをストレートに話させていただきました。「他人事を自分事として考えられる人たちが、少しずつ横につながって、支えあって…」。ありがとうございました。

ナガエツルノゲイトウ

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■今日は、大津市の真野浜に行きました。真野浜は、市民団体「水草は宝の山」(「水宝山」)の活動の拠点となる浜であり、まだ大ぴらっにはしていませんが、特定非営利活動法人「琵琶故知新」の「マイビーチプロジェクト」でも関わっていくことになっている浜でもあります。今日は、特定外来生物(植物)であるナガエツルノゲイトウが真野浜にも侵入してきたことから、その駆除について、真野浜で民宿を経営されているる山田英二さん、琵琶湖博物館の中井克樹さん(兼・滋賀県庁琵琶湖環境部自然保全課主幹)、県庁自然環境保全課の職員の皆さんと、現場を観察しながら相談してきました。ありがとうございました。中井さんや職員の皆さんから丁寧なご説明をいただきました。およそ駆除の方向性は確認できました。ただ、駆除はとても大変ですね。大変ではあるのですが、山田さんが代表を務める市民団体「水草は宝の山」の活動、特定非営利活動法人「琵琶故知新」の「マイビーチプロジェクト」の中で、ナガエツルノゲイトウの駆除に取り組んでいくことにしました。水際だけでなく、砂浜にも小さな矮性のものがけっこう根付いているんです。駆除というと、何か辛い気持ちしか湧いてこないように思われるでしょうが、前向きな気持ちになる工夫をしながら、取り組んでいこうと思っています。

■滋賀県庁琵琶湖環境部自然保全課では、毎年、琵琶湖の湖岸のオオバナ水キンバイやナガエツルノゲイトウ等の特定外来生物(植物)のモニタリングと駆除をされています。中井さんからは、これまでは緊急度の高い、水路、運河、河口、内湖等に繁茂する特定外来生物(植物)の対応に追われてきたけれど、やっとこの真野浜のように陸地に生えているものにも対応できるようになってきたとお聞きしました。ただ、行政だけで駆除できることなど不可能で、活動地域住民や市民と連携しながら力を合わせて駆除ができればとのご意見をいただきました。私たち「水草は宝の山」(「水宝山」)や特定非営利活動法人「琵琶故知新」の活動が、そのような連携のモデル的な活動になればと思っています。

■また、とても面白いことにも気がつきました。滋賀県庁琵琶湖環境部自然保全課のモニタリングによれば、山田英二さんが丁寧に熊手で掃除をされている浜からは、ナガエツルノゲイトウは見当たらないのです。ひょっとして、因果関係があるのではないかと思い、中井さんにお聞きしたとろ、熊手で撹乱していることが、結果として特定外来生物(植物)を定着させないようにしている可能性はあるというお話でした。里山が適度に人が手を入れることで保全されるように、浜も人が適度に手をいれることで(熊手による漂着した水草の掃除して撹乱すことで)保全されているのかもしれません。

MY HOMETOWN ~みんなに知って欲しい滋賀の魅力~


■素晴らしい動画ですね〜。

「 龍谷大学まちラボfan」の活動

■「龍谷大学まちラボfan」の活動を応援しています。龍谷大学の様々な学部の学生たちが参加しています。大津市の湖西にある新興住宅地「仰木の里」の皆さん、そしてそこにある2つの小学校の先生方と連携しながら、新たな活動を始めようとしています。ぜひ、この投稿をお読みください。

■この取り組み、元々は大津市からの呼びかけによって始まりました。昨年度までの2年間は、市からの助成がありました。また学内の地域連携を担当する部署(REC)が、学生研究員を募集し活動を支援してきました。しかし、市からの助成も終わり、今年度からは完全に自立した学生団体として活動を行うことになりました。元々学生研究員だったOBの皆さんのサポートもあり、順調に活動が進んでいます。今年度はコロナ禍で活動が思ったようにできないわけですが、Zoomを使ってミーティングや研究活動を積み重ねてきました。新たなメンバーも増えました。順調に進んでいます。

■facebookの投稿、転載します。

皆さま元気にお過ごしでしょうか??
龍谷大学まちラボFANのとんDです😁😁
久しぶりの投稿でワクワクしてます(^。^)
コロナ禍でなかなか外に出れず苦しい日々が続きましたね😢
4月から本学でもオンライン授業が始まり、
慣れない授業スタイルに日々困惑しておりました💦
これからの時代はアフターコロナとして生活様式や仕事のスタイルに変化がもたらされそうですね!
さてこのコロナ渦の状況ではありましたが
現在✨『9名』✨の新メンバーを迎え
週2回のzoomを用いてのオンラインミーティングを重ねておりました💻
そこで7月3日に
以前からお伝えしていたエディブル教育を基にした食育菜園を小学校で実現しようという取り組みについて
・仰木の里小学校校長先生
・仰木の里東小学校校長先生
・龍谷大学社会学部教授
・FANのメンバー数名
※自治連合会の方はご多忙のため後日議事録の共有という形で参加
を交えたオンラインでの合同zoomミーティングを自治連合会の協力のもとに開催致しました‼️
そこでFANのメンバーから両校長先生に向けて
これからのエディブル教育をもとにした食育菜園についてのプレゼンテーションをさせて頂きました🙇‍♂️
このエディブル教育をもとにした食育菜園を実現することにより、地域に『開かれたガーデン』を作ることができます😀
そうすることで
地域✖️学校✖️児童
の仕組みを作ることができ
地域と学校は子供たちと共に学びながら
地域のつながりを今より更に深いものにすることが期待できます✨✨
この食で学ぶ食育から
命の大切さや主体的に学ぶ力が養えると
とても質の高い教育を実現できるのではないかと思います‼️
世界を持続可能なものにしていくSDGsの
■目標4「質の高い教育をみんなに」
というところにも繋がっていますね😎
このプレゼンテーションから
両校長先生から質問や意見交換を頂き
これからのエディブル教育をもとにした食育菜園を実施する上での方向性や考えも共有することができました🤲
この実現に向けて両校長先生が興味を持たれ、真剣にお話を聞かれている様子がFANのメンバーとして非常に嬉しい思いでした😭😭
ご多忙の中ご参加頂いた両校長先生には
本当に感謝の気持ちでいっぱいです🙇‍♂️🙇‍♂️
今後のFANの役割は
エディブル教育をもとにした食育菜園について
保護者の方や児童、教員の方に向けて
この活動を普及していき
学生の若さとフットワークの軽さを生かし
菜園活動のお手伝いをすることで
地域に貢献していきたいと考えております!
何か一つでもFANに出来ることが有れば全力でお手伝いさせて頂きたいです😀😀
長くなりましたが
これからも仰木の里に対して
私たちが出来る一つ一つのことに取り組んで貢献していきたいと思っております🙇‍♂️
コロナに負けずに明るい未来に向けて
頑張りましょう💪
とんD

小谷みどりさんにお話を伺いました。

■今日は、 高橋卓志先生の「社会実践特殊研究(D)」(実践真宗学研究科)に「もぐり院生」として参加させていただきました。今日はゲストをお呼びしての授業でした。ゲストは、小谷みどりさん。とても刺激的な講義でした。小谷さんは大阪出身です。語るうちに、関西弁も入り、少し巻き舌にもなり、大阪のイタリア人のような感じで僧籍を持つ院生たちに厳しく問いかけられました。私には院生たちを崖に追い詰めるような雰囲気に感じられました。言い換えれば、若い僧侶である院生の皆さんたちに対して、大変厳しかったということです。もちろん、これは私の印象や解釈で、院生の皆さんがどう感じたかは別にして…です。

■実践真宗学のカリキュラムがどのようなものかまったく知りません。知らないにもかかわらず、ちょっと意見をさせていただければ、現代社会がどのように変動しつつあるのか、もっと知っておいた方がよいのではないかなと思いました。今日の小谷さんのお話、私の乱暴になりますが、次のような内容でした。超高齢社会と人口減少社会、そして多死社会へと急激に向かう日本の社会状況のなかで、宗教や葬儀の世界にも個人化と市場化がじわじわと浸透している。そのような状況のなかで、一般の人びとは仏教をどう捉えているのか、葬儀に対して何を考えているのか、若い院生の皆さんは、もっと現実を勉強した方がいいですよ。そして、実際の苦悩の現実、現場から、「発心」なさってください。そのようなお話に理解できました。院生の皆さん、頑張ってください。

■小谷さんご自身は、信仰をお持ちではありません。信仰はご自身の関心外ということになります。葬儀の市場化(サービス化)についても、現実問題として避けられないし、普通の人びとは、信仰や親鸞の教えなど別に求めていないとお考えかと思います。私は「もぐり」ですので、控えめにしていましたが、おそらく死後のことについても、小谷さんにとっては関心外なのではないでしょう。終末期の実存をどのように支えるのかという点に私は関心を持っていますが、そのような話は出てきませんでした。あえて、小谷さんは、リアリストで唯物論的なスタンスに立って発言されているように思いますが、その上で、目の前の人びとの苦悩にどう向き合うのか、「発心」するのか、そういうことについては大いに共感するところがありました。立場は違うけれど、エンパシーを感じました。もちろん、これは私の印象でしかないので、どこまで正確かはわかりません。「リアリストで唯物論的なスタンス」についても、私には、小谷さんはあえてそのようなスタンスで闘ってこられたのではないのかなと思いました。ここでは、闘ってこられた相手はどういう考え方なのか、どういう人なのか、書きませんけどね。

■今日の講義はもちろんオンライン。いろんなゲストに参加していただく時、オンラインは非常に役立つなあ。高橋先生、ありがとうございました。

■ところで、授業が始まるまえに、オンライン上で小谷さんにご挨拶をさせていただきました。その時、小谷さんから「没イチ」という言葉をお聞きしました。不勉強で知らなかったのですが、小谷さんの造語だそうです。パートナーを亡くした人のことを指します。小谷さんには『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』という著作もあります。小谷さんご自身が「没イチ」でいらっしゃることも知りませんでした。失礼しました。勉強不足です。

■「没イチ」の小谷さんは、長年勤務された第一生命経済研究所を退職されて、今はカンボジアで、私財を元にパン屋を経営しながら貧困問題の支援に取り組んでおられます。そのような貧困問題の現場で、カンボジアの僧侶たちがどのような動き方をされているのかも教えていただきました。小谷さんがお会いになったカンボジアの僧侶の皆さんは、いろんな能力や経済力を持った人たちをつないで、貧困に苦しむ人びとを支える活動をされているらしいのです。貧困という人びとの苦に向き合い、その苦しみを抜苦するためにまざまな力を持った人びとの力を、そして関係をデザインされているわけです。「人間ハブ空港」のような感じでしょうか。普段から、いろんな方たちとの関係をきちんと作り、磨いておられるように思います。また、この辺りのことをお聞きしたいなと思いました。

アジアで会う】小谷 みどりさん 『没イチ』著者 第292回 夫の突然死が導いた貧困支援(カンボジア)

UNDER WATER

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■Twitterで、たまたま、この「UNDER WATER」のことをを知りました。一級建築士のイノウエ ダイスケさんのサイトです。美しいです。「日本の川に棲む魚や生き物が好きです。少しずつ消えていく自然や、そこで暮らす生き物の姿かたちを写真や映像に残しています。子どものために京都の淡水魚図鑑を作ろうと奮闘中」…とのことです。このサイトの中にある「diary」では、次のように幼い頃のことを振り返っておられます。

図鑑、良いですよね。
今もですけど、暇さえあれば図鑑をながめている子どもでした。
特に乗り物図鑑と生き物図鑑はぼろぼろになるまで何度も何度も読みました。
今もこうして生き物と触れ合って楽しく暮らせているのも、家の本棚に図鑑があったからだと思っています。
いや、これ大げさじゃなくて本当にそう思ってます。

■子どもの時の経験って、とっても大切ですね。私の子どもはすでに30歳を超えてしまいましたが、幼い孫については、これからどんなふうに成長していくのかとても気になっています。子どが幼い時は、働いて育てるだけで精一杯でした。まあ、そのことはともかく、イノウエさんは幼い頃に夢中になった図鑑をきっかけに、今では本物の淡水魚の素晴らしい世界を大切にされています。その気持ちが、画像や動画に表現されているなあと思いました。今度は、ご自身のお子さんのためにこういった美しい写真や動画を元に図鑑を作ろうとされているのですね。親子とを通じて素敵なことが伝わっているように思います。素敵なお父さんですね。

■自分が子ども時代、高度経済成長の真っ只中でした。私が暮らしていたような工業都市の郊外の住宅街では、下水道が普及しておらず、家庭排水は川に流れ込んでいました。川は非常に汚かったな〜。とても近寄る気になりませんでした。子どもの頃は、生き物にあまり縁がありませんでした。虫取りぐらいかな。再び私が生き物に関心を持ち始めたのは、成人後もずっと後のことになります。以前勤務していた琵琶湖博物館の開設準備や学芸員の仕事を通じて淡水魚に関心を持つようになりました。淡水魚の世界、水墨画のようでもあり、美しいなあと思います。

■そのような「世界観」をイノウエさんは、美しい動画にもされています。

湧水河川につながる水路で泳ぐ魚

浅瀬で泳ぐオイカワ

カワムツの稚魚たち

琵琶湖流入河川の魚たち

小川で泳ぐオイカワの幼魚

特別展「ブッダのお弟子さん-教えをつなぐ物語-」 展示映像の公開について



■以下は、龍谷ミュージアムからのお知らせです。

龍谷ミュージアムでは、2020年4月18日~6月14日を会期として、春季特別展「ブッダのお弟子さん -教えをつなぐ物語-」を開催する予定でしたが、新型コロナウィルス感染拡大の防止の観点から、誠に残念ながらこの開幕を中止することとしました。
この度、出品作品のご所蔵者をはじめとした関係者の方々のご理解を賜り、展覧会の模様を収めた映像を作成いたしました。
展覧会は中止となりましたが、本映像を通じて、展覧会を楽しみにされてれいた方々に少しでも展覧会の内容、雰囲気をお伝えできればと存じます。
なお、本展の出品作品や各作品の解説、分かりやすいコラムをまとめた図録の販売も行っております。併せてお手に取っていただければ幸いに存じます。
【動画公開期間:2020年7月1日 ~ 8月16日】

■残念ながら特別展は中止になりましたが、図録を販売されているようです。お買い求めください。詳しくは、以下をご覧ください。
春季特別展「ブッダのお弟子さん-教えをつなぐ物語-」の図録販売について

「アフターコロナ好機に大学のデジタル革新が始まる。消える授業、残る授業」という記事

■Twitterで、「アフターコロナ好機に大学のデジタル革新が始まる。消える授業、残る授業」という日刊工業新聞の記事を読みました。科学技術部・論説委員兼編集委員の山本佳世子さんの記事です。この記事の最後は、こう締め括られています。

一部の大学では学生の多様な事情に対応すべく、同じ授業を対面とオンラインで展開する例が出ている。しかし教員の負担が重く、大学の経費もかかるだけに定着は難しい。「やはり対面中心に」という揺り戻しもあるとみられる。その中で「かくあるべきだ」の教育論だけでなく、デジタル技術で取得されるデータを活用し、学修者である学生本位の教育改革が進むことが期待されそうだ。

■山本さんは、コメントとして次のように述べています。

オンライン授業で認められる単位数が増え、大学設置基準で定められている学生収容定員に対する専任教員数の縛りは緩くなる―。この大変化は近いうちに確実に起こる、と私はにらむ。実際に今回のオンライン授業導入で、某一流大学の理系教養科目では、同じ科目を担当する4人の教員の実力差(優れているのは1人だけ)が明らかになってしまった、という話を耳にした。オンラインならその1人の教員で十分となるだろう。研究力評価で四苦八苦するのは理系教員が中心だったが、教育力評価で授業をみるとなると、数多い私立大文系教員にも大事で、「十年一日のごとく」の授業は消え去るだろう。学生本位の教育のためには、好機であるのは間違いない。

■オンライン授業が当たり前になると、対面式授業に伴う物理的な縛りを緩くすることになります。論説委員の山本さんが言っているように、教員は今ほど必要なくなる…のです。教員は選ばれることになります。さらに言えば、人件費は縮小していくことにもなります。ただし、オンライ授業を受講するたくさんの学生たちに、毎週のように学生にレポートを提出させて、ひとつひとつにコメントを入れていくような丁寧な指導をしていると、教員は大変なことになっていきますね。学生から見れば、ライブでの講義は別にして、オンディマンドであれば自分の都合のつく時間に講義を受けることができる。学びたい授業が、例えば、水曜日の2限に重なっていても、オンディマンドであれば問題ないことになります。

■大学の授業は講義形式だけではありません。演習や実習はどうしていくのか。ケースバイケースでしょう。慣れてくれば、ゼミもオンラインでできないわけではないことがわかりました。今も実際にやっていますけどね。学生によっては、こちらの方が自由に発言できるという人もいるのです。演習室という狭い部屋で20人ほどの学生がいると、その場が生み出す雰囲気に緊張する人がおられるのです。この辺りが、難しいですね。

■私立大学の文化系学部だと、普通に真面目に勉強していれば、4年生になれば卒業するのに必要な残りの単位はゼミと卒論だけということになります。もっと関心のある授業を履修して勉強したらよいのに…という意見もあるでしょうが、就職活動もあるし、別のことに時間を取られます。いろいろ忙しいから、わざわざキャンパスに行かなくても、自宅でゼミを受講できれば交通費がかからないし、時間も有効に使えてありがたいという人も現れるでしょう。通学にも時間がかかりますからね。下宿をするとさらにお金もかかります。仮に図書館の書籍がオンラインで読むことができれば「さらによし…」ということになるのでしょうが、まだこの辺りはなかなか…のようです。こうやってみてくると、オンラインでやりにくいのは、実習ということになります。もっとも、実習の内容にもよりますね。地域社会と連携しながら進めるような実習などは、かなり困難かと思います。

■さてさて。こうなってくると、これまでの投稿でも書いてきたことにも重なりますが、学生にとっての大学という「場所」の意味や価値は、おそらく今とは違ってくるでしょう。揺らいでいくことになると思います。今は、急に環境が変化したことから、「友達と会えなくて寂しい」と学生さんたちは言うわけですが、コロナ禍が収束した後、仮にオンラインが一定程度カリキュラムの中で存在感を持つようになると、大学での友人関係も、今とは異なるものになってくるような予感がします。課外活動にも大きな影響を与えることになるでしょう。でも、それがいつになるのか…。よくわかりません。

■よくわからないのですが、さらにオンライン化が進んでいくことがあっても後退することはないような気がします。それを押し進めるのは、「学生本位の教育」という考え方です。大学側が学習する内容をカリキュラム、そして学科やコースという制度の中で決められる…のではなく、「学生が本気になって学びたいことがあり」、そのために学生自身が自らの意思で「学びを積み上げていく」、そのような方向に変わっていくことでしょう。新自由主義的な思想が浸透した社会を背景に、学びについても個人化が進んでいくことでしょう。誰に指図されるのでもなく、自分で選択し決定できるのです。

■ただし、「学生が本気になって学びたいことがあり」ということが前提になるように思います。学びたいことがあってもなくても、そのような前提で大学の学びやカリキュラムが再編成されていくと、今度は、何を学んでよいのかわからない人にとっては、「選択の圧力」という負荷がかかってくることになります。高大連携や初年次教育の中で、自分自身と、そして教員としっかり対話をして、「自分は何を学びたいのか」をはっきりさせなければなりません。以上のことは学部教育の話なのですが、オンライン化は、大学院に社会人院生として入学されてくる皆さんには都合が良いものになるでしょう。すでに専門職大学院等では、このようなオンラインが当たり前になっていると思います。龍谷大学大学院も積極的にオンライン授業に取り組むと良いのではないかと思いますが、はたしてどうなるでしょうね。

■もう一度の学部教育の話に戻りましょう。ここまで述べてきたようなことと同時に、おそらく大学の中での人と人とのつながり(友人関係、教員・学生の関係)は、身体を伴ったものではなく、オンライン上の人格(アバータのようなものか…)を通したつながりに比重を移していくことになるのでしょう。とはいえ、そのあたりのことが、まだよく見えません。友人と語り合い一緒に学ぶ、協働しながら学ぶ、そのような経験や教育上の意味も大学での学び全体の中で、これまでとは違う位置づけになってくる可能性があります。加えて、地域連携等の実習科目です。私は、「大津エンパワねっと」を含めて、地域連携に熱心に取り組んできました。オンライン化が進むからこそ、地域との連携をしっかり取り組まねばならないと思っています。

■問題は、その変化のスピードと、オンライン化を進めることによって生まれる、(その時になってみないとわからない…)負の部分です。オンライン化を進めたい方達の視野のなかは、このような負の部分は入ってこないでしょうね。負の部分ってなんでしょうね(古典的な社会学の用語で言えば、意図せざる結果、潜在的逆機能…ということになるでしょう)。前提になんらかの価値判断があるから負になるわけですが、どうすれば、そのような負の部分を緩和できるのでしょう。そのような負の部分を常に意識しながら、オンラインをカリキュラムの中に、どうやって「巧く」取り込んでいくのか、きちんと考える必要があるように思います。個人的には、オンライン授業がコロナの間の、対面式の授業が復活するまでの代替手段として捉えているとまずいことになると思っています。昨日も、ある会議でそのようなことを言ったのですが、反応はイマイチでしたね。

【追記】■中原淳さんのブログ。「あなたの組織には「元に戻しましょうオバケ」が出現していませんか?:「これからの大学」が必要とするオンライン戦略とは何か?」
・コロナ禍をきっかけに「大学の学びの革新」を行おうとする「オンライン戦略の欠如」
・まぁ、対面に戻れるんだから、ここはみんな平等に戻りましょうよという「悪しき平等主義」
・カリキュラムをいじるのは面倒くさいという「怠慢」

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