第3回滋賀県吹奏楽フェスティバルin長浜

◼︎昨日は午前中の10時頃から16時まで、長浜ドーム(長浜バイオ大学ドーム)で開催それた「第3回 滋賀県吹奏楽フェスティバルin長浜」に参加し、吹奏楽を堪能しました。詳しくは、以下の龍谷大学吹奏楽部によるfacebookの投稿をご覧ください。

本日 9月21日(土)に第3回滋賀県吹奏楽フェスティバルin長浜が行われました。
実は龍谷大学吹奏楽部は2017年度にも本フェスティバルに参加しており、今回で2回目の出演となります。

当部はバトン・チア・SPIRITSと共にゲストとして出演し、開会を告げるファンファーレ・演奏会のトップバッターを務めました。
「MERRY GO ROUND」「クラリネットキャンディ」を演奏した後、バトン・チア・SPIRITSがKing & Princeの「シンデレラガール」の音楽に乗せて単独ショーを披露。華麗なバトンさばきやアクロバティックな動きで大迫力のパフォーマンスを見届けたあと、当部アンコール曲としてお馴染みの「ブラジル」でコラボしました。最後の「星条旗よ永遠なれin swing」ではノリノリのスタンドプレイで観客を湧かせ、次の団体に良いバトンを受け渡すことが出来たと思います。

フィナーレでは、全12団体が集結し約1000人の合同演奏が叶いました。選曲は吹奏楽界で知らない人はいない「宝島」、坂本 九の「上を向いて歩こう」の計2曲。
涼しい秋の夕暮れに「上を向いて歩こう」の明るい曲調に乗せた少し寂しげな歌詞がぴったりでした。会場で配られた団扇には歌詞が記載しており、観客も立ち上がって合唱で参加。会場内の全員で一つのステージを作り上げることが出来ました。

今回のフェスティバルには 2校の大学、10校の高等学校が出演しました。力みの無い大学生の落ち着いた演奏も もちろん魅力的でしたが、ダンスや小道具を使い、動きの一つ一つに想いを込める高校生の熱いパフォーマンスにも圧倒されました。今日の演奏会では、そんなお互いの良い部分を吸収出来た本番だったと感じます。共演者の皆さま、関係者の方々、そしてご来場いただきましたお客様、本日は本当にありがとうございました!

地区レベルの将来人口・世帯予測ツール

■国土交通省の研究機関「国土技術政策研究所」(国総研)から、地域社会の将来人口世帯予測ツールが提供されています。小地域(町丁・字)単位での人口や世帯数の将来予測がエクセル上で簡単に行えるとのことです。このツールを使ってみてはどうかと、「学生まちづくりLABO」の学生研究員の皆さんに提案しています。さて、どうなるでしょうね。
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ミョウガの甘酢漬けと醤油漬け

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■以前にも投稿いたしましたが、我が家の小さな小さな庭に、ミョウガが植えてあります(といいますか、どういうわけか生えてきました)。どんどん根を広げていって、たくさんミョウガが収穫できています。まず甘酢漬けを作ってみました。知人からは醤油漬けも美味しいと聞きました。もう一度庭に出て、確認したところ、またまたミョウガが頭を地面からのぞかせていました。ということで出勤前に収穫、洗ってみじん切りにして醤油につけてみました。あまりミョウガは得意ではないのですが、これだと食べられるかな。美味しく感じました。醤油漬け、冷奴に乗せていただきました。

新大宮川の再生、原田先生との再会

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20190919ohmiyagawa3.jpg■9月11日の投稿は「新大宮川の魚道を復活させよう!」でした。身近な河川の復活に関心を持つ方たちが多数集まり、大津市の坂本の町を流れる新大宮川の魚道を復活させました。私も含めて30人ほどの方たちが作業に取り組みました。その魚道の復活が、その後どのように川の生き物の状況を変えているのかが気になっていました。

■昨日、午前中は、大津市仰木の里自治連合会・大津市役所・龍子大学RECで取り組んでいる「学生まちづくりLABO」の会議でした。そして昼からは、総合地球環境学研究所の「地域連携セミナー」の打ち合わせで滋賀県琵琶湖環境科学研究センターに出かけ、研究員の佐藤祐一さんと色々相談をしました。その際、佐藤さんから、「先日の魚道復活の後、魚道をアユが俎上しているようですよ」と教えてもらいました。昨日は、たまたま車での移動でしたので、帰宅途中、新大宮川に立ち寄ってみることにしました。

■写真をご覧いただくとわかりますが、たしかにアユが俎上できるだけの十分な水量が復活した魚道を流れています。嬉しかったです。復活させた魚道のすぐ下流のところには、たくさんの魚影が確認できました。このことをfacebookに投稿したところ、今回の川の再生のキーパーソンである山本克也さんからコメントが入りました。再生した魚道の上流までアユが俎上していることも教えていただきました。

「脇田先生、これアユですよ。それと、アユの群れは、再生した魚道の上流に上がっています」。
「橋のすぐ上流に結構います。しかも、例年のものより、大きいと思います」。
「同じくらいのサイズのカワムツもいるのですが、アユはクネクネと泳ぎ、横腹が白いです。カワムツは、筋があって直線的に泳ぎます。アユはナワバリ意識が強いためだと思いますが、アユがいるとカワムツは追いやられて近くにはほとんど見あたりません」。

■滋賀県では、毎年、夏の終わりから秋にかけてたくさんのアユが琵琶湖から川に入って産卵します。今回、泥で埋まった魚道を復活させたことで、アユの産卵する範囲が以前と比較して広がったようですね。自分たちの作業がこうやって琵琶湖の生き物のためになっていることを、実際に自分の眼で確認すること、見守り続けること、とても重要ですね。眼で見て、確認して、私自身、とても嬉しいと感じることができました。こうやって身近な河川の「世話」を継続することで、琵琶湖の生態系に寄与できていることに、何か達成感というか満足感も覚えます。

■さて、昨日は、いったん車で帰宅して、それから再び大津の街中に出かけました。社会学部で取り組んでいる「社会共生実習」の「大津エンバワねっと」に関する地域の皆さんとの会議が開催されたからです。「大津エンバワねっとを進める会」です。この会議の後ですが、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」に行きました。3年前に社会学部を退職された原田達先生とお会いする約束になっていたからです。原田先生とは、半年ぶりの再会になりました。先生も、「利やん」には時々お越しになっているようなのですが、私がお店に行くタイミングとなかなか合いませんでした。昨日は、最近の大学のことから、ランニングのこと、世界情勢、特に東アジアの情勢のことまで、様々なお話をさせていただくことができました。原田先生、ありがとうございました。ご退職後、原田先生は本格的にランニングに取り組んでこられました。退職後に、フルマラソンも自己記録を更新されました。すごいです。お店に現れた先生のスタイルは、真面目にランニングに取り組んでおられる人のそれでした。かっこいい。頭もスキンヘッドにされ、少しヒゲもはやされたお姿は、なかなかワイルドです。刺激をいただきました。
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琵琶湖の月

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◼︎昨日は、奈良に暮らす孫に会いに行きました。おじいさんの幸せを感じました。孫とお別れして、車で滋賀の自宅に帰宅する途中、月が見えたので琵琶湖の湖岸に立ち寄ってみました。満月ではありませんが、美しい月夜でした。

敬老の日

20190917respect_for_the_aged_day.jpg◼︎昨日は敬老の日でした。以前は、老いた両親のための日だったように思いますが、その両親もともに亡くなり、自分自身に孫が生まれて私自身が還暦を超えると、今度は、私が感謝の気持ちを伝えてもらう日になっています。

■このメッセージカードは、2歳になる孫娘がプレゼントしてくれたものです。通っている保育園で作ったようです。小さな手に絵の具をつけてカードにスタンプ。これは「象さん」ですね。まだ2歳なのでひらがなは書けませんが、孫の気持ちを両親(娘夫婦)が代わりにメッセージにしてくれました。私が79歳になる時、孫娘は成人します。その時までは、なんとか生きていたいと思います。大丈夫かな。

◼︎先ほど、両親がともに亡くなり、孫娘が生まれ…と書きました。これで完全に世代交代です。プライベートで世代交代したら、仕事でも世代交代しつつあります。これで自然です。ただし、「おじいさん」(老人)のカテゴリーに移り、健康面ではいろいろ心配になります、やはり。「人生100年時代」と政府は高齢者を煽りますが、「政府に頼らずに、いつまでも自力で稼いでくれよな」という裏のメッセージが聞こえてくるかのようです。というか、それが本音だと思います。まずは健康を維持すること、健康寿命を延ばすことが大切になります。あまり自信がありません。両親を看病・介護してきた経験があるからです。そんな簡単ではありません。両親は、息子である私に看病・介護されても当然と思っていたようですが、私が本格的に老人になった時はどう思うでしょうか。多くの同世代の皆さんは、子どもたちには世話になれないと、どこかで思っているのではないでしょうか。やはり、地域の中に、人の最期を支える「共助の仕組み」が必要だと思うわけです。さて、どうしたものか。今、地域にある様々な資源をつなげて、地域の中にその「共助の仕組み」を作れないだろうかと相談を受け、福祉の専門家、僧侶、様々な方達とそのデザインを考えようとしています。うまくいったら良いと思っています。

◼︎すみません。話が逸れてしまいました。昨日の敬老の日、孫のひなちゃんからカードをもらってとても幸せな気持ちになりました。ありがとう。ひなちゃん。

「龍谷ジュニアキャンパス吹奏楽体験スクール」

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20190917ryusui2.jpg◼︎日曜日に、瀬田キャンパスで「龍谷ジュニアキャンパス吹奏楽体験スクール」が開催されました。この企画は、龍谷大学エクステンションセンター(龍谷REC)によるものです。龍谷大学吹奏楽部が先生役になり、楽器体験や指揮者体験、マーチング体験を通して吹奏楽の楽しさを伝えること目的としています。この日は、たくさんの音楽好きの小学生のお友達が来学されました。部員の皆さんの演奏やマーチングを鑑賞したり、たくさんの楽器を体験されました。また、先生役の部員の皆さんも、実に楽しそうでした。部員の皆さんにとっても、とても大切な経験になったと思います。

◼︎スケジュールは以下のとおりでした。

12:15 受付開始
13:10 オリエンテーション
13:15 第Ⅰ部 コンサート&指揮者体験
14:00 楽器体験(前半)
15:10 第Ⅱ部 マーチングショー&マーチング体験
16:00 楽器体験(後半)
17:00 終了

◼︎部員の皆さんの演奏はもちろんのこと、小学生の皆さんへの接し方についても、とても感心するところがありました。昨日は、特に、司会をされた部員の方の力量に驚きました。第1部と第2部とは、別の方が司会をされていましたが、お2人とも素晴らしい司会ぶりでした。まったく異なるタイプの司会振りでしたが、それぞれに個性と魅力のあるとても素敵な司会でした。

◼︎この日は、3回生が中心となってスクールを担当しましたが、4回生の一部の人たちは、京阪三条駅で「クラリネット四重奏」によるアンサンブル演奏を披露しました。また、昨日、月曜日は、東大阪市にある蓮浄寺で開催された「音楽会 vol.6」で、金管五重奏・クラリネット五重奏の演奏を披露しました。21日は、「第3回滋賀県吹奏楽フェスティバルin長浜」にも出演します。後期のメインは、10月の全日本吹奏楽コンクールと12月の定期演奏会ですが、同時に、こうやって依頼演奏にも積極的に取り組んでおられます。頑張っておられます。

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琵琶湖博物館シンポジウム「海を忘れたサケ ビワマスの謎に迫る」に参加しました。

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◼︎今日は、琵琶湖の固有種ビワマス に関するシンポジウム「海を忘れたサケ ビワマスの謎に迫る」が、琵琶湖博物館で開催され参加してきた。シンポジウムでは、シンポジストとしてビワマス漁師の鍋島直晶さん(西浅井漁協)がお話をされるということで、なんとしても参加したかったのです。私は、2016年の夏に、鍋島さんのガイドでビワマスのトローリングを初めて経験しました。その時のトローリングの経験と鍋島さんに対する印象がとても強く記憶に残っていたことから、今回は改めて鍋島さんのお話を伺ってみたかったのです。私たちはビワマス とどう関わっていくのか。いろいろ考えるヒントをいただくことができました。

◼︎これまで、ビワマスに関する取り組みは、水産的な問題関心から、いかに水産資源としてのビワマスを増殖させ、それを捕獲するかということに主眼を置いてきました。しかし、そのような問題関心からの取り組みだけでは、ビワマスに関わる様々な問題を根本的なところから解決していくことは難しい、もっと別のアプローチからの取り組みが必要であること、そのことを今回のシンポジウムで強く感じました。

◼︎一つの問題は、アマゴとの交雑という問題です。シンポジウムで配布された資料(『びわはく』第3号「海を忘れたサケ-ビワマスの謎に迫る-」)には、以下のことが指摘されていました。

1970年代以降、吻部が尖り目が小さく、体高が高く体側に朱点のある、ビワマスとは形の異なるマスが獲れるようになり、いっとき大きな話題になりました。現在、このマスは「とんがり」「キツネ」「三角マス」などと漁師からは呼ばれています。

実は、1970年に岐阜県産のアマゴの種苗を用いた放流試験が、愛知川源流の茶屋川で実施され、その後県内各地での河川で同じ系統の種苗を用いたアマゴの放流が行われるようになりました。このマスはそれとほぼ同時期に獲れるようになったことから、放流アマゴが琵琶湖に降ったものだと考えられます。ただ、ビワマスとアマゴは亜種の関係にあるとされており、亜種同士が同じ場所に生息するようになったことから、交雑が生じている可能性が高いと考えられます。

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◼︎今回のシンポジウム、琵琶湖博物館の企画展に合わせて開催されたものです。企画展の図録『海を忘れたサケ-ビワマスの謎に迫る-』では、次のような対策が提案されています(上の写真は企画展の導入部分を撮影したものです。この企画展では、撮影が許可されています)。

ビワマス稚魚の放流を最下流部の堰堤より下流で放流すること。さらに、他水系産のアマゴの放流をやめ、在来のアマゴから種苗を作って放流することにより、降湖しやすい性質を持つアマゴを駆逐することが必要です。

◼︎シンポジウムでは、フロアの方から「人工的に増殖されるのではなく、本来は、河川で自然に産卵ができるようにすることが大切なのではないか」という意見が出されました。もっともな意見です。では、現在の河川が、ビワマスの産卵に適した環境になっているのかといえば、残念ながらそうではありません。そこで、野洲市の家棟川や米原市の天野川では、ビワマスが遡上できるように、市民、企業、専門家、行政が連携して河川の環境整備に取り組んでいます。水産業の関係者や行政だけでなく、様々な立場の方達が、ビワマスを単に消費するだけでなく、広い意味での資源管理に関わろうとされているのです。そのような意味で、ビワマスは、多くの人びとをつなぐ大変シンボリックな魚(あるいは)だといえるのかもしれません。

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◼︎シンポジウムでは、漁師の鍋島直晶さんが、以下のように述べておられます(講演要旨「ビワマスとの新しい関係」)。

滋賀県色のブランド推進課ではビワマスのぶらんどかにも力を入れていますが、遊漁でのビワマス採捕量が無制限という状況下でのブランド化は、発想としてはいかがなものでしょうか。近年不安定要素が目立つ琵琶湖環境のもと、ビワマスに限らず資源管理と有効活用を可能にするためには学術的な見地をしっかりもった施策が重要です。琵琶湖生態系のピラミッドの中にあるビワマスを肉質の良い大型に育て、一定の漁業資源量を維持していくゆくためには、私たちにはしなくてならない事が、守らなくてはいけない約束事が必ずあるはずです。複雑に発展した人間環境がこの湖を取り巻いている現在、私たちはしっかりとした学術的見地をもって、まずその約束事を認識する必要があるのではないでしょうか。ブランドとは作るものであり、その上で守るものとも言えます。真にビワマスを県産のブランド食品にし、その恵みを享受するためには、私たちには努力しなくてはならないことが実はたくさん積み残されているのかもしれません。

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◼︎上の写真は、滋賀県立琵琶湖博物館の建物です。私自身がかつて主任学芸員として勤務していた場所です。すでに博物館での勤務を終えて20年以上が経過しました。そような長い時間の経過が、「自分の職場であった」という事実さえも希薄にしているように思います。私の場合、開設準備に5年間(1991年4月〜1996年3月)、開館後は2年間(1996年4月〜1998年3月)、合計7年間にわたってこの博物館に関わってきました。20年が経過し、すでに展示替えも行われ、私たちの時代のものとは内容が異なってきています。一番の驚きは、琵琶湖博物館の周囲の森林ですね。この森林も展示の一部として計画的に作られたものです。20年で「森」と呼べるまでに成長しました。

◼︎上の写真のカレー。これは、博物館のレストランでいただいたものです。ライスが琵琶湖の形をしています。学芸員の方の説明によれば、県内の農業高校との共同開発で、隠し味にその高校のマーマレードを入れてるのでほのかな甘みとピールがあるとのこと。また、サラダ部分は草津の愛彩菜を使っているそうです。いろいろ工夫をされているのですね。

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◼︎話は変わりますが、先日、京都で仕事があった時、木屋町の「喜幸」さんを伺いました。ビワマスのことを深く理解してくださるこちらの店主さんと琵琶湖の生産者とをつなぐお手伝いをさせていただきました。そのようなお手伝いができて、個人的にはとても嬉しいわけです。写真のこのビワマスは引き縄釣(トローリング)で獲ったものです。網とは違って、魚が痛んでいることもなく最高の味です。このビワマスを味わった上で、今回は琵琶湖博物館のビワマス の企画展を観覧し、シンポジウムに参加させていただきました。今日の企画展の図録と冊子を、「喜幸」さんに届けようと思っています。

50年ぶりの再会、今度は大津で。

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◼︎私は幼稚園の年長クラスから小4まで北九州市の小倉区(現在の小倉北区)に暮らしていました。小学校は、戸畑区にある明治学園小学校という私立の学校に通っていました。たしかカナダのカトリック修道院が経営する学校でした。その学校で、3年生の時に転向してきたのがHくんでした。私は4年生までその小学校にいて、5年生からは福岡市の小学校に転向したので、Hくんとは2年間だけですが、クラスメイトとして過ごしました。本当にたまたまの偶然なのですが、昨年、そのHくんの名前を某新聞社のサイトで見つけたのです。彼は新聞記者になっていました。多くのクラスメイトの名前は記憶していませんが、数名の人たちの名前はいつまでも忘れていません。Hくんも、そのうちの1人です。

◼︎ということで、人づてにHくんに連絡を取って、50年ぶりに大阪で再会することができました。昨晩は、そのHくんが今度は大津にやってきてくれました。Hくんの後輩記者であるOさんとNさんも一緒です。場所は、もちろん、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」。滋賀の地酒を楽しみに来られた酒豪のOさんにお付き合いして、私もいろいろ銘柄を楽しむことができました。ご了解をとるのを忘れたので、皆さんのお顔はモザイクに(^_^;)。

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アボカドとライムポトス

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◼︎思うところがあって…というわけではありませんが、アボカドを料理に使ったあとの種、これを水栽培で育ててみることにしました。写真のよう種に爪楊枝を刺して、コップにたっぷり入れた水に半分ほどつけるのです。こうやってしばらくはなんの変化もないのですが、とうとう種が割れて根が伸びてきました。そのうち芽も出てくるのではないでしょうか。楽しみです。

◼︎リビングの大きなテーブルの真ん中に、このアボカドの種とライムポトスを飾っています。別の鉢に植えてあったライムポトスが伸びてきたので、カットして水栽培にしたものです。最初は少し頼りなげでしたが、最近は根も伸びてしっかりしてきました。上に向かって葉がしっかり持ち上げられています。元気が良さそうです。写真はありませんが、洗面所の窓と風呂場の窓にはアジアンタムを置いています。洗面所の方の葉がチリチリになってしまったので、全てカットしました。そうすると、また新しい芽が伸びてきました。風呂場の方のアジアンタムは、湿度がちょうど良いのか、順調に成長しています。でも、アジアンタムは育てるのが難しいです。毎日、霧吹きして葉水を与えたりしているのですが。

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